師匠

2019年4月24日 (水)

師匠の「五百羅漢」

ユーチューブで、師匠の「五百羅漢」を見つけました。
  Photo_34
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2019/03/post-8268.html
平成14年頃の「東京落語会」の録音のようです。
五百繋がりで、「圓窓五百噺」の最後500番目の噺を、圓生師匠だけしか演っていなかったという「五百羅漢」に決めて、「圓生全集」を読んだが、ストーリーが陰惨だったので、演目名だけいただいて中身はすべて創作したという説明がありました。
ストーリーは同じですが、後から師匠が手を加えて編集している高座本とは細かな台詞回しなどが違います。
参考に出来る部分もありました。
以前、この「五百羅漢」の稽古をしていた時に、突然師匠が「五百羅漢寺に女の子を連れて行くのは、夫婦二人にしたら」、しかも「地噺にしないで、会話だけで進めてみたら」と仰いました。
「分かりました、やってみます」ということで、かなり音源と高座本の師匠のオリジナルとは変えてしまいました。
この部分は、ほとんどアドリブで何とか出来ると思いますので、上手く繋げて行こうと思います。
Hokusai
八百屋の棒手振り八五郎は、六つくらいの見ず知らずの女の子を連れて商いから帰ってきた。
この子は迷子で、かみさんの問い掛けにも口を利けない。
どうやら、先だっての大火事で親とはぐれてしまい、驚きのあまりに言葉を失ってしまったのであろう。
迷子だったので”まい”という名前をとりあえず付けて、親が見つかるまで手許に置くことにした。
翌日から、八五郎は商いをしながら、女房は外へ出て用足しをしながら、尋ね回るが、一向に手がかりはなかった。
四日目。「このまいは、いやな子だよ。ヤカンを持って口飲みするよ」、とかみさん。
「親の躾が悪いのかな~。親が見つからなかったら、うちの子にしてもいいと思っていたのに・・・。手がかりがねぇんだから、探しようがねぇ」。
「だったら、この子を檀那寺の五百羅漢寺へ連れってって、羅漢さんを見せたらどうだい? 五百人の羅漢さんのうちには自分の親に似た顔があるというよ。それを見つけて、なんか言おうとするんじぇないかい。それが手がかりになるかもしれないよ」 。
翌日、五百羅漢寺へ行って羅漢堂の中の五百の羅漢さんを見せた。
Kameido_rakan
上の段の一人の羅漢をジーッと見つめて、指差しをした。
「この子の父親はこういう顔か。これも何かの手がかり」と納得して、境内を出たところで、住職とばったり会った。
”まい”のことを話すと、住職が「今、庫裏の畳替えをしているんだが、その畳屋さんが『火事でいなくなった娘がまだ見付からない』と、来る度に涙ぐむんだ」と言う。
その時、子供が畳の仕事場になっている所へ駆け寄ると、小さいヤカンを持って口飲みを始めた。
これを見た八五郎「畳屋の娘だ! 躾が悪かったわけじゃねぇ。いつも親と一緒に仕事に付いて行って、覚えたのが、口飲みだったんだ」。
ちょうど庫裏から畳を運び出してきた畳屋が、子を見付けて”よしィ!”と絶叫。
はじかれたように立ちあがった子が、「ちゃーん!」と声を出して、吸い寄せられるように跳び付いていった。
畳屋は泣きながら、その子を両手で包むように抱きしめて離さない。
この様子を見ていた八五郎「やっと声が出た・・・。本物の親にゃ敵わねぇ」。
住職も八五郎も涙して「しばらく、二人切りにさせておきましょうや」。
二人が手をつなぎながら、親が大きなヤカンを持って口飲みをして、プーと霧を吹き出すと、畳ほどの大きな虹が立った。
子供が小さなヤカンで口飲みして、ぷーっと小さく霧を吹くと、可愛い虹が立った。
この二つの虹と虹の端が重なった様は、親子がしっかりと手を握り合って「もう離さないよ」と言っているようだった。
八五郎は「こちらへ来てよかった。さすが五百羅漢のおかげだ」。
住職は「な~ぁに、今は親子ヤカン(羅漢)だよ」。

2019年4月22日 (月)

