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2019年2月25日 (月)

2019年の論点100

文藝春秋の「2019年の論点100」の中に、昨年亡くなった桂歌丸師匠を軸にした評論があるようです、
2019年の論点100噺家・桂歌丸が亡くなった。
寄席や落語という娯楽をテレビを通じて全国津々浦々まで浸透させ、「落語を聞きに行く人」を数多く作り出したその功績は絶大だ。
初めて落語を聞きに行くとき、知らない噺家の名前が並ぶ興行よりも、「桂歌丸」の名前があることで得られる安心感は計り知れない。
そうやって生の落語に接した人の中の何割かは、そのままのめり込んで落語好きになる。
勢い余って噺家になってしまう者もいる。
でも、元をたどればきっかけとして、「笑点で見た桂歌丸」が何らかの形で関与しているケースは少なくない。
そんな大きな存在を失った東京の落語界は、いったいどうなってしまうのか――と心配する向きもあるが、じつは、特に変わる気配はない。
歌丸は、きちんと準備をして旅立っていったのだ。
初めて寄席に入った客は、お目当ての歌丸が高座に上がると喜ぶ。
しかし、その興行をすべて観て、あとでどの演者がよかったかを訊ねると、意外に歌丸の名前を挙げる人は少ない。
出てくる名前は、昔昔亭桃太郎であったり、古今亭寿輔であったり、三遊亭笑遊であったり、その日初めて知った噺家の名前を挙げることが多いのだ。
そして、次回はそこで興味を持った噺家の落語を聞こうと寄席に行き、そこでまた気になる芸人を見つける。
そんなことを繰り返すうちに、本当に自分に合った噺家を見つける。
これは歌丸に限ったことではなく、「笑点」のメンバーに総じて言える傾向である。
彼らは寄席や落語会への集客という面において、圧倒的な力を持っている。
しかし、彼らが呼び込んだ客を「ファン」として根付かせる役割は、また別の芸人が担当することが多い。
一種の連係システムがそこにはあるのだ。
2019年の論点100
歌丸は、客を寄席に引き込む役割を見事に務め上げた。
しかも、自分亡きあともそのシステムが機能し続けるように、春風亭昇太にその任を譲ってもいた。
今後は昇太目当てに寄席や落語会に行く人の中から、落語ファンや新しい噺家が生まれてくるのだろう。
そんな落語界も世代交代が進み、落語そのものも進化している。
といっても、古典落語が衰退して新作落語ばかりになる――というわけではない。
古典は古典として受け継がれている。「へっつい」や「長火鉢」「煙草盆」など、もはや古典落語でしか耳にすることのない単語もそのまま使われている。
それらの単語が示す実体は知らなくても、「そういうものがあるんだ」と納得することでストーリーを成立させる、という客側の暗黙の了解も従来と変わらない。
それでも落語は進化している。
たとえば「江戸弁」へのこだわりが薄れてきているのも、そのあらわれだ。
「ひ」と「し」が入れ替わるなど、独特の発音と言い回しを持つ江戸弁は、江戸落語の根底にあるものと考えられてきたが、近年はそこに重きを置く噺家は減ってきた。
より現代的に、より分かりやすい言葉を選ぶことで、若い世代の支持を得ている。
聖書は口語訳が普及し、森鷗外も現代語版のほうが読みやすい。
落語だって同じことだ。
2019年の論点100
こうした変化を「進化」と呼ぶか「劣化」と考えるかは聞く側の自由だが、後者を選ぶ人は寄席に行くよりも、家で古今亭志ん朝のDVDボックスを観ているほうがストレスを感じなくて済む。
逆に、そうした変化を受け入れられる人は、今も寄席を楽しめるはずだ。
志ん朝の名前が出たので白状するが、昭和40年生まれの筆者は志ん朝至上主義だった。
17年前に彼が亡くなった時には、もう落語界は終わりだと悲嘆に暮れ、落涙した。
ところが、志ん朝が死んでも落語界は平穏だった、終わるどころか隆盛に転じた。
落語が「ブーム」として扱われるようになり、寄席の前には行列ができた。
今、若い噺家や落語ファンに志ん朝の録画を見せても、大して感動しないらしい。
「ああ、上手いですね……」といった程度で、あまり興味を持たないというのだ。
まあ、それもわからないことではない。
筆者の世代の多くは、名人と言われた三遊亭圓生や先代桂文楽の生の高座には接していない。
「圓生はよかった」「文楽はすごかった」と熱く語る当時のオールドファンに、「ああ、そうですか……」と生返事をしていたのと同じことなのだ。
「昔はよかった」は、いつの時代も嫌われる。
今、寄席のプログラムを見ると、古い世代が喜ぶ落語を演じる噺家は全体の3割で、残り7割は若い世代に支持される芸人で構成されている。
この割合は、噺家の年齢とは関係がない。
年配の噺家にも若い世代に親和性のある噺をする者もいれば、逆に頑ななまでの「古さ」が若い層に支持される者もいる。
したがって、年配の客が寄席に行くと3割しか楽しめない、というものではないのだ。
3割のほうにも7割のほうにも、「面白い噺家」「上手い噺家」は一定数いるし、その逆もいる――ということを念頭に、反対意見もあるだろうがお薦めの噺家を列挙する。
落語協会からは柳家さん喬、五街道雲助、柳家権太楼、春風亭一朝、入船亭扇遊、柳家小ゑん、林家正蔵、林家しん平、柳亭市馬、橘家圓太郎、柳家喬太郎、三遊亭白鳥、橘家文蔵、桃月庵白酒、隅田川馬石、春風亭百栄、蜃気楼龍玉、古今亭志ん陽。
落語芸術協会からは昔昔亭桃太郎、三遊亭笑遊、瀧川鯉昇、桂南なん、春風亭柳好、三遊亭遊雀。
円楽一門会からは三遊亭兼好。
落語立川流からは立川生志。
これらの芸人を入口に、寄席や落語会に出かけてみてはどうだろう。
きっと今の時代の、自分に合った噺家が見つかるはずだ。

・・・特に目新しいことは書いていませんし、歌丸師匠だけがやってていた訳でもありません。
どこの世界でも、それを継承し発展させる努力は、みんなそれぞれでやっています。
圓窓師匠の「五百噺」も、「落語の授業」も、全く同じだと思います。
歌丸師匠は、本当に運良く時流(マスコミ)に乗っている目立つところで努力をされていました。
落語は、自然体で続いて行くと思います。

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