読書

2010年2月12日 (金)

「奇跡のリンゴ」と「百年目」

「奇跡のリンゴ」を斜め読みしました。

なるほど、ある部分、目から鱗が落ちるような所も多くあり、「課題図書」としては合格だった気がします。
自然と人間の関係・・・。科学であり、哲学のようでもあります。
水に話しかけると美しい結晶になる。
草花を褒めると綺麗な花が咲く。
・・・別の本で、こんな話も読んだことがある気がします。

そして、落語「百年目」です。
お店の大旦那が、番頭に話しかけるクライマックスシーンです。
大旦那は、天竺(てんじく)の栴檀(せんだん)の大木と南縁草という雑草の話を始めます。
栴檀は南縁草を肥やしにして生き、南縁草は栴檀の下ろす露で繁殖する。持ちつ持たれつで、家ではあたし、店ではおまえさんが栴檀で、若い者が南縁草。
南縁草が枯れれば栴檀のおまえも枯れ、あたしも同じだから、厳しいのはいいが、もう少しゆとりを持ってやりなさいと、番頭さんをやんわり諭すのです。


人は、時々、否、いつも自然に対して傲慢ですね。
そのうち自然から、大きなしっぺ返しをされるかもしれません。
地球温暖化を議論する公聴会を
、大雪で中止させられてしまうぐらいの皮肉は、まだまだ自然の洒落なのですよ。

2010年2月11日 (木)

奇跡のリンゴ

会社の若手の研修の事前課題として、参考図書を指定して読ませなくてはいけないのですが、選定に迷いました。
活字離れが甚だしいといわれる世代に、参考図書というのも押し付けがましい部分もあるのですが、こういう機会でも与えないと、本など読まないのではと・・・。
今までは、ビジネスもの、自己啓発ものが多かったようですが、今回は少し趣向を変えてみようという訳で、「奇跡のリンゴ」というのを選んでみました。

それよりも、参考図書に指定したからには、私自身も読まなくてはいけないということに気がつきました。

101775b

「絶対不可能」を覆した農家Kの記録、という副題が付いています。
NHKテレビの「プロフェッショナル仕事の流儀」で反響が物凄かったんだそうです。
へぇ~、ちっとも知りませんでした。
私がこの番組で知っているのは、※柳家小三治師匠の回だけですから・・・。
※2008年10月14日放送
≪笑いの奥に、人生がある≫
落語家は人を笑わせる職業。しかし、小三治は無理やり人を笑わせようとするのは、本物の芸ではないと考えている。
小三治は、かつて師匠の五代目小さんから、お前の噺(はなし)は面白くないと言われ、深く悩んだ。
Photo03落語の面白さとは何かを追い求めている中で、伝説の名人、古今亭志ん生の言葉を聞く。
その言葉は「落語を面白くしようとするには、面白くしようとしないことだ。」
落語自体が持っている面白さを素直に演じることで、無理やりうけようとしない。小三治はそれ以来、本物の芸を突き詰めている。

2010年1月 9日 (土)

みんな違って①

Image 師匠から、金子みすヾのことを教えていただきました。
何十年も、他人との競争に明け暮れ、その価値観だけで生きて来た身には、ある時まで、敗者の言い訳のように感じたこともありましたが、人として見たら、今まで自分が身を置いていた世界の喧騒が、少し空しくなりました。

