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4月1日、「平成」の後の新元号が「令和」と発表されました。
そして今日、天皇陛下がご退位されました。
それから1ヶ月、新しい「令和」の時代が始まります。
昭和生まれの私にとっては3つ目の元号(時代)。
そして、恐らく人生最後の時代となることでしょう。
この月は、平成を締めくくる1ヶ月になったのでしょうか?
5月からは、もっともっと寄席・落語会通いを増やします。
来月の「お江戸あおば亭」の準備も始めました。
今日で今の天皇陛下がご退位され、平成が終わります。
今日から明日にかけて、皇室では様々な儀式が行われるようです。
色々な意見や考え方もあるかもしれませんが、日本は、こうした環境の中で、ずっと続いて来ました。
今の天皇陛下も、その歴史と伝統と現実の狭間で、嘸やご苦労もっとおありだったことでしょうが、初めての象徴としての天皇のあり方を実践されて来られたと思います。
お世辞抜きに、多くの人たちが、両陛下が訪れて声をかけてくださったことを喜び、誇りに思っている。
あぁ、「日本はいい国だな」と、厳しい間起用の中での支えの一つになっていたと思います。
また、政治をと離れた部分で、世界各国がリスペクトし、羨む皇室ではなかったかとも思います。
平成が終わるのも寂しいですが、この平和を続けて、令和も穏やかな時代になって欲しいと思います。
今回の稽古、7名の参加予定だったので、私の稽古の時の残り時間も想定して、「百川」と「五百羅漢」と「牛ほめ」の高座本を持って行きました。
残り時間が20分以下なら「牛ほめ」、20分前後なら「五百羅漢」、25分なら「百川」ということで。
私の前の新参さんが終わって、残り時間は22分ぐらいでした。
と言うことで、「お江戸あおば亭」でネタ出しをしている「五百羅漢」に決めました。
今まで何度かやっていますが、やはり改めて作り直さないといけません。
この噺は、師匠の創作と言っても良い内容ですから、やはり師匠に聞いていただきたい。
いつもと違って?師匠、噺に聞き入ってくださっていた気がします。
師匠からのアドバイスもあり、師匠の高座本から変えている部分もありますから。
細かい点はともかく、生意気ながら、何か師匠と勝負をしているような気持ちになりました。
もっと演出や表現を工夫して、感情が表現出来るようにしたいと思いました。
パソコンで予約した「鈴本演芸場」のゴールデンウィーク特別興行のチケット。
コンビニに行って発券しました。
5月4日と5月6日の分ですから2枚。
最近は、寄席でも、「テケツ」だけでなく、ネットでチケットを買うことが出来るんです。
尤も、正月やゴールデンウィークの特別興行や余一会の時に限られますが。
普段の興行は、当日の「テケツ」のみでの販売が原則です。
私は、家から近いこともあり、寄席に行くのは鈴本演芸場がほとんどです。
近いというのと、キャパが大きいので、確実に座ることが出来るからです。
最近の落語人気で、寄席に行ったら立ち見だったりするのは嫌ですから。
だから、どうしても前売り指定席のホール落語か鈴本ということになります。
通勤電車に座ろうとするのと同じようなものなんです。
※【テケツ】 《「チ(ティ)ケット」から》
1 切符。チケット。
2 劇場などの切符売り場。また、その売り子。
劇場や相撲場が芝居茶屋や相撲茶屋を介さずに直接入場券を売る切符制度を採用したのは、1911年3月に開場した東京の帝国劇場にはじまる。
その切符は英語のticketをなまって〈テケツ〉と呼ばれ、やがて映画館や劇場の入口でそれにはさみを入れる女性たちをもテケツあるいはテケツ・ガールなどと呼んだ。
・・・なんですって、テケレッツのパァー。
40年ぐらい前には「QC活動」というのが大変流行っていました。
そして、その後に「PDCAサイクル」が出て来て、随分と苦しめられました。
言いたいことは分かりますがね。
PDCAとは「Plan(計画)」→「Do(実行)」→「Check(評価)」→「Action(改善)」の頭文字をとったもので、業務の効率化を目指す方法の1つ。
日本では1990年代後半からよく使われるようになった方法で、計画から改善までを1つのサイクルとして行います。
そんな「PDCA」ですが、テレビ番組やラジオ番組にご出演されている某氏が作った「PDCAステッカー」が面白い。
真実のPDCAとは、「Plan(企画)」→「Delay(遅延)」→「Cancel(中止)」→「Apologize(謝罪)」だということ。
いやはや説得力満点です。
これこそが、「人間の業の肯定」だと思うなぁ。
世の中そんなにうまく行くはずがないし。
落語とおんなじ。
落語では、特に吉原では、PDCAは回しません。
その代わりと言っては何ですが、花魁を回します。
「花魁が客に指名される」→「花魁は客を待たせる」→「結局朝まで花魁は来ない」→「怒る客に廓の若い衆が詫びる」。
あっ!女郎買いのサイクルは回ってた・・・。
いつも通る高速道路で。
世田谷区の東名高速上で、性別不明の遺体が発見されました。
現場の上にかかる橋から人が転落した可能性がありそうです。
今日午前3時半ごろ、東名高速上り線の川崎市にある東京料金所と世田谷区の東京インターチェンジの間で、「何か物が落ちている」と通報。警察が駆けつけたところ、高速道路上で性別不明の遺体を発見。
遺体には車と接触したような痕もあった。
遺体が見つかった現場の上には橋がかかっていて、橋から人が転落した可能性もあるということで、警察は死亡した詳しい原因を調べている。東名高速では午前5時前から東名川崎インターチェンジ付近から東京インターチェンジまでの上り線が通行止めとなり、お昼頃にやっと解除されたようです。
まぁ、とにかく、信じられないことが起こります。
高齢者が運転する車が暴走して死傷者が出る。
路線バスが暴走して死傷者が出る。
歩道を歩いている人たちの列に車が突っ込み死傷者が出る。
高速道路を逆走して衝突事故を起こして死傷者が出る。
飲酒運転のタクシーが事故を起こす。
運転手が倒れて意識不明になり車が制御不能になる。
新幹線車内で放火したり暴れたりして死傷者が出す。
新幹線を非常停止させ、線路に飛び降りる。
パイロットから基準を超えるアルコール反応が出る。
・・・善良なる市民が自衛できないような、信じられないことばかり。
どうなっているんだろう?
今日も朝から雨模様です。
晴れたり降ったり、暑くなったり冷え込んだり・・、身体がもちそうにありません。
考えてみると、今日は、私も「平成最後の出勤日(営業日)」です。
平成の初日は、私の誕生日でしたが、冷たい冬の嵐でした。
ところで、この10連休は、低気圧や湿った空気、寒気などの影響を受ける日があり、晴天の日が続くところは少ないようです。
連休初日の明日は、東日本や北日本で雨のところがある予想。
上空の寒気が南下する影響で気温は下がり、本州の山や北海道の市街地で雪の降るところがある見込み。
えっ?(北海道では)雪が降る?
その後も各地とも曇りや雨の日があるようですが、大荒れの天気となる可能性は低い見込み。
東京も名古屋も大阪も、雲が目立ちます。
例年のゴールデンウィークは、晴れの日が多いイメージですが。
令和の初日(5月1日)は、低気圧や湿った空気の影響で曇りや雨の所が多くなる予想。
今年はお正月が2度あるようで、改元後の初日の出を見たいという人も多いようですが、雲に邪魔をされず見られる可能性が高いのは北日本や沖縄など限られた地域となりそうです。
御代代わりの騒ぎは暫く続きそうです。
実は後ろの警備員さんが変装したゴーンさん?
・・・今回は、ご趣向はなかったようです。
前回があまりにも無様で、完全に趣向が滑ってしまいましたから。
尤も、今回は、大したニュースにはなりませんでした。
一発屋のピン芸人の命は短い・・・。
前回は10億円、今回は5億円、トータル15億円の保釈金を、日産の財布から・・は出来ませんから、自腹で?
もう、功労金(報酬・退職金?)はすべてゼロにして、ご退出いただきましょう。
所詮は、ただの業突く張りなオヤジだったということです。
「唐茄子屋政談」の因業な大家と同じで、誰かが薬缶で殴って出来たコブに唐辛子を塗り込んでやりましょう。
そして、次は、茶坊主だった日産の役員どもも。
凄いなぁ。
これは、高度な科学技術だけでなくて、日本人の緻密な名人芸・職人芸との合わせ技だと思います。
針の穴に糸を通すことが出来るのは、日本の技術と職人芸なくしてはありえない。
宇宙探査機「はやぶさ2」が、分離した衝突装置を爆発させて小惑星「リュウグウ」に金属の塊をぶつける世界初のミッションを行っていましたが、「はやぶさ2」が「リュウグウ」の地表に作ったクレーターを確認できたと発表されました。
「はやぶさ2」が、またやってクレーター(くれた)という訳です。
前後の画像と比較すると、画像の真ん中あたりが黒くなっていて、およそ10メートルにわたって地形が変化しているのが分かるということです。
小惑星にクレーターを作ったのは世界で初めてだそうです。
・・・確かに。
私は昨日、紙屑を1メートルぐらい離れたごみ箱に投げ入れようとしましたが、見事に外れてしまいました。
「長短」の短七っつぁんは、はたいた3服目のタバコの火が、煙草盆に入らずに、自分の着物の左の袂の中に入ってしまい大きな焼け焦げが出来てしまいました。
えらい違いです。
歌太郎さんが、怒りの?ツイートをしていましたよ。
以前ウチに届いたチラシが1枚目。
すみません、直しましたと2枚目。
〇〇亭さんよ、ナメとるのか。
ウケ狙いなんか?
某落語会のチラシ。
出演者の写真と名前が入っています。
よぉく見ると、「三遊亭歌太郎」さんと「春風亭正太郎」さんの写真(名前)が入れ替わっています。
こりゃぁ当然、訂正するように言いますよね。
そして、"訂正"された後のがこれです。
???「春風亭歌太郎」さんと「三遊亭正太郎」さんになっている。
こんな名前の噺家さんはいませんよ。
これを見たら、ご本人が怒るのは無理もないと思います。
「おいおい、名前が逆だよ」とでも言ったんでしょう。
それを素直に亭号はそのままで名前だけ入れ替えたという。
笑うに笑えない・・、大きなミスの連発です。
私たちは普段何気なく高座名を見ていますが、無意識に字面がインプットされていて、「三遊亭正太郎」「春風亭歌太郎」を見た時に、何となく違和感を感じます。
「歌」と「正」は、それぞれの師匠の一文字をいただいたもの。
歌太郎さんの師匠は「三遊亭歌武蔵」師匠、正太郎さんの師匠は「春風亭正朝」師匠です。
ちょっと洒落になりませんね。
このツイートに、あの古今亭菊之丞さんがリツイート。
落語に愛の無い、ただの道具としてやってる席亭の会は、出るのをやめちまうに限る。
せいせいするよ。
・・・かなりのお怒りよう。
面白いのは(失礼)、菊之丞さんは、ツイートに「いいね!」して、それで怒ってるという。
SNSも、「いいね!」だけでなく、「読んだ!」とか「怒った!」なんていうのも作ったらいいのにと思う今日この頃。
(話を戻して)そりゃそうですよ。怒りますよ。
名前なんて一番肝心なことですから。
・・・ご本人たちだけでなく、このチラシに映っている芸人さんたちも全員が、いやぁな気分でしょうね。
信用を積み上げるのは大変ですが、失うのは一瞬です。
それが世の中の理、だから細心の注意が必要なんです。
4月も終わりますが、キャンパスでは新入部員の勧誘活動のラストスパートのようです。
どの部やサークルも、色々工夫をして、手練手管で一生懸命。
最近の学生さんは、複数の部やサークルに入るハイブリットな人が多いようです。
私など「落研一筋」でしたから、凄いなぁと思います。
落研も、屋外で落語をやったり、お花見をしたり・・・、ご苦労さま。
しかし、やはり落研ですから、落語(芸)を披露してなんぼですから。
こういう活動の時は、着物を着ないで、法被姿でやることが多いようです。
機動性を考えると理解は出来ますが、良くも悪くも、着物姿(特に男性の)を目にすることが少ないですから、せめて一人ぐらいは、羽織などを着てキリリとした姿を見せるのも、そこそこのインパクトがあると思うのですが・・・。
尤も、バカ殿様みたいになってはいけませんが。
さぁ、今年は何人の新入生が定着してくれるでしょう。
第61期生ということになるのかな?
