噺家さん・芸人さん

2018年4月18日 (水)

京須さんの思い

eventソニーの「来福」レーベルで、朝日名人会のプロデュースをされている京須偕充さんの「落語みちの駅」から。
3月17日14時から第177回朝日名人会。
まずは二ツ目・柳家わさびさんで「佐々木政談」。

京須さんのコメント
高座をおりてきた演者に思わず言ってしまいました。
「ありがとう」。
付け加えて「(朝日名人会18年で)いちばんウケた『佐々木政談』だった」。
この噺は“ほどのよさ”ゆえにそこそこ口演されていますが、派手でも突飛でもなく感動的でもありませんから、野心派の若手はあまり大事に考えてはいないようです。
今回の口演は当方からの持ちかけではなく、わさびさんの側からの言い出しでした。
朝日名人会でも過去にベテランから二ツ目まで数席の口演がありましたが、せいぜい穏 やかな佳演という相場にとどまっていました。
今回のわさび口演は、はっきりウケたのです。
べつに変わったアプローチをしたとか、大量のギャグを投入して破壊的成功をしたというわけでもないのです。
ただただ幼き主人公・四郎吉を型通りの子ども口調ではなく、いまの、どこにでもいるガキのように自然に、ただし個性的に表現しただけです。
トンチの怪物にしなかったこと。
これが最大の勝因だと思います。
こういうアプローチがあること。
そういう道に挑んでいる若手が健在だということ。
それがうれしくて、思わず「ありがとう」と言ったのでした。
ブーム以降、とかく前のめりの小うるさい高座が増大しているのを目撃するばかりで、中長期的危機の予感を持ち始めている老兵にとってはうれしい日となりました。
(以下略)

私は、この高座を聴いてはいませんが、京須さんのコメントに共鳴します。
プロでも、おこがましいですが素人でも「とかく前のめりの小うるさい高座が増大している」傾向を憂える一人ですから。
「変わったアプローチをする、大量のギャグを投入して破壊的成功をする」やり方が粋に感じないので。
「主人公を型通りの子ども口調ではなく、いまの、どこにでもいるガキのように自然に、ただし個性的に表現」することが素晴らしいと、聴いてはいませんが、そう思います。
そういう意味で、大変申し訳ないけれども、紀伊國屋寄席の「転失気」は、「変わったアプローチをし、大量のギャグを投入して破壊的にし、前のめりの小うるさい高座」だと思いましたから。
チャレンジとして、全否定はしませんが、私は引いてしまいます。
とても、聴かせる「話芸」だとは思えないから。

落語界の看板

horse昨日の「紀伊國屋寄席」では、五街道雲助師匠の高座に聴き入りました。
落語界の看板
写真は、「渋谷に福来たる」の中で、今をときめく3人の師匠の三人会の時の揃い踏み写真です。
今の落語界で、最も「実力」「人気」「影響力」の三拍子揃った御三家と言っていいでしょう。
柳家権太楼・柳家さん喬・五街道雲助の各師匠。
私も、今まで聴かせていただく頻度が高い師匠方です。
いずれも古稀を迎え、紫綬褒章を受章し、脂の乗り切っています。

2018年4月10日 (火)

豪快な人生?

think「亡くなった方を悪く言うな」と言われますから、ご法度かもしれませんが。
先日、亡くなられた月亭可朝師匠。
生前の師匠について、こんな記事がありました。 
カンカン帽に眼鏡と口ひげの特徴的な外見としゃがれ声。
上方落語会の落語家タレントの第1号的存在で、ギターを鳴らし、♪ボインはぁ~…と歌いだす「嘆きのボイン」(1969年)は80万枚を記録した。
ラジオ番組のリスナーを招待したイベントで、たまたま作詞作曲した歌。
ギターのコードは3つしか弾けず、歌詞もほとんど即興だった。
豪快な人生だった。
1958年、三代目林家染丸に入門するも破門され、その後、故桂米朝さんに再入門。
いわゆる「飲む、打つ、買う」を楽しみ、自宅が火事に見舞われた際には、命の危険も顧みず“浮気の証拠となる書類”を隣家の庭に投げ入れていたという。

人気絶頂だった71年には、参院選に突然、無所属で立候補。
友人の応援演説に行くはずが、気が変わって自分で出馬したもので、結果、レギュラー出演番組を急きょ降板する事態になり、周囲を仰天させた。
さらに01年にも「一夫多妻制」「混浴推進」を公約に掲げて参院選に立候補したものの、落選した。

