落語「うどん屋」
真冬にはもってこいの噺。
この噺も、元々上方のもので、「風邪うどん」として演じられてきたものを、明治期に、あの
三代目柳家小さんが東京に移植したものです。
さらに、高弟の四代目小さん、七代目可楽を経て、戦後は五代目小さん師匠がが磨きをかけ、他の追随を許しませんでした。
酔っ払いのからみ方、冬の夜の凍るような寒さの表現がポイントですが、五代目は余計なセリフや、七代目可楽のように炭を二度おこさせるなどの演出を省き、所作だけで寒さを表現しました。
見せ場だったうどんをすする仕草とともに、五代目小さん師匠によって、「うどんや」はより見て楽しむ要素が強くなった訳です。
この噺の原話は、安永2(1773)年刊の笑話本「近目貫」中の「小ごゑ」という小噺ですが、設定は、男はマツタケ売り、客は娘となっているそうです。
二八そば屋も大きな声で呼ばれるより、小声で呼ばれると、その後に続けて仲間が出て
きて総じまいになることがある。
江戸の後期になってもうどんは好まれず、「あんな、メメズ(みみず)みたいな物が食えるか」とバカにしていた。
風邪を引いて熱取りに主に食べられた。
売り声からして、ソバと違ってマヌケです。ある寒い夜、屋台の鍋焼きうどん屋が流している。
酔っ払いが鼻歌交じりに千鳥足で屋台にしがみついてきた。
湯を沸かす火にあたりながら、酔っ払いの長口上が始まった。
「おめぇ、世間をいろいろ歩いてると付き合いも長ぇだろう。仕立屋の太兵衛ってのを知ってるか」
「いえ、存じません」。
「太兵衛は付き合いがよく、仕事は良く出来る。一人娘のミイ坊は歳は十八でべっぴんで、今夜婿を取り、祝いに呼ばれると『おじさん、叔父さん』と上座に座らされて、茶が出たが変な匂いがすると思うと桜湯だったが、飲めねえよなあんな物。襖が開くと娘とお袋が立っていた。娘は立派な衣装を着て、頭に白い布を巻いて、胸元にはキラキラする物を入れて、金が掛かっているだろうな。正座して『おじさん、さてこの度は・・・』と挨拶して、この度はなんて、よっぽど学問があるか綱渡りの口上じゃなくちゃぁ言えねぇ。『いろいろお世話になり・・・』ときたね。小さいころから知っていて、おんぶしてお守りしてやって、青っぱなを垂らしてピイピイ泣いていたのが、立派な挨拶が出来るようになった。あぁ、目出てぇなぁ、うどん屋」
「さいでござんすな」。
ぶっきらぼうな受け答えが気に入らないからと、クダをまいて、炭を足させた。
またまた「太兵衛は・・・」が始まったが、先程聞いていたので、相づちは上手かった。
酔っ払いも気持ちよくなって「どこか飲みに行こう」。
「水をくれ」というから、「へい、オシヤです」と出せば、
「水に流してというのを、オシヤに流してって言うか、水掛け論をオシヤ掛け論というか、間抜けめ」とからんだ。
「酔い覚めの水値が千両と決まり」、水はただだと聞いて、水ばかりガブガブ飲むから、うどん屋はタイミングを見て商売にかかると
「おれはうどんは嫌ぇだ」
「雑煮もあります」
「酒飲みに餅を勧める頓知気があるか、バカ」。
気を取り直して呼び声を上げたら、今度は女が呼び止めて、
「今、子供が寝たばかりだから静かにしとくれょ」。
どうも今日はさんざんだと表通りに出ると、大店の木戸が開いて「うどんやさん」
とかすれた細い声。
奥にないしょで奉公人がうどんの一杯も食べて暖まろうと、いうことかとうれしくなり、押さえた小声で「へい、おいくつで」、「一つ」。
ことによるとこれは偵察で、美味ければ交代で食べに来るかもしれない。
「どうぞ」と出来上がったドンブリを出した。(美味そうに熱いうどんをたぐる。)
客は勘定を置いて、しわがれ声で、「うどん屋さん」
小声で「へ〜ぃ」、
「お前さんも風邪をひいたのかい」。
・・・うどんをたぐる仕草だけで見せる(魅せる)ことが出来るのは、これまた落語の醍醐味だと思います。
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