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2020年5月17日 (日)

全日本学生落語名人位決定戦のこと

そして、とうとう見つけました。

「第1回全日本学生落語名人位決定戦」の記述を。

ある放送作家、東海大学の関係者の方の一文でした。

その一部を抜き出してみました。

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https://novelba.com/indies/works/910263/episodes/9556322

話は遡るが、昭和53年。

私が高校二年生の時である。

日本テレビ系の特番で「第1回全日本学生落語名人位決定戦」という番組が放送された。

その名の通り全国の予選を勝ち抜いた落研(落語研究会)の代表が「学生名人位」の称号を目指して競うコンテストである。

私は当時、落語の知識は皆無。

どうせ、素人の落語などヘタクソだろう! と、どこか蔑んだ目で見ていた。

しかし東海大学落語研究部・頭下位亭(とうかいてい)獅子頭(ししがしら)と名乗る学生の(「素人鰻(しろうとうなぎ)」には驚きを隠せなかった(一般には「鰻屋」と言われている演目。別名「士族の商法」とも呼ばれる名人・文楽でお馴染みの「素人鰻」ではない)。

その学生の親指は、本物の鰻のように左右に揺れながら手のひらからすり抜け、躍動感タップリに、つるつると前にすり抜けて来るのである(この動きは、文章で表現するのが難しいが、要するに親指を鰻の頭に見立ててその動きを表現する古典落語の仕草である)。

落語オンチだった私にとって、この噺を聞くのは初めて。

当然、鰻の仕草を見るのも初めて。

しかし素人落語ながら、あの鰻の動きは芸術品に思えたのである。もちろん、動きだけではなく、くすぐりもよくウケていた。

ちなみに、この獅子頭と名乗る学生は現在の柳家一九(いっく)師匠。

今や寄席で定期的に主任(トリ)を勤め、上野・鈴本演芸場や池袋演芸場で独演会を開く古典の実力派である。

私は、この学生の落語に魅せられてしまった。「この人、優勝するぞ!」これが素直な感想だった。

番組の司会は、当時日本テレビの看板アナ・徳光和夫さん。

さらに審査員には、桂米丸師匠、笑福亭松鶴師匠など、東西の大看板が五人ほど揃っていた。

私はエンディングの各賞の発表をドキドキしながら見ていた。

縁もゆかりもない学生に何故ここまで入れ込んだのかは分からない。

接点があるとすれば私が東海大学の付属校の生徒だったことぐらいである。

賞が貰えるのは3人だけ。

敢闘賞、技能賞、名人位の三つである。要するに三位から一位までが賞の対象なのだ。

「東海大、こい!」私はいつの間にか、馬券を握りしめたオヤジのように興奮していた。それだけ、自分の評価に自信があったのだ。

しかし結果は、上方落語を演じた日本大学の学生が敢闘賞(3位)で、東海大学は技能賞(2位)。

優勝したのは「道具屋」を演じた関東学院大学の学生であった(関東学院大学は他にもう1人出ていて「強情灸」を演じていた)。

悔しかった、何で負けたのか私には分からなかった。当時の私には優勝者の地味な芸の上手さは分からなかった。

東海大が負けるとすれば派手に演じた日大かな? と思っていた。

それだけに、自分の見る目を否定されたようでとても悔しかったのだ。

なおこの3人の中で現在プロとして活躍しているのは頭下位亭獅子頭こと、現在の柳家一九師匠だけである。

その点では、私の眼力はなかなかのものだったと自負している。

・・・勿論私は選外でしたが、審査員長の小島貞二先生から即興で「審査員特別賞」をいただきました。

そういうコンテストがあったということを、客観的に辿ることが出来ました。

ステイホームの唯一の成果・収穫です。

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