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2019年1月

2019年1月31日 (木)

平成最後の1月落語徘徊

今年も残すところ、334日となりました。
富士の富士山
そろそろ、年末の準備を始める方もいらっしゃる・・・訳がありませんが、それにしても1ケ月は早い!
富士からの富士山
18日(金)は「東京落語会」。
東京落語会
19日(土)は、「学士会落語会」の例会は、三遊亭歌武蔵さん。
硬骨漢の歌武蔵さんがよかった。
また、その後は新年交歓会に参加しました。
学士会落語会
26日(土)は「第12回深川三流亭」でした。
流三「天災」
今日は「深川三流亭」
今日は「深川三流亭」
100名ものご来場者で、嬉しい悲鳴でした。
出演者も熱演して、楽しい落語会になりました。



嬉しかったのは、「金願亭乱志十八番一覧」を頂戴したこと。
めくりをお願いしている「H先生」の懇親の作品です。
金願亭乱志十八番の思い
演目を眺めながら、それぞれの噺の稽古や高座のことを思い出して、ニヤニヤしています。
さて、3月2日(土)は、「そや寄席」です。
今回で3回目、晴れて馴染みとなります。
チラシやプログラムの準備をしました。
「そや寄席」のプログラム
稽古は、「長屋の花見」と「百川」を始めました。
読み稽古「長屋の花見」は、
3月23日の「千早亭落語会」でネタ出しをしています。
「百川」は、少し時間をかけて仕込もうと思います。

東京も雨

東京駅肉着きました。
東京も雨
東京も冷たい雨が降っています。
久しぶりの雨です。
ホームに吹く風も冷たい。
これから雪に変わるのでしょうか?

東京は雪?

寒冷前線が通過した関東では、午前中から南部を中心に雨。
昼頃には一度やんだが、この後は関東の南に前線や低気圧が進んでくる見込みで、上空には低気圧が引き込む寒気が流れ込む。
東京は雪?
夕方から再び雨雲がかかり、関東南部の平野部でも、明日未明にかけて雪の降る所がある。
東京は雪?
気象庁は、関東南部に大雪に関する情報を発表。
東京23区や神奈川県東部でも雪が降り、1センチ程度の雪が積もる所もありそう。
千葉や埼玉の平野部でもうっすら積もる所がある。
明日の朝にかけてグッと冷え込むため、積雪にならなかったとしても路面が凍結したり、交通への影響が出たりする恐れもある。
今夜から明日の朝にかけて車を運転する場合は、冬装備をもう一度確認し、スピードと車間距離に要注意。
東京は雪?
・・・新幹線車中で心配していますが、関ヶ原付近は雨でした。
傘は持っていますが。

駅弁

雨の新大阪駅。
駅弁
東京も雨の様子です。
駅弁
今日は3種類の肉料理が載った駅弁を買いました。
駅弁
ご飯は、すみません、半分残します。

乱志十八番①「花色木綿」

先日書いていただいた「金願亭乱志十八番一覧」から、それぞれの噺の思い出を語ることにします。
落語「花色木綿」
開口一番は、やはり「花色木綿」からでないといけないでしょう。
花色木綿というのは、"はなだ色"で、裏地に使われる木綿。
縹色(はなだいろ)とは、古くから知られた藍染めの色名で、藍色よりも薄く浅葱色よりも濃い色のこと。
古くははなだ色、平安時代は縹色、江戸時代は花色と色名を変えて伝わった。

hhこれが花色木綿。
"花色"と言うから、最初は勝手に、赤系統か黄色系統のものかと思い込んでいました。
私にとっては、大学2年になって最初に取り組んだ噺です。
この噺を選んだのは、殻を破りたかったからです。
前年に落研に入部してすぐには、先輩からの指示で「あたま山」を演りました。
以前にも触れたことがありますが、この噺は、恐らく初心者には退治出来ない噺でした。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2019/01/post-ba8d.html
次に選んだのは、落語らしい落語をと「千早振る」でした。
しかし、いずれもリズミカルに笑いを誘う噺ではなく、生意気にも、不完全燃焼を感じていました。
そんな頃に出会ったのが、八代目春風亭柳枝師匠の「花色木綿」でした。
落語DEデートhh
とにかく、あの時の私は、受ける噺に飢えていましたから。
2年生の前半は、ほとんど「花色木綿」一色でした。
それでも、前半の「出来心」の部分は、小さん師匠や柳朝師匠の音源や速記を参考にしたり、マクラでは泥棒の小噺、例えば浅草の観音様のお賽銭(仁王様)だとか、料理屋に入った泥棒とか、色々仕込んでやりました。
とにかく、とんと~んと会話が進むリズムが楽しかった。
・・・
「先祖伝来の刀が一振り」
「長剣か短剣か?」
「じゃんけんだ」
・・・
「銘はあるか?」
「姪はいねぇんですよ。神田に叔母さんが一人」
「身内を聞いてるんじゃない」
「裏が花色木綿」
「刀に裏が付くか」
「丈夫で暖かだ」
・・・

そして、4年生の時、この噺を引っ下げて?私は勇躍、「第1回全日本学生落語名人位決定戦」に出場します。
「審査員特別賞」・・って、よく分からない評価。
審査員の柳家小さん師匠と小島貞二先生からコメントを頂戴しました。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2018/06/post-47e4.html
という訳で、この噺なくしては、金願亭乱志は語れません。
3年生以降になると、人情噺志向になって行きますので、回数は減りましたが、ポイントのところでは、何度も演っています。
何と言っても、若い頃覚えた噺ですから、「今、ここで何かやってください」と言われても、この噺と、「子ほめ」と「浜野矩随」は、すぐに演ることが出来ます。
そう言えば、あの「東日本大震災」の後、南三陸に出前落語に行きました。
その時も、迷わずこの噺を選びました。
hh
金願亭乱志の飛躍点となった、大切な噺です。

大阪は雨

大阪は雨が降っています。
久しぶりの雨だと思います。
天気予報では、夜は、雪も混じるかもしれないと言っていました。
窓から外を見ると、歩いている人は傘をさしています。
しかし、それほどの酷い降りではなさそうです。
大阪は雨
東京へは、夜8時頃に着く予定ですが、東京も同じような予報だったはずなので、傘を持って新幹線に乗ることにします。
・・・富士山には雪が積もったでしょうか?
帰りは暗くて見ることが抱きませんが。

講談人気復活

昨日のNHKの夕方の番組で、「話芸の元祖講談復活」というテーマで。
講談人気復活
最近大人気の神田松之丞さんが登場していました。
講談人気復活
講談の盛り上がりは、落語にとっても良いことだと思います。
講談人気復活
大阪の旭堂小南陵さんという、女性の講談師さんの活動も紹介していました。
gg元女優さんだそうで。

渋谷の「109」

渋谷区のファッションビル「SHIBUYA109」のロゴマークが、開業40周年となる4月28日に新しいデザインに変わるそうです。 
   渋谷の「109」
上は、今までのロゴ。
新しいロゴは、ピンクと紫色のグラデーションで、「109」が丸みを帯び、横につながっているデザイン。
デザインを公募し、昨年7月、約9500件の中からイラストレーターの男性と会社員の女性の共同デザインが選ばれた。
これまで赤いロゴが代名詞となっていたが、「変化する渋谷の街を象徴している」と運営会社。 

   渋谷の「109」
この「109」ビルは、1979年に幅広い世代向けのファッションビルとして開業。
「109」の名前の由来を遡れば、「109→いちまるきゅう→とう・きゅう→東急」。
1990年代後半からは若者ファッションに特化し、10代後半から20代前半の支持を集め「ギャルファッション」や「カリスマ店員」などのブームの火付け役となって来ました。
しかし、ここ数年は海外の安価なファッションブランドが台頭し、売り上げが減少。
運営会社は「40周年を機にロゴを刷新することで、新たなブランドイメージを作りたい」と。

実は、このビルには、あのスクランブル交差点に面して「109-②」というアネックスがあります。
前の会社のオフィス(支店)がこのビルにあり、約4年間通いました。
ちょうど、バブルが弾けて、日本経済が急降下を始める頃でした。

元号を含む商標

皇位継承に伴う来年5月の改元に向けて、政府は商標審査基準を改定し、新旧の元号を含む商標は原則登録できないことを明文化するそうです。
ルールを明確化し、新元号を事前公表した場合に便乗商法が広がるのを防ぐのが狙い。
元号は、過去も含めて商標登録できないことを明確にするための商標審査基準の改定です。
現行の審査基準は、元号を含む商標に関して「商標が現元号として認識される場合」は登録できないと規定。
ただ、特許庁はこれまで、過去の元号と一緒に用いる場合でも同様に、登録を認めない運用をして来ました。
例えば、元号と一般名詞である「まんじゅう」を組み合わせた「平成まんじゅう」や「昭和まんじゅう」は認めていませんでした。
   元号を含む商標
明治大学、大正大学、昭和○○大学、平成○○大学・・のように、大学などの名称も新元号ではダメなのかなぁ。 
例えば、仮に新元号が「永久」だったとして、「永久屋」とか、「永久産業」とかもダメなのでしょうか?
「永久亭・・」なんていう高座名も、商標としては登録出来ないのでしょうか?

入場券の値段

オリンピックが近づいて来ました。
個人的にはあまり盛り上がってはいませんが。
入場券の値段
東京五輪・パラリンピック組織委員会が、各競技の予選、決勝など区分ごとの一般入場券価格を発表。
最高額の13万円は、陸上競技の男子100メートル決勝や日本のメダル獲得が期待される男子400メートルリレー決勝など人気種目を含む「午後決勝」。
調整が難航していたサーフィンは最低価格(2500円)に近い30000円に決定。
陸上の一部種目以外に最高額が10万円を超えたのは、競泳やバスケットボール男子の決勝で108000円。
入場券は座席の位置により最大5類に分類。
gg
発売時期は3段階に分け、まず4月以降に全33競技を対象に抽選販売を開始。
秋から冬にかけては先着順で販売。
ともにインターネットの公式販売サイトのみで受け付ける。
20年春から東京都内に設置予定の販売所などで購入できる。

・・・テレビで観戦するのが一番だと思いますが。
茶の間にいれば、多くの競技をリアルタイムで観戦できますから。
こういう時に、映画や演劇やコンサートや寄席に行くのも一案かもしれません。

地元は食べない?

お正月の中学校の同級会で、私が「あの頃、”富士宮焼きそば”なんてあった?」と聞くと、富士宮市内の高校に通っていた同級生たちは、「焼きそば屋さんはたくさんあって、蒸し麺と油かすを使って、仕上げに削り粉をふりかける焼きそばだったよ」と。
・・・そうか、あの頃も既にあったのか。
最近の「B級グルメ」をはじめ、各地に名物と言われる食べ物がたくさんあります。
全国区の知名度があるご当地メシは、地元民にとってソウルフードであり、日常食として毎日のように摂取している――。
よそ者はそんな幻想を抱きがちだ。
ところが地元の人に話を聞くと「めったなことでは食べない」という話をしばしば耳にする。
2ちゃんねるのスレッド「地元民はわざわざ食わねえよっていう名物」に触発されたネットユーザーが、地元の「実は食べないご当地メシ」をこぞって投稿。

挙がったものをまとめたのが下の地図だそうです。

地元は食べない?
有名なご当地料理なのに地元民が食べない――。
その理由を整理すると、だいたい(1)〜(5)のいずれかに当てはまるのではないか。
(1)値段が高くてめったに食べない。
(2)局地的に流行っているが自分の住む地域は食べない。
(3)お土産または観光用という位置付けで日常食ではない。
(4)実は地元民はあんまり好きじゃなかったりする。
(5)ご当地メシブームで脚光を浴びたが一般には浸透していない。
・・静岡県のものも挙がっていて、「桜エビ」「黒いおでん」「富士宮焼きそば」でした。
確かに上の5つのどこかに該当する気がします。
そうそう、宮城県の「牛たん」もそうですね。
学生時代、ほとんど見ることもなく、食べることもありませんでした。
「薄皮饅頭」「草加せんべい」「雷おこし」「東京ばな奈」「鳩サブレー」「赤福」なんていうのは、お土産では有名ですが、地元で食べられていないというのは納得出来ます。

落語「うどん屋」

真冬にはもってこいの噺。
この噺も、元々上方のもので、「風邪うどん」として演じられてきたものを、明治期に、あの
三代目柳家小さんが東京に移植したものです。
さらに、高弟の四代目小さん、七代目可楽を経て、戦後は五代目小さん師匠がが磨きをかけ、他の追随を許しませんでした。
落語「うどん屋」
酔っ払いのからみ方、冬の夜の凍るような寒さの表現がポイントですが、五代目は余計なセリフや、七代目可楽のように炭を二度おこさせるなどの演出を省き、所作だけで寒さを表現しました。
見せ場だったうどんをすする仕草とともに、五代目小さん師匠によって、「うどんや」はより見て楽しむ要素が強くなった訳です。
この噺の原話は、安永2(1773)年刊の笑話本「近目貫」中の「小ごゑ」という小噺ですが、設定は、男はマツタケ売り、客は娘となっているそうです。
落語「うどん屋」
二八そば屋も大きな声で呼ばれるより、小声で呼ばれると、その後に続けて仲間が出て
きて総じまいになることがある。
江戸の後期になってもうどんは好まれず、「あんな、メメズ(みみず)みたいな物が食えるか」とバカにしていた。
風邪を引いて熱取りに主に食べられた。
売り声からして、ソバと違ってマヌケです。ある寒い夜、屋台の鍋焼きうどん屋が流している。
 
  落語「うどん屋」
酔っ払いが鼻歌交じりに千鳥足で屋台にしがみついてきた。
湯を沸かす火にあたりながら、酔っ払いの長口上が始まった。
「おめぇ、世間をいろいろ歩いてると付き合いも長ぇだろう。仕立屋の太兵衛ってのを知ってるか」
「いえ、存じません」。
「太兵衛は付き合いがよく、仕事は良く出来る。一人娘のミイ坊は歳は十八でべっぴんで、今夜婿を取り、祝いに呼ばれると『おじさん、叔父さん』と上座に座らされて、茶が出たが変な匂いがすると思うと桜湯だったが、飲めねえよなあんな物。襖が開くと娘とお袋が立っていた。娘は立派な衣装を着て、頭に白い布を巻いて、胸元にはキラキラする物を入れて、金が掛かっているだろうな。正座して『おじさん、さてこの度は・・・』と挨拶して、この度はなんて、よっぽど学問があるか綱渡りの口上じゃなくちゃぁ言えねぇ。『いろいろお世話になり・・・』ときたね。小さいころから知っていて、おんぶしてお守りしてやって、青っぱなを垂らしてピイピイ泣いていたのが、立派な挨拶が出来るようになった。あぁ、目出てぇなぁ、うどん屋」
「さいでござんすな」。
ぶっきらぼうな受け答えが気に入らないからと、クダをまいて、炭を足させた。
またまた「太兵衛は・・・」が始まったが、先程聞いていたので、相づちは上手かった。
酔っ払いも気持ちよくなって「どこか飲みに行こう」。
「水をくれ」というから、「へい、オシヤです」と出せば、
「水に流してというのを、オシヤに流してって言うか、水掛け論をオシヤ掛け論というか、間抜けめ」とからんだ。
「酔い覚めの水値が千両と決まり」、水はただだと聞いて、水ばかりガブガブ飲むから、うどん屋はタイミングを見て商売にかかると
「おれはうどんは嫌ぇだ」
「雑煮もあります」
「酒飲みに餅を勧める頓知気があるか、バカ」。 

気を取り直して呼び声を上げたら、今度は女が呼び止めて、
「今、子供が寝たばかりだから静かにしとくれょ」。
落語「うどん屋」
どうも今日はさんざんだと表通りに出ると、大店の木戸が開いて「うどんやさん」
とかすれた細い声。
奥にないしょで奉公人がうどんの一杯も食べて暖まろうと、いうことかとうれしくなり、押さえた小声で「へい、おいくつで」、「一つ」。
ことによるとこれは偵察で、美味ければ交代で食べに来るかもしれない。
「どうぞ」と出来上がったドンブリを出した。
jj(美味そうに熱いうどんをたぐる。)
客は勘定を置いて、しわがれ声で、「うどん屋さん」
小声で「へ〜ぃ」、
「お前さんも風邪をひいたのかい」。

・・・うどんをたぐる仕草だけで見せる(魅せる)ことが出来るのは、これまた落語の醍醐味だと思います。

2019年1月30日 (水)

読み稽古

先日の「深川三流亭」の反省から、稽古の量と仕上げのペースを見直そうと。
読み稽古ホテルの部屋で。
通しての読み稽古。
音源もチェックしましたが、桂文朝師匠のが面白い。
最近は、プロの噺家さんの音源でも、「あぁ、こんなものか」と思うことが多くなりました。
不遜かもしれませんが。

スーパーボランティア

昨年の夏、山口県で行方不明の2歳児を発見した「スーパーボランティア」として知られる尾畠さん。
「世界のこどもたちの幸福をねがう旅 79歳と3カ月の挑戦」と記された旗を掲げて東京から地元の大分県までリアカーを引いて移動中で、30日午前は神奈川県山北町に滞在。
いよいよ静岡県に入ります。
赤い鉢巻きに晴れやかな笑顔がトレードマークの尾畠さん。
18日に東京都の中学校で講演した後、大分県の自宅に徒歩で向かっています。
29日には静岡県との県境から約7キロの地点にある山北町にテントを張って夜を明かした。
スーパーボランティア
今朝も多くの人たちに声を掛けられ、サインにも応じていた。
尾畠さんは「静岡県には社会に誇れる素晴らしい富士山がある。故郷の同級生もいるので、もし会えればうれしい」と。
・・・どうしたら、他人を気にせず、自分の考え方に忠実に生きることが出来るのでしょうか?
東京から大分まで歩くなんて、ましてや79歳の高齢者には到底無茶だと思いますが、ご本人にすれば、生きている証でもあり、生きる目的でもあるんでしょう。
それに比べて落語を稽古するだけでも、様々な煩悶があって・・・。
己の狭量が歯痒い。

金願亭乱志十八番の思い

先日、書いていただいた「金願亭乱志十八番一覧」。
私の持ちネタの一部の演目を並べていただきました。
金願亭乱志十八番の思い
順番など、明確な基準があってではなく、思いつくままに挙げてみました。
それぞれの噺に思い出や裏話があります。

これらの噺について、明日からでも、毎日1題ずつ簡単にコメントして行きたいと思います。

やはり開口一番は、「花色木綿」からでしょう。

恵方巻なんて

全くくだらないイベント「恵方巻」です。
「恵方巻」は、節分に恵方を向いて無言で食すると縁起が良いとされる巻寿司のこと。
商都大阪発祥の風習と言われているが、1980年頃までは大阪市内でも知名度はほとんど無く、その起源の定説は未だ存在しない。

そんな得体の知れない、起源もわからないものに一生懸命になったり、商売人の口車に乗るなんて、「愚の骨頂」だと思います。
今年の恵方は「東北東」だそうで、それなら「鬼門」と言うのではありませんか?
まぁ、元々どこの馬の骨かもわからないことですから、節分に恵方巻を食べる人の割合(喫食率)は微減傾向だそうです。
恵方巻なんて
スーパーやコンビニで商戦が過熱する一方、需要は追い付いていないということ。
それに、過剰生産で売れ残った商品が大量に廃棄され問題視されていて、需要に見合った販売をするべきでしょう。
食材の無駄遣いなど、それこそ罰が当たるという物です。
私だって、巻寿司は大好きです。
しかし、訳の分からない方向を向いて(場合によっては立って)、太い巻寿司を頬張るなんて、実に品のない。
こういうのがはやるのも、立ったり、歩いたりしながら物を食べるという、行儀の悪い文化が入って来たからでしょう。
寺社の参道などでも、団子などを食べながら歩いて参詣する輩が多いのも、「売らんかな」に乗せられているのが、分からないんでしょうか?
コンビニやスーパーの陰謀に騙されてはいけませんね。
下は、「恵方巻」の説明をしているサイトですが、よくもまぁ、こんなにもっともらしい言葉を並べたものだと感心したので・・・。
「恵方巻き」のルーツは関西にあるといわれています。
節分の日に食べるようになった由来には諸説あり。
有力な説としては、江戸時代から明治時代にかけて、大阪の花街で節分をお祝いしたり、商売繁盛を祈ったのがはじまりなのではとも言われています。
また、もともとは「恵方巻き」という名前ではなく、「丸かぶり寿司」や「太巻き寿司」などと呼ばれていたそうです。
「恵方巻き」の具材は、七福神にちなんで7種類入れるのが基本です。
七福神とは、大黒天や毘沙門天、弁財天などの7つの神さまの総称。
参拝すると「7つの災難が取り除かれて、7つの幸福を授かる」といわれている神さまたちです。
代表的な具材は、かんぴょう、しいたけ、きゅうり、エビ、うなぎ、桜でんぶ、玉子焼きなど。
最近ではサーモンやマグロなど、魚介などを入れた恵方巻きも増えています。
具の種類はどうあれ、7つの具材を使うことで縁起を担いでいるのです。
「恵方巻き」を食べるのは節分の日、つまり2月3日です。
食べる時間帯については、これといった決まりはありませんが、基本的には夜だといわれています。
豆まきで家のなかを清めたあとに、福を呼び込むために「恵方巻き」を食べるのがおすすめ!
「恵方巻き」の食べ方にはルールがあります。
まずは太巻きをひとり1本ずつ用意しましょう。
次に、「恵方」と呼ばれている、その年の福徳を司る神様がいる方角を向きます。
そして、願い事しながら恵方巻きを食べるのです。
このとき、食べきるまで口をきいてはいけません。
しゃべってしまうと運が逃げてしまうといわれています。
「恵方巻き」を切らずにかぶりつく理由は、「縁を切らない」という意味があるのだとか。
2019年の恵方は「東北東」です。
食べている途中によそ見をするとご利益に預かれないと言われているので、恵方を向いている間は黙々と食べましょう!

・・・こんなこと信じられますか?

去年と今年

度々で恐れ入りますが、富士山の雪が少ないのは、昨日の全国版のニュースでもやっていました。
去年の2月上旬と今年(昨日)を比べると一目瞭然です。去年と今年
去年でも、やや少ないと感じますが・・。
もっと、パウダーシュガーのように雪が積もっている。
去年と今年
今年はこの有様ですから・・・、実にトホホな状態です。
去年と今年
下の航空写真は、富士山の南東側からのものです。
真ん中にぽっかり空いている部分は、宝永山です。
去年と今年
東側から北側にかけて、つまり山梨県側には、元々北斜面でもあり、そこそこの積雪がありますが、南側、つまり静岡県側はまだら模様です。
去年と今年
ニュースの解説によれば、静岡県側は、太平洋側の乾燥した空気が、東京側から吹き込んでいて、雨(雪)を降らせない。
去年と今年
一方で、山梨県側は、いつもの冬と同様に、日本海側からの風で、いつもと同じ状況になっているという・・・。
去年と今年
日本列島の天候の縮図のような状況になっているんですね。
でも、やはり美しい富士山が見たいものです。

「そや寄席」のプログラム

3月2日(土)に、市川市曽谷公民館で開催する「そや寄席」のプログラムが出来上がりました。
「そや寄席」のプログラム
これはチラシです。
3月の落語会なので、館長さんからは「雛祭り」に関わる噺をというリクエストを頂戴したのですが、「雛人形」というフレーズが出て来る噺はありますが、お雛さまが出て来る噺が見当たらなくて・・・。
「雛唾」とか「道具屋」とか、言葉では出て来るんですが。
「そや寄席」のプログラム
せめて雰囲気だけでもと、プログラムに雛人形を入れました。
「そや寄席」のプログラム
ところが、出演者は男性4人だけで、女性は出演しません。
私が開口一番を勤めますが、まだ演目を決めていないので、当日のサプライズにしたいと思います。

竹扇松戸落語会

知人から「竹扇松戸落語会」の案内メールが届きました。
恒例の落語会のお知らせです。
かつて松戸にあった飲み屋「竹扇」の常連だった雷門小助六師匠を応援しようと始まった落語会も、29回目となりました。
会長さんや幹事さんたちの工夫で、本物の寄席の雰囲気をもった落語会です。
お時間があれば是非ご来駕下さい。

竹扇松戸落語会
元々、「竹扇」さんという飲み屋さんの常連さんたちが、松戸市出身で、当時二つ目の「雷門花助(現小助六)」さんを応援しようと始まった独演会です。
私の知人も、その常連さんの一人で、私もその店に行ったことがあります。
落語会のスタート直後の数回は聴きに行きましたが、なかなか日程が合わなかったりで、最近はご無沙汰ばかりでした。
2月17日(日)は、今のところ空いていますので、久しぶりにお邪魔しようかと。
小助六さんは、名前のとおり雷門助六師匠のお弟子さんで、いずれ名前の「小」が取れるのではと期待しています。
大変好感の持てる青年です。
uu
【雷門小助六】
松戸生まれの松戸育ち、松戸在住。余芸は「寄席の踊り」。
好きな動物は
と熱帯魚。
好きな食べ物はチョコレート、羊羹の端っこ、麩菓子等甘い物。
好きな飲み物はポカリスエットと日本酒。
趣味は演芸関係の映像、音源などの資料収集。
1999年9月 市立松戸高校在学中に九代目雷門助六に入門し
        花助(花助は、師匠九代目雷門助六の前座名)。
2000年4月  落語芸術協会の前座になる。
2004年4月  二つ目に昇進。
2013年5月  真打昇進し、三代目雷門小助六を襲名。

・・・松戸市出身の噺家さんは、ベテランの「むかし家今松」師匠、若手の「月の家小圓鏡」さんがいます。
若手の二人は、「小」が付いていますから、いずれ大きな名跡になることでしょう。

落語「うそつき村」

村人全員が「うそつき」という壮大な?噺です。
うそばかり言って開き直る国もどこかにあるようですが。
文化年間から口演される古い噺だそうですが、特定の原話は分からないようです。
落語「うそつき村」
「聴耳草紙」ほかに見られる、各地のホラ吹き民話などを基にしたものでしょう。
この種のホラ話は、世界中に無数に分布していて、うそつきや大風呂敷は人類普遍の病
だという証ことですな。
この噺は、本来は上方落語「鉄砲勇助」で、これが東京に移植され、「弥次郎」と「嘘つき村」の二つに分かれたという説があるそうです。
落語「うそつき村」
「神田の千三ツ」と異名を取る、うそつき男。
落語「うそつき村」
旦那の家に久しぶりに現れ、信州の方へ行ってきたが、あんまり寒いので湖で鴨の足に氷が張って飛び立てなくなっているのを幸い、鎌で足だけ残して片っ端から刈り取ったとか、
その後に芽が出たのでカモメだとか、早速、並べ放題。
落語「うそつき村」
ところが、旦那が、「向島の先に、うそつき村というのがあり、そこの奴らは一人残らずうそをつくが、その中でも、鉄砲の弥八という男は、おまえよりずっと上手だ」 と言うので、千三ツ、名誉にかけてそいつを負かしてみせると、勇躍、うそつき村に乗り込んだ。
早速、村人に弥八の家を聞いたが、さすがにうそつきぞろい。
落語「うそつき村」
向かい側の引っ込んだ家だの、松の木の裏だのとでたらめばかりで、いっこうに見当がつかない。
落語「うそつき村」
子供なら少しはましかと、遊んでいた男の子に聞くと、「弥八はオレのおとっつあんだ」と言う。
そこで「おまえんとこの親父は、見込みがありそうだと聞いたんで、弟子にしてやろうと江戸から来たんだ」
落語「うそつき村」
と、ハッタリをかますと、子供をさるもの、親父は富士山が倒れそうになったのでつっかい棒に行って留守だし、おっかさんは近江の琵琶湖まで洗濯に行ったと、なかなかの強敵。
その上、「薪が五把あったけど、三つ食べたから、おじさん、残りをおあがり。炭団はどうだい」ときたから、子供がこれなら親父はもっとすごいだろうから、とてもかなわないと、千三ツは尻尾を巻いて退却。
「おじさん、そっち行くとウワバミが出るよ」
「なにを言ってやがる」
そこへ親父が帰ってきたので、せがれはこれこれと報告し

落語「うそつき村」「おとっつあん、どこへ行ってたんだい」
「オレか。世界がすっぽり入る大きな桶を見てきた」
落語「うそつき村」「おいらも、大きな竹を見たよ。
山の上から筍が出て、それがどんどん伸びて、雲の中に隠れちまった」
「うん、それで?」
「少したつと、上の方から竹が下りてきて、
それが地面につくと、またそれから根が生えて、雲まで伸びて、また上から」
「そんな竹がないと、世界が入る桶のたがが作れない」

・・・確かに、これも壮大な噺です。
「弥次郎」の方が、もう少しバカバカしさが現実的というか・・。
この手の噺を初めて聴いた時の、なんともいえない爽快感が素敵だと思います。
落語は、座布団に座って演る芸ですが、大道具や小道具や舞台装置がありませんから、座布団の上には、無限の世界が広がっているんですね。
この噺は、芝居では出来ないでしょう。

2019年1月29日 (火)

伊吹山には雪

富士山は”五分刈り”みたいでした。
伊吹山には雪
一方、伊吹山は立派な”文金高島田”でした。
伊吹山の麓も、いつもならば雪が降ったり積もったりしていて、新幹線を遅らせたりする難所ですが、全く雪はありません。

富士からの富士山

本当に、情けないぐらい雪がありません。
富士からの富士山
山肌が出ていて、まだら模様です。
今の時期にこんな姿は珍しいと思います。

くびかくご?