師匠のお楽しみ一席

数日前に膝を痛めたと聞いていたので、心配していました。
昨年、反対側の膝も痛めていましたから。
楽屋入りされてすぐに、師匠の楽屋に伺いました。
膝の筋が炎症を起こしているそうです。
師匠に「やはり師匠は炎症(圓生)とは縁が切れませんね」と、座を盛り上げようとしましたが、ほとんど受けませんでした。😞
さて、落語会の最後の師匠のお楽しみ。
時間の関係で、出演者の講評をしてくださった後で「十徳」を。
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1人1人の高座に講評をしてくださるのですが、女性への講評が丁寧になるのは仕方ないこと・・・。
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私には、「永久さんとは、もう長い付き合いで・・十何年になるかなぁ。東北大学の落語研究会の出身で・・・」と仰った後、「今日、1人だけ羽織を着て高座に出た。たくさん持ってるんだろうねぇ」・・・。
講評らしいものはなかったと思います。
師匠には、開演前に「師匠、私の出番は中入り前なので、羽織を着させていただいていいですか?」って、お許しいただいたじゃないですか。
「あたしは、恰好などについてはうるさく言わない」と仰りながら、「1人だけ羽織を着てた」なんて随分な仰り方ではありませんか。(苦笑)
まぁ、千早亭永久としての一区切りの高座だったので、正装で上がらせていただいたという面もありましたから。

2019年4月21日 (日)

高座本

「おひろめ寄席」の中で、師匠の高座本を紹介するコーナーがあるそうです。
私も、1分間喋るように言われています。
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私は、師匠の創作「揺れるとき」を選びました。
色んな思い出の詰まっている噺です。
どう喋るかは決めていませんが。

2019年3月13日 (水)

落語は

師匠がこんな趣旨のことを仰いました。
落語は、(噺に)演者を全部出すものではない。
登場人物に全て演者が出て来てはいけない。
演者が消えて登場人物を浮き上がらせることが大事。
(笑いや受けをとるために)噺の(背景や舞台の)中で、そんな台詞やくすぐりがあるはずもないことをやってはダメ。
中には、それを単純に喜ぶ(褒める)人がいるかもしれないが、それはちょっと違う。
それを理解して、落語の稽古をして欲しい。

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・・・その通りだと思います。
落語、ただ笑わせるだけのものではなく、一定のルールや型の"制約"や"世界"の中で、人間を表現するから面白い。
それを理解しないでやるのは、単なる下品なお笑い。
着物を着て座布団に座っていても、落語ではない。
何でもありで、笑わせたいなら、落語には向きませんから、他でやってもらいたいものです。
コントでも、ドタバタでも。
「守破離」という言葉がありますが、やはり「守」から極めることが大事だし、教えてくれる人や周囲の人に対するマナーだと思います。
このマナーを守ることの出来ない人とは、私は一緒に稽古はしたくない。
落語に限らず、能狂言も、歌舞伎も、浪曲も、講釈も、同じです。
それを学ぶのも大切なことだと、再認識しました。

2019年2月28日 (木)

両国寄席

最近師匠は、寄席や落語会への出演をセーブされています。
と言うより、落語の授業と我々のような素人グループへの落語指南で多忙をきわめていらっしゃいます。
最近は、「紀伊國屋寄席」「東京落語会」など、それからお弟子さんたちとの「圓窓一門会」ぐらいでしょうか。
両国寄席
3月に「両国寄席」にご出演されるようです。
「五代目圓楽一門会」の芝居です。
かつては兄弟弟子(兄弟子)だった、先代の圓楽師匠が、例の落語協会分裂騒動の後、一部の噺家さんは落語協会に復帰しましたが、圓楽師匠はそのまま戻らずに独自に一門を継続していました。
落語協会分裂騒動で、本流の「三遊亭」だけが、文字通り分裂してしまいました。
最近は、かなり雪解け状態になって来ていますので、何よりです。
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師匠は、3月10日(日)の中入り前のご出演です。
あ、この日は、午前中は我々「落語っ子連」の稽古です。

2019年1月 9日 (水)

師匠の創作噺

師匠は、「五百噺」にチャレンジし、28年を費やして見事完遂されました。
500題の噺にチャレンジと言ったものの、現実には、実際に演じられている噺の数は、到底500にならなかったそうです。
そこで、民話や法話や文学などを参考にして、ご自身で多くの噺を創作されました。
創作(新作)と言っても、様々な時代やカテゴリーがあります。
師匠の創作噺は、基本的には江戸時代から明治までの、所謂古典落語の舞台になっている頃が舞台になっています。
例えば、明治文学を翻案する場合には、噺の舞台を江戸時代の下町に設定したり。
従って、古典落語の雰囲気に溢れるものがほとんどです。
ちょっと思い立って、どれぐらい作られたんだろうと、高座本のリストを検索してみました。
ただし、古典も含めて、師匠が編集や手直しを済ませて高座本化されているのが、合計約400弱ですから、これよりもさらにストックされている噺があります。
昨年4月現在で、創作噺をピックアップしました。
落語「位牌屋」師匠の「揺れるとき」の初演
演目と、その噺のキーワードを添えました。
◆は、私が持ちネタにしている噺です。
 1.秋の夕暮れ   新古今和歌集・西行・寂蓮
 2.石一つ(白鷺の東庵)   杉村顕道・医者・幽霊
 3.ういろう売り   芝居・ういろう・口上
 4.浦島老人     浦島太郎 鶴亀。養老の滝
 5.江戸の商人 胸の肉    ベニスの商人・金貸し
 6.押し絵になった男       乱歩・覗きからくり・浅草
 7.お富の貞操   芥川龍之介・幕末・女中
 8.おはぎ(ぼた餅)大好き   民話・肥後・姑。嫁・蛙
 9.親子蕎麦     蕎麦・棒手振り・芝居・口上
10.壁に耳あり     寄席・前座・太鼓・初高座
11.雷門の招き猫  民話・浅草・茶店・餅
12.からくり料理   食物・小噺・口上
13.枯木屋         怪奇・昔話・桜・犬
14.鬼子母神 藪中の蕎麦◆  雑司が谷鬼子母神・ミミズク

