らんしのしんら

2018年10月23日 (火)

幻の「金願亭圓志」

mobaq高座名のこと・・・。
  幻の「金願亭圓志」  いつも思っていること。
一番長く付き合って、一番愛着のある「金願亭乱志」という高座名。
落研で二代目として名乗らせてもらって、はや幾星霜。
ところが、プロの世界と異なり、先代がご健在なんです。
一度だけご挨拶したことがあります。
先代は、特に「乱志」を使った落語の活動をなさってはいないようですが、様々な場所で勝手に落語の徘徊をする二代目がご迷惑をかけているのではないかと。
そこで、頭の片隅に常にあるのは、オンリーワンの高座名に代えようかということ。
名前なんてどうでもいいじゃないかというのも分かりますが。
周期的に、そんなことを考えてしまうんです。
例えば、「金願亭圓志」なんて・・・。

2018年10月22日 (月)

流三の「ごひやく都々逸」

book取り敢えず編集した「流三のごひやく都々逸」。
   流三の「ごひやく都々逸」
大胆にも、昨日の稽古の時に、師匠にもお渡ししました。
中に、一つでも良い作品があれば、その噺の高座本に掲載してくださるということで・・・。

2018年10月18日 (木)

御礼

eye本日午後1時、150万件アクセスを突破しました。
       jj
ありがとうございます。
jj
引続き、よろしくお願いいたします。
お辞儀の稽古?お辞儀の稽古?
ありがとうございます。
お辞儀の稽古?
本当にありがとうございます。
お辞儀の稽古?お辞儀の稽古?
ごめんください。勘弁してください。
お辞儀の稽古?
謝っている訳ではありません。

ありがとうございます。

150万アクセスへ

shineこのブログへアクセス累計が150万件を超えようとしています。
  
やや"上げ底"もあるかもしれませんが、一区切りになりました。
「落語徘徊のはじまり」・・・。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2009/01/post-2f91.html
2009年1月に始めて10年弱で150万件です。
  10万件   2011年 1月
  20万件   2011年12月
  30万件   2012年 8月
  40万件   2013年 2月
  50万件   2013年 9月
  60万件   2014年 3月
  70万件   2014年11月
  80万件   2015年 6月
  90万件   2016年 1月
 100万件   2016年 7月

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 150万件   2018年10月
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2016/07/post-6619.html 

くだらないことばかりですが、そもそもこんなずぼらな私が10年も続けられていることが、一番の驚異です。
このまま続けて行こうと思います。

2018年10月16日 (火)

長講・・・

落語には体力が要ります。
長講・・・
何を以て"長講"と言うこともないのでしょうが、感覚的には、本編が30分を超える・・否、アマなら25分超ぐらいになれば、なんでしょう。
そう考えると、私は「長い・暗い・つまらない」の3拍子ですから、持ちネタの中で"長講"はかなりあると思います。
「浜野矩随」「揺れるとき」「文七元結」「子別れ」「帯久」「鰍沢」「ねずみ」「人情八百屋」「おせつ徳三郎」・・・。
いくつか長講にチャレンジして来て、その難しさ(楽しさもあります)を実感しています。
まず、長講をやるには、語りや台詞を覚えるだけではダメ。
一番大切なのは、噺全体のペース配分と体力温存です。
それを最初からフルスロットルでやると・・・必ずオーバーラップで失速(息切れ)するものです。
極端に言えば、長講をやる時は、全編8割ぐらいの力で行くのが良いのでは思います。
フルスロットルにするのは、クライマックスをピンポイントで狙うことです。
ところが、我々素人は、噺(語り)は、それなりに繋ぐことは出来ても、後半になるとかなり息切れしてしまい、ヘロヘロになってメリハリがなくなります。
それから、地語りの部分は、読んでいる(朗読や読み聞かせの)ようになるから、そこで流れが途切れてしまう。
滑稽噺と異なり、筋(ストーリー)性が高いので、かなり致命的になってしまいます。
失礼ながら、素人落語では「まだ長講は・・・?」と思う人もいます。
長時間に渡って緊張を維持するのは、台詞を覚えるよりも難しいかもしれません。

2018年10月14日 (日)

