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2019年2月14日 (木)

乱志十八番⑮「抜け雀」

「三遊亭はこうやるんだね」と、2013年11月の「第6回お江戸あおば亭」の楽屋で、落研のある先輩から言われました。
確かに、この噺は古今亭の噺と言われています。
初めてこの噺を聴いたのは、大学1年生の時の、落研主催の「古典落語鑑賞会・金原亭馬生独演会」。
勿論、十代目金原亭馬生師匠の「抜け雀」です。
私は、これで人情噺に目覚めたと言って良いと思います。
馬生師匠・・・、とても素敵でした。
乱志十八番「抜け雀」
この噺は、「幾代餅」と同様に、古今亭(志ん生師匠)の噺というのが定着しています。
しかし、「抜け雀」という噺の出自は、はっきりしていないようです。
講釈ダネだという説もあり、また中国の黄鶴楼伝説が元だとの説もあり、誰か有名な絵師の逸話だとの説もありのようで・・・。
その中で、ネタ元としては確かだろうと思われるのが、京都の「知恩院七不思議」の一つで、朝に襖絵から雀が抜け出し、餌をついばむという伝説だそうです。
襖絵のある知恩院の大方丈は寛永18(1641)年の創建ですから、描いたのは恐らく京都狩野派中興の祖と言われる「狩野山雪」だと思われますが、不詳だそうです。
元ネタが京都ということですから、噺として発達したのは上方のようで、上方では昔から、多くの師匠が手掛けています。
東京では五代目古今亭志ん生師匠の独壇場ということです。
明治以後、志ん生師匠以前の速記は事実上ありません。
わずかに、明治末期から大正初期の「文芸倶楽部」に速記があるという曖昧な記述があるようですが、明治何年何月号で、何という師匠のものなのかは全く分からず。
大阪からいつごろ伝わり、志ん生師匠がいつ誰から教わったのか、ご当人も言い残していないので、永遠の謎となっています。
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ということは、志ん生師匠が発掘し、育て、得意の芸道(名人)ものの一つとして一手専売にした、「志ん生作」といっていいほどの噺ということです。
そしてさらに、東京の噺家では子息の十代目金原亭馬生師匠と古今亭志ん朝師匠の兄弟が「家の芸」として手掛ていましたから、文字どおり古今亭の噺ということです。
志ん生師匠の「抜け雀」の特色は、芸道ものによくある説教臭がなく、笑いの多い、明るく楽しい噺に仕上げていることでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=YmeruOmVDxY
志ん朝師匠は、「志ん朝の落語・6」(ちくま文庫)の解説で京須偕充氏も述べている通り、
父親の演出を踏まえながら、より人物描写の彫りを深くし、さらに近代的で爽やかな印象の「抜け雀」を作っています。
写真でアンコール
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金願亭乱志
小田原宿に現れた若い男、色白で肥えているが、風体はというと、黒羽二重は日に焼けて赤羽二重。紋付も紋の白いところが真っ黒。
誰も客引きはしないが、袖を引いたのが、夫婦二人だけの小さな旅籠の主人。
男は悠然と「泊まってやる。内金に百両も預けておこうか」と言った。
安心して案内すると、男は、おれは朝昼晩一升ずつ飲むと宣言。
その通り、七日の間、一日中大酒を食らって寝ているだけ。
こうなるとそろそろ、かみさんが文句を言いだした。
危ないから、ここらで内金の5両を入れてほしいと催促してこいと、気弱な亭主の尻をたたく。
ところが男「金はない」
「だってあなた、百両預けようと言った」
「そうしたらいい気持ちだろうと」。
男の商売は絵師。
「抵当(かた)に絵を描いてやろうか」
「絵は嫌いですからイヤです」。
新しい衝立に目を止めて「あれに描いてやろう」
それは、江戸の経師屋の職人が抵当に置いていったもの。
「だめです。絵が描いていなければ売れるんです」。
亭主をアゴで使って墨をすらせ、一気に描き上げた。
「どうだ」「へえ、何です?」
「おまえの眉の下にピカッと光っているのは何だ」
「目です」
「見えないならくり抜いて、銀紙でも張っとけ。雀が五羽描いてある。一羽一両だ」。
これは抵当に置くだけで、帰りに寄って金を払うまで売ってはならないと言い置き、男は出発。

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とんだ客を泊めたと亭主にぼやくし、朝になっても機嫌悪く女房は起きない。
亭主が二階の戸を開けると朝日が差し込み雀が鳴きながら外に出て行った。
はて変だとヒョイと見ると、例の衝立が真っ白。
外から先程の雀が戻ってきて何と絵の中に納まった。
これが小田原宿中の評判を呼び、泊まり客がひっきりなしで、大忙し。
それから絵の評判が高くなり、とうとう藩主・大久保加賀守まで現れて感嘆し、この絵を千両で買うとの仰せ。
絵師が現れないと売れない。
数日後、六十すぎの品のいい老人が泊まり、絵を見ると
「さほど上手くは無い。描いたのは二十五、六の小太りの男であろう。心が定まらないから、この様な雀を描く。この雀はな、止まり木が描いていないから、自然に疲れて落ちて死ぬ」。
嫌がる亭主に書き足してやろうと硯を持ってこさせ、さっと描いた。
「あれは、何ですか」、「おまえの眉の下にピカッと光っているのは何だ?」
「目です」
「見えないならくり抜いて、銀紙でも張っとけ。これは鳥かごだ」
なるほど、雀が飛んでくると、鳥かごに入り、止まり木にとまった。
老人、「世話になったな」と行ってしまった。

