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2019年5月20日 (月)

守・破・離

学生時代に4年間落研に在籍し、社会人になってからはほとんど落語から離れていたものの、13~14年前に戻って来ました。
落研からのご縁で、直後から、大看板の三遊亭圓窓師匠から指導を受けるようになりました。
落語を「聴く・演る・読む(書く)」ことを通じて、落語に対する思いはさらに強く深くなりました。
「落語が上手くなりたい」。
10年近くなる頃から、師匠から言われた「落語を活字で覚えない」ことを念頭にして来ました。
間もなく、持ちネタが50になります。
すぐには出来なくても、ちょっと準備をさせてもらえば、全て演ることが出来る自信も芽生えています。
千利休の「守破離」という言葉が、とても心に響くようになりました。
「守破離」というのは、もとは千利休の訓をまとめた「利休道歌」にある、「規矩作法 り尽くしてるともるるとても本を忘るな」を引用したものとされている。
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修業に際して、まずは師匠から教わった型を徹底的に「守る」ところから始まる。
師匠の教えに従って修業・鍛錬を積みその型を身につけた者は、師匠の型はもちろん他流派の型なども含めそれらと自分とを照らし合わせて研究することにより、自分に合ったより良いと思われる型を模索し試すことで既存の型を「破る」ことができるようになる。
さらに鍛錬・修業を重ね、かつて教わった師匠の型と自分自身で見出した型の双方に精通しその上に立脚した個人は、自分自身とその技についてよく理解しているため既存の型に囚われることなく、言わば型から「離れ」て自在となることができる。
このようにして新たな流派が生まれるのである。
「本を忘るな」とあるとおり、教えを破り離れたとしても根源の精神を見失ってはならないということが重要であり、基本の型を会得しないままにいきなり個性や独創性を求めるのはいわゆる「形無し」である。
「型がある人間が型を破ると型破り、型がない人間が型を破ったら形無し」と語られる。
十八代目中村勘三郎の座右の銘「型があるから型破り、型が無ければ形無し」としても知られる。
個人のスキルを表すため、茶道、武道、芸術等、あるいはスポーツや仕事等々において様々な成長のプロセスに用いることが出来、以下のように当てはめることができる。
【守】:支援のもとに作業を遂行できる(半人前)。
    ~ 自律的に作業を遂行できる(1人前)。
【破】:作業を分析し改善・改良できる(1.5人前)。
【離】:新たな知識(技術)を開発できる(創造者)。
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落語でも、こんなふうに例えられてもいました。
【守】:古典落語を忠実に表現することができる。
【破】:古典落語をより面白くアレンジすることができる、あるいはよりわかりやすく表現することができる。
【離】:経験を活かし新作落語を作ることができる。あるいは、落語から進化した新たな芸風を作ることができる。
・・・古典落語、新作落語ということではなく、知識や技量のないのに、「落語だ」なんて言って、大ネタやくだらない笑いをやって悦に入っている人に聞かせたい。

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