ゞ(`')、これは、単なる「クビ・馘首(かくしゅ)」ではなく、万死に値する愚行です。
こんなバカがいるんですね。
くびかくご
牛丼チェーン店の店員が撮影した「不適切動画」について、牛丼チェーン店「すき家」が、公式サイトで謝罪。
動画はアルバイトとみられる2人の店員が氷を床に投げつけたり、調理器具を股間にあてがうような行為を撮影したもの。
動画には「くびかくご」のテロップがつけられている。
インスタグラムの24時間で消えるストーリー機能を使い投稿されたものだったが、ツイッターに投稿され炎上。
朝のワイドショーでも「度が過ぎる」と紹介された。
「すき家」は、テレビ局の取材に「従業員と店舗の特定はできており、社内規定に基づき処分する」と。
以前にも、コンビニのアイスクリームボックスなどに寝転んだ写真などがSNSにアップされて大顰蹙を買ったことがありましたが、おバカさんは後から後から出て来るものです。
与太郎の方が、ずっとずっとお利口さんです。

三島からの富士山


三島からはかなりはっきり見ることが出来ます。
三島からの富士山
しかし、本当に
雪が少なく、手前の宝永山の窪みの所は全く雪がない・・・。

小田原からの富士山

写真で見えるかなぁ。
小田原からの富士山
晴れてはいますが、富士山は空の色に紛れて、うっすらと見えるだけ。

どうでも良いこと

広島に長野が行きましたが、今度は山梨に長崎が来ることになりました。
広島カープに読売ジャイアンツから、長野(ちょうの)選手が移籍しましたが、この日曜日の山梨県知事選挙で、長崎さんが当選しました。
ただそれだけのことです。

あぁあ、言っちゃったぁ

関西の某市の55歳の市長が、約2年前、道路拡幅に伴う用地買収が進まないため、「立ち退きさせてこい。今日、火をつけて捕まってこい。燃やしてしまえ」などと担当幹部に暴言を吐いていたそうです。
市長は事実関係を認め、「市長としてあるまじき行為で深く反省している」そうです。
市内のJRの駅近くにある国道の交差点付近で事故対策の拡幅事業が行われ、国から受託した市は用地の買収を進めていたが、一部で交渉が進んでいないことを知った市長は、担当幹部を市長室に呼び出し、進捗状況を糺した。
この際、権利者へ金額が未提示だったことについて
「何しとってん。ふざけんな」 などと厳しく叱責。
「すみません」と謝る幹部に
「燃やしてこい。今から建物。損害賠償、個人で負え!」
と激しい口調で暴言を浴びせた。

・・・きっと普段から威張っている人なんでしょうね。
でなければ、進捗が遅いのに焦っても、叱責はしても、ここまでは言わないでしょう。
言われた担当者が、メンタルで病むことはなかったようですが、言われた人や、燃やされそうになった人の尊厳が傷つけられたことは確かでしょう。
普段の地が出て、激高と同時に口から出たんでしょう。
啖呵を切るなら、「大工調べ」の棟梁のような調子で言わないと。
それにしても、なぜ今頃になって明るみに出たんでしょう?
春の統一地方選挙をめぐるドロドロの・・・?

トヨタスープラ・・・

別に、自分が欲しいとか、買おうとか思っている訳ではない。
第一、高すぎるし、若過ぎる。
でも、日本のトヨタのフラッグシップカーだから・・・。
(BMWとの共同開発のようですが。)
スープラ・・・
先日もコメントしましたが、私には「格好いい」と思えない・・。
スープラ・・・
全体がモコモコしていて、流麗さがない気がします。
空力やエンジン効率などを考えると、こんな顔や姿になってしまうんでしょうね。
スープラ・・・
車の部位を張り付けたような感じがするのは私だけでしょうか?
スープラ・・・
下の写真は、あの名車「トヨタ2000GT」とのスタイル比較です。
スープラ・・・
本当に2000GTは美しい・・・。そして品がある。
スープラに品を感じられない。

昭和元録落語心中寄席

浅草演芸ホールと池袋演芸場の「余一会」企画でしょう。
昭和元録落語心中寄席
小燕枝師匠は、体調を崩されたということでしたが、大丈夫?
昭和元録落語心中寄席
寄席の興行ですから、チケットは当日限りで全席自由席・・・と思ったら、前売券はあるようです。
恐らく行列が出来ることでしょう。
主任が、浅草は喬太郎さん、池袋は扇辰さんですから。

最高速度120キロ

新東名高速道新静岡―森掛川インターチェンジ間の上下約50キロが、3月1日午前10時から最高速度を試験的に時速120キロに引き上げられるそうです。
最低1年間は試行を続け、走行実態や交通事故の発生状況を分析する。
車両同士の速度差が広がり事故のリスクが高まることから、交通違反の取り締まりを強化する。
最高速度120キロ
この区間は、110キロへの引き上げを試行していました。
県警は「実勢速度に大きな変化はなく、著しい速度超過による重大事故も発生しなかった。
一定の安全レベルを確保できている」と説明。
利用者約1000人を対象にしたアンケートで62・8%が「さらに速度を引き上げるべき」「他の路線にも拡大すべき」と肯定的だったことも踏まえ、120キロへの引き上げを決めた。「100キロに戻すべき」との回答は17・6%だった。
120キロの対象になる車両は乗用車や軽乗用車、バス、125CC超のバイクなど。
大型トラックは80キロのまま据え置く。
あおり運転などの悪質な運転や速度超過、追い越し車線を走り続ける通行帯違反などを厳しく取り締まる。
    最高速度120キロ
・・・普段私が通行する区間ではありませんが、あの辺りは直線が多いので、まぁ大丈夫でしょう。
ところで、「森掛川」の「森」というのは、あの清水の次郎長の子分の「森の石松」の「森」です。
要するに、遠州「森」という所の石松さんということです。
森や森野さんという苗字ではありません。
現在は、静岡県周智郡森町です。

アナウンサーが

朝、在京の某ラジオ局のニュース番組を聴いていたら、女性アナウンサーが 「・・へんじゅうして・・・」と。
ん?「へんじゅう」?
これって、前後の脈絡からすると、「偏重」ではないかな?
それなら「へんちょう」と読むのが正しいはず。
「偏重」とは、ある方面だけを重んずること。
聴取者(リスナー)から、指摘の電話やメールが届いているのではないかな?
私は、そんな面倒臭いことはしませんが。

逆転の発想

最近、たびたび話題になる、電車や高速バス車内などでのリクライニングをめぐるやりとり。
逆転の発想
後ろの席の人が気になって倒しにくい、前の席の人が思いっきり倒してきて腹が立った、倒す前に声をかけるべきかどうか……などなど、議論になる度にいろいろな意見が上がっているようです。
そんな中で、乗車時にあらかじめ座席がめいっぱい倒された状態になっているバスがあるそうです。
青森から九州まで走っている高速バス。
8年ほど前から実施し、現在は夜行バスだけでなくすべてのバスで実施しているそうです。
きっかけは利用者へのアンケートに記されていた「後ろの人に気を遣って座席を倒せなかった」という内容でした。
会議で議論する中で「足元を広くするために座席数を減らす」「新型車両を導入する」といった意見も出ましたが、「はじめから倒しておけば遠慮せずに済むのでは」というアイデアが出たそうです。
一部路線で実施したところ好評だったため、すべてのバスに広げたそうです。
まれに「倒れていて乗りにくかった」もあるようですが、「これはいい」という声が圧倒的だそうで。
私は、リクライニングをいちいち後席の人に断る必要はないと思います。
gg
新幹線の中で、時々「席を倒して良いですか?」「席を倒します」と言われることがありますが、かえって煩わしい。
シートが、そういう仕様になっているんだから構わないでしょう。
後席の人は、ほとんどが納得ずくで座っていると思います。
ただ、荒々しく倒したり、「俺の権利だ」みたいに不遜な態度でやられると、正直なところ不愉快になります。
これもマナーの世界だと思います。
それよりも、携帯電話やパソコンのキーボード、オバタリアンのお喋りの方が辟易とします。

天満天神繁昌亭

上方の落語界の話題です。
繁昌亭
上方落語の定席「天満天神繁昌亭」が、改装工事のため6月の1ヶ月間休館、7月に再オープンするそうです。
繁昌亭は平成18年に開館。
約12年が経過し、空調設備や提灯などが老朽化。
今回は修繕とともに1階ロビーを拡張。
再オープン後の7月からは「昼席」の開演を1時間遅らせて午後2時に変更。
自由席から全席指定とし、演目数も10本から8本に短縮。
つい最近オープンしたばかりだと思っていましたが、もう12年経つんですね。

落語「氏子中」

これは、いわゆるバレ噺といわれるものですね。
別の言い方をすると「艶笑噺」と言います。
「氏子中(うじこちゅう)」は、同じ氏神を祀る人々(氏子仲間)のこと。
この噺は、戦時中は「禁演落語」とされていました。
禁演落語というのは、戦時中の昭和16年10月30日、時局柄相応しくないないということで、当時の噺家たちが率先して禁演とした落語のこと。
今でいうと、放送禁止語みたいなもので、業界の自粛ルールです。
浅草寿町(現在の台東区寿)にある長瀧山本法寺境内の「はなし塚」に葬られて自粛対象となったものです。
時局柄相応しくないものというのは、廓噺や間男の噺などを中心とした53演目の噺。
戦後の昭和21年9月30日、「禁演落語復活祭」によって解除。
建立60年目の2001年には落語芸術協会による法要が行われ、2002年からは、はなし塚まつりも毎年開催されているそうです。
落語「氏子中」
与太郎が越後に商用に出かけ、1年半ぶりに檜物町五番地に帰って来ました。
23~24歳のかみさんのお美津の腹が木魚のように膨れているので、与太郎もこれにはビックリ。
男の名を言えと問い詰めても、お美津はケロッとして、「亭主が居てはらむのは世間では当たり前。亭主が居なくてはらむのは女の働き。おめでたいじゃないか。お前さんと一緒になってもう7、8年。近所のおかみさんがはらむのを羨ましがっていただろう。だから、お前さんが信州に行っている間に、お前さんを喜ばせようと思って、こしらえておいたんだよ」
「馬鹿げている」
「これは、あたしを思うおまえさんの一念が通じて身ごもったんだ」
「馬鹿げている。相手の男は誰なんだ」、

落語「氏子中」
「神田明神へ日参して『どうぞ子が授かりますように』とお願いして授かったんだから、いうなれば氏神さまの子だ」と言い抜けをしてなかなか口を割らない。
そこで、親分にあれだけ御願いして出掛けたのにと相談すると、
「てめえの留守中に町内の若い奴らが入れ代わり立ち代りお美津さんのところに出入りする様子なんで、注意はしていたが、女房子供が居るから四六時中番はできねえ。与太郎の留守に5、6人入れ替わりに若いのが遊びに来ていた。注意はしたんだが、身ごもってしまった。大事にするとお前も恥をかくし、俺も決まりが悪い。そこで、実は代わりの嫁さんをオレが用意していて、出戻りだがべっぴんで、駆け足は早く喧嘩も強い実にいい女だ。しかし、何も持っていない裸同様で来る女だ。来月は子供が生まれる月だ、お七夜に仲間を集めて、荒神さまのお神酒(みき)で胞衣(えな)を洗うと、必ずその胞衣に相手の情夫の家紋が浮き出る。祝いの席で客の羽織の家紋と照らし合わせりゃ、たちまち親父が知れるから、その場でお美津と赤ん坊をそいつにノシを付けてくれてやってしまえ。みんな帰った後に、料理を綺麗にして、新しいかみさんと祝言を上げれば料理も酒も一つで済む。お前は、運が向いて来たぞ」。
与太郎、嬉しいんだか、悔しいんだか訳が分からない。

落語「氏子中」
さて、月満ちて出産、お七夜になって、いよいよ親分の言葉通り、間男の容疑者一同の前で胞衣を洗うことになった。
お美津は平気の平左衛門。
シャクにさわった与太郎が胞衣を見ると「神田明神」。
「そーれ、ごらんな。疑り深いんだから。明神様のバチが当たるよ」
親分が覗き込むと「待て。まだそばに何か出ているぞ」
「ヘエ?何と出ています」
「そばに氏子中としてある」。

・・・という。
昔も、不倫や姦通なんていうのは頻繁にあったんでしょう。
今のように「DNA鑑定」などもありませんから。
最近では、成金(ITや不動産)の下半身の軽さが目立ちますが。
金にほだされる女性タレントやアナウンサーも???ですが。
落語「氏子中」
ところで、「はなし塚」に葬られた「禁演落語」は以下のとおりです。
「五人回し」 「品川心中」 「三枚起請」 「突き落とし」 「ひねりや」
「辰巳の辻占」 「子別れ」 「居残り佐平次」 「木乃伊取り」
「磯の鮑」 「文違い」 「お茶汲み」 「よかちょろ」 「廓大学」
「搗屋無間」 「坊主の遊び」 「あわもち」 「白銅(五銭の遊び)」
「二階ぞめき」 「紺屋高尾」 「錦の袈裟」 「お見立て」「明烏」
「付き馬(早桶屋)」「山崎屋」「三人片輪」 「とんちき」「宮戸川」
「三助の遊び」 「万歳の遊び」「六尺棒」 「首ったけ」 「目ぐすり」
「親子茶屋」 「悋気の独楽」 「権助提灯」 「一つ穴」 「星野屋」
「三人息子(片棒)」 「紙入れ」 「つづら間男」 「庖丁」 「不動坊」
「つるつる」 「引越しの夢」「にせ金」「おはらい(大神宮)」「後生鰻」
「白木屋」 「疝気の虫」 「蛙茶番」 「駒長」「氏子中」。

・・・「紺屋高尾」や「明烏」、「子別れ」「片棒」「権助提灯」、「宮戸川」「後生鰻」など、”時局柄”は厳しかったようです。

2019年1月28日 (月)

雪不足の富士山

故郷の山富士山の話題。
雪不足の富士山
真冬で、静岡県内でも空気の乾燥が続いています。
年明けから今日までに、静岡市では降水量はたったの1mm。
この乾燥が県内の様々な所に影響を及ぼしていて、冬の景色にも乾燥が影響しているようです。
富士山の様子を24時間映像公開している富士市によれば、
「(今月は)晴れた日が多く、強風で雪が舞ってしまったのか、
 富士山から雪が少なくなっていく印象」
「去年の今頃と比べても雪が少ない」
「雪が降っていない日が多くなっている」・・・。
他にも、乾燥の影響が大きく出ているのが安倍川で、川原を歩いてみても、すっかり水が干上がっていて、水が流れていた場所だと思える場所でも川床が見えていて、砂が砂場のようになっている。
東京も同様ですが、今週も雨は期待出来ないようです。

意図がわからない

何のためのものなのか?
意図がわからない
地下鉄銀座線車内に掲示されていた広告。
不思議な絵に、小さなアルファベットで書かれています。
どうやら、渋谷のヒカリエのレストランがリニューアルオープンする告知のようです。
ちょっと見には、何だか訳が分からない。
ポスターやチラシや広告は、まず情報が上手く伝わらないと意味がないと思うのですが。
デザイン優先?
自己満足?
変わったことで目立ちたい?
意図が分かりませんでした。
知りたい情報が読みづらいとイライラするものです。

アイドルグループ活動中止

昨秋からデビュー20周年の記念ツアーを開催中の某アイドルグループが、2020年12月31日をもってグループ活動を休止することを電撃発表。
嵐が止んで? 「何事にも縛られず自由に生活したい」と。
・・・思い起こすと、私と同年配の女性アイドルグループ3人も同じようなコメントを言って解散したことがありました。
tt
「普通の女の子に戻りたい」って。
でも、結局、芸能界とは縁が切れませんでした。
どう考えても、普通の女の子ではなかった。
さて、今回の彼らのリーダー。
「具体的に何がしたいとか決まっていませんが、この世界を一度離れて、見たことのない景色を見てみたい」
・・・確かに、華やかで、特殊な世界なのかもしれません。
「決断のきっかけは正直ない。だいたい3年前くらいからそういう気持ち、思いが芽生えてどんどんそれが強くなっていった」
・・・芸能界を離れても、完全に接点がなくなるのではなく、生きて行かれるんでしょう。
まぁ、解散や引退ではなく、休止(休む)だけですから。
人気アイドルグループが活動中止
吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ
山から秋風が吹くと、たちまち秋の草木がしおれはじめる。
なるほど、だから山風のことを「嵐(荒らし)」と言うのだなあ。
・・・ところで、このニュースをスクープしたのは誰か?
恐らく、どこかの新聞でしょう。
短歌の作者が、文屋康秀(ぶんやのやすひで)。
聞屋(ぶんや・新聞屋)ですから。 

34歳の鉄人

大相撲初場所は、関脇玉鷲が13勝2敗で優勝しました。
34歳の鉄人
考えてみると、初日には3人の横綱が揃っていました。
ファンの関心は、稀勢の里がどうなるかの一点でした。
が、終わってみれば、稀勢の里はなく、他の2横綱も休場。
世代交代だと言われる中で、モンゴル出身者も色々言われる中で、34歳のモンゴル出身者の優勝です。
しかし、非常に爽やかに受け止められています。
何故か。
玉鷲の態度と、入門以来15年休場なしという強さだと思います。
片男波部屋からは、本当に久しぶりの優勝のはず。
小さな大横綱と言われ、現在は解説で人気のある北の富士さんと「北玉時代」がスタートした直後、確か27歳ぐらいで急逝した玉の海以来では?
それにしても、玉鷲は、第2子が誕生した日が千秋楽で、その日に幕の内最高優勝だなんて、ドラマチックでもありました。

落語っ子連稽古グラフィティ

前日の「深川三流亭」に続いて、翌日は、落語っ子連稽古会。
◆1月27日の朝9時からのいつもの稽古会。
蝶九さんは、東京に1泊して稽古にも参加してくれました。
落語っ子連稽古グラフィティ
学津さんも1泊してくれたのに、朝、ホテルから駅まで迷子になって、稽古の開始時刻に遅れてしまいました。
落語っ子連稽古グラフィティ
越児さんも、雪深い越後の国から出て来て、連日の落語三昧。
稽古の後は、中学校の同級会だったそうです。
落語っ子連稽古グラフィティ
あんなに多くのお客さま(窓口ファン)が来場した前日のことなどどこ吹く風。
何事もなかったような飄々としたところは、芸風と一致します。
落語っ子連稽古グラフィティ
時間があったので、「長屋の花見」と「百川」、いずれもぶっつけ本番の演読をさせていただいたので、疲労困憊。
落語っ子連稽古グラフィティ
・・・楽しい時間は、本当に早く過ぎてしまう・・・。

第12回深川三流亭メモリーズ

この土日、2日連続の「落語っ子連づくし」だったので、ちょっと頭を整理することも含めて、振り返ってみます。
◆1月26日「第12回深川三流亭」の高座から。
学津さんの「親子酒」は、客席の大勢のお客さまを酔わせることが出来たかな?
第12回深川三流亭
蝶九さん、前週は「有難亭公開稽古」を企画し頑張りました。
「十徳」の蝶九さんも、落語「重篤」患者になりました。
第12回深川三流亭
師匠から「上手くなった」と絶賛された新参さん。
当たるほど何度も「河豚鍋」をやった甲斐がありました。
第12回深川三流亭
ちょっとペースダウンは、体力に自信がなくなった?
まだ老け込む齢ではありませんから、もう一踏ん張りです。
第12回深川三流亭
百梅さん、「野ざらし」にチャレンジして正解でしたね。
百梅さんの十八番として、長く演じてください。
第12回深川三流亭
師匠のお元気な姿を拝見して、驚きと同時に、落語に対する深い愛情を感じてしまいます。
本当にいつもありがとうございます。
第12回深川三流亭
千公さん、そろそろ、江戸弁の職人の噺をやりましょう。
次は、主任をやっていただきたいし。
第12回深川三流亭
一人何役もこなしている姿に、女性の強さを感じます。
こっちは、どこが痛いの痒いの、疲れただの・・恥ずかしい。
第12回深川三流亭
名人越児から、江戸の時刻の講義を聴いた客席の全員が、お利口さんになって帰ることが出来ました。
「今何時だい?」「へい、四つで・・・」
第12回深川三流亭
師匠が仰る「フラ」が溢れて、こっちがフラフラしました。
このほのぼの感にファンが魅了されるんでしょう。
第12回深川三流亭
平成最後の「深川三流亭」は、これにてお開きぃ~。チョーン

新幹線「N700S」

毎月、ほぼ最低3往復する大阪出張。
毎回利用する東海道新幹線。
新幹線「N700S」
JR東海は、東海道新幹線の新型車両「N700S」の営業運転を2020年7月初旬に始めると発表。
新幹線「N700S」
22年度までに計40編成の新型車両を投入するそうです。
あと、約1年半後に登場ですね。
すると、まだ大阪通いは続いているはずですから・・・。

いいえ世間に負けた?

対症療法?僧衣(法衣)論争のその後。
先日、福井県の40歳代の男性僧侶が、僧衣での運転を理由に県警に交通反則切符(青切符)を切られた問題が報じられました。
私も、どんなものかと疑問に感じていました。
県警が反則切符を取り消し、書類送検しない方針を決めました。
反則を取り消したということは、本件は違反ではないということ?
ところが、「突然幕引きが訪れたが、何も解決していない」と、県警から違反の取り消しを伝えられた当事者の男性僧侶は釈然としていないそうです。
取り消しを伝えられた際、警察官に「今後僧衣での運転はどうなるのか」と尋ねたそうですが、明確な返答はなかったようです。
「違反を取り消されても、僧衣で運転していいのかどうかはっきり言ってくれない限り、これから運転できない」と不満のコメント。
そうですね。
僧衣で運転しても構わないのか、それとも今回の事案に限り反則ではないと判断したのか・・・。
この問題を巡っては、新聞報道で発覚した昨年末以降、全国の僧侶が一斉に反発。
「#僧衣でできるもん」のハッシュタグ(検索用ワード)つきで、僧衣で大道芸などを披露する動画をツイッターに投稿し、英BBCなど海外メディアにも取り上げられました。
・・・しかし、警察も弱いですね。
坊さんに負けたぁ、いいえ世論に負けたぁ
僧侶が反発したのは、男性が着ていた「布袍」が、身動きしやすい「略装」だったからで、僧衣を販売する会社も、「最近の布袍は伸縮性もあり、通常の和服とは違う」と指摘しているそうです。
法衣については、法意を確認して、みんなが納得の行く法衣(方位)に着地させるべきでしょう。
ここは、そろそろ永平寺の諸国行脚の雲水の僧「沙弥托善」にお出ましいただき、問答にて解決していただきましょう。
東海に魚あり。尾も無く頭も無く、中の支骨を絶つ。
この義や如何に!
法華経五字の説法は八遍に閉じ、松風の二道は松に声ありや、
松また風を生むや。
有無の二道は禅家悟道にして、何れが理なるや何れが非なるや。

硬直的な対応をすると、民意や常識を外すことになりますから。
固い頭のオジサンたちは要注意ですね。

そうそう、高野連もそうでした。

流三「長屋の花見」「百川」

前日のドジはすっかり忘れて、心を入れ替えて稽古をしようと、まずは「長屋の花見」の初読みです。
師匠の高座本はかなり長くなっているので、適当にカットさせていただきます。
流三「長屋の花見・百川」
典型的な長屋噺ですが、演ってみると難しい。
でも、覚えて来ると楽しくなって来るんでしょう。
3月の千早亭落語会にネタ出しをしていますが、来月の「そや寄席」に間に合えば・・・とも思っています。
・・・稽古の時間がまだ少し残っているので、「百川」の演読もさせていただきました。
いずれはと思って、鞄の中に高座本を入れていましたが、全く初めての読みでした。
師匠からは、「流三さんは江戸弁がしっかり出来ているから、細かいアクセントや訛りを直せば、とっても良い"百川"になるよ」し言われました。
そうそう、そのアクセント、「ももかわ」は、「ドミドド」ではなく「ドドドド」だそうです。
「おしぼり」のようにでなく、「おしおき」と同じパターンで「ももかわ」ということです。
とっても難しい・・・。

窓口さん「松山鏡」

窓口さんもお元気です。
前日は主任で長講「二番煎じ」を演じたばかりなのに。
私など、だるいし足腰痛いし・・・。
窓口さん「松山鏡」
「松山鏡」は、3月の「千早亭落語会」でネタ出しをしている噺です。
師匠がお褒めになる「フラ」に加えて、とにかく松山村(田舎者)の台詞が上手いんです。
いい味が出ているんですよ。
出汁がいいんでしょうねぇ。
・・・私より年長の、窓口さん、越児さん、新参(舌参)さん・・・、この先輩方の「味」には、どうしても敵わない。

越児さん「粗忽の釘」

越児さんも、1泊して稽古にご参加です。
人のことは言えませんが、越児さんも本当に重篤な落語シンドロームですね。
越児さん「粗忽の釘」
今回は「粗忽の釘」の初読み。
粗忽者の噺は、この噺だけでなく、何れも爆笑ものが多く、いつかはやりたいジャンルではありますね。
何故面白いかというと、発想の面白さとテンポ!それから登場人物のキャラクターだと思います。
このファクターを越児さんがどのように料理するか・・楽しみです。

学津さん「崇徳院」

学津さんも、前日は牛久の自宅に帰らず、ホテルに1泊して稽古に参加です。
さぁ、頑張ろうというところでしたが・・・。
何と、泊まったホテルから地下鉄の駅まで辿り着けず迷子になったと、稽古に遅れて来ました。
以前から、方向音痴だと自慢?していましたから。
遭難しなくてよかった。
学津さん「崇徳院」
さて、稽古は「崇徳院」。
一生懸命なのは好感ですが、稽古がやや雑な気がしました。
読み急いで、師匠からも指摘されました。
落語っ子連の稽古は、「演読」が基本ですから、丁寧にやって行きましよう。
学津さんは、夜は地元の牛久亭の稽古に参加するそうです。
まぁ、若さは素晴らしい!

