らんしのしんら

2019年3月26日 (火)

千早亭落語会での演目

扇子っ子連・千早亭・・・。
「千早亭落語会」は、先日で18回目となりました。
一区切りということで、私の演目を振り返ってみました。
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 ①2010(平成22)年7月   「千早振る」~落語教室修了発表会
 ②2011(平成23)年3月  【東日本大震災のため延期】
 →2011(平成23)年5月   「花色木綿」
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 ③2011(平成23)年10月  「救いの腕」
 ④2012(平成24)年3月    「揺れるとき」
 ⑤2012(平成24)年9月  「鬼子母神 藪中の蕎麦」
 ⑥2013(平成25)年3月  【休演】~父逝去のため
 ⑦2013(平成25)年9月  「三味線栗毛」
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 ⑧2014(平成26)年4月  「通夜の猫(猫怪談)」
 ⑨2014(平成26)年9月  「一人酒盛」
 ⑩2015(平成27)年3月  「蒟蒻問答」
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 ⑪2015(平成27)年9月  「五百羅漢」
 ⑫2016(平成28)年3月  「二番煎じ」
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 ⑬2016(平成28)年9月  【休演】~大学OB落語会のため
 ⑭2017(平成29)年3月  「不孝者」
 ⑮2017(平成29)年9月  「おせつ徳三郎(刀屋)」
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 ⑯2018(平成30)年3月  「長短」
 ⑰2018(平成30)年9月  「短命」
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 ⑱2019(平成31)年3月  「長屋の花見」~平成最後の落語会
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私事都合での2回の休演を除き、16席でご機嫌を伺いました。
今でも、すべての高座がそれぞれ思い出に残ります。
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一区切りということですね。

2019年3月24日 (日)

1人カラオケの効果

今回、本番の直前に何度も通った1人カラオケ。
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カラオケと言っても、歌は歌わず、ひたすら読み稽古を繰り返しました。
完全に遮音されていますから、静かな空間で、思い切って声も出して。
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今回は、この稽古をしなければ、本番に間に合わなかったかもしれません。
効果を測るには、もっと早い段階からやってみてということでしょう。
時間が限られますから、何をどんな形でやるのかを決めて。
昨日、このカラオケのアプリにこんな表示がありました。
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行き始めて5回になったようで、メンバーランクが一段階上がったようで、5%割引されるようです。
新しい稽古の場になったかもしれません。 

筋肉痛・・・

朝目覚めると、例によって、下半身の筋肉痛です。
落語は座ってやるんだから、上半身ならともかく、下半身が筋肉痛なんてと思われるかもしれません。
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ところが、膝、腿、腰への負担は大きいもので、必ず翌日に残ってしまいます。
ところで、昨日の高座では、何人の方々から、着物と着こなし?にお褒めをいただいて驚きました。
着物そのものは、ほんの安物なんですが。
トリだったので、羽織を着たからだとも思います。
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着物に関してはズブの素人ですから、とても照れ臭くなりました。
やはり、落語以外の部分も見られているんですね。
お辞儀の仕方などにも気を配らないといけません。

2019年3月22日 (金)

1人カラオケ稽古

🔑🔑今日も今日とてアフターファイブで行きました。
今回も2時間、帰る途中で立ち寄り。
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・・・と言うよりも、あすの本番前の最終の稽古。
が、まだ時々高座本を見ながらの稽古というていたらくで、不安は増すばかり。
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不安を払拭するように、ひたすら大きな声を出して・・・。

2019年3月14日 (木)

1人カラオケ初体験

落語の稽古が目的で、以前から1人カラオケはどうかと思っていました。
いよいよ本番が近くなり、お尻に火が点いて来ました。
初一人カラオケ
パソコンで検索して、上野駅前の地下鉄を上がった、マルイの隣に1人カラオケ専門店を見つけました。
初一人カラオケ
仕事帰りに、臆病な私が、勇気を振り絞って行ってみました。
LINEで会員制登録の手続きをして、今日はカラオケなしの、フリールームを選びました。
要するに防音ルームです。
初一人カラオケ
落語の稽古には、このタイプが向いていると思います。
他の部屋からの音は全く聞こえませんから、とてもいい。。
今日はお試しで1時間だけでしたが、大きな声を出すことが出来るから、利用価値はありそうです。

2019年3月 1日 (金)

