今夜も藤圭子
今夜も藤圭子のカバー曲ばかりを。
声の表情、音域の広さ、言葉の力強さ。
やはり、天才なんでしょう。
もっと歌謡界で活躍して欲しかったと、改めて痛感しました。
ご自身の歌で本人が一番好きなのは「別れの旅」だそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=kKknCfeWq5M
♪・・・2年ありがとう 幸せでした
後ろを見ないで 生きて行くでしょう・・・♪
本当に上手いですよね。
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今夜も藤圭子のカバー曲ばかりを。
声の表情、音域の広さ、言葉の力強さ。
やはり、天才なんでしょう。
もっと歌謡界で活躍して欲しかったと、改めて痛感しました。
ご自身の歌で本人が一番好きなのは「別れの旅」だそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=kKknCfeWq5M
♪・・・2年ありがとう 幸せでした
後ろを見ないで 生きて行くでしょう・・・♪
本当に上手いですよね。
平成から令和になって3ケ月が経過しました。
あの大騒ぎは、もうずいぶん昔のことのように思われます。
ことさら、令和を意識することも少ないようです。
日照時間が極端に少なく、不順な天候が続いた1ケ月で、やっと月末近くになって夏らしくなって来ました。
入谷の朝顔市。
七夕。 天使②が書いた短冊。
浅草寺の四万六千日のほおずき市。
なかなか夏らしくない都市でした。
13日の「深川三流亭」、去年は台風に直撃されましたが、今年は台風もなく、無事にお開きに出来ました。
今回も、約90名のご贔屓にご来場いただきました。
落語っ子連の稽古も、楽しくやらせていただきました。
いよいよ、大作「ねずみ穴」の稽古を始めました。
そんな中で、 寄席・落語会には随分通いました。
今月はのべ9回ということになりました。
いつも「東京落語会」でご一緒している「杜の家頓平」師匠には、「以前のペースが戻って来たね」と言われました。
このペースで行けば、年間100回は超えますから。
◇7月6日 「TEN それぞれの飛翔」(昼夜)
◇7月10日 「入船亭扇辰独演会」
◇7月14日 「盛夏吉例圓朝祭」
◇7月16日 「二子弟に流れる江戸の風」
◇7月17日 「三越落語会」
◇7月19日
◇7月23日 「入船亭扇遊・扇好・扇辰兄弟盃の会」
◇7月26日 「鈴々舎馬桜夏の独演会」
まだまだ行きたい、聴きたい落語会もありましたが、取り敢えずこんなもので良しとしておきましょう。
今月は、母と息子の次男(天使④)の誕生日でした。
母は米寿を迎えました。
天使②が書いた"ひいおばあちゃん"宛のバースデーカード。
それを見て喜ぶ母の姿。
続いて27日は、その弟(天使④)の誕生日。
私のバースデーカードをお兄ちゃんが読んであげたそうです。
家族で、バースデーケーキでささやかにお祝い。
ガッツポーズがお得意?
さて、落語徘徊では、新たなステップが生まれつつあります。
大学の「ホームカミングデー」への参加。
正式に参加が決まり、正式なパンフレットも作成中です。
9月28日・29日です。
それから、池袋のあるお店で、落語をやらせていただくことになりました。
勿論、楽しんでいただけるよう頑張りますが、持ちネタを練り上げる絶好のチャンスにしたいと思います。
9月8日(日)の午後に決まりました。
会の名前は、お店の名前から「樂醉寄席」という格調高い名前になりました。
それから、市川市の自治会への出前落語会「高石神寄席」の3回目の日程も決まりました。
9月14日(土)の午後です。
・・・という訳で、色々なチャレンジが出来るようで、緊張しながらも、楽しくなって来た1ケ月でした。
夏から秋にかけて、新しいチャレンジも増えて、ますますしっかり稽古をしなくてはいけなくなりました。
1人カラオケにも足繫く通わないといけません。
「プラチナ会員」から最上の「ダイヤモンド会員」になる日も近いかもしれません。
帰宅して早速、師匠の「井戸の茶碗」の高座本を出してみました。
一概には言えませんが、だいたい1ページで1分強の時間がかかります。
会話のやり取りの多い滑稽噺なら、ほぼそれぐらい。
長い台詞や地語りの多い人情噺なら、1ページは1分では無理だと思います。
この「井戸の茶碗」の高座本は、実質50ページでした。
ということは、そのままやれば1時間・・・。
いくらなんでも、半分に縮めないといけません。
明日、少し詳しく読んで、大幅にカットして構成することにします。
本番までに、落語っ子連の稽古が3回。
最初は、今度の日曜日。
ここでまず読んで、次の稽古で固めて、3回目は本番当日の午前中ですから、そこで作り上げるということです。
ちょっとお世話になった方がいるので、お礼方々暑中お見舞で、仙台の笹かまぼこを贈りました。今日、メールが・・・。
7/29お届け予定の「○○様」へ何度かお届けに伺っておりますがご不在が続いており、お受け取りが完了しておりません。
かまぼこは生ものでございまして、賞味期限が短くなっておりますので、お早めにお受け取りいただきたく存じます。
恐れ入りますが、ご依頼主様から三遊亭様へご在宅状況などをご確認いただくことはできますでしょうか。
※お届け先様のお受け取りが難しい場合は、通常、ご依頼主様へ商品をお戻しさせていただきますのでご了承くださいませ。
・・・普段は、奥さまがいらっしゃるので、ご不在ということはないのですが、暫くご不在だったようです。
生ものなので、特に急ぐ分けでもないので、一旦自宅に転送してもらうようメールでお願いしました。
先方へは改めて贈ることにしました。
先方からも、明日の午前中に自宅宛に転送する旨の返信がありました。
やれやれ、それじゃあ明日は笹かまぼこが食べられるな。
するとまたメールがあり、今、先方に届けられたと、運送会社から連絡があったと。
お礼のメールを返しました。
・・・これ、日本だから出来る芸当だと思います。
生ものを取り扱っているから、こんなことは日常茶飯事なんでしょうが、ありがたいではありませんか。
9月14日の「高石神寄席」に。
「井戸の茶碗」をかけてみようか・・・。
残された時間は僅かですが・・・。
麻布茗荷谷に住む正直者のくず屋の清兵衛さん。
ある日、清正公脇の裏長屋で身なりは粗末だが、品のある器量よしの17,8の娘に呼び止められ、浪々の身のその父の千代田卜斎から、仏像を200文で買い受ける。仏像を荷の上に乗せ、細川邸の下を通りかかると、若い家来の高木佐久左衛門が仏像を見つけ300文で買い取る。
高木がぬるま湯で仏像を洗っていると、台座の紙が破れ中から50両が出てきた。
高木は清兵衛の来るのを待ち受け、「仏像は買ったが50両は買った覚えはない」と、50両を卜斎に返せという。
清兵衛は50両を卜斎に家に届けに行くが、「売った仏像から何が出ようとも自分の物ではない。その金は受け取れぬ」という。
再び高木の所へ行くが高木も受け取らない。
困った清兵衛さん、卜斎の長屋の家主に相談し、卜斎と高木に20両づつ、清兵衛に10両ということにし、卜斎は20両のカタに普段使っている汚い茶碗を高木に渡すことでやっと納得する。
このいきさつを聞いた細川の殿様に高木が茶碗を見せると、これが「井戸の茶碗」という世の名器だ。殿様は300両でこれを買い上げる。
清兵衛は150両を卜斎に届けるが、卜斎はむろん「その金は受け取れぬ」だ。
清兵衛は、「また高木様に何か差し上げてその代わりに150両もらうことにすればいい」というが、卜斎にはもう高木に渡す物がない。
卜斎は考えたあげく、150両を支度金として娘を高木氏へ嫁がせたいという。
喜んだ清兵衛さん、早速この話を高木に伝えに行く。高木も千代田氏の娘なら間違いないと話は早い。
清兵衛 「今は裏長屋に住んでいて、ちょいとくすんでいますが、こちらに連れてきて磨いてご覧なさい、いい女になりますよ」
高木 「いや、もう磨くのはよそう。また小判が出るといけない」
・・・以前からの、やってみたい噺のひとつですから、これをきっかけにすることが出来るかもしれない。
やるか、やめるか・・・。
昨夜は「三遊亭圓生・牡丹燈籠」でした。
今夜は、ひょんなことから、YouTubeにあった「藤圭子」を聴いてしまいました。
昭和40年代半ばにデビューして、鮮烈なイメージの歌手でした。
暗いイメージで寡黙だったので、歌の上手さは抜群だし、楽曲そのものも良かったのですが、ちょっと不気味・・というか、引いて見ていた感じでした。
・・・しかし、改めて当時の映像を見ると、歌の上手さは物凄いものです。
そして、「こんなに美人だったのか?」と思いました。
何と言うか、「土屋太鳳」を少し細めに暗めにした感じです。
もっと、リアルタイムで聴いておけばよかったと思いました。
https://www.youtube.com/watch?v=r-jpeKTd4i8&list=PLHe4IBvK5QfziWfc6zkL8HFPbivlUXiYh&index=1
1960年代末から1970年代初頭にかけて、夜の世界に生きる女の情感を描いた暗く哀切な楽曲(怨歌)を、個性的なドスの効いたハスキーボイスと独特の凄みのある歌いまわしで歌唱し、その可憐な風貌とのギャップも相俟って一世を風靡した。
代表曲は「新宿の女」「女のブルース」「稽古の夢は夜ひらく」「京都から博多まで」など。
他の歌手のヒット曲なども幅広くカバーしており、多くの曲で本家を凌駕する歌唱力と表現力を発揮したと言われている。
若い人には「宇多田ヒカル」の母親と言った方が分かると思います。
残念ながら、6年前に62歳の若さで亡くなっているんですね。
・・・これも昭和なんですねぇ。
大阪にもいくらか馴染みがありますから、ある程度の土地勘はありますが、若い頃は「梅田駅」の名前を聞くことが多く、あまり「大阪駅」のイメージはありませんでした。
大阪では、私鉄の方が便利だったから、キタは「梅田」、ミナミは「難波」というのがメジャーだと思いますが・・・。
阪急電鉄と阪神電鉄は、大阪の玄関口である「梅田駅」を「大阪梅田駅」にそれぞれ変更する。
変更は10月1日から。
外国人観光客の利用が増える中、駅が大阪市の中心部にあることをわかりやすくすることが狙い。
阪急電鉄は同じ狙いで、京都市中心部の河原町駅についても10月から「京都河原町駅」に変更する。
・・・確かに。
「東洋経済」で、梅田駅と大阪駅の呼称について触れている記事がありました。
大阪駅が造られたのは、1874(明治7)年。
日本初の鉄道が東京の新橋―横浜間で開通した2年後の大阪ー神戸間開通の時である。
場所は現在の大阪駅より少し西寄りの中央郵便局辺りにあったという。
当初、市の中心部の堂島辺りに敷設を計画していたが、付近の住民に火事が起こると猛反対されたため、やむなく町外れの田圃やあぜ道のある梅田に造られた。
これが大阪で初めて開設された駅だったが、実はその前に別の鉄道の敷設計画があった。
1869(明治2)年にアメリカの商社が大阪―神戸間の敷設を申請し、「大阪駅」ではほぼ内定していたのである。
しかし明治政府は、鉄道は政府がやるべき事業であるとして許可しなかったのだ。
その5年後、政府の手によって大阪―神戸間が開通して大阪駅ができた。
だが当時の大阪の人々は、この駅を大阪駅と呼ばずにもっぱら「梅田駅」「梅田ステンショ」と呼ぶようになった。
谷川彰英氏著『大阪「駅名」の謎』によると、当時の大阪の人々は、自分たちが民間で鉄道を敷こうとしたのを拒否され、政府が主導で鉄道を敷いたのが面白くなかったらしい。
そこで政府に対する反発から、「大阪駅」の名前を拒否して、あえて地元で親しまれていた「梅田」の名で呼んだのだという。
JR大阪駅には、私鉄や地下鉄の駅が直結しているが、どの駅も「大阪」ではなく、「梅田」を名乗っている。
その後、大阪駅一帯に乗り入れた鉄道は、ことごとく「梅田」を名乗った。
大阪駅前に市電が通るようになったのは1908(明治41)年である。
この時停留場の名前を市民に親しまれやすいように、わざと梅田停車場にした。
その2年後には、阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道が梅田駅を開設。
さらに1914(大正3)年には阪神電鉄が乗り入れ、こちらも梅田駅を名乗った。
その後は、前述のように大阪市営地下鉄の各路線が梅田、東梅田、西梅田と、次々と「梅田」を冠した駅を開設して現在に至っている。
一連の流れを読み解くと、明治の終わり頃、私鉄が次々と大阪の中心地に沿線を延ばそうとした際、各社は政府への反発心からか、「大阪駅」の名前を使うことに難色を示したのだろう。
大阪駅の近くに残る梅田駅の駅名は、鉄道開通への地元の人々の思いが政府への反骨心となって表れたものだったのかもしれない。
関西は私鉄王国として知られている。
大阪環状線をはじめ、神戸線や京都線のほか、東西線、学研都市線、大和路線などのJRの路線が敷かれているものの、それ以上に私鉄の勢力が強いからだ。
その構図がはっきり表れているのが大阪の都心部である。
東京の私鉄のターミナル駅は、大半が山手線の駅とセットのような形になっていて、山手線の内側には入り込めていない。
かろうじて内側にあるのは、京成電鉄の京成上野駅、西武鉄道の池袋駅、西武新宿駅などごくわずかだ。
ところが、大阪の都心部の路線図を見ると、南海電鉄の難波駅や阪神電鉄の梅田駅、京阪電鉄の中之島・淀屋橋駅、近畿日本鉄道の大阪上本町駅など、環状線の内側に私鉄各社のターミナル駅が存在する。
東京の私鉄が山手線の内側へ入り込んでいないのに対し、大阪では大阪環状線の内側に私鉄の各路線が入り込み、梅田や難波、上本町など巨大なターミナル駅を造っているのが特徴である。
この違いは、大正期の行政による鉄道整備にある。
東京の山手線が環状運転を始めたのは1925(大正14)年。
大阪環状線が完成した1961(昭和36)年の36年前である。
この当時、東京の山手線内では、すでに路面電車(のち統合、東京市電)が張り巡らされ、十分に市内交通の役割(のちに地下鉄が代替)を担っていた。
そのため政府は、私鉄が市内へ延伸しようとしても認可を与えず、山手線の内側へ入ることをブロックしていたのだ。
長らく環状線がなかった大阪では、私鉄が国鉄の路線に阻まれることなく、都心部へと路線を延ばしていくことができた。
大阪でも東京同様に、市内交通は大阪市が行うという市営モンロー主義があったが、東京のように山手線でブロックされていないため、国鉄路線という物理的な壁はなかったのである。
そしてその後、大阪環状線が完成し、都心部へ乗り入れていた私鉄は自然と環状線の内側にターミナル駅を持つ形になったというわけだ。
つまり、都心部への路線を国鉄より先行して敷くことができた私鉄が、国鉄より高い利便性を獲得し、強い勢力を持つようになったのである。
京都の河原町もそうかもしれませんね。
「かわらまち」という地名は、大阪では「瓦町」があります。
埼玉県の某市で小学生が自殺した事件。
事件を調査している第三者委員会が行った中間報告で、30代の女性の担任教師に「幼さ」があって・・・・。
・・・何ですか?それ。
指導方法に問題以前に、教師としての資質そのものに問題があるんじゃないのかなぁ。
そういう教師に現場を任せていたことこそが問題の本質だと思いますが、また、いつもの責任逃れですか?
世の中全般幼児化しているとはいえ、子どもと同程度の精神年齢の担任教師だなんて、モンスターペアレントでなくても、こりゃ怒りますよ。
それじゃあ一体「教員免許」って何なの?
人を教育する資質を備えているという証なのではありませんか?