15.九品院 蕎麦食い地蔵    伝説・蕎麦・九品院
16.鍬盗人        泥棒・狂歌・田舎者
17.高座の徳利◆  寄席・席亭・芸人・酒
18.虚空蔵鰻      民話・虚空蔵・日野宮権現・鰻
19.小粒相撲      講釈・相撲・越後
20.来ぬ人を       百人一首・定家・恋煩い
21.小判十一両   人情・太宰治・小判・長屋
22.五百羅漢◆   人情・羅漢寺・迷子
三流亭流三
23.金蔵寺 蕎麦閻魔   禅宗・閻魔・蕎麦・千住
24.山茶花さいた  二口剛・老夫婦・山茶花・息子
25.坐禅の遊び   狂言・浮気・身代わり・坐禅
26.鹿の巻筆      鹿野武左衛門・江戸噺家
27.閑かさや        俳句・立石寺・隠居。芭蕉
28.写経猿         乙宝寺・今昔物語・猿・写経
29.将棋の遊び    廓・花魁・幇間
30.人呑鬼         怪奇・地獄・鬼・閻魔・野球

31.救いの腕◆    向島・花見・姉妹・夫婦
kk
32.節分鍋         節分・鍋・河豚・借金
33.銭垂れ馬       民話・馬・博打・銭
34.セロ弾きのゴーシュ   宮沢賢治・音楽・動物
35.澤蔵司 蕎麦稲荷    慈眼院・稲荷
36.戯れ地蔵      民話・石の地蔵・閻魔・老夫婦
37.父帰る          人情・菊池寛・戯曲・家族
38.チャンコの恩返し   人情・相撲・一本刀土俵入り
39.丁半指南       安藤鶴夫・桂三木助・佃島
40.通夜の蕎麦     怪奇・杉村顕道・植木屋
41.東海道狂歌    蜀山人・松平不昧公・東海道
42.どん尻の葉っぱ  オーヘンリー・坪内逍遥・黙阿弥
43.猫に小判       棒手振り・魚屋・念仏
44.野田の宿帳     西行・和歌・野田村
45.萩褒め          和歌・与太郎・萩
46.袋田の滝       西行・和歌・四季・光圀
47.奉加帳           芝居・勧進帳・酒・近藤勇 
48.法要猫           曹洞宗・法蔵寺・小川村
49.仏相撲           民話・相撲・長者
50.法螺の種        狂言・隠居・嘘
51.三井の貸し傘◆   人情・越後屋・若旦那
流三
52.みんな違って   文学・人情・金子みすゞ
53.指相撲          相撲・稲妻雷五郎・横綱
54.熊野(ゆや)の母   謡・熊野・若旦那・道楽
55.揺れるとき◆   三遊亭円朝・安政地震・寄席
kk
56.羅宇の仲人     狂歌・紫檀楼古木
57.留守番小坊主    狂言・小坊主・饅頭
58.吾輩は坊ちゃんである  夏目漱石・松山・東京
59.草鞋の裏        杉村顕道・草鞋・庄内・学問

       ・・・凄いですね、約60席です! 
やってみたい噺もたくさんあります。
古典と違って、大勢の人の手によって練り上げられていないので、自分で演出したり工夫を入れる必要があります。
「救いの腕」の時も、「揺れるとき」も、「五百羅漢」でも、稽古をしながら、師匠とストーリーを変えたりもしながら、私なりに作って来ました。
語り継いで行って、もしかするといつかポピュラーな噺になるかもしれません。

2018年10月30日 (火)

