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2020年1月29日 (水)

大関引退

カド番で負け越した大関「豪栄道」が引退を発表したそうです。
20050008 日本相撲協会は、大関・豪栄道(33)=境川=の現役引退と年寄「武隈」の襲名を発表した。
今後は境川部屋付きの武隈親方として後進を指導する。
自身9度目のカド番だった初場所で負け越し、関脇への陥落が決まっていた。
大関のまま引退するのは2011年名古屋場所の魁皇以来。
通算成績は696勝493敗66休で、大関在位33場所は歴代10位だった。
大変申し訳ありませんが、大関昇進の時もやや甘かったのではと思っていて、1回だけ全勝優勝したものの、「万年カド番大関」というイメージです。
Photo_20200129073401
大関昇進ラインは直近3場所で32勝程度なんでしょうが、「12勝-8勝-12勝」でした。
曙以降の大関では、32勝で昇進したのは、千代大海・稀勢の里・豪栄道の3人だけです。
私は、時期尚早だと思いました。
それから、大関を33場所務めましたが、何と驚くなかれ、10勝以上したのは7場所しかありません。
さらに驚くのは、負け越しがこの初場所を入れて10場所もあるんです。
要するに、カド番の場所が9場所あったということ。
大関通算成績は、260勝194敗41休で勝率.573です。
Photo_20200129095301
恐らく、そこそこ評価される大関は.600は超えていると思います。
負け越してカド番で何とか逃げて、また負け越してカド番で逃げて・・・そんなの幕内最高位の大関と言えますか?
・・・引退後に名乗る「武隈」という年寄名も気になるんです。
「阿武松」に「武隈」が出て来ます。
後の横綱阿武松となる長吉を弟子にしたものの、大食を理由に破門した人です。
能登の国鳳至群七海村から江戸へ相撲取りを目指して出てきた長吉が、観世新道の「武隈(たけくま)文右衛門」に弟子入りし小車と言うしこ名を貰う。
部屋の米がやけに早くなくなる。
これはおかしいと、おかみさんが見ていたが誰も売り払ったり持ち出す者もいなかった。
小車は、朝の炊いた後の釜底から赤ん坊の頭ぐらいの御焦げのお結びを17-8作り、食前にぺろりと平らげる。
その後お膳に向かって何杯食うか分からない。
それを見たおかみさんが親方に注進。
「あんな奴がいたら食い潰されてしまうよ」と。
それを聞いた親方は小車に「大飯食らいに大成した奴は居ない」と1分の金を付けて破門した。
京橋から板橋、志村から戸田川で渡しを待っていたが、どう考えても国元に面目がない。
戸田の渡しで身を投げようと思った。
貰った1分の金を生かすつもりで板橋の平尾宿へ戻り、橘屋善兵衛の旅籠に投宿する。
「それから身投げしても遅くはないだろう」。
1銭で充分泊まれるのに25銭の金を出して、おまんまだけは良いと言うまで出してくれと頼んだ。
今生の食い納めと食うわ食うわ、2升入りのおひつを3杯空にして、未だ継続中。
余りにも食いっぷりが良いので善右衛門が覗きに行き、事情を聞き、新しい親方を紹介すると言う。
それには月に5斗俵2俵付けるので安心しなさい。
翌朝出かけ、巣鴨の庚申塚を抜け、本郷追分けを通り、根津七軒町の親方、「錣山(しころやま)喜平次」の所に着いた。
部屋の若い者も普段世話になっているので、直ぐ中に通され、錣山に弟子を取ってもらいたいと頼むが、身体を見なくても旦那の推奨ならOKだという。
「旦那は相撲好きで、10日の興行を12日見る方ですから」、「そんな事は出来にいよ」、「いえ、櫓を組んで準備の日から見に来て10日楽しんで、片付けの日もここに来て、都合12日楽しむ相撲好きな方ですから」。
錣山の前に二十五になる長吉が小さくなって挨拶した。
武隈には分からなかったが、錣山が見て6代目横綱をはる男が目の前にいる「いい、イイ」と唸るだけであった。
遊びも何も楽しみはなかったが、ただおまんまだけが大好きである事も、そのため武隈親方に破門された事も話した。
毎年お米も贈ると言ったが、親方は食べるのも仕事の一つだから、米はいらないと言う。
その代わり、幕に入るときしるし物でも贈って、贔屓にして、やってください、と暖かい言葉が返ってきた。
改めて入門し、錣山の出世名・小緑のしこ名を貰う。
文化12年12月麹町10丁目報恩寺の相撲の番付に初めてこの人の名前が載りました。
序の口・スソから四枚目に小緑長吉、翌13年2月芝西の久は八幡の番付に序の二段目、スソから24枚目と躍進。その間100日と経たない内、番付を60何枚と飛び越した古今に珍しい出世であった。
文政五年、蔵前八幡の大相撲で入幕し、小緑改め小柳長吉と改名。
初日。二日目、三日目と連勝し、四日目のワリが出た。
喜んだのが師匠の錣山で、「お前の旧師匠武隈関とのワリが出た。しっかり働け」と激励された。
「武隈関に負けたら板橋の旦那に合わせる顔がございませんで・・・」おまんまの敵と対峙。
この取り組みが、長州侯の目にとまり阿武松緑之助と改名、六代目の名横綱になった。
・・・だから、「武隈」は落語では評判が良くない。
一方で「錣山(しころやま)」は評判が良い。
因みに、現錣山親方は現役時代は「寺尾」です。
井筒3兄弟の末っ子で、細身ながら突っ張りが得意のイケメン力士でした。

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