11年前の今日

今から11年前の3月1日は土曜日でした。
私の落語徘徊の大きな一里塚の日になりました。
この日、私は大きなボストンバッグを肩に掛けて、JR大塚駅に降り立ちました。
そして、駅で待ち合わせをした人たちと向かったのは、東京都立文京高校でした。
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実は、この前年の12月にとても悲しいことが起こっていました。
我が落研創部のリーダー(初代部長)のOさん(初代麻雀亭駄楽師匠)が、外出先から帰宅された直後に急逝されてしまいました。
私は、この2週間前に、とある落語会で駄楽師匠と一緒になり、その後2人だけで盃を重ねました。
この1年前ぐらいから、OBの先輩方との交流が始まっていました。
この時、落語が好き、落語が演りたい2人は、「駄楽乱志二人会」をやろうじゃないかと約束して別れました。
駄楽師匠は、大手企業の役員にまで登りつめただけでなく、落語だけでなく多趣味な方だったようで、母校の文京高校で、同窓の方々と「笑涯学習」と称して楽しんでいらっしゃったそうです。
このメンバーの中心にいらっしゃったのが、文京高校OBの三遊亭圓まど師匠でした。
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そこで、Oさん(駄楽師匠)を偲ぶ会をやろうじゃないかという話になり、落研OBの先輩にお声がかかりました。
同時に、せっかく落研のOBが参加してくれるんだから、一席演って欲しい、とのリククエストも。
そのお鉢が、落語が演りたかった私に回って来たという訳です。
文京高校の教室で、学生時代に覚えた「子ほめ」をやりました。
11年前の今日
聴いてくださった師匠からは、(ヨイショが大部分ですが)大変お褒めの言葉を頂戴しました。
あたしは今、落語の授業で小学生に落語を教えるだけでなく、社会人のグループも指導しているんだが、一緒に落語をやらないかい。
思いがけなくも、師匠から誘っていただいて大喜びで仲間入りしたのが「落語っ子連」でした。
そう、現在の「深川三流亭」に繋がっています。
今日は、駄楽師匠のご縁で、初めて師匠の前で落語を演らせていただいた日です。

2019年2月17日 (日)

乱志十八番⑱「怪談牡丹燈籠」

さて、「金願亭乱志十八番一覧」も、今回が殿(しんがり)、主任(トリ)ということで、三遊亭圓朝作「怪談牡丹燈籠」です。
…なんて言うと、あの超長編を語ったように思われますが、その短編の一部分のさらに抜き読みというところだということで、ご了承ください。
乱志十八番「怪談牡丹燈籠」
「牡丹燈籠」は、現代では「四谷怪談」や「皿屋敷」と並び「日本三大怪談」と称せられています。
中でも、広く知られているのが、お露の亡霊に取り憑かれた新三郎の悲劇です。
・・というか、これをもって「牡丹燈籠」の全容だと思われることもあります。
しかし、これは、本来の長編から前半の中心部分を切り取って仕立て直した短編にあたりますから、「忠臣蔵」で言えば「外伝」のような存在かもしれません。
浪人の萩原新三郎は、ふとしたことから旗本飯島平左衛門の娘、お露と知り合う。
お互いに一目惚れしたふたりは理無い仲となり、お露は夜ごと牡丹灯籠を下げて新三郎の元を訪れ、逢瀬を重ねる。
しかし、お露の正体は怨霊/亡霊だった。
日ごとやつれてゆく新三郎に旅の修験者/寺の和尚が真実とお札を授け、家中の戸にこれを貼って期限の日まで籠もり、夜が明けるまで決して出てはならない、と告げる。
言われたとおりに新三郎が閉じ籠もっていると、毎晩お露は家の周りを回りながら、中に入れず恨めしげに/悲しげに呼びかけてくる。
最終日、新三郎は、朝になったと騙されて/命よりお露への想いを優先して、自らお札を剥がして外へ出る。

金願亭乱志
・・・この怪談は、長編人情噺の形をとっており、多くの部分に分かれています。
六代目三遊亭圓生師匠は、このお露と新三郎の出会いを「お露新三郎」、お露の亡魂が新三郎に通い祟りをなすくだりを「お札はがし」、伴蔵の悪事の下りを「栗橋宿/おみね殺し」「関口屋のゆすり」にそれぞれ分けて演じています。
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私のは、圓窓師匠の高座本「牡丹燈籠・下駄の音」としてまとめられたもので、20~25分程度のものです。
お露と新三郎の恋物語を、怪談風にまとめ、お札はがしのような因縁噺の要素は入っていません。
この噺、私の語り口調に合ったものか、「深川三流亭」での初演以来、何度も高座にかける機会に恵まれました。
口演回数でいえば、「花色木綿」「浜野矩随」に次ぐ回数になるかもしれません。
指折り数えただけでも、両手に近くなるほどですから。
また「牡丹燈籠」
ネタ下ろしの時の「深川三流亭」
高座姿


