お江戸あおば亭チラシ変遷
浮世絵を使った「お江戸あおば亭」のチラシを少し遡りました。
「江戸」をキーワードにすると、やはり歌川広重や葛飾北斎に行きつく気がします。
落語の舞台の雰囲気や風俗みたいなものも垣間見ることが出来ますから。
本来、チラシは不特定多数の方に分かりやすくということですが、「お江戸あおば亭」は、ご贔屓(リピーター)の比率が高いと思われるので、最低限、日時と場所だけ伝われば十分だと思われるので(勝手に思っているので)。
【第12回】2017年5月「人情八百屋」
名所江戸百景 「水道橋駿河台」
本郷台地から見た、駿河台の端午の節句の有様を描いた図。
手前を流れるのが神田川で、この下流に市中に供給される飲料水用の樋があったので、近くの橋が「水道橋」と呼ばれるようになった。
【第13回】2017年11月「試し酒」
名所江戸百景 「深川洲崎十万坪」
深川は江戸時代に造成された埋め立て地で、深川八幡宮をはじめ岡場所ができ発展していった町で、その先には江戸湾を一望できる行楽地であった洲崎があり、初日の出や汐刈り月見などで四季折々賑わっていた。
そのはずれにあった十万坪は広漠とした土地で人が生活できる場所ではなかった。
【第14回】2018年5月「火事息子」
名所江戸百景 「する賀てふ」
日本橋三越の前身である「越後屋呉服店」は駿河町の通りの両側を占拠する程の規模を誇っていた。
多くの絵師が浮世絵の題材にし、庶民の憧れの場所でもある。
町名の由来は富士の眺望が良ったので、その所在地である駿河国からとった。
【第15回】2018年11月「短命」
富嶽三十六景 「江都 駿河町三井見世略図」
「東都 駿台」「江戸 日本橋」「東都浅艸本願寺」
(江都駿河町三井見世略図)軒先にかかる看板には、「現金掛け値なし」と有り、当時呉服業界では珍しかった現金支払いで、良質な商品を必要な分だけ販売していたのが三井越後屋。
(東都駿臺)駿臺とは駿河台の略称。
今の御茶ノ水駅付近の、神田川の南側の台地のこと。
この辺りに幕臣が多く住んでいたことから駿河台と名づけられた。
(江戸日本橋)日本橋の中央から、遠く千代田城と富士を望む。
橋上には、魚河岸の若い者たちが飽や魚を担ぎ、あるいは天秤棒を持つ者などで、江戸市中に魚を配給する拠点として賑わった。
(東都浅艸本願寺)現在の東京浅草本願寺のこと。
元は神田明神下にあったが、明暦3年の大火後、浅草へ移転。
大屋根をもつこの壮大な建築は、江戸庶民を驚愕させた。
【第16回】2019年5月「未定」
名所江戸百景 「堀切の花菖蒲」
江戸郊外にあった百姓伊左衛門が作り上げた菖蒲畠を描いたもので、庶民に大変人気があった。
堀切の一帯は元々湿地帯で、水を大量に必要とする菖蒲の栽培には適していた。
・・・暫く、このパターンを続けるつもりです。
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