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2019年11月20日 (水)

古今亭寿輔師匠のこと

学生時代、仙台駅前の「エンドーチェーン」という量販店に、東北放送のサテライトスタジオがあって、毎週、東京の若手の噺家さんが司会をする番組がありました。
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その噺家さんの名前は「古今亭寿輔」さんでした。
今や、落語芸術協会の重鎮、寄席で大人気の大看板です。
その寿輔師匠のことに触れた一文を見つけました。(東洋経済オンライン)
75歳の落語家・古今亭寿輔が紡ぐ「寄席」の躍動
   一期一会のライブ感を展開する野心満々の男
落語家というのは「職業」であるとともに「生き方」でもあるとしみじみ思う。

刻苦勉励を旨とし、日々精進に励んでいる落語家もいれば、肩の力を抜いて飄々と生きている落語家もいる。それもまた見事な芸人のありようと言えよう。
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今回紹介する古今亭寿輔との出会いは、強烈なものだった。
池袋演芸場の平日の夜席、六分ほどの入りで、まったりした空気の客席。
「シャボン玉飛んだ」の出囃子に乗って、ちょび髭を生やし、レモンイエローの布地に銀箔を散りばめたド派手な着物で高座に上がった寿輔は、少し客席をいじったあとで「今日のお客様は反応があまりよろしくないなあ、あ、そこの坊っちゃん、笑ってくれた! じゃ、おじさん今日は、坊っちゃんのためだけに落語をやりますからね」と上手の客席の2列目あたりにいた小学生のほうを向いて、落語を始めたのだ。
客席は一瞬戸惑ったのちに、爆笑である。
演目は「猫と金魚」。
「のらくろ」で知られる漫画家、田河水泡の作。
「舌で描く漫画」とも言うべき笑いの多い噺だ。
軽やかな口調の寿輔は、この噺にぴったりだが、演じながらも「坊っちゃん、聞いてますか?」と時折くすぐりを入れる。
小学生は困ったような表情になるが、客席は沸く。
寿輔はそのまま演じきって、大喝采の中降りていった。
紋付羽織で高座に鎮座ましまして、古典落語を滔滔と口演するのも見事な落語家の姿だが、ここまですかして一座のお客を喜ばせるのもまた「芸」の姿だと言えよう。
古今亭寿輔は1944年5月5日、山梨県甲府市に生まれる。
「小学校4年生の頃、ラジオで落語を聞いて、“こんなに面白いものがあるのかな”と思って、小学校で林間教室があって、そこで落語をやったんですね。そしたら先生が“お前、そんな話どこで覚えたんだ?” “NHKのラジオを聞いて1回で覚えましたよ”って」
高校を出たらすぐにでも落語家にと思ったが、家族の反対で4年間、一般の会社で働いた後に、23歳で三代目三遊亭圓右に入門した。
「僕は新作が好きで、あちこち聞いていて、(五代目古今亭)今輔師匠がいいなって思ったんですが、おっかなそうだったんで、(実際はそうじゃなかったんですが)お弟子さんの(三代目三遊亭)圓右師匠に入門したんです」
五代目古今亭今輔は、名人と言われた初代三遊亭圓右の弟子であり、古典落語も手がけたが、戦後、「お婆さんシリーズ」の新作落語で人気になった。
今輔は「これからの落語は現代も描くべきだ」と考え、惣領弟子の桂米丸を「古典をやらない新作一本」の落語家に育てた。
米丸の兄弟弟子の三代目三遊亭圓右はスキンヘッドで、高座に上がるなり「日本のユル・ブリンナー」「月からの使者」などのつかみで笑いを取った。
愛嬌のある明るい芸風だった。
またエメロンのCMでも人気を博し、新作派として寄席の人気者になった。
寿輔は新作派の人気が急上昇している時期に、その本家筋に入門したのだ。
「圓右師匠は、弟子使いは荒くはなかった。間違っても顎で弟子を使うなんてことはありませんでした。明るい芸風ですね。圓右師匠の師匠の今輔師匠も、高座ではおっかなかったけど、いい師匠でした。もう50年も前ですが、圓右師匠、今輔師匠に教わったことは今も忘れていません。大事にしています」
新作落語が難しいのは「受けなければお蔵入りになる」ということだ。
そういう点は古典落語より厳しい。しかも新作は自分で作らなければならない。
「新作派の一門に入ったわけですし、自分を表現するには自作がいちばん早いだろうということで、新作落語をやりました。4、5回やったらやめたっていうのも入れたら結構つくりました。ほとんど駄作だったんですけど」
掛け捨て、掛け捨ての中から作品が残っていく。