蝶九さん「味噌豆」

前日は「深川三流亭」、そして翌日は稽古会。
私はヘロヘロですが、若い人は羨ましい。
蝶九さんは、前夜は佐原に帰らずにホテルに泊まって、元気に稽古に参加しました。
蝶九さん「味噌豆」
今回は「味噌豆」の初読みです。
師匠から、時々台詞に女性が出て来る、例えば定吉ではなくて蝶九さんが出て来るとの指摘。
台詞の最後まで登場人物になりきることが重要ということですね。

落語「牛ほめ」

落語国のスーパースター「与太郎」大活躍の噺です。
私が、初めてこの噺を聴いたのは、大学に入学した直後の新入生歓迎(勧誘)の「川内寄席」。
3年生の「風流亭喜楽」師匠でした。
落語の「ら」の字も知らない私でしたから、新鮮であると同時に、随分難しい言葉が出て来るのに驚きました。
とは言え、自分は知らなくても、昔の人は知っていて当然のことなのかなぁと思いながら聴いていると、まぁ面白い。
元々は「池田の牛ほめ」という上方落語の演目でした。
別名「普請ほめ」。
jj
原典は、寛永5年刊の安楽庵策伝著「醒睡笑」巻一中の「鈍副子第二十話」。
これは、間抜け亭主(婿)が、かみさんに教えられて舅宅に新築祝いの口上を言いに行き、逐一言われた通りに述べたので無事にやりおおせ、見直されますが、舅に腫物ができたとき、また同じパターンで「腫物の上に、短冊色紙をお貼りなさい」とやって失敗するというもの。
jj
各地の民話には、「バカ婿ばなし」として広く分布していますが、上方落語研究家の宇井無愁は、日本の結婚形態が近世初期に婿入り婚から嫁取り婚に代わったとき、民話や笑話で笑いものにされる対象も バカ婿からバカ息子に代わったと指摘しています。、
それが落語の与太郎噺になったということなのでしょう。、
なかなかおもしろい見方ですね。
この噺の原話は、貞享4年刊の笑話本「はなし大全」の一遍の「火除けの札」。
jj
与太郎さんがお父さんに呼ばれて、小石川の佐兵衛・伯父さんの所に家見舞いに行くように言いつかった。
家の褒め方の文句を教わった。
店を始めたので、店から入らず脇の格子戸から声を掛けて、声が掛かったら入って部屋で同じように丁寧に挨拶するように。「先日はおとっつぁんがご馳走になり、ありがとう存じます。」と言うんだ。

jj
与太さん「先日はおとっつぁんがご馳走になり、ご愁傷様です。」
噛み合わないが教わると、
「伯父さん、この度は結構なご普請なさいました」
「伯父さんこの度は結構なご主人亡くされました」。
「家は総体檜造りでございます」
「家は総体屁の気造りでございます」。
「天井は薩摩のウズラ木目でございますな」
「天井は薩摩芋のウズラ豆でございます」。
「畳は備後の五分縁でございますな」
「畳は貧乏でボロボロでございます」。
「左右の壁は砂ずりでございますな」
「佐兵衛のかかぁはひきずりでございます」。
庭を観て「庭は総体ミカゲ造りでございますな」
「庭は総体見かけ倒しでございます」。

jj
それから台所に行って褒めるのだが、大工が拙い仕事をしたから柱の上の方に節穴がある。
隠す方法が分かっていたがお前に言わせようと黙って帰ってきた。
「この穴について心配はいりませんよ。秋葉様の火伏せの御札を張ってご覧なさい、穴が隠れて火の用心になります。そうするとお小遣いがもらえるよ」
「もっと空いてないかい」。

jj
 「ついでに牛を褒めてあげな」、「牛は総体檜造りで・・・」、「牛の褒め方は、天角地眼一黒鹿頭耳小歯違という。書いておいたから覚えて行きな」。
jj
佐兵衛伯父さんの所で、丁寧に挨拶した。
「先だってはおとっつぁんが殴り込みをして、ご馳走してあげたそうでありがとう」
「いえいえ」。
覚えてこなかったので紙を読む事になった。

「こっち向いたら家に火を着けちゃうぞ」。
jj
「家は総体檜造りでございます」
「お前にそんな事が分かるのか」。
「天井は薩摩のウズラ木目、畳は備後の五分縁で・・・、佐兵衛のかかぁはひきずりだ」
「ひきずりとはなんだ」
「違った。左右の壁は砂ずりでございます。お庭は総体ミカゲ造りでございます」
「お前、まだ庭は観ていないじゃないか」。

jj
「じゃ〜台所に連れて行け。・・・大っきな台所だ。あったあった節穴が」
「お前にも分かるか。大工が拙い仕事をしてな。何とかならないかな、この節穴」 
        落語「牛ほめ」
「自分の腹から出たように言うからビックリするな。この穴は心配いらないよ。秋葉様の火伏せの御札を張ってご覧なさい、穴が隠れて火の用心になります。」
「よし、良い考えだ」
「言葉だけではなく、態度で示せ」
「分かった。後で小遣いやるよ」
「次は牛を褒めるから、台所に連れてこい」。

落語「牛ほめ」
「牛は裏の小屋にいるから案内するよ」
「この牛褒めるから後ろを向け。天角地眼一黒?これなんて読む?いえ、何でもない。・・・何とかの何とかだ」
「誰かに教わってきたのだろうが伯父さんは嬉しいよ」
「あれ、この牛、馬糞したよ」
「まあまあ許せ」
「伯父さん、この牛の穴について心配はいらないよ」
「心配なんかしてないよ」、
「秋葉様の火伏せの御札を張ってご覧なさい、穴が隠れて屁の用心になります
」。http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2009/09/post-e2b5.html
・・・とぁ、くすぐりの多い滑稽噺です。
しかし、家に関する様々な蘊蓄が詰まっています。
【家は総体檜造り】
ヒノキ科の常緑高木。日本特産種。高さ30〜40m。
材は帯黄白色、緻密で光沢・芳香があり、諸材中最も用途が広く、建築材として最良。
柱から板からすべて檜を使っている家屋ということ。
神社ウズラ杢仏閣は木造と言えば檜造りです。

【天井は薩摩のウズラ木目】
落語「牛ほめ」
「薩摩」というのは「屋久杉」を別名「薩摩杉」といった
もの。針葉樹である屋久杉(樹齢千年以上の杉)や赤松の古木によく現れる、うずらの
羽の模様に似ている木目が美しい天井板。希少性があって高価。
右写真;屋久杉のウズラ杢の天井板。銘木店にて
【畳は備後の五分縁】
広島産の備後表を使い、縁(へり)は通常は1寸(3㎝)幅のところを風雅に1.5㎝幅に仕立てている高級畳。

落語「牛ほめ」
【壁は砂ずり】
川砂を混ぜたしっくいで塗ってある壁。砂壁。
茶室など洒落た和室の壁に用いる。
【庭は総体御影造り】
御影石を多用した庭造り。
【庭は総体水陰造り】
みかげ【水陰】=「みずかげ」に同じで、水辺。
また、水辺の物陰を模した庭造り。

落語「牛ほめ」
【天角地眼一黒鹿頭耳小歯違】
後半は「一石六斗二升八合」の語呂合わせ。
角は天に向かい、眼は地をにらみ、混ざりけのない黒一色で、頭が鹿のよう、耳が小さくて、歯が互い違いになっている牛。
【引きずり】
なまけ者のこと。
元々、遊女や芸者、女中などが、裾をひきずっているさまを言ったが、それになぞらえ、長屋のかみさん連中がだらしなく着物をひきずっているのを非難した言葉。
【秋葉様】
秋葉大権現のことで、総社は現・静岡県周智郡春野町。
秋葉山頂に鎮座し、祭神は防火の神として名高いホノカグツチノカミ。
江戸の分社は現在の墨田区向島の秋葉神社で、 同じ向島の長命寺に対抗して、こちらは 紅葉の名所として賑わった。

・・・前座噺ですが、難解な挨拶の文句をいちいち混ぜっ返す稽古シーンや、紙を読みながら喋ったせいでお経のような抑揚になってしまう口上など山場が多い噺です。
こういう噺を持ちネタで持っていると重宝だと思います。
前座噺は、この噺だけでなく、「子ほめ」「金明竹」「やかん」「一目上がり」「十徳」「道灌」など、いずれも蘊蓄、知識や常識がちりばめられていて、噺そのものに加えて、大変勉強になります。

2019年1月27日 (日)

ラジオ寄席

今夜は「十代目桂文治特集」。
ラジオ寄席
◇「牛ほめ」   十代目桂文治
◇「湯屋番」   十代目桂文治
学生時代、ラジオの演芸番組などでよく聴きました。
「やかん」「お血脈」「源平盛衰記」「猫と金魚」だとか。
ラジオ寄席
ところで、元々桂文治系統の師匠ではないのに、どうして襲名出来たんだろう?
【十代目桂文治】
早くから噺家志望であったが1944年に召集令状を受け終戦後日本に帰国後の1946年6月、2代目桂小文治に師事し、父の名であった柳家小よしを名乗るが、後に師の亭号が桂だったために桂小よしに改名。
1948年10月、2代目桂伸治に改名し二つ目昇進。
1958年9月、真打昇進。
1960年代の演芸ブームでテレビ・ラジオに多く出演。
フジテレビ「お笑いタッグマッチ」(5代目春風亭柳昇司会の大喜利番組)の回答者や同番組の提供スポンサーでもあった丸美屋食品工業のふりかけ「のりたま」のテレビCMで売れる。
1979年3月、前年亡くなった9代目桂文治の盟友である8代目林家正蔵(後の林家彦六)の推薦で10代目桂文治を襲名。
桂派宗家となる。
1996年、芸術選奨文部大臣賞受賞。
1999年9月、4代目桂米丸の後任で落語芸術協会会長就任。
      正調の江戸弁を大切にしていた。

・・・この名跡、何となく鳶にさらわれた油揚げみたい。
でも、面白い師匠でした。

打ち上げの盛り上がり

今まで、あまり打ち上げの様子はアップしませんでしたが。
常任終身名誉幹事の千公さんお薦めの蕎麦屋さんで、全員が解放感でいっぱい。
打ち上げの盛り上がり
みんなの笑顔が素敵です。
打ち上げの盛り上がり
それぞれ、今日の反省やこれからの夢や希望を語ったり、誰かさんをいじったり、楽しい宴は店の閉店まで続きました。
お疲れさまでした。

窓口さん「二番煎じ」

今回の主任は窓口さんの「二番煎じ」。
約100名ご来場くださったお客さまの半分近くは、窓口さんのお客さまです。
相変わらず物凄い動員力です。
「神様・仏様・窓口様」です。
窓口さん「二番煎じ」
この噺は、私も持ちネタにしていますが、とても難しい噺です。
窓口さんは歌う場面などを強調した演出。
くすぐりに拍手が出たり、爆笑は開演から主任まで続きました。

越児さん「時蕎麦」

越児さんの「時蕎麦」も、「お江戸あおば亭」で演っているので、安心して聴かせてもらいました。
昔の時刻について、「お江戸あおば亭」の時と同様に、自作の時計の図を使って説明。
会場からはやんやの喝采でした。
越児さん「時蕎麦」
2時に開演して、既に時計は5時半を過ぎていますが、お客さまの爆笑が、客席の外まで聞こえて来ます。

夢学さん「千早振る」

夢学さんは「千早振る」。
ここのところ、仕事や家の都合で、稽古に来られませんでした。
今日も、午前中はお子さんのサッカーの試合があったので、観戦後に南房総から駆けつけてくれました。
夢学さん「千早振る」
稽古会への参加は少なかったけれども、しっかり自主稽古をして仕上げて来たのは立派です。
女性の上品で優しい語り口で、噺が進んで行きます。

千公さん「松曳き」

千公さんは、午前中は南房総で授業参観で、それを終えてから駆けつけてくれました。
いつものことながら、機動力の高さには敬服します。
千公さん「松曳き」
今回の「松曳き」も武士が出て来ますので、袴を着けての高座。
千公さんは、侍の出る噺がお好きなようです。
江戸弁、下町、職人を演りたいと言いながら、気がつくと侍や言い立てのある噺を楽しげにやっている。
早く「粗忽長屋」ぎ聴きたいなぁ。

圓窓師匠「釜泥」

元々、百梅さんで中入り、師匠には中入後の食いつきをお願いしていましたが、師匠の次のスケジュールの都合もあり、急遽、中入り前に入れることにしました。
圓窓師匠「釜泥」
お楽しみの演目は「釜泥」でした。
毎日、我々のようなアマチュアのグループへの指導や小学生の落語の授業などでご多忙ですが、大変お元気です。

百梅さん「野ざらし」

中入前は百梅さんの「野ざらし」。
百梅さんが満を持してチャレンジした噺です。
深川三流亭だけでなく、出前落語を経験して、落語に対する視野と柔軟性が向上しているのが分かります。
百梅さん「野ざらし」
今日も大勢の百梅フリークがご来場してくださいました。
マクラにもかなり工夫をして語ったようです。
そろそろ噺がとてつもなく好きになる時期ですね。

流三「天災」

ここのところの人情噺を離れるシリーズ。
・・・しかし、ただただ反省のみ。
ここのところ、稽古出来ない(稽古しない)状態が続きました。
スランプなのか、疲労困憊しているのか・・・、なぜか力が入らない感じが続いていました。
このままではと言う危機感から、「演目を変更しようか」と思うまでに、フワフワしていました。
流三「天災」
上下を逆にしたり、言葉が出て来なかったりで、散々な高座。
ただし、一言だけ言えるのは、演読を繰り返していましたから、本番1週間前でも高座本が離せなくても、流れを構成することは出来ます。
覚えなくても良い台詞は、かなり自然な語りに近づいたかも。

新参さん「河豚鍋」

新参さんの「河豚鍋」は、既に「お江戸あおば亭」でも披露していますから、かなり練り上げられています。
今日は、大変反応の良いお客さま(客席)ですが、それだけではなく、客席をしっかり掴んでいるので、とても受けていました。
新参さん「河豚鍋」
舞台の袖で聴いていた師匠からも褒められました。
素晴らしい!
手離しの褒めようでした、師匠から絶賛されましたから、高座名も「新参(にっさん)」ではなくて、今日から「舌参(ぜっさん)」が良いのではと。
ご本人も、本当に楽しそうです。

蝶九さん「十徳」

蝶九さんは「十徳」です。
研究熱心な蝶九さんは、噺の中の話題に出て来る「一石橋」を、実際に見に行ったり。
細かな場面設定にも工夫をしています。
そして、声もはっきりしていますから、お客さまも聴きやすいと思います。
蝶九さん「十徳」
噺を決める時も、師匠の高座本を熟読してから。
最近は、「転失気」「牛褒め」そして「十徳」当たりは、十八番になっているようです。
落語っ子連だけでなく、有難亭と天祖亭でも稽古をしているので、稽古量も豊富です。
さぁ、今日の出来具合はどうだったでしょうか?

学津さん「親子酒」

今回の開口一番は、学津さんにお願いしました。
前回、開口一番の予定だったのを、台風の影響で中入り後に出てもらったので、今回改めて開口一番をお願いしました。
それから、出囃子(CD操作)を百梅さんとやってもらいたいので。
落語会全体の流れを円滑にする役目で、その大切な任務を身をもってやって欲しいので。
学津さん「親子酒」
噺の方は、牛久亭と両方で、かなり集中的に「親子酒」に取り組みましたが、ご本人の自己評価はどうだったのでしょうか?
まだ、稽古への取組や姿勢には未熟な部分がありますが、知恵を働かせて頑張って欲しいと思います。
自己紹介をした時、「三流亭学津」と言わず「牛久亭学津」と間違えたと、些末なことに鬼の首を取られたように騒いでいました。

イエローカード?

今日の落語っ子連の稽古で、師匠が黄色い紙に何か書かれて、各自に手渡してくださいました。
初めてのことです。
えっ?これはもしかして「イエローカード」?
ダメ出しのコメントが書いてある?
さらに酷ければ「レッドカード」になる?
師匠は「処方箋だよ」と仰っていましたが。
イエローカード?
私もいただきました。
まず、「エドベンチャー  アクセント  カード」と書いてある。
そして、「女房子に」のアクセントが示されています。
「にょうぼこに」を「ドミミミミ」の高さで発音するようにと言うことで。
どうやら、他の人たちにも、アクセントで気になった部分を書いてお渡しになったようです。
私は、今日の稽古で、この「女房子に」の部分のアクセントを指摘されましたので。
標準語と江戸弁との違いや、気がつかないところでローカルなアクセントが出てしまうことがあり、師匠は詳細に指導してくださいます。
こういうものは、考え始めると、ますます分からなくなってしまうものです。
「ちゃんと」と言うのも、私の癖では「ちゃんこ」と同じアクセントが癖になっていましたが、「フォント」と同じアクセントのようです。
「ミドド」ではなくて「ドレレ」という感じかな。
とにかく、話し言葉は難しい。

満員の証

満員御礼! 
  yy
昨日の「深川三流亭」の盛況ぶり。
満員の証
会場は和室なので、靴を脱いでご入場いただきますが、下駄箱は満杯。
収納しきれず、外に置いていただきました。
  yy
ありがとうございました。

深川三流亭グラフィティ

昨日の「深川三流亭」の熱演の様子です。
◇「親子酒」  三流亭学津
深川三流亭グラフィティ
 ◇「十徳」   三流亭蝶九
深川三流亭グラフィティ
 ◇「河豚鍋」  三流亭新参
深川三流亭グラフィティ
 ◇「天災」   三流亭流三
深川三流亭グラフィティ
 ◇「野ざらし」  三流亭百梅
深川三流亭グラフィティ
 ◇「釜泥」   三遊亭圓窓
深川三流亭グラフィティ
◇「松曳き」  三流亭千公
深川三流亭グラフィティ
◇「千早振る」  三流亭夢学
深川三流亭グラフィティ
◇「時蕎麦」  三遊亭亭越児
深川三流亭グラフィティ
◇「二番煎じ」  三流亭窓口
深川三流亭グラフィティ
ありがとうございました。m(_ _)m

開演のご挨拶

昨日の「深川三流亭」。
定刻の午後2時に開演です。
まずは、私がメンバーを代表して挨拶。
前回は台風の直撃を受けましたが、今回は寒さと風ひありましたが晴天で良かったと。
師匠のお楽しみも入れて10人が出演しますから、かなりの長丁場になると思います。
(午後6時過ぎかな?)
開演のご挨拶
続いて師匠からもご挨拶。
やはり「落語の授業」を熱く語っていらっしゃいました。
開演のご挨拶
おかげさまで、開演時にはかなりの席が埋まりました。

落語っ子連稽古会

昨日の「深川三流亭」の疲れを微塵も見せず、落語っ子連の稽古です。
今日は5人が参加しました。
◇「味噌豆」蝶九さん
落語っ子連稽古会
◇「崇徳院」学津さん
落語っ子連稽古会
◇「粗忽の釘」越児さん
落語っ子連稽古会
◇「松山鏡」窓口さん
落語っ子連稽古会
◇「長屋の花見」「百川」流三

・・・疲れました。

落語DEデート

落語っ子連の稽古に行く道で、ラジオを聴きながら。
この前の「落語のデンパ」という番組は、どうもあまり聴く気になれません。
その代わり、「落語DEデート」では、落語が2席聴かれるようになり、大歓迎。
◇「くず湯」  五代目古今亭今輔
落語DEデート
【五代目 古今亭今輔】(1898年 - 1976年)
群馬県佐波郡境町(現伊勢崎市)出身。
生前俗にいう「お婆さん落語」で売り出し「お婆さんの今輔」と呼ばれた。
1973年   第24回NHK放送文化賞受賞。4月29日、勲四等瑞宝章受章。
1974年   六代目春風亭柳橋の後任で日本芸術協会二代目会長就任。

落語DEデート
お婆ちゃんは、孫の幸次が引越しをし、室内はごった返しているが、早く会いたい一心。
1週間もすれば整理整頓が出来るでしょうから、お婆ちゃんをその時行かせることになった。
前の晩は、うれしくて子供が遠足に行く晩のように、ソワソワして落ち着かなかった。
ところが、お婆さんが家に帰って来たが疲れた様子。
玄関で座り込んでため息付いて、這って部屋に入った。
足袋も脱がず、帯も解かず、布団に入った。
心配する息子夫婦。
幸次には言っておいたんだ、「家のお婆ちゃんは、無口で、世話好きで、親切で、『イヤ』と言ったことが無いんだ。七十を過ぎているから、消化のイイ物、中華、洋食はダメで、肉料理もダメだ。
間食も大福や練り羊羹は重すぎるので、『くず湯』位が適当だと思う。
お風呂も好きだが毎日では嫁さんが大変だから、腰湯で結構。
『塩湯』か『芥子(からし)湯』にしてくれれば、身体が温まるから良いだろう。と伝えたんだが・・・」。
それではお婆ちゃんの部屋に行ってきます。
「気分は如何ですか? 起こしましょうか」
「触らないでください」
「疲れた様子ですが、引越しの手伝いしたんですか」
「いいえ。孫嫁の花子さんが親切で・・・。何も私に聞かないでくださいよ」。
「では、幸次に聞きます」
「孫嫁が幸次さんに小言を言われますから、聞かないで・・・。約束しましたよ」。
「朝、貴方に送ってもらって、家に入ると二人が出て来て歓待してくれました。幸次が出勤すると、花子さんが両手を着いて『私は学校を出たばかりで、世間の常識が分かりません。気が付かないことがあったらお教え下さい』。何んて優しい嫁なんだろうと感心しました。『お父様にお聞きしましたら、大変くず湯がお好きなようで、準備しましたので、こちらにどうぞ』。お茶をいただく茶室は知っておりますが、くず湯を食べるための部屋があるのかと付いて行くと、そこはお風呂場」
「タイル張りの良い風呂場でしょ。道中の疲れを流してさっぱりしてから、くず湯を出すんですかね」
「私もそう思いましたよ。花子さんが湯船の蓋を取って、『本場のくずを取り寄せましたので、どうぞごゆっくりと・・・』。私は丼や湯飲みでいただいたことはありますが、その中に浸かるなんて・・・。お前だってありますか?」
「僕だってありません。どうしました」
「花子さんが親切で点ててくれたのを、嫌がったら花子さんに恥を掻かせますので、入りました」
「どんな気持ちでした?」
「布海苔の樽に落ちたようなもんです。ヌルヌルして、ナメクジとナメクジの間に裸で座ったような心もちでした。直ぐ出ようと思いましたら『お婆さんのために点てたくず湯ですから、どうぞ、ごゆっくり・・・』と、2時間入っていました」
「真水のお湯だって1時間入っていたら湯のぼせしますよ」、「出たらクラクラして、上がり湯がないのでタオルで拭いたら、糊がヌルヌルして拭ききれません。仕方が無いので浴衣を着たら肌にべっとり張り付いて、歩くことも出来なくなって、花子さんに連れられやっと座敷に行きましたら、『茹で蛸のようだ』と言って大きな扇風機を掛けてくれました。糊が乾いたらギブスに入ったようになって、話をしてもバリバリと糊が剥がれ、手を動かしてもバリバリ、まるで新聞紙の布団に寝ているようでした」。
「翌朝、花子さんに、くず湯は贅沢ですから1日で結構。真水のお湯に入れてもらえると思ったら、『本日はお婆さんの大好物、芥子湯に致しました』」
「腰湯だって温まるのに、入らなかったでしょね」
「だって、花子さんが作ってくれた芥子湯、入りましたよ」
「どんな感じでしたか?」
「足の裏からチクチクして、身体中に木綿針を刺されたようで、その時ばかりは直ぐ出ましたが、花子さんが『昨日はうっかりしまして、お背中をお流ししませんで・・・』と、身体中に芥子が付いているところに新しいヘチマでゴシゴシ、ワサビ下ろしで擦られているような思いでした。命ばかりはお助けと、逃げ出しました。外に出ると風に当たって身体中ヒリヒリ、電車に乗って吊革につかまってもヒリヒリ。出て来るのは芥子でなく、涙ばかり」
「ガマンすることないでしょう。孫の所に行ったんですから。芥子湯はそんなに長く入っていなかったでしょうね」
「このお風呂ばかりは、長く入っていられませんよ。昔の人の例え通り、これが本当のトホホホ、カラス(芥子)の行水でしょう」。

◇「節分」  八代目春風亭柳枝
落語DEデート
圓窓師匠の最初のお師匠さんです。
入門直後にお亡くなりになり、圓窓師匠は圓生師匠門下に移られました。
【八代目春風亭柳枝】
1921年      高等小学校卒業後四代目春風亭柳枝に入門、枝女太。
1922年5月、同名で二つ目に昇進。
1923年1月、睦ノ太郎と改名。
1925年 4月、八代目春風亭柏枝で真打昇進。
1932年     春風亭小柳枝を襲名するはずが、断念させられる。
1934年11月、柳亭芝楽に改名。
1943年3月、八代目春風亭柳枝を襲名。
1959年9月23日、ラジオ公開録音で『お血脈』を口演中に脳出血で倒れ、10月8日死去。
なんとか凌いで新年を迎えたが、すぐに節分が来てまた借金取りたちがやって来ることになる。
女房「お前さんどうすんだよ。また借金取りが来るよ」
亭主「今さらジタバタしたって仕方ねえや。また借金取りの好きな事をやって追い返そうじゃねえか」
女房「またやるのかい。そんなに二番煎じが効くもんじゃないよ」
すると芝居好きの酒屋の番頭が役者気取りで科を作ってやって来た。
番頭「ええ~、ごめんくださいなすてぇ」
亭主「近ぅ~、近ぅ~・・・」
番頭が「へへぇ~」と、近づいて来ると、睨みをきかせて、「行けぇ~」と一声。
番頭は「はっ、ははは~っ」と、帰ってしまって大成功。
隣家に魚屋の金さんが入るのを見て、
亭主「おい、魚金の好きな物はなんだ?」
女房「端唄に凝っているらしいよ。それと酒だよ」
亭主「端唄なんて洒落たものはだめだ。よし、番茶を薄めて徳利に入れて持ってこい」魚金が入って来ると酔ったふりをして、「♪福は~内~」
魚金「おお、嬉しいじゃねえか。借金取りに来たのに福は内てえのは」
亭主から酒を勧められ番茶酒を飲んで渋い顔。
亭主「すまねえが少し待ってくれ、近えうちにケリつけて必ず返(けえ)すから。”官女(勘定)、官女(勘定)をとおり(取り)、とおり・・・金取りだ金取りだ、外で怒鳴ってまたかし(貸)ょとりに、庭は一つ心は二つ三ツ又の、借りは世間に有明の、月の八日はお薬師さまよ、ほかに祈るは関の地蔵さま、ほんにあらゆる神様を小町を持って通ったが、念が届いてありがたく、一夜あくればまた気も変わる。春風になるまでまた待つ(松)尽くしと願います」
魚金「恐(おっそ)ろしく端唄並べやがったな。”かねてより口説き上手とわしゃ知りながら、おめえのうちに来る良さは、柳、柳で受け流し、秋の夜までじゃ長過ぎりゃ、むっとして帰れば角の青柳で、貸したもんを我が物ぶられたしにゃあ腹も竜田川”、じゃねえか」
亭主「へえ、何しろ去年の暮れから今年にかけ、すべてのしょしきは高砂やこの浦舟に帆が立たねえ始末、下妻の申しますには、わしが国さは越後の角兵衛獅子、ござれござれと申しますから、ひとまず国へ立ち帰り、辛抱、高台寺、朝顔から夕暮れまで稼ぎまして、ほうぼう様の借金を、梅が枝の手水鉢、叩いてお金が出た時にゃ、梅にも春といたします。待つ(松)は唐崎と願います」
魚金「えれえ、端唄尽くしで言い訳か、気に入った待ってやろう」と、
帰ろうとする魚金を引き留めて亭主は酒をおごってくれとせがむと、魚金は女房を三河屋へ買いに行かせ、ついでに店からフグを持って来るように頼んだ。
本当の酒が来て、フグ鍋を煮ながら酒を飲み始めた二人、
亭主「ありがてえな、”酒飲めばいつか心も春めいて借金取り(鳥)もうぐいすの声”てえ気分だ。よお、金さん得意の端唄やってくれよ」
魚金「今日は節分だから酒尽くしで厄払いの真似事をやろう。”あ~ら、飲みたいな、飲みたいな。飲みたき今宵のご祝儀に、酒尽くしにて払いましょ。一夜明くれば屠蘇(とそ)の酒、百薬の養老酒には高砂の上に群がる沢の鶴、下には亀の万年酒、老いも若いも若緑、気性は東自慢の男山、飲めや滝水年頭の、足もひょろひょろお目出度く、帰りが遅く長つんめ、ご新造さんが菊正の胸に一物剣菱や、わたしが甘いみりん故、福娘でも甘酒か、本に悋気の角樽や、堪忍しておくれはよい上戸、冷でないから案じます、白鹿心の角も取れ、丸く収まる丸腰の寿命を保つ保命酒や、金婚まさに相済んで、君、萬歳のその習い、いかなる洋酒のウイスキー、電気ブランが飛んで出て、妨げなんとする時に、この白鷹がひと掴み、西の海とは思えども、酒尽くしのことなれば、新川新堀へさら~り、さら~り”」
亭主「ありがとう、目出度いね。おお、フグが煮えたから口開けな、”フグは~口~”」
と、フグを魚金の口に放り込んだ。
魚金「おいおい、乱暴なことするなよ」
亭主「”骨は~外~”」