でも、こういう人を採用してしまっているんですね。
やはり適材適所を考えないと。
学津さんは「牛久亭」に所属していて、茨城県がベースになっています。
8月3日・4日は、土浦で「キララ祭り」というのがあるそうです。
どんなお祭りなのかは詳しくは知りませんが、土浦で長年続いているお祭りで、その土浦の町おこし団体の方たちからお声かけいただき、このキララ祭りで落語をやらせていただくそうで。
土浦には落語好きの方たちが大勢いて、落語を聞きたいという声も町おこし団体の方に沢山届くそうです。
また、町おこし団体の方たちも落語好きが多いとか。
8月3日の夕方の1時間半程度で、「たなばた夕市」という、いくつかの団体が野外発表をする中で、落語を披露するということ。
蝶九さんが住む千葉県香取市でも、夏の町おこし(観光も?)イベントの一つとして、落語会のオファーが来ているそうです。
かえって東京よりも"お座敷"の機会が多いようで、羨ましい限り。
夕方5時過ぎからとは言え、晴れていれば30度は超えているかもしれませんから、屋外の会場で、じっくり聴いていただけると良いのですが。
突然夕立・・なんてこともあるかもしれないし。
何と言っても、上方落語などとは違って、江戸落語は、大道芸ではなくてお座敷芸ですから。
学津さんが窓口になって企画しているようですから、色々大変だと思いますが、盛会になるといいですね。
【土浦キララ祭り】
1990年(平成2年)に、1951年(昭和26年)から行われてきた「土浦七夕まつり」と、「霞ヶ浦湖上まつり」が統合してリニューアルした祭で、土浦駅西口前目抜き通りを歩行者天国として、パレードや山車が華やかに連なる。
読み稽古2度目の「ねずみ穴」。
前回の反省や師匠からのアドバイスも意識してやってみました。
まずは、落ち着いてやろうと言うことで、これは楽しかった。
それから、師匠から、娘をもっと幼くというアドバイスは、師匠からOKが出ました。
三遊亭の名作をしっかり仕上げようと思います。
「試し酒」「里帰り」「牛ほめ」「ちゃんこの恩返し」の4冊を持参しました。
「里帰り」と「ちゃんこの恩返し」は、師匠との雑談の中で考えて、師匠創作の「ちゃんこの恩返し」に決めました。
高座本の中の芝居の「一本刀土俵入り」の筋を語る部分はカットして、師匠が創作部分をやってみました。
師匠からも、芝居の説明をある程度カットするのはいいねと。
"ちゃんこ"・・じやなくて、自分なりに編集して、"ちゃんと"やってみようか。
蝶九さんは、「洒落番頭」。
この噺は、最近師匠も頻繁にお演りになっています。
比較的短い噺ですが、演じるには、様々な気持ちを聴いて入れ込む必要があり、師匠もそのあたりをアドバイスされています。
蝶九さんは、複数の噺を並行して稽古していて、なかなか器用というか、何とか分裂症というか、私は真似が出来ない特技?です。
2席めは「初天神」。
今日のり稽古会は、参加者が少なく、時間に余裕があるので、高座本を3~4冊持って来たそうで。
どれにしようか迷っていると、師匠が「教え子(小学生)に聴かせるなら・・」と「初天神」を。
師匠の高座本の「初天神」は、全部やると物凄く長いので、途中までの演読でした。
暑い盛りに初天神・・これもまた乙かな?
今日の稽古、「ねずみ穴」を聴いていただいた後、時間があったので、師匠の創作「ちゃんこの恩返し」を初読みしました。
この噺は、昭和初期に書かれた「一本刀土俵入り」という芝居をベースにしている作品です。
「一本刀土俵入り」という作品は、細かいところまでは知りませんが、何となく知っていたので、ちょっと遊び心で、読ませていただきました。
【一本刀土俵入り】
水戸街道の宿場町・取手の茶屋旅籠、我孫子屋の二階の窓にもたれて、あばずれた様子の酌婦お蔦が酔いをさましている。
そこへ空腹でふらふらしながら取的の茂兵衛が通りかかる。
茂兵衛は破門された相撲の親方のところへ、もう一度弟子入りしようと駒形村から出てきたのだが、すでに無一文。
からんできたやくざの弥八を頭突きをくらわせて追っ払ってやったのがきっかけとなり、茂兵衛はお蔦に問われるままに、身の上を語る。
実家も焼けてしまい、天涯孤独な身の上の茂兵衛は、立派な横綱になって故郷の母親の墓の前で土俵入りの姿が見せたいという夢をあきらめられず、飲まず食わずの旅をつづけてなんとか又入門をゆるしてもらおうと江戸へ向かっていると言うのだ。
母親想いの純情一途な茂兵衛の話に心をうたれたお蔦は、故郷越中八尾の母親を想って、小原節を口ずさむ。
そして持っている金全部と櫛、簪まで茂兵衛に与えて立派な横綱になるようにと励ます。
茂兵衛はこの親切を生涯忘れないと誓う。
お蔦のおかげで食べ物を手に入れることができた茂兵衛だが、一足違いで渡り船に乗り遅れてしまう。
そこへ後を追ってきた弥八と仲間が襲ってくるが、茂兵衛は川の中へ投げ込んでやっつけてしまう。
十年後、渡世人となった茂兵衛は我孫子屋のお蔦のことを尋ねて布施の川べりにやってくるが、ヤクザ相手にイカサマ賭博をやった船印堀師(だしぼりし)辰三郎に間違われて、博労の親方・儀十の子分たちに打ちかかられる。
実は辰三郎は、お蔦の夫だった。
今では飴売りをして娘のお君とほそぼそとだがまともに暮らしているお蔦。
そこへ儀十と子分たちが辰三郎を探して乗り込んできたので、お蔦は何年も行方知れずだった夫辰三郎がまだ生きていて、追われる身だと知る。
夜更に辰三郎が戻ってきて、親子は再会を喜び合う。
辰三郎は少しでも金を持って帰ろうとしてイカサマに手を出したことを悔やむ。
そんなところへお君の歌う「小原節」にひかれるように茂兵衛が訪ねてくる。そして十年前の恩返しにと金を渡すが、お蔦は茂兵衛を覚えていない。
追手がこの家を囲んでいることに気づいた茂兵衛はお蔦家族をかばって、博徒たちをたたきのめす。
その姿を見て、お蔦は十年前のおなかをすかせた取的のことを思い出す。
お蔦親子は十年前のことを忘れずに恩返ししてくれた茂兵衛に感謝しつつお蔦の故郷へと旅立って行く。
私は、芝居の部分は全く出来ませんから、ちょっと工夫をすれば、なかなか良い噺賑やかになりそうです。
誰か知らない人から「一本刀土俵入り」の芝居の招待券を聴いて受け取った夫婦が、更に誘導された店で・・・。
昭和の匂いのする噺になっています。
成功譚ではない、落語ならではの噺に。
ちょっとしたご縁から、池袋のお店で落語を演らせていただくことになりました。
基本的にほとんど下戸の私には、なかなか敷居の高い日本酒が売り物の店です。
落語っ子連の稽古の後で、ちょっといけぶくろまで足を延ばして。この店にお邪魔しました。
小さなお店ですが、日本酒通のみならず、落語通のご贔屓もいらっしゃるそうで、そんな方々の前で落語をやるのは緊張しますが、我が落語徘徊のワンステップとして、ご縁を受け入れて勉強させていただこうと思います。
とりあえず、9月8日(日)15時から。
日本酒の店ということもあり、「試し酒」をリクエストされました。
ご主人からは、定期的(2~3ケ月毎)に続けてもらえるようにしたいと、やる前からとてもありがたい、とても緊張する言葉を頂戴しました。
ご主人が、今回のために毛氈を新しく準備されるということでしたので、最低3回ぐらいは呼んでいただかないと、元が取れませんね。
外は雨も上がり、台風一過の晴れとなりました。
今日の稽古は、3人の予定でしたが、「紅巣亭可笑子(おかし)」さんが、得意の飛び込み参加で、4人になりました。
(独り言)参加してもらうのは構いませんが、事前にこちらなり師匠に行っていただきたいものですなぁ。
ちなみに、次回の稽古会には、天祖亭媛堵さんが参加される予定ですが、1ケ月以上前から言われていたので、忘れかけていました。
それじゃダメじゃん。)
◇蝶九さん「洒落番頭」
◇可笑子さん「淀五郎」
◇百梅さん「笠碁」
◇流三「ねずみ穴」
・・・ここから"第2ラウンド"です。
◇蝶九さん「初天神」
◇百梅さん「ちりとてちん」
◇流三「ちゃんこの恩返し」
今日は参加者が少なかったので、3人が2席ずつ演読をさせていただきました。
名付けて「落語っ子連夏期集中講座」?
第1ラウンドも第2ラウンドも、大変楽しゅうございました。
どうでもいいですが、みんな落語が好きなんですねぇ・・・。
落語っ子連の稽古会は、ちょっとした「寝床」状態の見込み。
越児さんは、地元で別のお座敷?
新参さんと窓口さんのじいじコンビは、お孫さんたちと一緒でデレデレ
千公さんは、喪中でご実家へ。
夢学さんは家でママで大忙し?
そして学津さんはなんだか分からない用事。
残ったのは、蝶九さんと百梅さんと私の3人のみ。
ということは、明日の稽古は、たっぷりやっていただけます。
単純に平均すれば、1人1時間です。
以前、私以外全員欠席で、師匠と2人きりで3時間稽古していただいたことがありました。
だから、蝶九さんと百倍さんには、高座本を複数持参してもらうことにしました。
百梅さんから「何だか合宿みたいですね」と。
そうですねぇ、「落語っ子連夏期集中合宿(高座じゃなくて講座)」。
実に贅沢なことですよ。
落語界の大看板を、3時間3人で独占出来るという。
プロの噺家さんにしてみれば、垂涎ものですよ。
カーディーラーでも、女性の営業職が増えているようです。
数ヶ月前ぐらいだったか、「担当の○○です」と、DMやメールを送ってくれました。
ショールームで、欲しいけど手が届かないモデルのシートに座ったり、眺めたり、指を咥えたりしていると、そのお嬢さんに声をかけられました。
雑談していて、このお嬢さん、仙台の出身で、東日本大震災の時は有名な○○高校に在学していたことなど、個人情報を聴いてしまいました。
写真の左側で立っているのが、この営業担当のお嬢さんで、座っているのが、アテンダント(いわゆる事務職)のちょっとベテランのお嬢さん。
実は、私は前から彼女(Yさん)のファンなんです。
顔を知った人がいてくれるのは、とても心強いというか、安心するというか。
勿論、当たり前のことですが、個人情報は全く知りませんが。
台風が上陸したとは言うものの、まだ影響はほとんどありません。
夜はかなり降ったようですが。
局地的に俄か雨が降る場合があるそうですから、気をつかなくてはいけませんね。
今日は、予定通り、予約してある愛車の定期点検のためピットイン。
点検してもらっている間、代車を用意してくれたので、ドライブを決め込むことにしました。
ディーゼル車を初めて運転しましたが、トラックのエンジンという感じは全くなく、加速もキビキビしていて快適です。
最近流行の、自動ブレーキや様々なあんぜんのためのアラーム機能が付いていますが、使い方が良く分かりません。
代車に乗せて、あわよくば新車に買い換えさせようと言う魂胆には乗りません。
何と言っても、10年付き合っている愛車のことを気に入っていますから。ウインドウウオッシャーとフォグランプの部品交換と、オイルやエレメントの交換。
また、お金がかかります。
東京は、今日の最高気温が33度になったそうです。
欧州でも高温が続いているそうです。
欧州各地は熱波に見舞われ、ドイツ北部リンゲンで同国史上最高の気温42.6度を記録。
パリでも過去最高の42.6度が観測され、約70年ぶりに記録を塗り替えました。
・・・米国でも熱波だと言っていました。
どこもかしこも熱波・酷暑が半端ではありません。
日本でも、これから・・・猛暑が続くことでしょう。
台風も心配になるし。
・・・そう言えば、土曜日は隅田川花火大会じゃなかったかな?
台風の影響が出て来ると、中止になる?
静岡では、安倍川の花火大会は早々に中止をきめたそうです。
そう言えば、「松戸花火大会」は来週(8月3日)だったはず。
騒がしいから、いつものようにどこかに避難していようか。
熱帯低気圧が台風に進化しました。
・・えっ?
明日から明後日にかけて直撃ですね。
去年も7月28日は台風が上陸しました。
「深川三流亭」の当日だったから、よぉく覚えています。
26日午前、日本の南の海上で台風6号が発生しました。
台風は、27日から28日ごろにかけて東日本の太平洋側に接近し、大雨となるおそれがあります。
日本列島の南の海上で発生し、徐々に発達しながら北上していた熱帯低気圧は26日午前9時、台風6号に変わった。27日から28日にかけて本州に接近する見通しで、関東や東海を中心に大雨になる恐れがある。
26日正午現在、和歌山県・潮岬の南約350キロを時速20キロで北北西に進んでいる。
中心気圧は1000ヘクト・パスカル、中心付近の最大風速は18メートル。
今夜は、池袋演芸場の「鈴々舎馬桜夏の独演会」に行く予定です。
馬桜師匠から案内メールをいただいたので、予約しました。
26日は、下半期の大事な独演会です。
師走の独演会・黄金週間の独演会の並ぶ大切な会です。
夏の独演会としては六回目と回を重ねる事が出来ました。
番組
|、開口一番 前座
|、たがや 馬桜
|、曲独楽 紋之助
|、鰻の幇間 馬桜
中入り
|、立ち切り 馬桜
*鳴り物入りにて相勤めます。
演目は、志ん朝師からさしで習った【たがや】と【鰻の幇間】の二席と。
トリで、吉朝師を通して教えて頂いた米朝師からの【立ち切り線香】を口演致します。
上方版から江戸版に直すまでに、吉原の松葉屋の女将さんから色々教わりました。
上方版は、地唄の『雪』が入りますが、江戸版は一中節の『紙治・小春髪結いの段』が入ります。
ぜひ皆さんのその目・その耳でお確かめ下さい。
・・・やはり、「立ち切り」が聴きたいと思います。
全国各地で佳境になっている、夏の甲子園地方大会。
岩手県の決勝は、注目の速球投手を擁する高校が決勝に進出。
ところが、決勝戦では、絶対的エースは最後まで登板せず、チームは大敗し、甲子園出場は叶いませんでした。
監督は、「(エースの)故障を防ぐため」に登板を回避したそうです。
本人の夢、周囲の期待、怪我のリスク・・・、色々な思いが錯綜した議論になるでしょう。
甲子園は終着駅ではなく、大きな一里塚だということなんでしょう。
いずれにしても、「アスリート(とチーム)ファースト」だと言うことでしょう。
我々は、「巨人の星」に熱狂した世代です。
♪ 腕も折れよと 投げぬく闘志 熱球うなる ド根性・・♪
https://www.youtube.com/watch?v=-10trdg06YI
そんな時代じゃないですよね。
プロ野球の某球団の監督が、怠慢なプレーをしたと、選手を平手で数回叩いたそうです。
球団は、監督に厳重注意、選手には怪我はなかった・・・。
シーズン前は優勝最有力だったチームですが、かなり苦戦をしているペナントレースです。
腹を立てて叩いたなら暴力、今は、これを指導だとか激励だと言っても暴力は暴力。
個人の権利を侵害する行為は、最もやってはいけないということ。
ここは、気合いだとか、愛の鞭という、昭和は通用しません。
それに、現代っ子は、叩かれて奮起するなんていうことはない。
良し悪しでなく、育った環境が異なっているという事実が全て。
手を挙げた方が悪いということです。
落語の世界だって、最近は「湯屋番」とか「野ざらし」などという噺は、流行らないんですから。
理屈とか感情ではないんですよね。
最近、元アスリートの解説者でも、「スポーツの世界にはある程度・・」なんて、自分自身の経験から、肯定的に言う人がいますが、そういう負荷や恐怖感を与えなくても、選手が奮起するような指導法を考え出すのが、あの方々の仕事だと思います。
自分が先輩からやられたこと、それを受けて後輩にやって来たことだけが全て正しいと押し付けることは、とても危険です。
職人や芸能の世界でも、同様だと思います。
本質は不変だけれども、本質へのアプローチ方法は唯一ではない。
市川市の高石神の自治会長さんから、今年も「高石神寄席」の依頼を頂戴し、日程を調整していましたが、今回は9月14日(土)に決定しました。
一昨年、昨年に続いて3回目、"馴染み"になることが出来ます。
本当にありがたいことです。
昨年は、7名フルメンバー(当時)でお邪魔しましたが、今年は6名でお願いしました。
夢学・千公・百梅・蝶九・学津・流三の5名です。
オジサン3名(越児・窓口・新参)は、補欠ということで。
昨年のプログラムを見ると、なかなか面白いですね。
あぁぁ、そうだった・・なんて、色々思い出します。
とにかく、会長さんが落語がお好きで、落語っ子連だけではなくて、扇子っ子連にも聴きに来てくださっています。
それだけに、厳しい眼でもごらんになっていると思いますから、頑張って喜んでいただきたいと思います。
実は、今日は母のお祝いをするのが目的でしたが、何と、親しくお付き合いしている2軒の家のおばあさん2人が、相次いで亡くなってしまいました。
それぞれ97歳と95歳の大往生でした。
そこで、急遽、母のお祝いの後で、2軒に弔問に行きました。
告別式には参列出来ないので。
弔問を終えての帰り道。
東名高速に架かる橋には「70代を高齢者と言わない街」なんていう横断幕が。
間違いなく70代は高齢者じゃないですか。変だよね。
朝、首都高の交通規制に驚きましたが、帰りは、東名高速の東京インター(東京料金所)のゲートを減らしているため、川崎インターからは車線も1レーン規制されていました。
全て、来年のオリンピック期間中の交通規制のテストだそうです。
ところで、弔問先からそのまま自宅に向かったので、中部横断道-新東名-東名-首都高(3号・環2・湾岸)-外環と、郷里から自宅まで、全線高速道路を走って帰ったことに気がつきました。
実家から自宅まで高速道路で繋がっているんですね。
母の米寿祝いに、私と妹の夫婦と母の5人で食事会をしました。
レストランの窓越しからは、大きな富士山が見えるのですが、残念ながら、今日は雲に隠れていました。
仕事などで、食事会には来られませんでしたが、孫4人が今日のおばあちゃんに、それぞれプレゼントを用意してくれました。
私の娘と息子は、2人でスカーフを贈ってくれました。
妹の娘(私の姪)2人も、それぞれ素敵なプレゼントでした。
可愛い孫たちからのサプライズのプレゼントに、母は大喜び。
笑い顔と嬉し涙の泣き顔が同居していました。
そして、ひいおばあちゃん宛の息子の子どもたち(天使②と天使④)の手書きのバースデーカードには、さらに驚いてくれました。
暫く、曾孫が書いた「おたんじようびおめでとう」をいとおしそうに眺めていました。
という訳で、米寿お祝い作戦は、取り敢えず大成功でした。
今日(24日)は母の88歳の誕生日。
私夫婦と妹夫婦の4人で帰省して、米寿を祝います。
あんまり派手にお祝いをすると・・・ということもあるので、ほんの身内で祝うことにしました。
それでも、孫たちからのプレゼントを預かりました。
そして、曾孫の息子の子どもたち(天使②・天使④)の書いたバースデーカードを、嫁が送ってくれました。
"ひいおばあちゃんへ"って。
上は、2人「88」を塗ってくれた様子。
下は、お兄ちゃんが、まだ字とは言えないような、判読の難しいミミズのような字で「おたんじようびおめでとう」と書いてあります。
きっと、母が泣いて喜ぶことでしょう。
「子・婿・嫁・孫・曾孫より」で、母の生まれた日と、父と結婚した日の新聞のレプリカをファイルして贈ることにしました。
母から曾孫までの4代が揃いました。
長生きしてください。
あんなレベルで、あんな会見をやって、世間から糾弾されて、もう社長なんかやっていられないでしょう?
