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2019年1月12日 (土)

落語「言訳座頭」

前回は「按摩の炬燵」でした。
今回も、目の不自由な人が出て来る噺です。
以前にも、このブログで採り上げたことがあります。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/12/post-5116.html
夏目漱石も絶賛した名人「三代目柳家小さん」が明治末に創作した噺だそうです。
kkkk
小さんは、四代目橘家円喬から、「催促座頭」という噺(内容不明)があるのを聞き、それと反対の噺をと思いついたそうです。
   kk
「催促座頭」は、文字通り借金の催促に座頭が雇われる筋だったということでしょう。
初演は、明治44年2月、日本橋常盤木倶楽部での「第一次第70回落語研究会」の高座だったそうです。
こういう噺・・作者もはっきりしていることもあるので、やはり新作落語の範疇になるんでしょうか?
目の不自由な人の呼称に、「座頭」とか「検校(けんぎょう)」と言うのがあります。
座頭」は、江戸期における盲人の階級の一つ。
また転じて按摩、鍼灸、琵琶法師などへの呼称としても用いられた。
「当道座(盲人の官位をつかさどり、その職業を保護する組合)」は元々、平曲(日本中世の語り物のひとつで、平家物語を曲節を付けて琵琶の伴奏で語るもの。
平家琵琶を演奏する琵琶法師の称号として呼ばれた「検校(けんぎょう)」、「別当(べっとう)」、「勾当(こうとう)」、「座頭(ざとう)」に由来する。    
古来、琵琶法師には盲目の人々が多かったが、「平家物語」を語る職業人として鎌倉時代頃から「当道座」と言われる団体を形作るようになり、それは権威としても互助組織としても、彼らの座(組合)として機能した。
彼らは「検校」「別当」「勾当」「座頭」の四つの位階に、細かくは73の段階に分けられていたという。
これらの官位段階は、当道座に属し職分に励んで、申請して認められれば、一定の年月をおいて順次得ることができたが、大変に年月がかかり、一生かかっても検校まで進めないほどだった。
金銀によって早期に官位を取得することもできた。    
江戸時代に入ると当道座は盲人団体として幕府の公認と保護を受けるようになった。
この頃には平曲は次第に下火になり、それに加え地歌三味線、箏曲、胡弓等の演奏家、作曲家としてや、鍼灸、按摩が当道座の主要な職分となった。
結果としてこのような盲人保護政策が、江戸時代の音楽や鍼灸医学の発展の重要な要素になったと言える。
当道に対する保護は、明治元(1868)年まで続いた。
専属の音楽家として大名に数人扶持で召し抱えられる検校もいた。
また鍼灸医として活躍したり、学者として名を馳せた検校もいる。

・・・目の不自由な人と言うのは、ある意味で保護され、それなりの存在感もあった訳ですね。
落語「三味線栗毛」は、大名酒井雅楽頭し錦木検校との心温まる噺です。
川柳に「大晦日首でも取って来る気なり」、「大晦日首でよければやる気なり」。
大晦日は借金を取る方も、取られる方も必死だ。
今年の大晦日も借金だらけの甚兵衛さんの家。
女房が、「長屋の富の市っあんは、口達者で知恵も回り、機転もきくから一円のお礼で借金取りの断りを頼もう」と提案。
すぐに甚兵衛さんは座頭の富の市の家へ出向いた。
富の市は金でも借りに来たのかと警戒したが、一円の礼つきで借金の断りと聞いて一安心、喜んで引き受けてくれた。
甚兵衛さん「もう掛取りが来る時分ですから家へ一緒に来てください」に、富の市は、「商人は大晦日は大忙しなんだよ。無駄足をさしちゃいけないよ。向こうから来ないうちに、こっちから出掛けて行かなくちゃいけねえ」で、早速、米屋の尾張屋に先制攻撃開始。
富の市「この甚兵衛さんの商売の大道商いがどうもうまくいかず、家財道具を売り食いしているような有様で・・・借金をとても今晩お返しすることはできない・・・」、米屋は「それは約束が違う。困る、困る・・・」を連発する。
富の市は業を煮やした風に、「これだけの屋台骨しょっていて甚兵衛さんの借金なんてはした金じゃねえか。どうしても取ろうというのなら居催促だ。春まで待つと言わねえうちはここを動かねえ・・・」と居直った。
店先で居座られて大声を出されては、商売の邪魔で入って来る客の手前もみっともない。しぶしぶ米屋は「・・・仕方ないから春まで待ちますよ」と陥落した。
二人は次は名うての頑固者の炭屋へ乗り込む。
富の市は以前買った炭にケチをつけ、甚兵衛さんの借金を切り出す。
炭屋「炭に因縁つけるようなことしないで、何で最初(はな)から頭を下げて借金を待ってくださいと言わないんだ。・・・きっちりと今晩、払ってもらいますよ」と手ごわい。
富の市「それじゃあ、甚兵衛さんに頼まれたあたしの顔は丸つぶれだ。申し分けが立たないから死んでお詫びをする。目が見えないので一人じゃ死ねないから殺してくれ、さあ殺せ!、殺せー!」と大音声を張り上げた。
店の前には何事かと人が群がり店の中を覗き始めた。これにはさすがの炭屋も参って、「・・・いいよ、いいよ待つよ、春まで待つよ」であえなく陥落、二件落着。
お次は町内一の喧嘩好きの魚屋の金さんの所。
富の市は喧嘩腰で入って行くと思いきや、「・・・甚兵衛さんのおかみさんが流産で寝ているところへ、甚兵衛さんも患ってしまって食う物も食う銭もなくすっかり弱ってしまった。・・・気がかりなのは魚金さんへの借金のことという甚兵衛さんが可哀そうで春まで待ってくださいと親方の所へお願いに参りました。・・・・」なんて下手に丁重に出て頭を下げた。
出鼻をくじかれたような形の魚金は、「まあ、待つのは仕方ねえが、昨日、床屋で甚兵衛さんを見かけたが・・・」、 富の市 「へい、その髭面では一緒に魚金さんの所へ行くのは失礼だし、万一病が治らず冥土からお迎えが来たとしても閻魔さまの印象も悪かろうと、あたしが無理を言って床屋へ行かせました・・・」と、よどみがない。
魚金 「うー
、患っているにしちゃあ顔色もいいじゃねえか・・・」と、まだ半信半疑だがここも借金を春まで待ってくれた。
魚金の店を出た二人、富の市 「どうだい、うめえもんだろう。・・・おやおや百八つの鐘を突き始めたぜ・・・おらあ急いで帰ろう」
jj
甚兵衛 「まだ三軒ばかりありますんで・・・」
富の市 「そうしちゃいられねえんだよ。これから家(うち)へ帰って、自分の言い訳をしなくちゃならねえ」

・・・借金取りとの攻防は、「掛け取り」など他の噺にもたくさん出て来ます。
掛けの支払いがどうしても待てないのが、盆と暮れの年2回です。
特に歳末は、商家にとっては掛売りの貸金が回収できるか、また、貧乏人にとっては、時間切れで逃げ切って踏み倒せるかが、ともに死活問題。
普段掛売りするのは、同じ町内の酒屋・米屋・炭屋・魚屋などなじみの生活必需品に限られ、落語では結局、うまく逃げ切ってしまうことが多いのですが、現実はやはり厳しかったたようです。

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