・・・掛け取りは、年末だけではないということですね。
まぁ、当たり前の話ですが。

金願亭乱志十八番一覧

とても貴重な、素晴らしい物をいただきました。
金願亭乱志十八番一覧
いつも、「お江戸あおば亭」や「深川三流亭」のめくりを書いてくださっている「H先生」が、「金願亭乱志十八番一覧」を寄席文字で書いてくださいました。
しかも、立派な額に入れて。
もう、何にも替えがたい、尊いものです。
早速、部屋に飾りました。
次の機会には、「三流亭流三十八番一覧」も書いてくださるそうで、既に演目はお伝えしてあります。
勿論、今回のと演目を重複させずに書いていただきます。
私の持ちネタも、間もなく50席になります。
次は100席を目指します。

今日は稽古会

今朝も、まだ暗いうちから出かけました。
今日は稽古会
昨日の今日ですが、今日は落語っ子連の稽古です。
昨日の余韻、疲れを癒す間もなく?稽古です。
今日は「長屋の花見」を初読みしたいと思います。
空には下弦の月。
先日ブルームーンだったばかりなのに、もうこんなに欠けている。

スキャンダルの連鎖

何だか「江島屋騒動」みたいな展開(雲行き)になって来ました。
gg
「紅白歌合戦』に初出場して話題を呼んだ、(中年)男性5人組のアイドルグループ。
ところが、年明け早々、メンバーの一人が元交際相手へのDVや3000万円使い込みが、「文春砲」の洗礼を受けて大騒動に。
結局、このメンバーは会見を開いて、騒動について謝罪した上で芸能界引退を発表。
後日行われた残ったメンバーによる記者会見では、リーダーが「僕の中であいつは死にました」と発言。
「ここで沈むのをみなさんにお見せして、笑われる人生は俺は嫌なんですよ」とも。
そんな中、今度は「大衆弾」で、そのリーダーの過去のスキャンダルが報じられた。
記事によると、過去に放映されたテレビ番組に出演していた時に、当時16歳だった女優と交際していたという。
この記事を受け、ネットでは「ほら出た」
「メンバー、叩けばホコリが出るってこと?」
「まぁ胡散臭いグループだとは思ってた!」
「次は誰の番かな? まだまだ出てくると思うよ!」
「毎回純烈の名前見ると、必死に応援していたおばあちゃん達可哀想になるわ……」
といった声が上がっていて、「泣きっ面に蜂」状態のようです。
実は、一部ファンの間では、リーダーのこのスキャンダルよりも、リードボーカルが、結婚していたのに8年間も隠していたことのほうがショックだという声も上がっているそうです。
このグループのメンバーは、スネに傷を持つ者が多いというのは業界では知られた話だったようですが、今までネタを寝かせておいて、「紅白出場」で一気に知名度を上げた
直後に報道するというやり方も、なんとも不気味です。
これだけでは終わらないのでは? というウワサも根強いとか。
「出る杭は打たれる」と言われますが、やはり突然「身体検査」をされても問題ないようにしておかないといけませんね。
スキャンダルの連鎖スキャンダルの連鎖
グループの名前に「純」がついていますが、これでは「不純」です。
グループの名前に「烈」がついていますが、これでは「劣」ですね。
どんどん次々に出て来る様子は「順列」のよう・・・。
順列とは、区別可能な特定の元から有限個を選んで作られる重複の無い有限列。
さっぱり分からない。
「江島屋騒動」は、いかもの商売をしていた江島屋が、被害者に呪われて凶事が続き、果ては潰れてしまうという怪談の一席。

次回の参考に

おかげさまで満員のと盛況だった「深川三流亭」。
会場(客席)の設営がとても重要です。
次回の参考に
会場は和室なので、基本的には座椅子にも座布団ですが、お客さまは椅子席のニーズが高い・・・。
そこで、なるべく椅子や机を使って席を作っています。
次回の参考に
次回以降は、もっと机席を増やした方が良いかもしれません。
長時間になりますから、お客さまに快適に過ごしていただく工夫をしないと。
本当は、椅子の座席の会場がベストなんですが・・・。

落語「稲川」

先日の「学士会落語会」で、三遊亭歌武蔵さんの「稲川」がとても良かったので。
それに今日が大相撲初場所の千秋楽ですから、相撲の噺で。 落語「稲川」
「一年を二十日で暮らすよい男」と川柳にも歌われた相撲取り。
その最高位の横綱の中でも強かったのが太刀山峯右衛門。
あんまり強すぎて人気がなく、ついた仇名が「四十五日」。
一突き半(一月半)で相手を土俵から出してしまうから。
「太刀山は四十五日で今日も勝ち」で、これでは見ていて面白くもなんともない。
ある場所で太刀山が一突きしたら相手がひょろひょろと土俵際に下がった。
太刀山が前へ出て睨むと相手は怖くなって自分で後ろへ足を出し、新聞の決まり手は「睨み出し」。
双葉山の69連勝は有名だが、太刀山は43連勝して一番負けて56連勝している。
負けたのが西ノ海との一番で、これが八百長相撲(人情相撲)と疑われるような取り口だった。
大坂相撲の関取の稲川は江戸に出て来て初日から全勝だが、さっぱり人気が出ず贔屓もつかない。
俺は江戸の水には合わんのか、大坂へ帰ろうかと思案していると、表から家の中を覗いている乞食がいる。
若い者が銭をやって追い払おうとすると、乞食は稲川に会わせてくれという。

落語「稲川」
稲川は何か用事でもあるのかと、乞食を中に入れると、稲川が贔屓で食べてもらいたい物を持って来たという。
稲川「誰であれ贔屓はありがたいもの、喜んで頂戴いたします」
乞食は竹の皮に包んだ蕎麦と、汚い茶碗に出しを入れて差し出し
「心ばかりのもんでどうかひとつ、関取に食っていただきてえんで」
稲川はさも美味そうに蕎麦を食べ始め、「大名衆でもお乞食(こも)さんでも、贔屓という二字に変わりはござりません。大坂へ帰って、江戸のおこもさんまでにもご贔屓になったといえば鼻が高こうござんす」と嬉し涙だ。
乞食「よく言っておくんなさった・・・今、口直しを」と外へ手を叩くと酒、肴(さかな)がどっさりと運ばれてきた。
粋な身なりに早変わりした乞食は魚河岸の新井屋と名乗り、上方見物の時に稲川の相撲を見て惚れ込んだ。
江戸へ出て来たことは知っていたが忙しくて見に行けずにいた。
仲間から稲川は強いが人気がない。
乞食が贔屓といって蕎麦を持って行ったら食うだろうか。
皆が食わないという中、俺一人だけ食うと言った。
仲間たちは「食ったら魚河岸がそろって贔屓にしてやる」で、こんな茶番をしたと明かす。
これが縁になって稲川は江戸に残り、たいそうな人気を得ました。

落語「稲川」
噺は短いですが、人情噺です。
「阿武松」「花筏」「半分垢」「大安売り」・・・、相撲の噺も多い。

2019年1月26日 (土)

疲れを癒して

位置上げを終えて帰り道。
日本橋の近くの高級珈琲店に入り、千円コーヒーを飲んで、少し自己反省会。
疲れを癒して
自分の出来は ボロボロですが、メンバー全員の熱演と大勢のお客さまが嬉しかった。
本当にまじめに落語が上手くなろうという方向は間違っていないと思います。
単なる賑やかしのグループにしたくない・・。
松戸駅から、いつもの通り鞄を肩に掛けて、ボーッとしながら歩いて帰りました。
・・・疲れた。

2人の優勝争いに

驚きました。
白鵬が休場してしまいました。
横綱の優勝確実だと思っていたのに。
2人の優勝争いに
大相撲初場所14日目で、優勝争いは2敗の玉鷲と3敗の貴景勝に絞られ、千秋楽に賜杯の行方が争われることになりました。
2人の優勝争いに
今場所は、3横綱揃って初日を迎えましたが、引退と休場で全滅。
大関はそもそも全滅で、先場所優勝の貴景勝にも優勝の可能性が出て来ました。
世代交代が、更に明らかになって来ました。
心情的には、貴景勝を応援したいと思います。

打ち上げ

常任?幹事の千公さんのお薦めの、門前仲町の蕎麦屋さんで、全員で打ち上げ。
打ち上げ
それぞれが、充実した高座になったようで、大変盛り上がりました。
打ち上げ
鴨も穴子も、勿論蕎麦も美味しくいただきました。
さすが、蕎麦打ちでもある千公さんのお見立てです。
打ち上げ
お客さまにも恵まれて、とても嬉しい宴でした。

仙台でも積雪

今日は全国各地で雪になったようでした。
千葉県内も、内陸では雪が降ったとか。
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宮城県内では今日未明から朝にかけて雪が降り、仙台では今シーズン一番の積雪を観測。
午後4時までの積雪は仙台で7センチと今シーズン一番となったほか、駒ノ湯で106センチなど宮城県内の広い範囲で積雪を観測。
今朝の最低気温は駒ノ湯でマイナス10.5℃、仙台でマイナス2.1℃など宮城県内すべての観測地点で氷点下。
仙台市青葉区一番町では朝早くから雪かきをする人の姿が。
東京も、とても冷たい強風が吹く1日でした。

おめでとう世界一!

とうとうやりました
おめでとう世界一!
全豪オープン女子シングルス決勝で第4シードで世界ランキング4位の大坂なおみ選手は、第8シードで同6位のペトラ・クビトバ(チェコ)と対戦。
7-6、5-7、6-4で勝ち、昨夏の全米オープンに続いて4大大会を制覇。
日本勢として初の世界ランキング1位も確実。
おめでとうございます

チラシも配布

「深川三流亭」の会場で、「おひろめ寄席」と「お江戸あおば亭」のチラシも配布しました。
チラシも配布
今日は、満員御礼でしたから、多くのお客さまにご覧いただけると思います。
チラシも配布
配布数は、それぞれ100部。
_20190127_005411こうやって挟んで。
是非ご贔屓いただきたいものです。

第12回 深川三流亭

大勢の皆さまにご来場いただき、本当に楽しい落語会でした。
ありがとうございました。
リピーターの方も多くなり、素晴らしい雰囲気で落語を聴いていただくことが出来ました。
深川三流亭
開口一番の学津さんの「親子酒」から主任の窓口さんの「二番煎じ」まで、開演から4時間以上もお付き合いくださいました。
深川三流亭
楽しんでいただけたなら、こんなに嬉しいことはありません。
また、次回へのエネルギーになります。
落語会の詳細は、別頁でアップして行きます。

満員御礼!

おかげさまで、予想以上の大盛況です。
満員御礼!
準備したプログラム100部がほとんどなくなりました。
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ありがたいことです。

深川三流亭の会場

会場の古石場文化センター。
深川三流亭の会場
前回よりもご来場される方が増えそうですので、約90席を設営しました。
深川三流亭の会場
高座からの眺めも壮観です。

ランチ

腹が減ってはなんとやら。
門前仲町のお寿司屋さんに入りました。
ランチ
海鮮丼で腹ごしらえ。

今日は「深川三流亭」

今日(26日)は「第12回 深川三流亭」です。
午後2時より、江東区古石場文化センターで開演します。
今日は「深川三流亭」
勿論、木戸銭は頂戴いたしません。
本日のプログラムをご紹介します。
今日は「深川三流亭」
メンバーも多士済々となり、楽しい落語会になると思います。
特に、若手の上達ぶりにご注目ください。

さらに無駄な抵抗

深川三流亭の本番。
さらに無駄な抵抗
早めに家を出て、東京駅の八重洲地下街のカフェで。
「堪忍の・・」とか「気に入らぬ・・」が覚えられず、出て来ません。
不安・・・。とっても不安・・・。

キテミテマツド?

「千葉都民」は、住んでいる街の情報に疎くて。
前にも、市立病院が新築移転したことも知らなかったりで。
キテミテ松戸?
松戸駅前の、去年閉店した「伊勢丹松戸店」の建物がリニューアルされ、新しい商業施設として開業するそうです。
「Kite Mite Matsudo(キテミテマツド)」と言うそうで、開業予定日は今年の4月。
松戸駅前の超好立地ということから、有名ブランドが多数入居するようですが。
「来て、見て、待つぞ」?
さぁ、駅前の再活性化が出来るでしょうか?
賑やかになるのは良いことですが。
「キテミテツマラヌ」でなければ良いのですが。

決めました

着物と手拭いを決めました。
決めました
着物は、左側の着物で。
決めました
これで何とかなるでしょう。

「ビリ」と「ドベ」

確か、永六輔さんの作詞だったはずですが、「幼ななじみ」という歌がありました。
♪幼なじみの思い出は 青いレモンの味がする・・って。
その中に、小学校の運動会 君は一等 僕はビりというフレーズがあります。
「ビり」とは、この場合は最下位・最後尾という意味です。
全国的には、「ビり」か「ドベ」ということが多いようです。
「ビリ」と「ドベ」
東は「ビリ」、西は「ドベ」という通説はやはり正しかったようです。
境界線は、東海道側では愛知と静岡、中山道側では山梨と長野の間あたりということになるのでしょうか。
よく東西で地域差が存在するものの境界は、概ね愛知〜岐阜あたりが多いようですが、これも同様です。
ただし、いくらか東側に寄っているかもしれません。
私は、「ビり」とか「ビリッケツ」って言っていました。
「ドベ」にはやはり違和感があります。
そもそも「ビり」の語源は?
古く江戸時代の歌舞伎にも見られ、「最下位」の意味のほか、「尻」から「男女の情交」を意味するようになり、「男女の情交」から「女性の陰部」の意味で用いられ、転じて遊女や女郎の意味や遊女などをののしる語としても用いられている。
これら全て「尻」が基点になっているため、ビリの「尻」転訛説は有力と考えられる。

・・・よくわかりませんが、要は「尻」ということらしい。

辛い選択

ある漫才コンビの一人の奥さんが大病を患っているため、看護(介護)のために、2月から寄席を休む(休席する)そうです。
誠に申し訳ありません。
2月上席から寄席を休席させていただく事になりました。
お客様、各演芸場様、演者の皆様、事務局には大変なご迷惑をおかけしてしまいますが、可能な限り妻をサポートして家族と一緒に病気を乗り越えたいと思いました。
やりたいことや楽しいことをバンバンやってストレスをなくしてナチュラルキラー細胞をガンガン増やす方法もあるのではないかと。
賛否あるかと思いますが、芸人としてよりも人として夫として父としての自分の気持ちを優先させていただきました。
そこの判断に迷いはありません。
どうか御理解いただけたらと思っています。
もちろん私、大きな貯金や資産などは持ち合わせておりません。
やっぱり治療費や生活費が必要になりますので営業や落語会などにはドンドン出演させていただこうと思っております。
自宅で出来るお仕事もね。
たくさんのオファーお待ちしてます!
わがままですみません!
漫才という仕事は片方が休むともう片方も休みになってしまうという恐ろしい職業です。
相方さんには一番迷惑をかけることになってしまって本当に申し訳ないと思っています。
この選択がどういう未来に繋がるのか今はわかりませんが引き続き応援いただければ幸いです。
長々とすみません。
最後に一言、私は寄席が大好きです!

・・・それぞれに、人生観や事情と言うものがあります。
様々な意見はあると思いますが、ご本人が決めたこと。
全力で奥さんをサポートしてあげて欲しいと思います。
表現は難しい(微妙)ですが、芸人さん=個人事業者だから、こういう判断も可能だという一面もあると思います。
サラリーマンなら、勿論、退職して復職(転職)という選択肢がない訳ではありませんが、さらに難しいと思います。

落語「浮世床」

私がいつも通って、馬鹿っ話を喋っている床屋さんではなく、江戸時代の庶民の社交場「髪結床」が舞台の、本当に落語らしい噺です。
「髪結床」とは・・・・、
江戸時代、男の髪を結い、髭、月代(さかやき)などを剃る業。
昔は結い賃が一銭だったことから一銭床ともいった。
橋詰や河岸の空地などに床店を出す出床と、町屋に借家して営業する内床がある。
かみいどこ。髪結屋。髪床。床。浮世床。
落語「浮世床」
ところで、この髪結床には、どれぐらいの頻度で行ったのか?
私は、床屋さんには1ヶ月から1ヶ月半ぐらいの間隔で行きます。
尤も、洗髪や髭剃りや整髪は毎日自分でやっています。
さて、これが江戸時代の髪結床となると、通う間隔は短かかったようです。
月代は剃っても2~3日もすれば新しく毛が生えて来ます。
ですから、4~5日に1回は髪結床に通わないと、無精でだらしなくなります。
江戸っ子が好んだ粋とはほど遠い姿になりますから。
江戸っ子の中には「月代が少し伸びたぐらいが粋だ」などと負けず嫌いを言うのもいたそうですが。

江戸後期の武士の日記(「石城日記」)を見ると、短い時には一日おき、間が空いても5日に1回は髪結床通いをしている。
これだけ頻繁に通えば「打ち解けた会話や軽口」以上の親密な関係になってもおかしくない。
しかも常連客同士も頻繁に顔を合わせることになる。
店の奥には客待ち用の上がりがあり、そこには将棋盤や囲碁、さらには草双紙や春画などが置いてある。ある種、サロン化した雰囲気があった。
浮世床と浮世風呂は江戸っ子の交流の場だった。
銭湯は男女混浴が多かったが、髪結床は男の空間だ。
床屋通いするのは、ほとんどが単身の男性で、岡場所の話や遊女の話があってもおかしくないし、髷を結ったあと岡場所に繰り出す客もいただろう。
そして後日再会した客同士が自慢し合い、遊女あるいは岡場所の情報を交換する。
髪結床はそんな一面もある空間だった。

落語「浮世床」
この「浮世床」は、場面が複数あります。
本を読む場面、将棋の場面と(夢に見た)女自慢の場面です。

落語「浮世床」
髪結床で、若い衆が集まってワイワイ馬鹿話の最中に、留さん一人、講談本に読みふけっている。
すぐ目を付けられて、退屈しているから読んで聞かせてくれと頼まれ、「オレは読みだすと立て板に水で、 止まらなくなるから、同じところは二度と読まねえ」と豪語して始めたのはいいが、 本当はカナもろくに読めないから、
「えー、ひとつ、ひ、ひとつ、ひとつ、
あねがわかっ、せんのことなり……真柄、まからからから、しふろふざへもん」
「真柄十郎左衛門か?」
「そう、その十郎左衛門が、敵にむかむかむか……」
「金たらいを持ってきてやれ。むかつくとさ」
「敵にむ、向かって一尺八寸の大太刀を……まつこう」
「呼んだか?」
「何だよ」
「今、松公って呼んだだろ」
「違う。真っ向だ」
一尺八寸は長くないから、大太刀は変だと言われ、これは横幅だとこじつけているうちに、
向こうでは将棋が始まる。
落語「浮世床」
一人が、王さまがないないと騒ぐので
「ああ、それならオレがさっきいただいた。
王手飛車取りの時、『そうはいかねえ』って、てめえの飛車が逃げたから」
「おめえの王さまは、取られてないのにねえな」
「うん、さっき隠しておいた」
というインチキ将棋。
かと思うと、半公がグウグウいびきをかいている。
起こすと、女に惚れられるのは疲れてしょうがねえと、オツなことを抜かしたと思うと、
芝居で知り合ったあだな年増と、さしつさされつイチャついた挙げ句、 口説の末にしっぽり濡れて、一つ床に女の赤い襦袢がチラチラ……
と、えんえんとノロケ始める。
女が帯を解き、
いよいよ布団の中へ……。
「こんちくしょう、入ってきたのか」
「という時に起こしゃあがったのは誰だ?」
床屋の親方が、あんまり騒がしいので、
「少しは静かにしてくれ。
気を取られているすきに、銭を置かずに帰っちまった奴がいる。印半纏のやせた……」
「それなら、畳屋の職人だ」
「道理で、床を踏み(=踏み倒し)に来やがったか」

・・・一尺八寸の大太刀の部分の原話は安永2(1773)年刊「聞上手」中の「大太刀」。
夢のくだりは同4年刊「春遊機嫌袋」中の「うたゝね」。
オチの畳屋の部分は同2年刊「芳野山」中の「髪結床」と、いくつかの小噺のオムニバスになっているという訳。
これらの原話はいずれも江戸で出版されているのに、意外なことに落語としては上方で発達し、明治末期に初代柳家小せんが東京に「逆輸入」したそうです。
演題の「浮世床」は、式亭三馬、滝亭鯉丈合作の滑稽本「浮世床」(初編文化10年=1813年刊)から採られているようです。
同期の多趣味亭狂楽さんの初ネタが、この噺の本の場面でした。
ここでも、「太閤記」の知識、すなわち歴史の知識が必要で、落語の奥の深さに驚いたものでした。

2019年1月25日 (金)

面白くなって来た

大相撲初場所の優勝争い。
玉鷲は2敗を守って、初優勝も見えつつあります。
面白くなって来た
御嶽海は、優勝には絡んでいませんが、場所中に休場しつつも勝ち越し。
面白くなって来た
そして、貴景勝が白鵬に勝ってともに3敗で並びました。
横綱は3連敗です。
面白くなって来た
14日目に玉鷲が勝ち、3敗の白鵬、貴景勝が敗れると玉鷲の初優勝が決まります。
大関は・・・いたんだっけ?
とにかく、白鵬にだけは優勝して欲しくない。
もう、御嶽海や貴景勝たちの時代ですから。
大関は・・・もう本当に情けない。
貴景勝の2連覇の芽も、かなり高い可能性で出て来ましたね。
また今場所も白鵬の独走かとがっかりしていましたが、俄然面白くなって来ました。

着て行く着物が・・

ただいま私は、南こうせつさんの心持ち。
♪着て行く服(着物)が まだ決まらない♪状態。
着て行く着物が
最近は、冷暖房が完備しているので、ほとんど単でも十分ですが、それだと袷を着る機会がなくなってしまいます。
だから、この2つの袷のどちらかにしようと思います。
着て行く着物が
まぁ、明日の朝起きた瞬間に浮かんだ方にしよう。
着て行く着物が
高座で使う手拭いはどれにしようか。
これも明日起きてからの気分で決めよう。
着て行く着物が
第一声の音階は高めからか、低めにするか。
話すスピードはどうしようか。
色々と悩み多い本番前夜・・。

明日は「深川三流亭」

明日(1月26日)は「深川三流亭」です。
午後2時から、江東区古石場文化センターで。
明日は「深川三流亭」
前回(7月)は、真夏で台風の直撃を受けましたが、今回は寒さはあれど、嵐にはならないでしょう。
是非とも、ご近所お誘い合わせの上、ご来場ください。

富士山が見えた日数

外国人は、日本と言えば「フジヤマにゲイシャ」?
これは昔のことでしょうが、「富士山」というのは、やはり日本のイメージそのものだと思います。
特に、富士山の近くで生まれて育った者にすると、自分の視界の中には、常に富士山があると言っても過言ではありません。
富士山が見えた日数
ですから、帰省する時も、大阪出張で新幹線で通過する時も、富士山が見たくて胸がドキドキします。
思えば、第二の故郷だと思っている仙台に初めて行った時、四方を見回しても富士山が見えなくて(当たり前ですが)、ホームシックが加速したものでした。
そんな富士山の話題です。
富士山の南麓の富士市が、市役所から行った2018年の富士山の観測記録を公開。
最も見える確率が高い午前8時の観測で、富士山の全体が見えた日数は98日で、1991年の観測開始以降で最も少なかった。
過去最多だった前年を55日下回り、初めて100日を割り込んだ。

富士山が見えた日数
富士市は富士山の環境保全を目的に、毎日午前8時と正午、午後4時の3回、市役所8階からの目視や定点カメラで観測している。
富士山を上部、中央部、下部の3つに分け、全てに雲などがかかっていない状態を「全体が見える」としている。


午前8時の観測を基準にすると、2018年の「全体が見えた日」の年間割合は26・8%。「一部が見えた」を合わせると、年間53・4%(195日)の割合で富士山を確認。
「全く見えない」は170日(46・6%)。
月別では、「全体が見えた日」は1月が最も多く19日。
次いで2月が15日、11月が13日、10月が12日。
例年上位に入る12月は曇りの日が多くて8日。
見えにくかったのは7〜9月で、いずれも1日ずつ。

・・・私の「今日の富士山」でも、特に雪が完全に消える6月以降秋口までは、なかなか綺麗な富士山が拝めません。
今の季節、富士山を眺めるには最高です。
富士山も1年で最も美しい時期ですから。
http://www2.city.fuji.shizuoka.jp/livecamera/fujiyama_still.htm
富士市役所からのライブ画像です。

ケンとメリー

この車は、1973年製「日産スカイライン 2000GT-R」です。
通称「ケンとメリーのスカイライン」の最強バージョン。
https://search.yahoo.co.jp/video/search?p=%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3&tid=21550786f4c54a992bd01cc1d3579dbb&ei=UTF-8&rkf=2&dd=1
生産台数も極端に少なく、憧れの名車でした。
確か市販されたのは195台のみだったはず。
ケンとメリー
この車が、あるオークションに出品されたようです。
いくらで落札されたのでしょうか?
この「ケンメリGT-R(KPGC110)」は、事前の予想では「1億円超え間違いなし」と言われていましたから。
一度でいいから運転したかったなぁ。

三遊亭兼好さん

昨日の帰りの新幹線で読んだ夕刊紙。
三遊亭兼好さん
三遊亭兼好さんのインタビューや紹介の記事がありました。
入門20年が経過したそうです。
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大学卒業後に一度社会に出て、28歳で入門されたそうです。
五代目圓楽一門会では、数少ない(失礼)聴きたい噺家さんです。
東京落語会
この間の東京落語会の「孝行糖」は、ちょっと・・・でしたが。

