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2019年4月 5日 (金)

千早亭永久「五百羅漢」

2015年9月の「千早亭落語会」では「五百羅漢」でした。
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自分で、こんなコメントをしています。
本来であれば、稽古で師匠に聴いていただいてから演るべきですが、いかんせん、数日前まで読み稽古状態でしたから、筋や演出を変えるなど思いもよらないことでした。
前半の夫婦とのやり取りでは、迷子になった女の子は、夫婦2人の会話で描き、逆に後半では、女の子に台詞を言わせること。
時間の制限を言われていたので、筋の関係のない部分やくすぐりを大幅にカットしたこと。
そして、これが最大の試みですが、後半の地噺部分を極力台詞にして、再会出来た親子の会話で表現したこと。
これは、師匠から読み稽古の時に、「後半五百羅漢寺には夫婦で行くことにしたら…」と、高座本とは違う演出をアドバイスされたこともきっかけになりました。
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高座本では行かなかったおかみさんを、どのような形で描くか、新しく拵えなければいけなくなったことがスタートでもありました。
そして、実は、追い込まれて、地噺の部分がなかなか覚えられず、台詞で誤魔化そうとしたというのが、最後の本音でした。
…予想以上に好評?でした。
ワッフルさんは、私の後に高座に上がっても、涙が止まらなかったようです。
閉演後の打ち上げの時に、師匠にお詫びをしました。
師匠は、「あれでいいよ。分かり易くなっていたのと、親子の様子がしっかり出ていた。親子で薬缶の口飲みをして、霧を吹いて虹を作る場面は、繰り返して演るといい…」とコメントしてくださいました。
私が想定していた以上に、客席の反応は良かったみたいです。
この噺も、さらに練り上げて行こうと思いました。 
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http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2015/09/post-4d39.html
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舞台になる「五百羅漢寺」は、現在は目黒にありますが、江戸時代には本所にあったそうです。
本所五ツ目(現在の江東区大島)にあり、徳川綱吉や吉宗が支援していましたが、埋め立て地にあったためか度々洪水に見舞われて衰退し、明治時代に目黒の現在地に移転したという名刹。
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八百屋の棒手振り八五郎は、六つくらいの見ず知らずの女の子を連れて商いから帰ってきた。
この子は迷子で、かみさんの問い掛けにも口を利けない。
どうやら、先だっての大火事で親とはぐれてしまい、驚きのあまりに言葉を失ってしまったのであろう。
迷子だったので”まい”という名前をとりあえず付けて、親が見つかるまで手許に置くことにした。
翌日から、八五郎は商いをしながら、女房は外へ出て用足しをしながら、尋ね回るが、一向に手がかりはなかった。
四日目。
「このまいは、いやな子だよ。ヤカンを持って口飲みするよ」、とかみさん。
「親の躾が悪いのかな~。親が見つからなかったら、うちの子にしてもいいと思っていたのに・・・。手がかりがねぇんだから、探しようがねぇ」。
「だったら、この子を檀那寺の五百羅漢寺へ連れってって、羅漢さんを見せたらどうだい? 五百人の羅漢さんのうちには自分の親に似た顔があるというよ。それを見つけて、なんか言おうとするんじぇないかい。それが手がかりになるかもしれないよ」。
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翌日、五百羅漢寺へ行って羅漢堂の中の五百の羅漢さんを見せた。
上の段の一人の羅漢をジーッと見つめて、指差しをした。
「この子の父親はこういう顔か。これも何かの手がかり」と納得して、境内を出たところで、住職とばったり会った。
”まい”のことを話すと、住職が「今、庫裏の畳替えをしているんだが、その畳屋さんが『火事でいなくなった娘がまだ見付からない』と、来る度に涙ぐむんだ」と言う。
その時、子供が畳の仕事場になっている所へ駆け寄ると、小さいヤカンを持って口飲みを始めた。
これを見た八五郎「畳屋の娘だ! 躾が悪かったわけじゃねぇ。いつも親と一緒に仕事に付いて行って、覚えたのが、口飲みだったんだ」。
ちょうど庫裏から畳を運び出してきた畳屋が、子を見付けて”よしィ!”と絶叫。
はじかれたように立ちあがった子が、「ちゃーん!」と声を出して、吸い寄せられるように跳び付いていった。
畳屋は泣きながら、その子を両手で包むように抱きしめて離さない。
この様子を見ていた八五郎「やっと声が出た・・・。本物の親にゃ敵わねぇ」。
住職も八五郎も涙して「しばらく、二人切りにさせておきましょうや」。
二人が手をつなぎながら、親が大きなヤカンを持って口飲みをして、プーと霧を吹き出すと、畳ほどの大きな虹が立った。
子供が小さなヤカンで口飲みして、ぷーっと小さく霧を吹くと、可愛い虹が立った。
この二つの虹と虹の端が重なった様は、親子がしっかりと手を握り合って「もう離さないよ」と言っているようだった。
八五郎は「こちらへ来てよかった。さすが五百羅漢のおかげだ」。
住職は「な~ぁに、今は親子ヤカン(羅漢)だよ」。
・・・ほとんど圓窓師匠の創作と言ってよい内容です。
「圓窓五百噺」の殿、500番目に公演された噺です。
 

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