文化・芸術

2017年11月14日 (火)

名人芸

flair「名人は 上手の坂を 一上り」という言葉があります。
「名人」「上手」というのは、どの分野にでもいるものですが、「名人」と「上手」との間には、歴然とした差があります。
「浜野矩随」のマクラで、こんな内容から入りますが。
とにかく、「名人」というのは、一般の人や「上手」の延長線上にあるものでないことだけは確かです。
理屈や鍛錬だけではない何かがプラスされないと。
落語にも「名人」と呼ばれる人がいます。
それぞれが伝説のようになっています。
圓窓師匠の師匠で、昭和の名人の一人と言われる六代目三遊亭圓生師匠は、いわゆるネタ本というようなものはなかったそうです。
質・量ともに、持ちネタの豊富さ・素晴らしさは突出していた師匠ですが、あの多くの名作は、全て頭の中に入っていたそうです。
これからも、名人というのは、頭脳・技量・精進に加えて、もうひとつ何かを持っているんですね。
宇宙観というか世界観というか、異次元の眼、いや五感以外のものです。
先日テレビを見ていたら、あの運慶の筋を引くと言う大仏師が出ていました。
松本明慶さんという方ですが、一本の小さな材木から仏像を彫る場面がありました。
明慶師は、材木に印をつけたり線を引いたりすることなく、彫刀を片手に、無造作に彫り始めました。
その時のコメントに驚きました。
材木を見ていると、中に仏様がいて、その姿が浮かんでくる。
仏師の仕事は、仏像の形を作るのではなく、中にある仏様を取り出すこと。
彫るのではなく、中の仏様を覆っている物(木)を取り去ること。
だから、印も何も要らない。

・・・完全に発想が違います。
こじつけかもしれませんが、落語もそうなのかもしれません。
台詞や地語りの積み重ねではないんだと思います。
ある噺の全体像・・・、噺ですから形ではありませんが、まずそれをイメージし理解すること。
後は、その噺を語りや仕草によって、周りの余計なものを取り去って行く・・・。
師匠が、「活字で覚えちゃいけない」というのは、こういうことの一部なんでしょう。
そのアプローチで楽しむか、出て来た落語の姿に感嘆するか。
これが、落語の楽しみ方なのかもしれません。
大変勉強になりました。

2017年10月27日 (金)

本当の顔?

eye聞けば、西郷隆盛の顔も、あの上野の西郷さんとは似ても似つかないということですから、いわんや・・・。 
顔だちを巡って意見が分かれる室町幕府初代将軍の足利尊氏(1305〜58)の、亡くなってほどない時期に描かれたと見られる肖像画の写しが発見されたそうです。
   本当の顔
中世まで確実にさかのぼれる尊氏の肖像画は他に一例しかなく、専門家は「尊氏の顔がこれではっきりした」と話している。
確認された「足利尊氏像」は縦88・5センチ、横38・5センチ。
軸装された画の下側に正装して着座する人物が描かれ、上方には十数行にわたって画中 の人物の来歴をつづった文章がある。
(1)尊氏を示す「長寿寺殿」という言葉がある
(2)尊氏の業績として知られる国内の66州に寺や塔を建立した旨が記されている
――などから尊氏像と判断した。

・・ちょっと待ってください。
私たちは、足利尊氏といえば、この絵で習いました。
本当の顔
しかし、近年の研究で、歴史教科書などで尊氏像として紹介されてきた「騎馬武者像」は尊氏でない可能性が高まっているそうです。
聖徳太子の有名な絵も、別人なんだそうです。
要するに、偉い人の顔だっていい加減なんです。
大家さんや、八っつぁん、熊さんの顔も、色々でいいんです。

2017年10月18日 (水)

屋根の上のヴァイオリン弾き

event懐かしい響き・・・。
学生時代に観劇しました。
勿論、主演は森繁久彌さんでした。
1964年のアメリカのミュージカル。
ショーレム・アレイヘムの短篇小説「牛乳屋テヴィエ」が原作。
テヴィエ(Tevye)とその家族をはじめとして、帝政ロシア領となったシュテットルに暮らすユダヤ教徒の生活を描いたもの。