08年には元交際相手にストーカー行為を繰り返したとして逮捕された。
その後、日本テレビ「笑点」の東西大喜利に出演することはあったが、ほとんど表舞台に立つことはなかった。

改めて「豪快」という単語を辞書で調べてみました。
規模が大きくて力強く、堂々として力にあふれ、気持ちのよいさま。
この師匠のどこが「豪快」なのか・・・理解出来ません。
「やばい」と同じように、「反意」「反語」ということなんでしょうか?
私は、故人とは何の関係もないし、接点もなかったから、どういう評価がされようと構いませんが、このどこが「豪快な人生」って言うのでしょう。
私にはさっぱり分かりません。
芸人さんだから許されるなんて言うなら、芸道に邁進している芸人さんに失礼だと思います。
中には、芸が評価されても、晩節を汚したどこぞの協会の会長さんもいますが。
こういうのも、時代が変わったことをしっかり認識しておくべきだと思います。
ご冥福は祈ります。
独り言です。

2018年4月 9日 (月)

月亭可朝師匠の訃報

shadow上方の「月亭可朝」師匠がお亡くなりになったそうです。
カンカン帽で「嘆きのボイン」を歌った月亭可朝、享年80歳。
高校を卒業後に三代目林家染丸に入門するも女性問題を起こして破門。
人間国宝だった三代目桂米朝にひろわれ、米朝一門の筆頭弟子となった。
1969(昭和44)年にコミックソング「嘆きのボイン」が大ヒット。
その後も国政選挙への出馬と落選、ストーカー事件で逮捕されるなど破天荒な生きざまを貫いた。

・・・正直なところ、あまり噺家さんとして見たことがありませんでした。
落語も聴いたこともありません。
破天荒だとか、規格外だとかともてはやされますが、基本的には、この方向(芸風)は好みませんでした。

2018年4月 7日 (土)

名探偵コナン?

pen春風亭正太郎さんのツイートで面白い話がありました。   
  名探偵コナン?
鈴本演芸場の楽屋で、高座を下りて来た、紙切りの林家正楽師匠がおっしゃいました。
お客様からの注文が「名探偵コナン」だった。  
  名探偵コナン? 
紙を切り始めると、下座のお囃子さんが「野崎」を演奏してくれた。
・・・こりゃぁ面白い\(^_^)/
これは、お囃子さんの洒落だと思いたいですね。
落語通なら、この洒落がすぐに分かりますよ。
  名探偵コナン? 
答えは、「名探偵コナン→コナン→小南→桂小南師匠」の出囃子が名曲「野崎」なんですね。
あ、ごめんなさい。
やはり、まだ先代のイメージが強いので。

2018年3月29日 (木)

花形演芸大賞

花形演芸大賞 要するに「国立演芸場」。event
平成29年度「花形演芸大賞」の受賞者が発表されました。
【大賞】        笑福亭たま
  【金賞】       江戸家小猫
                          三遊亭萬橘
                          ストレート松浦   
                          菊地まどか
【銀賞】        桂福丸      
            桂佐ん吉
            鈴々舎馬るこ        
            雷門小助六

・・・大賞はじめ、上方落語から3名選ばれています。
落語協会の噺家さんは、馬るこさんだけですね。
松戸出身の小助六さんが一番オーソドックスかなぁ。

噺家さんの了見

bud若手の三遊亭歌太郎さんのツイートです。
そうそう、上手い下手なんてどうでもいいんだ。
いや、どうでも良かないけど優先順位は一番じゃない。
行く先々の水に合わねば!
ただ、合わせ過ぎる良くない、自分の芸をその日のお客様に楽しんでもらえるように、伝え方、投げかけ方をすこーし変えるだけ。
この匙加減が芸なのかもしれない。

「芸人に 上手も下手もなかりけり  行く先々の 水に合わねば」という、有名な言葉があります。
芸人同士で、あいつは上手い、下手だと言っても意味はない。
聴いてくれているお客様が、最も望んでいる芸(内容)を披露できなければならない。
どんなに喋り上手でも、お客様に受けなかったら意味がない。
お客様にウケてこその芸人なんだということでしょう。
・・・ただし、この受け方というのが、下卑たものでなく、品のあるものでないといけない。

2018年3月26日 (月)

上方落語協会会長勇退?