あなたがよく似たあの日大の元監督だって、クビになったんですからね。
何を言ったとか、誰がかわいそうだとか、そんな低次元の話ではなくて、問題の核心は、どんな理由にせよ反社会的勢力と接点を持ったお笑いタレントと、彼らをしっかりマネージすべき会社が無責任極まりないということです。
いずれも、同情の余地なく、退場すべきなんです。
会社は、その元芸人たちの芸能界復帰ではなくて、社会復帰を責任を持ってサポートするのが唯一の仕事。
ね、だから、おバカなオジサンは要らないんです。
契約解除は当たり前、それをさらに解除などもってのほかなんですよ。(契約の内容は知りませんが。)
そして、おバカさんたちも、報酬1年間50%カットなどとお茶を濁すのではなくて、すぐにクビです!
これが、コンプライアンス意識のない個人や組織が受けるべき当然の罰。
周囲も、薄っぺらな感情や同情で、問題の核心を取り違えた議論にしてはいけません。
芸人の皆さんは、もう復帰は許されませんから、全く別の新しい世界で、それぞれ頑張って更生してください。
それだけ重たい、取り返しのつかない行為だったんですよ。
消防の説明。
何ともおかしな内容だと思います。
京都市伏見区のアニメ制作会社の放火殺人事件を受けて、市消防局が、市議会の委員会で同社の防火対策が適切だったと説明。
スタジオには消火器などが設置され、消防計画の届け出もあった。
らせん階段には、火災時に煙の広がりを防ぐ防煙垂壁が取り付けてあった。
それなら、何故あんなに大勢の犠牲者が出る惨事になったんですか?
これが「適切」?
防火対策そのもの、消防の評価にこそ問題があると言うことではないですか?
想定を超えるなどと言わないで、基準をクリアしても防げないなら、消防の基準の設定や指導線がザルだったと言うことですよね。
こんなことになるなら、消防の検査なんて全く意味がない。
いざと言うときに役に立たない(効を奏さない)基準なんて要らない。
そう思いませんか?
他人事のように、評論家のように言っていますが、自らが「優秀だ」と表彰した建物だそうですよ。
おかしいよなぁ。
エスカレーターは、片方を空けて歩かず、立ち止まって2列で。
やはり、みんなで安全に利用するには、お互いに我慢しないといけないんだと思います。
私も毎日利用する上野駅では、JRや東京メトロの職員などが「歩かずに立ち止まってご利用ください」などと呼びかけたそうです。
また「2列で立ち止まって」と書かれた蛍光色のベストを着た警備員がエスカレーターに乗りながらの呼びかけも。
これは、JRから地下鉄に乗り換える時に利用する、踊り場みたいに中央で一旦水平になるエスカレーターです。
急いでいたら、エスカレーターを使わないことですね。
私もせっかちに右側を歩く癖がありますが、気をつけよう。
それで良いと思います。
みんなが慣れれば、混乱もなくなると思います。
それに東京は左、大阪は右なんて、考えて立たずに済みます。
某大手芸能事務所社長、会見内容も見たくありませんでしたが、こんなトップが君臨する会社、こんなトップを選んだ組織を、業界やマスコミが、自分たちの都合や助平根性でチヤホヤするから、当然バカなことをする芸人も出来上がるということですね。
企業として完全にアウトです。
とにかく、企業トップの発言ではない。
いい歳をして「ボク」ですし。
自業自得で自分に降りかかって来た点だけを、何の一貫性もなく、反省もせずに、必死で糊塗している姿を見て、芸人さんたちも早々に三行半を叩きつけて自立しないと。
ただし、反社と接点を持った人はノーリターンですよ。
変な同情はせずに、正しい更生に手を差し伸べることです。
もう、「反社芸人」という色がついてしまったんだから、同じ世界(芸能界)への復帰は許されないでしょう。
そういう芸人を公器とも言えるマスコミ媒体で目にしたり、耳にしたりするのは教育上も良くないし、嫌悪を感じる人も多いと思います。
さりとて、「罪を憎んで人を憎まず」だから、彼等が別の世界で捲土重来に努めるのを支援すべきです。
それが社会のルールというものですよ。
芸人としては、どんな事情があれ、取り返しのつかないことをしたんだから。
それから、このトップは、勿論給与返上などと身内での甘い処分ではなく、即刻退場でしょう。
今までずっと逃げ回って、社会的な責任も果たせないんですから。
見るだけで腹が立ちますね。
こんなやつが、何億円もの収入を得ている会社です。
昨日の落語っ子連の稽古の際、少し時間に余裕があったので、初読み稽古の前に「ねずみ穴」に対する思い入れ(思い出)を師匠に話してみました。
この噺を初めて聴いたのは、NHKラジオの公開録音の演芸番組で、圓生師匠だったこと。
普段から、圓生師匠のレコードやテープでは聴いていたが、仙台では生で聴かせていただく機会もないので、公開録音ではあるものの、ほぼ生の圓生師匠を聴くことが出来るので、ラジオ(放送)に聴き入っていたこと。
当時76歳だったはずですが、ラジオから聞こえてくる声は、驚くほど素晴らしかった。
噺が始まって暫くして、圓生師匠の噺に重なる(遮る)ように、「ニュース速報」が入りました。
確か、1976(昭和51)年10月29日だったと思います。
「山形県酒田市で火災が発生して、現在も延焼しています」という。
これが、あの「酒田大火」の報道でした。
深川蛤町の三戸前の蔵が焼け落ちるシーンに重なって伝えられた大火のニュース。
当時は、音源や映像を入手するのも大変でしたから、私は満を持してこの放送を録音していました。
大火は、1700棟以上の建物を焼き尽くして翌朝やっと鎮火しましたが、最悪の災害となりました。
その後、この録音テープを聴く度に、途中で「ニュース速報」も聞こえます。
・・・師匠に話すと、「そりゃあ凄いねぇ」と仰りながら、「うちの師匠(圓生師匠)はね・・・」と話してくださいました。
この噺は戦後演る噺家はいませんでしたが、圓生師匠がこの噺を再構成し、昭和28年の秋にネタおろしをしたもの。
翌29年初めて放送の電波に乗りました。
その功績に対し、専属契約をしていたラジオ東京(TBS)の局長賞を受賞し、圓生師匠としても記念すべき作品となりました。
圓生師匠は、「里う馬」という噺家さんから習ったということです。
圓窓師匠もあまり知らない噺家さんで、年齢は圓生師匠と変わらないぐらいの人。
圓生師匠が柏木(北新宿)の自宅に呼んで稽古をしたと思うが、どうもはっきりしないし「里う馬」という人は聴いたことがないそうです。
ほとんど演る人がいなくなった噺を里う馬さんから聴いて、それをこれだけの噺にしたのは、うちの師匠(圓生師匠)。
うちの師匠の創作ではないけれども、代表的な噺だと言えるし、TBSから表彰されるなどして評価を一段と高めた噺であることは間違いない・・・。
そんな噺を演らせてもらうということですね。
気が引き締まりました。
ちなみに、「土橋亭里う馬」を調べてみると、恐らく「九代目(1892~1968)」だと思われます。
本名は黒柳吉之助。
生家は東京で一二を争う煙管に細工をする筋屋。
徴兵検査の20歳まで生家を手伝う。
1912年に最晩年の四代目橘家圓喬に入門。
喬松と名乗るが、半年後に師匠圓喬が亡くなったため、浅草帝国館で黒沢松声という弁士に入門するが半年ほどで長続きせず。
・・・まぁ、あまり腰の定まらない人だったようです。
(当代の立川流代表の「土橋亭里う馬」師匠は十代目です。)
蝶九さんが、ご家族がテレビで、門前仲町に日本一堅い煎餅を売っている店があるというのを視て、「食べてみたい」と言われたそうです。
どうやら、深川不動尊の参道にある老舗の煎餅屋さんようなので、稽古の後、百梅さんも加わり、3人で覗いてみました。
日本一堅い煎餅には2種類あるようです。
ひとつは、もち米で作った「げんこつ」。
もうひとつは、うるち米で作った「極堅深川」。
残念ながら、"極堅"は売り切れていました。
次回店頭に並ぶのは、24日(水)だそうです。
店の人に「来週の日曜日まで残っているでしょうか?」と尋ねると、「・・う~ん、判は押しかねますなぁ」と。
とにかく人気なようです。
本当にそんなに堅いのでしょうか?
ちょうど50年前の今日。
米国のアポロ11号が、人類初の有人月面着陸に成功しました。
あれからちょうど50年です。
50年も経つんですねぇ・・・。
東海岸の午後4時頃だったそうですから、日本時間では今日(21日)未明ということになります。
確かに、私も宇宙中継で届く不鮮明な映像を、眠い眼をこすりながらテレビで必死で視ていました。
その時に、同時通訳で月と地球との交信を伝える人がいて、私は宇宙飛行士よりもこの人に憧れました。
その方は、西山千(にしやま せん)さんと仰ったと思います。
あの時から、私の大学進学の第一志望は、「◯◯外国語大学」になりました。
しかし、数年後の結果は・・外国語大学ではなくて落研でした。
おかげさまで、日本語のほかに片言の落語を喋ることの出来る、バイリンガルになりました。
金原亭馬生師匠には、懐かしい思い出があります。
落研1年生の時に、落研が主催した「馬生独演会」。
この「馬生」師匠は、勿論先代の馬生師匠です。
この時に、前座で付き人として来てくださった小駒さんこそが当代の馬生師匠です。
馬生師匠は、昼席では「明烏」「抜け雀」、夜席では「干物箱」「柳田格之進」を演ってくださいました。
小駒さんは「子ほめ」と「道灌」だったと記憶しています。
とにかく、真面目で、優しいお兄さんというイメージでした。
1年生の私は、高座返しをやらせてもらい、色々教えていただきました。
袖で、4年生だった寝蔵師匠が開口一番で「つる」を演じるのを聴いて「上手ですねぇ」って感心してくださって、私も鼻が高かったのを覚えています。
あれ以来、お顔を拝見する度に、あの時のことを思い出しました。
勿論、今日も。
何の取り柄もない、松戸市や松戸市役所で、いくらか有名なのは「すぐやる課」かな?当時、松戸市では人口が急増し、昭和37年には10万人、44年には23万人を突破する勢いでした。
増えていく人口に対し、道路や上下水道などの整備が追いつかず、各種の歪みが目立つという状況でした。
そんな中、増加かつ多様化する市民の声にすばやく対応し、同時に行政を市民の方々にとって身近でわかりやすいものにしようと設置されたのが「すぐやる課」です。
「すぐやる課」は、昭和44年10月に発足し、以来全国初のすぐやる課として市民の皆さまから活躍が期待され、松戸市の誇るべき伝統として継承してきました。すぐやる課の理念である「すぐやらなければならないもので、すぐやり得るものは、すぐにやります」の精神をモットーに、松戸市の安心・安全な生活環境の実現に向けて、日々皆さんからの多くの要望に対応しています!
確か、マツモトキヨシの創業者の松本清さんが市長の時だったはず。
私は、当時は市民ではなかったので、遠い街のことと思っていました。
今年で発足50周年になるそうです。
落語を演る必需品が、手拭いと扇子です。
手拭いは、噺の都度、季節や噺の内容や着物との相性を考えて、浅草あたりで買うことが多いようです。
一方、扇子は衝動買いしたものや、真打披露などで手に入れたものなどで、何本かストックして持っています。
普段は、稽古用、常備携帯用、それから本番用と、常に3本を使っています。
稽古用は、落語っ子連の稽古鞄に入れてあります。
常備携帯用は、毎日持っている鞄の中。
自分で買う時は、浅草の仲見世にある扇子屋さんで買っています。
ふと、Amazonで落語用扇子(高座扇)を見つけました。
どの程度のものか、試しに買ってみることにしました。
値段は、浅草の仲見世の扇子屋さんのとほぼ同じ程度です。
昨日届きました。
手にした限りでは、問題ないので(当たり前か)、こういうルートもありだなと思いました。
ついでに、扇子袋?もセットで。
三遊亭円楽師匠が、脳に腫瘍が出来たということで、一時静養されるそうです。
「三遊亭円楽に関するお知らせ」として、事務所のサイトにアップの概要。
体調不良により、短期間ではございますが、療養させていただく運びになりました。
一ヶ月ほど前から、気分の落ち込み等本人の自覚や周囲の勧めがあったことから、念の為と医療機関を受診したところ、脳に腫瘍が発見されました。
部位が脳であることを鑑み、主治医の判断で、3週間程度、検査と治療のための入院および療養をいたします。
日常生活はこれまでと全く変わらず行える状況ですので、今回も早期発見ということで、前向きに治療に取り組む所存です。
本日から、8月上旬までのお仕事をお休みを頂戴し、その後の復帰につきましては、治療の状況を見て検討・判断させていただきます。
各公演および番組のご関係者様、スポンサー様、そして円楽の出演を楽しみに待ってくださるお客様には、昨年に引き続き再びこのように多大なるご迷惑をおかけしてしまい、大変に心苦しく、また申し訳なく存じます。
重ねてお詫び申し上げます。
(取材などについて)静かに治療に専念したいという円楽本人の希望により、お引き取受けいたしておりませんので、何卒ご容赦いただきたく、伏してお願い申し上げます。
・・・言われれば、先日の「盛夏吉例圓朝祭」の「ちりとてちん」、元気がなかった気がしました。
マクラでも、山田隆夫さんを悪く言っていましたが、何かギャグになっていなかった気もしていたし。
いつもの明るい高座ではなかった?
関係ないか・・・。
ツイッター上で、フォロワーたちと誹謗中傷合戦を繰り返していて、とても不愉快です。
私も、この噺家さんはフォローしていましたが、削除しました。
詳しいことは分かりませんが、どっちもどっちという感じ。
んっ?
ちょっとどこかの国とその隣国とのやり取りに似ている気がする。
柳家かゑるさんが、柳家獅堂師匠門下から柳家小さん門下に移籍したそうです。
本人にとってプラスになるのなら歓迎ですね。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2019/06/post-446376.html
先日、ちょっと気になるツイートがあつたから、あぁ、これのことかと。
落語を一生懸命稽古していて・・。
かなり積極的に寄席や落語会に通うようになって痛感すること。
僭越を承知で言わせていただくと、落語を演るという点では、それなりのレベルだと自負していますが、どうしてもプロには敵わないところがある。
それは「声」です。
声も比較的大きいので、聴きやすいとか分かりやすいとか言われてはいますが、到底プロには敵わない。
声の音色(艶)、大きさ、強さ(圧力)、これには「時間」が必要です。
「時間」が作り上げ、練り上げ、磨き上げて、醸し出してくれるもの。
だから、もう私には手遅れです。
昨日の「三越落語会」でも、林家きく麿さんも三遊亭圓丸さんも、とてもよく通る、素敵な声でした。
あんな声が欲しい・・・。
無駄な抵抗かもしれませんが、大きな声を出して稽古を続けることでしょう。
昨日の「三越落語会」。
三遊亭圓丸さんの「鹿政談」。
話しに勢いがあり、声もはっきりしていてとても面白かった。
語りや台詞を決めてリズム(勢い)で語るタイプの噺家さんです。
従って、語りは非常に流暢です。
ちょっと気になったのは、マクラで。
日産のゴーン元会長が逮捕されてから108日後に保釈・・。
この「108日」を「ひゃくようか」って言っていました。
え?そう言いますか?
