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2019年2月24日 (日)

落語DEデート

日曜日の朝のささやかな楽しみです。
◇「反対車」  十代目桂文治
元々は、上方噺だったようですが、明治になってからの東京が舞台の噺です。
落語DEデート
男が終電の時間までに上野駅に行きたいと思い、車屋を探していると、ちょうどいいところに一人の車屋が見つかる。
しかし、この車屋、人力車は酷くオンボロで先頭の提灯は近くの稲荷神社から盗んだものであり、おまけに車屋自身もついさっきまで心臓病で入院しており、医者の制止も聞かずに治療費のために働いているといういつ死んでもおかしくないようなやつであったため、目的地まで行けないばかりか、乗車代だけをムダに取られてしまう。
タチの悪い半病人から解放されたはいいが、終電の時間が迫っているためより速い車屋を探す必要が出てきたところへ今度は捻り鉢巻を締めた見るからに速そうな車屋が捕まったため、今度は男はこの車屋の世話になる。
しかしこの車屋、曲がったことが嫌いだからとどんな障害物があっても直進するため、男はぶつからないように車から何度もジャンプする羽目になる。
そんなこんなで着いたはいいが、目的地はとっくに通り過 間にか仙台まで来てしまっていた。
男が目的地は上野駅だと伝えるとこれまでにないような速さで戻ってはくれたが、当然終電の汽車はもう出てしまっていた。
男が文句を言うと車屋は「大丈夫です、始発には間に合います」

落語DEデート
・・・先代の文治師匠、懐かしいですね。
早くから噺家志望であったが、1944年に召集令状を受け、終戦後帰国後の1946年6月、二代目桂小文治に師事し、父の名であった柳家小よしを名乗るが、後に師の亭号が桂だったために桂小よしに改名。
1948年10月、2代目桂伸治に改名し二つ目昇進。
1958年9月、真打昇進。
1960年代の演芸ブームでテレビ・ラジオに多く出演。
フジテレビ「お笑いタッグマッチ」の回答者やこの番組の提供スポンサーでもあった丸美屋食品工業のふりかけ「のりたま」のテレビCMで売れる。
1979年3月、前年亡くなった九代目桂文治の盟友である八代目林家正蔵(後の林家彦六)の推薦で十代目桂文治を襲名、桂派宗家となる。
1996年、芸術選奨文部大臣賞受賞。
1999年9月、四代目桂米丸の後任で落語芸術協会会長就任。
2002年11月勲四等旭日小綬章受章。
2004年1月急性白血病に倒れ、同月31日芸協会長の任期満了日に死去。
享年80歳。
会長職は、既に翌日の昇格が内定していた副会長の桂歌丸が就任。
正調の江戸弁を大切にしていた噺家であった。
得意ネタは、「掛取り」「源平盛衰記」「親子酒」「お血脈」「長短」「蛙茶番」「義眼」「鼻ほしい」「火焔太鼓」「道具屋」「替り目」「ラブレター」「あわて者」「猫と金魚」「二十四孝」などであり、五代目柳家小さんと並んで滑稽噺のスペシャリストであった。
芸風は極めて自由闊達で、晩年に至るまで客席を爆笑の渦に誘ったが、その芸の根底には本人も認めるように戦前の爆笑王の一人であった初代柳家権太楼の影響がある。

◇「寄合酒」  三代目桂文朝
落語DEデート
ある夏の日、町内の若い衆のひとりが暑気払いにみんなで集まって酒宴を開くことを思いつくが、酒や酒肴を買う金がない。
仕方がないので、めいめい酒肴を持ち寄ることにしたが、料理が不慣れな男ばかりが集まったために、以下のような混乱をきたす。
ある男は、底に穴をあけた一升徳利を桶の中に入れて酒屋へ行き、そのまま徳利に酒を注がせる。
「金を支払う前に、米屋に用がある」と言って、栓をした徳利を酒屋に預け、徳利を通過して桶にたまった酒を持ってくる。
与太郎は、原っぱで味噌・塩・酢などを「拾ってきた」というが、包みに伝票がくっついていた。
ある男は、乾物屋の子供に鬼ごっこをやろうと誘い、「鬼の角の代わりにする」と言ってかつお節2本を持ってこさせ、怖がらせて退散させる。
しかし男はかつお節の使い方を知らず、全部削って煮立てた上で、出し殻を皿に盛って運んでくる。
だし汁は「行水や洗濯に使ってしまった」と言う。
ある男は、乾物屋で棒鱈の値段に難癖をつけるふりをして盗んでくる。
水で戻して煮付けるなどして食べるものだが、かつお節削り器で全部削ってしまう。
ある男は、乾物屋で数の子の上に風呂敷を広げて「小豆をくれ」と聞く。
乾物屋に小豆はないため、男は風呂敷をたたみ、そのまま数の子を隠すようにつかんで持ってきた。
そのまま食べることができるものだったが、煮てだめにしてしまう。
ある男は、山芋をぬか味噌に漬け込んでしまう。
ある男は、犬が魚の行商人のカゴから盗んだ鯛を、隣町まで追いかけて奪い取る。
料理していると、その犬がうなり声をあげて男の元へ戻ってきた。
兄貴分に報告すると、兄貴分は「そんなのは頭でもしっぽでも、一発食らわして追っ払え」と返事をする。
兄貴分は「蹴りを食らわせろ」と言ったつもりだったが、男は鯛の頭やしっぽを文字通り食べさせてしまい、鯛は全部なくなってしまった。

・・・と噺は続き、さらに「
ん回し」という噺に繋がって行きます。
1952年7月 - 2代目桂小南(当時山遊亭金太郎)に入門。
                       前座名は山遊亭タア坊。
1955年 - 山遊亭金時に改名。
1959年1月 - 二ツ目昇進。
桂小西(前年に師匠が小南を襲名したため)に改名。
1970年4月 - 真打昇進。桂文朝を襲名。
1975年 - 文化庁芸術祭優秀賞を受賞。
1975年4月 - 柳家小三治・入船亭扇橋と「三人ばなし」
                  をスタート。(~1997年8月)
1978年 - 放送演芸大賞落語部門賞を受賞。
1984年1月 - 桂文生、桂南喬とともに落語芸術協会を
                          脱退し、落語協会に移籍。
2005年 - 死去。享年63歳。

・・・文朝師匠、好きな噺家さんでした。
早く亡くなってしまい、本当に残念です。

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