南大塚ホールでの「おひろめ寄席」

千早亭早千さんとの二人会「烏楠落語」
千早亭永久in烏楠
そして、「学士会落語会・納涼寄席」

Fw: 「納涼寄席」ご出演の御礼
私がこの噺にチャレンジしたきっかけは、圓窓師匠の創作「揺れるとき」の存在がありました。
この噺の劇中劇に、この駒下駄のシーンが入っていたんです。
「揺れるとき」で、そのごく一部を演じて、それならと、師匠の高座本で稽古を始めました。
原作は長講で、しろうと風情がやらせていただく場はありませんが、師匠の高座本なら、コンパクトにまとまっていて、牡丹燈籠も駒下駄の音も、しっかり伝えることが出来ますから。
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圓朝の「怪談牡丹灯籠」の速記本は22の章に分かれています。
各章の概要をまとめたものがありました。
1.飯島平太郎(のちの平左衞門)、刀屋の店先で酒乱の黒川孝藏に絡まれ、斬り殺す。(「発端/刀屋」)
2.医者の山本志丈の紹介で、飯島平左衞門の娘・お露と美男の浪人・萩原新三郎が出会い、互いにひと目惚れする。(「臥龍梅/お露新三郎」)
3.黒川孝藏の息子・孝助が、父の仇と知らず、飯島家の奉公人になる。平左衞門は気づいたが、黙って孝助に剣術を教える。
4.萩原新三郎、お露のことを想い、悶々とする。店子の伴蔵と釣りに出かけ、お露の香箱の蓋を拾う。
5.飯島平左衞門の妾・お国、平左衞門の留守中に隣家の息子・宮邊源次郎と密通。黒川孝助が見咎め、喧嘩になる。
6.死んだと聞いたお露が萩原新三郎の前に現れる。
7.相川新五兵衞が飯島平左衞門宅を訪れ、自分の娘・お徳と黒川孝助との養子縁組を持ちかける。
8.人相見の白翁堂勇斎が萩原新三郎宅を訪ね、死相が出ていると告げる。お露が幽霊であることがわかり、仏像とお札で幽霊封じをする。
9.宮邊源次郎とお国、邪魔な黒川孝助を消すため、一計を案じるが、失敗に終わる。
10.伴蔵と妻のお峰、百両で萩原新三郎の幽霊封じの仏像とお札を取り外してやる、と幽霊のお露に持ちかける。
11.飯島平左衞門の金百両が何者かに盗まれる。お国はこれを利用し、黒川孝助が疑われるように工作する。
12.伴蔵と妻のお峰、幽霊から百両を受け取り、萩原新三郎の身辺から仏像とお札を取り去る。(「お札はがし」)
13.飯島平左衞門の機転と計らいで黒川孝助の濡れ衣は晴れたが、孝助は平左衞門を間男の宮邊源次郎と間違えて刺してしまう。平左衞門は、自分が孝助の父の仇であることを告げ、孝助を相川家へ逃がす。(「孝助の槍」)
14.萩原新三郎死亡。
15.飯島平左衞門は深手を負いながらも、宮邊源次郎を殺しに行くが、反対に殺されてしまう。源次郎とお国は飯島家の金品を盗んで逃走する。黒川孝助はお徳と祝言をあげるが、亡き主人・平左衞門の仇を討つため源次郎とお国を追う。
16.萩原新三郎の葬儀を済ませたのち、伴蔵と妻のお峰は悪事がばれるのを恐れて、伴蔵の故郷・栗橋に引っ越す。
17.伴蔵は幽霊にもらった百両を元手に荒物屋「関口屋」を開き、成功し、料理屋の酌婦と懇ろになる。酌婦は、飯島平左衞門の元妾のお国だった。伴蔵は、お国との仲を咎めた妻のお峰を騙して殺す。(「栗橋宿/お峰殺し」)
18.死んだお峰が伴蔵の使用人たちに乗り移り、伴蔵の悪事をうわ言のように喋り出したので、医者を呼んだところ、その医者は山本志丈だった。事の次第を知った山本は伴蔵にお国の身の上を暴露する。お国の情夫宮邊源次郎が金をゆすりに来るが、逆に伴蔵に追い返される。伴蔵は栗橋を引き払い、山本と江戸に帰る。(「関口屋」)
19.仇が見つからず、孝助はいったん江戸へ戻り、主人が眠る新幡随院を参り、良石和尚に会う。婿入り先の相川家に戻ると、お徳との間に息子・孝太郎が生まれていたことを知る。
20.伴蔵は悪事の発覚を恐れて山本志丈を殺すが、捕えられる。孝助は良石和尚の予言に従い、人相見の白翁堂勇齋を訪ね、そこで偶然、4歳のときに別れた母親おりえと再会する。すると、孝助が探していたお国が、母親の再婚相手の連れ子であり、源次郎とともに宇都宮に隠れていることを知る。
21.母おりえがお国と源次郎の隠れ場所に手引きしてくれるというので孝助は宇都宮に出向くが、おりえは、夫に義理立ててお国と源次郎に事の次第を話し、2人を逃す。
22.母おりえは孝助に事の次第を話し、自害する。孝助は二人を追い、本懐を遂げる。

