落語「家見舞い」
落語には、ちょっと汚い噺もあります。
「家見舞い」という演目だと分かりませんが、「肥瓶」という別名を知ると、「んっ?」ということになります。
題名が汚らしいというので「祝いの瓶」、「新築祝い」などとも、言い替えています。
上方噺の「雪隠壺(せんちつぼ)」、「雪隠(せんち)」は元々上方の言葉です。
東京では明治期に三代目小さんが東京に移植、改作しました。
またまた、三代目柳家小さんの登場です。
八代目春風亭柳枝を経て、五代目小さん師匠も十八番にしていました。
上方のやり方は、東京ものとはかなり異なり、 家相を見てもらって、ここに雪隠を立てて、 肥壺(肥がめ)は一回だけ使えとアドバイスされた男がもったいないと、使用後道具屋に売る場面が前に付きます。
それを水がめ用に買っていった男が、新築祝いにしますが、 宴会でバアサン芸者が浮かれたので、「ババ(=糞)も浮くわけや。雪隠壺へ水張った」 と、汚いサゲになります。
オチがこれなので、三代目桂米朝師匠は雪隠壺を「祝いの壺」として演じています。
兄貴分の竹さんが一軒家に引っ越したので、何か祝いの物を贈ろうと相談した義理堅い二人組。
何がいいか直接聞こうと竹さんの家に行く。台所に水瓶(みずがめ)がないことに気づき、これに決めたと道具屋へ行く。
備前焼の水瓶が十八円、安いのでも四円五十銭、持参金は一人が十銭、一人は0銭ではお話にならない。
それでも図々しく負けろというと、道具屋は四円きっかりでいいという。
しつこく「十銭と・・・いうわけには行かないかなぁ」を、道具屋は十銭値引きかと勘違いする。
そりゃごもっともな話だが、「十銭で売ってくれ」であきれ返り、「冷やかしちゃあ困る」と二人を追い出した。
別の古道具屋を当たると軒下に手頃な瓶が転がっている。
だめで元々、恐る恐る十銭で売るかと聞くといいという。
それもそのはず肥瓶なのだ。贅沢なことは言っていられないと二人は肥瓶を洗って水を張り、竹さんの家に運び込んだ。
知らぬが仏の竹さんは大喜び。
何もないが酒でも一杯飲んで行ってくれと言われた二人、身体にしみ込んだ臭さに気づき湯へ行く。
無論、湯銭は竹さん払いだが。
湯から上がってさっぱりした二人は竹さんの家に上がり込んでの酒を飲み始め、出された冷奴を美味そうにパクリで二人は顔を見合わせた。
「この豆腐はどの水で冷やしたんで」に、竹さん「もちろん、今お前たちからもらった瓶からよ」で、二人は吐きそうになり、「豆腐は断(た)ってます」、竹さんが「じゃあ、古漬けを出して洗ったから食え」に、「漬物も断ってます」
竹さん 「変な野郎どもだな、何でも断ってやがる。それじゃ、焼海苔で飯を食え」
二人組 「この飯はどこの水で炊きました?」
竹さん 「決まってるじゃねえか。てめえたちがくれたあの水瓶よ」
二人組 「さいならっ」
竹さん 「おい、待ちな。あの瓶の水がどうかしたのか。おゃ、こりゃひでえ澱(おり)だ。今度(こんだ)遊びに来る時、鮒(フナ)、五、六匹持って来てくんねぇか。鮒は澱を食うというから瓶に入れるんだ」
二人組 「なに、それにゃあ及ばねえ。今まで肥(鯉)が入ってました」
水がめは、明治31(1898)年に近代的な水道が敷設され始めてからも、なかなか普及しなかったため、昭和に入るまでは家庭の必需品だったようです。
特に長屋では、共同井戸から汲んでくるにしても、水道の溜枡からにしても、水を溜めておく容器としては欠かせませんでした。
素焼きの陶磁器で、二回火といって二度焼きしてある頑丈なものは、値が張りました。
噺に最初に出てくる28円のものが備前焼のそれでしょう。
一方、水がめより低く、口が広いのが肥がめです。
五人用、三人用など、人数によって横幅・容量が異なりました。
江戸の裏長屋では、総後架(そうごうか)と呼ばれた共同便所に、大型のものを埋めて使用し、トイレが各戸別になっているところでは、それぞれの裏口の突き出しに置かれました。
・・・それにしても、汚いし、衛生上も良くない噺です。
でも、こういう噺って、意外に受けるんですよね。
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