何年ぶりかで、「朝日名人会」のチケットは購入出来たものの、そもそも連休中の落語会探しが目的だったのを思い出しました。
またまた、チケットぴあで検索していくと目に留まったのが「花形演芸会」でした。
国立演芸場の定期公演です。
あっ、もう480回目になるんですね。
・・・ということは、ちょうど40年ということですね。
国立演芸場の「花形演芸会」と「国立名人会」にも、以前は随分かよったものでした。
ゲスト出演が、今乗りに乗っている古今亭菊之丞さんだったので、購入することにしました。
本当は、チケット会員(あぜくら会)メンバーになっているので、割引でも購入出来るのですが、色々やるのも面倒くさいので、ぴあでよしとしました。
・・・ということで、5月11日(土)の午後は「花形演芸会」です。
他の日にも、行きたい・チケットが残っている落語会は多くありますが、土日は帰省や稽古や発表会があるので、あまり早い時点で購入出来ないのが悩ましい。
今まで、落語会から遠ざかっていたので、「聴く」「演る」「書く(読む)」のうちの「聴く」もまた、力を入れて行こうと思います。
あっ、まだ連休中の予定が全く埋まらない・・・。
定席4ヶ所は、大混雑間違いないので、敬遠して。
今頃になって、「連休はどこか落語会に行こうかなぁ」と、チケットぴあで検索してみました。
東京かわら版の4月号で、4月中の落語会を調べてみましたが、当たり前のことですが、「これは」と思うものは、「予定枚数終了」とか「発売終了」になっています。
ボーッと見ていると目に留まったのが、プラチナチケット(即日完売)の「朝日名人会」。
当然、5月の第189回の公演のチケットは取扱終了になっていましたが、6月の190回はまだ販売中になっていました。
三笑亭夢丸さん、橘家圓太郎さん、入船亭扇遊師匠、桂文珍師匠という顔ぶれ。
二つ目の柳亭市楽さんの名前もありました。
先日、「扇遊圓太郎二人会」を聴いたばかりですが、全く問題ないので、「よぉし、予約(購入)しよう」。
すると、全席指定席ですから、席の表示があって「ロ列27番」・・・。
「えっ?有楽町朝日ホールの席は、A・B・Cの列記号だったはずなのに・・・」。
思い出しました。
固定席の最前列の前に、確か2・3列のパイプ椅子席が作られていたはずです。
インターネットで調べると、「名人会」仕様の席表がありました。
・・・ということは、前から2列目の上手側・・・。
まぁ、バスで言えば、通路の補助席みたいなものかもしれませんが、すぐに購入しました。
・・・しかし、4300円です。
高いなぁ。
私がよく通った頃は、4000円までは行っていませんでした。
出演者は、国内ホール落語会屈指のメンバーですから、不満はありませんが。
JR西日本福知山線脱線事故から14年になるそうです。
おもちゃの電車やレーシングカーは、勢いがつき過ぎてレールやコースからすぐに外れて横転したりコースアウトするものでしたが、まさか本物の電車が、スピードを出し過ぎて脱線転覆するなんて・・・。
阪神大震災の高速道路の倒壊の画面と同じように、脱線してマンションに衝突して大破した電車の映像は、特撮映画を視ているようで、大変ショックでした。
先日起こった、高齢者が運転する車の暴走事故もそうですが、被害者には全く何の罪も落ち度もない。
ささやかで幸せな日常を、一方的に破壊されることの非合理。
やはり、加害者だけでなく、その周辺の人たちも関わって起こった人災。
これこそ絶対にあってはいけないことです。
人々の幸せな営みに優先する電車運行の遅延などありえませんから。
改めて、犠牲者の方のご冥福を祈るだけです。
瀧口雅仁さんが寄席「墨亭」を始める記事が、朝日新聞に載っていたそうです。
下町のちょっとした座敷で、昔ながらの江戸落語を聞いてもらいたい――。
そんな思いから古い町屋を買い取って改築した寄席「墨亭(ぼくてい)」が、5月にオープンする。
1日~5日に、真打ちの落語家らによる「こけら落とし公演」があり、江戸文化の講座や、若手落語家の勉強会などに活用したいという。
寄席をつくったのは、恵泉女学園大などで講師を務める瀧口雅仁さん。
大学で近世文化史などを教える傍ら、落語に関する多くの書籍を執筆してきた。
「落語で食べてきた恩返しをしたい」と、自宅近くの築60年以上の民家を買い取り、寄席に改築した。
向島は、「落語中興の祖」と呼ばれる烏亭焉馬(うていえんば)が江戸後期に「咄の会」を開いた「江戸落語発祥の地」とされる。
かつては、料亭などで噺家を招いた落語会が盛んに開かれていたという。
・・・・。
瀧口さんのツイートなどで知っていましたが、キャパシティも考えると、各出し物は恐らく即日完売だろうと思っていました。
案の定、こけら落とし公演は完売だそうです。
やはり、こういうサイズの寄席というかお座敷が、江戸落語の原点なんでしょう。
いずれ、チャンスを見つけてお邪魔しようと思います。
トヨタのクルマは、どうも好きになれないのですが・・・。
トヨタ自動車は24日、セダンの乗用車「マークX」の生産を12月で終了すると発表した。
1968年に登場した前身モデル「マークII」以来、50年以上の歴史に幕を下ろす。
近年は販売が低迷していた。
生産終了に当たり24日に特別仕様車を発売した。
我が家は、父母が乗ったトヨタ車は、クラウンとマークⅡとヴィッツだけ。
後は、マツダとスズキと日産・・・というか、ほとんど日産車(サニー・ブルーバードなど)でした。
でも、クラウンとマークⅡは良かったと思います。
そのマークⅡをルーツとするマークXも、姿を消す・・・。
名前もどんどん変わって・・・。
パブリカ、スターレット、スプリンター、カリーナ、セリカ、コロナ、(コロナ)マークⅡ、ソアラは今はなく。
日産もそうです。
チェリー、サニー、バイオレット、シルビア、ブルーバード、ローレル、セドリック、レパードはなし。
ところで、三菱では、ギャラン、ギャランGTO、ギャランシグマ、ギャランラムダ・・あたりが好きだったんですが。
私の大学の同期で、某自動車メーカーに就職したものの、ギャランシグマが好きで、会社の寮や工場の駐車場に停められず、こっそり他の場所に置いていたという奴がいました。
昭和は遠くなりにけり・・・。
マラソンの有力選手を大勢育て上げた名伯楽の小出義雄さんが亡くなったそうです。
享年80歳。
千葉県佐倉市出身。
順大卒業後、高校教諭となり、1986年には市立船橋高を全国高校駅伝優勝に導いた。
五輪代表選手を育てるのが夢で、88年に実業団・リクルートの監督に転身した。
酸素の薄い高地での練習を積極的に導入し、指導した有森裕子さんが92年バルセロナ五輪と96年アトランタ五輪の女子マラソンで2大会連続のメダルを獲得した。
97年に積水化学に移ると、00年シドニー五輪では高橋尚子さんを日本女子陸上界初の金メダルに導いた。
02年末に積水化学を退社し、自ら設立した佐倉アスリート倶楽部での活動に専念。
チームや個人の指導の委託を受ける形で指導を続けた。
76歳だった15年夏には、米国での合宿中に心臓の緊急手術を受けた。
ペースメーカーを入れたが、その後も18年度いっぱいまで、指導を委託されてきたユニバーサルエンターテインメントで現場に立っていた。
・・・第一線を退かれたというニュースを聞いたばかりだったので、大変驚きました。
平成の終わる7日前です。
ユーチューブで、師匠の「五百羅漢」を見つけました。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2019/03/post-8268.html
平成14年頃の「東京落語会」の録音のようです。
五百繋がりで、「圓窓五百噺」の最後500番目の噺を、圓生師匠だけしか演っていなかったという「五百羅漢」に決めて、「圓生全集」を読んだが、ストーリーが陰惨だったので、演目名だけいただいて中身はすべて創作したという説明がありました。
ストーリーは同じですが、後から師匠が手を加えて編集している高座本とは細かな台詞回しなどが違います。
参考に出来る部分もありました。
以前、この「五百羅漢」の稽古をしていた時に、突然師匠が「五百羅漢寺に女の子を連れて行くのは、夫婦二人にしたら」、しかも「地噺にしないで、会話だけで進めてみたら」と仰いました。
「分かりました、やってみます」ということで、かなり音源と高座本の師匠のオリジナルとは変えてしまいました。
この部分は、ほとんどアドリブで何とか出来ると思いますので、上手く繋げて行こうと思います。
八百屋の棒手振り八五郎は、六つくらいの見ず知らずの女の子を連れて商いから帰ってきた。
この子は迷子で、かみさんの問い掛けにも口を利けない。
どうやら、先だっての大火事で親とはぐれてしまい、驚きのあまりに言葉を失ってしまったのであろう。
迷子だったので”まい”という名前をとりあえず付けて、親が見つかるまで手許に置くことにした。
翌日から、八五郎は商いをしながら、女房は外へ出て用足しをしながら、尋ね回るが、一向に手がかりはなかった。
四日目。「このまいは、いやな子だよ。ヤカンを持って口飲みするよ」、とかみさん。
「親の躾が悪いのかな~。親が見つからなかったら、うちの子にしてもいいと思っていたのに・・・。手がかりがねぇんだから、探しようがねぇ」。
「だったら、この子を檀那寺の五百羅漢寺へ連れってって、羅漢さんを見せたらどうだい? 五百人の羅漢さんのうちには自分の親に似た顔があるというよ。それを見つけて、なんか言おうとするんじぇないかい。それが手がかりになるかもしれないよ」 。
翌日、五百羅漢寺へ行って羅漢堂の中の五百の羅漢さんを見せた。
上の段の一人の羅漢をジーッと見つめて、指差しをした。
「この子の父親はこういう顔か。これも何かの手がかり」と納得して、境内を出たところで、住職とばったり会った。
”まい”のことを話すと、住職が「今、庫裏の畳替えをしているんだが、その畳屋さんが『火事でいなくなった娘がまだ見付からない』と、来る度に涙ぐむんだ」と言う。
その時、子供が畳の仕事場になっている所へ駆け寄ると、小さいヤカンを持って口飲みを始めた。
これを見た八五郎「畳屋の娘だ! 躾が悪かったわけじゃねぇ。いつも親と一緒に仕事に付いて行って、覚えたのが、口飲みだったんだ」。
ちょうど庫裏から畳を運び出してきた畳屋が、子を見付けて”よしィ!”と絶叫。
はじかれたように立ちあがった子が、「ちゃーん!」と声を出して、吸い寄せられるように跳び付いていった。
畳屋は泣きながら、その子を両手で包むように抱きしめて離さない。
この様子を見ていた八五郎「やっと声が出た・・・。本物の親にゃ敵わねぇ」。
住職も八五郎も涙して「しばらく、二人切りにさせておきましょうや」。
二人が手をつなぎながら、親が大きなヤカンを持って口飲みをして、プーと霧を吹き出すと、畳ほどの大きな虹が立った。
子供が小さなヤカンで口飲みして、ぷーっと小さく霧を吹くと、可愛い虹が立った。
この二つの虹と虹の端が重なった様は、親子がしっかりと手を握り合って「もう離さないよ」と言っているようだった。
八五郎は「こちらへ来てよかった。さすが五百羅漢のおかげだ」。
住職は「な~ぁに、今は親子ヤカン(羅漢)だよ」。
福岡県粕屋町立中学校に勤務する50歳代の校長と主幹教諭が、引率した修学旅行先で昼間に飲酒していた。
町教委は「県教委と協議し、対応を検討している」と。
「対応」ではなくて「処分」。当然「クビ」でしょう。
町修学旅行は1月中旬に2泊3日で行われ、京都市を訪問。
2日目の日中、生徒たちはグループごとに名所を巡ったが、校長と主幹教諭は、京都の酒蔵を紹介する店に行き、利き酒セットを注文して、それぞれ十数種類の酒を飲んだ。
2人は初日と2日目の夕食時もビールや日本酒を飲み、その後、職員とのミーティングに参加。
校長は「軽率な行動だった。反省している」と謝罪している。
軽率な行動ではなく、軽率な了見、浮薄な人間だと認識すべき。
教師、社会人失格、即刻退場ですね。
落研OB落語会や落語っ子連の落語会のめくりを書いてくださっている「H先生」が参加されている寄席文字教室の作品展が行われるそうです。
「寄席文字で綴る落語風景」という作品展。
昨年は、成田山新勝寺の参道にある会場で開かれました。
今年は、5月18日(土)から26日(日)、神保町の「アートスポット・ラド」です。
確か、以前の作品展もこの会場だったことがありました。 ←ここですよね。
場所を確認すると、「お江戸あおば亭」の会場の「東京堂ホール」から、徒歩1分ぐらいの場所です。
しかも、作品展の開催期間中(25日)に、我々の落語会も開催されますから、是非とも両方にご来場いただきたいものです。
写真は、すべて昨年の成田での作品展のものですが、単
に寄席文字を書くだけではなくて、絵を入れたりで、作者の工夫と苦心の様子が溢れる作品ばかりです。
寄席文字は、いつ見ても落ち着きます。
私も習いたいのですが・・・、気が弱いから。
ダウ・ジョーンズ通信が、ソフトバンクグループの孫正義会長兼社長が仮想通貨のビットコインへの投資に失敗し、1億3千万ドル(約145億円)以上の損失を出したと報じているそうです。
報道によると、孫氏は高値をつけていたビットコインを2017年後半に購入。
相場が急落した18年の早い時期に売却し、損失を出したという。
具体的な投資金額は不明としている。
・・孫さんが損したなんてベタなことを言っても、大富豪の孫さんにしてみれば、「パチンコで5千円すっちゃったよ」ぐらいでしょう。
あのゴーンさんもそうですが、こういう富豪が損をしたなんていうニュースを聞くと、ちょっと気分が良くなるのは・・貧乏人のひがみでしょう。
マスコミの報道の偏向、レベルが気になります。
特に、身内のプライベートな出来事を電波や活字にしていること。
今朝も、某テレビ局の女子アナが女児を出産したことがニュースになっていた。
百歩譲って、アイドルやタレントのおめでたならともかく、そのテレビ局の社員個人のプライベートなことなど、全く興味はありませんし、公共の電波を使うに相応しいのか?
勿論、出産そのものはおめでたですから、お祝いしますが。
何か、節度のようなものがなくなって来ていて、それが不愉快。
タレントさんの重病も、大袈裟にし過ぎているような・・・。
それから、報道する側のモラルとマナーも大問題。
例えば、昨日起こった神戸三宮のバス事故の際の記者の行動。
朝日新聞のカメラマンが現場を妨害、「通行の邪魔になる」警備の注意を聞かずに脚立を置いて撮影を継続。
「朝日新聞のモラル」「こういう人達って取材のためなら何やってもいいって思ってるよね」というネットの反応は当然。
・・・実は、学生時代にマスコミ志望だった私が、進路を変更した最大の理由は、テレビ局のアルバイトで同行した、宮城県沖地震の被災者への取材方法が疑問に思ったからでした。
伊豆大島や雲仙普賢岳の大噴火の時も、自治体や警察の活動を邪魔したのは、「報道」の腕章を付けて我が物顔に振る舞う取材クルーだったそうです。
どうも、最近はひがみ根性というか、いじけているというか・・・。
おひろめ寄席での私への師匠からの講評は、「羽織を着ていたのは永久さんだけだ・・」などといじられたところしか記憶にありませんでした。
ところが、同じく出演した蝶九さんが、落語っ子連のMLに、こんなコメントをしてくれました。
永久(流三)さん
師匠、「口調といい風貌といい、あたし以上に噺家らしい(笑)羽織も一人だけ着ているし」
会場のお客様と、噺と笑いでやりとりする、呼吸を合わせる、というのはこういうことかなと思いました。
また、永久さんは、師匠の高座本紹介で、「揺れるとき」について熱く語られました。
中入り後のロビーでは、「揺れるとき」の高座本がはやばやと売り切れておりました。
・・・えっ? 師匠、そんなこと仰ってましたか?
言われた本人が・・・実に情けないことです。
でも、言われた内容が(笑)でなく、本当なら、実に嬉しいことです。
そう言えば、別の連のメンバーの人から、こんなメールをいただきました。
あのあと、〇〇さんとも話していたのですが、流三さんの「長短」、かなり勉強させていただきました。
「ああ、こうやるのか」というのが我々二人の最初に出た感想でした。まさにお手本、ですね。
・・・微妙な表現ですが、とても嬉しい。
これを、せめてどこかの連の人も感じてくれていたら・・、。
(死んだ子の歳を数えるようなことは言うまい、言うまい・・。)
三菱自動車の「パジェロ」が国内販売を終了させるそうです。
スポーツタイプ多目的車(SUV)ブームの火付け役となった「パジェロ」の国内販売を終了する方向で最終調整している。
近く現行モデルを小幅に変更した新モデルを投入した上で販売を取りやめる見通しで、終了時期は未定。
直近の国内販売台数は年間数百台規模と振るわなかった。
根強い人気を誇る海外では販売を続ける見通しだ。
昔の三菱には、とても素敵なクルマがありました。
ギャラン、ギャランGTO、ギャラン∑(シグマ)とΛ(ラムダ)・・・。
パジェロも好きなクルマで、何人かの知人も乗っていました。
最近は、もう少し乗用車(セダン)に近いSUVが全盛ですから、ちょっと重たい感じがするのかもしれません。
パリ・ダカールラリーで活躍したのもパジェロでしたね。
数日前に膝を痛めたと聞いていたので、心配していました。
昨年、反対側の膝も痛めていましたから。
楽屋入りされてすぐに、師匠の楽屋に伺いました。
膝の筋が炎症を起こしているそうです。
師匠に「やはり師匠は炎症(圓生)とは縁が切れませんね」と、座を盛り上げようとしましたが、ほとんど受けませんでした。😞
さて、落語会の最後の師匠のお楽しみ。
時間の関係で、出演者の講評をしてくださった後で「十徳」を。
1人1人の高座に講評をしてくださるのですが、女性への講評が丁寧になるのは仕方ないこと・・・。
私には、「永久さんとは、もう長い付き合いで・・十何年になるかなぁ。東北大学の落語研究会の出身で・・・」と仰った後、「今日、1人だけ羽織を着て高座に出た。たくさん持ってるんだろうねぇ」・・・。
講評らしいものはなかったと思います。
師匠には、開演前に「師匠、私の出番は中入り前なので、羽織を着させていただいていいですか?」って、お許しいただいたじゃないですか。
「あたしは、恰好などについてはうるさく言わない」と仰りながら、「1人だけ羽織を着てた」なんて随分な仰り方ではありませんか。(苦笑)
まぁ、千早亭永久としての一区切りの高座だったので、正装で上がらせていただいたという面もありましたから。
おひろめ寄席には、落語っ子連のメンバーも、私以外2名出演しました。
「蝶九」さんは、複数参加している連の「天祖亭」の代表として。
私も、「千早亭」の代表として。
そして、百梅さんは「三流亭」の代表として。
他の連の出演者と比べてどうこうということではなく、2人の高座はとても立派でした。
蝶九さんは、開口一番を飄々とこなしてくれました。
4月から転勤で職場が変わり、前日の土曜日も仕事だったそうで忙しい中にも拘わらず、気合いの袴姿で「牛ほめ」を熱演。
仕草も語りも丁寧で、とても良かったと思います。
そして、主催連ではない落語っ子連(三流亭)はゲスト出演ということで、百梅さんの「紙入れ」。
何度か高座にかけている噺で、安心して聴いていられます。
蝶九さんと百梅さんの高座は、特にじっくり聴きました。
百梅さんは非常に研究熱心で、師匠や我々のコメントやアドバイスなどにも素直に反応してくれます。
今回感心したのは、オチを言った後のお辞儀の素晴らしさ。
「そや寄席」の楽屋だとか落語っ子連の稽古の時に、高座へ上がる時と下りる時の仕草、特にお辞儀の仕方を意識しようと声をかけました。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2019/03/post-8268.html
落語は舞台の袖から出て、客席に見えるようになった瞬間から始まります。
お辞儀がとても良かったので、終わってすぐに感想を伝えると、やはりかなり意識していたそうです。
師匠にも「百梅さんのお辞儀がきれいでした」と報告。
一事が万事で、我が落語っ子連の高座の佇まいは、自画自賛しても良いと思いました。
今日はこれから「おひろめ寄席」です。
これで、完全に千早亭を"卒業"しますので、若干の感慨があります。
◇「狸賽」 五代目古今亭志ん生
◇「のめる」 六代目三遊亭圓生
今朝は、2席とも軽い噺ですが、演者は名人の揃い踏みでした。
顔は存じ上げませんが、名前だけはよく知っているという意味では、先日お亡くなりになったモンキー・パンチさんと同様。
その小池一夫さんの訃報。
享年82歳。秋田県大仙市出身。
あの「子連れ狼」の原作者です。
柳生一族の手により妻・薊を失い、遺された息子・大五郎と共にさすらいの旅に出た、水鴎流剣術の達人で胴太貫を携えた元・公儀介錯人拝一刀の物語。
テレビの主題歌もヒットしました。
https://www.youtube.com/watch?v=0YHb2JiZeRw
しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃん・・・涙隠して人を斬る・・・。
先日のモンキー・パンチさんの死去を受け、ツイッターで「モンキーパンチさんとは40年前、漫画アクションの初期に『ルパン三世』と『子連れ狼』で人気争いをしたライバルでもあった。一緒に組んで『書記官鳥(セクレタリーバード)』という漫画も作ったなあ。淋しくなるなあ」と追悼していた。
来年春のダイヤ改正で、東京―新大阪間の東海道新幹線「のぞみ」の運転本数を現在の1時間に最大10本から12本に拡大されるそうです。
・・・と言うことは、のぞみは5分に1本の割合ですから、下手な通勤時間帯の在来線よりも多くなります。
来春、全列車が最高速度285キロのN700系に統一されることや自動ブレーキの技術改良で可能になった。
ひかり2本、こだま3本はそのまま維持。
のぞみの増発は新大阪駅の改良工事完了で、14年春に1時間当たり9本から10本になって以来。
12本ダイヤは乗客が集中する金曜夕や連休を中心に組む見通し。
東京―新大阪の所要時間は12本とも2時間半以内になる。
現行の10本では3本が2時間半以内、7本が2時間33~37分だった。
新幹線が開通した時は、確か最速のひかりが東京-新大阪は4時間10分でした。
凄いなぁ。
しかし、ますます乗る列車を間違えないようにしないといけません。
間違ったからと手動で列車を停めて、線路に飛び出すなんて、絶対にダメ。
まぁ、実にくだらない・・。
自民党の萩生田幹事長代行は、10月の消費税率10%への引き上げについて、夏の参院選を前に延期を決める可能性に言及。
先送りする場合は「国民の信を問う」とも述べた。
萩生田氏は安倍首相の側近。
消費増税が参院選で与党に不利な材料になるのを懸念し、首相のフリーハンド確保を狙ったとみられる。
ただ、与野党から戸惑いや反発の声が出るなど波紋が広がった。
・・・政治の話をするつもりはありませんが、これって、評判の悪い消費増税を白紙にするために、周到なシナリオを作って、その第一弾だと思います。
振り上げた拳を下す場所とタイミングを考えて・・・。
選挙を前に、狐や狸たちが跋扈して、騙し合いをしているんですね。
昨日から、「五貫裁き」「匙加減」「帯久」を聴いています。
かつて好きだった日産車の中で、発売50周年となる車種が2つあるそうです。
「スカイラインGT-R」と「フェアレディZ」。
少年憧れの車でした。
これが、歴代のGT-R。
そして、歴代フェアレディZ。
そして、50周年記念モデルのGT-R。
今は、「スカイライン」ではなくなっています。
同じく、50周年記念のフェアレディZ。
子どもの頃、リタイヤしたら、フェアレディZを買って(駆って)、日本中をドライブしようというのが夢でした。
その夢のタイミングは間近になりましたが、フェアレディで日本一周は・・・どうかな?