・・・発端から大団円まで、圓朝得意の因縁・怪談が続きます。
私の持ちネタでは、「怪談牡丹燈籠」「猫怪談」「笠と赤い風車」ず、「怪奇3題」ということになるでしょう。
以上、「金願亭乱志十八番」を紹介して来ました。
実は、続編で「三流亭流三十八番一覧」も書いていただけるそうです。
まだ確定ではありませんが、以下の噺を書いていただこうと思います。
順不同です。
「三方一両損」「三味線栗毛」「千早振る」「鬼子母神 藪中の蕎麦」
「救いの腕」「揺れるとき」「三井の貸し笠」「五百羅漢」「人情八百屋」
「猫怪談」「不孝者」「おせつ徳三郎(刀屋)」「厩火事」「子別れ」「長短」
「短命」「蒟蒻問答」「子ほめ」・・。
さらに、第3弾も書いていただけるよう、持ちネタ(しかも得意な)を増やして行きたいと思います。

2019年2月16日 (土)

乱志十八番⑰「鰍沢」

ご当地中のご当地噺の「鰍沢」。
これも、ずっとずっと演ってみたかった噺でした。
折しも、地元の町興しに落語(鰍沢)に注目が集まりり始めました。
私にとって、「鰍沢と「甲府い」「笠と赤い風車」で「身延詣り3題」ということになるんです。
乱志十八番「鰍沢」
この噺は、三遊亭圓朝が三題噺として捜索した名作中の名作。
圓朝は維新後の明治5(1873)年、派手な道具入り芝居噺を捨て、素噺一本で名人に上り詰めましたが、「鰍沢」もその関係で、サスペンスがかった人情噺として演じられることが多くなりました。
Fw:電子メールで送信: 201211281800<br />
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圓朝門下の数々の名人連に磨かれ、三遊派の大ネタとして、戦後から現在にいたるまで
受け継がれてきました。
就中、明治の四代目橘家圓喬の迫真の名演は、今も伝説として語り継がれています。
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昭和になって、六代目三遊亭圓生師匠、八代目林家正蔵(彦六)師匠に正統が伝わり、
五代目古今亭志ん生師匠も晩年好んで演じました。
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また、元の形態の芝居噺として、正蔵師匠が復活させたものが、お弟子さんで山梨県出身の正雀師匠に継承されています。
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ところで、この噺には続編があったそうです。
正式には「晦(みそか)の月の輪」といい、やはり三題噺(「花火」「後家」「峠茶屋」)から作られたものといわれます。
毒から蘇生した伝三郎が、お熊と信濃の明神峠で追剥を働いているところへ、偶然新助が通りかかり、争ううちに夫婦が谷底へ転落するという筋立てですが、明治以後、演じられた形跡もなく、芝居としての台本もないようです。
身延で「鰍沢」?
身延山(久遠寺)に参詣をしようと旅人は、大雪に遭って山中で道に迷い、偶然見つけた一軒家に宿を頼む。
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そこにいた妙齢の美人・お熊に卵酒をすすめられるまま飲み、話をするうち、お熊がかつては吉原遊廓の遊女であり、現在は猟師の妻であることが分かる。
旅人は宿の礼として、お熊に財布の大金の中からいくらかを渡す。

初詣で
お熊は、亭主の酒を買いに行くために外出する。
旅人は疲れと酔いのために、横になる。
そこへお熊の亭主が帰ってきて、旅人が残した卵酒を飲み、たちまち苦しみ出す。
帰ってきたお熊は亭主に「旅人にしびれ薬入りの酒を飲ませて殺し、金を奪い取る算段だった」と明かす。
その声を聞いた旅人は、すでに毒が回った体で吹雪の舞う外へ飛び出し、必死に逃げる。
お熊は鉄砲を持って旅人を追いかける。