確かに「8日」は「ようか」と読みます。
私の誕生日は1月8日(いちがつようか)です。
しかし、「108日」は「ひゃくようか」って言う?
それなら「58日」も「ごじゅうようか」って言いますか?
ここは「ひゃくはちにち」ではないかと思うのですが。
確かに「24日」は「にじゅうよんにち」ではなくて「にじゅうよっか」という場合もあることはある。
でも、前日の「23日」は「にじゅうみっか」とは言わない。
「21日」は「にじゅうついたち」とは言わない。
「20歳」は「はたち」だけど、「21歳」は「はたちいち」ではないし、「30歳」は「いたち」ではない。
・・・与太郎も苦労する、日本語は難しい・・・。
とても気になりました。
「三越落語会」での三遊亭金馬師匠は圧巻でした。
昨年、心不全で倒れ、脳梗塞も併発し、懸命のリハビリの結果、90歳で見事に復活。
高齢で病後ですから、聴き手としては、高座に上がって座布団に座ってくれるだけでも十分。
言葉が不明瞭でも、声が小さくても、噺がぐるぐる回っても、小噺でも、とにかく姿を見せてくれれば・・・。
板付きでの登場は、膝を痛めた数年前からのこと。
ところが、事情を知らない人なら、重病後の90歳とは思えない普通の、いや、あの長講の「らくだ」を堂々と大熱演でした。
声もはっきり、言葉や台詞に淀みもなく。
ツイッターでは、おそらく娘さんでしょう、楽屋や高座の様子をツイートされていました。
ご本人も緊張されたでしょうが、それ以上に周囲の方々の緊張は大変なものだったことでしょう。
とにかく、素晴らしい高座に触れることが出来ました。
金馬師匠、凄いです。
♪決めたぁ 決めたぁ~♪
次回の「お江戸あおば亭」の演目を決めました。
11月の落語会だから「ねずみ穴」を。
この噺を初めて聴いたのは、大学2年生の10月に、NHKのラジオ演芸番組で「三遊亭圓生」師匠を。
それも、山形県酒田市で起こった大火の時に。
1976(昭和51)年10月29日、酒田市で発生した大火。この火災で市中心部の商店街約22万5000m2を焼失。
ラジオで圓生師匠の「ねずみ穴」を聴いていた時、これに被さってニュース速報が入りました。
「山形県酒田市で火災が発生して、現在類焼中」という。
この噺にも火事で身代を全て失うシーンがあるので、鮮明に覚えています。
それもあって、今まで何となく遠慮していましたが、そろそろやってみようと・・・。
師匠の高座本を拡大コピーして、演読用の高座本を作りました。
元の高座本(A5判)の倍の大きさ(A4判)にして、読みやすくして。
開演10分前に着席。
既に前座さんが開口一番「初天神」をやっていました。
「三越落語会」と「紀伊國屋寄席」は、開演時刻前に上がります。
◇「殴ったあと」 林家きく麿
◇「鹿政談」 三遊亭圓丸
◇「鮑のし」 三遊亭小遊三
◇「かんしゃく」 三遊亭金時
◇「らくだ」 三遊亭金馬
金馬の代替わりについては、お二人とも全く触れませんでした。
とにかく、金馬師匠は凄い!
90歳で長講「らくだ」を淀むことなく。
さすがに滑舌は少し・・の部分はありましたが、声も良く通っていました。
父と同い年だから、何だか他人のように思えず、応援しながら、驚きながら、楽しませていただきました。
明後日の「東京落語会」の「茶の湯」も楽しみです。
ずっと元気で長生きして欲しい!
とりあえず大関は4人もいる(いた)はずです。
ところが、初日から貴景勝が休場、来場所関脇に陥落が確定。
その後、今場所大関に復帰した栃ノ心が、ほとんど全敗で休場。
さらに、私はなぜ大関になったのか疑問な豪栄道も休場。
何と、兄弟子稀勢の里の道をなぞるように、今日から高安が休場。
・・・そして、本当に大関が誰もいなくなった。
元々、大関の存在感などありませんでしたから、不在だったようなものですが、本当にいなくなってしまいました。
怪我人が多い大相撲でも、大関は野戦病院(ポスト)みたいです。
苦労して昇進して来て、燃え尽きちゃうのかなぁ。
長く相撲を取っていて、致命傷が出て来るのかなぁ。
やはり、力士の大型化、それからガチンコ化により、本場所や準場所、巡業が多すぎると思います。
「馬石50歳記念独演会」って、馬石さん50歳?
調べてみると、1969年7月14日生まれとありました。
そうか、まだ若手だと思っていましたが、50歳ですか・・・。
尤も、長寿社会ですから、50歳は7~8掛けぐらいで見たら良いのでしょう。
1991(平成3)年6月 石坂浩二主宰劇団「急旋回」に入団
1993(平成5)年10月 五街道雲助に入門 前座名「わたし」
1997(平成9)年9月 二ツ目昇進 「佐助」と改名
2007(平成19)年3月 真打昇進 四代目「隅田川馬石」襲名
場所が「なかの芸能小劇場」なのと、全席自由席(整理券)なのと、そもそもまだチケットを買っていないのと、もし明日行くと今週は日・火・水・木・金・土と、月曜日以外は全日落語会に行くことになるのでいくらなんでも自粛ということで・・・ 諦めます。
50歳の馬石さんを諦めて、今週は90歳の金馬師匠を何と2度も聴きます。
因みに演目は「らくだ」と「茶の湯」です。
90歳の「らくだ」ですよ。
今夜午後7時から、NHKのBSプレミアム「英雄たちの選択」で。
https://tv.yahoo.co.jp/program/60500695/
「怪談牡丹燈籠」「真景累ケ淵」などの怪談ばなしで、幕末から明治初期に人気を集めた落語家・三遊亭円朝。
文明開化の新時代に、彼に迫られる選択とは?
文明開化の時代になっても、寄席は大衆のメディアとして、人気を集めていた。
これに目をつけた新政府は、当時、人気実力ともに群を抜いていた円朝を「落語家頭取」に任命、庶民を文化的に啓蒙する役割を担わせようとする。
新たなはなしの創作を迫られた円朝。
引き続き怪談ばなしにこだわるか立身出世物語に大きく舵を切るか?
今回は、“熊さん八っつぁんの文明開化”。
新時代の演芸に挑む名人三遊亭円朝の奮闘に迫る。
・・・残念ながら、「三越落語会」のため、視聴出来ません。
さりとて、録画しようとまでは思いません。
そうだ、また圓朝墓をお参りしよう。
先日の「盛夏吉例圓朝祭」のアンケートに、「全生庵にお参りします」と書いて来た。
最近、師匠と話す機会があると、師匠が考えていることを仰ってくださる時があります。
高座本も、来年の誕生日までに500号配本を目指して頑張っていらっしゃいます。
「圓窓五百噺」でもそうですが、全て古典落語ではなく、師匠が全国の民話や法話や小説などをヒントに創作したり、翻案や改作したものも多くあります。
私が演らせていただいた「藪中の蕎麦」「救いの腕」「三井の貸し傘」「揺れるとき」は、お世辞抜きに名作だと思いますし、改作した「五百羅漢」にしても、後世に残しておきたいと思います。
そんな創作噺が、恐らく100以上あると思います。
高座本を注文する際には、どんな噺かが分からないので、キーワードから想像して頂戴していますが、手元に20冊以上の師匠創作の高座本があります。
「草鞋の裏」「石一つ」「父帰る」「高座の徳利」「指相撲」「胸の肉」・・・・。
古典をやりながら、師匠の創作噺にもチャレンジしてみようと思います。
とりあえず、「壁に耳あり」「奉加帳」「袋田の瀧」あたりも読んでみて、考えて行こうと思います。
昨日は新暦の「お盆」。
そして、今日は「藪入り」です。
「藪入り」とは、小正月の済んだ1月16日と、お盆が済んだ7月16日の年2回あり、商家などに住み込みで働く奉公人が、実家に帰ることができる休日でした。
奉公人には定休日がないので、正月やお盆という重要な行事が終わった後、ようやくもらえた年に2回だけのお休みは、みんなが心待ちにしていました。
家に帰らない人は浅草などに行き、大いに賑わったそうです。
ちなみに「藪入り」の語源は、藪の深い田舎に帰るからという説とか、奉公人を実家に帰す「宿入り」がなまったという説などがあるそうですが・・・。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2019/02/post-be4c.html
「藪入り」っていう噺・・・、時代が変わってかなり分からなくなって来ましたが、何とか残して行きたいと思います。
先月末、仙台での「新入生顔見世落語発表会」に行った時、会場で先輩の桂友楽師匠にお会いしました。
色々お話をさせていただきましたが、友楽師匠のお知り合いで、やはり落語を演っていらっしゃる方が、「水神」をやりたいということで、高座本が手に入らないかと言われているが・・・。
「水神」は、菊田一夫が圓生師匠のために書き下ろした噺で、圓窓師匠も「東京落語会」などで、何度かやっていらっしゃいます。
「確か、手元に圓窓師匠の高座本があるはずなので、お送りしますよ」と。
今月に入ってすぐに、この「水神」の高座本と「ホームカミング寄席」のチラシを送ったのですが・・・。
受け取ってもらえたかなぁ・・・。
まぁ、マイペースな方だから。
先週の「深川三流亭」でも、師匠が必ず触れられるのは、落語の裾野の拡大のための活動。
噺家さんの多くが「学校寄席」などということで、小中学校を訪ねて落語を聴いてもらう活動を展開しています。
しかし、師匠は、大勢が体育館で体育座りで聴くパターンが多い(恐らく)中で、「落語の授業」を続けていらっしゃいます。
大勢の前ではなくて、教室で、1クラス単位で、授業として児童生徒を啓蒙する。
その熱い気持ちは、「落語の授業」という本で著されています。
小学校の国語の教科書に「ぞろぞろ」を執筆した三遊亭圓窓師匠が「落語の授業」を本書に再現し、さらに書き下ろしの教育論を収録。落語の授業のライブをはじめ、落語にまつわる日本の伝統や、授業で使える「話」のテクニック。親子の関わりを独自の視点でみつめた師匠の子育て論など満載です!
https://www.youtube.com/watch?v=I2F9ZH_Z66c
圓窓師匠と言えば、「圓窓五百噺」ですが、2001年に28年をかけて500席の落語を演じられた後のライフワークになっています。
ところが、落語の授業を進めて行く中で、児童に教科書で落語を教えるべき先生たちが落語について知らないことを痛感され、児童だけでなく、先生たちにも指導をされています。
10年近く前、「流三さん、今度学校の先生を対象に、新しい素人落語のグループを作りたいと思っているんだけど、ちょっと手伝ってもらえないかい?」と言われて参加したのが、豊島区の「扇子っ子連・千早亭」でした。
ところが、最初の頃には2~3人いた先生方も、多忙のためにいなくなり、途中メンバーになった先生もいましたが、やはり長く続きませんでした。
師匠の落語の授業をきっかけにした、世田谷区の深沢小学校の児童が中心の「聞かせっ子連・深沢亭」で2年前からスタートさせたのが、「edu落語会」です。
我が「落語っ子連・三流亭」には、やはり師匠の落語の授業などをきっかけに、3人のメンバーが先生なので、開演のご挨拶でも「この連には3人の教師がいる」と仰り、とても自慢?のようです。
そういう経緯もあって、「edu落語会」には当然3人も参加していて、私や百梅さんも聴きに行っています。
さぁ、今年も「第3回edu落語会」が企画されているようです。
今年は場所を変え、千葉大学付属小学校で開催するそうです。
蝶九さんが、チラシを作っています。
まだ、出演者が確定していませんが、8月24日(土)13時から。
勿論、師匠もご出演されることになっています。
児童と教師が出演するので、教師でもない、教師の免許もない私は、出演資格はありません。
「先生方や児童より"先"に"生"まれていて」「"先"ずは"生"きてる」けれどもダメ。
「(母が教師だったから)元先生の子」だというのもダメ。
会場に来て、児童と教師の落語を聴くのは可だという・・・。
いつも「お江戸あおば亭」「深川三流亭」のめくりを書いてくださっている「H先生」が、既に書いてくださった「金願亭乱志 十八番一覧」に加えて、「三流亭流三 十八番一覧」を書いてくださいました。
【三流亭流三 十八番一覧】
三流亭流三と金願亭乱志、どちらでも良いので、この2つで「乱志流三 三十六番勝負一覧」ということです。
【金願亭乱志 十八番一覧】
間もなく、乱志(流三)持ちネタ50席になりますので、もう1枚書いていただけるようにしたいと思います。
次回は、「乱志流三 十八番合わせ」?
「H先生」、ありがとうございます。
【三流亭流三十八番一覧】
・三方一両損 ・三味線栗毛 ・千早振る
・薮中の蕎麦 ・救いの腕 ・猫怪談
・揺れるとき ・五百羅漢 ・人情八百屋
・不孝者 ・短命 ・おせつ徳三郎
・子別れ ・長短 ・厩火事
・蒟蒻問答 ・子ほめ ・三井の貸し傘
【金願亭乱志十八番一覧】
・花色木綿 ・帯久 ・笠と赤い風車
・浜野矩随 ・甲府ぃ ・文七元結
・明烏 ・ねずみ ・火事息子
・花筏 ・佃祭 ・薮入り
・二番煎じ ・一人酒盛 ・抜け雀
・試し酒 ・鰍沢 ・怪談牡丹燈籠
・・・まぁ、何とかここまで来ましたか。
「深川三流亭」が終わりました。
この数ヶ月、1人カラオケ店で稽古して来ました。
4ヶ月で30回。
「牛ほめ」「長短」「長屋の花見」「五百羅漢」そして「百川」を、発表会に合わせて。
かなり稽古の回数を稼いだ感じがしますが、「それなら早く仕上がっていただろうと」言われると・・・?
かえって、今までよりギリギリまで追い込まれた気がします。
ただし、本息(本番と同じ声とリズムと仕草)の演読は、しっかり出来ていたと思います。
とにかく繰り返し演読をしましたから。
本番5日前までは、全く高座本を覚えにかかっていませんから、とにかく【話にならないくらい噺になっていない?】という惨状でした。
物凄く不安でした。
とうとう白旗を揚げなくてはいけないかと。
いよいよ追い込まれて、通しでやったのが2日前。
勿論ボロボロ。
しかし、部分的にやれば、何とか言葉は出て来る。
ところが、キーワードが出て来ないことがあるのが心配。
・・・そして本番。
あれっ? 言葉は、かなり自然に出て来る。
キーワードでは、一ヶ所で「常磐津」がすぐ出て来ませんでしたが。
これで良いのか?
かなり不安とストレスを感じるが。
うん、これで良い、この空間の稽古は捨て難い!
「深川三流亭」の会場を借りているのは、今回は午後1時以降の時間帯です。
午前中から借りることが出来れば、午前中から借りて、開演も1時に出来るのですが、なかなか思い通りの時間に借りられません。
また、30分繰り上げて借りることも出来るのですが、今回は午前の人が30分延長しているようなので、借りることが出来ません。
「深川三流亭」の開場は1時半。
早いご贔屓は、必ずそれより早くご来場になる・・・。
と言うことは、20分ぐらいで会場を設営しないといけません。
と言っている間に、もうご来場された方がいらっしゃる。
ありがたくない申し訳なく。
1時になって早速設営に取りかかります。
高座、受付、めくり、そして座席・・。
重たいのは、高座づくりと座席並べです。
半年に一度のことですから、覚えているだろうと思いますが、ほとんどメンバー全員がうろ覚えで、あぁでもないこうでもないと言いながら前回とは微妙に違った形になることが常でした。
ところが、人間というのは自然に学習するもので、作業を始めると、さすがに少しは思い出したり、部分的に詳しい人がいたり、役割分担をしなくても働くようになるものです。
見事なもので、何と20分もかからずに会場設営が完了しました。
ちなみに下は前回の時の写真ですが、ほぼ同じレイアウトで設営出来ました。
席数は約80。
今回は、会場に備えられた座布団のカバーが新しくなり、ちょっと雰囲気が変わりました。
こういう手際の良さも、回数を重なればこそのものです。
1時過ぎから、ロビーで待っていてくださったご贔屓には、開場前でしたが、お入りいただくことにしました。
・・・いつも来てくれる叔父の知り合いの方でした。
定刻に開演しました。
12時開演という落語会は珍しい気がします。
ロビーで、弁当やおにぎりをほおばる人が大勢いました。
入場料も高いので、プログラムも大きくて立派でした。
プログラムのほかにウチワが配られました。
表は今日の出演者の名前が書かれています。
反対側には、昭和33年に、渋谷の東横劇場で開催された時の出演者。
昭和の名人勢揃いです。
◇「権助芝居」 雷門音助
◇「お血脈」 柳家三三
◇「女の子別れ」 笑福亭鶴二
◇「ちりとてちん」 三遊亭圓楽
◇「愛宕山」 林家たい平
◇「心眼」 柳家権太楼
圓朝作は「心眼」のみ。
「女の子別れ」は、あの名作「子は鎹」を圓朝が上方落語として改作したものだそうです。
やはり、圓朝と鶴二さんには申し訳ありませんが、やはり元がいいな。
三三さんとたい平さんが良かった。
深川三流亭には、ご贔屓が大勢来てくださいます。
叔父も、いつものように夫妻で、友人を何人か連れて来てくれましたが、何と言っても、窓口さんと百梅のご贔屓の多いこと。
お二人の人徳のなせるもので、いつものことながら、感謝、感謝です。
そんな関係から、出前落語会を何度もやらせていただいていますが、先日は市川市曽谷公民館から、4回目のオファーをいただきました。
今日もわざわざ館の担当者の方がご来場くださり、改めて、来年2月1日というご依頼でした。
ありがたくお受けしました。
それから、やはり市川市の高石神自治会の会長さんからも、9月か10月にというお申し出があり、勿論、ありがたくお受けすることにしました。
これで3回目ということになります。
「落語が上手くなりたい!」というメンバーにとって、こんなに幸せなことはありませんから、一生懸命頑張りたいと思います。
楽屋で、師匠に報告すると、とても喜んでくださいました。
さらに続けて行くようにしたいものです。
韓国向け輸出管理の厳格化をめぐり東京で開かれた日韓当局者の会合について、韓国では「初の実務協議」だと受け止め、「説明会」だと位置付ける日本側に反発しているそうです。
韓国紙は、事務用の机や椅子を並べた会場を「みすぼらしい」と表現。
日本の「おもてなしとはほど遠く、日本側がわざと冷遇したといえる」と批判的に報じたそうです。
もう、何をしても(しなくても)、何を言っても(言わなくても)、ケチをつけるという感じです。
よく見ると、ホワイトボードには「事務的説明会」って書いてあります。
事務的説明会なら、握手も、お茶(水)も、その他のもてなしも不要ということですね。
笑ってしまう・・失笑。
自分たちの思い通りにならないから、ち、苦笑(畜生)!
