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2019年1月15日 (火)

川柳師匠よ永遠なれ?

event最近は寄席に行くことが極端に少なくなっているので、高座を拝見することもほとんどなくなりました。
噂では、齢85歳を過ぎて、かなり・・・だということですが・・・。
川柳師匠よ永遠なれ?
これが見納め? 川柳師匠よ永遠なれ!「道楽亭出張寄席」。
物凄い歌い文句の落語会です。
3月14日(火)19時開演。
川柳川柳師匠の米寿を祝う会(の予定)だそうです。
出演者を見て、私は絶対に行かない落語会だと思いましす。
それでも、川柳師匠の(ワンパターンの)「ガーコン」は、寄席で楽しませていただきました。
ああいう噺家さんも必要なんだと思います。
ただ、元々「三遊亭」だったというのが、(知ってはいても)驚きです。
1955年8月 - 六代目三遊亭圓生に入門。前座名はさん生
1957年頃- 圓生の自宅玄関で脱糞する事件を起こす。
1958年9月 - 二つ目に昇進。
1959年 - 東宝「落語勉強会」メンバーに選ばれるが騒動が起き、巻き込まれる形で除名される。新作落語へ転向するきっかけとなる。
1960年代 - 「ラ・マラゲーニャ」を高座で披露したのをきっかけにテレビの仕事が増えるが、古典落語至上主義の圓生と溝ができ始める。
1965年 - 「笑点」の前身番組「金曜夜席」の大喜利メンバーとして出演することが決まっていたが、1回目の収録をすっぽかしたことが司会の立川談志の怒りを買い、出演する間もなく、降板させられた。
1974年9月 - 兄弟子五代目三遊亭圓楽のとりなしもあり、集団真打昇進の一人として真打昇進を果たす。
しかし、新作やラテン音楽で売れたさん生に対し、古典落語至上主義であった圓生は最後まで抵抗の意思を捨て切れず、かつ協会による集団真打昇進への抗議のために真打昇進披露などの公式行事に一切参加をしなかった。
1978年5月16日-17日、圓生から新しい協会「落語三遊協会」の説明などを受け、ついてゆくことにするが、帰宅後の酒の失敗から落語協会残留へと転向し、圓生より破門を宣告される。
高座名はそのまま。

・・・途中までですが、酒のおかげで破天荒な芸人生活を送られました。
その川柳師匠が米寿・・・。
過去は過去として、元気で頑張っていただきたいものです。

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