落語「鰻の幇間」
今はもうほとんど馴染みのない職業の一つかもしれない「幇間(たいこもち・ほうかん)」。
落語には、この幇間が出て来る噺も数多くあります。
「幇間の一八」も、落語国の人気役者の一人だと思います。
この噺は、明治中期の実話が元になっているといわれますが、詳細はわからないようで。
「あたしのは一つ残らず十八番です!」と豪語したという八代目桂文楽師匠の、十八番のうちでも自他共に認める金箔付きがこの噺で、縮めて「ウナタイ」と言われたそうです。
黒門町の(文楽)師匠以前には、明治末から大正中期にかけて、初代柳家小せんが得意にしていたそうです。
文楽師匠は、この小せんのものを参考に、40年以上にわたって、セリフの一語一語にいたるまで磨きあげ、野幇間(のだいこ)の哀愁を笑いのうちに紡ぎ出す名編に仕立てたということですね。
幇間(ほうかん)は宝暦年間(1751〜64)から使われ出した名称。
幇間の「幇」は「助ける」という意味で、遊里やお座敷で客の遊びを取り持ち、楽しませ、助ける稼業。
たいこもち、太夫、男芸者、末社、太鼓衆などとも呼ばれます。
太夫は、浄瑠璃の河東節や一中節の太夫が幇間に転身したことから付いた異称。
別に「ヨイショ」という呼び方も一般的で、幇間が客を取り持つとき、決まって「ヨイショ」と意味不明の奇声を発することから。
「おべんちゃらを並べる」意味として、今も生き残っている言葉。
「幇間」の語源は諸説あるようです。
太閤秀吉を取り巻いた幇間がいたから、「タイコウモチ」→「タイコモチ」となったというダジャレ説もあります。
「おタイコをたたく」というのも前項「ヨイショ」と同じ意味です。
なお、旦那、つまり金ヅルになるパトロンを「オダン」、客を取り巻いてご祝儀にありつく営業を「釣り」、客を「魚」というのが、幇間仲間の隠語(符丁)だそうです。
「オダン」は落語家も昔から使います。
この噺の主人公の一八は、客を釣ろうとして「鰻」をつかんでしまい、ぬらりぬらりと逃げらますが、一八の設定は野幇間(のだいこ)。
正式の幇間は各遊郭に登録され、師匠のもとで年季奉公5年、お礼奉公1年でやっと座
敷に顔を出せたくらいで、座敷芸も取り持ちの技術も、野幇間とは雲泥の差でした。
「男芸者」と言われるように、芸事だけでなく、教養も備わっていなければ売れっ子にはならなかったということですね。
夏の暑い時期、野幇間の一八は、街中で金のありそうな客を狙っている。
真夏は避暑だ湯治だと、東京を後にしてしまっているから何処も良い客はいない・・・、と思
ったら、何処かで見覚えのある、浴衣掛けで手ぬぐいを引っかけた旦那がやって来た。
どこの人だったか思い出せないうちに、
「へい、ごきげんよう。ご無沙汰です」
「師匠じゃないか」
「大将、ここでお目に掛かるなんて・・・、その節はパ〜っと飲んで騒ぎましたね」
「飲まないよ。麻布の寺の弔いで会っただけだ。家を知っているのか」
「先(せん)の所でしょ。こう曲がって行ったところ。旦那何処か行きましょうよ」
「ダメだよ。湯に行くんだ」
「そんな事言わず。行きましょうよ。お腹も空いてきたし」
「分かった。鰻なんてどうだ」、「土用に鰻なんて結構」、「断っておくが店は汚いんだ、その替わり旨い物を食わす。いいかい」。
「家には芸人が沢山遊びに来るんだ。師匠も来るかい。もらい物がいっぱい有るので、持って行きなよ」
「どちらで・・・」
「だから、先の所だよ」。
旦那の名前も住所も素性も分からず、近所の鰻屋にやって来た。
旦那が、 家は汚いと釘をさした通り、繁盛しているとは思えない。
まあ、この際は贅沢は禁物。とにかくありがたい獲物がかかったと一八、 腕によりをかけてヨイショし始めた。
「師匠は先に上がってください。私は鰻を見ていくから」