実務協議だと主張するから哄笑(交渉)?
昨夜の入船亭扇辰独演会で聴いた「ねずみ」と「藁人形」。
「ねずみ」は、学生時代に演った人情噺3題の一つであり、当然「金願亭乱志十八番」に入れています。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2019/02/post-f852.html
学生時代には、先代の三遊亭圓楽師匠の音源を参考にしましたが、栃裕から、桂三木助→入船亭扇橋師匠から扇辰さんに至る師弟ラインで完成させました。
OB落語会で演るのに、多くの音源を聴きました。
でも、やはりここに行きつく。
扇橋師匠の音源では、「猫怪談」と「鰍沢」でも参考にさせてもらいました。
いつか、いや近々、再演したいと思いました。
そして、「藁人形」・・。
この噺は、昨年亡くなった桂歌丸師匠の音源があり、ちょっと気になっていたので、圓窓師匠から高座本を頂戴していました。
扇橋師匠は、ある政党のお祭り(屋外イベント)の会場の一角の喧噪の中で、この噺で聴き手を掴んだそうです。
不通なら、派手で面白くて短い噺を選ぶのに・・・。
「藁人形」「もう半分」あたりは、陰惨な噺ですが、ちょっとチャレンジしてみようと思います。
日本人の昔ながらの馴れ合いと閉鎖性のなせる不祥事だと思います。
こんなバカなことがまかり通ることこそがおかしい。
郵政とか農協というのは、昔の栄光(特別扱い)から抜け出すことが出来ず、未だに自分たちだけは別だという妄想に駆られている気がします。
生命保険の分野で言えば、業界全体が保険金不払い問題で批判されて、こんなことは一掃されました。
顧客優先、説明責任、それから明朗会計。
それを、未だに現場にノルマを過大に負荷して・・・。
と言って、心から詫びている顔でないのは、収監する男に逃げられた時の検察正と同じです。
これは本当に膿を出さないと・・・。
金融庁は業務改善命令など行政処分の検討に入る。
顧客を軽視した販売実態の詳細を調べた上で、厳しく追及する方針だ。
かんぽ生命の社長は会見で、不利益販売の全容解明に関し「顧客一人ひとりの意向を丁寧に確認していく大変時間のかかる調査になる」と述べ、実態解明や顧客対応に相当な時間がかかるとの考えを示した。
親会社の日本郵政とかんぽ生命、日本郵便の3社合同で、独立した第三者委員会を早急に設置する方針だが、肝心の調査範囲や期限については全て「未定」と答えるのみ。
当事者意識を欠いており、自浄作用は到底望めない状況だ。
保険業法は、契約者に虚偽の内容を伝えたり、不利益となる事実を告げずに既存の契約を解約させて新たな契約を勧めたりすることを禁じており、今回発覚した営業行為は該当する恐れがある。
金融庁幹部は、顧客を軽視した一連の営業姿勢を問題視している。
第三者委による調査の進展を見極めながら、厳格に処分するとみられる。
親会社の日本郵政の監督責任も問う構えだ。
・・・当然厳罰です。
立川志らくさんは、「かんぽ生命不適切販売ではなく、かんぽ生命詐欺って言った方が分かりやすいですよ」と指摘。
そして「そのくらい罪深いこと。だって郵便局の人は絶対にだましたりしないって、みんな安心して行くんだもの。かなり(処分を)厳しくしないと、許せないですよね」と強い口調で話した。
人形町交差点に、「松屋」と「てんや」と「CoCo壱番屋」がありました。
落語会が終わって、小腹が空いたので・・・。
迷った挙げ句、インド進出を発表したカレー屋さんに入店。
そして、"禁断の"カレーを食べてしまいました。
今夜は、珍しい「藁人形」と大好きな「ねずみ」を聴くことが出来て、とても嬉しいから、ご褒美です。
それにしても、行き慣れていないから、オーダーが大変です。
カレーの種類だけでなく、辛さや量やトッピングやら・・・。
さらに店のスタッフが日本人ではなかったので、トンチンカンになるといけないと、「ロースカツカレー」の辛さ"普通"・ライス"普通"にしました。さぁ、明日から"ラマダン"にしないと・・・。
久しぶりに来た日本橋社会教育会館。
入船亭扇辰独演会「入船亭扇橋十八番」ということで。
今日は、入船亭扇橋師匠の4度目のご命日だそうです。
この会は昨年第1回で、今年が2回目だということでした。
◇「寿限無」 入船亭辰ぢろ
◇「狸札」 入舟辰之助
扇橋師匠の思い出話が暫く続いた後で、意外な噺が始まりました。
「から傘」のリズミカルな出囃子で。
◇「藁人形」 入船亭扇辰
そして中入り後は、中入り前で1時間近く語りましたので、既に時計は8時半を過ぎているのに、やってくれました。
扇橋師匠の「にわか獅子」のゆったりとした出囃子で、それこそ扇橋師匠の十八番中の十八番を。
◇「ねずみ」 入船亭扇辰
私の「ねずみ」は、まさに扇橋師匠がベースになっていますから、聴き入りました。
https://www.youtube.com/watch?v=2zMBiN4an4A
勿論、扇辰さんのCDの「ねずみ」も何度何度も聴いています。
それとも違った演出が随所にありました。
これは、この噺が練り上げられているということです。
扇辰さん、やはりいい!
扇辰さんと先月聴いた小辰さんの師弟を、ちょっと追いかけてみようか。
帰りは夜落語会なので、駅弁を買って車内で食べることにしました。
「飯田線秘境駅オリジナル弁当」という、何ともローカルな弁当です。
中は、少量ではあるものの、色々な惣菜が入っていました。
真ん中が海老だったのがやや気になりました。
海のない所を走っていますから。あぁぁ、川海老かなぁ。
「飯田線」と言えば、豊橋から北上して長野県辰野へ行くローカル線です。
個人的には、飯田線には乗ったことはありませんから、かなり遠く離れたイメージなんですが、実は郷里の「身延線」と並行する隣の路線なんです。
上は飯田線の路線図で、下が郷里の身延線の路線図。
かなり地図がダブっています。
南北に走る隣合った路線だと分かりますが、この2つの路線の間には、南アルプス(赤石山脈)が、同じように南北に横たわっています。3000メートル級の山々で、東西に移動が出来ませんから、実に遠くに感じます。
今、リニア新幹線の工事が行われていますが、これは南アルプスを横断する長いトンネルになるはずです。
今朝の日本経済新聞のトツプ。
首都圏の大手地銀の包括提携の話題。
別に改めてどうということもないと思います。
どちらとも、かつて仕事で接点がありました。
でも、もう銀行はダメでしょう。
抜本的に考え方や仕組を変えないと。
今のままでは、何も出来ずに指を咥えたまま消えて行くのみだと思います。
晩年の苦しみですね。
だから「晩苦」、バンクと言う。
地銀首位の横浜銀行と同3位の千葉銀行が包括提携する。
営業面で協力関係を深め、中小企業向けの事業承継や個人向けの遺言信託で幅広いサービスを提供できるようにする。
運用商品の共同開発も検討する。
長引くマイナス金利政策やフィンテックを手掛ける新興企業の台頭で環境は厳しい。
トップ地銀提携は地方銀行合従連衡の呼び水にもなりそうだ。
両行は取締役会を開き、業務提携に関する基本合意を交わす。
両行の頭取が記者会見で説明する予定だ。
マイナス金利政策が長引き、地銀の収益は低下している。
赤字に転落する地銀も増えている。
トップ地銀であっても展望が描きにくい。
横浜銀と千葉銀は提携を通じて、業務を効率化する。
個人から法人取引まで幅広い分野で提携する。
個人向けでは、信託銀行の機能を持つ千葉銀が横浜銀に遺言信託などのサービスを提供する。
両行の人材交流も進める。
・・・これが出来るようならとっくに出来ているはず。
昔から、物事が変わるような売り文句ばかり言っていて、実のところはコンサーバティブな業界ですし。
誰が何と言っても、ジャニーズと言えば「ジャニーズ」です。
「たのきんトリオ」でも「SMAP」でも「嵐」でもない!
https://www.youtube.com/watch?v=qg96fghQ3Bk&app=desktop
「太陽のあいつ」の「ジャニーズ」です!
https://www.youtube.com/watch?v=xl3n0PngjgM
「太陽のあいつ」
https://www.nicovideo.jp/watch/sm11301617
これですよ。
それから、まだまだ・・たのきんには行かない。
次は「フォーリーブス」です。
「涙のオルフェ」
https://www.youtube.com/watch?v=xCFW67faKrk&list=PLtMlna4B_aMDIqhdsBklFNpZdDb1P4r3o&index=67
「オリビアの調べ」
https://www.youtube.com/watch?v=2XTtBEXxUAw
「あしたが生まれる」
https://www.uta-net.com/movie/34676/
好きでしたねぇ。
既に2人(北公次さん・青山孝さん)は亡くなってしまっています。
写真の右の2人。
江木俊夫さんは、子役時代に「マグマ大使」の主人公マモル役で活躍した人気者。
おりも政夫さんの従弟というのが、高校と大学の1年後輩だった気がします。
確か、「織茂」って言ってました。
それはともかく、ジャニー喜多川さんのご冥福をお祈りします。
日本と韓国の関係が、どんどん悪い方へ行っているようです。
やはり国民性だとか、感情(優越感や劣等感)だとか、限られた情報で行動すると、どうしても相手に対する配慮や敬意が飛んでしまうようです。
韓国の人は直情型というのか、瞬間的に感情を表に出して畳みかける感じがします。
韓国の人が日本から不愉快なことをされると、恐らく「てめぇ、この野郎!」なんていう口調で言って来るでしょう。
一方、日本の人なら、極力その場での争いを避けるように「まぁ、何と仰るウサギさん」ぐらいなのかもしれません。
韓国には、とにかく日本の存在がジャパン(邪魔)になるんでしょう。
一事が万事、「コリア(こりゃ)けしからん!」なのかなぁ・・・。
どちらが正しいとかいう議論は意味がないと思いますが、国際的なイザコザを見ていて思うことは一つだけです。
どんな理由(大義名分)があろうと、侵略や戦争だけはしてはいけないということです。
多大な犠牲を払って戦争(戦闘)は一時的には終わっても、その傷跡(悲しみや怨念)は末代まで消えることも癒えることはありません。
ある時期に、日本が大陸や東南アジアに、歓迎されずに出て行ったことは確かです。
今さらですが、これさえなければ、今の慰安婦も徴用工の問題も起こらなかったはずです。
そういう点で、当時の為政者の罪は重いと思います。
しかし、もうそこまでは戻れませんから、両国で真摯に解決や改善の努力をして行くということですね。
「三方一両損」のような大岡裁きが出来ないかなぁ・・・。
宅配業界では、不在のために何度も再配達に訪問しなければならず、かなり消耗しています。
そこで、不在時は玄関先などに荷物を置いていくというサービス。
あらかじめ指定した場所(玄関前、置き配バッグ、宅配ボックス、車庫、物置など)に非対面で荷物などを届けるサービス。
素朴に「事故が起こらないのかなぁ」と心配になります。
マンションではオートロックがあると玄関まで行かれませんから、そもそも対象にならないようです。
マンションには宅配ボックスというのがあって、荷物をロッカーの中に入れて、住人が後から鍵をあけて受け取るということで、それなりに便利です。
田舎では、近所同士でも昔からやっていましたが・・・。とにかく日本人は、言葉や単語を詰めるのが好きです。
「吉野屋の牛丼」て「ヨシギュー」でしょ?
それで、「ココイチ」ってのは「CoCo壱番屋」のことだそうです。
カレー屋さんです。
何度か行ったことがありますが、メニューとその組合せの数が多すぎて、何を食べたらよいのかとイライラする店。
そのココイチが何と本場インド進出という快挙?暴挙?愚挙?
カレーチェーン最大手「カレーハウスCoCo壱番屋」(ココイチ)が、インド進出を決めた。
運営会社の壱番屋(愛知県一宮市)が発表した。
同社は「『逆輸入』として受け入れてもらえるよう、準備を進めています」と意気込む。
インドでの直営およびフランチャイズでの店舗展開に向け、三井物産の子会社と合弁会社を設立。
資本金は約3億円。
インド進出は悲願だったそうです。
「カレーの消費量が多く、人口から考えてもぜひ挑戦したいマーケットでした。現場調査とパートナー探しを8年以上前から行っていました」
ココイチは現在内外に約1400 店舗を展開し、アメリカ、中国、タイ、シンガポール、イギリスなど国外にも積極的に進出している。
海外店舗で日本のカレーは好評を博し、日本の店舗ではインド人客が多いため、勝算はあるとみる。
カレーは動物性食品を含まないルウを日本で製造し、インドに輸出する。
さぁ、どうなることでしょうか。
「ココイチの店は、何時頃開店するんですか?」
「どこでも同じや。CoCo壱番屋(午後一番や)」
落語でカレーライスと言えば「道灌」ですね。
山吹の花をライスカレーと間違えるシーンがあまりにも有名です。
「カレーライス」と「ライスカレー」の違い。
カレーライスは「御飯とは別の容器にカレーが入って出てくるややハイカラなイメージのするもの」
ライスカレーは「御飯の上にカレーがかけてあり、それこそソースやしょう油をふって食べる大衆的な雰囲気のもの」
ぶっちゃけて言えば・・・
カレーライスは、御飯とカレールーが別々になっているカレー
ライスカレーは、御飯とカレールーが同じ皿に盛られているカレー
・・・なんだそうです。
私は、古典落語だから、ライスカレーとは言わず、唐茄子の安倍川だと言いたいですが。
先見の名か、人気の後追いか?
今年、国立演芸場の花形演芸大賞を受賞した、江戸家小猫さんのツイート。
最近よく聞かれるのが、過去の花形演芸会「大賞」受賞者。きちんとお答えすることができず、受賞者をまとめているサイトも見当たらず、毎度スッキリせず。
ならば!!国立演芸場の文化デジタルライブラリーをさがのぼり、花形演芸会スペシャルが行われるようになった平成9年度以降をまとめてみましたッ。
受賞者の顔ぶれを見ると、噺家さんに限れば、概ね納得出来るものではあります。
私は、色物さんのことはあまり知らないから。
花緑さん×2、昇太さん、談春さん、喬太郎さん×3、遊雀さん、三三さん、白酒さん、一之輔さん×2、吉弥さん、龍玉さん、たまさん。
選考は、人気が出る前に選んだものか、人気が出てから相乗りしたのか・・・?
この22年間の間に、「該当なし」が3回ありますが、どうだったんだろう・・・?
