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2019年1月13日 (日)

落語DEデート

music何か、久しぶりに聴く気がします。
◇「染色」    二代目三遊亭円歌
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新潟県新潟市出身。
当時の落語家には珍しく旧制中学校卒業の高学歴で、家は洋館三階建ての裕福な両替屋であったが、祖母が米相場で失敗して破産し、神奈川県横浜市で貿易商館員として働くも、女性問題を起こしたことがきっかけで北海道札幌市に移り、京染屋を始める。
花柳界相手の商売を通じて、元噺家の松廼家右喬と出会ったことで、落語に興味を抱き、素人演芸の集団に加わる。
北海道に移り住んだ後は旅回りの一座に入り、勝手に「東京落語の重鎮三遊亭柳喬」と名乗っていたが、北海道小樽市で巡業中の二代目三遊亭小圓朝に見つかり、それがきっかけとなって、1914年4月に東京の初代三遊亭圓歌に入門、歌寿美と名乗る。
1917年、二つ目に昇進して三遊亭歌奴を名乗る。
1920年4月、真打昇進。
1934年10月、二代目三遊亭円歌を襲名。
非常な努力の末、新潟訛りと吃音を克服、普段の会話では吃り癖が残っていたが、高座に上がると弁舌さわやかに切り替わる名人ぶりを見せた。
ただし高座の最中、不意に吃りが出ると扇子が痛むほど床で調子を取っていた。
モダンで明るく艶っぽい芸風で、女性描写は絶品であった。
艶笑小噺もよく演じた。
残された音源では放送禁止用語が連発されているものの、嫌らしくは聞こえないなど、かなりの力量を持った噺家であった。また高座では手拭いではなくハンカチを使い、腕時計を女性のように内側に向けて着けたまま演じていた。
余芸で手品の披露をしたこともある。
自身稽古をつけてもらった経験のある七代目立川談志によれば、演目の仕舞いに、自ら茶々を入れながら踊りを見せたりすることもあったという。
大の歌舞伎ファンでもあった。

・・・私は間に合いませんでしたが、人気のある、華やかな雰囲気のある噺家さんだったようです。
◇「松竹梅」    四代目三遊亭圓遊
    落語DEデート
日本橋箱崎の尋常小学校を卒業後、浅草の下駄屋に奉公に出た。
その後下駄の行商、陸軍糧秣本廠の臨時工などを経て、1922年11月に六代目雷門助六に入門し音助となる。
1924年春ころに二つ目に昇進し、おこしと改名。
1926年5月、六代目都家歌六を襲名し真打に昇進。
その後昭和金融恐慌による経済不況もあって、1930年ころに柳家三太郎として品川区西小山で幇間に出る。
その後戦争により花柳界が禁止されたため、1943年に二代目桂小文治の門下で初代桂伸治として落語界に復帰。
戦後、1946年に四代目三遊亭圓遊を襲名。
落語芸術協会の大看板として、またTBSの専属落語家として活躍した。
芸風はあくまでも本寸法でありながら、聴衆に大御所風の威圧感を与えない軽快な語り口と独特の艶を帯びたフラで人気を博した。
楽屋では同輩、後輩の誰かれとなく語りかけ、賑やかに笑わせていた。
笑わされ過ぎて高座に上がれなくなった者もいたという。
古き良き江戸の「粋」の精神を体現するかのような存在であった。

・・・よく学生時代に、ラジオで聴きました。
穏やかな口調の芸風で、若い自分にはやや物足りなく思いましたが、今聴くと、全くイメージが違います。

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