新しい稽古連
3~4ケ月ぐらい前だったか、師匠から「”演読”に光を当てて、稽古だけでなく、テーマを決めて語ったり発表しあったりする場を作りたいと思っているので、参加して欲しい」と言われました。
「演読」というのは、単に噺のネタ本(高座本)を読む(朗読)するのではなく、語りも台詞も仕草も出来るだけ本息(本番と同じレベル)で読む稽古のことを、師匠が名付けられました。
素人グループがスタートした頃の稽古は、初心者には師匠がメンバーの前で実演してくださったのを録音(録画)し、紙に落としてネタ本にしたものを使うか、その他の様々な音源などから紙に落としたものを使っていました。
連やメンバーの数が増え、それぞれのレベルもそこそこ上がって来た時に、「高座本」がテキストになって来ます。
師匠が、ご自身がお演りになった五百噺をはじめとする演目を「高座本」と称して編集され、その冊数が増えて来ると、その高座本をテキスト(ネタ本)として使うようになって来た訳です。
私も、最初の頃に稽古をつけていただいたのは、学生時代に覚えた噺ばかりでしたから、「子ほめ」「花色木綿」「浜野矩随」などはネタ本を作らずにそのまま記憶を呼び起こしたり、「三方一両損」や「ねずみ」や「千早振る」などは古いネタ本を探して来て、「花筏」「佃祭」などはCDから書き写したネタ本を使っていました。
従って、師匠の演じ方ではないものばかりでした。
高座本の数が増えて来て、私も基本的には師匠から譲っていただいた高座本で稽古をするようになりました。
その際に、師匠の高座本には、例えば(独り言のように)とか(驚いた声で)とか、"ト書き"も入っていることもあって、私はかなり本息を意識して読んでいました。
ト書きというのは、「台詞」と「台詞」の間に、演者の動きや行動などの演出を説明したり、音楽・効果などを指定したりする文章のこと。
恐らく、噺の内容やストーリーを知悉していたから、自然に出来ていたのでしょう。
私は何気なくやっていたのですが、ある時に師匠から「流三さんのように、語りや台詞は覚えていなくても、高座本を見ながらでも、感情や仕草を本番と同じようにでやるのは、とても良いことだ」と褒められました。
そして、「そういう稽古方法を、あたしは”演読”と名付けた」と仰いました。
「黙読」は、声を出さずに心の中で読み上げること。
「音読」は、声を出しながら読むこと。
「朗読」は、声を出して感情こめて読み上げること。
芸術的な観点から「文字言語で表現された文学作品を音声言語で再表現する芸術」ととらえる考え方。
学問&教育的な観点から「自分の読みを獲得し、それを他者に朗かにする行為」ととらえる考え方もある。
そして、比較して言えは、「演読」は、声を出して感情をこめて仕草なども加えて読み上げること。
確かに、当時の師匠のブログで、私の稽古の批評を見ると、こんなコメントが並んでいます。
・2011年6月 読ませ稽古、永久[救いの腕]。
じっくりと丁寧に読んで行間を読み込んでいるのがいい。
・2011年7月 読ませ稽古、流三[救いの腕]。
さらにきめ細かに読み込んできている。
この辺りから「演読」という言葉を使い始めたはずです。
・2014年5月流三 演読[一人酒盛]。
常にしっかりした演読、嬉しくなる。
ということで、常に本息で稽古に臨まなくてはならなくなりました。
おかげさまで、師匠からの「噺は活字で覚えちゃいけないよ」というアドバイスを、図らずも実践することになりました。
そんな「演読」を中心に据えて、師匠が創作された噺などを、様々に作り上げて行くのだろうと理解しました。
・・・いよいよ、具体的にスタートすることになるようです。
当面、4~5名のメンバーで、月2回ぐらいの頻度で集まるということで。
師匠が、「稽古っ子連・演読亭」という、とても分かりやすい名前を決められたようです。
そこでは、「演読亭流三」ということになるのでしょうか。
« まだまだ続きます | トップページ | 蓮二のレンズ »
「落語っ子連」カテゴリの記事
- 深川三流亭 in ティアラこうとう(2020.09.07)
- 深川三流亭 in ティアラこうとう(2020.07.16)
- 落語っ子連稽古会(2020.06.28)
- 深川三流亭のチラシ(案)(2020.06.25)
- 落語っ子連稽古会(2020.06.14)
「師匠」カテゴリの記事
- 稽古をした演目(2020.09.09)
- 「Skype稽古」の準備(2020.04.20)
- Skype(スカイプ)(2020.04.16)
- 靴下でもマスクを(2020.04.16)
- コロナ疎開?(2020.04.07)