稽古とは
千利休の言葉。
稽古とは一から二、三、四と順を追って十まで進み、その次には再び初めの一に戻り、改めて二、三、四、五と順に進むのである。
初めて一を習う時と十から元の位置に戻って、再び一を習う時とその習う人のこころはまったく変わっている物である。
たとえば初めて帛紗捌きを習った時は、先生から右の手をどこまで上げよとか、どの指を何本出せとかいちいち細かいことを教えてもらうが、そんな枝葉のことを覚えることですぎてしまう。
そんなことでどんどん進んで十まで稽古を重ねて、再び帛紗捌きの一に戻ると帛紗捌きの本当のりくつが解る。
こうしたことをくり返しているうちに茶道の真意も理解できる。
落語の稽古も同じで、これを当てはめることが出来そうです。
稽古を受ける身で、決して忘れてはならない基本は、「素直さ」と「謙虚さ」だと思います。
上達する人としない人は、既にこの段階で差がつくものです。
アドバイスや意見を聞いても言い訳をしていたら、それでいよいよ成長は止まるし、アドバイスもしてもらえなくなる。
頑固とこだわりは違う。
こだわりを通す技量もないうちに突っ張っても、絶対に成長しない。
こういう勘違いを「身の丈知らず」と言うのではないかなぁ?
自分自身の戒めにしながら、他の人たちを見ると、如実に表れているものです。
「守・破・離」も、それに相応しい了見と技量がないと。
本人は一生懸命やっているつもりでも、籠の中をただ闇雲にグルグル回っているだけだという。
他人のアドバイスに言い訳で答えるだけで受け入れなければ、独り善がりになるだけなのに。
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