しかししばらく経ってから、古典落語も手がけるようになった。
「入門して6年ほど経って一人会をやるようになったんです。お客さんはなかなか来ないけれども、1人で三席やっていたんで。新作を三席やるというのは、若手の実力のない者にはものすごくつらいんですね。そこに一席古い話を挟むと、まあなんとか1時間30~40分もつんじゃないかということで古典も覚えるようにしたんです」
新作とは異なり、古典落語は、お客の多くもストーリーをわかったうえで聞くから安心感がある。
前述の「猫と金魚」は新作落語だが、演者も多く「擬古典」とでも言うべき名品だ。
「僕は前座のときに教わったんですよね。みんながやりたいネタなんで、でも難しい噺だとは僕も知っていた。10回ぐらいやって、これはもう俺にはできないと思ってもうずっとしなかったら、お弟子さんが入って、いきなり“師匠、来月『猫と金魚』教えてください”“バカやろう、お前。そんなの20年以上やってねえネタ急にできるわけねえだろう、ひと月待ってろ”って言って。原稿を書き直してギャグを入れたんですよ。6カ所ぐらい、いろいろ自分なりの。そしたらそれがドンピシャに客にはまったんです。だから前やってた人よりグッと面白くなったんです」
自分でペンを入れることができる新作派ならではの工夫だろう。
筆者は古今亭今輔の古典落語も何本か聞いたが、予想以上に「いい」のである。
「死神」は、明治の大師匠三遊亭圓朝がグリム童話から翻案して作った落語だ。
六代目三遊亭圓生、五代目立川談志など、古典落語の本格派が手がける名作だが、古今亭寿輔の「死神」は、趣がかなり違う。
古典派の演じる「死神」は、不気味で重たい印象に仕上げるのが普通だ。
人の生殺与奪を握る力がある死神が登場するのだから、当然ではあるが、話全体が陰鬱な印象になるのはやむをえないところだ。
しかし寿輔の「死神」は、妖気は漂うがほかの演者よりも軽い。
飄々として無責任な印象さえある。
主人公の男も気楽で軽くて、軽やかな印象のままストーリーが展開するのだ。
「落ち」はオーソドックスだが、ほかの師匠の「死神」よりも軽くて、しかも今っぽいセンスのようなものが横溢している。
一言で言えば「洒落た逸品」になっているのだ。
「『死神』は50歳を過ぎてからやり始めました。この年になってからですから、誰からも教わらなくて、自分で工夫しながら作りました。ほかの方のはかなり重いですが、私はあっさり、明るく演っています。話に聞けば、今は爆笑ネタの『野ざらし』なんかでも、昔は仏教から来た噺で重たくて、つまらなかったといいます。それを後世の落語家が手を加えて変えて、あんなにいい『野ざらし』になった。だから落語って、みんなそうやって変わっていくものなんですね」
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今、落語を生で聞く場所は、大きく分けて2つある。
1つは「ホール落語」。
立派なホールが会場だ。
出演者の数は少なくあらかじめ「演目」が発表されている。
1本当たりの口演時間も30分以上。
お客はお目当ての落語家の噺をじっくりと堪能する。
もう1つは「寄席」。
毎日昼前から夜まで興行がある。
演者の数は多いが、1人当たりの持ち時間は15分前後。
何を演るかも事前には決まっていない。
演者はほかの演者との兼ね合いや、お客の様子を見てその場で演目を決める。
団体客が客席で弁当を広げたりもする。落ち着かない雰囲気のときもある。
「ホール落語」を名のあるシェフが腕を振るう「レストラン」だとすると、「寄席」は、気楽に入るざっかけない「定食屋」ということになろうか。
しかし「寄席」でお客に受けるには、腕がなければならない。
ふらっと入る「定食屋」のお客のほうが厳しいのだ。
古今亭寿輔は「寄席」をホームグラウンドとして、毎回大きな笑いを取っている。
派手な高座着でまず度肝を抜くが、当の寿輔はやる気がなさそうに、のらりくらりと話し始めるのだ。
「ど派手な衣装を着てから1、2年経って自然と気がついたんですね。あんなちんどん屋みたいな衣装で、ジャンジャジャーン! って出て行ったら、客によっちゃ“こいつ、ほんとのバカじゃねえのか”と思う。まあ、利口じゃないですけど(笑)、本物のバカだなと。そうなるとお客は引きますから、ここは『陰陽の理』で、陽の衣装で出ているのだから陰でいこうと。正直、楽なんです、この年になると。小さな声でやるから。時々マクラでいうんですが“こう見えたってお客さんね、日本に落語家が800人いる中で私はベスト3に入ると思うんです。『芸が』って言いたいんだけどそうじゃない。ごまかすのが!”前座さんなんかあきれてるかもしれませんけど(笑)」。