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旅人は、持ち合わせていた久遠寺の「毒消しの護符」を雪とともに飲み込み、その後、体の自由が利くようになるが、川岸の崖まで追い詰められる。
そこへ雪崩が起こり、旅人は突き落とされる。
運よく、川の中ではなく、岸につないであった筏に落ちるが、今度はその反動で、旅人を乗せたままの筏が流れ出す。
お熊の放った鉄砲の弾が旅人を襲うが、それて近くの岩に当たる。
急流を下るうち、綱が切れていかだはバラバラになる。
旅人は筏の一部だった1本の材木につかまり、懸命に題目をとなえながら川を流れていく。
そのうち旅人は、お熊の姿が見えないところまで流れ着き、窮地を脱する。   
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「この大難を逃れたも、お祖師様のご利益。お材木(=お題目)で助かった」
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2014年の4月に、身延山の麓(身延町)で、叔父が会長を務めていた老人会で、「鰍沢」を演りました。
身延で「鰍沢」?
身延(山)で「鰍沢」を演るという夢が叶いました。
その前後に開催された「深川三流亭」と「お江戸あおば亭」でも、ご贔屓に披露することが出来ました。
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http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2014/03/post-2845.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2014/03/post-9dd1.html

http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2014/04/post-b14a.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2014/04/post-fb27.html
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ところで、圓窓師匠が、この噺でコメントを記しています。
圓朝作の三題噺で「小室山の御封」「卵酒」「熊の膏薬」がお題。
旅人と元花魁との会話は妖艶であり凄味があるという聞きどころ。
落ちは[お節徳三郎下]と同じなのが気に食わないし、また、命拾いをした瞬間に駄洒落を口にするのも不自然。
あたしは以前、「卵酒を飲んだあと眠った新助の夢だった」と設定にして他の落ちを工夫したこともあったが、成功したとは思えないので、それは捨ててしまった。
いつか、工夫したいと思案している。
・・・師匠の構想に合わせて、鉄砲で追いかけられるのは、旅人の夢だという演出にしてみました。
「お江戸あおば亭」の時に、後輩にこんなコメントをもにいました。
今まで多くの噺家さんの「鰍沢」を聴いたが、旅人(新助)が身延参りをする背景や思いが描かれているのは初めてで、とても臨場感があった。
オチの演出も初めてのパターンで、勉強になった。
・・・これは、師匠のオリジナルの部分で、私が考えた訳ではありませんが、確かに、何故、どんな思いで旅をしているのかに触れているのはないかもしれません。
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それから、元花魁のお熊を悪者で終わらせないというのは、私がこの噺にチャレンジしようと思った最大のポイントです。
それでないと、お熊という女が救われないし、信心が空しくなるし、何よりも悪者がいないという落語国の魅力が削がれてしまう。
「お材木(題目)」の地口は、古今の落語評論家の先生方からも稚拙なものだと言われ続けていますから、何か考える必要はありますが、この演出は物凄いものだと思っています。
もう一つ嬉しかったことは、会社の若手が来てくれていて、彼は落語のことはほとんど知らないのですが、「
演技力は、落語の本筋ではないとおっしゃってましたが、芝居を観ているようでした。」と言ってくれたこと。
これは、ある程度、舞台設定・場面設定が出来ていて、お客さまにイメージしていただけたということなのでしょう。
「鰍沢」・・・、まだまだ未完成ですが、もっともっと練り上げて行きたいと思います。
◆2014年3月「深川三流亭」
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◆2014年5月「お江戸あおば亭」
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こんなに多くのお客様に聴いていただきました。
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「鰍沢」・・・、この噺も宝物です。

2019年2月15日 (金)

