灘康次さんの訃報
瀧口雅仁さんのツイートで知りました。
ボーイズの大御所「灘康次とモダンカンカン」のリーダーの灘康次さんがお亡くなりになったそうです。
♪地球の上に朝が来る♪
この歌い出しがトレードマークのボーイズグループ。
https://www.youtube.com/watch?v=OJCu-BakHaE
「灘康次とモダンカンカン」は、1958年に結成。
リーダーの灘康次は「あきれたぼういず」創始者の川田晴久の直弟子。
「地球の上に朝が来る」でお馴染みの「川田節」など、川田やあきれたぼういずの芸を継承してきた。
現在、グループとしては休止状態で、メンバーの川田恋さんがソロで活動中。
灘康次さんは、1929年3月生まれ、東京都洲崎遊郭出身。
モダンカンカンの
リーダーでありリードギター・ボーカル。
関東商業学校在学中に予科練を経て戦後「劇団新生」に入団し歌と芝居を習う。
ギターは上原げんとに指導を受けた。
1947年頃に元あきれたぼういずの川田晴久の弟子になり「川田義雄とダイナ・ブラザース」のメンバーになる。
横浜国際劇場でボーイズデビュー。
1956年、川田義雄の病気療養(翌年死去)に伴い、西方健と「カンカンコンビ」を結成(のちに解散し西方は「ぴんぼけトリオ」(のちの「ザ・ぴんぼけ」)を結成した)。
灘は1958年にモダンカンカンを結成。
メンバーチェンジを繰り返しながら、2010年代まで長く活動した。
第42回芸術祭賞受賞。
1995年にボーイズバラエティ協会会長就任。
2018年現在は同協会名誉会長。
高齢のため、グループとしての活動は休業中だった。
・・・昭和ですね。
そうそう、「ボーイズ」というのは、、演芸の一種で、楽器を使用した音楽ショウを言います。
漫才師の行う音曲漫才や、コミックバンドが演ずる音楽コントとは異なる、独特の形態を持つ。
1937年に浅草公園六区の浅草花月劇場(吉本興業直営)における演目「吉本ショウ」で、あきれたぼういず(東京吉本所属)が行ったのが端緒。
この伝統を受け継ぎ「ボーイズ」の名は主に東京芸界で用いられる。
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