落語というのも、寛容・受容で成り立っているものだと思います。
談志師匠の言う「"業"の肯定」です。


≪わたしと小鳥と鈴と≫
わたしが両手を広げても
お空はちっとも飛べないが

飛べる小鳥はわたしのように
地べたを早くは走れない

わたしが体をゆすっても
きれいな音は出ないけれど

あの鳴る鈴はわたしのように
たくさんな歌は知らないよ

鈴と小鳥と それからわたし
みんな違って みんないい


ナンバーワンにならなくてもいい。オンリーワンでいい。
これと一脈通ずるところがあります。

≪大漁≫
朝焼け小焼けだ大漁だ
オオバいわしの大漁だ

浜は祭りのようだけど
海の中では何万の
いわしの弔いするだろう


小噺でも同じ発想のものがありますよ。
私が落研で最初に演った「あたま山」にも、こんな発想がありますよ。
この世界観・宇宙観がいいですね。


※金子 みすゞ(かねこ みすず、1903年(明治36年)4月11日 - 1930年(昭和5年)3月10日)は、大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した童謡詩人。

2009年12月 7日 (月)

「落語」創刊号

Img_0002 先日久しぶりに神田神保町へ行きました。
天気予報どおり、かなり強い雨が降っていました。
レトロな建物と演劇・演芸・映画関連の古書店で有名な矢口書店で、雑誌「落語」の創刊号を見つけました。
創刊第2号も持っていますので、すぐに手が出てしまいました。

創刊は、1979年の夏。ちょうど30年前。国立演芸場のオープンと、私の就職と同じ年です。
巻頭のグラビアに"国立演芸場オープン"が特集されています。
"創刊号に寄せて"として、4人の師匠がコメントを寄せています。
落語三遊協会・三遊亭圓生、落語協会・柳家小さん、落語芸術協会・桂米丸・上方落語協会・桂春団治の各会の会長である師匠方です。
ということは、この創刊号が出た直後に、圓生師匠が急逝されたということですね。

この創刊号の話題を少し展開して行くことにします。

2009年11月28日 (土)

頓平師匠の「吉原用語集」

31860237私がただいま読んでいる 「円朝の女」の作者である直木賞作家の松井今朝子著「吉原手引草」に感服された頓平師匠が、この本を読んでピックアップした「吉原用語集」を作っていて、それを送ってくださいました。
さすが、「研究第一主義」の某駅弁大学の卒業生だけのことはありますね。

難しい言葉や漢字もありますが、何かこう含みと言うか重厚な感じがするのは、見たこともないものへの畏敬や憧憬なのでしょうか・・・。

ちょいと盗み見してみることにします。いろいろありますよ。

◇太夫職

最上位の遊女。太夫の地位にある遊女。

◇呼出し

吉原で、太夫・格子の位がなくなって以後、散茶の中から

出た最上位の遊女の称。

見世をせず、仲の町で客に会ったのでいう。

細見(さいけん)では入山形に星をつけて示す。

深川の遊里では、子供屋に抱えらいて、呼び出されて茶

で客に接する遊女をいう。

◇細見【さいけん】

妓楼や遊女の名などを明細に記した吉原の案内書。

享保(1718-1736)間に初めて作られ、毎年刊行された。

◇張見世【はりみせ】                  

遊郭で娼妓が店先に居並んで客を待つこと。⇔陰見世       

格子女郎【こうしじょろう】

もと表通りに面した格子の中に控えていたからいう。

太夫につぎ、局(つぼね)女の上に位した女郎)の略。

◇局女郎【つぼねじょろう】

遊郭での下級の女郎。表に長押(なげし)を付け、内に

3尺小庭を設け、広さ9尺、奥行2間または6尺の局に

いたことからいう。橋女郎とも。

◇つるかめつるかめ

縁起を祝い、または縁起直しに言う言葉。

◇大籬【おおまがき】

吉原の遊郭で、格式の最も高い遊女屋。

総籬(そうまがき)とも。

2009年10月18日 (日)

生きてみよ、ツマラナイと・・

T02200314_0240034210251756547三代目桂三木助の娘・四代目の姉・現桂三木男の母である小林茂子さんの著者「生きてみろ、ツマラナイと思うけど」。

あまり買う気もなかったのですが、いつもの駅構内の本屋で見つけ、ちょいと立ち読みをすると、四代目桂三木助さんのことが、かなり詳しく書いてありそうな感じだったので、彼の晩年のことが知りたくて、読んでみることにしました。
四代目三木助さんとは同い年で、彼の死には驚かされたもので。

