« 頑張れ!つる子さん | トップページ | おかげさまで »

2019年8月22日 (木)

禁演落語を聴く会

「はなし塚」のある浅草本法寺での落語会。
575c1a70812347e2af9b9ec475254165
行きたいけれど、大阪出張・・・。
   1471847692_20190823081401
【禁演落語とはなし塚】
昭和6年、日本の内外の情勢は一段と厳しく、日華事変以来、我が国は臨戦体制から戦時体制に突入しており、国家総動員法も公布され、国民も一億一心すべて東亜新秩序のため、身を挺して重大時局に直面している時でありました。
政府からは各芸能団体の演題種目について、厳しく自粛が叫ばれていました。
演芸のなかでも落語は、江戸時代の最盛期にはじまった演芸であり、その演題のなかには、遊里・酒・妾・廓噺などの名作も少なくなかったが、この厳しい戦時中にこうした演題をだすことが憚られ落語界では、国策に沿っていち早く自粛方を協議し、野村無名庵(講談落語協会顧問)を先導に、演題について落語界幹部が種々検討して、甲・乙・丙・丁に分類、丁に属する戦時下の時局に相応しくない噺五十三種(遊里・酒・妾・廓話等)を禁演落語として発表し自粛の姿勢しました。
この禁演落語の中には、江戸文芸の名作といわれた、明烏・五人廻し・木乃伊取りなどがあり、高座から聞くことができなくなりました。
落語界の芸人のなかには、この禁演となった五十三種の噺を得意にしている人もありましたが、重大時局に直面し国民が滅死奉公に身を挺している時であり、当然の結果といえるかも知れません。
昭和16年10月31日、当時の講談落語協会、小咽を作る会、落語家講談家一同、落語常席主が発起人となり、落語界の人々の信仰を集めていた熊谷稲荷のある、本法寺の境内に「はなし塚」を建立し、時局に相応しくない53種の台本をこの塚に納め、併せて落語界の先輩の霊を弔いました。

« 頑張れ!つる子さん | トップページ | おかげさまで »

寄席・落語会」カテゴリの記事