昔、学生時代には、上野発常磐線経由青森行きの「みちのく」という特急がありました。
東北本線経由仙台行きのL特急「ひばり」が、上野仙台間4時間強だったのに比べて、常磐線経由だと5時間ぐらいかかったはず。
一度だけ乗ったことがありました。
因みに、各駅停車で上野と仙台間だと9時間かかっていました。
これにも、夏休みが終わって仙台に戻る時に、東北本線が不通となってしまい、仕方なく乗ったことがありました。
当時は、上野発仙台行きの各駅停車(普通電車)があったんです。
JR東日本は、来年3月末までに常磐線が全面再開するのに合わせ、東京都内と仙台市内を結ぶ直通の特急列車を運行と発表。
上野駅か品川駅と、仙台駅の間で運行する方針。
車両は、特急「ひたち」「ときわ」に使われているE657系(10両)を2編成増やして対応。
新たな名称を付けるかどうかや運転本数、停車駅など詳細は今後決める。
東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の影響で、福島県内の常磐線富岡―浪江間(20・8キロ)は、岩手、宮城、福島3県の鉄道のうち不通が続く最後の区間となっている。
全面再開で直通特急の運転が始まれば、復興の弾みになると期待される。
東日本大震災前は、「スーパーひたち」という名前で、4時間ぐらいかかっていたようです。
来年開通したら、片道は乗ってみようかなと思います。
ちょうど、東海道新幹線を「こだま」で東京から新大阪に行くのと同じぐらいです。
常磐線が全線開通(復旧)というのは、大変嬉しいニュースです。
自宅のある松戸と第2の故郷である仙台とが、再び鉄道で直接繋がる感じがします。
何となく嬉しくなりました。
別に、特別な縁がある土地ではないのに・・・、青春時代の数年をボーット過ごしただけなのに、仙台が好きなんですよ。
(特急みちのく)
https://www.youtube.com/watch?v=yN-vy0F2KT8
1978年10月改正時刻では、停車駅は、上野・水戸・日立・湯本・平・原ノ町・仙台・小牛田・一ノ関・盛岡・一戸・八戸・三沢・青森
上野駅18番線に14時32分に入線し、14時48分発、仙台には19時22分、終点の青森には23時50分着。
車内放送には、鉄道唱歌がオルゴール音で流れて・・、懐かしいですね。
ありがたいことに、市川市の公民館から、出前落語のオファーをいただきました。
今まで3回お邪魔している曽谷公民館です。
2017年8月、2018年2月、2019年3月と、「そや寄席」としてお邪魔しました。
公民館のスタッフの皆さんも、勿論ご来場くださるお客さまも素晴らしく、落語っ子連にとっては、大変貴重な真剣勝負の場です。
通りすがりやお付き合いではなくて、往復はがきで申し込んで抽選・・という、みなさん聴きに来てくださいますから。
初回は3名で「怪談」、2回目は7名で「節分」、前回は4名で「雛祭」というテーマ保いただいて、それをほとんど無視してやらせていただきました。
今回は、1月か2月に4名程度ということです。
早速、「喜んでやらせていただきます!」と返信しました。
その三遊亭ときんさんが、こんなツイートをしていました。
そうだよな。
僕らは其々を認めてTENは凄いんだという気持ちで10年やって来たけどグループとして一般的な評価には繋がらなかった。
今回みんな真打に成って皆さんの応援して下さった結果こう成れましたでフィニッシュでいいよね。
最近知りました、また見たいですって言うのは刻既に遅しってのよ。
・・・何とも微妙な言い回しな気がしますが。
色々と思うところはあると思います。
以前にも触れましたが、噺家さんを団体(ユニット)で売るというのは、難しいと思います。
売る側よりも買う側がなかなか追いついていけませんから。
やはり、誰が好き、誰と誰が好き・・と、それぞれだと思います。
料理も全部トッピングされると、好みのトッピングの味が薄れてしまう面もあります。
「SWA」だとか、「成金」だとか・・・、ユニットはありましたが、私はあまり興味が湧きませんでしたから。
でも、売る側のマーケティングの一手法としては、十分ありだと思いますし、最初からのご贔屓も大勢いたはずですから、素晴らしい業績だと思います。
私は、例えば文菊さん、ときんさんとして聴き続けたいと思います。
休み時間に、菩提寺の護寺会の会長宛に郵便局に行って送金手続きをした後、久しぶりに虎ノ門界隈を歩いてみました。
梅雨寒で、歩いても汗をかかないぐらいですから。
外堀通りの一本南側の道を溜池交差点に向かって西に歩きます。
右手に特許庁、左手にJT(日本たばこ産業)本社を見て左方向に行くと、もうここは赤坂1丁目。
共同通信の向かい側の立派羅建物は、米国大使館です。
昔、近くのオフィスにいた頃に、大使館の中に入ったことがありますが、もっと大きな建物のイメージでした。
最近は、周囲に高層ビルが林立していますから、あまり目立たなくなりましたが、間違いなく星条旗がはためいています。
米国大使館を左に折れて坂を下ると、虎の門病院があって、その先に「東京落語会」の会場のある消防会館。
桜田通りを超えると、虎ノ門ヒルズが聳えていますが、今はその両側に高層ビルが建てられています。
この辺りは、かつては森ビル村と言われて、「第●森ビル」という名前のビルが林立していました。
今は、それらをまとめて大きなビルにしようとしています。
振り返ると、新築中のホテルオークラの建物も見えます。
虎ノ門ヒルズの南側、愛宕神社のある愛宕山の麓になりますが、楽器の琵琶を売っている琵琶屋さんがありました。
まさに、建設の槌音を聞くと「諸行無常の響きあり」という感じになります。
新橋に向かう新虎通り(昔の通称マッカーサー通り)には行かずに、虎ノ門ヒルズに入りました。
このビルのキャラクター「トラのもん」が立って迎えてくれます。
こじゃれた?カフェでお茶することにしました。
我が郷里は、山々が重なる中腹に集落が点在する・・、田舎の中の田舎です。
菩提寺は、総本山身延山の末の末の末の寺。
江戸時代は手習いや分教場としての場でもあり、村の中心だったはずですが・・・。
ところが、過疎化が進み、檀家の数はもう・・・風前の灯火。
今、全国で問題(悩みの種)になっていることが、身近にも当然起こっています。
檀家の集まりの護寺会の会長から、夏の奉仕作業の連絡がありました。
今月の最後の土曜日に、毎年行われている本堂や墓地の整備、草刈り作業等・・・。
父が亡くなってからは、作業には参加できないため、奉仕作業費を分担しています。
過疎化による檀家の減少と高齢化で、その作業の担い手も少なくなっているようです。
昔のような、村の生活や様々な仕組みは、もう機能しなくなっています。
参加出来ないので、お詫びの手紙を同封して、現金書留で送ることにしました。
「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・」。
空家・墓守・・・・・。
さぁ、これからどうして行くんでしょうか。
三遊亭ときんさん。
週末の「The Last TEN」で、中心的な存在。
ツイッターなども拝見していて、非常にマメでお酒の好きな噺家さんのようなイメージがありました。
やはり、同年入門10人のユニット「TEN」の番頭格だったそうですから、さもありなんです。
私が、ときんさんを知るきっかけになったのは、かなり前のことですが、来年五代目金馬を襲名することが正式に決まった、師匠の金時さんを寄席で聴いた時でした。
マクラで、「最近は落語界でも大学卒が増えて来ました。私のところにも東京農大卒の弟子がいます」・・・。
「どうやら、"演芸"を"園芸"と勘違いして入門したようだ」というオチでした。
当時は、二つ目だったので、「時松」を名乗っていました。
それから、いつだったか、浅草演芸ホールの開場を待って並んでいたら、背中にバッグを背負って通りかかりました。
列の中に、お馴染みかご贔屓がいたようで、列に近づいて来て明るく挨拶をしていました。
「今日は、ここには出ないんですが・・」なんて言ってた気がします。
それから、数年前に、学士会落語會の例会の打ち上げだったと記憶していますが、そこで会話を交わしました。
ときん(当時は時松)さんと、仲良しの小八(当時はろべえ)さんが、仙台に行った時に、我が落研の部室を電撃訪問したという話題でした。
確か、生憎部室は不在で、部員たちと話すことは出来なかったようですが・・・。
そんな訳で、きになっている若手噺家さんでした。
久しぶりに、高座を聴いて、基本に忠実でしっかりしていて、「夏泥」というやや地味な噺でしたが良かった。
膝代わりで披露してくれたかっぽれも、例の「住吉踊り」で鍛えられたものです。
来年は、一門では大きなイベントがありますから、ますます楽しみになって来ました。
ときんさんの落語会は、どうも酒と銭湯と縁のある場所が多い気がしますが、注目して行きたいと思います。
今日は、富士市内に住む母のところへ行きました。
いつにも増してご機嫌でしたが、その訳を聞いて驚きました。
間もなく88歳になる母は、23歳で実家の町の小学校(母校)の教員になりました。
今から65年前のことです。
昨日、新任の時の担任の3年生の教え子2人が、訪ねて来てくれたそうです。
しかも、1人の人は、当時のご本人の通信簿を持って。
その通信欄には、新任だった母がコメントを書いてあり、旧姓(まだ結婚前ですから)の印鑑が押印されていたそうです。
本当に突然の来訪だったようですが、母も何十年ぶりに見る顔を覚えていたようで、お互いに驚き合って、思い出話に花を咲かせたようでした。
そんな話を聞いて、母が羨ましくなりました。
この翌々年に母は父と結婚し、さらに翌年に私が生まれました。
教え子だったお2人は、今75歳です。
時の流れを感じます。
今朝は梅雨寒でかなり涼しく感じます。
帰省のため、愛車のそばまで行くと、キーがないことに気がつきました。
「おかしいなぁ。持って出たはずなのに」・・。
部屋に戻って探しましたが、どうしても見当たらない。
情けない・・・。
時間がないので、とりあえずスペアキーを使おうとスペアキーを手にして、玄関の下駄箱の上を見ると・・・ありました!
そうだ!雨が降っているから、傘を出した時に置いたんだった!
(´ω`)トホホ(;´д`)
愛車に乗ってエンジンをかけると、エアコンから暖気が出て来ました。
冷房の車内温度設定は25度。
今の外気温が20度。
エアコンからは、温度を上げるために暖風が吹き出しています。
例によって、ガソリンスタンドに立ち寄り。
ガソリン代、この1ヶ月ぐらいは、少しずつ安くなっているような気がします。
TENのラスト興行の第2部。
入場するのに、やや混乱しました。
整理券を配るまでもないと思いました。
普通に、決めた時刻に開場すれば良いのにと。
他の部屋も利用していましたから・・・。
やはり指定席がいいと思います。
第1部と同じ席に座りました。
隣に座った方に声をかけられました。
何と東大落語会のOBで、学士会落語会でもお世話になっているUさんでした。
年間100回以上寄席や落語会に通っている方です。
入りは、第1部よりも第2部の方が良かったようです。
◇「糖質制限初天神」 鈴々舎馬るこ
◇「鰻の幇間」 柳家小八
◇「オコッペ本線」 古今亭駒治
中入りでは、ロビーでTENのグッズ販売に列が出来ていました。
私はあまり興味がありません。(ごめんなさい。)
Tシャツやトートバッグだとか・・・。
色紙(10人の寄せ書き)も1000円でしたが。
◆ 口上
◇「金魚の芸者」 柳亭こみち
◇「唐茄子屋政談」 古今亭文菊
10人のそれぞれの個性が出ていて、こういう落語会もたまには良いものだと思いました。
終演は、9時をかなり過ぎていました。
10人の皆さん、本当にお疲れさま。
2003年に前座になった10人の真打の会のラストイベント。
何となく∃は知っていましたが、基本的に群れるのが好きでない私ですから、群れるのを見るのも気が進まなかったので。
特に噺家さんと言うのは個人ですから、二人会や三人会はともかく、徒党を組むというのは・・・。
それに、同じレベルの人ばかり聴くのも詰まらないかと。
しかし、全員が欠けることなく真打に昇進し、発展的に最終回だと言うので、聴きに来ました。
ほとんどの人は、予選などで聴いたことがありますから。
第1部が始まりました。
◇「警察23時ごろ」 古今亭志ん五
◇「火焔太鼓」 桂三木助
◇「二階ぞめき」 柳家小平太
◆ 口上
◇「夏泥」 三遊亭ときん
◇「中村仲蔵」 柳家勧之助
それぞれの、またTENのファンも大勢いるんですね。
高くはなかろうとは思っていましたが、想像以上に惨憺たるものでした。
何と【0.6%】という数字。
気象庁も自治体も、事前にかなり頻繁に避難を促していましたが・・・。
やはり、危機がそこに迫っていても、スイッチがオンにならないんですね。
「自分だけは違う」「自分の家だけは大丈夫」「いよいよ危なくなったら逃げる」・・。
そう確信(盲信)しているんです。
それから、避難所の居心地も良くないから。
みんな贅沢になっているから、体育館の床には寝られないでしょう。
高齢者も多いから、健康上も辛い。
近隣の旅館とかホテルとか、宿泊設備のある場所を開放するとか、避難専用電車とかバスとかを作るとか。
とにかく、防災と減災の施策が不可欠です。
敢えて問題発言をしますが、避難指示を無視した結果死傷した人や行方不明になった人には、個別事情を勘案した上で、何らかのペナルティ(負担)を考えるのも仕方がないかもしれない。
避難しないで遭難した人を救助する人の危険やコストを考えたら、仕方のないことでしょう。
明治大学落語研究会創部60年記念の落語会があるそうです。
昭和35年(1960年) 明治大学の文化部の公式クラブとして創部されたそうです。
あぁ、それで「創部60年(60年目)」ということですか?
「学生のくせに落語なんて」―――
あの日から60年、たくさんの花が咲きました!
明治大学落語研究会創部60周年を記念して、明大落研OBの噺家・芸人が集まります。
こんな番組、最初で最後!
どうぞ見て行ってください!
「周年」と「年目」では違いますからね。
我が落研は、1959年創部ですから、今年で創部「60周年」。
明治大学は、1960年創部ですから、今年が創部「60年(目)」。
まぁ、そんなことはどうでもいいですが、この間に輩出した"人材"は、完封負けです。
キラ星のごとくの明治大学落語研究会の出身者。
昭和44年(1969年) 五街道 雲助 を 輩出
昭和48年(1973年) 三宅 裕司 を 輩出
昭和50年(1975年) 立川 談之助 を 輩出
昭和52年(1977年) 立川 談幸 を 輩出
立川志の輔 (コント赤信号)渡辺 正行と 小宮 孝泰 を 輩出。
昭和61年(1986年) 月亭 遊方 を 輩出
平成 9年(1997年) 立川 志ら乃 を 輩出
平成19年(2007年) 桂 竹千代 を 輩出 ・・・。
それに比べて、我が落研には、プロになったOBはいません。
八代目桂文楽師匠から高座名を頂戴した「桂 友楽」さんぐらい。
昭和54年(1979年) 金願亭 乱志 を 排出
これが最大の汚点になっているという・・・。
さらに・・・。
平成27年(2015年) 立川 志の輔師匠 が紫綬褒章を受章
平成28年(2016年) 五街道 雲助師匠 が紫綬褒章を受章
我が方は・・・。
平成24年(2012年)多趣味亭 こり生 が瑞宝双光章を受章
明治大学は、「明大落語会」。
我々は、「ホームカミング寄席 あおば亭」。
いいじゃないかマイナーだって・・・、人間だもの。
桂歌丸師匠が亡くなって1年経ちました。
歌丸師匠の地元「横浜橋通商店街」では、生前商店街の名誉顧問を務めていたこともあり、歌丸師匠の写真を使った垂れ幕が商店街のあらゆる所に掲げられています。
地元で老若男女から愛されていて、亡くなってから1週間で、約1万人の方の献花があった。
そんな経緯から、一周忌を迎えて、商店街事務局内で、歌丸師匠が使っていた着物や下駄、扇子などの私物を展示する。
そして、さらに商店街の一角に歌丸師匠のグッズを半永久的に展示する“記念館”を建設する予定もある。
すでに土地は確保しており、早ければ今秋に完成予定。
歌丸師匠のことだけでなく、日本固有の落語という文化を、外国人の観光客にも知ってもらいたいという狙いもあるそうで。
・・・偉くなったなぁ。
談亭志ん志師匠が、OBの皆さんに「ホームカミング寄席」のお知らせと出演者募集のメールを送ってくださいました。
さて、予てよりお知らせしておりますが、本年は東北大学学友会落語研究部が創部されて60年の節目を迎えます。
謂わば我等が落研が“還暦”を迎えることになります。
そこで、我等が落研の還暦を記念して「東北大学総務企画部社会連携課交友係」主催で開催されます“ホームカミングデー”において、初の試みで卒業生を対象として片平キャンパスにて開催されるイベントへの参加を打診しておりましたところ、事務局である「東北大学萩友会」から快諾を受けました。
詳細は今後詰めますが、開催は下記の要領となりますので落研OBの皆様には奮ってご参加いただきたいと思います。
つきましては、皆様の「ホームカミング寄席・あおば亭」へのご出演の可否を伺いたくご案内を申し上げます。
日時:令和元年9月28日(土) 10:30~15:30
同9月29日(日) 10:30~13:00
(時刻は準備及び片付けを含みます)
場所:片平キャンパス北門会館2F「萩友会ラウンジ」
(約30名収容可)
※北門会館は「第24回OB落語会」の懇親会で利用しました。
「ホームカミング寄席・あおば亭」にご出演頂ける方は、以下の内容を記載のうえ、ご返信くださいますようお願い申し上げます。
1.氏名&高座名
2.28日の演目(色物の場合も)および所要時間
3.29日の演目(色物の場合も)および所要時間
4.さらに複数の高座が可能な方は演目および所要時間 (一日のみの方は、2または3の何れか)
・・・初めての試みなので、どうなるのか分かりませんが、私もエントリーしなくてはいけません。
まず1.二代目金願亭乱志 ですと。
で、2.28日の演目
3.29日の演目
4.可能な演目 ・・2から4までは、まとめて答えます。
場の雰囲気やリクエストなどもお受けすることとして・・・。
①子ほめ 15分
②花色木綿 20分
③長短 18分
④怪談牡丹燈籠 20分
⑤五百羅漢 25分
⑥試し酒 25分
⑦長屋の花見 25分
⑧天災 25分
⑨百川 30分
⑩浜野矩随 40分
・・・としておきましょうか。
言うだけただですから。
ただし、全部浚っておかないといけませんが。
本当は、「文七元結」とか「明烏」とか「二番煎じ」なんかもと思いますが・・・、到底出来そうにありません。
何とか、盛会にしたいと思います。
OBも、現役部員にも大勢来てもらいたい・・・。
「独演会」や「ホール落語会」に比べて、「二人会(三人会)」の集客の難しさを痛感します。
読売ホールとか、有楽町朝日ホールとか、イイノホール等々の著名なホールは数百から1000席を超える規模になりますが、一般的には寄席も含めて、せいぜい300~350席程度です。
人気のある噺家さんの独演会のチケットは、大規模なホールでもすぐに完売になります。
ところが、人気のある噺家さんたちの二人会(三人会)の場合は、意外に直前でもチケットが買えたり、当日空席があったりする。
それぞれの独演会なら満席になるのに、どうしてなんだろう?
