千早亭永久「不孝者」
2017年3月の「千早亭落語会」は「不孝者」。
師匠からは、かなりのお褒めをいただきました。
「不孝者」は、吉原の花魁とは違う、柳橋の芸者との男と女の噺。
あたしも何度か演っているが、プロでもなかなか上手く出来ないが、よく演ってくれた。
ちゃんと仕事をやっているのかと心配になった。
・・・でも、実はこれは、会場のお客さまの前でのコメントです。
当日のブログに、こんな師匠とのやり取り(師匠の感想)に触れています。
ご多忙な師匠と、ちょうど中入りの時に楽屋へ戻って着替えようとした時に、二人きりになりました。
基本的には雑談ですが、師匠が、「この連は、豊島区のあたしの指南場所の最古参だけあって、みんなしっかりしているから安心して聴くことが出来るよ」と仰ってくださいました。
「師匠、落語っ子連もですよ!」と思いながらも、とても嬉しくなりました。
そして、閉演後、師匠が天祖亭の稽古のために楽屋の外に出られた時、師匠が一言くださいました。
「オチの『不孝者め!』は、2階(にいる倅)に向かうだけじゃぁいけないよ。あの台詞は、親父が自分に向かっても言っているんだから・・・」。
・・・全く想定していなかったセッティングだったので、愕然としました。
「そうだ!師匠の仰る通りだ!」。
親父と倅の微妙な関係を描くんだから、2階の倅だけにいってちゃダメです。
「あぁぁぁ、まだ場面設定や感情移入が足りないなぁ!」と、目から鱗が落ちる思いでした。
やはり、化けの皮が剥がれた・・・。
師匠の言葉に、嬉しいやら、落ち込むやら。
もっともっと、自分の中の引き出しを増やさないといけないと痛感しました。
・・・そうなんです。
落語の奥深さを直接指導していただきました。
きっと、あれはあれで悪くはないんだと思います。
でも、人の心や業というのは、ただ一面だけで語ることは出来ない。
見る角度によっても景色が違うように、人の心の中には、様々な思いが交錯している。
ここを分かった上で、さぁ、どう表現する?
道楽者の若旦那に飯炊き権助をお供につけ、山城屋へ掛取りに行かせたが、権助だけが一人で帰って来た。
権助 「山城屋さんで謡いの会があるからそれを聞いたら帰(けえ)ると言うので先に帰ってきた。後でお迎えに参(めえ)りやす」
大旦那 「顔に嘘ってと書いてある。いくらもらった、二分か」、
「いや一分だ」
大旦那 「場所は柳橋だろう。そうか、橋を渡った先の”住吉”か」、
大旦那は権助と着物を交換して頬被りをし、権助になりすまして柳橋の住吉にやって来た。
迎えが来たと告げられた若旦那、
「こんなに早く来やがって、下で待たせておいてくれ」
それで、大旦那は店の者に下の部屋に入れられ待たされることになる。
若旦那は権助に気を使ってお銚子と肴を差し入れる。
大旦那 「馬鹿野郎、親をこんな部屋に通しやがって。この酒だって回り回ってわしの懐から出てるんだ」
二階の座敷では若旦那の唄う新内の声が聞こえてくる。
大旦那 「おや、なかなか上手いじゃないか。でも芸者に習った唄は駄目だ。ちゃんと師匠と差し向かいで習わないと」、手酌で冷めた酒を飲んでいると襖が開いて、
芸者 「八ちゃん居ますか。・・・あ、失礼、ごめんなさい。酔って部屋を間違えて・・・」、あわてて閉めようとするのを、
大旦那 「おい、ちょっと待ちなさい。お前”欣弥”ではないかい?」
芸者(欣弥) 「・・・まぁ〜、旦那じゃありませんか。どうしたんですその格好は・・・」
大旦那 「これには訳が・・・、まぁ、こちらにお入りよ。・・・しばらく会わないうちに綺麗になったね。・・・今は旦那がいるんだろ?」」
欣弥 「いえ、私は一人ですよ」
大旦那 「それは芸者の決まり文句。いいんだよ、ここは二人だけだから」
欣弥 「怒りますよ。私を捨てたのは旦那ですよ」
大旦那 「捨てたんじゃありませんよ。あの当時は請け判を押してしまったせいで、店が人手に渡るところだった。間に入ってくれた人が、こんなときに女を囲っていてはまずいと、番頭に手切れ金を持たせてお前と別れさせたんだ。お蔭で店も立ち直って、お前に会いたいと思っていたんだ。でも、どうしてお前ほどの女に旦那がいないんだい?」
欣弥 「本当は若い旦那がついたんですが、これがとんでもない人で、すぐに別れてその後は怖くて旦那を持つ気にもなれなかったのです」
大旦那 「そうか、本当に一人なんだね。今はお前を世話するぐらいの力はある。どうだねもう一度、元の鞘に収まるというのは?」
欣弥 「はい、嬉しいじゃありませんか。今日はお座敷があります。今度ゆっくりとお話を・・・いつ逢っていただけます?」
大旦那 「明日は都合悪いから、・・・明後日にしよう・・・」
欣弥 「きっとですよ、本当に約束ですよ」と、しなだれかかって、大旦那もグイッっと欣弥の身体を引き寄せた。
女中 「お供さ~ん、若旦那さんのお帰りですよ」
大旦那 「・・親不孝者めが・・」
芸者が思い続けていた旦那と再会出来て、また昔のような関係になる。
その芸者の思いは純愛だ・・みたいに考えて、この噺を演った女性がいたそうです。
外に出た部分は、確かにそういう景色かもしれない。
芸者は思い続けていたのかもしれない。
しかし、これは落語です。
男が、男の料簡で、男を主人公にして、男が演じているのです。
男の狡さ、杜撰さ、打算がベースになっています。
これを、純愛だと女性が演じられますか?
だから、師匠がご指摘になった部分(深層心理や本音)が、オチの一言に反映させることが出来るんだと思います。
この噺は、男の噺です。
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