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2019年2月 5日 (火)

乱志十八番⑥「文七元結」

それにしても、私は何と身の程知らずだと実感します。
18席のほとんどが、ちょいと軽く出来る噺ではない・・・。
そして、とうとう・・・やってしまいました。
乱志十八番「文七元結」
三遊亭圓朝の作と言われる「文七元結(ぶんしちもっとい)」。
「ザ・落語」、落語を知っている人であれば、そう簡単に演ろう(演れる)とは思わない、通は演らそうとは思わない大きな噺です。
「いつかは〇〇を」と言う時に、プロアマに関わらず、落語を演る人が夢見る噺の「〇〇」には、かなりの確率で「文七元結」が入ると思います。
(あとは、「芝浜」とか「百年目」とか「井戸の茶碗」とか‥?)
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http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2016/06/post-a529-1.html
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本所達磨横町の左官の長兵衛は腕はいいが、博打にはまってしまい家は貧乏で借金だらけで、夫婦喧嘩が絶えない。
見かねた娘のお久が
吉原の佐野槌に自分の身を売って急場をしのぎたいと駆け込む。
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佐野槌からお久が来ていると知らされた長兵衛は女房のボロ着物を着て佐野槌へ行く。
女将「お前いくらあったら仕事にかかれるんだい」
長兵衛「実は細川様のお屋敷に仕事に行っている時に、ちょいと手を出したのがやみつきで、義理の悪い借金こしらえちまって、・・・四十五、六もありゃ・・・」
女将「じゃあ、五十両あれば・・・」
長兵衛「そりゃあもう、五十両あれば御の字なんで・・・」
女将「じゃあたしが貸してあげよう。あげるんじゃないよ貸すんだよ。それでいつ返してくれるんだい」
長兵衛「・・・来年の七、八月頃には必ず・・・」
女将「それじゃ来年の大晦日までは待ってあげよう。それまではこの娘(こ)は預かるだけにしよう。だけど大晦日が一日でも過ぎたらこの娘は見世に出して客を取らせるよ」
お久「お父っつぁん、もう博打だけはよしとくれ・・・」

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大金を懐にした長兵衛は大門から見返り柳を後に、道哲を右に見て、待乳山聖天の森を左に見て、山の宿、花川戸を過ぎて吾妻橋まで来ると若者が身投げをしようとしている。
長兵衛がわけを聞くと
横山町鼈甲問屋、近江屋の手代の文七で、水戸屋敷から集金の帰り、枕橋で怪しげな男に突き当たられ五十両を奪われたという。
長兵衛はなんとか思い留まらせようとするが、文七はどうしても死ぬと言う。