もし、万が一やるなら、日産車ではなく、もっとゆったりと走れる車にするでしょう。
今朝の新聞記事。
日産自動車は2019年度の世界生産台数を、18年度の実績見込みに比べ約15%少ない460万台程度とする方針を固めた。
取引先に伝え始めた。
10年度以来、9年ぶりの低水準だ。
値引きによるブランド力低下や新車種の不足が響く。
昔の光、今いずこ・・・。
「サンデー毎日」にこんな記事があるようです。
◇"分裂状態"に終止符?
人気番組「笑点」の司会を務める春風亭昇太が江戸落語界の"統一"に動き出す―。
そんな話が席亭関係者の間をかけめぐっている。
昇太といえば、6月1日付で桂歌丸(昨年81歳で死去)の後継者として、落語芸術協会(芸協)会長に内定している。
ソフトな印象とは裏腹に剛腕との評判。
城好きで知られる昇太だが、果たして落語会の信長になれるか!?
関西の落語界は「上方落語協会」で一本化されているなか、東京はもともと古典中心の落語協会(落協)と、新作落語の芸協の二つの団体に分かれていた。
そこにいまだ語りぐさの"大事件"が起きる。
1978年ことだ。
落協会長の柳家小さんが大量の若手を真打ちに昇進させたことに、名人とうたわれた三遊亭圓生が反発。
落協を離脱して「落語三遊協会」を発足させた。
ここに分裂の歴史が始まり、今では、落語三遊協会の流れをくむ「円楽一門会」、落協を脱退した立川談志が創設した「立川流」が加わり、全部で4団体の乱立状態に。
昇太の頼みの綱が「笑点」の司会者という地位。
番組関係者がこう明かす。
「大喜利のメンバーになれば、収入は大幅にアップ。
一門の落語会のチケットの売れ行きにも影響するので、『笑点』は"金のなる木"なんです。
利害が絡むだけに、4団体の統合は絶望視されていたんですが、78年の騒動を実体験として知らない昇太は他の団体ともうまくつきあっています」
機運も熟していると見るのがベテランの演芸ライター。
「番組で昇太をいじっていた円楽も一目置く存在になっています。昇太が派閥の一本化を呼びかけたら耳を貸さないわけにはいかない。立川流は、談志さんが亡くなってから、それぞれが弟子を持って、一門のようなもの。派閥にはこだわっていません」
令和の始まりに、昇太が東京の落語界の刷新を図ることを期待したい。
・・・あまり内容のない、根拠の薄弱なコメントだと思いました。
40年前に圓生師匠が落語協会を脱退したことはショックでした。
その志そのものには、当時、私も理解して共感出来るものでしたが、新しい団体(落語三遊協会)が寄席に出られなくなった時点で、残念ながら、圓生師匠のクーデターは実質的に失敗でした。
また、圓生師匠没後に、一旦脱退した三遊亭の噺家さんたちを受け入れたことは、寄席や落語協会にとっては正解でした。
一方、頑なに師匠の遺志を通そうとした圓楽師匠(大日本すみれ会・現圓楽一門会)は、圓生師匠の目指す形を実現するどころか、全く反対方向(レベルの低下、真打粗製乱造)に向かってしまい、クーデターは名実ともに完全に失敗しました。
東京の落語団体の統一・・・は、現状では無理だと思いますし、むしろ統一する必要もなければ、統一して欲しくないと思います。
そもそも、落語協会には全くメリットはないでしょう。
統合のメリットがあるのは、質量ともに物足りない落語芸術協会と圓楽一門会だけ。
歌丸師匠と現円楽師匠との「笑点」繋がりもあって、この2弱団体が統合することはあるかもしれません。
しかし、そうは言っても腐っても鯛で、落語芸術協会の太宗が嫌がるでしょう。
現に、以前統合を画策した歌丸師匠も、他の師匠方の反対で、実現出来ませんでしたから。
弱者同士だけの統合もあまりメリットはない。
立川流は、元々、落語の本流ではありませんから、独立独歩・・というより、噺家さん個人でやって行くべきでしょう。
フリーの噺家さんの任意団体ということ。
寄席修行の経験がないというのは、やはり致命的です。
このまま落語協会とその他という形(1強3弱)で良いと思います。
昔と異なり、ホール落語など、寄席興行以外の落語会が多くなり、そこでは所属する団体の垣根はありませんから、噺家さんに実力さえあれば、どこの団体に所属していても良いはず。
数は少ないですが、落語協会以外の団体にも、実力や人気のある(可能性のある)噺家さんはいます。
また、一定のレベルや人気のある噺家さんが、単独で落語協会などに移籍することはあって良いでしょう。
とにかく、噺家さんの数は、少し減らさないといけない。
こういうのってどうなんだろう?
こんな投稿がありました。
・・・素朴に、コンビニのスタッフの対応は、随分冷たいなぁと思います。
恐らく、アルバイトか何かで、販売行為以外の権限もなく、決断も出来なかったのでしょう。
それでも、駐車場で車が炎上しているんだから、貸すとか貸さないでなく、自ら消化活動をする必要もあったのではと思います。
さらに、今やコンビニは、単なる商店ではなくて、企業として、地域のインフラを担う社会貢献的なミッションも負っているのですから、消火器は少なくとも貸すべきだったと思います。
修理費の賠償請求は、単純に事象だけを見れば、機械的な対応では可能だと思いますが、レピュテーションの観点からすると、やや拙速な気もします。
しかし、事故の当事者が、「ミニストップに非がないと言えるでしょうか」って言うのも?
ミニストップには、事故そのものに火・・じゃなくて非はありませんから。
そもそも、事故の原因が、車両そのものや整備不良にあったのなら・・・。
江戸っ子は、困っている人がいたら、自分が裸になっても尽くす・・・なんていうのは、落語の世界だけなんでしょうか?
本当に、バカじゃなかろうか・・と思います。
新東名高速の最高速度120キロの区間で210キロで車を運転したとして、静岡県警高速隊が、静岡市葵区の20歳の無職の男を道路交通法違反(最高速度違反)の疑いで逮捕し発表。
「スピードを出したことは間違いない」と容疑を認めている。
男は3月24日午後10時ごろ、新東名高速上り線で、最高速度を90キロ超えて乗用車を運転した疑い。
現場は3月から、全国に先駆けて最高速度120キロを試行している区間。
直線道路で同乗者はいなかった。
120キロの試行を開始後、速度違反での逮捕は初めて。
車はアウディのセダンタイプで、速度違反自動監視装置(オービス)で発覚。
これじゃないと思うけど。アウディって、こんな感じのクルマです。
全くもう、アウディ(危ねぇ)じゃねぇか!
・・・これが言いたかっただけ。
統一地方選の真っただ中。
121町村長選と375町村議選が告示。
町村長選は、45・5%にあたる55町村が無投票になった。
町村議選でも93町村が無投票になり、定数の23・3%にあたる988人が有権者の審判を受けずに当選が決まった。
このうち8町村で候補者数が定数に届かない「定数割れ」に陥り、前回2015年の4町村から倍増した。
人口減少が進む町村で、議員のなり手不足が深刻化していることが浮き彫りになった。
町村長選には全国で208人が立候補した。
最も多い35町村長選が告示された北海道では21町村が無投票になった。
初山別(しょさんべつ)村は12回連続の無投票だった。
・・・かく言う、我が故郷の町長選挙も無投票で、現職が3期目に入ります。
実は、母とは懇意にしていただいている方で、私の中学校の先輩です。
大変真面目な人柄なので、とてもよかったと思います。
(私は、選挙権はありませんが。)
私も、かつては「故郷へ錦」が夢でしたが、どんどん故郷が遠くなる気もしています。
ペンネームは存じ上げているだけで、個人情報はほとんど知らなかったのですが。
人気アニメ「ルパン三世」の原作者で、漫画家のモンキー・パンチさんが亡くなったそうです。
享年81歳。
そうです「ルパン三世」ですよ。
世界的大泥棒ながら、半世紀以上も愛される“ダークヒーロー”のルパン三世。
この独特のキャラクターを生み出し、漫画やアニメが大人も楽しめるジャンルとなる礎を築いたと言えるでしょう。
高校卒業後に上京。
電気関係の専門学校を経て、商社や貸本出版社などで働きながら同人誌を作った。
アメコミに影響を受けた独特の画風が編集者の目に留まり、65年に漫画家デビュー。
「モンキー・パンチ」は新人時代、漫画誌の編集長が命名。
無国籍でシャレた画風からで、モンキーさんは「格好悪い」と抵抗したが一蹴されたという。
「ルパン三世」は67年、漫画アクションの創刊号で連載開始。
主人公はアルセーヌ・ルパンの孫であり、大泥棒のルパン三世。従来なら“悪役”だが、アクションありコメディーありの、奥行きある世界観が読者の心をつかんだ。
71年にアニメ化されると、幅広い年齢層の人気を獲得。連載開始から半世紀が過ぎた今も、新作アニメや映画が製作される国民的人気作となった。
・・・我々はリアルタイムで楽しませていただきました。
不思議な魅力のある作品です。 ♪ルパン・ザ・サード♪
あのとんでも大臣、ホームページがあったんですね。
パソコンなど持っていない(操作できない)なんて言っていましたが・・・。
体調を崩したそうです。
お詫びの文がトップに載っているそうですが。
謝罪文
この度は、私の発言により多くの国民の皆様に多大なるご迷惑やご不快な思い、そしてご心配をおかけいたしましたことを、心よりお詫び申し上げます。
もちろん、被災地の復旧復興は私の一番の願であります。
この度の私の発言の責任をとり国務大臣の職を辞することを決断しました。すべての国民の皆様に重ね重ね謝罪すると共に、今後とも被災地の復興に全力を傾けて参ることをお誓い申し上げる次第です。
でも、本人は能天気なんでしょう。
・・・そうだ。
落研のホームページの誤った情報について、OB(会)の一人として、改めてお詫びしないといけません。
他人のことをとやかく言ってる場合じゃありませんでした。
ホームページのリニューアルを行ったのは良かったのですが、冒頭の「挨拶文」に誤りがありました。
すぐに、指摘と訂正のメールをしたのですが・・・。
3週間経って、やっと返信がありました。
「日本で二番目に古い落研」というのは、大きな間違いです。
どうやら、先輩から聞いていた内容を、事実確認をしないままアップしてしまったようです。
・・・学生のやることだから、ということなのかもしれませんが、やはりここは襟を正すべきでしょう。
自分たちの周囲の楽しみだけでなく、インターネット時代、SNSの影響の大きさも認識しないと、意図せずとも、大学の信用やブランドの棄損にもなりかねませんから。
ご迷惑や不愉快な思いをされた方々には、OBの一人として、代わって改めてお詫び申し上げます。
とはいう物の、何番目かはともかく、我が落研は、おかげさまで今年創部60周年。
大学落研の中でも屈指の伝統を有することには誤りはないと自負しています。
引続き、ご贔屓を賜りますようお願い申し上げます。
懐かしい・・・、まだ販売されていたんですね。
昔から、風邪には「葛根湯」、腹痛には「正露丸」、擦り傷・切り傷には「赤チン」・・・でしたよね。
「ヨーチン」という似た薬がありましたが、これはしみるので、「赤チン」専門でした。
「赤チン」の俗称で知られる薬「マーキュロクロム液」が、5月31日をもって「日本薬局方(厚生労働大臣が定めた医薬品の規格基準書)」から削除され、2020年12月31日には「水銀による環境の汚染の防止に関する法律」によって国内での製造も規制される予定で、「赤チン」が手に入れられなくなるのも時間の問題になったそうです。
日本薬局方から外れた薬は現行の「日本薬局方」を記載したパッケージでは売れなくなり、あらためて承認審査を通す必要があるそうですから。
マーキュロクロム液は、有機水銀剤「マーキュロクロム」の1~2%水溶液。
粘膜・傷口の消毒に使用され、薬品の色が緑がかった赤褐色であったため「赤いヨードチンキ」の意で「赤チン」と呼ばれた。
「ヨードチンキ(ヨーチン)」と化学的組成は全く別物。
日本薬局方に初めて収められたのは1939年。
明治以降に衛生教育が進んで消毒や殺菌の重要性が認識されるや、家庭や小学校の保健室に手軽な消毒薬として常備されるようになったが、水銀公害が問題となった1960年代以降は製造過程で水銀の廃液が発生することから敬遠され、1973年には原料の国内生産中止。
それでも原料を輸入することは禁止されていなかったため、愛用者に応える形で平成に入っても一部企業は製造販売を続けていた。
赤チンを見る機会は激減しましたが、年配者を中心に多くの一般使用者がいたんです。
しかし2016年6月に公布された「水銀による環境の汚染の防止に関する法律」で、マーキュロクロム液が2020年12月31日をもって製造禁止になることが決定。
さらに2017年12月、厚生労働省は「マーキュロクロム」「マーキュロクロム液」の2つを2019年5月31日をもって日本薬局方から削除することを発表。
厳密には日本薬局方を掲げる赤チンのみが販売中止となるわけです。
・・・これまた「昭和」ですね。
幼い頃は、「赤チン」・・・塗りたくりました。
「赤チン・・・、い~い、薬です」(他の薬のCMを借りました)
名前からして昭和です。
「不公平」だとは思わないけどなぁ。
そう思う人は、「阿武松」の「錣山親方」の料簡を学んで欲しい。
定食チェーン「やよい軒」が、これまで無料だったご飯の「おかわり」を関東の一部店舗で試験的に有料化。
有料化するのは全国378店舗のうち、東京、千葉、栃木、茨城の4都県の12店舗(約3%)。
「以前より、おかわりをしている人もしていない人も同じ値段を頂戴しておりましたが、その不公平感にご意見をいただいておりました。今回のテストは、改めて定食の価格とおかわり自由の価格を設定し、お客様の評価を把握する一環でテストを行います」と。
客というのはまぁ、実に自己中心な。
しかし、バカ喰いする品のない輩もいるんでしょうね。
それぞれ自己中心か。
あさましい。
フランスのノートルダム大聖堂が燃えているそうです。
世界的な観光名所ノートルダム寺院(Notre Dame Cathedral)で大規模な火災が発生。
火災により同寺院の尖塔が崩壊。
1000年近い歴史を持つ寺院とその貴重な芸術作品の数々の将来が危惧されている。
火災はフランスのカトリック教徒らがイースター(Easter、復活祭)を控える中で発生。
ノートルダム寺院からは炎と大量の煙が立ち上り、パリ市民や観光客らは戦慄の表情を浮かべてその様子を見守った。
火災は15日午後6時50分ごろ(日本時間16日午前1時50分ごろ)発生し、炎により屋根を支えていた木製構造物が破壊された。
同寺院で行われていた修復作業と「関連している可能性」がある。
パリ副市長はテレビ局BFM TVに対し、尖塔は「内側に崩れ落ちた」と説明。
寺院は「甚大な損傷」を受けたとし、救援隊員らが「救い出せるすべての芸術作品を救う」ために奔走していると述べた。
日本なら、今日との寺院が火災で焼失するようなものです。
建物だけでなく、所蔵されている芸術作品の被害が心配です。
火は怖い、火事は恐ろしい。
江戸城の天守など、自火ではなく、江戸中をなめつくした振袖火事の類焼だった訳ですから。
【ノートルダム大聖堂】
フランスの首都パリ中心部のシテ島にある聖母マリアにささげられた大聖堂。
1163年に着工され、約200年の月日を経て1345年に完成。
ゴシック建築を代表する建物として知られ、1991年に「パリのセーヌ河岸」という名称で周辺の文化遺産とともに世界遺産に登録。
1804年に皇帝ナポレオン1世が戴冠式を行ったほか、1831年にビクトル・ユーゴーが発表した小説「ノートルダム・ド・パリ(ノートルダムのせむし男)」の舞台にもなった。
こんな書評があるそうです。
相変わらず、落語本の出版も続いています。
裏切り、怨念、なんのその!
