小島貞二の多彩な世界
市川市文学ミュージアムに入りました。
「小島貞二の多彩な世界」のポスターも目立ちます。
演芸、相撲評論家として活躍した小島貞二は1947年より亡くなる2003年まで市川市で暮らしました。
力士、相撲記者、雑誌編集者、放送作家、演芸評論家……。
小島が取り組んだ仕事は多岐にわたります。
本展は生誕100年を記念して、市に寄贈された小島コレクションの中から自筆原稿や相撲に関係する資料を紹介し、小島の生涯をたどります。
「寄席と相撲と日本が好きで、生きているのはもっと好き」を語った、小島の多彩な世界をお楽しみください。
本日が、展示会の最終日でした。間に合って良かった。
小島貞二先生との接点は、昭和53年6月の、あの宮城県沖地震の前日。
東京で行われた「第1回全日本学生落語名人位決定戦」の審査員長と出場者として。
唯一の地方大学からの出場は、赤道直下の国が冬季オリンピックに出場するようなものだったはずです。
そんな私に、当初は設定されていなかった「審査員特別賞」としてくださいました。
同じく審査員だった、柳家小さん師匠と桂米丸師匠を説得してくださったのでしょう。
あの時の優しいオジサンは、実は物凄い人だったんですね。
漫画家、力士、記者、編集者、演芸評論家、放送作家・・・。
どんなにか充実した人生だったことでしょう。
ゆっくり観賞させていただきました。