乱志十八番⑯「試し酒」

少し、殻を破ってみたくて。
酒飲みの噺は、「一人酒盛」「二番煎じ」で演っていますが、もっと大胆な噺をやってみようと思いました。
この噺は、本当に演っていて楽しい。
乱志十八番「試し酒」
「試し酒」は、新作落語の範疇に入るのかもしれません。
この噺は、親子二代の速記者で、落語研究家の今村信雄(1894~1959)が昭和初期に創作した噺です。
ただし、この噺には筋がそっくりな噺もあるようです。
明治の異色の英国人落語家の「初代快楽亭ブラック」が、明治24年3月「百花園」に速記を残した「英国の落話」で、主人公が英国ウーリッチ(?)の連隊の兵卒ジョン、のむ酒がビールになっている以外、まったく同じだそうです。
この時の速記者が、父親の今村次郎ということもあって、このブラックの速記を日本風に改作したものだと思われます。
しかし、オリジナルのブラックの作または英国産の笑話かというと、それも違うようで、中国の唐代の笑話に同じようなパターンのものがあるそうですが、はっきりはしていないようです。
いずれにしても、現実感しともかくも、ダイナミックな噺です。
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初演は七代目三笑亭可楽だそうで、その可楽の演出を戦後、五代目柳家小さん師匠が継承し、ほぼ古典落語化するほどの人気作にしました。
当の作者の今村自身も、著書「落語の世界」で、「今(注:昭和31年現在)『試し酒』をやる人は、柳橋、三木助、小勝、小さんの四人であるが、(中略)中で小さん君の物が一番可楽に近いので、今、先代可楽を偲ぶには、小さんの『試し酒』を聞いてくれるのが一番よいと思う」と、述べているそうです。
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私は、「試し酒」を「一人酒盛」「二番煎じ」と酒3題としています。
この噺は、酒を飲む仕草が身上ですから、ちょっと見てみます。
ある大家の主人。
客の近江屋と酒のみ談義となる。
お供で来た下男久造が大酒のみで、一度に五升はのむと聞いて、とても信じられないと言い争い。
挙げ句に賭けをすることになる。
もし久造が五升のめなかったら近江屋のだんなが二、三日どこかに招待してごちそうすると取り決めた。
久造は渋っていたが、のめなければだんなの面目が丸つぶれの上、散財しなければならないと聞き「ちょっくら待ってもらいてえ。おら、少しべえ考えるだよ」と、表へ出ていったまま帰らない。
さては逃げたかと、賭けが近江屋の負けになりそうになった時、やっと戻ってきた久造
「ちょうだいすますべえ」
一升入りの盃で五杯、息もつかさずあおってしまった。
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相手のだんな、すっかり感服して小遣いをやったが、しゃくなので
「おまえにちょっと聞きたいことがあるが、さっき考えてくると言って表へ出たのは、あれは酔わないまじないをしに行ったんだろう。それを教えとくれよ」
「いやあ、なんでもねえだよ。おらァ五升なんて酒ェのんだことがねえから心配でなんねえで、表の酒屋で、試しに五升のんできただ」

・・・「お前の噺は、長くて・暗くて・つまらない」と言われ続けて10年近くが経過し、それじゃあ、気軽な場所で人情噺以外のものをとチャレンジしたのが、2017年11月でした。
金願亭乱志
誰でも知っている噺で、オチも「あぁぁ」という感じですから、とても便利な持ちネタだと思います。
金願亭乱志
酒を飲む仕草で、どうやって絶妙の間を作るのか。
現実と非現実をどうやって結びつけるか。
飲む仕草で、客席から拍手がもらえるか・・・。
金願亭乱志
口うるさい先輩方にも、人情噺だけじゃないぞと。

2019年2月14日 (木)

