乱志十八番「若旦那」三題
「金願亭乱志十八番」は、図らずも同じ範疇に属すると思われる噺があります。
ややこじつけの部分もありますが、同じカテゴリーの噺の比較をしてみようということで。
まず最初のキーワード「若旦那」でやってみます。
「明烏」「火事息子」そして「抜け雀」です。
落語の「若旦那」というと、大店のボンボンで甘やかされて、親が苦労して蓄えた金を湯水のように使う放蕩息子が典型です。
「船徳」「湯屋番」「紙屑屋」「唐茄子屋政談」「不孝者」「干物箱」、まだまだあります。
それぞれこの3つの噺の若旦那は、背景がちょっと違います。いずれ放蕩を始める危うい予感がするのが、「明烏」の日向屋の若旦那の時次郎でしょう。
騙されて吉原に連れて行かれるまでは、木石を絵に描いたような堅物てしたが、売れっ子花魁「浦里」の手練手管にはまって、後は・・・道楽・・・勘当ということになることが予想されます。
噺によっては、綿旦那には、堅物が堕ちて行くパターン、道楽が止まないパターン、あることをきっかけに改心するパターンがありますから。
パターンは似ていますが、「湯屋番」の若旦那は箸にも棒にも、「船徳」の徳さんは原話ではいっぱしの船頭になり、「唐茄子屋政談」の若旦那は改心をして勘当が緩れることになります。さて、「火事息子」の伊勢屋の若旦那の藤三郎の道楽は、「飲む・打つ・買う」ではなくて、何と「火事(火消し)」だという、変わったもの。
一人息子を久離を切って勘当したお父っつぁんも凄いと思いますが、自分の好きな道に入って頑張るという意味でも、他の噺の若旦那とは違います。
以前、師匠と「藤三郎は家に帰ろうとするか(勘当は緩れるか)」・・・という議論をしたことがあります。
年老いた両親をそのままに、自分の好きな道に留まるのか。
自分の選んだ道にある程度区切りをつけて、親孝行をするのか。
この辺りを含んで、噺を組み立てると、それぞれ違った雰囲気の噺になるかもしれません。さぁ、もう1人は「若旦那」と言えるかどうか微妙ですが、圓窓師匠の高座本では、医者の一人息子ということになっていますから、一応若旦那みたいだということです。
絵師だった父親は今は医者。
絵を志して勘当され、旅に出て絵の修業をする息子。
この噺でも、息子は広く言えば放蕩かもしれませんが、所謂道楽者ではない。
そして、雀の絵を描いて、いずれ父の元に戻りそうで、一番ハッピーエンドな感じがします。
« ラジオ寄席 | トップページ | 志ん生師匠がフライデー?① »
「落語・噺・ネタ」カテゴリの記事
- 稽古をした演目(2020.09.09)
- 十八番(2020.07.13)
- 「紺屋高尾」と「幾代餅」(2020.06.18)
- 落語DEデート(2020.05.24)
- 古今亭志ん朝を聴きながら(2020.05.23)