落語の魅力

flairいつも驚かされるのは、梅朝さんが関わっておられる、牛久での落語会の集客力。
例えば「牛久味わい亭」と、昨日の「牛久亭発表会」。
会場の立地は、街中にあるわけでもなく、決して良いとは思えないのに、この賑わいぶり。
落語の魅力
落語は(落語の限らないと思いますが)、「噺家」と「寄席」と「贔屓」の三方が揃わなくてはダメだと言われます。
それぞれが一定のレベル以上でないと廃れる。
これを素人のレベルで言えば、「演者」「主催者」「観客」ということになります。
「演者」のところは、師匠に指導していただいているグループということなら、そんなに大きな差はありません。
と言うことは、「主催者」と「観客」ということになります。
我々が発表会を行う場合、当然主催者は我々自身ということになります。
要するに「演者≒主催者」ということで、会場設営も含めて、観客動員も全て自分たちでやらないといけません。
ところが、「牛久味わい亭」は、主催してくださる、大勢の地元の強力な有志がいらっしゃる。
また、我が落語っ子連には、公民館などの主催イベントに呼んでいただけるルートがある。
扇子っ子連などは、会場を運営する団体が共催してくださる。
こういう場合には、我々個人のルートではなく、広く情宣もしていただけるので、集客力もある。
要するに、「寄席(席亭)」がいてくれるということです。
落語の魅力
そして「観客」。
席亭が集めるお客さまですから、演者の友だちや家族が、お付き合いで来るわけではない。
聴こうと思って来てくれる。
極めて能動的なお客さまです。
だから、知り合いの高座の時間に合わせて来て、終われば帰るというのは少ない。
(勿論、義理で来てくださる方でも、感謝ではありますが。)
正直なところ、落語を知らないお客さまや(失礼ながら)場違いな方も時々いらっしゃいます。
最初はそんな程度でも、主催者の方々の熱意で、落語好きが増え、定着して行く。
こういう好循環が、観客動員に繋がっていると思います。
昨日の「牛久落語発表会」にも来ておられた「牛久味わい亭」の主催者の方は、「牛久にも落語が根付いた」と仰っていました。
嬉しいと言うか、羨ましいと言うか。
「噺家」と「寄席(席亭)」と「贔屓」・・・この全てが揃わないと、落語は発展して行きません。

2018年9月30日 (日)

夏の高座の総括

sun長い夏が終わりました。
地震・台風・猛暑・・・、大変な夏でした。
様々な方面から声をかけていただいたり、ご縁をいただいたりで、この7月から、9月までの3ヶ月間で6回、高座を務めさせていただきました。
アマチュアでも、この何倍も高座に上がっている方は多いと思いますが、私にとっては心身ともにタフな、貴重な経験になりました。
◆7月28日  「子別れ」(深川三流亭)夏の高座の総括
落語っ子連のホームグラウンド門前仲町での「深川三流亭」。
私の落語の原点でもある、落研の先輩「喰亭寝蔵師匠(三流亭越児)さん」の「子別れ」に憧れ、畏敬の念を持ち続けた・・・。そして、落研のレジェンド「麻雀亭駄楽師匠」との約束。
やっとチャレンジすることが出来ました。
亭主と女房、親子(父と子、母の子)、それぞれの間のそれぞれの愛を、さりげなく描きたかった。
まだまだ、寝蔵師匠には追いつけない。
別に望んでもいませんが、駄楽さんを越えてはいない。
この噺も、乱志の十八番にして行きたいものです。
この日は、台風の真っ最中で、いつもの半分のお客さまだったのが残念でした。
◆8月26日  「怪談牡丹燈籠」(学士会落語会納涼寄席)
夏の高座の総括
「日本で一番笑ってもらえない落語会」と、いつも出演者が恐れる落語会です。
有形無形のプレッシャーのある落語会でもあります。
今回は、東大OBと東北大OB各3名の出演(競演)。
「またお前か」「また長いか」「またトリか」なんて言われて。
落語会の後では、長老からの「講評」もあるというのは、これはパワハラなのではないかと・・・?
時間の問題もあり、原作をかなりデフォルメして演ったので、予想通り様々な反応がありました。
「何とでも言ってくれ。そんなことははじめから承知でやっているんだ」って、”心の中で”啖呵を切っています。
「30分以内でやれ」って言われてるんだから、お札はがしまでは出来ないでしょ?
ただストーリーだけを読むんならともかく。
でも、かなり客席を掴むことが出来たと思っています。
「怪談牡丹燈籠」も、私の宝物(自信作)になっています。
◆9月 1日  「浜野矩随」(牛久味わい亭)
夏の高座の総括
同じように師匠にご指南いただいている好文亭梅朝さんからのお招きで、昨年初めて出演し、今回が2度目でした。
とにかく素晴らしい主催者に恵まれた落語会です。
そこで満を持して「浜野矩随」をネタ出ししました。
多くの方には、人情噺の良さを味わっていただけたようですが、中には「難しい」「面白くない」という感想もあります。
それは仕方ない。
あって当たり前です。
しかし、圓窓師匠から「圓楽さんより上手い」と言われた「浜野矩随」も、私の宝物(代表作)です。
◆9月16日  「揺れるとき」(OB落語会)
OB落語会のBD
夏の高座の総括
必ず仙台でやりたい。
仙台でやらなければ意味がない。
そう思い続けていた噺です。
師匠の初演を聴いた瞬間に、「私がやって語り継ぎたい」と思った師匠の意欲的な創作噺。
落研の先輩の駄馬師匠には「厚みのある良い噺だね」、友楽師匠には「圓窓さんらしい噺で、乱志君に合う噺だね」と。
現役部員たちには、歴史や芸談を語る噺などは、興味など湧かないかもしれませんが。
「揺れるとき」は、師匠から継承を託された宝物です。
◆9月24日  「長短」(ふれあい快笑会)