東京落語会の会員更新

6ケ月が過ぎるのは早い。
もう、東京落語会の会員継続の時期になりました。
迷うことなく、「今の席のままを希望」で、代金を振り込みました。
東京落語会の会員更新
いつも言っていることですが、会員数は会場を満席にするほどいるのでしょうが、実際の来場者は少なく、正直なところ、噺家さんたちは力が入らないのでは・・と思います。
それでも、国営放送が主催する、有数の歴史ある落語会ですから、何とか体面をたもっているという感じです。
東京落語会
落語好きを増やすためにも、大変申し訳ありませんが、フルの来場が難しい方は、ご返上いただき、新しい会員に代わっていただきたいと思います。
運転免許証も返上してもらうご時勢ですから。

年末年始の人出

この年末年始の静岡県内の主な観光施設の来場(来園)者数が発表されました。
静岡県が24日発表した年末年始(12月29日〜1月3日)の観光交流客の入り込 み状況によると、県内の主要28施設の客数は約83万5千人で前年同期を約1万7千人、2・1%上回った。
三島スカイウォーク(三島市)や沼津港大型展望水門「びゅう お」(沼津市)などの入り込みが増えた。
年末年始の人出
28施設のうち、15施設が前年を上回った。
三島スカイウォークは4万7千人 前年4万1500人から13%増。
樹木アスレチックなどのアクティビティが人気を博した。
びゅうおは5500人で前年から16%増やした。
kk
28施設で最多の富士山本宮浅間大社は23万人で前年と同水準だった。
昨年11月に完成したばかりで統計には含まれていないが、日本平夢テラスは年間目標30万人の1割強の3万3600人が訪れた。
熱海や伊東など主要観光地11市町の宿泊客の入り込み状況をみると、期間全体を通して前年並みだった。


道の駅の富士川楽座は、東名高速の富士川SAと直結していますから、相変わらず来場者は多いですね。
kk
白糸の滝も相変わらずの人気です。
この年末年始は、天候も穏やかで、県内各地も平和でした。
私は、3日に帰省しただけでしたが。

週末の天気

去年の今頃は、確か東京も積雪で、不便になっていました。
都心でも20センチぐらい積もりました。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2018/01/post-8336.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2018/01/post-8d8a.html
首都高速の通行止めが続いていたり。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2018/01/post-d577.html
明日が「深川三流亭」なので、天気が心配です。
何と言っても、前回は台風に直撃されましたから。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2018/07/post-1e8e.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2018/07/post-3ed1.html
確か、東から西に向かうという、混迷台風でした。

そこで、この週末の天気です。
明日26日(土)から27日(日)にかけては、東日本から西日本の日本海側を中心に広い範囲で大雪となる見込み。
太平洋側でも山地を中心に大雪となるおそれがあり、平野部でも積雪となる所があるため、大雪や路面凍結による交通障害に注意・警戒が必要となる。
26日から27日にかけては、東日本と西日本の上空に平年よりも6℃から12℃低い寒気が流れ込む。
26日は次第に冬型の気圧配置が強まり、27日まで続く見通し。

・・・都内は雪にはならないようですが、かなり寒そうです。
昨日は晴天だった、東海道新幹線の沿線の関ケ原付近は、積雪になりそうです。
それにしても、私の明日の演目は「天災」。
雪が降ったら、天が雪を降らせると思うから腹が立つ、天が降らせたと思えば腹も立たねぇや。
これすなわち「天災」よぉ。

・・・啖呵になりません・・・。
天災でも、腹が立つ、諦めきれないこともありますよ。
それじゃ、ダメじゃんですが。

四分椿師匠から

先日の「学士会落語会」の時に、落研OBの先輩の「但馬家四分椿」師匠から、「まぁ、急がないけれども・・、あたしもいつまでも元気でいられる訳ではないから・・。いやいや決して急かしているんじゃないけれども・・・」と。
うわぁ・・、本気ですね。
四分椿師匠から
上方落語に「算段の平兵衛」という噺があります。
やり手がなく滅んでいた噺を、昭和の戦後に三代目桂米朝師匠が先人から断片的に聞き集めて、復刻した大ネタです。
くすぐりが非常に少なく、なおかつ人の死体やエゴに満ちた登場人物を陰惨に感じさせ
ずに描写する必要があり、演者にとっては技量が試される噺。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2018/04/post-52f8.html
昨年、四分椿師匠から、こんな依頼がありました。
貴兄のstorytellingの力量から、上方の「算段の平兵衛」をやってみたらと。
筋が面白いし、上方弁でなくてもいい。
 世界中にこれらしき民話があるらしい。
別に、急がないから、良かったら・・・。

要するに、「この噺を江戸弁に翻案してやってみてくれ」というリクエストです。
私は知らない噺だったのですが、「それじゃあ、音源や資料を集めてみます」と。
「算段の平兵衛」の速記
そして、この噺の速記のコピーを持って来てくださいました。
・・・あれから、間もなく1年が経過しますが、実は、勿論忘れているのではありませんが、まだ着手出来ずにいたところでした。
米朝師匠以外に、文珍師匠と南光さんの音源がありました。
四分椿師匠から
米朝師匠は、「悪が栄えるという内容なので、後味が悪くならないように演じるのが難しい。平兵衛をどこか憎めない男とか、共感するようなところあるように描かないと落 語として成り立たない」と仰っています。
ff
南光さんは、オチを変えていらっしゃるようです。
今年は、ちょっとやってみましょうか。
上方弁から江戸弁にするのが大変ですが。

300円ショップ

最近は、行く頻度が少なくなりましたが、私は「100円ショップ」のファンです。
品質やデザインなどをいくらか我慢すれば、かなり役に立つものが多く、コストパフォーマンスが良いと思います。
300円ショップ
最近では、これよりもう少し高級な「300円ショップ」なる店も増えて来て、女性を中心に人気が出ているようです。
私も、冬のアイテムのネックウォーマーやレッグウォーマー、手袋や靴下、ブランケット(膝掛け)などを試したことがありますが、なかなか重宝です。
また、高座本を保管するために、ファスナーの付いたボックスを使っていますが、これまた便利です。
100円ショップグッズを外国に持って行って、現地の人たちを驚かせるというテレビ番組もありますが、日本人の工夫のユニークさと優秀さは、本当に素晴らしい。
いわんや、300円グッズをしてをや・・ですね。

落語「今戸の狐」

今戸という、浅草方面の地名です。
浅草寺の北東、大川から山谷堀沿いに吉原に向かう起点あたりでしょうか。
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あまり聴くことの多くない噺かもしれません。
実在の噺家、しかも初めて噺家のプロになった「三笑亭可楽」が出て来るという点では、非常に興味深い噺でもあります。
落語「今戸の狐」
江戸時代安政の頃。
「乾坤坊良斎」という自作自演の噺家の弟子で、良輔という、作者専門の男。
作者だけでは食っていけないので、噺家に転向しようと、当時の大看板で、三題噺の名人と言われている「初代三笑亭可楽」に無理に頼み込み、弟子にしてもらった。 
  落語「今戸の狐」
ところが、期待とは大違い。
修行は厳しいし、客の来ない場末の寄席にしか出してもらえないので、食う物も食わず、これでは作者の方がましだったという体たらく。
内職をしたいが、師匠がやかましく、見つかればたちまちクビは必定。
しかし、もうこのままでは餓死しかねないありさまだから、背に腹は代えられなくなった。
たまたま住んでいたのが今戸で、ここは今戸焼きという、素焼きの土器や人形の本場。
そこで良輔、もともと器用な質(たち)なので、今戸焼きの、狐の泥人形の彩色を、こっそりアルバイトで始め、何とか糊口をしのいでいた。 
   落語「今戸の狐」
良輔の家の筋向かいに、背負い小間物屋の家がある。
そこのかみさんは千住(通称骨=コツ)の女郎上がりだが、なかなかの働き者で、これも何か手内職でもして家計の足しにしたいと考えていた矢先、偶然、良輔が狐に色づけしているところを見て、外にしゃべられたくなければあたしにも教えてくれと強談判。
良輔も承知するほかない。
一生懸命やるうちにかみさんの腕も上がり、けっこう仕事が来るようになった。
  落語「今戸の狐」
こちらは中橋の可楽の家。
師匠の供をして夜遅く帰宅した前座の乃楽が、夜中に寄席でクジを売って貰った金を、楽しみに勘定していると、軒下に雨宿りに飛び込んできたのが、グズ虎という遊び人。
博打に負けてすってんてんにされ、やけになっているところに前座の金を数える音がジャラジャラと聞こえてきたので、これはてっきりご法度の素人バクチを噺家が開帳していると思い込み、これは金になるとほくそ笑む。
翌朝、早速、可楽のところに押しかけ、お宅では夜遅く狐チョボイチ(博打の一種)をなさっているようだが、しゃべられたくなかったら金を少々お借り申したいと、ゆする。
これを聞いていた乃楽、虎があまりキツネキツネというので勘違いし、家ではそんなものはない、狐ができているのは今戸の良輔という兄弟子のところだと教える。
乃楽から道を聞き出し、今戸までやって来た虎、早速、良輔に談じ込むが、どうも話がかみ合わない。
「どうでえ。オレにいくらかこしらえてもらいてえんだが」
「まとまっていないと、どうも」
「けっこうだねえ。どこでできてんだ?」
「戸棚ん中です」
ガラリと開けると、中に泥の狐がズラリ。
「なんだ、こりゃあ?」
「狐でござんす」
「間抜けめっ、オレが探してんのは、骨の寨だっ」
「コツ(千住)の妻なら、お向こうのおかみさんです」

・・・オチは分かりづらいと思います。
今戸焼とか、博打とか、コツだとか、ちょっと古い、カビ臭い感じは否めないのかもしれません。
千住をなぜ「コツ」と言うのかと言えば、千住に小塚っ原(処刑場)があったので、「こづか→こつ」ということだそうです。
「今戸焼」は、今戸や橋場とその周辺(浅草の北東)で焼かれていた素焼及び楽焼の陶磁器です。
日用雑器、茶道具、土人形(今戸人形)、火鉢、植木鉢、瓦等を生産。
天正年間(1573年–1592年)から始まったとされています。
この「今戸焼」、今戸(今どう)なっているか知りません。

2019年1月24日 (木)

決勝進出!

テニスの全豪オープン。
女子シングルス準決勝で、世界ランキング4位で第4シードの大坂なおみ選手が、同8位で第7シードのカロリナ・プリスコバと対戦して、6―2、4―6、6―4で勝利。
全豪で日本勢初の決勝進出を決めました。
決勝進出!
大坂選手は、大会後に発表される世界ランキングで、男女を通じて日本勢最高の2位以上が確定。
決勝では、世界ランキング6位で第8シードのペトラ・クビトバと対戦し、勝った方が世界ランク1位となるそうです。
決勝進出!
そんな本人大活躍の一方で、大坂選手をアニメにした日清食品のCMについて、水をさすような話題が明らかになりました。
米ニューヨーク・タイムズ紙が「肌が白いと日本で批判されている」と指摘。
日清食品は配慮が不十分だったと謝罪したと報じました。
白人のように描くことは「ホワイトウォッシュ」と海外で呼ばれているそうです。
要するに、人種差別だということです。
日清では、「そのような意図はない」と答えたうえで、騒動を受けてCMの公開を停止することにしたそうです。
こういう点は、日本人は非常に鈍いと言わざるを得ません。
昔を思い出すと、我々が小学生の頃、絵の具やクレヨンには「肌色」という色が入っていました。
今なら考えられないことです。
世はダイバーシティ「みんな違って、それで(が)いい」時代。
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日清食品も、お湯は差しても、水を差してはいけませんなぁ。

大阪で買った品川名物

久しぶりに駅弁を買いました。
何と「品川名物 貝づくし」。
大阪で買った品川名物
これって、主に東京駅や品川駅で売ってるんでしようね。
大阪で買った品川名物
「まぁ、いいか」と・・・。
なかなか美味しかったです。

伊吹山の反対側

今日は、新幹線はいつもと反対側の席に座りました。
ほとんど富士山が見える側に座りますが。
米原駅を通過してすぐ、ちょうど伊吹山と反対側にも、雪をいただいた山が見えました。
伊吹山の反対側
今まで、ほとんど気にしていませんでしたが、どうやら「霊仙山(りょうぜんざん)」という山のようです。
伊吹山の反対側
霊仙山は、滋賀県の犬上郡多賀町と米原市にまたがる鈴鹿山脈の最北に位置する標高1094mの山。
東側は岐阜県大垣市上石津町と不破郡関ケ原町に属する。
北側には伊吹山が対峙している。
「花の百名山」として花の多い山であることが知られていて、シーズン中は多くの登山者が訪れるそうです。
知りませんでした。
北からの伊吹下ろしは、この山との間を吹き抜けて行くのか。

ホテルの全面禁煙化

とにかく、煙草が大嫌いな私にとって、朗報が産経新聞に掲載されていました。
国内のホテルで、客室内を全面禁煙にする動きが進んでいる。
国内の喫煙率低下や訪日外国人客(インバウンド)の禁煙志向の高まりなどが背景にあるためだ。
2020年東京五輪・パラリンピックや2025年の大阪万博も見据え、改装や新設に合わせ全室禁煙にするホテルが相次ぐ。

・・・へぇぇ、嬉しいじゃありませんか。
阪急阪神ホテルズは、全国の直営18ホテルのうち15ホテル(全4380室)をリニューアルし、今年8月末までに禁煙化すると発表。
直営の全ホテルのうち、約9割の客室数に当たる。
禁煙化を進めるのは「ニーズの高さ」(広報)だ。

ホテルの全室禁煙化
ホテル阪急インターナショナルでは、昨年度の禁煙客室の平均稼働率は94.6%と喫煙室を2.7ポイント上回り、禁煙室不足が常態化。
他の直営ホテルでも同様で、同社は「特に訪日客のニーズが強い。東京五輪などに合わせ、増やしていく」と話す。
2020年初春開業予定の「ヨドバシ梅田タワー」(仮称)など、21年春までに新設の直営6ホテル(約2200室)も全室禁煙とする。
「先に予約が埋まるのは禁煙の客室。国内客にも好評」とリーガロイヤルホテルなどを運営するロイヤルホテルの広報担当者。
同社もリーガロイヤルホテル東京の全客室を4月1日に、リーガ中之島インを来年度中にそれぞれ全室禁煙化する。

・・・そうそう、それでいいのだ。
尤も、私は、こんな高級ホテルとは縁がありませんから、直接メリットを受ける訳ではありません。

宿泊特化型ホテルでも禁煙化は進んでおり、昨年6月開業の大和ハウス工業系「ダイワロイヤルホテルグランデ京都」や、昨年9月にオリックス不動産の「クロスホテル京都」でも全室を禁煙化。
クロスホテル京都は「ウェブサイトに全室禁煙と告知しているが、訪日客から禁煙室はあるかとの問い合わせが入る」という。
・・・やはり、全面禁煙は、時代の流れだと思いますよ。
それにしても、日本人と言うのは「外圧」に弱いんですね。
オリンピックや万博などで、外国人が増えるからって、そりゃ確かにそうですが、そういうことがなくても、良くないことは自ら率先して改善して行かないと・・・。

日本たばこ産業(JT)の「全国たばこ喫煙者率調査」によると、平成30年5月時点の推計喫煙人口は前年比37万人減の1880万人で、喫煙者率は同0.3ポイント減の17.9%。
ピーク時の49.4%(昭和41年)の4割程度だ。
7月には一部公共施設などの受動喫煙対策を強化する改正健康増進法も施行され“たばこ離れ”が進む見通しで、今後もホテルの禁煙化が加速しそうだ。
・・・もう随分前のことですが、赤坂にあったホテルニュージャパンの火災の原因は、確か宿泊客の煙草の火の不始末だったはず。
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ところで、「煙草大嫌い!」「喫煙反対!」と声高に叫んでいる一方で、部屋で一人で「長短」の稽古をやりながら、煙管で一生懸命煙草を吸う仕草に苦労しているという・・・”矛盾もあります。
しかし、これは、人間の業を肯定する落語ゆえで、煙管での喫煙は事実ですから、まずはそれを受け入れて語るんです。
酒も、博打も、廓も・・・、みんなそうですよ。
酒は嫌いだと言いながら「一人酒盛」「試し酒」「二番煎じ」を、博打も嫌いだと言いながら「文七元結」を、廓や茶屋に嫌悪感を持ちながらも「明烏」「不孝者」を演るという矛盾。
これも業だと思います。

日本最古のモノレール

上野はおいらのぉ~。
東京の繁華街(山手線の駅)で、私にとっては一番親しみ(縁)のある街が上野です。
考えてみると、とても不思議な街です。
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上野山は、戦国時代には忍岡(しのぶのおか)と呼ばれていたそうで、元々江戸の中では人口の少ない地域であったようです。
江戸幕府が開かれた頃、忍岡には、伊賀国上野を本拠地とする外様大名の藤堂高虎の屋敷が置かれていました。
後に、徳川将軍家の菩提寺である寛永寺が建立されて門前町となり、この頃から、寛永寺付近の一帯を「上野」と呼ぶようになったそうです。
これは、藤堂家の所領である上野に地形が似ていたためと言われているようです。
寛永寺には歴代将軍の墓も建てられ、江戸幕府から保護されたので繁栄し、それに伴って門前町の上野も発展しました。
上野寛永寺は、江戸城から見て陰陽道上の鬼門に当たり、京都の延暦寺(京都から見た場合は北東)に擬えた江戸鎮護の寺でもありました。
そして、明暦の大火の後には上野に広小路が設置されました。
ただし、当時の上野広小路は現在の上野駅付近だったようで、現在の上野広小路は「下谷広小路」と呼ばれていたそうです。
・・・一時は、東北地方の玄関口として、特に上野駅は栄えましたが、新幹線が東京始発になって、途中駅になってしまいました。
しかし、私は、今の上野(上野駅)の佇まいが好きです。
東京・品川・渋谷・新宿・池袋のような、大混雑はありませんから。
それに、下町の情緒だけでなく、博物館や美術館などの文化的な施設もあって、イメージはマイナーかもしれませんが、私は好きな街です。
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そうそう、上野には動物園もありますから。
さて、その上野動物園の話題です。
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東京都は、上野動物園内を走る日本最古のモノレールの運行を、車両の老朽化などを理由に今年の11月1日から休止すると発表したそうです。
開業から60年を過ぎており、今後運行を維持するかを検討するそうです。
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休止中は電気自動車(EV)などを無料運行する予定とのこと。
このモノレールは、1957年12月、路面電車に代わる将来の交通機関を検討していた都が実験線として開業したものだそうです。
2両編成の車両が西園と東園の300メートルを約1分半で結んでおり、年間100万人超が利用する人気を誇っているそうです。
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・・・私は、乗った記憶はありませんが、動物園に行くと確かに運行されています。
運行開始から61年、還暦、本卦還りなんですね。
今後の運行をどうするかと言うのも、寂しいですが仕方のないことかもしれません。
60歳を越えたら・・・、やはり身を引く、役に立たないということですかねぇ。

デザインとは?

ちょっと興味深い(面白い)話題です。
東京都内の美術大学5校が参加する展覧会のポスターデザインをめぐり、SNS上で賛否両論を呼んでいるそうです。
見る人の意見が真っ二つに分かれる独特なデザイン。
女子美術大、東京造形大、日大芸術学部、武蔵野美術大、多摩美術大が共同開催する「東京五美術大学連合卒業・修了制作展」。
今年で42回目の伝統ある展覧会で、毎年約6万人以上が訪れるそうです。 
    デザインとは?
SNSで議論となっているのは、展覧会のポスターやダイレクトメール、冊子に使われたデザインだ。
広報物は開催校が持ち回りで担当し、今年は多摩美大が制作。
フリーハンドでさっと描いたような中心の円に参加大学・学科が書かれており、脱力感いっぱいの仕上がり。
背景の斜線や罫線も手書き風だ。
昨年はピンクと青のグラデーションを基調とした落ち着いたデザインだけに、「異様さ」が際立つ。
    デザインとは?
ツイッターでは、「手抜きすぎる」「アートやデザイン、美大という『権威』に対る強烈な皮肉ともとれる」と賛否を呼び、そのほか、「デザインとは何かを考えさせられる」「良かったのか悪かったのか判断が難しいとこ ろだけれど、結果的に話題になったからデザインした人の勝ちかな」といった意見もある。
製作者は多摩美大教授。
教授は、広告会社でデザイナーとして活躍し、その後フリーに。
15年から多摩美大グラフィックデザイン学科で教鞭を執る。
キユーピー「キユーピーハーフ」やキリン「淡麗グリーンラベル」の広告デザインで知られる。
担当者からは、「教授はデザイナーとして、既成の概念にとらわれないグラフィックの表現を続けてきました。若い美術家たちの展覧会である五美大展に対しても同様です」という説明があった。

・・・素人からすると、「美術」とか「展覧会」と言うイメージからは、やや違和感があるのは否めない気がします。
ただし、芸術(アート)の世界は、失礼な言い方ですが、何でもありだと思うし、奇をてらったようなものもあります。
私のような者には到底分からない、ピカソの絵もあるんですから。
ところで、これはポスターですから、人の目に止まるということと、情報が正確に伝わるかということが最優先されるとすれば、条件は満たしているのかもしれません。
ただ、確かに、手抜き感と奇をてらった感はあるかもしれません。
さて、わが「深川三流亭」のチラシは、素人が、やっつけ仕事で、手抜きで作っていますから、既成の概念の塊になっています。
江戸、下町を強調したいので、ここのところ浮世絵を使っています。
よく言えば、キープコンセプト、悪く言えばワンパターンのパクリ。
これは昨年のもの。
    デザインとは?
これが今年のもの。
   デザインとは?
・・・デザインはともかく、1月26日(土)午後2時開演です。
是非お出かけください。

こすい?

日本語や言葉については、素朴に興味があるので。
「こすい」という言葉です。
何となく意味は理解していましたが、田舎では、年寄りが、「小さい」「幼い」というニュアンスで使っていました。
「あの家は、まだ子どもが"こすい"から・・・」なんて言ってた。
小さいという意味そのままで、あまりネガティブなニュアンスはありませんでした。
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「こすい」という言葉、一般に「ずるい」「せこい」の意味で使われる語だが、標準語のようでもあり、方言のようでもあり......。
いったい、全国でどのように浸透しているのか。
Jタウンネットでは2019年1月7日から15日まで、「『こすい』の意味を知っていますか?」と題して読者アンケートを行った(総得票数4927票)。
こすいを「使ったことがある」と答えた人の割合が高かったのは、上から順に長崎・佐賀・和歌山・愛媛・熊本の5県。いずれも西日本、特に北部九州に集中している。
他にも岐阜・福井・長野など中部地方でも80%越えの票を集めた県がある。
逆に、「こすい」を使ったことがあると答えた人が少なかったのは、東北・関東・そして宮崎・鹿児島・沖縄の3県だった。
関東1都6県は栃木を除く全都県が70%未満、中でも千葉と神奈川で50%台にとどまった。
東北・北海道でも70%以上を記録した府県はなかった。
一方、九州・沖縄では北部と南部でくっきりと結果が分かれることに。長崎・佐賀・福岡で高いが、南九州と沖縄では低い。
一概に西日本偏重とも言えない?
全国の投票結果をみると、選択肢「聞いたことも使ったこともある」が最多の70.5%というシェアを記録。
続いて「使ったことはないが、聞いたことがあり意味も知っている」も2位で24.2%を記録した。
逆にこすいの意味を「全く知らなかった」は3.6%で、「聞いたことはあるが、意味は知らなかった」が1.7%。
回答者の約95%がこの語の意味を知っていることになり、予想以上に浸透している言葉のようだ。

・・・「こすい」なんて、何十年ぶりに聞いた気がします。

落語「犬の目」

ナンセンスで軽妙な噺です。
目が悪くなって、医者に駆け込んだ男。
かかった医者がヘボンの弟子でシャボンという先生。
ところが、その先生が留守で、その弟子というのが診察する。
「これは手術が遅れたので、くり抜かなくては治らない」
さっさと目玉をひっこ抜き、洗ってもとに戻そうとすると、水でふやけてはめ込めない。
困って、縮むまで陰干しにしておくと、犬が目玉を食ってしまった。
「犬の腹に目玉が入ったから、春になったら芽を出すだろう」
「冗談じゃねえ。どうするんです」
落語「犬の目」
しかたがないので、「犯犬」の目玉を罰としてくり抜き、男にはめ込む。
今までのより遠目が利いてよかったが、
「先生、ダメです。これじゃ外に出られません」
「なぜ?」
「小便する時、自然に足が持ち上がります」

さて、噺の中で出て来るのが「ヘボン先生」という目医者さん。
「へぼな」というのとかけているのかと思いきや、実在の偉人であることが分かりました。
ヘボン先生とは、ジェームス・カーティス・ヘボン(1815年3月13日〜1911年9月21日)。
米国長老派教会系医療伝道宣教師であり、ヘボン式ローマ字の創始者、医師。
ペンシルベニア州ミルトン出身。幕末に訪日した。
明治学院(現在の明治学院高等学校・明治学院大学)を創設、初代総理に就任。
落語「犬の目」日本に来て、医療を武器に信用を獲得していった。
専門は眼科で、当時眼病が多かった日本で名声を博したという。
日本人の弟子を取って教育していたが、奉行所の嫌がらせもあり、診療所は閉鎖になった。
博士のラウリー博士宛ての手紙によると、計3500人の患者に処方箋を書き、瘢痕性内反の手術30回、翼状片の手術3回、眼球摘出1回、脳水腫の手術5回、背中のおでき切開1回、白内障の手術13回、痔ろうの手術6回、直腸炎1回、チフスの治療3回を行った。

・・・そうか、「眼球摘出1回」というのが、この噺の・・・な訳ありませんが。
白内障の手術も1回を除いて皆うまくいったという(1861年9月8日の手紙)。
また、名優澤村田之助の脱疽を起こした足を切断する手術もしている。
その時は麻酔剤を使っている。

・・・私は、犬は目をどうしたんだろうと心配してしまいますが、落語はそのあたりは気に留めません。
「お江戸あおば亭」でも、「杜の家くるみ」さんと「恋し家古狂」師匠がお演りになったぐらい、軽妙で面白い噺だと思います。
でも、その筋からは「動物虐待だ」と言われるかもしれません。

無駄な抵抗?

真夜中のホテルの部屋。
ベッドの上で、遅ればせながら稽古。
本番まであと3日なのに、まだ高座本から離れられません。
無駄な抵抗?
追い詰められました・・・。
通しでやろうにも、言葉が出て来ない。
「気にいらぬ  風もあろうに  柳かな」から出て来ない。
明日は、まだ覚えていない部分を確認しないと。
間に合うかな?
いずれにしても、ボロボロの高座は必至です。

2019年1月23日 (水)

インフルエンザで?

全国的にインフルエンザの流行のピークのようです。
感染力がそこそこ強いから厄介です。
同窓の某野党の代表者も感染して休養しているそうです。
予防接種をしていても、必ずしも安心出来ないようです。
ところで、昨日、地下鉄で痛ましい人身事故がありました。
インフルエンザで?
日比谷線の中目黒駅で女性が線路に転落して死亡。
この女性は、インフルエンザに感染していて、転落直前にホームをふらつきながら歩いていたそうです。
駅の防犯カメラには、女性が転落する前からホーム上をふらつきながら歩いている姿が映っていたほか、インフルエンザに感染していたことがわかったそうです。
具合が悪いのをおして仕事場に向かって、途中で事故に遭遇してしまった・・・。
痛ましい。
体調が悪い時は、逡巡せずに休養する。
これも、今叫ばれている「職場改革」の一端だと思います。
昔は、熱があったり、体調が優れなかったり、二日酔いでも、「とりあえず這ってでも職場に出て来い!」と言われたものでしたが、そんな不合理を振り回して、組織への服従を強制していたんですね。

今日の伊吹山

関ヶ原付近も雪もなく、良い天気です。
今日の伊吹山
残念ながら、今日は富士山は見えませんでしたが、伊吹山は雲間から見ることが出来ました。
外はとっても寒そうです。

フラッシュオーバー?

