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2019年1月12日 (土)

手賀沼ディズニーランド構想

昨日、ヤフーを覗いていて知ったのですが、あの「ディズニーランド」は、浦安に決まるずっと前に、我孫子の手賀沼に開園する計画があったというのを見て、ちょっと驚きました。
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高度経済成長期の1959(昭和34)年に構想が持ち上がり、開発会社も設立されたが、実際にディズニーパークや遊園地が建設されることはなかった。
手賀沼畔は風光明媚な場所として、明治から大正にかけて多くの文化人が居宅や別荘を構え、景観保護運動を展開した。
そうした潮流の1つに、 手賀沼ディズニーランド計画が位置付けられる。
この計画で建設予定だった「ディズニーランド」はいわゆる遊園地のみならず、スポーツ施設や健康ランド、ヘリポートなどを含む複合施設であった。
1959年の「手賀沼観光株式会社」の設立発起人会に端を発し、土地の買収や埋め立ての実行などの動きが見られたが、1968(昭和43)年4月の千葉県議会土木常任委員会にて埋立地の宅地転用が決まり、手賀沼にディズニーランド級の大型観光地を造る計画は幻となった。


手賀沼ディズニーランド構想
我孫子という街は、元々水戸街道の宿場ですが、現在の常磐線が土浦まで開通した頃は、手賀沼周辺に、お金持ちや有名人の住居や別荘がある、高級住宅地だったそうです。
それが、時代の変遷、手賀沼の水質悪化等・・色々あって、再活性化の核として、ディズニーランドを誘致しようという・・・。
これもまた、様々な紆余曲折のため、結局実現せず、浦安に持って行かれたということ・・・。
色々あるんですね。

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