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2019年6月17日 (月)

吉住万蔵

広瀬和生さんの評論です。
立川談春さんの「吉住万蔵」について。
立川談春が座席数1082の浅草公会堂で5月に3日間連続の独演会を始めたのは2017年のこと。
今年は6~8日で、ネタ出しは『吉住万蔵』。
これには驚いた。
『吉住万蔵』は六代目三遊亭圓生が講釈師の四代目邑井貞吉から教わって独自に磨き上げ、新たにサゲを考案したもの。
スタジオ録音が「圓生百席」にCD2枚分で収められているが、実際に圓生が観客の前で演ったのは3回くらいだという。
圓生以降ほとんど誰も演ろうとしない、非常にレアな演目である。
江戸の鳴物師、吉住万蔵が熊谷の扇屋という宿屋の娘お稲と一夜を共にし、再会を約束して江戸に帰っていく。
やがてお稲のことは忘れてしまった万蔵だが、高崎への旅の途中ふと思い出し、熊谷に寄ってみるとお稲が万蔵の子を宿して自害したと聞かされる。
寺の住職は万蔵に「怨霊にとり殺されたくなければ墓の前で念仏を唱えて通夜をしろ。ただし通夜の最中に声を出したら命はない」と言う。
万蔵は通夜をするが、耳元で「悔しいー」という声がして思わず声を上げると目が覚めた。
お稲の自害は夢だったのだ……というのが前半。
圓生の弟子の圓窓は、これを夢にせず、万蔵が死ぬ『通夜の烏』という怪談噺として演じた。
悪夢を見た万蔵が慌てて熊谷に行くと、扇屋は破産して一家は江戸に行ったという。
その後万蔵は吉原で花魁となったお稲と再会、いい仲になるが、お稲に起請文をもらった勝吉という客が嫉妬に狂い、お稲を刺し殺して無理心中。
親戚一同でお稲と勝吉を一緒に埋めた。
お稲の戒名を借りてきた万蔵が自室で通夜をして、戒名に「あの世で一緒になろう」と語りかけると、途端に蝋燭の火が伸びて、戒名を燃やしてしまった。
実はその戒名、お稲ではなく勝吉のものだったのである。
「その言葉を聞いたら、勝吉が妬ける(焼ける)のも当たり前だ」でサゲ。
誰も演らないのも無理はない。まず前半は演じるのが難しく、後半はお稲があまりに可哀相で、現代の観客の共感は得られそうにない。
その「儲からない噺」に談春は大舞台で果敢に挑み、見事に「万蔵とお稲の純愛物語」として描いた。戒名に万蔵が語りかける場面は、談春の『たちきり』で位牌に語りかける若旦那にも通じる「誠」が感じられて、実にいい。
ここで万蔵にグッと感情移入できるので、あのサゲが心地好いカタルシスを与えてくれるのである。
この噺で、こんなに素敵な感動の余韻を与えてくれるとは凄い。
談春によって『吉住万蔵』に新たな生命が吹き込まれた。
・・・この中にも出て来ますが、圓窓師匠は、圓生師匠「吉住万蔵」を改作して「通夜の烏」として演っています。
吉住万蔵は江戸の鳴り物師で、小鼓で身を立てている。
ある年、上州へ巡業の帰途、
一人でのんびりと熊谷に宿をとる。
その宿の娘お稲が弾く三味線の音に聞き惚れて、思わず小鼓を取り出して合いを打つ。
ほどなく、お稲は手すさびの三味線に合いを入れてくれた礼に万蔵の部屋を訪れ
る。
両親も喜んで酒肴を差し入れる。

「三味線を弾きだすと、なぜか烏が集まって鳴くんです」と言うお稲の話から、万蔵は「烏は芸がわかるんだよ。江戸に出て修行しないか」と誘う。
お稲は「一人娘の身でそれはできません」と寂しそうに断わる。
万蔵は「じゃ、あたしのほうから小鼓を打ちにくるよ。とりあえず半年後にはくるから」と約束をして、その夜、ごく自然に懇ろになる。
それから半年、そんな約束もすっかり忘れていた万蔵、旅の途中、熊谷にやってくる。
思い出してお稲の宿に泊まろうとするが、なんと、忌中。

斜す前の宿に泊まって様子を聞くと、「お稲さんが亡くなり、今日が葬式です」という。
ほどなく葬列が出てきて宿の前を通る。
二階からそれを腕組みをして見下ろす万蔵。

その晩、その寺から小僧が使いが来て「二階にお泊まりの男の方に和尚が話がある、とのことで、お迎えに来ました」と。
 妙だと思ったが、出かけると、和尚は「あなたは吉住万蔵さんではないか」と言う。
そうではない、と隠すが、帰りがけに和尚が「万蔵さんだったら、三日の命だ」と呟くのを聞いて、身分を打ち明けて話を聞く。
和尚は、葬列を二階から眺めていた万蔵を、それと間違いないと感じて呼んのであった。
和尚は語り始めた。
「実は、お稲は万蔵の子を宿していた。それから顔を見せない
万蔵を恨んでいた。お腹の子は誰だと両親に責められても、打ち明けられず、井戸に身を投げてしまった。あとに万蔵恋しと書いた沢山の出せずに残した手紙が出てきた。その怨念で万蔵は死ぬであろう」と。
万蔵は「なんとか助けて貰えないか」と頼むと、和尚は「一つだけ手だてがある。
今夜から三晩、九つになったら、お稲の墓前で、一心に念仏を唱えて通夜をせよ。明け六つには、烏も鳴くから、念仏を終えて寺の庫裏に戻り、休むがよい。但し、念仏の間は念仏以外の言葉を決して発してはならない。それができれば祟りを払うことができ、命は助かるであろう」と答えた。
万蔵、必死になってこれを実行する。
三晩目。
もう、体はふらふら。しかし一心不
乱の念仏。
明け六つ。
烏が鳴き出した。

最後の南無阿弥陀仏を唱えて、万蔵は思わず「ああ、助かった」と言った。
途端に
天候が急変し俄かの落雷。万蔵は打たれて絶命する。
このあと、和尚と小坊主の話し合っている。
和尚「どうして急に落雷があったのかな」
小坊主「それはわかりませんが、今朝の烏は可変しかったです。夜の明けないうちに鳴き出しました」。
そして、こんなコメントをしています。(圓窓のひとこと備考)
この噺の基は圓生が講談の邑井貞吉に教わった[吉住万蔵]という長ったらしい作品である。
それをあたしが削り込んで演出を工夫し、新しい形の怪談噺にした。

怪談は怨念が幽霊などの形で相手に取りつくというのが普通だが、この噺には幽霊は出ず、無形の怨念のみが活躍する。
形になれば却って演りやすいと思うが、無形の
ままの怨念を描くというのはちと難しい演出になる。
和尚が葬列の先頭で宿屋の二階を見上げ、万蔵と目を合わせるシーンに迫力を出すのが、噺の一つの山場。
そして、謎めいた落ちも希少な形。

以前、浄土真宗の関係者からのリクエストでこの噺を演ったことがある。
その折、
「万蔵はちゃんとお念仏を唱えたのですから、死なないようにしてください」との感想を貰ったことがある。
「ハッピーエンドで終らないものドラマの一つです」と返答をしたものの、信者側からしてみれば、救命を願いたいところだろう。
[鰍沢]の落ちの「お材木(題目)で
助かった」の例もあるこったし……。

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