pig上方落語協会会長を8期にわたって務めてきた桂文枝師匠が、会長を勇退すると表明し たそうです。
任期は5月下旬に開催予定の総会までの予定で、次期会長選は4月にも行われる見通しだということです。
文枝師匠は、平成15(2003)年6代目会長に就任。
18年に上方落語の定席「天満天神繁昌亭」をオープンさせるなど上方落語界の発展に貢献。
28年の8期目就任当初は「今期限り」と明言したが、昨年夏には「体力の続く限りは続けたい」と発言を撤回、続投を示唆していた。
昨年12月、一部週刊誌が一般女性との「不倫疑惑」を報道。
今年7月にオープンする「神戸新開地・喜楽館」の一般公募による名称決定についても、文枝師匠が女性に「喜楽館」の名前で応募させたなどと報じられてた。

「勇退」というのは、高い功績を残した者が潔く役職を辞すること、あるいは後進に道を譲る事などを目的にその役職から自ら引退すること。
「勇退」・・・と、素直に受け止められない部分もありますね。
晩節を汚したという感じもしますから。
潮時・・でしょう。

春風亭一之輔さんのコメント

pouch例の、「林家九蔵襲名」に関わる件で、この林家一門に繋がる春風亭一之輔さんが、雑
誌でコメントしているそうです。
春風亭一之輔さんが、週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」で。
お題は、「待った!」。
「話題になってる落語界の襲名騒動ってどーなんですか? 一之輔さんの視点で鋭く斬り込んでくださいよ!」みたいなニュアンスで、担当編集さんから今回のテーマが送られてきました。
あのね、私ゃ波風立てたくないんだよ。
双方ともにお世話になってるんだから。
けっこう楽屋で会うんだから。
基本的に私は風見鶏で生きていきたいのです。
……仕方がない。
逃げたと思われるとシャクだからちょっとだけ。
ざっくり言うと、三遊亭好楽師匠の三番弟子・好の助さんが真打ち昇進にあたり、師匠の前名・林家九蔵を襲名する予定が林家正蔵師匠から『待った!』がかかった……と。
そういうことみたいです。
興味ある人はおのおの調べてください。
スポーツ報知・芸能面の関係者一覧表の片隅に私の名前が載ってましたけど、私は関係者じゃないからね!
もう事態は収まった様子で、三遊亭好の助の名前のまま昇進するみたいです。
で、世間的にはどうなのかネットを覗くと、匿名の方々いわく『こぶ平(現・正蔵師匠)のくせに偉そう』とか『落語もしないくせに生意気』とか……そんなのばっかでした。
なんだそらー。
全く関係ないじゃんか。
正蔵師匠は今、高座数の多さでは落語界でトップ10には入ると思いますよ。
地方の落語会・独演会、都内の寄席にも掛け持ちで出演して、この人が「落語やってない!」って言うなら、一体誰がやってんのよ?ってはなしです。
寄席の代演まで行くからね。
落語やって映画出てテレビ出て、いつ休んでんだろ? 
あと無関心な人に限って「下手」だって言いますね。
全く下手じゃないよ。
正蔵師匠の噺、ちゃんと聴けー。
毎日寄席出てっから!!
私は今回のことに関しては正蔵師匠のほうに理があると思うなぁ。
「待った!」を言ったのが正蔵師匠だったから目立っただけで、それ以前に誰も「それ大丈夫?」って言わなかったのかなぁ……とちょっと不思議。
それを認めると亭号・屋号がそのうちドガチャガになっちゃうかもですよ。
「堅いこと言うなよ」の『堅いこと』がかなり後々重要になってくると思うのです。
弟子に名前を継がせたいという好楽師匠のお気持ちもわかりますけど……。
でも一番大変なのは当人の好の助さん。
真打ち昇進ってお金がかかります。
「林家九蔵」で支度してたのが、手拭いを染め直したり、扇子を作り直したり……けっこうな支出でしょう……。
先日、二つ目の春風亭昇也さんに聞いたら、若手のなかで「好の助さんを盛り上げていこう!」という機運が高まっているそうです。
仲間がそう言ってくれるってことは、好の助さんに人望があるんだな。
ゴタゴタしましたが名前が売れるチャンスだと前向きに考えちゃったほうがいいね。
落語界も相撲界ほど物騒じゃありませんが、こういう出来事がたまにあります。
多少のゴタゴタがあるほうが健全な気がするなぁ。
個性の強い人間が集まった古い社会ですからね。
今回は落語家の『名前』について改めて考えさせられました。
楽屋でいろんな先輩・後輩の意見を聴けて勉強になったなぁ。
字数に限りがあるので続きはライブでしゃべります。
書けねえこともあるんす。
最後に言わせてもらうと、好楽師匠は親分肌のめちゃめちゃいい師匠だからねっ!!