私は、とくに熱烈に贔屓の噺家さんがいて、追っかけをする訳ではありませんから、好きな噺家さんの組合せの二人(三人)会などは、とても楽しみです。
しかし、"〇〇師匠一筋"とか、"〇〇さんの大ファン"という方々は、意外にクールな感じがします。
それから、もう一つポイントになるのは、主催者(企画者・席亭)の力によるところもあるかもしれません。
公演の日時と場所だけでなく、前宣伝や露出、ターゲット観客の設定なども含めて、プロデュースが大事なんでしょう。
芸を披露するのは噺家さんですが、やはり、しっかりした企画やプロモーションがあって初めて・・だということでしょう。
ましてや、そういう点からも"闇営業"というのは、リスク管理の観点からも御法度だと思います。
私も何度も行ったことのある、全国チェーンのファミレスでの話。
どうやら関西の店らしいですが。
当日、何とスタッフがたった一人だけになる?
デフレの世の中で、効率化を追求して安価に商品を提供するというビジネスモデル。
人手不足が深刻になれば、このビジネスモデルは破綻します。
コンビニの24時間営業の破綻もそうですが、運営する会社の責任大だと思います。
ビジネスモデルを維持する最大のポイントである、安価な労働力の確保が出来ないなら、立ち行くはずがない。
それを、現場の人たちに押し付けているのは、完全なブラック企業だと思います。
これもそうですが、現場で働いている人たちが、実態を明らかにして行くことも必要だと思います。
宅配も、コンビニも、ファミレスも、身の丈以上のことをするからこういうザマになるんだと思います。
「浅草見番」のツイートがありました。
皆様、大変お待たせいたしました!
浅草芸者衆による「浅草おどり」が7年ぶりに浅草公会堂で公演させて頂く事になりました。
芸者衆による艶やかな踊り、幇間衆による粋なお座敷芸を披露します。
「浅草おどり」は江戸時代からつづく伝統の浅草花街の芸者衆が日頃みがいた踊りや演奏を披露する舞台。
今年は序幕で新元号「令和」の幕開けを祝った新作を上演。
赤坂芸者衆も遠出で応援に駆けつけます。
東京を代表する二つの花街の華麗な踊りや演奏をお楽しみください。
・・・田舎者の私には、別世界というか、踏み入れてはならない世界のような気もします。
そんなですから、知識もなければ、良さや素晴らしさも分かりません。
・・・実は、寄席に行って、粋曲や俗曲、ましてや清元だの新内なんて、全く分からない。
かっぽれや奴さんなどという寄席の踊りも、よく分からない。
雰囲気と「これが江戸なんだ」と思いこませて鑑賞しているのが本当のところです。
こういうものは、分からなくても、繰り返して観たり聴いたりしていれば、何となく良さが分かって来るものなのかもしれません。
私が今まで「廓噺」をやらなかったのは、上手く言えませんが、吉原というあ場所への違和感がインプットされていたからだと思います。
寿限無なら、こんなニュースにはならないでしょう・・・。
市川海老蔵さんの歌舞伎座での「七月大歌舞伎」の初日。
昼の部「外郎売(ういろううり)」では、長男の勸玄(かんげん)くんが貴甘坊(きかんぼう)役に挑戦。
約4分にわたる早口せりふを、つっかえることなく完璧に披露。
海老蔵さんが「そもそも早口の始まりは…」と水を向けると、会場が静寂に包まれる・・。
「武具馬具武具馬具三(み)ぶぐばぐ、合わせて武具馬具六(む)ぶぐばぐ」など早口言葉を連発。
長ぜりふを終えると、約2000人の観客が万雷の拍手を送った。
その後も親子で見えを切ったり、立ち回りも披露するなど6歳とは思えない堂々の演技を見せた。
「外郎売」は市川宗家のお家芸。
享保3(1718)年正月、江戸森田座の「若緑勢曾我(わかみどり いきおい そが)」で二代目市川團十郎によって初演された歌舞伎十八番の一つ。 口上は難解です。
拙者親方と申すは、御立会の内に御存知の御方も御座りましょうが、御江戸を発って二十里上方、相州小田原一色町を御過ぎなされて、青物町を上りへ御出でなさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門、只今では剃髪致して圓斎と名乗りまする。
元朝より大晦日まで御手に入れまする此の薬は、昔、珍の国の唐人外郎と云う人、我が朝へ来たり。
帝へ参内の折から此の薬を深く込め置き、用うる時は一粒ずつ冠の隙間より取り出だす。
依ってその名を帝より「透頂香」と賜る。
即ち文字には頂き・透く・香と書いて透頂香と申す。
只今では此の薬、殊の外、世上に広まり、方々に偽看板を出だし、イヤ小田原の、灰俵の、さん俵の、炭俵のと色々に申せども、平仮名を以って「ういろう」と記せしは親方圓斎ばかり。
もしや御立会の内に、熱海か塔ノ沢へ湯治に御出でなさるるか、又は伊勢御参宮の折からは、必ず門違いなされまするな。
御上りなれば右の方、御下りなれば左側、八方が八つ棟、面が三つ棟、玉堂造、破風には菊に桐の薹の御紋を御赦免あって、系図正しき薬で御座る。
イヤ最前より家名の自慢ばかり申しても、御存知無い方には正真の胡椒の丸呑み、白河夜船、されば一粒食べ掛けて、その気味合いを御目に掛けましょう。先ず此の薬を斯様に一粒舌の上に乗せまして、腹内へ納めますると、イヤどうも言えぬわ、胃・心・肺・肝が健やかに成りて、薫風喉より来たり、口中微涼を生ずるが如し。魚・鳥・茸・麺類の食い合わせ、その他万病即効在る事神の如し。
さて此の薬、第一の奇妙には、舌の廻る事が銭ごまが裸足で逃げる。ヒョッと舌が廻り出すと矢も盾も堪らぬじゃ。
そりゃそりゃそらそりゃ、廻って来たわ、廻って来るわ。アワヤ喉、サタラナ舌にカ牙サ歯音、ハマの二つは唇の軽重。
開合爽やかに、アカサタナハマヤラワ、オコソトノホモヨロヲ。
一つへぎへぎに、へぎ干し・はじかみ、盆豆・盆米・盆牛蒡、摘蓼・摘豆・摘山椒、書写山の社僧正。
小米の生噛み、小米の生噛み、こん小米のこ生噛み。繻子・緋繻子、繻子・繻珍。
親も嘉兵衛、子も嘉兵衛、親嘉兵衛・子嘉兵衛、子嘉兵衛・親嘉兵衛。
古栗の木の古切り口。
雨合羽か番合羽か。
貴様の脚絆も革脚絆、我等が脚絆も革脚絆。
尻革袴のしっ綻びを、三針針長にちょと縫うて、縫うてちょとぶん出せ。
河原撫子・野石竹、野良如来、野良如来、三野良如来に六野良如来。
一寸先の御小仏に御蹴躓きゃるな、細溝にどじょにょろり。
京の生鱈、奈良生真名鰹、ちょと四五貫目。
御茶立ちょ、茶立ちょ、ちゃっと立ちょ。
茶立ちょ、青竹茶筅で御茶ちゃっと立ちゃ。
来るわ来るわ何が来る、高野の山の御杮小僧、狸百匹、箸百膳、天目百杯、棒八百本。武具、馬具、武具馬具、三武具馬具、合わせて武具馬具、六武具馬具。
菊、栗、菊栗、三菊栗、合わせて菊栗、六菊栗。
麦、塵、麦塵、三麦塵、合わせて麦塵、六麦塵。あの長押の長薙刀は誰が長薙刀ぞ。
向こうの胡麻殻は荏の胡麻殻か真胡麻殻か、あれこそ本の真胡麻殻。
がらぴぃがらぴぃ風車。起きゃがれ小法師、起きゃがれ小法師、昨夜も溢してまた溢した。
たぁぷぽぽ、たぁぷぽぽ、ちりからちりから、つったっぽ、たっぽたっぽ一干蛸。
落ちたら煮て食お、煮ても焼いても食われぬ物は、五徳・鉄灸、金熊童子に、石熊・石持・虎熊・虎鱚。中でも東寺の羅生門には、茨木童子が腕栗五合掴んでおむしゃる、彼の頼光の膝元去らず。
鮒・金柑・椎茸・定めて後段な、蕎麦切り・素麺、饂飩か愚鈍な小新発知。
小棚の小下の小桶に小味噌が小有るぞ、小杓子小持って小掬って小寄こせ。
おっと合点だ、心得田圃の川崎・神奈川・程ヶ谷・戸塚は走って行けば、灸を擦り剥く三里ばかりか、藤沢・平塚・大磯がしや、小磯の宿を七つ起きして、早天早々、相州小田原、透頂香。
隠れ御座らぬ貴賎群衆の、花の御江戸の花ういろう。
アレあの花を見て、御心を御和らぎやと言う、産子・這子に至るまで、此の外郎の御評判、御存じ無いとは申されまいまいつぶり、角出せ棒出せぼうぼう眉に、臼杵擂鉢ばちばち桑原桑原桑原と、羽目を外して今日御出での何茂様に、上げねばならぬ、売らねばならぬと、息せい引っ張り、東方世界の薬の元締、薬師如来も照覧あれと、ホホ敬って外郎はいらっしゃりませぬか。
・・・師匠の創作「ういろう売り」にも、この口上が出て来ます。
若い子だから、意味が分からなくても近づくで暗記出来ると思いますが、もう・・だめ、そもそも覚えようという気持ちにならないし、覚えた直後から忘れてしまいます。
もう大相撲が始まるんですね。
やはり、本場所のインターバルが短すぎる気がする。
さて、悩ましいのは、先場所休場してカド番になった貴景勝。
右膝負傷で先場所を途中休場し、名古屋場所がカド番となる大関貴景勝が、師匠の千賀の浦親方に出場を直訴したが、師匠は休場を勧告。
朝稽古後、名古屋市内の宿舎で約4時間以上の話し合いは平行線で結論の出ないまま中断。
朝稽古後に貴景勝が親方に「出ます」と伝えた。
親方は首を縦に振らず、数分、稽古場で立ち話の後、宿舎に2人で入った。
カーテンは閉められ、延々とマンツーマン会談は続行。
午後2時15分、イベント出演のため、大関は宿舎を出たが、無言で迎えの車に乗り込んだ。
親方によれば、貴景勝は「どうしても出たい」、「出させて下さい」、「お願いします」と必死の訴えだった、という。
親方は「稽古が万全じゃない。休場しろ。師匠として出させるわけにはいかない」と説得したが、本人は意思を変えることはなかった。
先送りとなったが時間はない。
取組編成会議が5日の朝に行われるため、それまでに出場可否を決定する必要がある。
貴景勝がイベント出演、治療を終えた後、再び宿舎に戻り、師弟で話し合いの続きを行い、この日の夜には結論を出す予定だ。
貴景勝は名古屋入り後、基礎運動を慎重に行い、2日から若い衆を相手に相撲を取る稽古を再開させた。
「出るつもりで名古屋に入った。違和感があったら名古屋に来ていない。痛みはない」と回復を訴えたが関取衆相手に実戦稽古を詰めるまでには至らなかった。
親方は「なんせ稽古していない。ぶっつけでいって取れるほど相撲は甘くない。全休ですよ。若い力士とぽろっとやっただけで相撲勘は戻らない」とキッパリ。
先場所も再出場し1日で再休場するなど、師弟で見通しの甘さを問われただけに同じ過ちを繰り返すわけにはいかない。
「大関なんだから、また途中休場したらファンががっかりする」と、親方も安易に出場を許可する考えはない。
私は、千賀の浦親方のスタンスを支持します。
症状が正確には分からないから、断定的に言うことは出来ませんが、稀勢の里のこともありますから。
まだまだ若いから、十分リカバリーできると思います。
新大関の場所に怪我、翌場所休場して絵大関陥落だなんて、本当に気の毒。
やはり、場所(取組)の回数を減らすとか、全体を考え直さないと、力士の身体がもたないと思います。
みんな満身創痍だそうですから。
「取り組み方改革」取り組みをしないと・・・。
梅雨前線、動きそうもありません。
6日(土)は、梅雨前線は低気圧を伴い九州南岸付近まで北上するため、再び宮崎県や鹿児島県本土でも雨が降りやすくなります。
九州南部は6日の雨の降り方にご注意下さい。
その後、7日(日)から9日(火)は、梅雨前線は九州の南海上にほとんど停滞しますが、10日(水)から11日(木)は、梅雨前線が再び九州を北上する見込みです。
前線の活動によっては大雨になるおそれがあり、警戒が必要です。
特に、九州南部や熊本県は、今後少しの雨でも土砂崩れなどの災害が発生するおそれがあり、油断できない状況が続きます。
梅雨明けどころか、ますます水浸しになりそうです。
既に地下(中)に多量の水を既に含んでいるはずですから、見えないだけに恐怖です。
隣町の市川市のニュースです。
千葉県市川市は、市長と副市長の公用車として導入した米電気自動車(EV)大手テスラのスポーツ用多目的車「モデルX」(車両価格約1100万円)を公開。
市は環境保護に取り組む姿勢をアピールできるとして同社のEV導入を決定。
ただ、「高額すぎる」などとして導入の見直しを求める決議が市議会で可決されており、今後、市民に対して丁寧な説明が求められそうだ。
モデルXは4月に発足した「いちかわ未来創造会議」の今後の取り組みの発表に合わせて、公開された。
同会議では企業や大学などの協力を得て生活環境まで視野を広げた“健康なまちづくり”をテーマに社会実証実験を行う。
市長は「新しい方向性を先進的に示していくため、電気自動車を導入した」と語った。
テスラ車の導入は、市長・副市長の公用車(国産車)2台の更新時期を見据えて、決定された。
モデルXについては既に入札が行われ、8年間のリース料が現在の国産車の2倍を超える月額13万2000円(税別)となった。
セダンの「モデルS」の入札は近く行われる予定だ。
市議会は既に導入予算案を可決しているが、市議の一部が「市民と議会に対して十分な説明もないまま、多くの市民にとってなじみのない外国製高級車両を導入すること自体に抵抗感を感じる者も多い」と批判。
6月27日の市議会で「導入見直しを求める決議」が審議され、賛成21票、反対20票で可決された。
・・・やはり違和感がありますよね。
環境保護に取り組む姿勢をアピールするのが目的だと言うなら、国産の「日産リーフ」がベストでしょう。
これが「リーフ」。
また、「リーフは大衆車なので公用車として相応しくない」というような前時代的な言い訳があるなら、SUV【スポーツ・ユーティリティ・ビークル(Sport Utility Vehicle)】も相応しくないでしょう。
ドアが”ガルウィング”だなんて。
反対されたり、SNSが炎上するのは当然だと思います。
千葉県なんだから「リーフ」ですよ。
市川(一か)八か、テスラ導入を決めたが、反対が多いようなので、市川(一から)考え直さないと・・・。
・・・で、こんなことを言っていたら、あのベンツが10月に電気自動車を発売するようですよ。
「メルセデス・ベンツ」が今年10月に日本で電気自動車を発売。
来年には「トヨタ自動車」や「ホンダ」も国内発売を検討していて、各社の相次ぐ参入が電気自動車の普及につながるか注目される。
発売されるのは、やはりSUVの「EQC」。
価格は1080万円から1200万円。
前後に2つのモーターがあり、1回の充電で400キロ走行が可能。
九州の大雨で、避難指示の対象は100万人だそうです。
そりゃぁ、自分の命を守るためにも、とにかく避難しないといけないんでしょうが、100万人も避難出来る場所があるんでしょうか?
