落語「愛宕山」
この噺は、私の「演りたい」→「難しい」→「まだ早い」の"公式"に当てはまる噺です。
この噺も、八代目桂川文楽師匠なしに語れません。
昔のお大尽の遊びが伝わる、贅沢な噺です。
初めてこの噺を聴いたのは、東北学院大学の落研の発表会。
4年生が熱演したのを聴いて、とても刺激を受けました。
後半は、あり得ないような展開ですが、土器(かわらけ)投げという遊び、その土器(かわらけ)が飛んで行く様を想像して、そのダイナミックな場面に魅了されました。
私もお大尽に生まれたかったと思いました。
でも、小判を投げたりはしなかっただろうって。
「愛宕山(あたごやま)」は、元は上方落語の演目の一つ。
春山のピクニックを描いた華やかな噺で、京都の旦那と大阪出身の幇間とのユーモラスなやり取りが見どころです。
山行きの足取りや番傘での飛び降り、谷底から飛び上がってくるシーンなど要所で派手なアクションが入るため、長時間の話芸とともに相当の体力が要求される大ネタ。
上方では三代目桂米朝師匠や二代目桂枝雀師匠、桂吉朝師匠がよく演じました。
江戸落語にも輸出され、八代目桂文楽師匠の口演は非常に高い評価を受けました。
そして、古今亭志ん朝師匠には憧れます。
頃は明治初年。
旦那のお供で、朋輩の繁八や芸者連中と京都見物に出かけた幇間の一八。
とにかく負けず嫌いで、何を聞かれても「朝飯前でげす」と安請け合いをするのが悪い癖。
あらかた市内見物も済み、今度は愛宕山に登ろうという時に、
旦那に、「愛宕山は高いから、おまえにゃ無理だろう」と言われ、「冗談言っちゃいけませんよ。あたしだって江戸っ子です。あんな山の一つや二つ、朝飯前でげす」と見栄を張ったばっかりに、死ぬ思いでヒイヒイ言いながら登る羽目に。
弟弟子の繁八を何とか言いくるめて脱走しようとするが、旦那は先刻お見通しで、繁八に見張りを言いつけてあるから、逃がすものではない。
おまけに、途中で旦那に「早蕨の握り拳を振り上げて
山の横面春(=張る)風ぞ吹く」という歌を自慢げに披露したまではいいが、「それじゃ、サワラビってえのは何のことだ」
と逆に聞かれて、シドロモドロ。
おかげで10円の祝儀をもらい損なう。
ようやく山頂にたどり着くと、ここでは土器(かわらけ)投げが名物。
茶屋の婆さんから平たい円盤を買って、頂上からはるか下の的に向かって投げる。
旦那は慣れていて百発百中、夫婦投げという二枚投げも自由自在だが、一八がまた「朝飯前」と挑戦しても、全くダメ。
そのうちに旦那が、酔狂にも土器の代わりに本物の小判を投げ始めたから、さあ一八は驚いた。
「もったいない」と止めると、「おまえには遊びの味がわからない」と、とうとう30枚全部放ってしまう。
小判は拾った奴の物だと言うので、欲にかられた一八、
旦那が止めるのも聞かばこそ、千尋の谷底目がけ、傘でふわりふわりと落下。
血走り眼で落ちていた30枚全部かき集めた。
「おーい、一八ぃ、金はあったかー」
「ありましたァー」
「全部おまえにやるぞー」
「ありがとうございますゥー」
「どうやって登るゥー」
「あっ、しまった」
「欲張りめ。狼に食われてしまえ」
奴さん、何を考えたか、素っ裸になると着物を残らすビリビリと引き裂き、長い紐をこしらえると、そいつを嵯峨竹に引っかけ、竹の弾力を利用して、反動で空高く舞い上がるや、
「ただいまっ」
「えらいっ、貴様を生涯贔屓にしてやるぞ」
「ありがとう存じますっ」
「金は?」
「あっ、忘れてきた」
・・・私には、いずれ「愛宕山」と「船徳」をやってみたいという夢があります。
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