乱志十八番⑮「抜け雀」

「三遊亭はこうやるんだね」と、2013年11月の「第6回お江戸あおば亭」の楽屋で、落研のある先輩から言われました。
確かに、この噺は古今亭の噺と言われています。
初めてこの噺を聴いたのは、大学1年生の時の、落研主催の「古典落語鑑賞会・金原亭馬生独演会」。
勿論、十代目金原亭馬生師匠の「抜け雀」です。
私は、これで人情噺に目覚めたと言って良いと思います。
馬生師匠・・・、とても素敵でした。
乱志十八番「抜け雀」
この噺は、「幾代餅」と同様に、古今亭(志ん生師匠)の噺というのが定着しています。
しかし、「抜け雀」という噺の出自は、はっきりしていないようです。
講釈ダネだという説もあり、また中国の黄鶴楼伝説が元だとの説もあり、誰か有名な絵師の逸話だとの説もありのようで・・・。
その中で、ネタ元としては確かだろうと思われるのが、京都の「知恩院七不思議」の一つで、朝に襖絵から雀が抜け出し、餌をついばむという伝説だそうです。
襖絵のある知恩院の大方丈は寛永18(1641)年の創建ですから、描いたのは恐らく京都狩野派中興の祖と言われる「狩野山雪」だと思われますが、不詳だそうです。
元ネタが京都ということですから、噺として発達したのは上方のようで、上方では昔から、多くの師匠が手掛けています。
東京では五代目古今亭志ん生師匠の独壇場ということです。
明治以後、志ん生師匠以前の速記は事実上ありません。
わずかに、明治末期から大正初期の「文芸倶楽部」に速記があるという曖昧な記述があるようですが、明治何年何月号で、何という師匠のものなのかは全く分からず。
大阪からいつごろ伝わり、志ん生師匠がいつ誰から教わったのか、ご当人も言い残していないので、永遠の謎となっています。
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ということは、志ん生師匠が発掘し、育て、得意の芸道(名人)ものの一つとして一手専売にした、「志ん生作」といっていいほどの噺ということです。
そしてさらに、東京の噺家では子息の十代目金原亭馬生師匠と古今亭志ん朝師匠の兄弟が「家の芸」として手掛ていましたから、文字どおり古今亭の噺ということです。
志ん生師匠の「抜け雀」の特色は、芸道ものによくある説教臭がなく、笑いの多い、明るく楽しい噺に仕上げていることでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=YmeruOmVDxY
志ん朝師匠は、「志ん朝の落語・6」(ちくま文庫)の解説で京須偕充氏も述べている通り、
父親の演出を踏まえながら、より人物描写の彫りを深くし、さらに近代的で爽やかな印象の「抜け雀」を作っています。
写真でアンコール
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金願亭乱志
小田原宿に現れた若い男、色白で肥えているが、風体はというと、黒羽二重は日に焼けて赤羽二重。紋付も紋の白いところが真っ黒。
誰も客引きはしないが、袖を引いたのが、夫婦二人だけの小さな旅籠の主人。
男は悠然と「泊まってやる。内金に百両も預けておこうか」と言った。
安心して案内すると、男は、おれは朝昼晩一升ずつ飲むと宣言。
その通り、七日の間、一日中大酒を食らって寝ているだけ。
こうなるとそろそろ、かみさんが文句を言いだした。
危ないから、ここらで内金の5両を入れてほしいと催促してこいと、気弱な亭主の尻をたたく。
ところが男「金はない」
「だってあなた、百両預けようと言った」
「そうしたらいい気持ちだろうと」。
男の商売は絵師。
「抵当(かた)に絵を描いてやろうか」
「絵は嫌いですからイヤです」。
新しい衝立に目を止めて「あれに描いてやろう」
それは、江戸の経師屋の職人が抵当に置いていったもの。
「だめです。絵が描いていなければ売れるんです」。
亭主をアゴで使って墨をすらせ、一気に描き上げた。
「どうだ」「へえ、何です?」
「おまえの眉の下にピカッと光っているのは何だ」
「目です」
「見えないならくり抜いて、銀紙でも張っとけ。雀が五羽描いてある。一羽一両だ」。
これは抵当に置くだけで、帰りに寄って金を払うまで売ってはならないと言い置き、男は出発。

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とんだ客を泊めたと亭主にぼやくし、朝になっても機嫌悪く女房は起きない。
亭主が二階の戸を開けると朝日が差し込み雀が鳴きながら外に出て行った。
はて変だとヒョイと見ると、例の衝立が真っ白。
外から先程の雀が戻ってきて何と絵の中に納まった。
これが小田原宿中の評判を呼び、泊まり客がひっきりなしで、大忙し。
それから絵の評判が高くなり、とうとう藩主・大久保加賀守まで現れて感嘆し、この絵を千両で買うとの仰せ。
絵師が現れないと売れない。
数日後、六十すぎの品のいい老人が泊まり、絵を見ると
「さほど上手くは無い。描いたのは二十五、六の小太りの男であろう。心が定まらないから、この様な雀を描く。この雀はな、止まり木が描いていないから、自然に疲れて落ちて死ぬ」。
嫌がる亭主に書き足してやろうと硯を持ってこさせ、さっと描いた。
「あれは、何ですか」、「おまえの眉の下にピカッと光っているのは何だ?」
「目です」
「見えないならくり抜いて、銀紙でも張っとけ。これは鳥かごだ」
なるほど、雀が飛んでくると、鳥かごに入り、止まり木にとまった。
老人、「世話になったな」と行ってしまった。

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それからますます絵の評判が高くなり、また藩主・大久保加賀守が現れてこの絵を二千両で買うとの仰せ。
亭主は律儀に、絵師が帰ってくるまで待ってくれと売らない。
それからしばらくして、仙台平の袴に黒羽二重という立派な身なりの侍が「あー、許せ。一晩やっかいになるぞ」。
見ると、あの時の絵師だから、亭主は慌てて下にも置かずにごちそう攻め。
老人が鳥かごを描いていった次第を話すと、絵師は二階に上がり、衝立の前にひれ伏すと
「いつもながらご壮健で。不孝の段、お許しください」
聞いてみると、あの老人は絵師の父親。
「あー、おれは親不孝をした」
「どうして?」、
「衝立を見ろ。我が親をかごかきにした」。