落語の神様――三遊亭圓朝の激動の人生を、新田次郎賞&本屋が選ぶ時代小説大賞W受賞の奥山景布子が描いた傑作長篇。
「牡丹灯籠」「真景累ヶ淵」など数々の怪談、人情噺を残し、江戸と明治を駆け抜けて、芸能の怪物となった三遊亭圓朝。
しかし、その実人生は「まさか」の連続だった。
師匠に嵌められ、弟子は借財まみれ、放蕩息子は掏摸で逮捕。売れない修行時代から、名人にのしあがった晩年まで、不屈の魂に燃えた〈大圓朝〉、堂々たる一代記。落語の神様もつらいよ!
「傑出した文化は鎖国から生まれる」。
一時の立川流はまちがいなく鎖国社会だった。
そのうえ、落語というのは、面白さがわからない人にはわからない。
いくら説明してもわからないという「閉鎖的」な芸能だ。
落語立川流は、そうした閉鎖性の強い落語+長いあいだ鎖国状態でもあった。
寄席で修業できなかろうが、昔の落語ファンから罵声をあびようが、「談志の価値観がすべて」「この生き方が正しい」そう信じて修業を重ねてきたアウトロー集団。
自分たちの文化こそ最高と考えていた鎖国状態で修業を積み重ねてきた。その修業の結果がいまあらわれはじめている。
いまでは、落語界を牽引する志の輔、談春、志らく、談笑《立川流四天王》を育てた「談志イズム」「談志イズム」とはなにか、談志原理主義の著者が本書で語り尽くす。
『立川流鎖国論』を改題 。
筆者が上方落語の魅力に溺れた一九七〇年代、
その中心は俗に「四天王」と呼ばれる六代目笑福亭松鶴、桂米朝、三代目桂春團治、桂小文枝(後の五代目文枝)の四人の師匠連であった。
最後の一人となった春團治師も二〇一六年一月九日に八十五歳で亡くなり、ひとつの時代が終わった感がある。
本書では三十八の演題を厳選、懐かしい師匠たちの舞台裏話から芸の魅力、人の魅力、お囃子さんまで、四十年の思い出を語り尽くす。
番外として、タモリが吉原で発見し、鶴瓶が演じ、歌舞伎になった新作落語『山名屋浦里』の裏話を収録。
・・・ご興味があれば。
「KITEMITE MATSUDOが」、いつのまにかという感じで、ささやかに部分開業していました。
(開業当日は長蛇の列になったそうですが・・・。)
駅を降りて、ちょっと立ち寄りました。
何か不思議な雰囲気がします。
あまりときめかないのは、私がオジサンだからでしょうか?
とにかく、まだテナント店舗が決まっていない。
フロア案内は「準備中」ばかり・・。
このあたりが、華々しくない所以かもしれません。
それに、地下の食品売り場も何か垢抜けないし。
とにかく、支払いは現金のみなんて、今時信じられません。
第一、「【現金のみ】になります。」っていう表現がおかしい。
「【現金のみ】です。」「【現金のみ】でお願いいたします。」「【現金のみ】とさせていただきます。」でしょう。
動詞の使い方がなっていない。
こういうのは、いたるところにありますが。
デパート跡の店舗としては・・・、あまり期待は出来なさそう。
そうそう、バスポートセンターが、近くのビルから移転していました。
何年続くかなぁ。
また、立川志酪酸のツイートから。
「柳田格之進」について。
久々の柳田格之進。
ラストはハッピーエンドにすべきではない。
無理がありすぎる。
武士の美学、こだわりが招いた悲劇。
悲劇はやはり悲劇でなくてはならない。
悲劇は残酷だからとハッピーエンドを付け加えたら名作じゃなくなる。
ロミオとジュリエットを例に考えればわかる。
・・・確かに。
昔、学生時代に聴いた金原亭馬生師匠は、父親(柳田)のために吉原に身を売った娘は、病気になり、「後姿は老婆のようだ」となってしまう。
柳田は無念を晴らすため、自分を疑った者を斬ろうとするが、結局碁盤を叩き切る・・・。
そこで、別名「柳田の堪忍袋」とも言われます。
しかし、最近では、娘を身請けをして、番頭と夫婦にさせる等、ハッピーエンドにする演出が多い。
柳田格之進は、生来の正直さが災いして主家から放逐される。
その後、妻に先立たれ娘のおきぬとともに浅草阿部川町の裏店に逼塞している。
今日の米にも困る暮しぶりだが、そんな中にあっても武士の誇りを捨てない実直な人柄は少しも変わることはない。
彼を慕う浅草馬道一丁目の両替商、万屋源兵衛とともに碁を打ち酒を酌み交わすのが、ただ一つの楽しみだった。
8月15日の夜、格之進は万屋宅で月見の宴を張り、いつものように離れ座敷で碁を打つ。
格之進の帰宅後、番頭の徳兵衛は主人の源兵衛に碁の最中に預けた50両はどうなりましたかと尋ねる。
そこで50両の大金が無くなっていることに気づき徳兵衛は格之進を疑うが、源兵衛は「あのお方に限ってそれはない、仮にそうだとしても何か仔細があったのだ」と、番頭を諭す。
しかし、徳兵衛は主人に内緒で格之進宅に赴き50両の行方を問いただす。
「いやしくも身共は武士、何ゆえあってかような疑いをかけるか。」と激する格之進に対し、徳兵衛はいずれにしても大金が消えたのは事実だから奉行所へ金の紛失を届けるという。
たとえ身に覚えはなくとも、奉行所の取り調べを受けることは不名誉とし、格之進は明日までに金の支度をすると約束する。
格之進は自害するつもりで、おきぬにそれとなく別れを告げるが、おきぬは自ら吉原へ行き金を工面するという。
そして盗んでない以上、いずれ50両は見つかるでしょうから、そうしたらその金で身請けし、源兵衛と徳兵衛を斬って武士の体面を守ってくださいと言い、格之進は断腸の思いで娘を売って金を作る。
格之進は、やってきた徳兵衛にあくまで自分は盗んでいないと念を押して金を渡し、もし見つかった場合は、源兵衛と徳兵衛の首を貰うと言う。
金がある以上、格之進が盗んだと確信した徳兵衛は二つ返事でもし金が見つかったら自分と主人の首を差し出すことを約束する。
徳兵衛は帰ってくると主人に事のあらましを報告する。
仮に格之進が盗んでいたとしてもほっとけば良いと考えていた源兵衛は怒り、余計なことをして柳田様に無礼を働いたと叱り飛ばす。
そして謝罪するべく急いで格之進宅へ向かう2人であったが、既に家は引き払われた後だった。
しばらく源兵衛は格之進を捜すよう店の者に言いつけるか、次第に忘れられ年の瀬となった。
年末のすす払いで、無くなった50両が見つかる。
そこで源兵衛は小用の際に自分が隠したことを思い出し、格之進に申し訳ないことをしたと悔やみ再度、彼を捜すよう店の者達に号令を出した。
年が明けて正月の4日、徳兵衛は年始回りの帰りに湯島天神の切通しで、身なりの立派な武士から声を掛けられる。
それは柳田格之進であり、聞けば、格之進は主家への帰参が叶い、今や江戸留守居役に出世したのであった。
徳兵衛は震えながらも格之進に付き合い茶屋へ入ると、咽びながら50両が見つかったことを話し詫びる。
これを聞いた格之進はからからと笑い、明日、店へ参るから首を洗って待てと伝える。
徳兵衛から話を聞いた源兵衛は翌日、彼を無理に外に使いに出すと、死を覚悟して格之進を迎える。
そして源兵衛は自分が格之進へ取り立てを命令したと徳兵衛を庇い、首を討つのは自分だけにして欲しいと言う。
そこに主人の思惑に気づいていた徳兵衛がやってきてあくまで自身が勝手にやったことだと訴える。
2人の言い分を聞いた格之進は刀を抜くが首ではなく碁盤を真二つに斬る。
格之進は庇い合う2人の情けに打たれ斬るに斬れなかったと言い、身請けした(あるいは既に身請けされていた)娘と共に2人を許す。
・・・これが一般的な演出です。
古今亭志ん生・志ん朝親子の演出があります。
志ん生版では格之進の来訪時、まだ娘は身請けされていない。
碁盤を斬った後、格之進はどうやって50両を用意したのかを明かす。
源兵衛は急いでおきぬを身請けし、おきぬも「父上がよろしければわたくしは何も申すことはございません。」と万屋を許す。
さらに、金原亭馬生・柳家さん喬版もあります。
馬生版では格之進の来訪時、帰参時の支度金によって娘は既に身請けされている。
しかし、精神に深い傷を負い、体は痩せ細くなって黒髪が白髪というまるで老婆のような出で立ちで、部屋の隅で只々泣いてばかりとなっている。
最後の万屋宅のやりとりで事情を知った徳兵衛は、その後、必死におきぬを看病し、二人はいつの間にか恋に落ち夫婦となる。
格之進は元通りに万屋と交誼を結び、徳兵衛とおきぬの間にできた男子に柳田家の跡目を相続させる。
こういうパターンは、「唐茄子屋政談」や「浜野矩随」にも出て来ます。
時代も変わって、いくら家族とは言え、身内を犠牲にさせるというのは、なかなか耐えられないという面もあるでしょう。
日本のことではありませんが、一つの歴史の幕が閉じる話題です。
自動車史に残る名車がまたひとつ消えることになりました。
カブトムシのような形で知られるVW(フォルクスワーゲン)の小型車「ビートル」。
初代から現行モデルまでの累計は3400万台超ですが、今年7月で生産は打ち切りとなるそうです。
ビートルはナチス時代のドイツで誕生したクルマ。
アドルフ・ヒトラーによる大衆車政策の下、開発が進み、ビートルのオリジナルモデル「タイプⅠ」は1938年に登場。
本格的な生産は第2次世界大戦後で、VWが世界に誇るベストセラーカーとなっていました。
私が、名前とスタイルを最初に覚えた外車だと思います。
・・・何もご縁はありませんが、寂しいか限りですね。
日本で言えば、昭和の産物ですから。
2019年3月の「千早亭落語会」では「長屋の花見」。
9年間稽古をして来た「扇子っ子連」を休会することになり、一区切りの高座になりました。
世はまさに卒業の季節、それぞれ違った道に進んで行く時に、私も決心しました。
千早地域文化創造館での最後の高座かもしれません。
ここで、16席の演目を高座にかけました。
季節もぴったりなので、最後の噺には、有名な落語の一つの「長屋の花見」を選びました。
東京の桜の開花宣言の2日後でしたから、まだ蕾が多い時期でしたが。
長屋の連中に大家から呼び出しがかかる。
どうせ店賃の催促だろうと戦線恐々、皆にいくつ溜めているかを聞くと、「3年」、「おやじの代から」、中には「1回」と成績がいい店子かと思いきや、「引っ越して来た時、1回払ったきり」だと。
さらには「店賃とは何だ」、「そんなもの家主からもらったことがない」という強者もいる。
店子そろって恐る恐るそろって大家の家へ行き、機先を制し謝ってしまうと、長屋中で上野へ花見に行こうという話で、酒、肴は全部大家持ちという。
ほっとして喜んでは見たものの、まだ油断ができない。
案の定、1升ビン3本の酒は番茶を薄めた「お茶け」。
かまぼこは大根の薄切り、玉子焼きはたくあん、とこんな調子だ。
月番が毛せん代わりにムシロをかついで、全員やけ半分で上野のお山へ「花見だ、花見だ」、「夜逃げだ、夜逃げだ」と繰り出した。
高い方が見晴しがいいのに、上の宴会で花見客が落とす料理が転がって拾いやすいからと擂鉢山の下の枝振りのいい木の下に陣取る。
5人くらい首をくくっても大丈夫そうな桜の木を見上げて宴の開始だ。
少しでいいからというのに、月番に「お茶け」を沢山注がれて怒っているやつ、「予防注射みたいに皆で飲まなければいけない」とか、大根かまぼこをつまんで、「毎日、おつけの身にして、胃の具合が悪い時にはかまぼこおろしが効く、最近は練馬の方でもかまぼこ畑が少なくなった」なんて、一向に盛り上がらない。
大家は俳句好きの店子に一句どうだと言うと、「長屋中歯をくいしばる花見かな」で、大家もぐっと歯をくいしばり我慢だ。
すると、大声で「玉子焼き取ってください」ときて、回りの花見客がこっちを向き、大家はにっこり喜ぶが「しっぽのない所」でがっくり。
お通夜みたいな「お茶か盛り」に大家は月番に、「お前、酔え」と命令だ。
仕方なく、「さぁ酔った」と調子を合わせる月番
大家「ずいぶん酔いが早いな」
月番「酔うのも早いが、醒めるのも早い」
大家「嬉しいな、お前だけ酔ってくれて、吟味した灘の生一本だぞ」
月番「宇治かと思った」
大家「酔った気分はどうだ」
月番「去年、井戸へ落っこちたときとそっくりだ」
湯呑の中をじっと見て、
月番「大家さん、近々長屋にいいことがありますよ」
大家「どうして」
月番「酒柱が立っている」
使う場面はありませんが、桜の花の柄の手拭いを選びました。
落語の楽しみ方は、それぞれ人によって違って良いと思いますが、自分と方向性を共有できない場所にいるのは楽しくないし、自分の描く落語像が歪められるのを見るのも辛いので、ちようど良い潮時だったと思います。
私は、真に落語が上手くなりたいから。
この噺も、季節は限定されますが、便利な持ちネタになりそうです。
「千早亭落語会」を卒業しました。
昨夜、航空自衛隊の最新鋭ステルス戦闘機F35Aが、青森県沖を飛行中に消息を絶ったそうです。
レーダーに映らない飛行機がレーダーから消えた?
海上では機体の一部とみられるものが見つかったそうで、防衛省が確認を急いでいます。
三沢基地に所属するF35A戦闘機1機が、基地の東およそ135キロの太平洋上を飛行中にレーダーから消え、連絡が途絶えたって、ステルス機なんですから、レーダーには映らなくて当たり前なのでは?
