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2019年3月30日 (土)

千早亭永久「揺れるとき」

2012年3月の「千早亭落語会」では、「揺れるとき」にチャレンジしました。
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http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2012/03/post-3428-2.html
この噺は、前年8月の「圓朝まつり」の「奉納落語会」で、師匠が自作実演された噺。
私も、その場で聴かせていただき、「いつかはやらせていただこう」と思っていたものでした。
「東日本大震災」があった年でしたから、「安政大地震」と「三遊亭圓朝」を軸にした、骨太の人情噺です。
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簡単にあらすじをご紹介します。
安政2年10月2日(新暦では11月11日)。
相州神奈川宿で一人暮らしをしている盲目の元噺家「三遊亭西生」の家を、3月に真打に昇進したばかりの16歳の「三遊亭圓朝」が訪ねて来る。
西生は、6歳の圓朝が「小圓太」で初高座を勤めた日のことも克明に覚えていた。
自分は、人から頼まれると、出来も分かりもしないのに、すぐに「委細承知」と答えるのが口癖だという。
周りからは、「委細承知之介」と渾名で呼ばれた。
圓朝の父「橘家圓太郎」とも親しく、二人で身延山へお参りをした時も、「委細承知した」と先達を申し出たが、鰍沢あたりで道に迷ってしまった思い出などを語る。
(これが圓朝が「鰍沢」を創作するヒントになるように匂わせる)
西生は圓朝が気に入り、二人の会話は酒を酌み交わしながら延々と続き夜になる。
西生の師匠である初代圓生から教わった芸談から、圓朝は、西生に「寿限無」の稽古をつけてもらうことになる。
喜んだ西生が「寿限無」の佳境にさしかかる頃、突然大きな地震に襲われる。
これが、「安政の江戸大地震」である。
地震にひるんだ圓朝に、西生は微動だにせず「寿限無」を続ける。

そして、さらに西生の芸談や人生観が語られる。   
時は流れて明治32年10月(新暦)。
あれから44年後の日本橋木原店の寄席。
「落語中興の祖」とまで言われ、功なり名を上げた圓朝も既に60歳。
前月から体調を崩していたものの、この日もトリで、自身の代表作「怪談牡丹燈籠」を演じる。
(実は、この日が圓朝の最後の高座になる。)
この寄席の芝居に、毎日通っている60歳前後の婦人がいた。
圓朝が「牡丹燈籠」を語っている途中に、また大きな地震が起きる。
ところが圓朝は微動だにせず噺を続ける。
そして客席でも、慌てて外に逃げ出してしまう客が多い中で、その婦人もまた微動だにせずに噺を聴いている。
寄席がはねた後、この婦人が楽屋に圓朝を訪ねて来る。
44年前に圓朝が訪ねて稽古をしてもらった西生の一人娘だと言う。
西生は既に亡くなっていたが、生前、圓朝が訪ねてくれたことを喜び、安政の大地震にも微動だにせず稽古を受けてくれた圓朝のことを褒めていたと。
そして、地震が起こってもびくともしなかった圓朝を、父親の位牌を抱いて聴いていたと。
圓朝は、西生の位牌を立てて、お経を唱える。
読経が終わった途端、位牌がパタンと倒れる。
「お父っつぁん、なんて情けない、自分でお立ちなさいな!」
「無理を言っちゃあいけません。師匠は、洒落っ気のある方だから、皆を笑わせようと、わざと倒れたんですよ。そうですよね、師匠」と西生に語りかけると・・・、位牌の方から、
「そうさ、位牌(委細)承知さ」

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・・・色々な意味で、この噺は、ずっと暖め続けて行きたいと思います。

 

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