大変痛ましい事故の話題。
昨日、秋田県能代市で火事があり、木造2階住宅兼店舗、隣接する住宅など計4棟を全焼し、約6時間半後に鎮火しました。
ところが、焼け跡付近で、消火作業に当たっていた消防士とみられる2人の遺体が見つかったそうです。
消防本部によれば、室内の局所的な火災が数秒~数十秒のごく短時間に拡大する「フラッシュオーバー」現象が発生した可能性が高いとのこと。
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遺体の2人は、消防署の32歳と26歳の消防士さんのようで、2人は「殉職」です。
2人は、上司と計3人で住宅に進入。
逃げ遅れていた人たちを避難させた。
この時点では、火の勢いはそれほど強くなく、視界も悪くなかったため、2人が室内に残って放水を始めたが、突如、猛烈な火の手が上がったそうです。
【フラッシュオーバー】
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室内で火災による熱で可燃物が熱分解し、引火性のガスが発生して室内に充満した場合や天井の内装などに使われている可燃性素材が輻射熱などによって一気に発火する現象。
フラッシュオーバーが発生した場合、1000℃を超える高温の環境が一気に広範囲に広がることから避難ができなくなるばかりか、消火も延焼を防ぐ対応しかできなくなる。

・・・いくら屈強な火消し(臥煙)でも、この威力には到底敵わないでしょう。
ご冥福をお祈りいたします。

新幹線車内の楽しみ

朝から大阪へ移動中。
  新幹線車内の楽しみ
今日は、富士山が雲に隠れて見えないので、YouTubeで昔(10年ぐらい前)の「笑点」を視聴しています。

その場しのぎのチラシ

1月26日(土)の「深川三流亭」では、4月21日(日)の「おひろめ寄席」のチラシ配布を依頼されました。
勿論、喜んで配布する予定です。
・・・と言うことは、5月25日(土)の「お江戸あおば亭」のチラシも配っちゃおう。
ところが、まだチラシが出来ていないことに気がつきました。
そこで、前回のをそのまま、開催日だけ変えて仮作成しました。
その場しのぎのチラシ
それから、この時は、既に「平成」から「〇〇(新元号)」に変わっていますから、「2019年」と西暦表示にしました。
それから、それだけでは芸がないので、「創部60周年記念」というのと、「おかげさまで60周年」というフレーズも入れました。
ということで、新元号の発表が4月1日なので、それまでの間は、この暫定チラシでお許しいただくことにしようと思います。

サラリーマン川柳

今年もあります「サラリーマン川柳」100選。
最近の作品は、本当に身につまされるようになって来て、単なる洒落になりません。
第一生命がやっているんです。
サラリーマン川柳
応募があった4万3691句から選出されたものです。
インターネットなどでの人気投票を3月15日まで実施し、5月下旬にベスト10を発表の予定とか。
主な作品というのを見ました。     
 「五時過ぎた カモンベイビー USA(うさ)ばらし」
 「人生の 余暇はいつくる 再雇用」
 「ジュエリーを 平成最後と ねだる妻」
 「再雇用 昨日の部下に 指示仰ぐ」
 「メルカリで 妻が売るのは 俺の物」
 「テレワーク そばに妻いて 緊張し」
 「AIも 太刀打ちできぬ 妻の勘」
 「半端ない 妻の小言は 容赦ない」
 「間食を もぐもぐタイムと 正当化」
 「ノー残業 趣味なし金なし 居場所なし」
 「手間暇を 掛けてインスタ 冷める飯」
 「顔認証 今では無理な クラス会」
 「『また残業』 俺のツイート 妻いいね!」
 「家にいて 娘と会話 ラインにて」
 「よく切れる スマホの電池 うちの妻」
 「叱っても 褒めても返事は 『ヤバイッス!』」
 「どう耐える 百年時代 恐妻家」
 「コインより 仮想に近い 夫婦仲」
 「休日に 働き方の 打ち合わせ」
 「効率化 他部署に負担が 移動した」
 「上司から ともだち申請 見ないふり」
 「ちょっといい? ちょっとで終わった 試しなし」
 「意見出せ 出したとたんに 担当者」

・・・まぁ、皆さんよくこんな悲哀に富んだ作品を考えるものです。
これ以外に、私がなるほどと思ったのは・・・。
 「ゴール前 延びる定年 老い越せない」
 「"やせなさい" 腹にしみいる 医者の声」
 「趣味探し 定年前の 大仕事」
 「いい数字 出るまで測る 血圧計」。

ネガティブ100%

世の中には、様々なアンケートが氾濫していますが、二者択一で「完封」というのは、見たことがありません。
   ネガティブ100%
高知商業高校の野球部員が、同じ学校のダンス同好会が主催する有料の発表会にユニフォーム姿で出演したことで、日本高野連が処分を検討する事態になっていたことが分かりました。
ところが、SNSでは「意味が分からない」「甲子園も無料にするべきでは」など、日本高野連の対応に対し批判一色になっているそうです。
特に、地元の高知県の皆さんはかなり怒っているようです。
報道によると、先月、ダンス同好会が高知市内の会場を借り、500円の入場料を取る形で発表会を開催。
チアガールとして応援してくれたお返しに、と野球部員がユニフォーム姿でゲスト出演し、試合を再現するなどのパフォーマンスを披露したそうです。
これだけなら高校生らしい微笑ましい話のはずですが、問題となったのは「日本学生野球憲章」。
第2条で「学生野球は、学生野球、野球部または部員を政治的あるいは商業的に利用しない」と定めており、高知商の部員が有料のイベントに出演したことが、これに抵触するのではないかと問題視されているという・・・。
一般的な感覚からすると、高校生の同好会が主催する発表会の入場料が「500円」であれば、会場費やパンフレット代などの実費がほとんどだと考えられ(それでも赤字かもしれません)、これが「商業的に利用」なのだとすれば違和感があるということでしょう。
ところが、高野連は、高知商野球部長の謹慎処分が相当として日本学生野球協会に上申したそうです。

この問題が報じられると、SNSではユーザーからの意見が殺到したそうです。
.この「高野連が名門野球部の処分問題」のネガポジは、【100%ネガティブ】という結果になったそうです。
要は、全員が「おかしい!」と思っているということです。
「有料の甲子園大会にはチアリーディング部や吹奏楽部が動員されているのに、野球部員が同じことをしたらダメってどういうこと?」
「これなら高校野球は全て無料にしないと筋が通らない」。
高野連に対する批判と、高知商野球部に同情する声ばかり。
バカな大人たちがいたものです。
暴力やいじめは、どの世界でもご法度ですから、厳格に対応すべきです。
ところが、憲章というのは、自分たちが(勝手に)決めたルールで、世間一般では特に問題にならないことです。
明らかに、政治的でも商業的でもありません。
このルールの立法趣旨を理解していれば、どうしたら良いかは、実に明確なはずですよ。
それこそ健全な高校生の行動ではありませんか。
高野連が「高野連(こうやれ)」というのは、筋は通りません。
高校生は「高野連(こうやれん)」と言うでしょう。
かの大岡越前守も激怒しますよ。
 

落語「居酒屋」

「居酒屋」といえば、真っ先に浮かぶのは「三代目三遊亭金馬師匠」です。
この噺は、文化3(1806)年刊の笑話本「噺の見世開」中の「酒呑の横着」が原話です。
落語「居酒屋」本来、続編の「ずっこけ」とともに、「両国八景」という長い噺の一部だったようですが、三代目金馬師匠が一席噺として独立させました。
金馬師匠の速記にも、「ずっこけ」をつなげて演じているものもあるそうですから、「ずっこけ」とセットなんですね。
縄のれんが掛かっていて酒樽をイス代わりにして、小僧さんと番頭さんが仕切っている
居酒屋が有ります。居眠りをしている小僧さんに客足のない店です。
盲縞の長半纏、湯屋帰りか濡れ手ぬぐいを肩に引っかけ、頭で暖簾をかき分けて入っ
てきます。
「へ〜ぃ。宮下にお掛けなさぁ〜ぃ」
「立派な大神宮様の下で宮下、駅の名前のようだな」。
「小僧さん、お酒を持ってきてくれ」
「お酒は清(す)んだんですか、濁ったんですか」
「お前は俺のナリを見るな。酒は清んだんだよ」
「上一升ぉ〜」
「チョット待ちなよ。一合でイイんだよ」
「へへへ、これは景気付けです」
「驚いたよ、酒の一升には驚かないが、懐の一升には驚くよ」
「おまちどうさま〜」
「チョト待ってくれ。湯のみを貸してくれ。それでイイ。おいおい直ぐ行くなよ。1回ぐらいお酌
をして行けよ」
「誠に申し訳ありません。混み合いますので、お手酌でお願いします」
「混み合いますと言うけれど、客は俺一人だよ」
無理矢理小僧さんにお酌をさせて指を見ると、
「汚い手だな、ベースボールのグローブみたいだ。でも本革で継ぎ目無しだ。お前の指は親指だけだな、まるでバナナの房みたいだ。でも、ぎっちりと実が詰まっているんだろう。月夜に捕れたんじゃないな」
「カニじゃないですよ」
「こんなに注いじゃって。口からお迎えだ。この酒は酸っぱいな。甘口辛口は知っているが、スッパ口は知らないな。他に酒は無いのか。仕方が無い、もう一杯」。
「ご酒代わり〜」
「お肴は如何ですか」
「誰がいると言った」
「要らないんですか」
「要らないんではないよ。もう少しユックリさせろよ。肴は何が出来るんだ」
早口で「へ〜ぃ できますものは、 汁(つゆ)、柱、鱈昆布、アンコウのようなもの、 鰤(ぶり)にお芋に酢蛸でございます。へ〜ぃ」
「早くてチットモ分からない。もう少しユックリやってくれ」、小僧さんユックリともう一度言った。
「最後の『ぴ〜』と言うのがあって前がよく分からない。何でも出来るんだな。では、『ようなもの』を一人前持って来い」
「そんな事言いませんよ」、もう一度言うと、中で言っていた。
小僧さん笑ってごまかし、これは口癖です。
「酒の代わりだよ」
「ご酒代わり〜イチ〜」
「もう一度『ぴ〜』と言うのをやれよ」
「お品書きは小壁に張ってあります。どれでも出来ますからご覧になってくだ さい」
「では、口上を一人前持って来い」
「それは出来ません。その次からで来ます」
「『とせうけ』は食ったことがないが何だ」
「あれは『どぜう汁』と読むので、濁点が打ってあります。イロハには、濁点を打つとみな音が違います」
「イの字に濁点が付けば何と読む」
歯をむき出しにしたが読めない。
「ロはどうだ、ではマは?」
「点が打てない字ばかりを選ってますよ」
「読めないから、バナの頭に汗かいてるな。鼻の横にテンテンがあるだろ」
「ホクロです」
「『元請け現金に付き貸し売りお断り申し上げ候』を一人前持って来い」
「そんなもの出来ませんよ」。
「お酒の代わりだよ」
「ご酒代わり〜イチ〜。突き当たりの棚に並んでいる物をご覧なさい」
「行くのは面倒くさい。あの棚こっちに持って来い。だめか。赤くなって下がっているのは何だ」
「タコです。 ゆでた物は何でも赤くなるんです。海老でもシャコでも蟹でもなんでも」
「猿のケツもゆでたのか。タコの足は何本あるんだ」
「8本です」
「偉いな。ではイボは幾つある。分からなければ今度数えておけ」、
「大きな口を開いて吊り下がっているのは何だ」
「アンコウです。鍋にしますとあんこう鍋」
「それじゃ、その隣に印半纏に鉢巻をして出刃包丁を持っているのは?」、
「うちの番頭です」「あれを一人前持ってこい。番公(=アンコウ)鍋てえのができるだろう」。
落語「居酒屋」

ついでに、続編「ずっこけ」も。
居酒屋で小僧をいたぶったりして長っ尻をし、看板になってもなかなか帰らない酔っ払いを、たまたま通りかかった友達がやっと連れ帰る。
よろよろして歩けないので、ドテラの襟をつかんでようやく家までひきずっていき、かみさんに引き渡そうとすると、ドテラだけ残って当人が消えている。
あわててさがすと、往来で裸でグウグウ。
かみさんいわく、「よく拾われなかったわねえ」。
・・・さて、江戸市中に初めて居酒屋が現れたのは、 宝暦13(1763)年とされているそうです。
それ以前にも、神田鎌倉河岸の「豊島屋」という酒屋が、田楽を肴に出してコモ樽の酒を安売りしたために評判になったという話がありますが、 これは、正式な店構えではなく、店頭でキュッと一杯やって帰る立ちのみ形式で、酒屋のサービス戦略だったようです。
初期の居酒屋は、看板に酒旗(さかばやし)を立てて入口に縄のれんを掛け、店内には樽の腰掛と、板に脚をつけただけの粗末な食卓を置いて、肴も出しました。
「一膳めし屋」との違いは、一応飯が看板か、酒が主かという点ですが、実態はほとんど変わりなかったようです。
♪もしも嫌いでなかったら 何か一杯飲んでくれぇ♪
の世界とは違って、色気はなかったかもしれません。
柳家はん治師匠が、桂文枝師匠創作の「ぼやき酒屋」という噺をお演りになりますが、よく似た舞台設定の噺で、笑わせてくれます。

2019年1月22日 (火)

今日だけ、今日だけ

人間ドックが終わったから、今日だけ、今日だけだから。
今日だけ、今日だけ
こってり塩ラーメン。
また明日から、節制するから。
今日だけ、今日だけだから、許してください。
・・・と、自分に言い聞かせています。

カレーライスの日

今日は何の日?
カレーライスの日
日本人の大好物と言えば、ラーメン、ハンバーグ、餃子、寿司、そしてカレーでしょう。
老若男女、全国津々浦々、四季を問わず、みんな大好きです。
今日は「カレーライスの日」だそうです。
えっ?どうして?
1982(昭和57)年のこの日、学校給食創立35周年を記念して、全国学校栄養士協議会が学校給食試食会を実施。
全国の小中学校の児童約800万人にカレーライスの給食が出された。
そこで、この日を「全国一斉献立カレーライスの日」とした。
1976年(昭和51)年に正式導入された米飯給食の普及にも大いに貢献し、不動の国民食としての地位を獲得した。
また、カレーを製造する事業者の全国団体である全日本カレー工業協同組合がこの日を「カレーの日」に制定。
国民食と言われるまでに普及したカレーのよりいっそうの普及拡大により、健康で豊かな消費生活の実現に寄与することが目的。

「カレーの日」は2016(平成28)年に一般社団法人日本記念日協会により認定登録された。
改めて、カレーライスについて考えてみます。
カレーライスは、カレーを米飯にかけて食べる料理で、インド料理を元にイギリスで生まれ、日本で独自に変化した。
イギリスでは「Curry and rice」(カリーアンドライス)や「Curried rice」(カリードライス)と呼ばれる。
日本語では省略して「カレー」と呼ばれることが多い。
ラーメンと並んで「日本人の国民食」と呼ばれるほど人気がある料理で、小中学校の給食メニューの人気アンケートでも常に上位に挙げられている。
日本で初めて「カレー」という料理の名を紹介したとされる書物は1860(万延元)年に出版された福沢諭吉の「増訂華英通語」で、「Curry コルリ」という表記がある。
1926年(大正15)年に大阪ハウス食品が、カレー粉・小麦粉・油脂・旨味成分などを固形化した「インスタント・カレールウ」を「ホームカレー粉」の商品名で発売。
1927(昭和2)年、東京の「新宿中村屋」が喫茶部を開業し、「純インド式カリ・ライス」を80銭(当時の大衆食堂のカレーライスの10倍の値段)で出した。
日本で初めての本格的な「インドカレー」で、高値にもかかわらず1日300食を売り上げた。


落語には、「道灌」で「ライスカレー(江戸っ子だから、レエスカレー?)」が出て来ます。
黄色い山吹の花の絵を見て、カレーだと思う訳です。
しかし、私は前からちょっと違和感があります。
ですから、私が「道灌」を演るなら、「ライスカレー」ではなくて「カボチャの安倍川」で演りたいと思います。
hh
江戸時代には、庶民にはまだカレーは馴染みではなかったと思いますので。
「お恥ずかしゅうございます」・・・。

ランチタイム

昨夜7時半過ぎから"断食"をしていました。
やっと食事にありつけます。
ランチタイム
相変わらず豪華な料理が並ぶ膳です。
「こんなに食べていいの?」とも思いますが、断食に耐えたご褒美ということで。
食前酒ならぬ食前バリウムも飲みました。
ついでに下剤ももらって飲みました。
血圧も胴回りも、基準内でした。
午後の面談が残っていますが、解放感に浸っています。

人間ドック

毎年のイベントの中で、憂鬱なものの筆頭かもしれません。
朝早くから、人間ドックに来ています。
人間ドック
万全なら良いのですが、身体のあちこちにあれこれあって。
だから、定期的に通院もしているのですが。
いつもの血糖値だけでなく、今まで指摘されていなくても、血圧や心電図なども気になります。
この歳になると、悪い所を治療して治すというよりは、これ以上悪くならないようにという割り切りも必要でしょう。
人間ドック
スタッフに指示されるままに、最後のバリウム検査まで、無事に済ませました。
あとは、食事と午後の医師との面談です。
バリウム検査では、頭が下になった時に、両側の棒につかまるのに耐えられずにずり落ちるような苦しい場面はありませんでした。
思わず、「今日はひっくり返らなくて良かったんですね」と尋ねてしまいました。
検査担当の方によれば、やはり事故(ずり落ち)もあり、病院にもよるけれども、最近は(逆さ吊り?)はやらなくなったとのことでした。
「助かりました。ありがとうございます」とお礼を言いました。

感性が通じる

先日の「学士会落語会」の新年交歓会では、同窓の先輩や他大学の先輩の何人かとお話をさせていただく機会がありました。
その中で、東大OBの「風呂屋さん助」師匠とは楽しく会話が弾みました。
さん助師匠は、東大落語会「武闘派」の筆頭と言われる名人。
昨年8月の「学士会落語会納涼寄席」では、私が主任で「怪談牡丹燈籠」を演らせていただきましたが、さん助師匠は中入り前で「文七元結」を熱演されました。
感性が通じる
25分以内という、人情噺には厳しい条件の中で、しっかりと時間内で、客席の涙を誘っていました。
そして、中で、羽織を使ったオリジナルの演出もしておられて、大変驚きました。
実は、私も「文七元結」を持ちネタにしていますが、数年前の東大ホームカミングデーでさん助師匠の「文七元結」を聴かせていただいたのが、きっかけになりました。
いろいろ話をして行く中で、私が、噺を選ぶ時には「こんな(大きな・難しい)噺を演っても良いのだろうか」と自問自答(葛藤)がある・・と申し上げると、「いや私もそうだよ」と。
そう、アマチュアのトップレベルにある人ですら、噺の大きさ、舞台、テーマなどを知悉している故に、自身の技量で作り上げられるのかという不安と逡巡は常にあるものなんです。
「そう、そうですよね」と、思わず声を上げてしまいました。
落語(噺)に対する畏怖みたいなもの、言い方を変えれば謙虚さというものは、落語を知れば知るほど戒めて、謹んで行かなくてはいけない気がします。
今まで、「浜野矩随」「鰍沢」「子別れ」そして「文七元結」・・・、いつもどこからか「お前がやるにはまだ10年早い!」と言われているような恐怖を感じながら、それに負けじとやって来ました。
感性が通じる
「さん助師匠、今年は何をお演りですか?」と尋ねると・・・
「いや、まだ誰にも言っていないんだけどね、●●●●●を演ろうと思って・・・」と、嬉しそうに仰いました。
「いいですねぇ。(誰から何か言われるかもしれませんが)楽しみにしています」と申し上げました。
(演目の「●●・・・」は、具体的にお聞きしましたが、今のところは非公開にしておきます。)
最後に、「お互いに良きライバルとして頑張ろう」と、ありがたい言葉も頂戴しました。

某大学の入試出願状況

先日、大学入試センター試験が終了して、いよいよ入試戦線も佳境に入ります。
私は、最近の大学入試事情は皆目分かりませんが、マクロでは学生の数が減少している訳ですから、単純な競争率は落ち着いているんだろうなと・・・。
志願者の動向は、各大学にとっても、大学運営先行指標にもなり、無視できない数字だとは思います。
我が国を代表するマンモス大学の某大学とて事情は同じだと思います。
全体的に志願者数の減少が懸念されているそうです。  
       hh
現在、全学部で出願を受け付け中だそうですが、先週の段階で、夜間を除く全体の志願者数は 3万6312人だそうで、昨年の最終志願者数11万4316人の32%にとどまっているそうです。
hh
就中、 2月25日が出願締め切りの危機管理学部(定員150人)は、志願者数が 327人と昨年の最終数1877人の17%で、全学部の中で最も割合が低いそうです。
昨年5月に、世の中を騒がせる事件があって、この大学の事後対応のまずさやガバナンス(統治能力)の欠如が指摘されるなどして、大学側の危機管理のあり方が問題視されていましたから、仕方ない、否、当然のことでしょう。
だって、漢字の書き方を教える塾が、漢字テストの成績で0点を取ったみたいなものなんですから。
「丸出だめ夫」君から、何を学ぶのかと思ってしまいます。
それでも、定員を2倍以上も超える志願者がいることが不思議です。

「おひろめ寄席」のチラシ

4月21日(日)13時より、豊島区南大塚ホールで「おひろめ寄席」が開催されます。
このイベントは、圓窓師匠が指導されている豊島区内の5つの素人連の共催です。
今年で4回目になるはずです。
とにかく、多くの人たちが関わる大イベントです。
「おひろめ寄席」のチラシ
私は、所属している扇子っ子連・千早亭のメンバーとして、千早亭永久で「長短」を演らせてもらいます。
なんでも、扇子や手拭いを使った仕草のある噺を15分以内でということなので、「長短」に決めました。
まぁ、周囲の雑音に惑わされず、淡々と演ることを心掛けたいと思います。

落語「浮世根問」

「根問(ねどい)」というのは、聞き慣れない言葉です。
「根問」は上方言葉で「根掘り葉掘り聞くこと」です。
この噺は、上方落語の「根問もの」の代表作で、明治期に東京に移植されたもの。
大阪では短くカットして前座の口ならしに演じられますが、初代桂春団治の貴重な音源が残っているそうです。
明治時代にはまだ、東京では「やかん」と「浮世根問」の区別が曖昧で、たとえば、明治期の四代目春風亭柳枝の速記はかなり長く、「無学者」の題で演じていますが、色々な魚の名前の由来を聞いていく前半は「やかん」と共通しているようです。
東京では、師匠の四代目小さん譲りで演じた、五代目柳家小さん師匠のものがポピュラーです。
この噺は、小さん二代が大阪の演出を尊重し、独立した一編として確立したということになります。
原話は、安永5(1776)年刊「鳥の町」の一遍「根問」。
落語「浮世根問」三度に一度は他人の家で飯を食うことをモットーとしている八五郎。
今日もやって来るなり、「お菜は何ですか?」 と聞く厚かましさに、隠居は渋い顔。
隠居が本を読んでいるのを見て八五郎、「本てえのはもうかりますか」と聞くので、
「馬鹿を言うもんじゃない。もうけて本を読むものじゃない。本は世間を明るくするためのもので、おかげでおまえが知らないことをあたしは知っているから、何でも聞いてごらん」 と隠居が豪語する。
そこで八五郎は質問責め。
まず、今夜嫁入りがあるが、女が来るんだから女入りとか娘入りと言えばいいのに、なぜ嫁入りかと聞くと、
隠居 「男に目が二つ、女に目が二つ、二つ二つで四目入りだ」
「目の子勘定か。八つ目鰻なら十六目入りだ」
話は正月の飾りに移って
「鶴は千年亀は万年、鶴亀は死んだらどこへ行きます?」
「おめでたいから極楽だろう」
「極楽てえのはどこにあります?」
「西方弥陀の浄土、十万億土だ」
「サイホウてえますと?」
「西の方だ」
「西てえと、どこです?」
隠居、うんざりして、「もうお帰り」と言っても八五郎、御膳が出るまで頑張ると動じない。
この間、岩田の隠居に、「宇宙をぶーんと飛行機で飛んだらどこへ行くでしょう」と聞くと、
「行けども行けども宇宙だ」とゴマかすので、
「じゃ、その行けども行けども宇宙をぶーんと飛んだらどこへ行くでしょう?」行けどもぶーん、行けどもぶーんで三十分。
向こうは喘息持ちだから、だんだん顔が青ざめてきて、
「その先は朦々(もうもう)だ」
「そんな牛の鳴き声みてえな所は驚かねえ。そこんところをぶーんと飛んだら?」
「いっそう朦々だ」
落語「浮世根問」「そこんところをぶーん」
……モウモウブーン、イッソウブーンで四十分。
「そこから先は飛行機がくっついて飛べない」
「そんな蠅取り紙のような所は驚かねえ。そこんところをぶーん」
とやったらついに降参、五十銭くれた。
「おまえさんも極楽が答えられなかったら五十銭出すかい?」
「誰がやるか。極楽はここだ」と隠居が連れていったのが仏壇。

hh
こしらえ物の蓮の花、線香を焚けば紫の雲。
鐘と木魚が妙なる音楽というわけ。
「じゃ、鶴亀もここへ来て仏になりますか?」
「あれは畜生だからなれない」
「じゃ、何になります?」
hh
「ごらん。この通りロウソク立てになってる」

・・・とまぁ、とりとめのない噺です。
流れとしては「やかん」、荒唐無稽さは「弥次郎」のリズムにも近いかもしれません。
しかし、宇宙を語ったり、来世を語ったりで、実は非常に大きなものがテーマになっている、天文学的な規模の話なのでありますよ。

2019年1月21日 (月)

今年最初の満月

帰宅途中に空を見上げると、綺麗な月が出ていました。
暫く立ち止まって美しい月を眺めました。
今年最初の満月
今夜は、今年最初の満月です。
「スーパームーン」だそうです。
「スーパームーン」は、天文学の正式な用語ではなく、定義もはっきりしていませんが、主に地球と月との距離がとても近く、普段より月が大きく見える時に使われるようです。
今年最も大きい満月は2月20日だそうです。
国立天文台によると、最も大きな満月は最も小さな満月に比べて14パーセント視直径が大きく、30パーセント明るく見えるそうです。

誰も知らない劇場

落語会を開催するのに、事前に一番苦労するのが、会場の確保です。
場所(立地・アクセス)、規模、設備、費用・・・、こちらの都合もありますので。
仙台で開催する落研主催の落語会の会場は、我々が出演するOB落語会も含めて、大学の片平キャンパス内の「さくらホール」が多くなりました。
キャパシティやコストなどはとても良いのですが、大学キャンパスの中で、土曜日(休日)にほとんど人がいない場所ですから、集客には苦労します。
我々の現役時代は、駅前の青葉通り沿いに「日立ファミリーセンター」という家電のショールームがあり、この奥に100名強の固定席のあるホールがあり、重宝していました。
最近では、ライブのためのスペースなどは、東京と同様、数多くあるようですが。
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仙台市のライブホール運営会社が、4月1日、市中心部で154席の小劇場を開設するそうです。
昨年6月末で閉館した映画館を改装し、コンサートやお笑いイベント、映画上映会などの主催者に貸し出すということで、朗報だと思います。
劇場名は「誰も知らない劇場」。
支配人は「40年間にわたって地域文化に貢献した場を受け継ぎ、地域の人たちに親しまれて将来は誰もが知っている劇場に育てたい」と語る。
青葉区中央2丁目の桜井薬局ビルにあった映画館跡を借り、音響や照明設備、映像設備を整備した。
壁や天井を改装する一方、映画館時代の赤い椅子を残し、昭和期のムードを漂わせた。
ロビーにはアルコール類などを提供するバーカウンターを設けた。
4月1日には、グループ企業に所属する歌手によるこけら落とし公演を開く。
同月下旬からの大型連休に合わせ、連続公演も計画している。

・・・落語会には最適ですが、さて料金と混み具合は・・・?