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それからますます絵の評判が高くなり、また藩主・大久保加賀守が現れてこの絵を二千両で買うとの仰せ。
亭主は律儀に、絵師が帰ってくるまで待ってくれと売らない。
それからしばらくして、仙台平の袴に黒羽二重という立派な身なりの侍が「あー、許せ。一晩やっかいになるぞ」。
見ると、あの時の絵師だから、亭主は慌てて下にも置かずにごちそう攻め。
老人が鳥かごを描いていった次第を話すと、絵師は二階に上がり、衝立の前にひれ伏すと
「いつもながらご壮健で。不孝の段、お許しください」
聞いてみると、あの老人は絵師の父親。
「あー、おれは親不孝をした」
「どうして?」、
「衝立を見ろ。我が親をかごかきにした」。

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・・・そんな古今亭の噺を、圓窓師匠の三遊亭は、どのように脚色したか。
圓窓師匠は、父親が絵に手を加えるところから、こんなふうに変えています。

ひと月後、六十歳ほどの上品な老医師が泊り、その抜け雀を見た。雀に元気がない
のを気にして言った。
「この雀には休むところがないので、雀はいずれ疲れて落ちる。
休むための所を描いてやろう」と。
宿の主人は折角の絵が台なしになるのを恐れたが、雀が死んでしまうのも困るので、
「ちょいと描いてくれ」と頼む。
老医師の描いたのは何本かの竹。
それに「宿の憩いも時にとりつつ」という讃を付けた。
雀は元気を取り戻したようなので、またまた評判になり、城主のつける値段も二倍の二千両にはねあがった。
半年後、あの雀を描いた若絵師が今度は立派な身なりで旅籠にやってきた。老医師が竹を描き加えた話を聞き、すぐさま衝立を見て、それに向かって平服して言った。
絵師「父上。ご不孝の段お許しください」
主人「この竹を描いたのはお父上だったのですか?」
絵師「父は絵師であったが『絵では人の命は救えない』と考えて医師になった人。子供の頃、父から絵の手ほどきを受けた。医師になった父の絵を見る目は衰えていないようだ」
主人「親子揃って大したものですね」
若者は「俺は親不孝だ。父を藪(藪医者)にした」

場面設定を変えた理由2点を仰っています。
あの世に行ってしまった柳家つば女(平成16年6月13日没)が生前にこんなことを言っていた。
「雀は籠に入れて飼うような高級な鳥ではない。絵師として駕籠入りの雀は描かないはずだ」と。
つば女はムサビ(武蔵野美術大)の出身なので、あたしは信憑性を感じた。
そこで、本文のような落ちに直したのである。絵の讃は茅野大蛇作。
既成の落ちは、老人が駕籠を描いたので、息子として「あたしは親不孝。父を駕篭かきにした」というのである。
しかし、この落ちの本来の意を知っている人は少ないようだ。
〔双蝶々曲輪日記  六冊目  橋本の段〕の吾妻の口説き句に「現在、親に駕篭かかせ、乗ったあたしに神様や仏様が罰あてて――」というのがある。
[抜け雀]を演るほうにも聞くほうにもその知識があったので、落ちは一段と受け入れられたものと思われる。
本来の落ちには隠し味ならぬ、隠し洒落があるのが、嬉しい。
知識として、その文句のない現代のほとんどの落語好きは、ただ単に「親を駕篭かきにしたから、親不孝だ」と解釈をしてるにすぎない。
胡麻の蠅と駕籠かきは旅人に嫌われていた。
その「駕籠かき」から「親不孝」と連想させての落ちになるのだが、悪の胡麻の蝿と同じような悪の駕篭かきもいただろうが、いとも簡単に駕篭かきを悪として扱うのはどうかと思う。
だから、浄瑠璃の文句の知識を念頭に入れない「駕篭かき」の落ちの解釈は危険そのものなのである。

・・・という訳で、鳥籠を描かず、医者の父親に竹やぶを描かせたので、藪医者とかけたオチにしてありました。
私も、絵心はありませんが、雀に鳥籠というのは・・・と思い、師匠の脚色で演りました。
冒頭に、先輩から「三遊亭の抜け雀」と言われたのは、この点もあったからでしょう。
最近、この時の動画を視聴したことがありましたが、数年前の私は、随分若かった。
それなりに乗っていた頃なのかもしれません。
今から5年前の2013年11月。
高座に上がるところから、下りて来たところまでの写真があります。
さぁ、いよいよ高座に向かいます。
Fw: 乱志師匠ローカル写真
高座に上がって、座布団に座ろうとしています。
       Fw: 乱志師匠ローカル写真
座布団に正座して、客席を眺めます。
Fw: 乱志師匠ローカル写真
そして、深々とお辞儀をします。
Fw: 乱志師匠ローカル写真
これは、マクラを語っているのでしょうか?
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この時は、最後まで羽織は脱ぎませんでした。
Fw: 乱志師匠ローカル写真
まだ髪も黒々としています。
Fw: 乱志師匠ローカル写真
高座を下りて、次の演者のめくりを出すところです。
     Fw: 乱志師匠ローカル写真
この噺は、「ねずみ」と「猫怪談」と動物3題ということになります。
何れも、動物を間に挟んで、父親と子の情けを語るもの。
これも再演して磨きたい噺です。

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