落語「按摩の炬燵」
「按摩」というのも、自粛、放送禁止用語になっているようです。
目の不自由な人が出て来る噺です。
「按摩」とは、なでる、押す、揉む、叩くなどの手技を用い、生体の持つ恒常性維持機能を反応させて健康を増進させる手技療法。
江戸時代から、按摩の施術を職業とする人のことを「按摩」または「あんまさん」と呼ぶ。
一方、「炬燵(火燵、こたつ)」は、日本の暖房器具。
床や畳床等に置いた枠組み(炬燵櫓、炬燵机)の中に熱源を入れ、外側を布団等で覆って局所的空間を暖かくする形式。
熱源は枠組みと一体になっているものと、そうでないものがあり、古くは点火した木炭や豆炭、練炭を容器に入れて用いていた。
原話は古く、寛文12(1672)年刊の笑話本「つれづれ御伽草」中の「船中の火焼」。
大坂の豪商「鴻池」が仕立てた、江戸へ伊丹の酒を運ぶ、二百石積の大型廻船の船中での出来事となっていて、乗船している鴻池の手代が、冬の海上であまり寒いので、
大酒のみの水夫を頼んでぐでんぐでんに酔わせ、その男に抱きついて寝ることになる。
その後、元禄11(1698)年刊の「露新軽口ばなし」中の「上戸の火焼」、
明和5(1768)年刊の「軽口春の山」中の「旅の火焼」、安永8(1779)年刊の「鯛味噌津」中の「乞食」と改作されながら、現行の落語に近づいてきた。
「乞食」では、なんと犬を炬燵代わりにするが、このやり方は落語には伝わらず、やはり酔っ払いに落ち着いた。
この噺も、八代目桂文楽師匠の十八番でした。
冬の寒い晩、出入りの按摩(あんま)に腰を揉ませている、ある大店の番頭。
「年を取ると寒さが身にこたえる」とこぼすので、按摩が、「近ごろは電気炬燵という、けっこうなものが出てきたのに、おたくではお使いではないんですかい」と聞くと、「若い者はとかく火の用心が悪いから、店を預かる者として、万一を考えて使わない」という。
番頭は下戸なので、酒で体を温めることもできない。
按摩は同情して、「昔から生炬燵といって、金持ちのご隠居が、十代の女の子を二人寝かしておいて、その間に入って寝たという話があるが、自分は、酒は底なしの方で、酔っていい心持ちになると、からだが火のように火照って、十分その生炬燵になるから、ひとつ私で温まってください」と申し出た。
「いくらなんでもそれは」と遠慮しても、「ぜひに」と言うので、番頭も好意に甘えることにし、按摩にしこたま飲ませて、背中に足を乗せて行火(あんか)代わり。
おかげで、番頭は気持ちよさそうに寝入ってしまう。
ところが、様子を聞いた店の若い連中が、我も我もと押し寄せたから、さあ大変。
ぎゅうぎゅう詰めで、我先にむしゃぶりついたから、そのうるさいこと。
歯ぎしりする奴やら寝言を言う奴やらで、さすがの「生炬燵」もすっかり閉口。
そのうち、十一になる丁稚の定吉が、活版屋の小僧とけんかしている夢でも見たか、大声で寝言を言ったので、「ああ、かわいいもんだ」を、思わず「しっかりやれ」と、ハッパをかけたのが間違いのもと。
定吉、夢の中で「何を言ってやがる。まごまごしやがると小便をひっかけるぞ」と叫ぶが早いか、本当にやってしまった。
おかげで「炬燵」の周りは大洪水。
番頭も目を覚まし、布団を替えたり寝巻きを着替えたりで大騒ぎ。
「せっかく温まったところを、定吉のためにまた冷えてしまった。
気の毒だが、もういっぺん炬燵になっとくれ」
「もういけません。今の小便で火が消えました」。
・・・まぁ、実にくだらない噺でもあります。
一方で、今と違って暖房器具の少ない時代、みんな身体を寄せ合って、暖を取っていたんですね。
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