通勤の行き帰りで一気に読んでしまいました。
文章も内容もとても面白いものではありました。
しかし、それにしても我々とは異質な世界の出来事だと思います。

一番感じるのは、「桂三木助」という名前、そして「三代目桂三木助」という噺家に、身も心も捧げているというか、殉じている一家の姿を見て、とてつもない違和感を禁じえませんでした。
四代目三木助さんも、やはり一般的な世界では、もっと生きていけなかったでしょうね。
「それこそ芸人の生き方だ」とか言う部分も決して否定はしませんが、著者も含めて、自分で勝手に思い込んで、独り善がりに生きている人たちが、多く出て来ました。

26 「名人に二代なし」と言われます。偶然、私は今「浜野矩随」に取り組んでいますが、この噺のポイントも、まさにここにあります。
名人の家には、"悲劇"は付き物なのかもしれませんね。

著者の息子の三木男さんも、談志師匠が特別扱いしたり、小林家(三木助)の期待と因縁?を担いながら、二つ目として頑張っていますが、もっと普通の立ち位置で頑張ってもらいたい気がします。
それにつけても、金原亭馬生・古今亭志ん朝の兄弟の生き様は素晴らしかったと思いますね。

それから、噺家の名前というのは、誰のものなのでしょうか?
落語家では、「宗家」のようなものはほとんど存在しないと思いますから、「○○家」のものではなく、あくまでも個人(噺家本人)にのみ付いているものだと思うのです。
遺族が出て来るというのは、例えば著作権などの世界ではそうかもしれませんが、遺族が反対して、後輩が名前を継げないというのは・・、落語ファンにはちょっと悲しいところです。
まぁ、そんな簡単なものではないのでしょうが・・・。

2009年5月 6日 (水)

「落語藝談」

P1000491 小学館ライブラリーの「落語藝談」は、昭和46年に刊行された「落語藝談」を加筆訂正し、平成10年に文庫化されたものです。

著者の暉峻康隆(てるおかやすたか)先生は、早稲田大学落語研究会のOB、早稲田大学の名誉教授になった方で、私の学生時代のゼミレポートの参考文献に、先生の著書「落語の年輪」を使わせていただきました。(最近文庫化されて刊行されました。)

「落語藝談」は、桂文楽・古今亭志ん生・三遊亭圓生・林家正蔵・柳家小さんという昭和の名人との対談で、当時の落語界の様子や、各師匠の考え方なども伝わって来るものです。

「落語研究会 桂文楽全集」を購入したタイミングに、とりあえず、黒門町の師匠との対談を読み返してみようという訳です。

昔読んだことがある本なので、思い出しながらというところですが、当時と違っているのは、私も相応に齢を重ねていて、当時は恐らく理解できなかった(素通りしてしまった)であろう暉峻先生とのやりとりでも、「あ~ぁ、そういうことか」という点が多くあることです。

それにしても、私のおじいちゃんの世代(明治)は、まだ世の中の古い仕組が残っていて、今では考えられない波乱万丈な人生が、決して特別ではなかったような気がします。身に降りかかる様々な出来事や縁を受け入れながら、バラエティに富んだ人生を歩んでいるような・・・。

良くも悪くも、一定のレールが敷かれた上をひたすら走る我々の世代には、恐ろしいような、羨ましいような・・・。

2009年5月 4日 (月)

忘れえぬ落語家たち

P1000497 興津要先生の「忘れえぬ落語家たち」。興津先生の著書を再編集し、昨年文庫で出版された、20人の寄席芸人との思い出を語っているものです。

四代目柳家小さんと八代目桂文楽を読み終えたところ。

実物?は見ていなくても、顔は知っている芸人(噺家)さんのありし日の姿を想像するのも楽しいものです。