「ステルス」は、隠密とかこっそり行うという意味です。
そんなことステルス(知ってるす)。
センサーなどに対する低被探知性とも。
レーダーに映らない飛行機の場所を見つけるのは大変でしょう。
寄席で、紙切りで注文した作品を白い紙の上に重ねるみたいなもので・・・見えません。
人間と言うのは、いくら権勢を誇った人でも、その地位を追われると、惨めなものです。
これも自業自得というものですか。
今まで君臨していた組織を石もて追われた元トップが、自身の潔白を主張するビデオを配信しましたが、内容も乏しく、ほとんど無視されているようです。
その中で、「私は無実だ」と言っているそうです。
「陰謀」「策略」「中傷」---。
現経営陣にこんな言葉を並べて批判した日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告。
だが、肝心カナメの事件については「全ての嫌疑について私は無実」と主張したものの、具体的な説明を避けて核心には触れず、カリスマ経営者として現役時代に派手なパフォーマンスでアピールしていた迫力や鋭さはまったく見られなかった。
この場に及んで何のために公開したのかとも疑いたくなるほどの、拍子抜けの動画だったという印象は否めない。
今までの経緯を見ていて、彼は、ちゃんと手続きを踏んで行ったという主張をして来ました。
・・・ということは、「無実」ではないでしょう。
言うなら、「私は無罪だ」と言うべきです。
「無実」と「無罪」の区別がつかない人が多いようですが。
2018年9月の「千早亭落語会」は「短命」。
「短命」は、ほとんど稽古らしい稽古も出来ず(せず)に本番を迎えました。
しかし、完全にサボっていた訳ではありません。
たしかに7割は怠慢ですが、3割は試みでした。
落語を覚える、語る・・・。
落語のあるべき、自分の落語のあるべき姿。
そのために考えること、やるべきこと。
新たに加える部分、きっぱりと切り捨てる部分。
そう言えば、落研の先輩の談亭志ん志師匠も、先日のOB落語会の時に、「最近は、稽古量が少なくなったよ」などと、何か壁のようなもの、葛藤の存在を語っておられました。
その気持ち、とてもよく分かります。
私もそうかもしれないですから。
お客さまから「良かった」「上手くなったと」という評価を頂戴する次元ではなくて、それは当たり前で、さらなる高みはないか、それは何か(どこか)を求めて実践する次元や領域なんでしょう。
それにしてもひどい出来でした。
言葉(単語)が出て来なかった場所も数々。
不完全な細かな感情表現や仕草。
ただし、この噺も楽しい。
「試し酒」「長短」と「短命」は、"脱(非)人情噺"として、大切な財産になりました。
不遜を言わせていただくと、覚えるのも楽ですから。
植木職人の八五郎が先代から出入りしている伊勢屋の一人娘の婿養子が続けて3人死んだ。
八五郎はなぜだろうと不思議に思って横町の隠居の所に聞き来た。
隠居は伊勢屋の店の様子と夫婦仲を聞く。
店は番頭がすべて切り盛りし何の心配もなく、3人の婿養子との夫婦仲は睦まじいのを通り越して、夫婦はいつもべったりで、はたから見ているのが恥ずかしくなるほどの仲の良さだったという。
これを聞いた隠居、「夫婦仲がよくて、家にいる時も二人きり、ご飯を食べる時もさし向かい。原因はそれだな」と一人で合点だが、八五郎には何のことやらさっぱり分からない。
隠居が「店の方は番頭任せで財産もある。朝から二人きりで美味くて、栄養満点で、精がつく物ばかり食べて、女が美人で暇があるってのは短命のもとだ」と言っても、八五郎は「じゃあ、いい女だと、旦那は短命なんで?」といい所をつくが、まだ核心は頭の闇の中だ。
物分りの鈍い八五郎にいい加減疲れて来た隠居は、「早い話、冬なんぞはこたつに入る。そのうちに手と手がこう触れ合う。白魚を五本並べたような、透き通るようなおかみさんの手。顔を見れば、ふるいつきたくなるいい女。そのうち指先ではすまず、すぅ~と別の所に指が触ってな・・・・なるほど、これでは短命にもなるというもの」と語るのが恥ずかしくなるほどの、エロ本まがいの情景描写で話す。
これをエスカレートして繰り返すこと三度で、やっとニヤニヤ、助平の八五郎も大納得した。
長屋に戻ると相撲取りのような女房が鬼のような顔をして、「朝っぱらからどこをほっつき回っていたんだ、早く飯を食え」と怒鳴る。
ふと隠居の話を思い出した八五郎、「おい、夫婦じゃねえか。飯をよそってくれ。おい、そこに放りだしちゃいけねえ。俺に手渡してもれぇてぇんだ」、何を今さらと仏頂面で茶碗を邪険に突き出したかみさんの指と指が触れて、「顔を見るとふるいつきたくなるようないい女・・・・ああぁ、俺は長命だ」
以前から考えていた「扇子っ子連」を休会しようかと、具体的にタイミングを考え始めた頃でした。
仕事の都合が最大の理由ですが、落語に対する方向性の違いにも限界を感じていましたので。
新しい札と硬貨のデザインが発表されました。
大学の同期で、第一勧業銀行(当時)へ就職した友人がいます。
高校の同級生で、津田塾大学と北里大学に入学したクラスメートがいます。
きっと、それぞれそれなりに喜んでいることでしょう。
裏は花色木綿・・ではなくて、東京駅のレンガ造りの駅舎。
明治の女性で、教育に尽力して、学校を興したひとはそれなりにいらっしゃいますが、創設者の名前がそのまま残っているのは津田塾ぐらいではないかと・・・。
裏は、富士(山)ではなくて藤の花。
女性の顔で、全般的に紫色基調のようですから、これもありかもしれません。
新しい札にする一番の目的は、偽造対策なんだそうです。
この世界は、偽造団との際限のない戦いなんだそうですから。
「キャッシュレス時代だから、新札は要らない」なんていう元IT企業の代表が言っていますが、バカで浅薄な発言です。
デジタルは結構、しかし、アナログは絶対になくならない(なくせない)のは、誰でも分かること。
北里柴三郎は、有名な科学者(医学者)です。
裏は、富嶽三十六景で、富士山は残りました。
テレビのワイドショーなどで、3人のことを「知らない」と堂々というコメンテーターがいたそうですが、自身の無知を晒しただけのよう。
500円硬貨は、カラフルになるようです。
立川志らくさんのツイート。
最近、テレビなどでの露出が増えていて、SNSが炎上したり、激論を戦わせたりしています。
仕方のないことですが、立川流の噺家さんの"オレが、オレが"は好きではありません。
が、時々、面白いコメントもあります。
お弟子さんに対して言っているのですが、素人に対しても言えるものだと思いました。
そのまま読んでも良いし、古典を本当の落語、新作を落語もどき(落語の形にしたお笑い)に読み替えると、とても説得力がある。
何事も、勉強と基本の体得が優先されるべきです。
語り継がれて形が出来上がっている古典をしっかりやってから、まだ語りが確立されていない新作にチャレンジしなくては。
師匠の創作落語も同様だと思います。
あの厳しい、六代目三遊亭圓生師匠は、新作を目指した圓丈師匠は認めていました。
圓丈師匠ご本人も、新作を志向しながらも、古典バリバリの圓生師匠の門を叩いたのも、古典の基本をしっかり身に着けてからと考えたからだと仰っていました。
碌に知識もなく、基本も身に着けずに、「私の趣味は落語です」と言って、恥も知らずに新作を演る人たちが多すぎる。
・・・まぁ、楽しむのは個人の自由ですから。
私が、そういう人たちと交わらなければ良いということですか・・・。
桜田五輪担当大臣が、またやらかしました。
東日本大震災の被災地の宮城県石巻市を、「いしのまき」と読まず(読めず)「いしまき市」と言い間違える答弁を繰り返したそうです。
大臣、そうですよね。
仕方ないですよね。
東北地方では、「石巻」と「花巻」という地名があって、「いしのまき」と「はなまき」って読みますからね。
ちょっと混乱しちゃったんですよね。
関西の「枚方」とか「放出」なんて、絶対に読めないでしょうね。
もしかすると、「神田」は「こうだ」、「神戸」は「かんべ」って・・・、読めるほどの引き出しはありませんか。
「境港」と「築港」と「香港」と「桑港」って、読めますかねぇ?
大臣、日本語は、特に漢字の読みは難しいから、知らなかったら予習しておかないと、恥の上塗りになりますよ。
いつもお世話になっていて、あればあるほどありがたい物・・・。
いくらあっても構わない、もっともっと欲しい物。
聖徳太子、伊藤博文、岩倉具視・・・が、私の原点。
それから、福沢諭吉、新渡戸稲造、夏目漱石となり。
さらに、福沢諭吉、樋口一葉、野口英世へ。
政府は数年後をめどに、紙幣の肖像画を変える方針だそうです。
1万円札の肖像は1984年に聖徳太子から福沢諭吉になって以来の変更。
5000円札の肖像は04年に新渡戸稲造から日本で戦後初めて女性の樋口一葉になり、1000円札の肖像は同年に夏目漱石から野口英世に変わっていました。
政府は数年後をめどに、1万円などの紙幣の肖像画を変える準備に入った。
肖像画の変更は2004年以来となる。
そして、新1万円札は第一国立銀行や東京証券取引所など多くの企業を設立、経営した実業家の渋沢栄一。
5000円札は津田塾大学の創始者の津田梅子。
1000円札は「近代日本医学の父」として知られ、ペスト菌を発見するなど医学の発展に貢献した北里柴三郎。
それぞれの偉業に異論はありませんが、明治の人ではなくて、せめて平成の人にするのも良いのではと思います。
それに、2000円札ってどうなるのか知りませんが、私なら、こんなメンバーが良いと思いますが。
でも、みんな知らないかな?
大村智教授、田中耕一フェロー、山中伸弥教授と、向井千秋さん。
男性3人はすべてノーベル賞受賞者で、向井さんは日本人女性初の宇宙飛行士です。
日本という国は平和な国だぞというのにピッタリ。
それとも、「令和」の梅つながりで、こんなメンバーでは?
菅原道真、大伴旅人、水戸光圀というのはどうでしょうか?
女性がいないか・・・。
それならば、こんなのはどうでしょうか?
初代三笑亭可楽、烏亭焉馬、そしてご存知三遊亭圓朝。
江戸落語の始祖、江戸落語中興の祖、近代落語の祖です。
・・・ダメ・・ですよね。
こうなるそうです。
2018年3月の「千早亭落語会」は「長短」でした。
学生時代から大好きな噺のひとつ。
何度か演る機会があったのですが、他の人がやったばかりだとか、人情噺に傾注していたからとかで、なかなか実現できませんでした。
昔から聴いているのと、それほど長い噺ではないので、ほとんど苦も無く覚えることが出来ました。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2018/03/post-52e2.html
とにかく、核のストーリだけなら、10分もかかりませんから。
そこで、饅頭を食べるシーンを少し長めの演出にして、煙草を吸う場面も回数を少し増やして、20分近くになります。
気が長い長さんと気短な短七は、気性は真逆だがなぜか気の合う、子ども頃からの遊び友達だ。
ある日、長さんが短七の家へ遊びに来る。
戸の前でウロウロ、中を覗いたりしている長さんに気がついた短七さんは、じっれたくてしょうがない。
戸を開けて長さんを引っ張り込んで、饅頭を食えと勧める。饅頭を食べ始めた長さんはいつまでも、口の中で牛みたいにくちゃくちゃやっている。
見かねた短七さんは、こうやって食うんだと一つを丸飲みして、目を白黒させている。
今度は長さん、煙草に火をつけようとしたが、なかなかつかない。
短七は見ているだけで、まどろっこしくてイライラしてくる。
やっと火がついて吸い出したが、その悠長な吸い方に我慢が出来ない。
見本を示そうと、「煙草なんてものは、こうやって吸って、こうやってはたくんだ」とその動作の早いこと。
目を丸くして見ている長さんの前で、何度もくり返すうちに調子に乗り過ぎて火玉が袖口からすぽっと中に入ってしまった。
一向に気がつかない短七に長さんは恐る恐る、
長さん「これで短七つぁんは、気が短いから、人に物を教わったりするのは嫌えだろうね」
短七 「ああ、でぇ嫌えだ」
長さん「俺が、教(おせ)えても、怒るかい?」
短七 「おめえと俺とは子供のころからの友達だ。悪いとこがあったら教えてくれ。怒らねえから」
長さん「・・・・ほんとに、怒らないかい? そんなら、言うけどね、さっき、短七つぁんが何度も煙草を威勢よくポンとはたいたろう。その一つが煙草盆の中に入らないで、左の袖口にすぽっと入っちまいやがって、・・・・煙(けむ)がモクモク出て来て、だいぶ燃え出したようだよ。ことによったら、そりゃあ、消したほうが・・・」
短七 「あぁ~、ことによらなくたっていいんだよ。何だって早く教えねえんだ。見ろ、こんなに焼けっ焦がしが出来たじゃねえか、馬鹿野郎!」
長さん「ほおら見ねえ、そんなに怒るじゃあねえか、だから教えねえほうがよかった」
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2018/03/post-ca8c.html
いつでも出来る持ちネタ、とても便利な噺です。
今度の4月21日の「おひろめ寄席」でも、ご機嫌を伺います。
ただし、15分以内に収めないといけません。
日産自動車の臨時株主総会で、会社法違反(特別背任)容疑などで逮捕・起訴されたカルロス・ゴーン前会長と、金融商品取引法違反容疑で逮捕・起訴されたグレゴリー・ケリー前代表取締役の取締役2人が解任されました。
これで、日産は、平成8年に取締役に就き、業績回復や3社連合の形成を主導したゴーンさんと完全に決別したことになります。
「業績V字回復だ」なんて持ち上げられた虚構の経営者も、実は、欲の皮の突っ張った成金だったということです。
やはり、世の中にスーパーマンなどいないんですね。
ついでに、ゴーン夫人も、自分が火を点けた火事場から逃げて行ったようで、とにかく心証は真っ黒です。
「解任」ですから、通常の退任と違って、何らかの報酬が支払われることはないでしょうね。
驕れる(奢れる)もの久しからず、春の夜の夢のごとし。
Ghosn has gone.
またまた、昔昔亭桃太郎師匠のツイートが気になりました。
落語家が一番言われたくない言葉、それは「君の落語は陰気だね」と言われる事だ。
致命傷だ。
陽気になる事は難しい。
だけど芸協100年で二人、これを克服して陽気になった人がいる。
先代今輔師匠と先代小南師匠は血のにじむ努力をして陽気になったと僕の師匠から聞いた。
何事も努力だね。
五代目古今亭今輔師匠と二代目桂小南師匠ですね。
陰気と言うより、この2人の師匠の共通点は別にあります。
「訛り」です。
今輔師匠は「上州訛り」、小南師匠は「丹波訛り」です。
それぞれ、江戸落語では、非常に大きなハンディでした。
それを、今輔師匠は「おばあさん落語」、小南師匠は「上方落語」で、独特の世界を作り上げ、まさに「今輔落語」「小南落語」を完成させました。
確かに新しい落語は、生き生きとして陽気になったことでしょう。
何事も努力なんですね。
・・・以前、落研OBの先輩から、私の噺(芸風)は「長い、暗い、つまらない」と言われました。
⚾ 時速163キロメートル・・!
U―18ワールドカップ(8月に韓国で開幕)の高校日本代表1次候補による国際大会対策研修合宿で、今秋ドラフト1位候補の大船渡・佐々木朗希投手が実戦形式の中で日本の高校生史上最速の163キロをマーク。
花巻東・大谷翔平投手の160キロを一気に3キロも更新した。
集まった日米12球団46人のスカウトからは、昭和の怪物・江川、平成の怪物・松坂以上という声も。
「令和の怪物」になりますか?
測った場所によって球速に多少の差はあったそうですが。
最近、東北地方出身の楽しみな若手が増えた気がします。
菊池投手と大谷投手のメジャーリーガーは岩手県、日本ハムの吉田党首は秋田県。
それにしても、「昭和の怪物」は江川で、「平成の怪物」は松坂なんですね。
今からそんなに速い球を投げなくててもいいから、肩や肘を温存して欲しい。
「窓口さん(越児さん・新参さん)には、何とも言えない"フラ"がある」と、落語っ子連の稽古で、師匠がよく仰います。
「フラがある」・・・、「フラ」。
例えば、古今亭志ん朝師匠が、父親の五代目古今亭志ん生師匠を評して、「親父の持つ独特な雰囲気、あれあたくしのほうでは"フラ"っていうんですが、ふっと笑いたくなるようなおかしみね、それは勉強してできるもんじゃないんです」と。
「フラ」というのは、落語界の用語で、「どこともいえないおかしさを」のこと言います。
天分のようなものだから、稽古で得られるものではない。
うまさとも別で、フラがあるから名人になれるとも言えないが、芸人の素質にかかわる褒め言葉です。
・・・窓口さんと越児さんと新参さんには、この「フラ」があると仰る訳です。
醸し出す雰囲気、なんだか可笑しい人、口調・・・。
ところが、私は、この"褒め言葉"を、師匠だけでなく、他の方からも言われたことがありません。
天性のものだと言われれば、諦めるしかありませんが、確かに、自分に一番欠けている部分だと言うことは、ずっと前から認識してはいます。
一生懸命に稽古したからと言って、フラが出て来る訳ではないのが歯痒い。
ところが、一方で、落語家のフラは努力して作り上げていくものだと言う人もいるようです。
努力を感じさせるとフラではない、努力の跡を見せずに自然なトークに仕上げると、フラと呼ばれる雰囲気が醸し出されてくるのではないでかと。
「努力の跡を見せずに自然なトークに仕上げる」ことですね。
2017年9月の「千早亭落語会」では「おせつ徳三郎」。
この噺は、上下に分かれた長講で、上は「花見小僧」という滑稽噺、下は「刀屋」という人情噺になっています。
(前半の部分をさらに2つに分ける場合もあるようですが。)
私は、「刀屋」を演らせていただきました。
この噺は、男の側から見た純愛物と言っていいと思います。
本来なら、御法度となる男女の仲を描いたものです。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2017/09/post-a6f7.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2017/10/post-9227.html