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長兵衛「どうしても五十両なきゃ死ぬってぇのか・・・どうせ俺にゃ授からねえ金だ、てめえにくれてやりゃあ、持ってけ!」
と、財布を前に置いてこの五十両を持っているいきさつを話す。
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文七「そんなわけのあるお金をあたくしは頂くわけにはまいりません」
長兵衛「俺の娘は何も死ぬわけじゃねえんだよ、見世へ出して客を取らせりゃいいんだ。おめえは五十両なきゃ死ぬってえから、やるんだよ」
押し問答の末、長兵衛は五十両を文七に叩きつけ走り去ってしまった。
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文七「あんな汚いなりをして、五十両なんて持ってるわけがあるものか。やると言ったからしょうがなく石っころなんか入れてぶつけて行きやがった」
ひょいと財布の中を見てびっくり。
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もう見えなくなった長兵衛の方へ両手を合わせて伏し拝み、
文七「ありがとうございます。・・・おかげさまで助かりました・・・ありがとうございます」
文七が店へ帰ると主人も番頭もまだ寝ないで待っていた。
文七が五十両入った財布を差し出すと、二人とも怪訝そうな顔をする。
半七が奪われたと思った金は文七が水戸屋敷で碁を打った時に碁盤の下に置き忘れていて、屋敷からわざわざ届けられていたのだ。
文七は吾妻橋での一件について話すと主人もようやく納得した。
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翌朝、近江屋の主人が文七を連れて五十両を返しに来る。
長兵衛の家では昨晩から夫婦喧嘩が続いている。
長兵衛「・・だから嘘じゃねえんだよう、やったんだよ」
女房「だから、何処のなんてえ人にやったんだい」
長兵衛「そんなこたぁ聞くのが面倒くせえから、そいつに金ぶつけて逃げて来たんだ」
女房「金ぇぶつけて逃げるなんて、いい加減なことばかり言いやがって・・・」
そこへ近江屋が入って来る。
鼈甲問屋と聞いてここは家が違うと言う長兵衛に、近江屋は表から文七を呼び寄せ、昨晩の五十両の顛末を語って、
近江屋「・・・したがいまして昨夜、お恵み頂きました五十両、ご返済にあがりました次第で・・・」
すると長兵衛はいったんやった金は今さら受け取れないと言い張り出した。
ボロを着ていて人前に出られずに、ぼろ屏風の後ろに隠れていた女房が受け取れと袖を引っ張り、近江屋も受け取ってくれないとこの金のやり場に困ってしまうと言うので、長兵衛はしぶしぶ五十両を受け取った。
近江屋は今後は長兵衛と親戚付き合いがしたいと申し出て、角樽と酒二升の切手を差し出し、
近江屋「お肴をと思いまして、御意に召すかどうかは分かりませんが、ただ今、ご覧に入れます・・・」
長屋の路地に駕籠が入って来て、中から出て来たのがお久だ。
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文金の高島田に綺麗な着物で、すっかり化粧した姿は錦絵から抜け出たよう。
お久「お父っつん、あたしこのおじさんに身請けされて、もう家に帰ってもいいんだって・・・」
この声を聞いて隠れていた女房もたまらなくなって出て来て、お久とすがり合って泣き出した。
文七とお久は結ばれ、麹町貝坂に元結屋の店を開いたという「文七元結」の一席。
・・・この噺は、中国の文献(詳細不明)をもとに、三遊亭圓朝が作ったとされますが、実際には、それ以前に同題の噺が存在し、圓朝が寄席でその噺を聴いて、自分の工夫を入れて
人情噺に仕立て直したのでは、というのが、八代目林家正蔵師匠の説。
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初演の時期は不明ですが、明治22年4月30日から5月9日まで10回に分けて、圓朝の口演速記が「やまと新聞」に連載され、翌年6月、速記本が金桜堂から出版されています。高弟の四代目圓生が継承して得意にし、その他、明治40年の速記が残る初代三遊亭圓右、四代目橘家圓喬、五代目圓生など、圓朝門につながる明治・大正、昭和初期の名人連が競って演じました。
さらに、四代目圓生から弟弟子の三遊一朝(1930年没)が教わり、それを、戦後の落語界を担った八代目林家正蔵(彦六)師匠、六代目圓生師匠に伝えました。
この二人が戦後のこの噺の双璧でしたが、五代目古今亭志ん生師匠もよく演じ、志ん生師匠は前半の部分を省略していきなり吾妻橋の出会いから始めています。
さらに、次の世代の五代目圓楽師匠、談志師匠、志ん朝師匠も得意にしています。
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ある噺家さんは、一番難しい噺だと言います。

人物造形が 一筋縄じゃいかないのですよ。
揃いも揃って登場人物の奥行きがそれぞれ深い。
深すぎる。
なにしろ落語はこれら全員を一人で演じるんですから。
薄っぺらな奴が演ったら、セリフをただ棒読みにするのと同じです。
学芸会もいいところで、とても聴いちゃいられない。
逆にもったいつけ過ぎても鼻について嫌らしい。
この「程の良さ」の調整は落語家のセンスにかかってきます。
誰が創ったんだか知らないけど、まあ大変なネタです。

プロでも一目を置く、“ザ・落語”。
オチは、未熟な文七がすぐにお久をめとるのは不自然だし、「文七元結の一席でございます」では、オチがないのは落語ではないという師匠と私の信念。
元結は、紙で出来た髪を束ねるもの、文七とお久の縁は、図らずも博打に現を抜かした長兵衛が元。
だから、結びの髪・結びの神の地口にしてみました。
師匠にご指南いただいたちょうど30席目の噺になりました。
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・・・いつまでも、憧れの噺であることは変わりません。

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