どうすれば、命を守ることが出来るのか?
「佃祭」のようになりやしないかと、心配になりますが・・。
江戸川区のハザードマップの表紙が評判になっています。
「ここにいてはダメです」・・・。
雨が降り始めてからエリア内に避難するのではなく、降る前に他の場所に移動することですね。
そのためにも、天気予報の精度をさらにアップさせて欲しい。
私の町のハザードマップによると、実家は「避難所設定困難」。
要するに、「逃げようがありません」ということ。
前は川、裏は山、高台や広場はなし・・・。
教師でありながら、学習効果のないバカ者がいました。
いい歳をして、全然自分の立ち位置を理解していない。
偏差値70の県内ナンバーワンスクールの教頭です。
6月に実施された香川県立高松高校の修学旅行で、引率の男性教頭(59)と男性教諭3人(40~50歳代)が昼食時に飲酒していたと、県教委が発表。
校長は「あってはならないことで、指導を徹底し、信頼回復に努めていきたい」と話している。
旅行には2年生約320人が参加し、6月19~22日に北海道の札幌市や小樽市などを訪問。
教頭以下教員14人が引率した。
最終日の小樽市で生徒たちの自由時間中に、引率教員全員がすし店で昼食をとり、その際、4人はそれぞれ中ジョッキで生ビール1杯を飲んだ。
・・・そもそも修学旅行の引率は、物見遊山ではなくて仕事。
どの面下げて教育をするのでありましょうか?
旅の恥はかき捨て?
教頭は「悪いと思っていたが、つい飲んでしまった。反省している」と謝り、同席した生徒指導の教諭は「やめてくださいとは言えなかった」と話したという。
こんな奴が生徒指導だなんて、ブラックユーモアです。
県教委は「教諭らに事実確認を行い、処分も含めて適切に対応する」としている。
厳罰でしょ?
勤務中の飲酒なんですから。
前から、市町村職員や教員がバカをやって批判されているのだって見ているでしょうに。
学習させる立場の者に学習効果がないんだから、生徒たちがかわいそう。
父兄や市民からも批判が高松(高まっ)ているでしょう。
7月17日(水)午後8時のBSプレミアム。
夏と言えば「三遊亭圓朝」なんですね。
こんな内容の番組が放送されるそうです。
英雄たちの選択
「名人円朝 新時代の落語に挑む!
~熊さん八っつぁんの文明開化~」
「怪談牡丹燈籠」「真景累ケ淵」などの怪談ばなしで、幕末から明治初期に人気を集めた落語家・三遊亭円朝。文明開化の新時代に、彼に迫られる選択とは?
文明開化の時代になっても、寄席は大衆のメディアとして、人気を集めていた。
これに目をつけた新政府は、当時、人気実力ともに群を抜いていた円朝を「落語家頭取」に任命、庶民を文化的に啓蒙する役割を担わせようとする。
新たなはなしの創作を迫られた円朝。
引き続き怪談ばなしにこだわるか立身出世物語に大きく舵を切るか?今回は、“熊さん八っつぁんの文明開化”。
新時代の演芸に挑む名人三遊亭円朝の奮闘に迫る。
・・・面白そうですね。
忘れないようにしなくては。
帰りの電車で、車内放送で「声かけサポートキャンペーン実施中!」とのアナウンス。
これは当然と言えば当然で、改めてキャンペーン(運動)にすることもなかろうとは思います。
しかし、これって誰がやるの?
JRの社員の人たちが声をかけるの?
それとも乗客や利用者に声かけをやらせるの?
乗客や利用者にやらせようと言うなら、「声かけお願いキャンペーン」ですよね。
まぁ、どうでも良いことですが。
生のアナウンスの後で、英語・中国語・ハングル語の順で、同趣旨(と思われる)のテープが流されました。
ハングル語で「・・・スミダ」と流された時、なぜか電車は江戸川を渡りました。
隅田川ではなかった・・・。
まぁ、どうでも良いことですが。
このフレーズ、説得力がないと思えませんか?
だって、「令和」ってまだ2ヶ月しか経っていないんですから。
「明治」なら45年、「昭和」なら64年、「平成」だって31年、長い間にも稀なことだから、"最大級"に迫力が出て来るんですよ。
令和最大級ってことは、何につけても、とにかく令和になって最大なことというのだから、あんまり大したことになさそうに思えるのは、天邪鬼な私だけでありましょうか?
例えば、ある競技で20人が出場していて、まだ2人しか登場して演技が終わっていないのに、「素晴らしい!第2位ですよ!」って言っているみたい?
それから、ここ数年、天気予報で「数十年に一度の●●」と"毎年""毎回"言われているのも、何とも納得しづらい。
「ここ数十年では最悪レベルの●●」という意味でしょ?
三遊亭金馬師匠親子の襲名が発表されました。
三遊亭金時改め五代目三遊亭金馬。
四代目三遊亭金馬改め三遊亭金翁。
襲名は、2020年の秋、東京オリンピックの後です。
その時には、現金馬師匠は91歳です。
そう言えば、104歳の三味線奏者の女性がCDを発売したというニュースも見ました。
現役最年長104歳の長唄三味線奏者の杵屋響泉(きねやきょうせん)さんが、超遅咲きのCDデビュー。
10日には国立劇場で開かれる長唄協会の演奏会で半年ぶりに舞台に上がり、娘の杵屋六響さん、孫娘の杵屋和久さんと共演する予定。
・・・凄い・・。
響泉さんは、明治から大正初期に活躍し歌舞伎座で立三味線も勤めた五世杵屋勘五郎の長女。
幼くして死別した父から短期間、手ほどきを受けて長唄を始めた。
関東大震災や空襲も経験したが、神奈川県小田原市を拠点に演奏を続け後進を育成してきた。
100歳を超えて現役を続ける姿に感動したプロデューサーの依頼で昨年秋、父が作曲した「賤の苧環」「多摩川」を始め4曲をスタジオ収録した。
録音時の数え年をタイトルにしたCDが4月に発売され、購入者から感想の手紙が届く。
「できないながらも一生懸命やりました。うれしゅうございます。仏様に向かってお礼を言っております」
これぞ、「人間」国宝ではありませんか?
それを思うと、金馬師匠もまだまだ若い、若い。
日本一混雑する新宿駅西口地下広場のランドマークとして知られているのが「新宿の目」です。
かつて新宿のオフィスに通っていた頃には、この”目”を”乱志”がいつも”横目”で見ながら歩いていましたが。
その「新宿の目」が何者かによって破損させられ、所有する小田急電鉄(へぇ、そうだったんだ)が被害届を提出したそうです。
現物は、かなり大きくて、ややグロテスクな気もしますが、慣れてしまえばという物。
目の中央右側に約20センチの傷があり、表面が剥がれていて、現在は破損部分は紙で覆われているようです。
いやはや、緑内障になったみたい。
視野検査をすると、かなり見えない部分が出ていることでしょう。
新宿の目は、彫刻家宮下芳子氏の作品。
高さ3.4メートル、幅10メートルのアクリル製。
1969年に同駅西口地下広場にあるスバルビル地下1階外壁に設置され、待ち合わせ場所として親しまれているほか、映画などにもたびたび登場している。
金願亭乱志のマーク?
言葉、日本語と言うのは難しいものです。
海の向こうでは、下着の商品名に「KIMONO」という名前をつけて問題になっています。
「KIMONO」(キモノ)という言葉を冠した補整下着ブランドを先週発表し、日本などから批判が相次ぎ、反対運動の高まりを受けて、名称を変更することになったようです。
「KIMONO」は商標登録も申請されており、「日本文化の盗用」などと反発が広がった。
インターネット上では「#KimOhNo」(キム、オーノー)のハッシュタグ(検索用の目印)を付けた反対運動が展開され、商標登録への反対を呼び掛けるネット上の署名への賛同者は13万人を超えた。
KIMONO=着物と下着、それも海外の・・・、確かに必然性もは感じない代わりに違和感を感じてしまいます。
日本人のメンタリティからは、ちょっと許容できないと思います。
表現の自由というのは大切ですが、何でも許されるものではなく、リスペクトや配慮が必要だと思います。
だから、先日の「ドサ周りin仙台」にも腹が立ったんです。
自分だけでなく、相手(受け取る側)がどう感じるか・・・。
もうひとつは、中日ドラゴンズの応援歌「サウスポー」使用中止の問題。
言葉は、言う(書く)側と聞く(読む)側で、また一人ひとりの思いも違いますし、シチュエーションも多様ですから、多くの感じ方があるのは仕方のないことです。
個人的には、差別や虐待や攻撃をする意図も状況でもなく、他の場面でも使われている言葉ですから、何も使用を禁止することもなかろうと思いますが・・・。
言葉の語源や歴史、その変遷を考えても、ここまで縛られると、にっちもさっちも行かなくなりますよ。
落語で「お前さん」なんて言えなくなる?
三遊亭圓生師匠の「御前公演」も駄目?
私にすれば、それならば、例えば「ヤバい」だとかの汚くて下品な言葉や、変なイントネーション言葉をこそやめてもらいたい。
https://www.youtube.com/watch?v=5-sgV-nElZ0
こんな動画がありました。
もう一つ解せないのは、この与田監督のコメントです。
そもそも与田監督が、違和感や問題ありと言ったんですよね。
それなのに、「使用禁止になってしまいました」はないでしょう?
それならば、正しい日本語は「使用禁止にしていただきました」とか「使用禁止とさせていただくことにしました」でしょう。
不倫の前科で、ちょっと頭が上がらないかもしれませんが、奥様はアナウンサーだから、正しい日本語を指導してもらって欲しい。
これは最近の日本語の悪い傾向の一つです。
これは、「コーヒーになります」だとか「禁煙になっています」というのと同じ、責任回避や曖昧にする表現ですよ。
「おい与太(与田)、”お前”そんなことを言ったらダメじゃないか」と、大家さんが注意(中日)してました。
「うるせぇなぁ」とか「うざったいなぁ」と言われるかもしれませんが。
先日の「新入部員顔見世落語発表会」で、ちょっと気になる点がありました。
1つは、新入部員が高座で使用していた扇子です。
全員が、所謂「高座扇」ではなく、何て言うんだろう、踊りで使う「京扇子?」でした。
こういう型の白扇です。
閉じるとこんな感じ。
開くとこんな感じで、親骨の幅よりも紙の扇面の方が広くなっています。
「高座扇」との最大の違いは、扇を閉じた時の形です。
高座扇は、親骨が太く、要部分から先に向かって少しずつ広がって行きます。
そして、閉じると、扇面は親骨と同じ幅に収まり、形が崩れにくくなっています。
やはり、高座扇を使ってもらいたいと思います。
特に、扉を叩く時の仕草などでは、親骨の細い白扇だと壊れやすいですし、白い扇面も汚れやすくなりますから。
・・・それから、一部男子部員の髪の毛が長かった気がします。
丸刈りや角刈りみたいにする必要はありませんが、せめて耳は出して、額に髪がかからないように。
我々も、顔見世落語発表会の時には、直前に先輩から「床屋に行って来い!」と言われて、慌てて行ったのを覚えています。
そうそう、大橋の袂にあった床屋さんに行きましたよ。
あまりうるさいことを言うと、「あっち行って頂戴!」って、どこかの落研の誰かの高座名みたいで、嫌われてしまうから気をつけよう。
「ビアノ買って頂戴!」って言ってる人もいましたが。
このお2人も、寄席を大事にしながらコアなファンがいるベテランの師匠です。
7月27日(土)の「長崎寄席」は、「吉窓・扇遊二人会」。
長崎と言っても九州ではなく、東京都豊島区東長崎です。
もう随分前から開催されている落語会のようですが、ちょっと遠いのでお邪魔したことはありません。
ただ、東長崎は叔父も住んでいますし、妹も学生時代に、私も会社の独身寮が近かったので、非常に親しみのある場所です。
それに、3月まで通っていた千早地域文化創造館は隣町でした。
全席自由席で、来場順だそうで、「早めにご来場を」ということなので・・・、ちょっと迷っています。
それでも、吉窓さんは圓窓師匠の総領弟子で、よくお会いしますし、扇遊師匠は静岡県熱海市のご出身で、大好きだった扇橋師匠のお弟子さんだし・・・。
噺家さんにも色々なキャラや考え方があって、マスコミ受けして華々しい人、ホール落語を中心に全国各地に出て行く人、昔ながらの寄席中心の活動をしている人、普段何しているんだか(どうやって食っているんだか)分からない人・・・。
ずっと、ブログを拝読させていただいている「柳家小袁治」師匠は、いかにも噺家さんという雰囲気で、決して派手ではないものの、寄席を大切にしていらっしゃいます。
落語協会の噺家さんだけでも何百人もいらっしゃる中で、頻繁に寄席にご出演されているのは、席亭やお客さんからの評価も高いからだと思います。
7月の中席の昼席では、新宿末廣亭の主任をお勤めになります。
池袋演芸場での独演会も3桁の回数を続けていらっしゃる。
一方、とても初々しいのは、池袋演芸場6月の下席で、昼席の主任を勤めた「柳家勧之助」さん。
昨年真打昇進したばかりですから、席亭の抜擢だと思います。
しかし、聴く側は何気なく思うだけですが、ご本人にとっては、一生のうちでも数少ない出来事で、緊張の極致だったようです。
それこそ食事も喉を通らない状態だったそうです。
10日間、立派に勤め上げられたようで、まことにおめでとうございます。
聴く側も、嫁取りやラーメンや大喜利で騒いでいる噺家さんばかりを見るのではなくて、こういう地道な噺家さんたちによって、落語界300年の骨格が支えられているんだということを分かって欲しいなぁ・・・。
鈴々舎馬桜師匠から、直接メールでご案内いただきました。
「第六回 鈴々舎馬桜夏の独演会」
~池袋特別公演・夜の部
令和元年7月26日(金)18時開場・18時30分開演
|、開口一番 前座
|、たがや 馬桜
|、曲独楽 紋之助
|、鰻の幇間 馬桜
中入り
|、立ち切り 馬桜
案内メールの内容を拝見して感じたこと。
番組では「中入り」になっています。
圓窓師匠からも「仲入り」でなく「中入り」が正しいと言われて、
「お江戸あおば亭」も「深川三流亭」も「中入り」にしています。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2017/01/post-84e0.html
落語界でも学究派というか理論派というか博識な馬桜師匠も、「中入り」と使っています。
だから、やはり「中入り」なんですよ。
【中入】
大相撲で取組の途中に入れる休憩のこと。
寄席など、相撲以外の興行でも使われる。
能や狂言では、前半が終了して一旦シテが退場する際に中入と呼ばれることがある。
フランスでは熱波だそうです。
世界各地で起こる異常気象。
氷河が溶けるペースが今までの2倍になっているとか・・・。
日本でも、先月の下旬からずっと「大雨」が続いているようです。
台風が突然発生して、あっという間にまっすぐに日本列島に近づいて、列島をかすめて行きました。
そんな中で、この「大雨警戒レベル4」が頻繁に発せられています。
にも拘わらず、その反応の極端な鈍さが問題になっています。
こんなに頻繁に危険な状態が起こるというのは、異常気象で想定していなかったという面もあるかもしれませんが、防災対策を怠っていたことの証左でもある気がします。
この間、どこか忘れましたが、地震が起きて避難させた場所が、かえって津波には危険な場所だったりして。
とは言え、結局非難が無駄になっても、これは無事だということなんですから、迅速に勧告に従うことも必要だと思います。
被害に遭ってから、自治体や消防などの対応に文句を言う人もいるようです。
第169回新入生顔見世落語発表会。
何と、新入部員10名のうち9名と2年目の初高座1名、合計10名の初高座でした。
◆開演ご挨拶
◇「かぼちゃ屋」 算数亭数学(すうがくていさんすう)
◇「猫の皿」 撃墜亭空後(げきついていくうご)
◇「目黒のさんま」 鉄乃多々良(まがねのたたら)
◇「転失気」 軒休者撫楽(けんきゅうしゃぶらっく)
◇「親子酒」 水亭稔保(すいていねんぽ)
◇「一目上がり」 檸檬乃衣玲紋(れもんのいれもん)
◆中入り・口上
◇「平林」 午後乃舞刀(ごごのむとう)
◇「看板のピン」 辰乃落吾(たつのおとしご)
◇「寿限無」 安全亭番頭(せーふていばんと)
◇「子ほめ」 芋亭漢(いもっていおとこ)
◇「松山鏡」 天派亭来々(てんぱていくるくる)
4年生のトリの写真を撮るのを失念してしまいました。
ごめんなさい。
ご贔屓も何人も来てくださり、暖かい目で笑ってくださいました。
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
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