オチの言い方

師匠に稽古をつけていただいて、様々なアドバイスやご指導をいただきます。
その内容は、稽古する人のキャリアや力量や演目などによって違います。
とは言え、落語にも、前提や基本というのがありますから、その点については、厳しくご指摘されます。
上下や仕草、口調やイントネーションなど・・・。
師匠のある演目の高座本の巻末に、「落ちの言い方」という一文が掲載されています。
落ち(私はオチと言う)には、大きく分けて2つのパターンがある。
①登場人物の台詞がオチになっているもの(台詞落ち)
②演者の地語りがオチになっているもの(地落ち)
+③言葉ではなく仕種がオチになっているもの(仕種落ち)
同じ噺でも、いずれでもオチをつけるのは可能かもしれません。
③の場合は別として、師匠は、オチの言い方について、こんな風に述べられています。
台詞落ちの部分はまだ登場人物の台詞の範疇に属するものである。
だから、その部分にも人物の勘定が籠もっていなければならない。
しかし、台詞落ちの銚子を下げて、目線を外して、小声で発する者が多いのは残念だ。
中には「この落語はこれで終わりです」と言わんばかりに客席に向かってお辞儀をしながら台詞落ちを行う者がいる。
落語そのものを陰気にして萎むように終わらせてはいけない。
盛り上げるべきである。

・・・これは、常に仰っています。
最後まで、登場人物の台詞をしっかり言う。(地に戻してはダメ。)
その後、丁寧にお辞儀をする。
師匠に稽古をつけていただいて、最初にやった「子ほめ」で。
「どう見ても、ただみたいだ」「お馴染みのお笑いです」と言うと師匠から、「オチだけしっかり言えばいい。余計なことはいってはいけないい」と。
プロの噺家さんでも、「○○というバカバカしいお笑いです」なんて言う人がいますが、師匠は絶対に「No!」。
落語はよく出来ているから、無駄な抵抗はせず、基本に忠実に演じ(語)れば、客席は必ず受ける。
その後、2度目のダメ出しは、かなり高度な?ご指摘でした。
「不孝者」をやった時。
オチの「この不孝者が」と言って、高座を下りて来た時にその場で。
「最後の台詞は、息子に対して言っているだけではないんだから、もっと違う言い方があるはずだ」と。
要するに、親父自身もかつてはそうだった(親不孝だったんだから、(自嘲的に)自分自身にも言っているニュアンスを表現せよということでした。
オチは深いです。

2018年10月13日 (土)

夢想の教え

師匠の「鼓ヶ滝」。
夢想の教え
先月の「千早亭落語会」の楽屋で仰っていました。
夢想の教え。
夢の中に神仏が現れて教えを示すこと。
楽屋で私が、「師匠の"鼓ヶ滝"は、もう何度もお聴きしていますが、聴く度に厚みが出て、進化し続けてていますね」と申し上げました。
師匠は、「この噺も随分昔からやっているけど、"夢想の教え"を何とか入れられないかと思っていて、やっと入れることが出来たよ」。
「落語というのは、その時その時で変わるものなんだよ。演者の時々の了見が出る。だから、言葉(セリフ)も自然に変わって来る」。
また、今日の高座では、落語は言葉を暗記するのではなく、自分の言葉で語るものと、改めて仰っていました。
恐らく、これを実感として受け止めたのは、ほんの僅かな人だと思います。

2018年10月 3日 (水)

師匠の誕生日

今日は師匠の誕生日です。
落語っ子連のMLで、「ハッピーバースデー」とメール。
え!!!!
「おめでとうございます」…?  
あぁぁぁ、、、、、そうなんだぁぁぁ。(笑)

ありがとう、、、。             圓窓
相変わらず、落語の授業、指導されているアマチュア落語連の稽古や発表会に東奔西走されていらっしゃいます。

2018年9月30日 (日)

圓窓師匠と楽屋で

師匠に色々な話を伺うのは、とても楽しみです。
圓窓師匠と楽屋で
何と言っても、師匠の長年のご経験というのは、実もあり、説得力があります。
圓窓師匠と楽屋で
師匠が中入り前に「鼓ヶ滝」をお演りになり楽屋へ。
中入り後の食いつきの私は、暫く師匠撮って楽屋でお話しすることが出来ました。
師匠に「鼓ヶ滝も演る度に色々変わりますね」と申し上げたところ、もう30年以上やってていて、常に色々な工夫や思いを刷り込んでいるそうです。
こんな気持ちを噺に込めたい。
そのためにどんなに表現をするのか。
言葉を選ぶ、そして構成を考える。
師匠は、この噺に限らず、全ての噺にこんな気持ちで接し、練り上げることを繰り返されて来たんだと思います。
あたかも、大田区の町工場の研磨職人さんのように。
最新の機械でも敵わない精密な技術。
落語は、そうやって時間をかけて練り上げられている。
だから、この市井の演芸はいつまで経っても廃れない。
この噺の舞台が関西(有馬温泉)ですから、言葉(関西弁)の話題にもなりました。
私は、江戸言葉に比べて上方弁のボキャブラリーの豊富さのことを話しました。
盛り上がりそうになったところで、そろそろ後半が始まる時刻、私の出番です。
「師匠、勉強させていただきます」と挨拶をして会場へ。
師匠は、天祖亭の稽古に向かわれました。

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