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・・・そんな古今亭の噺を、圓窓師匠の三遊亭は、どのように脚色したか。
圓窓師匠は、父親が絵に手を加えるところから、こんなふうに変えています。

ひと月後、六十歳ほどの上品な老医師が泊り、その抜け雀を見た。雀に元気がない
のを気にして言った。
「この雀には休むところがないので、雀はいずれ疲れて落ちる。
休むための所を描いてやろう」と。
宿の主人は折角の絵が台なしになるのを恐れたが、雀が死んでしまうのも困るので、
「ちょいと描いてくれ」と頼む。
老医師の描いたのは何本かの竹。
それに「宿の憩いも時にとりつつ」という讃を付けた。
雀は元気を取り戻したようなので、またまた評判になり、城主のつける値段も二倍の二千両にはねあがった。
半年後、あの雀を描いた若絵師が今度は立派な身なりで旅籠にやってきた。老医師が竹を描き加えた話を聞き、すぐさま衝立を見て、それに向かって平服して言った。
絵師「父上。ご不孝の段お許しください」
主人「この竹を描いたのはお父上だったのですか?」
絵師「父は絵師であったが『絵では人の命は救えない』と考えて医師になった人。子供の頃、父から絵の手ほどきを受けた。医師になった父の絵を見る目は衰えていないようだ」
主人「親子揃って大したものですね」
若者は「俺は親不孝だ。父を藪(藪医者)にした」

場面設定を変えた理由2点を仰っています。
あの世に行ってしまった柳家つば女(平成16年6月13日没)が生前にこんなことを言っていた。
「雀は籠に入れて飼うような高級な鳥ではない。絵師として駕籠入りの雀は描かないはずだ」と。
つば女はムサビ(武蔵野美術大)の出身なので、あたしは信憑性を感じた。
そこで、本文のような落ちに直したのである。絵の讃は茅野大蛇作。
既成の落ちは、老人が駕籠を描いたので、息子として「あたしは親不孝。父を駕篭かきにした」というのである。
しかし、この落ちの本来の意を知っている人は少ないようだ。
〔双蝶々曲輪日記  六冊目  橋本の段〕の吾妻の口説き句に「現在、親に駕篭かかせ、乗ったあたしに神様や仏様が罰あてて――」というのがある。
[抜け雀]を演るほうにも聞くほうにもその知識があったので、落ちは一段と受け入れられたものと思われる。
本来の落ちには隠し味ならぬ、隠し洒落があるのが、嬉しい。
知識として、その文句のない現代のほとんどの落語好きは、ただ単に「親を駕篭かきにしたから、親不孝だ」と解釈をしてるにすぎない。
胡麻の蠅と駕籠かきは旅人に嫌われていた。
その「駕籠かき」から「親不孝」と連想させての落ちになるのだが、悪の胡麻の蝿と同じような悪の駕篭かきもいただろうが、いとも簡単に駕篭かきを悪として扱うのはどうかと思う。
だから、浄瑠璃の文句の知識を念頭に入れない「駕篭かき」の落ちの解釈は危険そのものなのである。

・・・という訳で、鳥籠を描かず、医者の父親に竹やぶを描かせたので、藪医者とかけたオチにしてありました。
私も、絵心はありませんが、雀に鳥籠というのは・・・と思い、師匠の脚色で演りました。
冒頭に、先輩から「三遊亭の抜け雀」と言われたのは、この点もあったからでしょう。
最近、この時の動画を視聴したことがありましたが、数年前の私は、随分若かった。
それなりに乗っていた頃なのかもしれません。
今から5年前の2013年11月。
高座に上がるところから、下りて来たところまでの写真があります。
さぁ、いよいよ高座に向かいます。
Fw: 乱志師匠ローカル写真
高座に上がって、座布団に座ろうとしています。
       Fw: 乱志師匠ローカル写真
座布団に正座して、客席を眺めます。
Fw: 乱志師匠ローカル写真
そして、深々とお辞儀をします。
Fw: 乱志師匠ローカル写真
これは、マクラを語っているのでしょうか?
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この時は、最後まで羽織は脱ぎませんでした。
Fw: 乱志師匠ローカル写真
まだ髪も黒々としています。
Fw: 乱志師匠ローカル写真
高座を下りて、次の演者のめくりを出すところです。
     Fw: 乱志師匠ローカル写真
この噺は、「ねずみ」と「猫怪談」と動物3題ということになります。
何れも、動物を間に挟んで、父親と子の情けを語るもの。
これも再演して磨きたい噺です。

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