仕事の都合で、なかなか扇子っ子連の稽古に行かれないので、落語っ子連で稽古を積みました。
落語っ子連の方が、じっくり、みっちり、しっかりした稽古が出来ますし。
この噺のポイントは、主人公の徳三郎とおせつ、そして刀屋の主人の人物設定が大事なのと、神田辺りか日本橋久松町、さらに大川を越えて木場までと、距離感も踏まえた舞台設定が重要です。
以前、それぞれの場所を歩いたことがありますから、地図や写真を広げて、おせつと徳三郎が、それぞれ2人の思い出の場所に駆けつける間の心理状態を考えて設定しました。
そうそう、雨も降り出しましたから。
秋の「千早亭落語会」は、千早地域文化創造館との共催の形ですから、立派なプログラムも作っていただきました。
「おせつ徳三郎」は、初代春風亭柳枝が作った現存落語中屈指の大作。
上中下に分かれ、上を「花見小僧」、中を「隅田のなれそめ」、下を「刀屋」とよぶ。
「お節徳三郎恋のかな文」「連理の梅ヶ枝」という別名もある。
大店の主人が娘のおせつに婿をとろうとするが、おせつは奉公人の徳三郎と恋仲だったため徳三郎に暇を出す。
徳三郎はおせつを殺して自分も死のうと刀屋に立ち寄るが、刀屋の主人が意見する。
そこへ、おせつが婚礼の席から逃げ出したという情報が入る。
徳三郎は飛び出して両国橋のところでおせつに会う。
2人はあの世で夫婦になろうと「南無妙法蓮華経」と唱えて深川の木場の橋から川に飛び込むと、下は一面の筏。
「徳や、なぜ死ねないのだろう」
「死ねないわけだ。いまのお材木(お題目)で助かった」。
この噺(はなし)は明治・大正・昭和にかけて多くの噺家が口演したもので、上の会話のおもしろさ、下のしみじみとした聴かせ場など、話芸としての価値は高い。
・・・師匠の高座本では、舞台設定やオチを変えてはいますが、確かに名作だと思います。
そして、高座で演っていて、何とも言えない愛おしさのようなものを感じました。
単に筋が面白いからとか、純愛物だからと、安易な気持ちで中途半端に演って欲しくない噺です。
素性の分からないハロウィーンや何かよりも、もっと盛んにやっても罰は当たらないと思うのですが。
今日は「花祭り」。
正式には「灌仏会(かんぶつえ)」。
お釈迦様の誕生を祝う仏教行事です。
クリスマスの仏教版とも言える訳です。
日本では原則として毎年4月8日に行われ、一般的には花祭・花祭り・花まつりと呼ばれています。
仏教なら宗派を問わず、共通して祝われます。
古くは西域で行われていたようですが、中国では4世紀の後趙で行われ、唐や宋の時代に広まりました。
日本で最初に花祭りが行われたのは、聖徳太子が活躍していた606年の4月8日とされています。
その後、奈良時代には、大きなお寺に広まり、平安時代には、お寺の年中行事として一般化しました。
江戸時代になると、寺子屋で庶民に広まります。
「灌仏会」といわれたのは、840年の4月8日が最初で、「花祭り」は、明治時代に浄土宗から始まったものです。
それ以来、どの宗派でも「花祭り」といわれることが一番多くなりました。
お釈迦様は、約2600年前、インドのカピラ城の主であった浄飯王(じょうぼんのう)、マーヤー(摩耶)夫人の間に生まれました。
マーヤー夫人が出産のために故郷に帰省される途中、4月8日、美しい花が咲き乱れる「ルンビニー園」という花園で生まれられましたので、
お釈迦さまのお誕生日を花祭りといって祝います。
現在の日本の花祭りは何をするのかというと、花で飾った小さなお堂の中の、右手で天を、左手で地を指さした、生まれたばかりのお釈迦様である誕生仏に、甘茶をかけて祝います。
お釈迦様がお生まれになったときに、香水でその身体を洗ったからだとか、天から甘露が降り注いだからだと言われます。
そして、そのときお釈迦様は、四方に7歩ずつ歩いて、「天上天下唯我独尊」と言ったと伝えられます。
自分なりには、珍しく真面目に取り組んでいます。
だって、1人カラオケでも読み稽古をしていますし。
録音を聴いてみると、この噺の時だけに限りませんが、本当にいつ聴いても情けない。
自分がイメージしているのとは全然違う・・・。
でも、時々、「あ、俺って、もしかすると上手いのかも・・・」なんて思うことも、実はあります。
自宅→カラオケ→稽古会→本番の順番で、恐らく緊張感が大きくなると思いますが、早い段階で本息(本番のテンポやリズム)に近い状態を醸し出せるか・・・。
稽古でも、写真の通り、スマホに録音をして、稽古の後で何回か聴きましたが、一つひとつの台詞の造り込みの重要さをひしひしと感じます。
暖かい日でもありましたが、稽古で汗びっしょりになりました。
時間も30分をオーバーしていますので、もっともっとコンパクトにしないと。
忙しく仕事で海外や地方にまで行って、とても精力的な新参さんですが、最近ちょっと体調を崩したそうです。
と言っても、稽古は皆勤です。
体調不良の原因は、何と新参さんには似合わない「ストレス」だとお聞きして、思わず吹き出しました。
冗談はともかく、もう若くないんだから、仕事も適当にして、身体を第一にしないと。
まずは来月の「お江戸あおば亭」で、三代目杜の家とん平として「小言幸兵衛」のネタ出しをしています。
落研の先輩ですから、よく存じ上げているつもりですが、当時より今の方がずっとすっと落語を楽しんでいらっしゃる気がします。
楽しむだけでなく、噺の稽古に対しても、学生時代よりもずっと真面目です。
真面目に取り組めば当然上達も早くなるということで、ただ今乗りに乗っています。
そういう姿も、私にはとても良い手本になります。
千公さんは、大作「芝浜」の稽古を続けています。
誰にもありがちなことですが、あれもこれもと・・・、様々な音源や映像を視聴して、ややオーバーペースになっているような気が。
人情噺のポイントは、長いストーリーの中で、自分なりの主題をどこに置くのかをはっきりさせることです。
主題が明確になったら、その他の部分は極力削ぎ落して主題を目立たせる作業が不可欠です。
不要な場面があると、ただ噺が長くなるだけでなく、焦点がぼけてしまう。
それなりに自分で考えた演出も、独り善がりにならないようにしないといけない。
既に、高座本を離れているので、修正の体力が必要ですが、どうもまだまだ調整しないと、せっかくの名作の良さが出て来ないかもしれません。
2ヶ月ぶりに稽古に参加。
先月は、地元の落語会「牛久味わい亭」のお手伝い、それから"家事都合"?で、稽古を欠席していましたので。
それにしても、落語の位置づけ、稽古方法の良否はともかく、複数のグループの稽古に通う真面目な姿は、素晴らしいと思います。
若いから、正しく理解して稽古すれば・・、可能性を秘めていると思います。
今回の「崇徳院」では、噺の稽古は当然として、「崇徳院(崇徳天皇・崇徳上皇)」のことを勉強するようにアドバイスしました。
噺の舞台設定や人物設定の基本ですから。
師匠からは、(複数のグループで)もう何度か稽古しているのだから・・・。
稽古の回数ではなくて、質を充実させること。
そのためには、人のアドバイスを謙虚に聞くことと、読む(演る)以前の仕込みをしっかりすることですね。
地元の牛久や土浦で、何時か高座の機会があるようですが、雑にならないようにして欲しいと思います。
2017年3月の「千早亭落語会」は「不孝者」。
師匠からは、かなりのお褒めをいただきました。
「不孝者」は、吉原の花魁とは違う、柳橋の芸者との男と女の噺。
あたしも何度か演っているが、プロでもなかなか上手く出来ないが、よく演ってくれた。
ちゃんと仕事をやっているのかと心配になった。
・・・でも、実はこれは、会場のお客さまの前でのコメントです。
当日のブログに、こんな師匠とのやり取り(師匠の感想)に触れています。
ご多忙な師匠と、ちょうど中入りの時に楽屋へ戻って着替えようとした時に、二人きりになりました。
基本的には雑談ですが、師匠が、「この連は、豊島区のあたしの指南場所の最古参だけあって、みんなしっかりしているから安心して聴くことが出来るよ」と仰ってくださいました。
「師匠、落語っ子連もですよ!」と思いながらも、とても嬉しくなりました。
そして、閉演後、師匠が天祖亭の稽古のために楽屋の外に出られた時、師匠が一言くださいました。
「オチの『不孝者め!』は、2階(にいる倅)に向かうだけじゃぁいけないよ。あの台詞は、親父が自分に向かっても言っているんだから・・・」。
・・・全く想定していなかったセッティングだったので、愕然としました。
「そうだ!師匠の仰る通りだ!」。
親父と倅の微妙な関係を描くんだから、2階の倅だけにいってちゃダメです。
「あぁぁぁ、まだ場面設定や感情移入が足りないなぁ!」と、目から鱗が落ちる思いでした。
やはり、化けの皮が剥がれた・・・。
師匠の言葉に、嬉しいやら、落ち込むやら。
もっともっと、自分の中の引き出しを増やさないといけないと痛感しました。
・・・そうなんです。
落語の奥深さを直接指導していただきました。
きっと、あれはあれで悪くはないんだと思います。
でも、人の心や業というのは、ただ一面だけで語ることは出来ない。
見る角度によっても景色が違うように、人の心の中には、様々な思いが交錯している。
ここを分かった上で、さぁ、どう表現する?
道楽者の若旦那に飯炊き権助をお供につけ、山城屋へ掛取りに行かせたが、権助だけが一人で帰って来た。
権助 「山城屋さんで謡いの会があるからそれを聞いたら帰(けえ)ると言うので先に帰ってきた。後でお迎えに参(めえ)りやす」
大旦那 「顔に嘘ってと書いてある。いくらもらった、二分か」、
「いや一分だ」
大旦那 「場所は柳橋だろう。そうか、橋を渡った先の”住吉”か」、
大旦那は権助と着物を交換して頬被りをし、権助になりすまして柳橋の住吉にやって来た。
迎えが来たと告げられた若旦那、
「こんなに早く来やがって、下で待たせておいてくれ」
それで、大旦那は店の者に下の部屋に入れられ待たされることになる。
若旦那は権助に気を使ってお銚子と肴を差し入れる。
大旦那 「馬鹿野郎、親をこんな部屋に通しやがって。この酒だって回り回ってわしの懐から出てるんだ」
二階の座敷では若旦那の唄う新内の声が聞こえてくる。
大旦那 「おや、なかなか上手いじゃないか。でも芸者に習った唄は駄目だ。ちゃんと師匠と差し向かいで習わないと」、手酌で冷めた酒を飲んでいると襖が開いて、
芸者 「八ちゃん居ますか。・・・あ、失礼、ごめんなさい。酔って部屋を間違えて・・・」、あわてて閉めようとするのを、
大旦那 「おい、ちょっと待ちなさい。お前”欣弥”ではないかい?」
芸者(欣弥) 「・・・まぁ〜、旦那じゃありませんか。どうしたんですその格好は・・・」
大旦那 「これには訳が・・・、まぁ、こちらにお入りよ。・・・しばらく会わないうちに綺麗になったね。・・・今は旦那がいるんだろ?」」
欣弥 「いえ、私は一人ですよ」
大旦那 「それは芸者の決まり文句。いいんだよ、ここは二人だけだから」
欣弥 「怒りますよ。私を捨てたのは旦那ですよ」
大旦那 「捨てたんじゃありませんよ。あの当時は請け判を押してしまったせいで、店が人手に渡るところだった。間に入ってくれた人が、こんなときに女を囲っていてはまずいと、番頭に手切れ金を持たせてお前と別れさせたんだ。お蔭で店も立ち直って、お前に会いたいと思っていたんだ。でも、どうしてお前ほどの女に旦那がいないんだい?」
欣弥 「本当は若い旦那がついたんですが、これがとんでもない人で、すぐに別れてその後は怖くて旦那を持つ気にもなれなかったのです」
大旦那 「そうか、本当に一人なんだね。今はお前を世話するぐらいの力はある。どうだねもう一度、元の鞘に収まるというのは?」
欣弥 「はい、嬉しいじゃありませんか。今日はお座敷があります。今度ゆっくりとお話を・・・いつ逢っていただけます?」
大旦那 「明日は都合悪いから、・・・明後日にしよう・・・」
欣弥 「きっとですよ、本当に約束ですよ」と、しなだれかかって、大旦那もグイッっと欣弥の身体を引き寄せた。
女中 「お供さ~ん、若旦那さんのお帰りですよ」
大旦那 「・・親不孝者めが・・」
芸者が思い続けていた旦那と再会出来て、また昔のような関係になる。
その芸者の思いは純愛だ・・みたいに考えて、この噺を演った女性がいたそうです。
外に出た部分は、確かにそういう景色かもしれない。
芸者は思い続けていたのかもしれない。
しかし、これは落語です。
男が、男の料簡で、男を主人公にして、男が演じているのです。
男の狡さ、杜撰さ、打算がベースになっています。
これを、純愛だと女性が演じられますか?
だから、師匠がご指摘になった部分(深層心理や本音)が、オチの一言に反映させることが出来るんだと思います。
この噺は、男の噺です。
SNSに、噺家さんも投稿する人が多く、とても楽しく読ませていただいています。
噺家さんだけに洒落がベースになっているのが好ましいですね。
中には、風刺ではなく政治的なコメントだったり、テレビ番組で視聴者と罵り合うというのがありますが、これは嫌ですね。
昔昔亭桃太郎師匠のも、高座と同様にとても面白い。
面白いだけでなく、時々真面目な投稿があって、これまた結構。
昔話のような、こんなツイートもありました。
貞丈先生の言葉というのが興味深いですね。
決めつけるという訳ではないと思いますが、確かに説得力のある言葉だと思います。
「落語は笑い」・・・、だからと言って下卑た笑いを認めている訳ではないと思います。
それから、人間と言うのは、悲しみや怒りや苦しみが極限状態になった時、最後には笑うそうですから、笑いというのは物凄く高く深いものだと思います。
2016年3月の「千早亭落語会」で「二番煎じ」。
この噺は、まさに「聴くと演るとでは大違い」を思い知らされました。
登場人物も多いし、場面転換もあるし、季節(寒さ)や謡や都々逸の表現、鍋をつついたり酒を飲んで酔っ払う仕草も・・・と、とにかくてんこ盛りの難しさでした。
自分で、こんなコメントをしています。
今まで、人情噺、堅い噺・・というイメージを持たれているようですから、昨年の「蒟蒻問答」「一人酒盛」あたりに続いて、「二番煎じ」にチャレンジしてみました。
聴いているのと、演ってみるのとで、物凄いギャップがある噺であることを痛感させられました。
というのも、聴いていると、くすぐりも仕草も多くて面白いのですが、いざ演じる段になると、登場人物も多いし、謡や都々逸、火の用心の声・・・・、とてつもなく難しい。
謡と「火の用心」は、師匠からも何度かダメ出しされました。
師匠の高座本だと、45分ぐらいかかりますが、何とか30分程度にカットしました。
演じる側から言いますと、登場人物の"場所取り(決め)"に苦労しました。
それから、多くの登場人物一人一人のキャラをはっきり表現することに努めました。
とにかく、相変わらずの稽古不足ですが、今回は、「演読」の大切さというか、有効性を実感することが出来ました。
会場に来てくれた従妹からのメールで、「近くに座っていた知らないオジサマたちが、『素人にしておくのは勿体無い』と言っていた」と。
とても、とても・・・。
師匠から、様々な指摘やアドバイスをいただきながら、自分なりの噺に仕上げて行く楽しさが分かって来た頃。
同時に、それゆえの"産みの苦しみ"も痛感し始めました。
ある冬の晩、番太が年末休みのため(東京では「番太だけでは心もとない」というので)、防火のための夜回りを町内の旦那衆が代わりに行うことになった。番小屋に集まった旦那衆はふた組に分かれ、最初の組が夜回りに出る。
危機感のうすい旦那衆は、厳しい寒さに耐えかねて横着をきめこみ、手を出したくないので懐の中で拍子木を打ったり、冷えた金棒を握りたくないので紐を腰に結わえて引きずって鳴らしたり、提灯を股ぐらに入れて暖をとったりする。
「火の用心」の掛け声を試行錯誤しているうちに謡のようになり、新内節のようになり、端唄をうたっていくうちに、遊び自慢の雑談になってしまう。
組が交替となり、最初の組が番小屋で火鉢を囲んで暖をとっていると、ひとりが栓をした一升徳利(ふくべとも)を出してくる。
中には酒が入っており、皆に勧める。夜回り中の飲酒は禁止されていたが、「これは風邪の煎じ薬だ」と皆でうそぶき、燗をしてこっそり飲む。
「苦い風邪薬の口直し」としてししの身、味噌、焼き豆腐、ネギなどが用意され、しし鍋を作るに至り、即席の酒宴になる。
その時、番小屋を管轄している廻り方同心が、外から小屋のにぎやかな声を聞きつけ、「番! 番!」と呼ぶ。酔っ払った旦那衆は最初「野良犬が吠えている」と勘違いしたが、戸を開けると侍だったために大きくあわてる。
旦那衆のひとりは火鉢の鍋の上に座って鍋を隠すが、酒は隠しきれず、同心にただされる。
旦那衆のひとりが「これは酒ではなく、煎じ薬だ」と言うと、同心は「身共もここのところ風邪気味じゃ。町人の薬を吟味したい」と言って酒を口にし、「うむ、結構な薬だ。もう一杯ふるまわんか」。
結局同心は鍋も目ざとく見つけ、鍋も酒もすっかり平らげてしまう。
旦那衆が「もう煎じ薬がない」と告げると、同心は、 「しからば、いま町内をひと回りしてまいる間、二番を煎じておけ」。
・・・とてもよい噺です。
近々、再演したいものです。
味をしめたというのか、今日も1人カラオケで稽古を。
今月21日の「おひろめ寄席」で「長短」を演ることになっているので、浚っておこうかなと軽い気持ちで。
"15分以内厳守"と言われていますので、ちゃんと収まるかどうかも確認しておかないと。
「長短」は、元々が短い噺ですから、どのようにも出来るのですが、「時間オーバー!」なんて言われたくありませんから。
この噺は、いつでも高座本がなくても浚うことが出来ますから、タブレットに録音しようということでした。
ところが、いつものように"個室"に入った瞬間に、「あぁ、まだ本番は先だよなぁ」と思い始めました。
そして「落語っ子連の稽古は明後日だ」、ちょっとやっておこうか。
急遽「長短」の浚いから「百川」の読み稽古に変更しました。
稽古では、前半だけ2度ほど演読をしていますが、まだ通して読んだことがありません。