2階に上がったが、子供が勉強机を持って降りていった。
「酒が来たから、お注ぎしましょう」
一八もご相伴にナリながら
「いいご酒ですな。こりゃ結構な香の物で、そのうちお宅にお伺いを・・・、お宅はどちらで?」
「先のとこだよ」
「あ、ああそう先のとこ。ずーっと行って入口が」
「入口のねえ家があるもんか」。
そのうちに、蒲焼が焼き上がってきた。
温かいうちにと箸を付けて
「口の中でとろけるようです」とお世辞タラタラ。
旦那は”しも”に行くと席を立ったが、「一緒に来なくても良いよ。友達同士だ。ユックリ飲んでいなさい」と階下に。
「偉いね。若いのに。江戸っ子だよ。言うことが枯れているな。あすこまで枯れるには家・蔵無くしているな。こう言う旦那は心付けも
くれるよ。あの客大事にしておこう」。
旦那は便所へ行くと言って席を立ったきり戻って来ない。
気になった一八が一ヶ所しかない便所をのぞくと誰もいない。
「連れのお客様どうした」
「お帰りになりました」
「・・・?!、スゴイ。黙って帰って、おひねりがあるよ」
「お姉さん。帳場に行って、紙があるはずだから持ってきて。料理残しちゃいけない。ご飯もいただいて・・・」。
仲居が紙を持ってきたが、それは勘定書き。
「紙にこうなったやつ(おひねり)、無いの。分かったよ。勘定は済んでいるんだろ。エッ!まだァ。月にまとめて払うんだろう」
「初めてのお客さんです」
「7年も仲居でいたんじゃ〜。なんであの人からもらわなかったの」
「『俺は浴衣でお供だから、羽織を着ている人が主人だから、主人からもらって』と言われました」
「さぁ〜、大変なことになっちゃったぞ。逃げられちゃったんじゃないか。これは手銭でやってたんじゃないか。笑い事じゃないよ。どうも目付きがおかしいと思った。家、聞くと先の所だ、先の所って言いやがって・・・。払うよ」。
それにしても・・・、店の苦情が出た。
お燗がヌルいから燗仕直して、それに水っぽい。
徳利の口が欠けているよ。
徳利は無地がイイのに、有っても山水なのに、恵比寿さんと大黒さんが相撲を取っている。
二人なのに猪口が違っているよ、九谷と伊万里なら分かるが、こちらは金文字で”三河屋”、こちらは”てんぷら”と入っている。
鰻屋で出すもんじゃない。
新香を見なさい、粋に食べさすもんなのに、ワタだくさんのキウリ、キリギリスだってこんなの食べない。奈良漬け、良くこんなに薄く切ったね。
一人で立ってないよ、隣の沢庵に寄りかかっている。
紅ショウガ、梅酢で漬けるんだ、梅と鰻は食い合わせだ。客を殺すのか。鰻を見ろよ、口に入れたらとろけると言ったが、干物みたいにパリパリだ。汚い家だね、家の佃煮だね。床の間の掛け軸、偽物の”応挙の寅”、丑寅は鰻を食べないという、鰻屋に掛けるな。
勘定を聞くと9円75銭だという。
さすがの一八も怒って「高いよ。こんなセコいウナギが」
「お連れさんが3人前お土産でお持ち帰りになりました」
「持って帰ったぁ。敵ながら天晴れだね。土産だとは気が付かなかった」。
羽織の襟に縫い付けてあった10円札を取り出した。
何かあったときにと弟から、家を出るときにもらった物で、お守りのようにしていた10円札。
「お釣り25銭は要らないよ。あんたにあげる」
「またいらっしゃい」
「二度と来るもんか」。
一八が帰ろうとすると、今朝、5円で買った上等の下駄がない。
「芸人がこんな汚い下駄が履けるか」
「あれでしたら、お共さんが履いて行かれました」。
・・・もう、完膚なきまでに騙されるという・・・。
幇間の噺も難しいと思います。
明るく、リズミカルに噺を進めて行かないと、つまらなくなる。
いずれチャレンジしないといけないと思っています。
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