落語のフラ
「窓口さん(越児さん・新参さん)には、何とも言えない"フラ"がある」と、落語っ子連の稽古で、師匠がよく仰います。
「フラがある」・・・、「フラ」。
例えば、古今亭志ん朝師匠が、父親の五代目古今亭志ん生師匠を評して、「親父の持つ独特な雰囲気、あれあたくしのほうでは"フラ"っていうんですが、ふっと笑いたくなるようなおかしみね、それは勉強してできるもんじゃないんです」と。
「フラ」というのは、落語界の用語で、「どこともいえないおかしさを」のこと言います。
天分のようなものだから、稽古で得られるものではない。
うまさとも別で、フラがあるから名人になれるとも言えないが、芸人の素質にかかわる褒め言葉です。
・・・窓口さんと越児さんと新参さんには、この「フラ」があると仰る訳です。
醸し出す雰囲気、なんだか可笑しい人、口調・・・。
ところが、私は、この"褒め言葉"を、師匠だけでなく、他の方からも言われたことがありません。
天性のものだと言われれば、諦めるしかありませんが、確かに、自分に一番欠けている部分だと言うことは、ずっと前から認識してはいます。
一生懸命に稽古したからと言って、フラが出て来る訳ではないのが歯痒い。
ところが、一方で、落語家のフラは努力して作り上げていくものだと言う人もいるようです。
努力を感じさせるとフラではない、努力の跡を見せずに自然なトークに仕上げると、フラと呼ばれる雰囲気が醸し出されてくるのではないでかと。
「努力の跡を見せずに自然なトークに仕上げる」ことですね。
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