ということで、まずは、録音をしないで通して読んでみました。
この噺、師匠の高座本は丁寧なので、かなり長くなっています。
自分なりにはカットしていますが、それでもかなり長い・・・。
一度通してみて、喉の調子も出て来たので、ちょっと休憩した後に、録音しながら通して演読。
「・・・たんとではねぇ、一字だ」とオチになって録音を止めると、所要時間は31分余。
しかも、"四神剣"の説明などのマクラを入れずにですから、まだ最低5分以上はカットしないといけません。
1時間30分の予定で入室したので、噺を2回通してやって、中間の休憩時間と録音を聴き始めると、もう時間いっぱい。
録音再生をイヤホンで聴きながら、カラオケ店を出ました。
すぐ向かい側の上野の山はお花見が最高潮で、駅も大混雑。
カラオケ屋さんも、週末だということもあって、いつもよりかなり混雑していました。
思えば、ちょっと前は、このカラオケ店で「長屋の花見」の稽古をやっていました。
「銭湯で 上野の花の 噂かな」ではなくて、
「カラオケで 上野の花の 稽古かな」でした。
今日は思いがけなく、ちょっと嬉しいことがありました。
「元気でいるかなぁ」と、ある友人のことを思い出していました。
さりとて特に用件もないのにメールなどするのもなぁ・・と。
迷っていると、「わに塚の桜」という桜の名所が山梨県韮崎市にあるそうですが、その満開の写真を添付したメールが、何とその友人から来ました。
何でも、足を怪我してしまったとのことでした。
同い年ですから、まぁ色々ガタも来ているでしょうが、犬の散歩をしていて転倒したということで・・。
怪我は災難でしたが、私は、思いがけず先方からメールがもらえたたのが嬉しくて。
ところで、「わに塚の桜」というのは、桜の名所なんだそうです。
韮崎段丘のほぼ中央、こんもりと盛り上がった「わに塚」の上にある、樹齢約330年の一本桜。
残雪の山々をバックに見る景色とセットで魅了しているそうです。
「わに塚」は、日本武尊の王子武田王の墓、前方後円墳、王仁族が住んでいた所と諸説ある場所として知られているそうです。
また、古くからの言い伝えでは、日本武尊の王子の武田王がこの地域を治めた後、埋葬された場所なので「王仁塚」と呼ぶようになったともいわれています。
あぁ、それで「わに(王仁)」なんだ。
知人は、この桜が大好きだそうで、固定具が付いた足でも花を見に行って来たということでした。
タイミングを見て、今度はこちらからメールしてみよう。😃♥
「はやぶさ2」が、新たなプロジェクトにトライしています。
宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、人工クレーターの作製に向け小惑星「リュウグウ」の裏側に退避した探査機「はやぶさ2」の無事を確認。
クレーターが作製できたかどうかは、確認できていない。
はやぶさ2は、クレーターを作るための弾丸を入れた衝突装置を分離し。装置の爆発で飛散する破片などを避けるため、安全なリュウグウの裏側に退避するようエンジンの噴射を繰り返した。
午前11時36分に装置が爆発し弾丸を発射する計画。同56分に機体からの信号を地上で受信し、退避の成功と無事を確認した。
それにしても、いつものことながら、どうやって操縦しているのか・・、不思議です。
探査機本体に意思があるような気がします。
先月末に現役引退を表明した米大リーグ・マリナーズのイチロー選手が、政府が授与する方向で検討していた国民栄誉賞を辞退すると伝えていたそうです。
固辞するのは、これで3度目。
今回の理由は明らかになっていませんが、今後も野球界に関わっていく強い意思を示したものとみられるそうです。
実現すれば、「令和」の受賞第1号だったでしょうが。
イチロー選手は日米通算4367安打、10年連続200本安打、メジャーリーグのシーズン最多安打記録を更新するなど野球界で輝かしい実績を残していますから、政府はこれまで、小泉内閣時代の2001年と04年の2度、国民栄誉賞を打診しましたが、「野球生活を終わった時に、もしいただけるのであれば、大変ありがたい」などと固辞されていました。
イチロー選手の生き様、こだわりと言うことでしょう。
・・・昔の人は、勲章だとか、褒章だとか、賞状を貰って、それを他人が見えるところに飾りたがりましたが、もうそういう時代でもないのかもしれません。
それにしても、最近、やや国民栄誉賞連発過多だと思います。
これで辞退者が出ると、さらにそのバリューも悩ましくなる。
かつて、大相撲の横綱千代の富士(九重親方)も辞退しました。
国民栄誉賞だけでなく、県(市町村)民栄誉賞とか、名誉県(市町村)民なども、かなり乱発されている気がします。
ただ、それはあくまでもローカルなことですから、それぞれこれはありでしょう。
2015年9月の「千早亭落語会」では「五百羅漢」でした。
自分で、こんなコメントをしています。
本来であれば、稽古で師匠に聴いていただいてから演るべきですが、いかんせん、数日前まで読み稽古状態でしたから、筋や演出を変えるなど思いもよらないことでした。
前半の夫婦とのやり取りでは、迷子になった女の子は、夫婦2人の会話で描き、逆に後半では、女の子に台詞を言わせること。
時間の制限を言われていたので、筋の関係のない部分やくすぐりを大幅にカットしたこと。
そして、これが最大の試みですが、後半の地噺部分を極力台詞にして、再会出来た親子の会話で表現したこと。
これは、師匠から読み稽古の時に、「後半五百羅漢寺には夫婦で行くことにしたら…」と、高座本とは違う演出をアドバイスされたこともきっかけになりました。 高座本では行かなかったおかみさんを、どのような形で描くか、新しく拵えなければいけなくなったことがスタートでもありました。
そして、実は、追い込まれて、地噺の部分がなかなか覚えられず、台詞で誤魔化そうとしたというのが、最後の本音でした。
…予想以上に好評?でした。
ワッフルさんは、私の後に高座に上がっても、涙が止まらなかったようです。
閉演後の打ち上げの時に、師匠にお詫びをしました。
師匠は、「あれでいいよ。分かり易くなっていたのと、親子の様子がしっかり出ていた。親子で薬缶の口飲みをして、霧を吹いて虹を作る場面は、繰り返して演るといい…」とコメントしてくださいました。
私が想定していた以上に、客席の反応は良かったみたいです。
この噺も、さらに練り上げて行こうと思いました。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2015/09/post-4d39.html
舞台になる「五百羅漢寺」は、現在は目黒にありますが、江戸時代には本所にあったそうです。
本所五ツ目(現在の江東区大島)にあり、徳川綱吉や吉宗が支援していましたが、埋め立て地にあったためか度々洪水に見舞われて衰退し、明治時代に目黒の現在地に移転したという名刹。
八百屋の棒手振り八五郎は、六つくらいの見ず知らずの女の子を連れて商いから帰ってきた。
この子は迷子で、かみさんの問い掛けにも口を利けない。
どうやら、先だっての大火事で親とはぐれてしまい、驚きのあまりに言葉を失ってしまったのであろう。
迷子だったので”まい”という名前をとりあえず付けて、親が見つかるまで手許に置くことにした。
翌日から、八五郎は商いをしながら、女房は外へ出て用足しをしながら、尋ね回るが、一向に手がかりはなかった。
四日目。
「このまいは、いやな子だよ。ヤカンを持って口飲みするよ」、とかみさん。
「親の躾が悪いのかな~。親が見つからなかったら、うちの子にしてもいいと思っていたのに・・・。手がかりがねぇんだから、探しようがねぇ」。
「だったら、この子を檀那寺の五百羅漢寺へ連れってって、羅漢さんを見せたらどうだい? 五百人の羅漢さんのうちには自分の親に似た顔があるというよ。それを見つけて、なんか言おうとするんじぇないかい。それが手がかりになるかもしれないよ」。
翌日、五百羅漢寺へ行って羅漢堂の中の五百の羅漢さんを見せた。
上の段の一人の羅漢をジーッと見つめて、指差しをした。
「この子の父親はこういう顔か。これも何かの手がかり」と納得して、境内を出たところで、住職とばったり会った。
”まい”のことを話すと、住職が「今、庫裏の畳替えをしているんだが、その畳屋さんが『火事でいなくなった娘がまだ見付からない』と、来る度に涙ぐむんだ」と言う。
その時、子供が畳の仕事場になっている所へ駆け寄ると、小さいヤカンを持って口飲みを始めた。
これを見た八五郎「畳屋の娘だ! 躾が悪かったわけじゃねぇ。いつも親と一緒に仕事に付いて行って、覚えたのが、口飲みだったんだ」。
ちょうど庫裏から畳を運び出してきた畳屋が、子を見付けて”よしィ!”と絶叫。
はじかれたように立ちあがった子が、「ちゃーん!」と声を出して、吸い寄せられるように跳び付いていった。
畳屋は泣きながら、その子を両手で包むように抱きしめて離さない。
この様子を見ていた八五郎「やっと声が出た・・・。本物の親にゃ敵わねぇ」。
住職も八五郎も涙して「しばらく、二人切りにさせておきましょうや」。
二人が手をつなぎながら、親が大きなヤカンを持って口飲みをして、プーと霧を吹き出すと、畳ほどの大きな虹が立った。
子供が小さなヤカンで口飲みして、ぷーっと小さく霧を吹くと、可愛い虹が立った。
この二つの虹と虹の端が重なった様は、親子がしっかりと手を握り合って「もう離さないよ」と言っているようだった。
八五郎は「こちらへ来てよかった。さすが五百羅漢のおかげだ」。
住職は「な~ぁに、今は親子ヤカン(羅漢)だよ」。
・・・ほとんど圓窓師匠の創作と言ってよい内容です。
「圓窓五百噺」の殿、500番目に公演された噺です。
柳家小ゑん師匠のツイートで、昭和38年の鈴本演芸場の初席のプログラムが紹介されていました。
当時は、「鈴本有名會」と名付けられて、通常の芝居と同様に昼夜2部興行だったんですね。
ただし、お正月興行ですから、現在と同様、出演者も多い。
昼席は11時から、夜席は何と4時に開演ですから、現在との時間感覚は違うかもしれません。
4時を過ぎれば日が沈んで暗くなる冬のことですから。
現在の鈴本演芸場のプログラムは非常にシンプルですから、時代を感じます。
前回のオリンピックの前年、56年前ですから。
番組を見ると・・・。
【昼席】
落語 升蔵 ~ご存知月の家円鏡(八代目橘家圓蔵)師匠
声帯模写 鶴八 ~片岡鶴太郎さんの師匠
落語 馬楽 ~先日亡くなった馬楽師匠の先代
漫才 笙子・照代 ~照代さんて春日三球・照代さんの
落語 小円朝 ~東大落研をご指導
落語 小えん ~分かりません
落語 文治 ~九代目の留さん文治
漫才 美智子・美佐子
講談 貞花
ワンマンショウ Hフオンタクト
落語 馬生 ~十代目、志ん朝師匠の実兄
漫才 悦朗・艶子
落語 正蔵 ~ご存知彦六の八代目正蔵師匠
漫才 桂子・好江 ~好江師匠が大好きでした
落語 円生 ~ご存知六代目圓生、昭和の名人
仲入
手品 美蝶
落語 百生 ~東京で上方落語の師匠
曲芸 染太郎・染之助 ~おめでとうございまぁす!
落語 歌奴 ~山のあなあな、三代目圓歌師匠
落語 文楽 ~ご存知黒門町の八代目、昭和の名人
三味線コント 鯉香
落語 志ん生 ~ご存知五代目志ん生、昭和の名人
【夜席】
歌謡漫談 二三夫
落語 さん助 ~ちょんまげを結っていた
粋曲 亀松
落語 小せん ~四代目、五代目小さん師匠の総量弟子
落語 円楽 ~ご存知五代目圓楽、昭和の四天王
漫才 〆子・和子
落語 柳朝 ~江戸前の五代目、昭和の四天王
落語 さん生 ~現川柳川柳師匠、マラゲーニャ
落語 馬の助 ~十代目馬生師匠の弟弟子
歌謡コント 英二・ミヤ子
曲技 富士夫
落語 小勝 ~六代目、後の桂右女助、水道のゴム屋
奇術 龍光 ~アダチ龍光師匠、強面でした
落語 円蔵 ~七代目、三平師匠の師匠
講談 貞丈
落語 志ん朝 ~ご存知落語界のプリンス、昭和四天王
落語 円歌 ~留守番電話の二代目
仲入
一人トーキー かつ江 ~都家かつ江師匠、今の三味線漫談?
落語 三平 ~ご存じ昭和の爆笑王、どうもすいません
落語 正蔵 ~彦六師匠は昼夜のご出演
落語 小さん ~五代目、後の落語界の人間国宝第一号
曲芸 小仙・小金
落語 文楽 ~文楽師匠も昼夜出演ー、間に挟まらず主任
・・・うわぁ、オールスターの出演です。
古き良き昭和のど真ん中です。
今のビルに建て替える前でした。
私は、必ずしも上方落語は好きではありませんが、漫才、特にしゃべくり漫才は大好きです。
これは東西を問いません。
中でも「オール阪神・巨人」ご両人は、好きなコンビです。
確か、小柄な方の阪神さんとは、同い年ぐらいのはずですから。
その阪神さんが、検査入院をされたということで、ちょっと心配していました。
相方の巨人さんが、軽度の脳梗塞だったと発表されました。
しかし、処置が早かったこともあって、大事には至らなかったそうで、安心しました。
お互いに、健康には注意しないといけませんが、売れっ子の芸人さんは、全国各地への移動や、ご贔屓などとのお付き合いやら、本当に忙しくて大変だと思います。
私は、昨日の診察に気を良くして、症状が治った訳でもないのに、強気に変わっています。
落語の記事が多い、東京新聞の記事から。
2002年に廃業した湯河原の老舗旅館が再生したというニュース。
「富士屋旅館」は江戸時代の創業。
三遊亭圓朝作の人情噺「名人長二」に登場する旅館のモデルだと言われているそうです。
【名人長二】
三遊亭圓朝がモーパッサンの小説「親殺し」を翻案・作話したといわれる人情噺。
1894年(明治27)暮れより「中央新聞」に連載して評判になった。
指物師の長二は、優れた腕と名人気質で知られていた。
あるとき長二は、自分が捨て子であり、それを亡き長左衛門夫婦が育ててくれたことを知り、谷中の天竜院で養父母の法事を営む。
そのとき知り合った亀甲屋幸兵衛・お柳夫婦のひいきを受けるが、やがてこの幸兵衛夫婦が実の親であることを知り、話がもつれて争いのすえ、2人を殺してしまう。
南町奉行筒井和泉守は、長二を助命しようと苦心するうち、長二の実父はお柳の前の夫であり、お柳と幸兵衛が密通していたことが判明する。幕府の重臣林大学頭が、長二の殺人は実父の仇討をしたことになると判定して長二は許される。
長二は和泉守の腰元島路と結婚し、亀甲屋半之助と名のる。
・・・推理小説風の名作と言われています。
2015年3月の「千早手問落語会」は「蒟蒻問答」でした。
この噺、私の"落語人生?"で、最大の危機でした。
今、思い出すだけでも、ぞっとしてしまいます。
・・・その原因は、まさに「稽古不足」で、本番までに間に合いそうもないという、最も基本的で致命的な状態に陥っていました。
普段は、読み稽古(演読)を繰り返して、徐々に高座本から離れて行くのですが。
そんな事情があっても、時間は刻々と過ぎて、いよいよ下のようなこんな高座が待っている・・・。
ちょうど、本番の5日前でした。
偶然、これまた普段はないことなんですが、落語っ子連の稽古が、当初予定が変更になり、稽古場が空いていました。
そこで、鏡の前に正座して、とにかく一人で稽古をしました。
「蒟蒻問答」は、特に後半はスラスラと流暢に語らないといけませんから、まさに"問答無用"に覚えなくてはいけない部分がある。
さすがに必死になりました。
・・・そして当日、お客さまの前では、いつもの通りに演じられたと思いますが、まさに薄氷を踏む思いでした。
当日の様子が・・・。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2015/03/post-8370.html
ところが、最近では、これと同じようなパターンになって来ました。
本番1週間前でも、高座本を手放すことが出来ない😖
少しだけ言い訳させてもらえば、落語を活字で覚えなくなったという裏腹でもある気がします。
頭の中の引き出しが、少し多くなって来た。
別に興味がある訳ではないのですが、気がつけばセンバツ高校野球の決勝戦が行われました。
愛知県の東邦高校が優勝したそうです。
残念ながら、地元千葉県の習志野高校は準優勝・・・。
個人的には、西日本のチームが残らなくて良かった・・ぐらい。
「高校野球」とかけて、「真冬の天気」と解く、その心は「西高東低が続きます」ってなものです。
びっくりしたことがあります。
開幕前のスポーツ雑誌で、センバツを特集していたようですが、こう表紙を大きく飾っているのが、東邦高校のエースでした。
元々、前評判も高く、優勝候補だったということでしょうが、ばっちり的中しました。
このまま、センバツ総括特集(出るかどうか知りませんが)の表紙にも使えそうです。
「センバツ高校野球の決勝結果」とかけて、「夜になって自然災害で大混乱の被災地からのレポート」と解く、その心は「東邦(当方)、東邦(途方)にくれ(暮れ)ました」。
ところで、東邦高校と言えば、昔、我々の世代に、バンビ坂本投手がアイドルになりました。
・・・あの人は今?
虎ノ門周辺はオフィス街で、霞ヶ関の官庁街とも接していますので、飲み食いする場所には困りません。
ここのところ、コンビニ弁当でなく、街に出て外食をしています。
今日ブラブラしていて、何気なく入った和食の店。
「豊洲市場直送の・・・」が謳い文句のようです。
ランチは、海鮮丼(グレードが3種類)とフライ定食と天ぷら定食がメインのようです。
あれっ?
この場所は、以前から飲食店が出店していて、ちょっと前は蕎麦屋だった気がします。
蕎麦のトッピングが焼鳥だったりして、ちょっと風変わりな店でしたが、やはり長続きしなかったんだ。
ということで、この店はまだ開店(オープン)したばかりの様子。
店の入り口の脇の焼鳥を焼いていた場所で、どうやら天ぷらを揚げているみたいです。
厨房に料理人が2人、天ぷら(フライ系)担当と魚(刺身系)担当のようです。
あと男女2人が、注文を受けたり、配膳したり、会計をしたり・・・。
それぞれの手際や連携も、まだ慣れていない様子でした。
席が空いていたので入って、天ぷら定食を注文しました。
狭い店内、狭いカウンターに、こんな形で運ばれて来ました。
んっ?
この並べ方は、少なくとも昭和の時代ならば「喝!」ものでしょう。
んっ?