屋根の上のヴァイオリン弾き
日本では1967年9月6日、東京・帝国劇場にて初演された。
テヴィエ役は1986年まで900回にわたり森繁久彌。
その後、上條恒彦、西田敏行、市村正親に移り、2013年には日生劇場で上演されている。

「サンライズ・サンセット」という劇中歌が印象に残ります。
これでも、学生時代は、比較的頻繁に演劇を鑑賞したものです。
まだ、脈々と上演されているんですね。

2017年8月30日 (水)

落書き・いたずら

ng国宝の比叡山延暦寺で見つかった(以前からある)落書き。
落書き・いたずら
最近は日本人の意識も高くなって、こういうことは、近くの国々から観光に来る心ない人たちの仕業が多いようですが、ちょっと前までは・・・。
落書き・いたずら
だから偉そうなことを言わず、こういう蛮行をやらない、やらせないようにしないと、日本の宝物が毀損してしまいます。
落書き・いたずら
こういうのを見るたびに、昔、集落にあるお堂の仏像の顔を白い絵の具で塗った近所の中学生のお兄さんがいて、さすがに大人たちから顰蹙を買っていたことを思い出します。
なぞかけやっちゃいました。
「比叡山延暦寺の落書の実態」とかけて
「いざなぎ景気の記録を破って続く好景気」と解く
その心は「再調査(最澄さ、最長さ)」

2017年8月24日 (木)

駿州片倉茶園ノ不二

fuji葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景 駿州片倉茶園ノ不二」。
この画の場所がはっきりしていないんだそうです。
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彼方まで続く大規模な茶園で、忙しく立ち働く様子。
女たちは茶摘をし、男たちは茶葉を籠に詰め込み、その籠を馬で作業場に運び、右手の建物に集められている。
背後の富士には雪が多く残っているところから、春の新しい茶摘みの様子でしょう。
「これは富士市から見た風景だ」という可能性を探る市民プロジェクトがスタートするそうです。
「富士市に残る北斎の足跡を辿る会」という名称。
地元史跡研究グループの「富士市中野の法蔵寺から見た風景ではないか」という説を明らかにしようという。
「駿州片倉茶園ノ不二」は、小高い丘のような場所から富士山を望み、眼下に茶畑や沢が広がる光景が描かれています。
富士市中野には「片倉町」の地名があり、周辺に「伝法沢」が流れるなど共通点も多いようです。
専門家は、「当時は実際に風景を見ながら絵を描くという手法は通例ではなかった」と 。
一方で「片倉町の地名から、富士市からの風景を描いたのではないかという説は専門家の間でもある」そうです。
・・・こういうのって、とても楽しいと思いますね。
葛飾北斎が生きた時期(1760~1849年)は、富士山の宝永の大噴火(1707年)の後ですから、宝永山が描かれても良いと思うのですが、やはり左右対称に裾を広げる姿の方が、見栄えがしたんでしょうか?
他の浮世絵でも、宝永山が描かれているものは少ないような・・。

2017年6月28日 (水)

岩淵鳥居講

fujiやはり富士山は信仰の山でもあります。
落語の「富士詣り」にも出て来ます。
岩淵鳥居講
富士市の教育委員会は、岩淵地区で12年に一度、富士山頂に鳥居を奉納する伝統行事である「岩淵鳥居講」を市の無形民俗文化財に指定。
富士山信仰の形を残す地域独特の“遺産”として、後世に受け継ぐべきと評価。

岩淵鳥居講
岩淵鳥居講は江戸時代に出版された「駿河国新風土記」で、著者が1808(文化5)年に富士山頂を踏破した際の記述として「頂に木の鳥居あり」などと紹介され、200年以上の歴史がある。
岩淵地区は富士山麓で伐採した木材で船を造り、富士川の渡船を担って繁栄したことから、富士山が出現したと言い伝えられる申(さる)年に伐採への返礼と渡船の安全を祈願して鳥居を奉納するようになったとされる。
市教委は2014〜16年度にかけて、地元住民への聞き取りや文献調査を実施。
昨年8月6、7両日に行われた鳥居奉納にも同行し、富士山信仰を現在に伝える貴重な行事と評価した。
市文化振興課は「文化財指定により、地域住民の伝承意識が一層高まれば。世代を超えて長く受け継いでほしい」と期待を込めた。