少し緊張感から解放されたと思うのは、演目が「長短」で軽いのと、高座もイベントの一部のコンパクトなものだろうと言うのと、蝶九さんと2人だけだから。
ところが、素晴らしい会場で、イベントのメインが我々の落語でした。
勿論、一生懸命務めさせていただきました。
そもそも、落語っ子連の出前落語会を聴いてくださってのオファーでしたから、極めて光栄なことでもあります。
必ず、どこからか見られているのですから、常に手を抜かずにベストを尽くすことが大切だと痛感しました。
私の拙い落語でも、少しでも喜んでいただけるなら、こんなに嬉しいことはありません。
私は、落語はお稽古ごとだとは思っていません。
私というちっぽけな人間を表現するものだと思っています。
それに共感してくだされば、それが一番嬉しい。
この「長短」は、私の非人情噺の持ちネタの中で、「子ほめ」「花色木綿」と並ぶ宝物になりました。
◆9月29日  「短命」(千早落語会)
夏の高座の総括
こんなに稽古をしなかった噺は初めてです。
実質数日で高座にかけてしまいました。
言い訳が半分ですが、覚えない落語、自分の中の言葉の引出し(量と質)を実感する試行でもありました。
アウトプットはボロボロでしたが、私にはプラスとマイナス両面での収穫がありました。
何と言っても、フリーハンドで、客席の反応を計りながら演じることの厳しさと楽しさがありました。
また、個人的には、今後、千早亭とどう向き合って行くべきかを、改めて考えさせられました。
どこかが違う・・・と。
この夏は、それぞれの高座に、それぞれのテーマを決めて臨んで、それぞれ相応の手応えを感じました。
もう一段上の次元で、さらに落語を上達させて行く端緒には出来た気がしました。
それぞれの落語会のお客さまに、心から感謝して。
まだまだ、私の落語徘徊は続きます。

2018年9月 5日 (水)

牛久味わい亭の高座写真

event先日の「牛久味わい亭」の主催者の方から、高座の写真が送られて来ました。
鮮明に撮られていて、とても有難いです。
何から何まで、本当に感謝に堪えません。
◆若狭屋:「矩随さん、お前さんそれでも職人か?」
牛久味わい亭の高座写真
◇矩随:「なに言ってんだい。こんな恩着せがましい金・・・」
牛久味わい亭の高座写真
○矩随母:「矩随、この観音さまを持って若狭屋さんへお行き」
牛久味わい亭の高座写真
●定吉:「そうなると矩随さん、今日当たり化けて出る頃・・」
牛久味わい亭の高座写真
◆若狭屋:「矩随さん、分かるか!これが!」
牛久味わい亭の高座写真
◆若狭屋:「とても神田の隠居に渡せる物じゃありません」
牛久味わい亭の高座写真
こういう画像は、単なるメモリーだけではなく、これからの自分の高座の貴重な参考資料にもなります。
仕草、上下の角度、視線、表情、着物・・・。
そう言えば、本会のアンケート結果の一部を拝見しましたが、「髪型、着物、着付けともパーフェクト」というコメントをしてくださった方がいました。
こういうのも、顔が赤くなるほど嬉しいものです。

2018年6月11日 (月)

140万件アクセス

m(_ _)mおかげさまで、本日、本ブログへのアクセス累計が140万件に到達しました。
落語とは関係のない、田舎や富士山や家族や出張やら・・でお茶を濁しているのが情けない。
また、都々逸やなぞかけの創作を復活させようかと思います。
昨日、愛車の走行距離も99000キロを越えました。
来月の車検の頃に100000キロの大台に達する見込み。
継続は力なり、と言いますが、私には全く力はありません。