マウンティング?

残念なことに、南米の最高峰の最高齢登頂にチャレンジしていた、三浦雄一郎さんが、登頂を断念して下山するというニュースを聞きました。
ご本人の登頂への気持ちは強かったようですが、医師の判断に従っての決断だそうです。
このニュースとは全く関係なく、ある記事で「マウンティング」ということばに初遭遇しました。
マウンテンというぐらいですから「山」に関係あるのか、しかし、記事の文脈からすると、どうもあまり良い意味では使われていない気がしたので、調べてみました。
少なくとも、マウンテンバイクを使ったスポーツではなさそうです。
「マウントを取る」「マウンティングする」という言葉。
簡単に言うと、「マウンティング」とは、職場や学校で誰かの話に便乗して、自分の優位性をアピールする行為を意味する言葉として使われているようです。
マウントとは「乗っかる」という意味の英語で、マウンティングとは生物学の分野の「背乗り」という行為を意味するそうです。
多くの動物は相手の背中に乗ることで、相手に対して優位性をアピールする傾向にあるのです。
人間の場合は会話を通して自分が優位であることを相手に伝え、上下関係を示すという 行為がマウンティングに当ります。
ちなみに男子よりも、社会で序列を意識されられることが少ない女子のほうが、仲間内で
マウントを取りたがる傾向にあるそうです。
例えば、持ち物の品質や容姿、学歴などで自分より劣る人に対して、自分の勝っている部分を強調し優越感に浸る行為。

マウンティング?
多くの場合、本人は無自覚であることが多いとされています。
そのためマウンティングという言葉は、マウンティングする人というよりも周囲の人がマウンティング行為を指摘する言葉として使われています。
例えば「あの人の自慢話はマウンティングだった」というように。
また、口喧嘩で相手を言い負かすことという意味でも使われることがあります。
そのような場合は「マウントを取る」と表現されることが多く、元々はネットスラングとして生まれた表現のようです。
ネットスラング・・・いやな感じですね。
例えば2人での言い争いの最期に相手を黙らせたほうの人が、「マウントを取った人」と表現されます。
言い負かすという意味で使われるマウンティングは、優位性を示す言葉というよりも、勝利宣言を意味する言葉かもしれません。

・・・しかし、不毛な"勝利"ですね。
このマウンティングする人には特徴(パターン)があるようです。
・高圧的に他人にアドバイスする
・頑固で自己中心的なので他人の意見を素直に聞けない
・自分の行為に相手がどう思うか想像することが苦手
・毒舌家で他人に厳しい言葉をぶつけたがる
・何でも高級志向
・知り合いが多い
・噂話に首を突っ込む
・流行り物が好き
・慰めてくれそうな相手にだけに自虐して見せる
・自信の無さを隠すために必要以上に強がる
・プライドが高すぎて素直に謝れない

マウンティング?
・・・いやはや、思い浮かぶ人が何人かいたりして。
こういう人って、よくテレビに出ていますよね。
マウンテンというのは、背中に乗るという元の意味だけでなく、お高いという意味も含まれているようです。
やれやれ、困った人たちですなぁ。
落語は、こういう人たちを、八っつぁんや熊さんや与太郎がやっつけるんですよ。
あぁ、大岡越前守のお出ましもあります。
そうそう、赤井御門守も、「三太夫、控えておれ」って。

世界最高齢

世界最高齢の男性は日本人だったそうです。
その、世界最高齢の男性だった北海道足寄町のおじいさんが、113歳でお亡くなりになったそうです。
1905(明治38)年7月25日生まれ。
英国のギネスワールドレコーズが、世界最高齢男性に認定していたそうです。
大往生ということです。
世界最高齢 こんな小噺があります。
世界最高齢の男性に、インタビュアーが尋ねました。
「おじいちゃんは、どんな女性が好みですか?」
すると、このおじいちゃん恥ずかしそうに
「わしゃ甘えん坊じゃから、年上の年増が好みじゃなぁ」
残念ながら、おじいちゃんの好みの女性は、この世にはいません。

落語「芋俵」

この噺も「さんぼう」で、そのうちの「どろぼう」の範疇。
またまた泥棒の噺です。
落語「芋俵」別名を「芋泥」。
二人の盗賊が、とある大店に盗みに入る相談をしていた。
「どうだい、ここは芋俵を使ってやろうじゃねえか。」
「どうすんだ。」
「なあに、芋を入れるんじゃねえ。芋の代わりに人を入れて、その店へかついでいくんだ。」「ほう。」
「で、何か忘れ物でもしたとか言って『少々、ご面倒様ですが、この芋俵預かっちゃあくれませんか。後で取りに参りますんで。』とかいうんだよ。」
「それで」
「そうして、わざと芋俵を家に置いておく。夜になってもまさか外に置いとくわけにもいかね
え。家ン中にしまう。で、みんなが寝入った頃を見はらかって、俵から出てきた奴が閂
をはずして、おいらが入るって寸法さ。どうでえ。」
「・・・なるほどオ。こいつあうめえこと考えやがったなあ。・・・だが、それじゃあ、俵に入るのがいるなあ。」
「そうさなあ。・・」

落語「芋俵」
そこで、二人は与太郎を仲間に引き入れ、俵の中に入れてしまう。
計画通りに俵を家の中に入れたまではよかったが、あろうまいことか、店の小僧が、俵を逆さまに置いてしまう。
与太郎「・・・あれ。こまったなあ。上得逆さまだあ。動けねえ。おいおい。何とかしてくれ。」とこぼしている内、とうとう夜が来て店がしまう。
そこへさっきの小僧と下女が「晩飯食べそこねてて腹がすいちゃったねえ。」
「あ、昼間預かっていた芋俵がある。」
「そうだ。一つや二つ食べたってかまやしねえだろう。」と、俵の中に手を入れてきた。
「何だか生温かいねえ。焼き芋かもしれねえ。」
「ちょいと、何だか柔らかいよ。腐ってるんじゃないだろうねえ。」
たまらないのは与太郎で。
「おい。そう、お尻を撫ぜ廻さないでおくれ・・・あ、手が股ぐらに入ってきやがった、あはは、くすぐったくていけねえ・・・・」
と我慢しようと力んだはずみに放屁。
「ああ、気の早いお芋だ。」

・・・泥棒と与太郎の黄金の組合せです。
「転失気」もそうですが、この手の(尾籠な)噺は受けますね。
柳亭市馬さんなど、かなりよくお演りになるはずです。
泥棒のアイデアとしては、悪くはなかったんですが、俵の中に入ったのが与太郎だったのが、失敗の一因でもあるでしょう。
知能犯も、スタッフが揃わないと・・。

2019年1月20日 (日)

ラジオ寄席

今夜は「五代目柳家小さん特集」でした。
五代目柳家 小さん(1915年1月2日 - 2002年5月16日)
長野県長野市出身の落語家、剣道家。
1995年、落語家として初の人間国宝に認定された。
剣道の段位は範士七段。

  ◇「狸の札」         柳家小さん
ラジオ寄席
亡くなって17年、懐かしく思います。
狸は、風貌からも、小さん師匠のトレードマークみたいでした。
  ◇「粗忽の使者」    柳家小さん
ラジオ寄席
今の落語界での柳派の隆盛は、この五代目小さん師匠の存在なくしては語れません。

天覧相撲

今日の大相撲初場所は、「天覧相撲」でした。
「天覧相撲」とは、大相撲を天皇が観戦すること。
古くは女性が相撲を見ることを禁じられていた影響か、皇后は同席しなかったが、現在では天皇両陛下で観戦するようになっている。

天覧相撲
最近は、何事にも「平成最後の」という"接頭語" が付くことが多いですが、天皇陛下にとっても、在位中最後の相撲観戦ということになります。
天覧相撲
昨年は、相撲協会の一連のドタバタで、一度も実現しなかったようですが、ご退位直前の最後の東京場所ですから。
両陛下は今場所で引退した元横綱稀勢の里の今後についてや、力士の出身地、しこ名などについて盛んに質問。
天皇陛下は取組ごとに惜しみない拍手を送り、国技館を後にする際は「きょうは良い相撲をありがとう」と感謝していたそうです。

有難亭新春公開稽古

昨日の香取市佐原の噺っ子連・有難亭の「新春公開稽古」。
我が落語っ子連などの他連のメンバーも加わり、大変賑やかだったそうです。
そもそも、有難亭蝶九さんが、活動の活性化を目指して、昨年1月から始めたイベントです。
発表会ではありませんが、着物を着て、お客さまにも聴いてもらおうという。
私もその気持ちに賛同して、初回も含め3回参加しました。
思えば初回は、蝶九さんと私を入れて4人だけでした。
有難亭新春公開稽古
落語っ子連の千公さんの「松曳き」。
千公さん、公開稽古を楽しみにしていました。
随分力も入っていたので、さぞや熱演だったことと思います。
また、他連の人たちとの交流は、非常に刺激になったことでしょう。
刺激だけでなく、自信にも繋がったと思います。
有難亭新春公開稽古
仕事の関係などで、この1~2ヶ月は稽古に参加出来なかった夢学さんも、はるばる南房総から駆け付けました。
千公さんと2人、同じ千葉県内とは言え、最南端の街から最北端の街で熱演です。
「千早振る」は、自主稽古をの成果が出たことでしょう。
有難亭新春公開稽古
企画、運営、そして実演、大忙しの蝶九さん。
この自主稽古会は、彼女の頑張りで続いていると言っても過言ではありません。
こういう熱い人がいてくれる連は、活動も活発になるし、落語も上達して行くものだと思います。
有難亭新春公開稽古
今回も、牛久亭からも参加して、出演者9人だったようです。
落語っ子連のメンバーでもある学津さんも「親子酒」を稽古したそうです。

稽古ですから、人のを見てアドバイスしたり、自分の参考にしたり、得難い経験だと思います。

1月20日

毎年のことですが、私には1月20日は特別な日です。
今日は、祖父と父と息子の3人の誕生日です。
祖父と父は亡くなってしまいましたが、今日で祖父は119歳、父は90歳、そして息子は30歳です。
今日は、大切な3人のことを思ってお祝いをする日です。
父は、自分の還暦の誕生日に生まれた息子が、唯一の男児の孫でもあり、可愛かったようです。
「我が家の跡取りだ」と目を細めていました。
祖父は、やはり私が初孫で唯一の男児で、それこそ深い愛情を注いでくれました。

時は流れて、私は天使を4人も授かり、自分が祖父や父から受けた愛情を天使たちに注いで行きたいと思います。
おじいちゃん、親父、倅、誕生日おめでとうo(*^▽^*)o
息子は、長男(天使②)から30歳のお祝いをしてもらったようです。

林家正蔵評

評論家の広瀬和生さんの林家正蔵さんのこと。
林家正蔵評
2005年、長瀬智也と岡田准一が主演したドラマ「タイガー&ドラゴン」と共に落語ブームを加速させたのが林家こぶ平の九代目正蔵襲名イベントだった。
3月13日、石原プロや「六人の会」の支援を受けて上野・浅草で行なわれたパレード&お練りの見物人は14万人!
同年1月に十八代目中村勘三郎襲名のお練りが行なわれた直後ということもあり、マスコミはこの話題に飛びついた。
当時、いわゆる「落語通」の間ではあれこれ言われたが、14年近く経つ今、当代正蔵の名はすっかり定着したと言えるだろう。
その正蔵が2008年から国立演芸場で年に一度開いている落語会が「正蔵 正蔵を語る」。
タイトルから先代正蔵(彦六)の演目に挑戦する会と思われがちだが、そうではなく、いろんな芸風の正蔵代々の演目をネタ下ろしする会なのだという。
10回目となる昨年11月25日の「正蔵 正蔵を語る」で演じたのは「一眼国」と「小間物屋政談」。
彦六の演目として知られる「一眼国」はともかく、「小間物屋政談」は少々意外だが、これは六代目の正蔵が演じた記録が残っている。
両国の香具師が一つ目の子を捕まえに行く「一眼国」は、冒頭の香具師と六十六部の会話からラストの裁きのシーンまで一貫して怪談めいた雰囲気が醸し出されていて引き込まれる。
香具師が広い原中を進んでいくと樫の木が現われ、一足ごとにあたりが暗くなり......というところからのスリリングな展開も真に迫っている。
この手の噺がこれだけ似合っているとは意外な発見だ。
「小間物屋政談」は鈴々舎馬桜から教わったという三遊亭の型。
上方へ商いに出た小間物商の相生屋小四郎が、旅の途中で盗賊に襲われた若狭屋甚兵衛を助けた。この若狭屋は宿屋で病死、所持した書き付けにより小四郎と間違われ、遺体確認に向かった大家も小四郎と断定。
女房おときは大家の口利きで再婚してしまい、江戸に戻った小四郎は居場所を失うが、奉行の大岡越前は小四郎に若狭屋未亡人よしとの再婚を提案。
若狭屋は三万両の身代、よしは絶世の美女。
小四郎はこの大岡裁きに大喜びして大団円......。
この物語を正蔵は、登場人物を生き生きと描いて見事に聴かせた。
騒動の原因となって人々を振り回した大家のいい加減さが可笑しく、小四郎の明るさは正蔵自身のキャラに合っていて好感が持てる。
この日の2席は、かつてのイメージからは「似合わない」と思えた噺だ。
それをじっくり聴かせる力量が、今の正蔵には備わっている。
林家正蔵評
・・・正蔵さんは、襲名直後にはよく聴きました。
未だにいじられる面はありますが、広瀬さんのコメントにもあるように、しっかり当代正蔵ワールドが出来上がっていると思います。
けなす人にも、多くはそのリスペクトが込められている気がします。
もう先代三平師匠の出来の悪い倅ではありません。
九代正蔵として、落語協会の副会長として、寄席の特別興行の主任として、認められています。
プレッシャーを跳ね退けた感があります。

落語DEデート

この番組の前の「落語のデンパ」は、あまり面白くありません。
最近はほとんど聴かなくなりました。
つまらない。
オジサンは、今はなき噺家のありし日の高座を聴くのがいい。
 ◇「道灌」     五代目古今亭志ん生
落語DEデート
柳家(立川流も)では、入門したお弟子さんが必ず最初にやるのが「道灌」だと言うのは有名な話。
それだけ、落語の重要なファクターが詰まっているということです。
志ん生師匠のこの「道灌」、(私には珍しく)聴き易く思われました。
随分丁寧にやっているような気がします。
 ◇「浮世床」     八代目橘家圓蔵
落語DEデート
若くて元気な頃の圓蔵師匠の音源。
落ち着かない芸風は、圓蔵落語の特徴。

落語「位牌屋」

この噺も「さんぼう」のうち「けちんぼう」の噺の範疇。
お店の小僧が、旦那の会話を真似て笑いを誘うパターン。
ケチな主人が行商人からたばこをせしめるところや、それをまた小僧が真似るところが、この演目の見せどころ。
落語「位牌屋」
原話は、文政7(1824)年刊の噺本「新作噺土産」に載っている「律義者」だそうです。
子どもが生まれ、番頭の久兵衛が祝いに来ても、経費がかかるのに何がめでたいと、小 言を言うほどのケチ兵衛さん。
お祝いですから味噌汁の具には何か入るでしょうね。
そこに、摘まみ菜を売りに来たので、ムシロの上に開けさせて、値切ると言うより全部で1文と言って怒らせ帰すと、こぼれた菜を小僧に拾わせて味噌漉しいっぱいにしてしまう。
芋屋が来た。
沢山買ってくれればサービスに2.3本お付けしますというと、買ってくれたと思って出してごらん。
ダメですよそれは4文ですから。
旦那が言うには「小僧を使いにやったが、まだ帰らないから、ちょいと煙草を貸しとくれ」、 芋屋「おあがんなさい」、
「いい煙草だ。商人がこんな高い煙草のんじゃいけない。家はどこだい?」

落語「位牌屋」
「神田堅大工町です」
「買い出しはどこでしなさる」、
「多町でします」
「青物の本場だ」
「時には天秤がしなるほど買います」
「それは商売細く長くで結構なことだ。御家内は」
「女房と子供一人です」
「昼飯なぞはどうしている?」
「出先の飯屋で食います」
「そりゃもったいない。梅干しの一つも入れて弁当を持って出なさい。茶とタクアンぐらいはあげるから、ウチの台所でおあがり」
「ありがとうございます」。
「そこにピョコッと出ているのはなんだい」
「あ、これは芋です」
「見せなさい。食うのがもったいないから置物にしたいぐらいだ。時に、これを一本負けておきなさい」。
タバコを一服して、この話をそっくり繰り返す。
三回目に「家はどこだい」と始めたところで、芋屋は同じセリフを繰り返し、悪態をついて帰ってしまう。
嫌がられても4文で芋を手に入れ、煙草をタダで飲むふりをして袂にしまっていた。 
落語「位牌屋」
小僧の定吉に、注文しておいた位牌を取りに仏師屋へやる。
それも裸足で行かせ、向こうにいい下駄があったら履いて帰ってこい、と言いつける。
定吉は先程の芋屋の会話を真似て
「小僧を使いにやったが、まだ帰らないから、ちょいと煙草を貸しとくれ」
「てめえが小僧じゃねえか」
「商人がこんな高い煙草をのんじゃいけねえ。家はどこだい」
「ここじゃねえか」
「何処に仕入に行くんだい」
「位牌の仕入なんて行かないよ」

「家内は多いか」
以後全部まねして、今度は位牌を誉める。
「チョットそこに出ているのは何か」
「位牌だ」
「いい位牌だ。たべるのはもったいないから、置物にしたいくらいだ。形がいい。時に、これ一本負けときな」
「おい、持ってっちゃいけねえ」。
位牌を懐に入れ、ちゃっかりオマケの小さな位牌も分捕って、一目散に店へ。
「下駄は履いてきたか」
「あ、あわてたから片っぽだけ」
「しょうがねえ。そりゃ何だ」
「位牌です」
「同じオマケなら、子供のでは無く・・・、それを何にする」
「なーに、夕べ生まれた坊ちゃんのになさい」。

・・・ちょっとブラックなオチになるのは、「後生鰻」と同じです。
落語「位牌屋」
この噺、師匠のCDにも収録されていたんですね。
面白い噺ではありますが、どうもタバコや位牌という物が、現代受けしないかもしれません。
「さんぼう」というのも、だんだん理解されづらくなっているかもしれません。

2019年1月19日 (土)

3人で神保町

学士会落語会の例会のあとは、新年交歓会でした。
大勢の人が残って、新年のお祝いと懇親を深めました。
お開きになった後で、とん平師匠と志ん昼さんと3人で、神保町の飲み屋さんで二次会。
3人で神保町
落研で1年後輩だった志ん昼さんは、今日正式に学士会落語会の会員になりました。
3人で神保町
こうやって、卒業してそれぞれの道を進んで、時が流れて再び語り合える幸せを感じます。
3人で神保町下戸でも酒が美味く感じます。
学生時代というのは、本当に貴重な時間だったんですね。

学士会落語会

久しぶりに学士会落語会の例会に行きました。
今回は、200人近く、今までの新記録の観客数でした。
学士会落語会の会員も約300人となり、学士会公認の同好会では最多の会員数だそうです。
まことに結構なことです。
学士会落語会
今日は面白かった。
  ◇「転失気」    三遊亭伊織
  ◇「稲川」      三遊亭歌武蔵
                           中入り
  ◇「動物ものまね」江戸家小猫
  ◇「宗論」            三遊亭歌武蔵

元力士の歌武蔵さん。
いつもの相撲の話などもたっぷり聴かせてもらいました。
いつもながら、歌武蔵さんの噺は面白い。

学士会館

それでも時間があったので、学士会館の周りを一周しました。
学士会館
大学発祥の地、東京大学発祥の地。
確か、野球発車乗る地でもあったはず。
学士会館 「学士会館」の看板。
歴史的な建造物。
学士会館
入り口も雰囲気があります。
   学士会館 
1階の談話室の隣の、各大学を紹介する部屋で、母校のブースを確認して、2階の学士会落語会の会場に向かいます。

神保町で

神田神保町のカフェで。
神保町で
学士会落語会の開演までまだ時間があるので、カフェで時間潰しです。
「お江戸あおば亭」の時も使う、すずらん通りのカフェ。
意外にも、いつもよりすいていました。

神田神保町へ

11月の「お江戸あおば亭」以来の神保町。
駅に着いたのは、ちょうど昼下がりでした。
神田神保町へ
有名な店の前には長蛇の列が出来ています。
しかし、よくもまぁこんなに並んでまで待とうと思うものだと、感心するやら、呆れるやら。
神田神保町へ
はじめから無理だと思っていたので、私はすずらん通りのカフェに入ることにしました。
これから、学士会落語会の例会です。

壁塗り?

床屋さんでも、さすがに「いい男」にはなりませんでしたが、さっぱりしました。
何と言っても、来週は「深川三流亭」ですから、無駄な抵抗とは言え、いくらかでも「いい男」に近づこうと、涙ぐましい無駄な努力。
床屋さんから駅に出て、千代田線に乗ると、いました、いました「左官の長兵衛親方」が。
この人は「いい女」になろうとしているのでしょう。
壁塗り?気持ちは痛いほど分かる。
でも、それは、他人から見られないように自分の家か、専門の場所でやりましょうよ。
見ていて・・・別に見ようとしている訳ではありません、とにかく目障りで仕方がない。
恥ずかしくないのかなぁ。
化粧品をブラシ?でかき出していますから、粉が飛んで来やしないかと、とても気にもなります。
まぁ、そんなことは関係ないか・・・。
私が乗る前からやってて、とうとう私が下車する大手町まで壁塗りは続いていましたから、実に30分以上です。
あした順子師匠のように皮膚呼吸が出来なくなって倒れてしまわないか、余計なお世話ですが心配してしまいます。

千早亭落語会のチラシ

3月23日(土)の「千早亭落語会」のチラシが出来たそうです。
千早亭落語会のチラシ
今回は、あみだくじではなく、出演順を決めたそうです。
私は稽古に出られませんでしたので、後で教えてもらいました。
一番最後の出番のようです。

浮世床

今年初めての床屋さん。
「いい男にしてください」って無理を言って。
浮世床
ちょうどテレビでは、テニスの中継で、大坂選手が出ていました。
テレビ画面と私の頭を交互に見ながら、お正月の話やら、相撲の話やら、とりとめのないお喋りを。
散髪から洗髪、髭を当たってもらうフルコース?で、随分前から3600円。
1000円札がなかったので10000円札、せめてもと600円を500円玉と100円で渡しました。
・・・ところが、100円だと思っていたのは、何と1円玉!
色で100円玉と思い込んで。
・・・トホホ(;´д`)  最近、よくあるんですよ。
50円玉と5円玉とか。

落語「幾代餅」

何の勘違いか、何故か女性がやりたがる、女性が好きな噺。
きっと「純愛物語」だと思ってしまうんでしょうね。
落語「幾代餅」
日本橋馬喰町一丁目の搗き米屋六右衛門の奉公人の清蔵は、人形町の玄冶店跡の絵草紙屋で見た、吉原の姿海老屋の幾代太夫の錦絵に一目ぼれして恋患いで仕事も手につかない。
心配した親方は一年間みっちりと働いて金を貯めたら幾代太夫に会わせてやると約束する。途端に、清蔵は元気になってモリモリと飯を食って、前にも増して働き出した。

落語「幾代餅」
すぐに一年は過ぎて清蔵は親方の前へ出て、いくら貯まったか聞くと十三両と二分だ。親方は約束を思い出し、足して十五両にして遊び達者な医者の藪井竹庵先生に指南、案内役を頼み、清蔵の身なりを整えていざ吉原に送り出す。
竹庵先生は搗き米屋の奉公人ではまずいので、清蔵を野田の醤油問屋の若旦那ということにして大門をくぐった。
竹庵先生がなじみのお茶屋の女将に幾代太夫に会いたいと頼むと、幸いにも今晩は幾代は空いていて、女将に義理もあってOKという返事。
清蔵は幾代の大見世に上がり、晴れてご対面となる。
その夜は初会とも思えないもてなしぶりで、清蔵はもう思い残すことはない。後朝(きぬぎぬ)の別れに、幾代は「今度は主は何時来てくんなます」とせがむが、清蔵は搗き米屋の奉公人と明し、一年間、稼いだらまた来ると打ち明ける。
清蔵の真に惚れたのか幾代は来年三月で年季が明けたら、清蔵の所へ行くから女房にして欲しいと、支度金の五十両を預ける。

落語「幾代餅」
夢心地で搗き米屋に舞い戻った清蔵は、幾代との約束を話すが誰も信ずる者などいない。だが、預かった五十両を見せるとみなびっくりだ。
それからというもの清蔵は、「三月、三月」と言っている。
やがて年も改まり、三月も十五日、搗き米屋の前に一丁の駕籠がぴたりと止まった。
中からは文金高島田の幾代が現れた。結びの橋渡しをした竹庵先生を仲人に頼み、二人は晴れて夫婦になった。
落語「幾代餅」
搗き米屋の親方は清蔵を独立させ、両国広小路に店を持たせた。
そこで売り出した「幾代餅」は大評判で名物となり、二人は末永く幸せに暮らしたという一席。

・・・ハッピーエンド。
男版のシンデレラみたいなストーリーです。
確かに、登場する二人は純粋で、この噺も純愛物語の形になっていますが。
落語というのは、男が、男の目で、男を中心に・・・作られたものですから、男尊女卑がベースにあります。
だから、ストーリーだけで、純愛だと言って、それをそのまま女性が演じるのは、私はいかがなものかと思います。
勿論、「紺屋高尾」も同じです。

ペースメーカーが停止?