・・・岩淵という場所は、富士川舟運の駿河側の起(終)点で、上流の甲斐の鰍沢から下る高瀬舟で栄えた場所でもあります。
義母の生家は、昔、鰍沢で舟運を営んでいたと聞いています。
ここ(東名高速道路富士川SA)から見える富士山は最高です。

2017年3月10日 (金)

目覚めた眠り猫

cat世界文化遺産の日光東照宮の陽明門で「平成の大修理」と呼ばれる工事が竣功したそうです。
目覚めた眠り猫
修理は、塗料のはがれなどが目立ってきたことから2013年から開始。
大規模修理は約40年ぶりで総工費は約12億円。
眠り猫も目覚めたということですね。
左甚五郎も、喜んでいることでしょう。
あぁ、「ねずみ」も再演したいなぁ。

2017年2月 5日 (日)

毘沙門天大祭

昨日帰省した時、「今週は毘沙門さんだよ」と母が言いました。
毘沙門天大祭
そうです、旧正月の7日・8日・9日の三日間は、妙法寺の「毘沙門天王」が娑婆に下られ、親しく人々の願い事を聞いて下さるといわれています。
3・4・5日は「毘沙門天大祭」です。
毘沙門天大祭
毎年、数十万人の人々で賑わっています。
このお祭りには、全国からダルマ屋さんが店を出すことでも有名で 、日本最大の「ダルマ市」としても知られています。
また大祭に出店する露店は1キロを超え、その賑わいは「東海一の高市(たかまち)」と表されています。
毘沙門天大祭
ところが、昨日の製紙工場の火事で、近くの吉原駅が一時騒然としたそうです。
毘沙門さんは、祖父が毎年楽しみにしていました。

2017年1月28日 (土)

武田氏の城?

drama武田信玄と言えば、「人は石垣、人は城・・」と、城は築かなかったと言うのが定説ですが。
武田氏の城?
山梨県甲州市にある山の山頂付近で、敵の侵入を防ぐために作られたと見られる尾根を削った跡が見つかり、専門家は戦国時代の武将・武田氏ゆかりの山城の可能性があると指摘しているそうです。
跡が見つかったのは、山梨県甲州市にある標高およそ820メートルの通称「恵林寺山」と呼ばれる山の山頂付近だそうです。
♪祖霊まします この山河 敵に踏ませてなるものか
                人は石垣 人は城 情は味方 仇は敵 仇は敵♪

2016年11月15日 (火)

七五三

bud今日は「七五三」。
七五三七五三
7歳、5歳、3歳の子どもの成長を祝う日本の年中行事。
天和元年11月15日(1681年12月24日)に館林城主である徳川徳松(江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の長男)の健康を祈って始まったとされる説が有力だそうです。
現在では、全国で子供の成長を祝って神社・寺などに詣でる年中行事ですが、元来は関東圏における地方風俗でした。
旧暦の15日は、かつては二十八宿の鬼宿日(鬼が出歩かない日)に当たり、何事をするにも吉であるとされていました。
また、旧暦の11月は収穫を終え、実りを神に感謝する月であり、その月の満月の日である15日に、氏神への収穫の感謝を兼ねて子供の成長を感謝し、加護を祈るようになったということです。

現在は「七五三」という名称から、その年齢にやる同じ行事のように捉えられていますが、実際には、それぞれの年齢で行う別々の異なった行事だそうです。
数え年3歳(満年齢2歳になる年)を「髪置きの儀」とし、主に女の子が行う。
江戸時代は、3歳までは髪を剃る習慣があったため、それを終了する儀。
数え年5歳(満年齢4歳になる年)を「袴儀」とし、男の子が行う。
男子が袴を着用し始める儀。
数え年7歳(満年齢6歳になる年)を「帯解きの儀」とし、女の子が行う。
女子が幅の広い大人と同じ帯を結び始める儀。
3歳は髪を伸ばす「髪置(かみおき)」、5歳は初めて袴をつける「袴着(はかまぎ)」、7歳は、それまでの紐付きの着物に代わって、本仕立ての着物と丸帯という大人の装いをする「帯解(おびとき)・紐落(ひもおとし)」の名残りである。

・・・へえぇぇぇ、そうなんだ。
落語には、初天神はありますが、七五三は出て来ません。
七五三の儀式は、セレブな層でなければ出来なかったのかもしれません。

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