« 決勝進出! | トップページ | 300円ショップ »

2019年1月25日 (金)

落語「今戸の狐」

今戸という、浅草方面の地名です。
浅草寺の北東、大川から山谷堀沿いに吉原に向かう起点あたりでしょうか。
uu
あまり聴くことの多くない噺かもしれません。
実在の噺家、しかも初めて噺家のプロになった「三笑亭可楽」が出て来るという点では、非常に興味深い噺でもあります。
落語「今戸の狐」
江戸時代安政の頃。
「乾坤坊良斎」という自作自演の噺家の弟子で、良輔という、作者専門の男。
作者だけでは食っていけないので、噺家に転向しようと、当時の大看板で、三題噺の名人と言われている「初代三笑亭可楽」に無理に頼み込み、弟子にしてもらった。 
  落語「今戸の狐」
ところが、期待とは大違い。
修行は厳しいし、客の来ない場末の寄席にしか出してもらえないので、食う物も食わず、これでは作者の方がましだったという体たらく。
内職をしたいが、師匠がやかましく、見つかればたちまちクビは必定。
しかし、もうこのままでは餓死しかねないありさまだから、背に腹は代えられなくなった。
たまたま住んでいたのが今戸で、ここは今戸焼きという、素焼きの土器や人形の本場。
そこで良輔、もともと器用な質(たち)なので、今戸焼きの、狐の泥人形の彩色を、こっそりアルバイトで始め、何とか糊口をしのいでいた。 
   落語「今戸の狐」
良輔の家の筋向かいに、背負い小間物屋の家がある。
そこのかみさんは千住(通称骨=コツ)の女郎上がりだが、なかなかの働き者で、これも何か手内職でもして家計の足しにしたいと考えていた矢先、偶然、良輔が狐に色づけしているところを見て、外にしゃべられたくなければあたしにも教えてくれと強談判。
良輔も承知するほかない。
一生懸命やるうちにかみさんの腕も上がり、けっこう仕事が来るようになった。
  落語「今戸の狐」
こちらは中橋の可楽の家。
師匠の供をして夜遅く帰宅した前座の乃楽が、夜中に寄席でクジを売って貰った金を、楽しみに勘定していると、軒下に雨宿りに飛び込んできたのが、グズ虎という遊び人。
博打に負けてすってんてんにされ、やけになっているところに前座の金を数える音がジャラジャラと聞こえてきたので、これはてっきりご法度の素人バクチを噺家が開帳していると思い込み、これは金になるとほくそ笑む。
翌朝、早速、可楽のところに押しかけ、お宅では夜遅く狐チョボイチ(博打の一種)をなさっているようだが、しゃべられたくなかったら金を少々お借り申したいと、ゆする。
これを聞いていた乃楽、虎があまりキツネキツネというので勘違いし、家ではそんなものはない、狐ができているのは今戸の良輔という兄弟子のところだと教える。
乃楽から道を聞き出し、今戸までやって来た虎、早速、良輔に談じ込むが、どうも話がかみ合わない。
「どうでえ。オレにいくらかこしらえてもらいてえんだが」
「まとまっていないと、どうも」
「けっこうだねえ。どこでできてんだ?」
「戸棚ん中です」
ガラリと開けると、中に泥の狐がズラリ。
「なんだ、こりゃあ?」
「狐でござんす」
「間抜けめっ、オレが探してんのは、骨の寨だっ」
「コツ(千住)の妻なら、お向こうのおかみさんです」

・・・オチは分かりづらいと思います。
今戸焼とか、博打とか、コツだとか、ちょっと古い、カビ臭い感じは否めないのかもしれません。
千住をなぜ「コツ」と言うのかと言えば、千住に小塚っ原(処刑場)があったので、「こづか→こつ」ということだそうです。
「今戸焼」は、今戸や橋場とその周辺(浅草の北東)で焼かれていた素焼及び楽焼の陶磁器です。
日用雑器、茶道具、土人形(今戸人形)、火鉢、植木鉢、瓦等を生産。
天正年間(1573年–1592年)から始まったとされています。
この「今戸焼」、今戸(今どう)なっているか知りません。

« 決勝進出! | トップページ | 300円ショップ »

落語・噺・ネタ」カテゴリの記事