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2019年2月16日 (土)

乱志十八番⑰「鰍沢」

ご当地中のご当地噺の「鰍沢」。
これも、ずっとずっと演ってみたかった噺でした。
折しも、地元の町興しに落語(鰍沢)に注目が集まりり始めました。
私にとって、「鰍沢と「甲府い」「笠と赤い風車」で「身延詣り3題」ということになるんです。
乱志十八番「鰍沢」
この噺は、三遊亭圓朝が三題噺として捜索した名作中の名作。
圓朝は維新後の明治5(1873)年、派手な道具入り芝居噺を捨て、素噺一本で名人に上り詰めましたが、「鰍沢」もその関係で、サスペンスがかった人情噺として演じられることが多くなりました。
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圓朝門下の数々の名人連に磨かれ、三遊派の大ネタとして、戦後から現在にいたるまで
受け継がれてきました。
就中、明治の四代目橘家圓喬の迫真の名演は、今も伝説として語り継がれています。
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昭和になって、六代目三遊亭圓生師匠、八代目林家正蔵(彦六)師匠に正統が伝わり、
五代目古今亭志ん生師匠も晩年好んで演じました。
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また、元の形態の芝居噺として、正蔵師匠が復活させたものが、お弟子さんで山梨県出身の正雀師匠に継承されています。
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ところで、この噺には続編があったそうです。
正式には「晦(みそか)の月の輪」といい、やはり三題噺(「花火」「後家」「峠茶屋」)から作られたものといわれます。
毒から蘇生した伝三郎が、お熊と信濃の明神峠で追剥を働いているところへ、偶然新助が通りかかり、争ううちに夫婦が谷底へ転落するという筋立てですが、明治以後、演じられた形跡もなく、芝居としての台本もないようです。
身延で「鰍沢」?
身延山(久遠寺)に参詣をしようと旅人は、大雪に遭って山中で道に迷い、偶然見つけた一軒家に宿を頼む。
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そこにいた妙齢の美人・お熊に卵酒をすすめられるまま飲み、話をするうち、お熊がかつては吉原遊廓の遊女であり、現在は猟師の妻であることが分かる。
旅人は宿の礼として、お熊に財布の大金の中からいくらかを渡す。

初詣で
お熊は、亭主の酒を買いに行くために外出する。
旅人は疲れと酔いのために、横になる。
そこへお熊の亭主が帰ってきて、旅人が残した卵酒を飲み、たちまち苦しみ出す。
帰ってきたお熊は亭主に「旅人にしびれ薬入りの酒を飲ませて殺し、金を奪い取る算段だった」と明かす。
その声を聞いた旅人は、すでに毒が回った体で吹雪の舞う外へ飛び出し、必死に逃げる。
お熊は鉄砲を持って旅人を追いかける。

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旅人は、持ち合わせていた久遠寺の「毒消しの護符」を雪とともに飲み込み、その後、体の自由が利くようになるが、川岸の崖まで追い詰められる。
そこへ雪崩が起こり、旅人は突き落とされる。
運よく、川の中ではなく、岸につないであった筏に落ちるが、今度はその反動で、旅人を乗せたままの筏が流れ出す。
お熊の放った鉄砲の弾が旅人を襲うが、それて近くの岩に当たる。
急流を下るうち、綱が切れていかだはバラバラになる。
旅人は筏の一部だった1本の材木につかまり、懸命に題目をとなえながら川を流れていく。
そのうち旅人は、お熊の姿が見えないところまで流れ着き、窮地を脱する。   
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「この大難を逃れたも、お祖師様のご利益。お材木(=お題目)で助かった」
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2014年の4月に、身延山の麓(身延町)で、叔父が会長を務めていた老人会で、「鰍沢」を演りました。
身延で「鰍沢」?
身延(山)で「鰍沢」を演るという夢が叶いました。
その前後に開催された「深川三流亭」と「お江戸あおば亭」でも、ご贔屓に披露することが出来ました。
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http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2014/03/post-2845.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2014/03/post-9dd1.html

http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2014/04/post-b14a.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2014/04/post-fb27.html
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ところで、圓窓師匠が、この噺でコメントを記しています。
圓朝作の三題噺で「小室山の御封」「卵酒」「熊の膏薬」がお題。
旅人と元花魁との会話は妖艶であり凄味があるという聞きどころ。
落ちは[お節徳三郎下]と同じなのが気に食わないし、また、命拾いをした瞬間に駄洒落を口にするのも不自然。
あたしは以前、「卵酒を飲んだあと眠った新助の夢だった」と設定にして他の落ちを工夫したこともあったが、成功したとは思えないので、それは捨ててしまった。
いつか、工夫したいと思案している。
・・・師匠の構想に合わせて、鉄砲で追いかけられるのは、旅人の夢だという演出にしてみました。
「お江戸あおば亭」の時に、後輩にこんなコメントをもにいました。
今まで多くの噺家さんの「鰍沢」を聴いたが、旅人(新助)が身延参りをする背景や思いが描かれているのは初めてで、とても臨場感があった。
オチの演出も初めてのパターンで、勉強になった。
・・・これは、師匠のオリジナルの部分で、私が考えた訳ではありませんが、確かに、何故、どんな思いで旅をしているのかに触れているのはないかもしれません。
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それから、元花魁のお熊を悪者で終わらせないというのは、私がこの噺にチャレンジしようと思った最大のポイントです。
それでないと、お熊という女が救われないし、信心が空しくなるし、何よりも悪者がいないという落語国の魅力が削がれてしまう。
「お材木(題目)」の地口は、古今の落語評論家の先生方からも稚拙なものだと言われ続けていますから、何か考える必要はありますが、この演出は物凄いものだと思っています。
もう一つ嬉しかったことは、会社の若手が来てくれていて、彼は落語のことはほとんど知らないのですが、「
演技力は、落語の本筋ではないとおっしゃってましたが、芝居を観ているようでした。」と言ってくれたこと。
これは、ある程度、舞台設定・場面設定が出来ていて、お客さまにイメージしていただけたということなのでしょう。
「鰍沢」・・・、まだまだ未完成ですが、もっともっと練り上げて行きたいと思います。
◆2014年3月「深川三流亭」
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◆2014年5月「お江戸あおば亭」
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こんなに多くのお客様に聴いていただきました。
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「鰍沢」・・・、この噺も宝物です。

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