・・・襲名に関しては全く道灌・・じゃなくて同感です。
どうも、マスコミや事情を知らない大衆は、好き嫌いの感情が出て、誰かを悪者にして集団でやっつけようとする傾向があるような気がしてなりません。
大人は、「好き嫌いで判断するのではなく、善し悪しで判断すべし」と、いつも師匠が仰っています。
そのとおりです。
寄席などでは、よく師匠方が、林家兄弟や海老名家をいじっていますが、これはあくまでも洒落で言っている訳で、それを真に受けた無知で無責任な人たちが「今の正蔵(こぶ平)が・・・、三平は・・・」と、根拠もなく騒ぐのも・・・、SNSの匿名性に乗じた、卑怯なやり方だと思います。
さらに、お母さんや姉妹までくっつけて・・・。
先日の堀井憲一郎さんのコメント、それから今回の一之輔さんのコメントと、正鵠を得ているものだと思います。

2018年3月23日 (金)

落語協会分裂騒動

wave未だに語り継がれている「落語協会分裂騒動」について。
◇1978(昭和53)年5月9日
落語協会理事会で、同協会前会長(当時顧問)三遊亭圓生は、才能が無くても二つ目昇進から10年以上経過したら誰でも昇進出来る大量真打昇進制度を憂えて、同制度を推し進めていた常任理事五代目春風亭柳朝、四代目三遊亭金馬、三代目三遊亭圓歌を更迭し、代わりに自分と同調する圓楽、談志、志ん朝を常任理事にして同制度を白紙撤回する議案を出すが、賛成は圓生、志ん朝、棄権は圓楽、談志、その他全幹部は反対したため圧倒的大差で否決された。
それを以て圓生・圓楽は新協会設立へと本格的に動き始める。

◇同年5月13日
東北大学落語研究部創部20年記念「三遊亭圓生独演会」。
超満員の仙台市民会館で「文七元結」「八五郎出世」等を演じる。
この際、同行していた真打に昇進
したばかりの圓丈に、(落語協会を脱退して)新しい協会を設立する意思を伝える。
kk
◇同年5月24日
当初計画では半数もの落語協会員が新協会側に移る胸算用で、既存の落語協会、落語芸術協会と並ぶ第三勢力の誕生を予期させたが、赤坂プリンスホテルで行われた新協会=落語三遊協会の設立記者会見時では、かなり規模が縮小されて、圓生一門、志ん朝一門、圓蔵一門のみとなり、行動を共にすると見られていた志ん朝の実兄馬生一門(小さんによる慰留と年齢のため)、小さん一門の談志一門(狙っていた新協会次期会長の座を志ん朝に奪われたため)、圓蔵一門の三平一門(師匠圓蔵に誘われたが圓生とは不仲のため)は落語協会側に留まってしまった。

落語協会分裂騒動
◇同年5月25日
都内各寄席の責任者=席亭会議で、それまで新協会設立に一定の理解を見せていた席亭達も、当初と違って小規模となった落語三遊協会に、落語協会と分裂されては困るので落語協会と一本化しなければ寄席を使わせない旨を通告。
これにより、志ん朝、圓蔵、圓蔵門下の圓鏡は降参。
◇同年5月31日
それぞれ落語協会からの脱退を撤回。
圓生だけは慰留を固辞し、一門は正式に落語協会を脱退。
◇同年6月11日
金願亭乱志が、「第一回全日本学生落語名人位決定戦」に出場。
審査員(柳家小さん・桂米丸・小島貞二)から「審査員特別賞」。
◇同年6月12日
宮城県沖地震発生。

◇同年6月14日
新協会「落語三遊協会」を上野本牧亭で旗揚げ。
結局、落語三遊協会は、圓生と弟子(既にさん生、好生は5月17日に破門)、孫弟子(圓楽・圓窓の弟子)の三遊一門だけの小所帯となる。
寄席に出る機会が無い彼らは、小ホールなどを利用した首都圏での自主興行や地方公演での余興に活路を求めた。
◇1979(昭和54)年9月3日
圓生が急死。
◇1980(昭和55年)2月1日
圓楽を除く弟子は落語協会に協会預かりの身分で復帰。
落語三遊協会は解散。
圓楽一門は復帰すること無く、大日本すみれ会(現:円楽一門会)を立ち上げ。
以降、圓楽一門は未だに落語協会に復帰していない。

・・・こんな騒動でした。

より以前の記事一覧