落語「幾代餅」
何の勘違いか、何故か女性がやりたがる、女性が好きな噺。
きっと「純愛物語」だと思ってしまうんでしょうね。
日本橋馬喰町一丁目の搗き米屋六右衛門の奉公人の清蔵は、人形町の玄冶店跡の絵草紙屋で見た、吉原の姿海老屋の幾代太夫の錦絵に一目ぼれして恋患いで仕事も手につかない。
心配した親方は一年間みっちりと働いて金を貯めたら幾代太夫に会わせてやると約束する。途端に、清蔵は元気になってモリモリと飯を食って、前にも増して働き出した。
すぐに一年は過ぎて清蔵は親方の前へ出て、いくら貯まったか聞くと十三両と二分だ。親方は約束を思い出し、足して十五両にして遊び達者な医者の藪井竹庵先生に指南、案内役を頼み、清蔵の身なりを整えていざ吉原に送り出す。
竹庵先生は搗き米屋の奉公人ではまずいので、清蔵を野田の醤油問屋の若旦那ということにして大門をくぐった。
竹庵先生がなじみのお茶屋の女将に幾代太夫に会いたいと頼むと、幸いにも今晩は幾代は空いていて、女将に義理もあってOKという返事。
清蔵は幾代の大見世に上がり、晴れてご対面となる。
その夜は初会とも思えないもてなしぶりで、清蔵はもう思い残すことはない。後朝(きぬぎぬ)の別れに、幾代は「今度は主は何時来てくんなます」とせがむが、清蔵は搗き米屋の奉公人と明し、一年間、稼いだらまた来ると打ち明ける。
清蔵の真に惚れたのか幾代は来年三月で年季が明けたら、清蔵の所へ行くから女房にして欲しいと、支度金の五十両を預ける。
夢心地で搗き米屋に舞い戻った清蔵は、幾代との約束を話すが誰も信ずる者などいない。だが、預かった五十両を見せるとみなびっくりだ。
それからというもの清蔵は、「三月、三月」と言っている。
やがて年も改まり、三月も十五日、搗き米屋の前に一丁の駕籠がぴたりと止まった。
中からは文金高島田の幾代が現れた。結びの橋渡しをした竹庵先生を仲人に頼み、二人は晴れて夫婦になった。
搗き米屋の親方は清蔵を独立させ、両国広小路に店を持たせた。
そこで売り出した「幾代餅」は大評判で名物となり、二人は末永く幸せに暮らしたという一席。
・・・ハッピーエンド。
男版のシンデレラみたいなストーリーです。
確かに、登場する二人は純粋で、この噺も純愛物語の形になっていますが。
落語というのは、男が、男の目で、男を中心に・・・作られたものですから、男尊女卑がベースにあります。
だから、ストーリーだけで、純愛だと言って、それをそのまま女性が演じるのは、私はいかがなものかと思います。
勿論、「紺屋高尾」も同じです。
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