しかし、脱力して高座に上がるのは、かなり「怖い」ことのようにも思う。
「そうなんです。脱力して高座に上がって、1回すべったら残り14分地獄なんですから。取り返せない。お客さんは離れちゃう。もうクソ度胸ですよ。いわゆるハイリスクハイリターンですから」
寿輔の場合、高座に上がってからが勝負。
客席に向けて当意即妙の返しで客席を沸かせる。
「昨日までお江戸上野広小路亭に出ていたんですけど、客席の真ん前で、男性がなんかうつむいて袋からモグモグ食べてるんですよね。私は頭下げて10秒ぐらいずっとその人を見てたんです。で、“何食べてるの?  飴?  お菓子。いいなあ”って言ったら、横の人がそのお客に“あなた態度大きいんじゃないの?”って言った。そう返されたらチャンスです。“いえ、この方の席が広小路亭のいちばんいい席なんです。この方の席はグリーン車で、あとはみんな普通車です”って、それで笑いを取る。その場その場が勝負です」
最近は「待ってました」と声がかかることもある。
そう言われたからと言って寿輔は張り切ったりはしない。
飄々と演じきる。
「たまに言うんですが、“お客さんね、寄席というのは主役は私じゃないんですよ。あなた方が主役なんですよ。私は子どもの壁当ての塀みたいなものです。子どもが塀にボールぶつけるのを跳ね返してるだけのことなんです。だから主役はあなた方。落語家は脳みそいらないの。跳ね返すだけだから”(笑)」
師匠の三代目三遊亭圓右は、五代目古今亭今輔の娘婿で、「今輔」の名跡をあずかっていた。
寿輔に襲名の話があったが受けなかった。
「僕は昔から名前はどうでもいいという主義なんです。今輔も圓右も、欲しいなと思ったことはないです」
一門の総帥、桂米丸からも「君が継ぎなさい」と言われたが継がなかった。
「みんな『ありがとうございます』って喜んで継ぐんだ。君何だよ、継ぎたくないとかって」と怒られたが、受け付けなかった。
「一本筋が通っているんですね」と筆者が言うと寿輔は、「かっこよく言うと筋が通ってる。もっとわかりやすく言うとバカですよね。そっちで書いといて」と切り返した。
結局、六代目古今亭今輔の名跡は、寿輔の弟子の錦之輔が襲名した。
弟子の襲名披露の口上で、寿輔は「大師匠古今亭今輔の大名跡を弟子の錦之輔が継ぐことになりまして、自分を追い抜いてしまって面白くないですな」とやって客席を沸かせた。
名跡よりも「一夜の笑い」を大事にする、古今亭寿輔の面目躍如というところか。
今日も古今亭寿輔は寄席の高座に上がっている。
毎日のように客層が変わる客席で、ごひいきもいれば、寿輔のことを知らないお客もいる。
団体客が高座の途中で席を立つような慌ただしい場所で、寿輔は客席をいじり、一期一会の15分の高座で、お客の笑い声を浴びている。
今年75歳だが、一見枯れたように見えて寿輔は野心満々である。
「私の家系ってだいたい長生きなんです。父は90歳で、母親は5、6年前に95歳で身まかりました。そのDNAを受け継いでいるのか、月並みですけども元気な間は落語をやってお客さまに喜んでいただけたらいいなあと思いますね」 (文中敬称略)
■古今亭寿輔(ここんてい・じゅすけ)
1944年5月5日、山梨県甲府市生まれ。
1968年、三代目三遊亭圓右に入門、三遊亭右詩夫を名乗る。
1972年 二つ目に昇進し、師匠の前名の古今亭寿輔を名乗る。
1983年 真打昇進
公益社団法人落語芸術協会 理事
〇出囃子「シャボン玉」
「これを出囃子に使ったのは私がはじめてでしょう。私、どうもひねくてるのか逆をやりたいんですよね。陽気な衣装に陰気な話術、出囃子は哀愁のある曲で」(本人談)
〇持ちネタ 
「杉良太郎の世界」「老人天国」「男はつらいよ」「妻の酒」「川中島の合戦」「尻取り都々逸」「地獄巡り」「薮入り」「お見立て」「小言念仏」「ラーメン屋」「名人への道」「文七元結」「猫と金魚」「ぜんざい公社」「死神」「親子酒」「代書屋」「釣りの酒」「生徒の作文」「自殺狂」など。「50くらいでしょうか? いつでも高座にかけることができるのは10本くらいです。“師匠の噺は毎回変わるから、持ちネタ多いんじゃないの”と言われます」(本人談)
・・・そうですね。寿輔師匠は寿輔師匠ですね。
私などは、今輔(五代目)のイメージが強いから、寿輔のままで良かったと思います。
山梨県出身の噺家さんは、古今亭寿輔・林家正雀・三遊亭小遊三の各師匠が御三家でしょう。
3人とも、物凄い個性があり、存在感のある師匠です。

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