40年前の今日は・・

sun1978年6月11日は日曜日でした。
あれからちょうど40年。
「第一回全日本学生落語名人位決定戦」が行われて。
日本テレビの企画。
当時、仙台の日本テレビの系列局に先輩がいらっしゃったので、私を含む落研部員の何人かが、ちょくちょく出入りをして、アルバイトをしていました。
そんなことから、話が来たのかもしれません。
予選はテープでの審査。
2席を録音して送るようにというのがエントリー条件。
どういう訳か、私が参加することになりました。
やりたがり屋の私が、深く考えずに、手を挙げた気がします。
私が手を挙げなければ、我が落研は参加しなかったでしょう。
「花筏」と「花色木綿」の"花シリーズ"でエントリーしました。
暫くして、本選参加の報せがありました。
要するに、予選通過ってこと?
  懐かしい写真1
直前(5月)には、創部20周年で三遊亭圓生師匠の独演会を開催したばかりで、あんまり深く考えていなかった気がします。
元々、"ダメもと"でエントリーしましたから、驚きました。 
   40年前・・"   
本選当日、朝早く「L特急ひばり」に乗って、私と何人かで上京。
会場は蒲田だったので、「上野から京浜東北線で一本だから」と油断していて、蒲田までの所要時間を知らずにのんび゜りしていたため、会場到着は、集合時刻ギリギリでした。
蒲田の電気専門学校の中にある、テレビ録画が出来る立派なホールが会場でした。
本戦には、東西の大学から12~13名が残っていたように記憶しています。
地方大学、国立大学は私1人だけでした。
観客は・・・、恐らく各大学の部員たちだけで、一般の観客はほとんどいなかったかもしれません。
そのあたりは、全く記憶がありません。
テレビの録画ですから、オープニングも派手だった気がします。
司会者は、日本テレビの売れっ子アナウンサーの徳光和夫さん、アシスタントがこのはのこさんでした(懐かしい)。
そして、何と、途中で色物的に盛り上げる役が、売り出し中のタモリさんと轟二郎さんでした。
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とにかく、他の大学の落研は、出演者も応援も派手で、田舎からポイと出の我々は、ただたじろぐばかりでした。
そんな中で、偶然隣り合わせた慶應大の落研の方々には、色々親切にしていただきました。
彼らは、出囃子も自分たちでやっていて、私の出囃子も演奏してくれることになりました。
特にリクエストをした訳ではありませんでしたが、「老松」を演奏してもらい、とても嬉しかったのを覚えています。
    40年前・・"
本選では、「花色木綿」を演りました。
終わった後は、徳光さんが審査員に講評(感想)を求めます。
審査員は、柳家小さん落語協会会長、桂米丸落語芸術協会会長(いずれも当時)と、演芸評論家の小島貞二先生でした。
「小さん師匠、今の花色木綿はいかがでしたか?」と徳光さん。
すると、後の人間国宝五代目柳家小さん師匠が、例の口調で、「仙台には寄席がないから、あまり落語を聴く機会がないと思うが、仕草はどうやって覚えたんだい?」と、質問されました。
「はい、長い休みで帰省する途中で、東京の寄席に立ち寄って生の落語を聴いたり、テレビ番組を見たり、先輩から指導してもらったりして覚えます」と答えたような気がします。
後は、何をおっしゃっていただいたか・・・全く記憶がありません。 
    40年前・・"  
・・・結果は、後日放映する3名の中には、当然入ることは出来ませんでした。
まぁ、昔、雪深い東北や北海道の高校が、春のセンバツに出場すると、北国のハンデにもめげず頑張る姿を、やや同情をもって讃えられましたが、表彰式の時に、審査員の方々が、「審査員特別賞」という俄か作りの賞を作ってくださり、何と、私が小島先生から指名されました。
・・・あの日から今日でちょうど40年経ちました。
あの時の優勝者は・・・、実ははっきり覚えていないのですが、駒澤大学の落研、現桂竹丸さんではなかったかと思うのですが・・(自信はありません)。
    jj
この会は、数回続いたようです。
第2回の優勝者は東海大学の現春風亭昇太さん、その数回後に、日本大学の現柳家喬太郎さんだったという噂を聞いています。
帰りは、何故か、御徒町あたりで祝杯をあげて、最終の「ひばり」で仙台に戻りました。
「明日の部会で報告しなくては」と。
まさか、あんなことが起こるとは夢にも思わず・・・。
そう言えば、当時は、静岡県には日本テレビの系列局がなかったので、それをいいことに、家族に黙って出たのですが、山梨には系列局があって、数ヵ月後にオンエアされて、オープニングで出て来るところを叔母に見られ、親にばれてしまいました。

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