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2019年1月 3日 (木)

落語「明烏」

早くも出て来た大ネタです。
数ある噺の中でも、間違いなく名作中の名作だと思います。
落語「明烏」
噺のカテゴリーで言えば、「廓噺」ということになります。
圓窓師匠の「明烏」を聴いた時の写真がありました。
この時の高座も、忘れられない思い出があります。
そう、師匠が一部仕込みを忘れて、ストーリーを即興で変えて語ったんです。
師匠に「新しい演出ですか?」と尋ねたら、「いや、源兵衛が若旦那に"大門で縛られる"と言うのを忘れたから、一度部屋に入った若旦那に再登場してもらったんだよ」と。
あぁぁ、これがプロかと、妙に感心しました。
落語「明烏」
この噺は、かつて八代目桂文楽 師匠(黒門町の師匠)が得意ネタにし、高座にあがると「待ってました、黒門町!明烏!」の声があちこちからかかるほどだったそうです。
源兵衛が甘納豆を食べる場面では、寄席の売店で甘納豆が売り切れたそうです。
大真打がトリで演じる大ネタとされています。
文楽師匠の「明烏」は八代目司馬龍生に稽古をつけてもらったものだそうです。
題名の「明烏」とは、明け方に鳴くカラスのことで、男女の交情の夢を破る、つれないものを意味します。
また、新内の「明烏夢泡雪」は、1772(安永元)年に初世鶴賀若狭掾が実際にあった情死事件を吉原の遊女浦里と春日屋時次郎の情話として脚色したもので、両想いになった二人が引き裂かれ、最後に心中するという筋立てのもの。
これは、この噺を演る時には最低限知っておくべき蘊蓄でしょう。
古今東西、特に商家においては、跡取り息子の行状というのは、悩ましいものだったのでしょう。
堅物過ぎると商売が出来ない、柔らか過ぎると代々積み上げて来た身代が揺らいでしまう・・・。
道楽が、過ぎて勘当去れる若旦那は、落語の定番でもあります。
ただし、その勘当する親父も、かつては先代から勘当された"前科"を持っている(はず)ですから、説得力はありませんが。
歴史は繰り返され、親父も基本的には許している部分こそ、「業の肯定」だと思います。
私の持ちネタでもありますが、私が演った初めての廓噺です。
天邪鬼の私は、どうも吉原、廓、女郎買いに、何となく嫌悪感があって、意識して廓噺をやらずにいました。
しかし、落語を究めるのにそんな些末なこだわりを持っていてはダメだと、この噺にチャレンジしました。
時次郎の純粋な気持ちをどう描いて行くか。
その若旦那の周りの人たちのドタバタをどう色づけするか。
そして、一晩明けた若旦那の変貌をどう演じるか。
これは本当に難しい噺です。
でも、間違いなく私の十八番の一つでもあります。

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