"カツ"ではなくて"天ぷら"でしたが。
平成になると、マナーや形に頓着がなくなり、これでも良くなってしまったのでしょう。
早速、狭いカウンターで、180度回転させて、ごはんとみそ汁の位置を交替しました。
天ぷらが、野菜と魚と肉で9種類、コストパフォーマンスは悪くありませんでしたが。
でも、やはり、並べ方はしっかりして欲しいなぁ。
令和の時代は、乱れたマナーを直しましょう。
和食の並べ方の基本を調べてみました。
栄養も考えて「一汁三菜」が理想的な食卓と考えられています。
~一汁三菜~
1、主食:白いごはんや炊き込みごはん等
2、一汁:お味噌汁やお吸い物等
3、主菜:お刺身、焼き物、揚げ物、蒸し物、煮物等
4、副菜:煮物、蒸し物、和え物、焼き物等
5、副副菜:和え物、煮物等
(ちなみに、漬物は副副菜に数えません)
この基本形がわかっていれば、あとはこれをベースに応用していくだけです。
主菜に肉料理や焼き魚をもっていったり、副菜に豆腐をもっていったり、季節や好みでアレンジできます。
「箸」は一番手前に置きます。
1、主食のごはんは、左手前。
2、汁は、右手前。
3、主菜は、右奥。
4、副菜は、左奥。
5、副副菜は、中央。
・・・そうですよね。こう教わりました。
それにしても、医師から「脂っこい物は少し控えて」って、ついさっき言われたばかりなのに。
先日、ショーケンの訃報がありました。
堀ちえみさんががんの手術をしました。
今日は、宮本亜門さんが前立腺がんを公表しました。
「人生50年」を考えれば、ターンをしてからでも相応の時間が経ってはいるのですが、思うことが多くなります。
私の身体も、随分変化して来ました。
「華麗なる変身」なら良いのですが、私の場合には「加齢なる変容」ですから、実に情けない。
人間ドックの結果から、色々指摘や悪い数値が出て来て、定期的にチェックするようになったり。
加齢が要因の身体の不都合ばかり。
昨日は、歯医者でも、厳しいご指導を受けました。
・・・実は、ここのところ、新たな心配事がありました。
以前から時々、食べ物や飲み物が喉を飲み込んだ時に、むせることはありましたが、最近頻度が高くなって来たかなぁと思っていたところ、1ケ月ぐらい前にも・・。
その後、何となく、喉から胸にかけて違和感が出て来ました。
喉や食道の辺りも、がんなどの心配もあり、誤嚥性肺炎などという病気もあるので、生まれて初めて、病院に電話をして、症状を言って、診療科目を聞いて予約しました。
・・・今朝は、正直なところ、とても憂鬱でした。
「人間ドックでは異状がなかったから大丈夫」
「でも、喉や食道は、見つけづらいと言われるし」
楽観天使と悲観悪魔が、頭の中をぐるぐると回っていました。
耳鼻咽喉科を受診しました。
ファイバースコープを耳鼻咽喉科だからか、鼻から入れられて、喉の辺りをつつかれました。
そして、医師から「はい、特に問題ありません」と言われて一安心。
それでも、食道と気管の分岐点周辺に少し炎症があるということ。
これは、胃液(胃酸)が逆流して来るのが原因のようで、炎症を抑える薬を処方してもらいました。
特に、何かをする、してはいけないということはなさそうですが、
「患部辺りに筋肉をつけてください」と、トレーニング(体操?)方法を教えられました。
喉の筋肉を鍛える・・・んですよ。
それから、「脂肪分の摂取を控えてください」と。
それじゃあ、ロースからヒレにしないといけない。
「食後すぐによこにならないでください」とも。
あぁそう言えば、昔、子どもの頃、ごはんを食べた後にすぐ寝ると牛になるぞ(角が生えるぞ)と脅かされましたが、行儀だけではなくて、こういうことなのか・・。
「先生、大きな声を出したりするのもダメですか?」と尋ねると、
「いえ、問題ありません。むしろ大きな声を出してください」と。
・・・あぁ良かった、まだ暫く生きられそうです。
1人カラオケで、大きな声で稽古したり歌ったりも出来ます。(良かったぁ。)
病院からの帰り道は、行く時よりもずっと足取りが軽くなりました。
これからは、元の(正常な)状態に戻すというよりも、今よりも悪化しない治療や、現状維持のための方法の指導なんですよね。
やはり、病気になったり、機能が低下して初めて、今まで何のこともなく出来ていたことや普通の健康状態がいかに尊いものか、痛感させられます。
とにかく健康が大事です。
健康ならば、命なんて要らない。
昨夜東京ドームに、長嶋茂雄読売巨人軍終身名誉監督来場。
病気療養していて、約300日ぶりぐらいの姿を見せたそうです。
良かった、良かった・・・。
巨人・大鵬・玉子焼き世代の私には、大変喜ばしいことですが。
いつまでも、長嶋さんに頼っていると言うのも・・・?
もう、そっとしてあげたい。
(しかし、ご本人が出たがるんなら仕方ありませんが)
あ、巨人軍には、もう1人いました。
この方は「老害」だと思いますが。
・・・最近購入した、ウォークマン「落語200席」には、桂歌丸師匠の音源も数多く収録されていますが、晩年の「塩原多助」などは、滑舌も声も・・、痛々しいぐらいです。
これも芸と言えば芸ですが、聴く側も辛い気持ちになりました。
新元号を発表する、時の官房長官。
通常の記者会見と異なり、ピリピリの緊張の中で。
「平成」の小渕官房長官(当時)の顔が、図らずも名実共に全国区になりました。
従って、今回の「令和」の菅官房長官は、ガチガチでした。
「平成」の時は、昭和天皇が崩御されてから、突然の展開でしたから、慌ただしさも今回の比ではなかったことでしょう。
そもそも、喪に服する中でしたし。
「平成」と墨書した紙を入れる額も、急遽間に合わせた・・なんてことも言われています。
それに比べると、今回は、事前の準備も出来、スケジュールも分刻みで進行して行きました。
墨書を入れた額も・・・それなりになっていました。
さらに、バカなマスコミの大騒ぎも加わり、とんでもないイベントになってしまいました。
街では、号外を奪い合うという・・・、これまた民度が疑われる騒動が各地であったりして。
・・・これだけ情報化社会で、号外なんて要らないと思います。
「平成」の記者会見では、官房長官は着席していました。
その後、恐らく、アメリカのやり方を模倣して、記者会見は立って行うことになり、今回は立ったままでした。
最初、新元号が「れいわ」でなく、「めいわ」と聞こえました。
官房長官の滑舌が悪かった・・?
いっそのこと、「れ」の発音を、少し巻き舌にすれば分かりやすかったのに。
2014年9月の「千早亭落語会」は「一人酒盛」でした。
師匠の「一人酒盛」は、演劇で言えば、一人芝居という形です。
登場人物は最低3人いますが、台詞があるのは1人だけ。
秋は、千早地域文化創造館と共催ですから、プログラムを作っていただけます。
どうやら、「千早亭」「要亭」「千川亭」の3つの連の落語会を総称して「千早寄席」と言っているようです。
月2回、平日の火曜日に仕事が終わった後、稽古に通いました。
夕方のラッシュに揉まれて、虎ノ門から千川まで。
「虎ノ門-(銀座線)-赤坂見附-(丸の内線)-新宿三丁目-(副都心線)-千川」で、ドアツードアで小一時間の道程。
「一人酒盛」を自分でこんなコメントをしていました。
実は、何が何だかわからないんです。
こんなに稽古をしなかった、こんなに仕上がりが遅かった、こんなに冷静に演った、こんなに汗をかかなかった、こんなに高座の前後のテンションが高くなかった噺は初めてだったからです。
一番不思議だったのは、台詞(言葉)が苦もなく出て来たこと。
高座本を隈なく覚えた訳ではないのに。
本番2日前になってやっと、読み稽古でなく、通しで、初めて演ったという状態でしたから。
確かに、高座本とはかなり違う言葉や言い回しになっているし、順番も違う。
酒を飲む仕草も、完全にぶっつけ本番で、ここで飲みたいな、ここが良いタイミングかな、ここで頭の中を整理しようかな・・・、そんなタイミングで飲みました。
一口目より二口目以降の方が、湯呑みを傾ける角度は大きく、喉を鳴らすタイミングは遅くしないと、湯呑みの中に入っている酒の量感覚が表現できないな・・・。
酔って来たら、ゲップも出るし、息を大きく吐いたりもするよな・・・。
そんなことを考えながら、一人芝居仕立ての噺を演りました。
終演後の帰り際に、千早亭地域文化創造館の館長さんから、「とても良かったですよ」と言われ、叔父からも「4ヶ月のブランクも感じさせない天晴れな高座だった」と言われました。
私は、いつ、この噺の稽古をし(てい)たんでしょう?
自分でも分かりませんが、ただ一つだけ言えるのは、普段から師匠に言われている「演読」にこだわったことでしょう。
楽屋で師匠が、「あたしも前座の頃は一生懸命、隅から隅まで覚えようとしていた時期があったよ」と仰っていました。
「あんなに長い噺をどうやって覚える(暗記)するんですか?」
私もよく質問されます。
最近は、「覚えていません」と答えています。
だって、本当ですから。
この噺で、何かひとつ、突き抜けたかもしれません。
まぁ、マスコミの騒ぎようは常軌を逸していましたが、新元号「令和」は、概ね好意的に受け止められているようです。
しかし、何かにつけてケチをつける輩も相変わらずで、某政党の代表もバカなコメントをしていました。
どうやら、へそ曲がりなオヤジに限って色々言っているようです。
それから、名前が同じだとか、無理やりこじつけたり・・・、マスコミってバカですね。
ところで、「令和」以外の候補名は公開しない方針だったはずなのに、もう報道されちゃっているというのも・・・?
取り敢えず、「令和」を含めて5つの候補名が公開されています。
全部で6つだったようですから、あと1つは不明ということ?
・・・と言っている間に判明しました。
・「英弘(えいこう)」・・・人の名前?カノウエイコウ・・?
・「広至(こうじ)」・・・う~ん、微妙。
・「万和(ばんな)」・・・これ読めないでしょ。
・「万保(ばんほ)」・・・万歩(まんぽ)って読みますよ。
・「久化(きゅうか)」・・これが最後に判明しました。
「英弘」の出典は国書。
「広至」は中国最古の詩集「詩経」からの引用で、国書にも典拠がある。
「万和」と「万保」は漢籍が出典で、「万和」は出典が2つある。
6つの案のうち3案は漢籍、3案は国書を出典。
国書は「令和」の出典となった万葉集のほか、日本書紀、さらに古事記。
中では、「万」が幅を利かせていたんですね。
この字は、実家の住所に使われているので、嫌いな字ではありませんが、「寿限無」ではありませんが、大きな数という意味でしょうが、「亀は万年」の亀も、万年の命・・・ということは限りがあるということですから・・・。
しかも、「万和」も「万保」も、2文字ともに使われていますから、新鮮味もありません。
「万寿」「万治」とか「天保」「保元」とか「和同」「昭和」とか・・・。
決まった後で見たからということもありますが、これなら「令和」で文句ない気がしますね。
・・・SNS上で、「あなたならどれを選ぶ?」という、”後出しじゃんけん”アンケートがアップされていました。
まだ投票数は少ない段階ですが、「令和」とその他5候補のバランスは、こんなものでしょう。
パイポパイポパイポのシューリンガンっていう感じ?
それにしても、「高輪ゲートウェイ」の二の舞にならなくて良かったかな?
2014年4月の千早亭落語会では「通夜の猫(猫怪談)」でした。
この時は、会場の都合で、3月中でなく、4月5日に開催しました。
おかげで、ちょうど高座の後ろには、桜の花が咲いていて、開演までの間、カーテンを開けて、客席から花見をしていただきました。
「猫怪談」は、学生時代に演ってはいましたが、谷中や深川蛤町などの地理も良く知らず、また寺事のことも分かりませんでしたから、ただ速記本を読んだだけのレベルだった気がします。
師匠の高座本は、かなり暗い(陰湿な)噺なので、「通夜の猫」と改題して、内容も変えられていました。
それでも、死んだ猫が化ける・・というのは。
どうもね落語の中の猫は、化けたりして、あまり良いイメージではありません。
犬やねずみですら、落語の主人公(ヒーロー)になっているのに、どういう訳が猫は・・・。
「猫定」なんていうのは、その象徴かもしれません。
私とは、主人公の与太郎を軸に、人情噺に仕立てました。
親孝行の与太郎が父親(養父)の亡骸に向かって、「お父っつぁん、なぜ死んじまったんだよう・・・」と語る。
与太郎を目立たせたのは、この噺と「佃祭」。
愚かしいけれども、心は純粋なキャラクターが、落語国にはぴったりかもしれません。
「猫怪談」も「佃祭」も、与太郎の台詞で、いつでも必ず泣いて(言葉に詰まって)しまう場面があります。
師匠の高座本のものではありませんが、概ねこんなあらすじです。
幼い頃に両親を亡くした与太郎を育ててくれた養父が死んだ。
与太郎は恩情を受けた養父の死が悲しくて遺体の枕元から離れられないでいる。
見かねた家主が早桶を用意し、家主が提灯を持ち、与太郎と羅宇屋の甚兵衛に早桶をかつがせて、四つの刻頃に深川蛤町の長屋を出て谷中の瑞輪寺に向かった。
不忍池の池之端に差し掛かる頃には真夜中になってしまう。
臆病者の甚兵衛さんは怖くてしょうがない。
前をかついでも、後ろをかついでも怖くて、そうこうしているうちに早桶の底が抜けて、箍が外れてばらばらになってしまった。
家主と甚兵衛さんは与太郎に仏の番をさせて早桶を買いに行った。寂しい所へ一人残された与太郎は気持ちのいいものではない。
壊れた早桶からはみ出ている養父の遺体に話しかけながら待っていると、目の前を何か黒い物が横切った。
すると遺体がむっくりと起き上がって正座をして、与太郎の顔を見て嬉しそうに「ヒィヒィヒ」と笑った。
びっくりした与太郎が平手打ちを食わせると遺体はまた横になってしまった。
何か言いたいことでもあったのかと、「お父っつぁん、もう一度起き上がってくれ」と頼むと、今度は立ち上がってピョコピョコと風と共に何処かへ行ってしまった。
しばらくすると早桶を持って家主と甚兵衛さんが戻って来た。
事の顛末を聞いた家主は、「死骸へ魔が差したんだ。折角、底が抜けた早桶の代わりを買って来たのに死骸がなきゃどうしようもねえじゃないか」。
そばでは与太郎の話を聞いて甚兵衛さんはががたがた震えている。
「甚兵衛さんどうしたんだい?」
「抜けました。抜けました」
「えっ、今買って来たばかりの早桶の底がまた抜けちまったのかい?」
「いえ、今度はあたしの腰が抜けました」
翌日、死骸が根津の七軒町の上総屋という質屋の土蔵の釘へ引っ掛かって、もうこれ以上流さないでくれと言っていたとか。
与太郎たちは三つ目の早桶を持って現場に急いだ。
一つの遺骸で三つもの早桶を買ったという、「谷中奇聞猫怪談」の一席。
・・・という、暗ぁい噺。でも、大好きな噺。
新元号「令和」は、「万葉集巻五」の「梅花謌卅二首并序」からの出典だそうです。
歌人「大伴旅人」の漢文から。
于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。
時、初春の令月(れいげつ)にして、氣淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。
時は初春の良き月、空気は美しく風も和やかで、梅は鏡前で装うように白く咲き、蘭は身に帯びた香りのように香っている。
「月」「風」「梅」「蘭」・・・、「春」「和」「白」「香」・・・。
「令月」というのは、陰暦2月の異称であると同時に「何事をするにもよい月。めでたい月。」を表しており、「穏やかで幸福な世が始まること」を祈念する元号に繋がるということですね。
中国の古典ではなくて、国書を出典にしたのも、なかなか・・・。
今日から4月。
新社会人が仲間入りする、とてもすがすがしい日です。
もう、何十回もこの日を迎えると、自分自身の変化と進歩のなさが情けなく感じます。
自分たちの時代が過ぎ去ってしまったことを、一層強く痛感する日でもあります。
それとはまったく関係なく、週末に届いたウォークマンを今日からポケットに入れました。
200席は聴き応えがあります。
以前、150席ほどダウンロードしてあって、ずっときいていなかった古いウォークマンも引っ張り出して、埃を払ったり拭いたりして、充電しておきました。
暫くは、ウォークマンが手放せなくなりそうです。
新しいウォークマンの聴き初めは、やはり師匠の音源からです。
朝日名人会での「尻餅」からということで。
2013年9月の千早亭落語会では「三味線栗毛」。
前回(2013年3月)にネタ出ししていましたが、3月4日に父が急逝したために、休演させていただきましたので。
千早地域文化創造館との共催ということで、「千早亭落語会」も認知されて来た頃です。
勿論、師匠がいらっしゃるからにほかなりませんが。
出演者も8名で、それぞれがまだ噺もさほど長くないものが多かったので、ちょうど良いサイズの落語会だったと思います。
レベルはともかく。
また、落語の基本に忠実な頃でもあり。
この噺も、あまり多くの噺家さんがやっている訳ではありません。
古今亭菊之丞さんぐらい。
柳家喬太郎さんが「錦木検校」という演目でやっているぐらい?
師匠のブログでの、私の講評。
永久(とわ)[三味線栗毛]
酒井抱一の逸話から出来上がった噺。格調高く口演。
クスグリも時代に無理なく、噺に厚みを与えている。
・・・大変ありがたいコメントです。
やはり、師匠が常々仰っている、「格調の高さ」「時代に無理のないくすぐり」というのは、本当に落語に欠かせない要素だと思います。
いたずらに、受けだけを狙ったり、自己満足で終わったりで、格調もなければ、不自然なくすぐりばかりの人も多くいますが、私はどうも相容れない。
師匠のこのコメントは、まさに「金言」でした。
そう言えば、先月の千早亭の稽古でも、師匠は同じ内容のことを仰っていました。