本当に、真面目に、洒落にならないニュース。
ペースメーカーが停止?
東京港区の医療機器製造販売会社が海外から輸入して販売した心臓のペースメーカー1100台余りが不具合を起こすおそれがあることが分かり、この会社は医療機関を通じて患者の経過観察を行うことになりました。
不具合のおそれがあるのは、医療機器製造販売会社「日本メドトロニック」がアメリカから輸入して販売した心臓のペースメーカーで、「メドトロニック Adapta DR」と、「メドトロニック Adapta VDD」、それに「メドトロニック Versa DR」の合わせて1158台。
これらの製品は平成29年7月28日から今月7日にかけて、医療機関など全国526の施設に出荷されましたが、一定の条件の下で停止するおそれがあるということです。
今回のペースメーカーは海外で、去年の秋以降、停止したケースが4件起きているということです。
国内では今のところ健康被害の情報はありませんが、会社では、医療機関を通じて患者の経過観察を行うことにしています。
会社では、患者の体内から取り出さず、製品に内蔵されたプログラムを無線通信で修正することを検討していますが、患者の状況次第ではペースメーカーの交換が必要なケースもあるということです。 
・・・ちょっと待ってよ、冗談じゃないよ。
海外産の物は、どうも信用出来ないなぁ。
やはり「made  in  JAPAN」でなくては、と思ってしまう。
五臓六腑、どれも不調、不全になるのは大変なことですが、心臓は特に洒落になりません。

2019年1月18日 (金)

東京落語会

開演時刻を少し過ぎてから会場に。
「寿獅子」をやっているので、終わる頃にと思って。
ところが、まだ終わっていない様子なので、客席の入口で暫し待つことに。
縁起物なんでしょうが、どうも良く意味が分からない。
(無知ですみません。)
寿獅子そこで調べました。
獅子舞は、古来より悪魔を払い世を祝う縁起物として、全国各地で重用されています。
寿獅子舞は、五人(またはそれ以上)で構成され、太鼓・笛・鉦の伴奏で演じられます。
初めに獅子が舞い、お祓いお清めをします。
次に福徳の神でもある大黒様がお祝いの辞を言上し、これに触れれば幸運が訪れると云われる「打出の小槌」を振り、福を授けます。
その間、ひょっとこやおかめさん、もしくはその両方のお面をかぶった"両面"が道化で踊ります。

    東京落語会
そんなことで、今日はとにかく中入り前が長かった。
兼好さんも、いつものような爆笑ではなかった。
世之介さんも、どうなんだろう。
米助師匠の「藁人形」の長いこと。
先代古今亭今輔師匠の十八番ですが、噺に入り込んで行けない感じでした。
東京落語会
それにしても、この落語会の観客の少なさは、再検討の余地ありだと思います。
会員をシャッフルしたら良いと思います。
高齢化が進み過ぎています。
それから、観客も、途中で帰らず、主任までしっかり聴けよ。
噺家さんにも失礼です。
帰りが心配なら、夜の落語会に来るなと言いたい。
東京落語会
中入後の文治さんと市馬さんの「大分落語会」で、何とか楽しめましたが。

明日は有難亭公開稽古

明日(19日)午後1時より、佐原の有難亭の「新春公開稽古」が開催されます。
明日は有難亭公開稽古
香取市佐原の小野川沿いのやまゆサロンで。
有難亭のメンバーに加え、牛久亭や神栖亭からも参加予定。
我が落語っ子連からも、千公さんと夢学さんが参加します。

26日は「深川三流亭」

1月26日(土)午後2時より、江東区古石場文化センターで、「第12回深川三流亭」を開催します。
深川三流亭のチラシ
前回(昨年7月)は、台風の直撃で、ご来場者も普段の半分近くでしたが、今回は、大雪にならないことを祈るのみ。
(写真は前回、嵐の中での落語会)


深川三流亭グラフィティ深川三流亭グラフィティ
深川三流亭グラフィティ深川三流亭グラフィティ
深川三流亭グラフィティ深川三流亭グラフィティ
深川三流亭グラフィティ深川三流亭グラフィティ
当日の番組は以下のとおりです。
     【第12回 深川三流亭】
   ◇「親子酒」     三流亭学津
    ◇「十徳」       三流亭蝶九
    ◇「河豚鍋」      三流亭新参
    
◇「天災」        三流亭流三

    ◇「野ざらし」      三流亭百梅
                中入り
   
 ◆「お楽しみ」     三遊亭圓窓
    ◇「松曳き」      三流亭千公
    ◇「千早振る」    三流亭夢学
    ◇「時蕎麦」      三流亭越児
    ◇「二番煎じ」    三流亭窓口
プログラムの表紙
・・・ぜひともご来場ください。

電動飛行機?

アメリカ大手航空機メーカー「ボーイング」と経済産業省が、電気で飛ぶ旅客機の技術協力で合意、署名式を行ったそうです。
「電気飛行機」「電動飛行機」?
「電気飛行機」なんて、「電気掃除機」の親戚みたいな響きですが。
ジェットエンジンではなくて、電気モーターで飛ぶ飛行機・・?
電動飛行機?
電動航空機の開発に必要なモーターやバッテリー、インバーターなど関連する最先端技術は、日本企業が持っているそうです。
(さすが技術の日本)
電動飛行機?
電動航空機は、電動モーターを機体の後方に一列に設置、翼と機体が一体化したデザインで、旅客機として使う場合には、シートの数も格段に増やせるそうです。
また、騒音が少なく、運航費用とCo2の大幅な削減も期待できるとして、2030年代に、100人から200人乗りの旅客機の実用化を目指していると。
・・・騒音と環境にも優しいということですね。
しかし、あの「地下鉄漫才」で「地下鉄の電車は何処から入れたのか」で一世を風靡した「春日三球」師匠なら、この電気飛行機のことを心配するでしょうね。
「ソケットが外れたらどうするの?」って。
(こんなギャグがありましたよね)

横綱の引き際

今回の横綱稀勢の里の引退で、横綱の「(潔い)引き際」について、様々な議論があるようです。
この引き際の潔さは、一体どこから来ているのでしょうか?
横綱の引き際のルーツ横綱の引き際は潔くあるべき。
そんな美学は、大正時代の名横綱・栃木山から始まった。
3連覇を果たした後、1度も土俵に上がらないまま引退した鮮やかな引き際は、引退から6年後の第1回大日本相撲選士権で、現役の横綱・大関たちを倒して優勝したエピソードでさらに彩られた。
栃木山の弟子の栃錦をはじめ、何人もの横綱たちがこの引き際を踏襲し、称賛されたことから、いつしか潔さこそが横綱「理想の引き際」として揺るぎないものとなった。
横綱には引き際以外にも「かくあるべし」という理想がある。
「受けて立つ相撲を取るべし」「毎場所優勝争いに絡むべし」「品格ある行動をとるべし」などなど。
その多くは、常陸山、栃木山、双葉山など、過去の伝説的な横綱たちの理想的な姿から選りすぐられたものだ。
それらがあいまって理想の横綱像が形作られ、すべての横綱が、それに近づくことを求められる。
しかし、実際にはほとんどの横綱が、理想の横綱像と現実の自分とのギャップにもがき苦しむ。
それも無理はない。
そもそも横綱昇進の基準が「2場所連続優勝」という成績が中心で、理想の横綱像に近づけるかを考慮していないからだ。
ところが、昇進した途端、理想の横綱像に近づくことを当然のように求められる。
じつに理不尽なことだ。

・・・確かに、稀勢の里も、「大関(まで)と横綱の景色は全く違っていた」というニュアンスのコメントをしていました。
そもそも「武士道」みたいなものに行き着くのでしょう。
ところで、横綱栃木山はどんなお相撲さんだったのか?
横綱の引き際のルーツ
栃木山は、体重103kgの「史上最軽量横綱」ながら大正時代に無敵を誇り一時代を築いた力士。
引退から6年経って全日本力士選士権に年寄・春日野として出場して現役力士らを向こうにまわして優勝。
また、筈押しのスピード相撲を完成させて、兄弟弟子の大錦とともに「近代相撲の先駆者」といわれる。
明治44(1911)年2月の初土俵以来連勝を続け、大正2(1913)年5月の幕下まで21連勝。
入幕までにわずか3敗のスピード出世。
大正4(1915)年1月に新入幕。
大正5(1916)年5月、新三役(東小結)で、8日目に無敵を誇った太刀山の連勝記録を56でストップさせる大殊勲。
大正6(1917)年5月、大関昇進、同場所に初優勝し以後5連覇。
連覇中の大正7(1918)年5月、横綱に昇進。
その後4回の優勝を積み重ねるが、3連覇した翌場所の大正14(1915)年5月直前に突然引退を表明。
これから何回優勝を積み重ねるのかと思われていた矢先。
最後の出場場所となった大正14(1915)年1月は10勝1分で負けなしの優勝。
横綱在位成績は115勝8敗6分3預22休、勝率9割3分5厘。
横綱在位勝率9割を超えた最後の横綱。

(因みに、稀勢の里はちょうど5割でした。)
左利きだった栃木山は左筈、右おっつけで、相手にまわしを取らせず自分もまわしを取らない徹底した鋭い押し相撲を完成。
https://www.youtube.com/watch?v=0NdMV0sv_rA
腰を割り、鋭いすり足により勝負が決した時には土俵に2本のレールのような線が出来ていたといわれる。
(それでよく「電車道」って言うのかなぁ。)
相撲の型を完成した最後の力士といわれる。
また、鋭いスピード相撲により近代相撲の先駆者ともいわれる。

・・・あの横綱栃錦の師匠筋に当たるんですね。
私の記憶にある突然引退して驚いた横綱は「佐田の山」です。
「えぇ?先場所優勝しているのに?」と、子ども心に思いました。
1967年11月場所では12勝3敗で5度目の優勝。
1968年1月場所では13勝2敗で連覇を果たした。
ところが、同年3月場所で序盤3敗を喫するとあっさり引退を発表。
まだ30歳になったばかりで悲願だった連覇を達成した直後だったことから周囲に激震が走り、「高見山大五郎(前頭4枚目)に金星を献上したことが悔しかったのではないか」という憶測まで流れたが、佐田の山自身は「弟弟子の北の富士(大関)に敗れて初優勝を許した時点(1967年3月場所)で(引退を)考えていた」という。
戦前に栃木山・常ノ花といった出羽海部屋の名横綱に見られた「引き際の潔さ」という伝統を受け継いだとも言われた。

・・・なるほど、「引き際」は出羽海一門の伝統だったんですね。
稀勢の里を辿ると、田子の浦→鳴門→二子山→花籠→二所ノ関ということになりますが。

「地震」が出てくる噺

阪神淡路大震災から24年経ちました。
昨年は、豪雪、地震、集中豪雨、河川決壊、洪水、土砂崩れ、竜巻、台風・・・と、日本は数多くの自然災害に襲われました。
ところが、落語には、あまり自然災害が出て来ない気がします。
「地震」「台風」「洪水」「噴火」・・・。
決して江戸に関係ないことはないはずです。
特に地震や大雨(洪水)はあったし、例えば、富士山の噴火だって影響はあったはずなのに。
「地震」が出てくる噺
災害で唯一多くあるのは「火事」です。
「厩火事」「さんま火事」「鼠穴」「富久」「味噌蔵」「二番煎じ」など。
さすがに"江戸の華"と言われた火事だけに、名作ばかりです。
それでもと思い「地震」を探すと、いくつか小噺を見つけました。
【地震加藤】
清八という男、主人の子供の我儘に腹を立てて殴ったばかりに主家をしくじる。
強情で詫びに行こうともしないので、隠居が地震加藤の話をする。
「昔、加藤清正は、小西行長や石田三成に妬まれ、中傷されて太閤から勘気を蒙った。しかし、清正はじっと我慢し、桃山の大地震の時に真っ先に太閤のもとへ駆けつけて勘当を解かれたそうだ」
これを聞いた清八は、その日から地震や火事を捜し回り、自分の家の前で火事があると、一里も離れた主家へ駆けつけ、「清正が桃山の地震の時に」と一人で騒ぐ。
旦那がこれは「地震加藤」の話だと分かり、その心掛けが嬉しいと勘当を許してくれた。
「その代わり、わしが死んでも、倅の代までも勤めてやっておくれ」
「旦那を太閤さんと思うくらいですから、ワンパク(関白)の代まで勤めます」

・・・これは二代目桂文之助の作だそうです。
【地震茶漬け】
夜中に両親が"はげんで"いると、子供が目を覚まして、
「おっかあ、箪笥の把手が鳴ってるが、何だい」
「いや……その……地震だよ」とごまかした。
翌朝、食事をしているところへ、子供が目を覚まして障子を開け
「あっ、夕べの地震が茶漬食ってる」

・・・これは上方ネタのようです。
東京では「飯を食ってる」というオチで「地震」と呼ばれます。
何を「はげんでいる」のかは、私にはよく分かりません。
「地震」が出てくる噺
【地震と雷】
地震と雷がお茶屋で散財。
一階の地震と、二階の雷が、それぞれ相手がやかましいので、相手の部屋を覗き込んだりしていたが、偶然顔を会わせてしまった。
「そこにいやるは、落ちゃるじゃないか」
「揺らしゃるか」

・・・「落ちゃるか」とも言われるようです。
これは、芝居を知らないと分からない。
忠臣蔵の七段目の名台詞。
「そこにいやるは、お軽じゃないか」
「由良さんか」  のパロディということです。
【地震と夫婦】
「おかみさん、夕べはひどい地震だったね」
「そんな言い方ないでしょ」

・・・1773(安永3)年「坐笑産」の「いきすぎ」。
かみさん、夕べ激しかったコトをひやかされたと思った。
また良く意味が分からない。
・・・師匠の創作「揺れるとき」は、三遊亭圓朝と安政大地震ぎ出て来る長講です。
落語は江戸(時代)の庶民の平和な暮らしが舞台なんですね。
「その当座 昼も箪笥の 環が鳴り」っていう川柳がありました。
あぁぁ、俺は短命だ。

寒波襲来!

さぁ、いよいよ真冬の寒さになりそうです。
寒波襲来!
来週中頃にかけてはまだ暖かいようですが、来週末は西から強い寒気が流れ込んで、一気に真冬の寒さになりそうです。
最新の1か月予報をもとに、1ヶ月の予測だそうです。
【1週目(1/19~25)~高温傾向続く】
来週にかけての気温は、北日本では平年並みで、厳しい寒さの日が多い見込み。
東日本や西日本、沖縄・奄美は平年より高く、寒くなっても長続きしない。
北・東・西日本の日本海側では雪や雨の降る日が続き、特に20日から21日にかけては荒れた天気となって降り方が強まりそう。
北日本の太平洋側は気圧の谷の影響を受けやすいが、東日本から西日本の太平洋側は晴れる日が多い見込み。
空気の乾燥した状態が続くため、火の取り扱いに注意が必要。また、インフルエンザが猛威をふるっているので、手洗いなどの予防を徹底すること。
【2週目(1/26~2/1)~一転低温傾向に】
来週末からは一転、西から強い寒気が流れ込む。
気温は、北日本は平年並みだが、東日本や西日本、沖縄・奄美は平年より低い。
1年の中でも寒さが最も厳しくなる時期であるうえに、高温傾向の1週目との気温差も大きく、体にこたえそう。
気圧の谷の影響を受けやすい北日本では、日本海側は雪や雨の日が多く、太平洋側も晴れの日が少ない見込み。
東日本や西日本では冬型の気圧配置が強まりやすく、日本海側では曇りや雪、雨の日が多い一方で、太平洋側は晴れの日が多い。
日差しが届いても強い季節風の吹く日が多く、寒さに拍車をかけそう。
【3~4週目(2/2~15)~寒気の影響続く】
2月前半の気温は平年並みの所が多い。
立春を過ぎても、まだまだ厳しい寒さの日が多くなりそう。
沖縄・奄美は平年並みか高く、春の気配を感じられる日もある。
北日本は気圧の谷の影響を受けやすい。
日本海側は平年に比べ曇りや雪の日が多く、太平洋側は晴れの日が少ない見込み。
東・西日本の日本海側では曇りや雪または雨の日が多く、東・西日本の太平洋側は晴れの日が多い。

・・・やはり冬は冬。
真冬に寒いのは当たり前ですが、寒さが激しかったり、雪が降ったりしないように、祈るばかりです。

今日は東京落語会

もうすっかり、唯一定期的に行く落語会になってしまいました。
もっと精力的に行かないといけないと思いますが、なかなか・・・。
今日は東京落語会
今月は、新春の会ですから、最初に「寿獅子」があります。
私はどうも苦手で、ご祝儀を獅子の口に投げ込むなんて・・・。
獅子舞いが終わる頃に行こうかと。
何故か、新年に「掛け取り」がトリだと言う。
しかも、柳亭市馬さんですから、得意の歌がどっさり入って賑やかになるでしょう。
三橋美智也かな?

落語「いかけ屋」

ちょっと順番が狂ってしまいました。
今日は、上方噺としてポピュラーな噺です。
「いかけ屋」は、上方落語の演目で、「いかけや」「鋳掛屋」とも表記します。
歴代桂春團治のお家芸として知られています。
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東京では、先代の桂小南師匠の十八番でした。
いかけ屋が商売の準備のため、火を起こしているところに、近所の悪童たちが「いかけ屋のオッタァーン」と奇声をあげてやってくる。
悪童たちはいかけ屋を取り囲み、「オッタン。そのプウプウ火ィ起こしてンのは、どういう目的や?」と問う。
いかけ屋が「カネを湯ゥに沸かしてる(いかけに使う金属を溶融している)んや」と答えると、ある子は「オッタン、造幣局か?」などと言ってとぼける。
悪童たちは他にも「あんさんは、細君(妻)がおわすか?」「お子さんは若子(わこ)さん(=男の子)でやっか? 姫御前(ひめごぜ=女の子)でやっか?」などと、次々と下らない質問をしてからかっては、いかけ屋の反応を楽しむ。
落語「いかけ屋」

そこへさらに「悪ガキの大将」と称される少年が来て「こら、おやじ!」。いかけ屋は気にさわり、「そういうものの言い方するもんやないで。もっと『おっちゃん』とか『オッタン』とか、可愛らしゅう言わんかい」と叱るが、悪ガキの大将は「何ぬかしやがンねん。このヘタ」と平気なものである。
「人間にヘタがあってたまるかい。何の用じゃアホンダラ」と、いかけ屋が聞けば、悪ガキの大将は「石ほじくる(または「塀に穴あける)さかい、カナヅチ貸せ」という。
「そんなもんに貸せるかい。貸したる代わりにな、家帰って、おのれとこの鍋釜の底に、ボーンボーンと、穴あけて来い!」
「そんなことしたら、お父っつぁん、お母ん、怖いがな」
「それくらいのこともできんで、一人前の悪さになれるか。おっちゃんがおまえらの頃は、カナヅチ持って、よう鍋釜の底に穴あけとったわい」
「ははあ、そンで、大きゅうなって(成長して)直しに回ってんのンか」。
いかけ屋は完全にやり込められる。

落語「いかけ屋」

「貸せ。貸せ言うとんのじゃい。貸さんかったら火ィ消すぞ」
「おっちゃんが苦労しておこした火、どないして消すねん」
「へへへ。ションベン(小便)で消したろか」
「ぬかしやがったなこのガキ。消せるもんやったら消してみい」
「ああ。何でもないこっちゃ。おい、市松ちゃんに、虎ちゃんに、みな来い。みな来い」
悪童たちは炉に向かって、一斉に小便を始める。

「あああ、ホンマに消しやがった!」
いかけ屋の嘆きをあとに悪童たちは次の標的、うなぎ屋をめざして駆けて行くのであった。
落語「いかけ屋」

いつも思うのは、日本というのは本当にエコな国だったんですね。
こういう家庭で使う物(衣類や台所道具など)のメンテナンスも、し尿処理も、しっかりリサイクルの形が出来上がっていました。
落語にも、「たが屋」「羅宇屋」「屑屋」「水屋」・・・・。
食べ物ばかりでなく、訪問販売をする商売がたくさんありました。
jj
小南師匠で思い出しましたが、やはり十八番だった「菜刀息子」では、こういう物売りの売り声で、時間や季節の変化を表現していました。
豆腐、鍋焼きうどん、筍、蕗、簾、金魚、西瓜、栗・・・。
 (カラスが)カァ~ッ カァ~ッ・・・
 ト~~フぃ~ッ 豆腐
 「お父っつぁん、夜が明けましたがな。とうとう帰ってきません
 でしたな」
 「女の子じゃあるまいし、心配せんでもイイ。ちょっとぐらい苦労
 すんのが身のためじゃ」。
 火の用~~心 火の用~~心・・・
 鍋ぁ~べ焼~き~うど~ん・・・、ぬくいのどォ~でやす
 (カラスが)カァ~ッ・・・
 砂~ 磨き砂~・・・
 「お父っつぁん、ぬくぅなって来ましたな」
 「ボチボチ春じゃなぁ~」。
 竹ぁ~けの子ッ 蕗(フキ)屋ぁ~竹ぁ~けの子ィ
 麦茶~ 初ッ太鼓~~
 葦(よ)~~しや スダレは要りまへんか~いナ
 スイカ~ スイカ~ 種まで赤ッかいよ~
 金魚~~エ 金魚~~ッ
 栗屋 焼き栗~ 丹波渓の短栗
 甘いミカン 甘いおミカンど~じゃい~
 さや豆ぇ~ 鉄砲豆ッ
 しめ縄 飾り縄ぇッ
 七草あぇッ 七草あぇッ

・・・そして、どの時代にも、いたずら小僧はいたものでした。

2019年1月17日 (木)

今度は火山噴火

今日は、24年前に阪神淡路大震災が起こった日でした。
そんな日に、鹿児島県の口永良部島の新岳で、爆発的噴火が発生したそうです。
今度は火山噴火
東に40キロ以上離れた屋久島の空港近くでも、降灰が確認されたそうで、空港と口永良部島の中間にある屋久島の海岸では白い砂浜を黒い灰が覆ったと。
今度は火山噴火
火砕流も発生したが、幸い集落には達しておらず、噴火警戒レベルはそれ以前の3(入山規制)を維持。
噴石は火口から約1キロ飛び、火砕流も火口から南西と北西側に約1.5キロ流れたが、集落や海岸には達していない。
噴煙は高さ500メートルまで上昇し雲に入った。
気象衛星画像では高さ6000メートルを観測。

今度は火山噴火
新年早々、北では豪雪、南は噴火。
今年も自然災害の心配が続きます。

三島からの富士山

三島駅の手前を走る新幹線から、一部山に隠れた富士山。
三島からの富士山
富士からは、東側に回り込みますから、夕焼けの影になる角度だと思いますので、あまり赤く染まってはいません。

もうすぐ暗くなりそうです。
♪富士の白雪ゃのーえ 富士の白雪ゃのーえ・・・♪

吉原からの富士山

田子の浦、吉原からの富士山の真南からの眺め。
吉原からの富士山
工場や田園越しの富士山は、絵はがきにはないかもしれません。
吉原からの富士山
5時を過ぎようとして、ギリギリのシャッターチャンスだったかも。
まだ雪は少ない・・・。

富士からの富士山

5時近くになり、西日を受ける美しい姿が見えました。
富士からの富士山
そうそう、高校時代の下校時に眺めた富士山です。
夕焼けに映えて、もう少し経つと、山全体が赤くなる。
富士からの富士山
これを見ると「今日も無事に過ぎて行くな」と思いながら、家路を急いだものでした。
富士山だけは、あの頃と変わっていない・・・。

静岡からの富士山

新幹線が静岡駅を通過するとすぐに、左側前方に富士山が見えて来ます。
静岡からの富士山
かなりのスピードで走る新幹線の車窓からなので、なかなか良いショットが撮れません。
電柱や電線、フェンスなどに邪魔されたり、窓に車内の様子が映り込んでしまったり。

この角度からの富士山も美しいと思います。
三保の松原からの角度に近いので、とてもバランスが良い。
4時半を過ぎて、かなり日が西に傾いて来ました。
静岡県は「富士の国」だと思いますね。

伊吹山

大阪からの帰り。
伊吹山
少し早めの新幹線に乗りました。
今日の大阪は、天気も良く、風もなくて穏やかでした。
新幹線が米原に近づくと、空がどんよりとして来ました。
米原駅を通過して関ヶ原近くになると、さすがに雪はないものの、とても寒そうです。
伊吹山は雲に隠れて、山頂付近は雪模様です。

実に瑣末な話

昨夜、少し遅く大阪に着いたので、新大阪駅からタクシーを使うことにしました。
粋?野暮?
新大阪駅からホテルのある場所まで、新御堂筋から御堂筋に入って、今橋を左折して・・・。
だいたい、タクシー料金は2000円前後です。
昨夜は、1960円でした。
私は、2000円(1000円札2枚)を運転手さんに渡しました。
すると、運転手さんは「ありがとうございます」と言いながら、領収書とお釣りをくれました。
見ると、お釣りは50円玉1枚でした。
「運転手さん、10円多いよ」と言うのが正しい対応なんでしょうね。
しかし、私は、黙ってそのまま受け取って下車しました。
勿論、運転手さんも「10円返せ」とは言いませんでした。
さぁ、売り上げの勘定は10円合わなくなります。
きっと、運転手さんが補填するんでしょう。
売り上げに個人のお金で補填することは、恐らくルール違反だと思います。
そのまま杓子定規な解釈をすれば、私は不当利得(不法行為)、運転手さんはルール違反になるんでしょう。
運転手さんの心は、「釣り銭を細かく出すのは面倒臭い」「お客さんへのサービス」・・・?
私は、運転手さんの心を忖度して、「10円多いよ」とは言わない。
軽視する訳ではありませんが、10円が欲しい訳ではない。
この心の中でのやり取りが、大袈裟ですが人情なんだろうと。
私は、あの10円は、車内での楽しい(私はそう思う)お喋りの対価だと思う。(タクシーで、運転手さんと色々話すことが多いので。)
だから、あの50円のうち40円は釣り銭で、10円は木戸銭だと。
・・・まぁ、実にどうでもよい話です。

驚きの「東京かわら版」

「東京かわら版」は、落語ファンにはなくてはならない必需品?となっています。
寄席のバイブル・・なんて言う人もいます。
私も、もう10年以上も購読していますが、あるツイートで、こんな事実を知りました。
落語心中でギャーってなってるのも大概今更だけど、東京かわら版の背表紙がその年の干支になってたん、今知ったー!!!!!
驚きの「東京かわら版」
・・・確かに。
そもそも、毎号を立てていないので分かりませんでした。
しかし、ここ数年のことではないかとも思います。
それにしても、こういうのって、とても日本人らしいと思いますね。
「粋」っていうやつなのかなぁ。
どこかの国のように「俺が、俺が」「俺だ、俺だ」と決して言わない。
何気なく気づいた人に、照れ臭そうに「お気がつきましたか」・・なんて、憎い。

あれから24年

あの大きな地震から、今日で24年になります。
あれから24年
6434人が犠牲になった1995年の「阪神淡路大震災」から17日で24年となり、神戸市中央区の東遊園地で、市などの追悼行事「1・17のつどい」が営まれた。
あれから24年
発生時刻の午前5時46分に合わせ、参加者らは会場に並べられた約5000本の竹灯籠に火をともし、「1・17」と「つなぐ」の文字が浮かぶ中で、黙祷して犠牲者を悼んだ。
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日本は「地震国」。
いつ、どこで、どんな地震が起こるか分かりません。
北海道から九州まで、安心できる場所はありません。
私も、1978年の「宮城県沖地震」を経験しましたし、2011年の「東日本大震災」にも遭いました。
そして、故郷は、今最も危険だと言われている、南海トラフ地震の想定エリアにあります。
天・地・人・・・。
人のみが弱い存在です。
せめて、天地が振りかざす刃を避ける術を持っていたいものです。

落語「居残り佐平次」

「居残り佐平次」は、初代春風亭柳枝の作といわれる廓噺の異色作(大作)です。
別名「居残り」、「おこわ」などとも言われます。
大正時代には初代柳家小せんの十八番とされ、それを学んで創意を加えた六代目三遊亭 圓生師匠の高座が傑出していたと評されます。
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https://www.youtube.com/watch?v=wrj5i__PPks
「居残り」というのは、当時の遊郭において代金を支払えなかった場合、代わりの者(一緒に来た者や家族など)が代金を支払うまで、その身柄を拘束したことを言い、行灯部屋や布団部屋といった納戸に軟禁されるのが普通だったそうです。
舞台は品川宿。
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吉原を北、品川を南と呼んだように、隆盛を極めていました。
貧乏人たちが集まる長屋で、その一人の佐平次という男が品川宿の遊郭に行こうと周りを誘う。
当然、貧乏長屋の住人らに遊郭で遊ぶような金はないが、佐平次は気にするなという。
品川の遊郭にやってきた一同は、佐平次を信じて飲めや歌えで遊び尽くし、一泊する。
翌朝、佐平次は理由をつけて自分はもう一泊する旨を仲間に告げ、皆を帰してしまう。
その後、勘定にやってきた店の者に佐平次は、先程帰った仲間が代金を持ってくるなどと言ってはぐらかし、今度は一人で飲めや歌えで遊び、また一泊する。翌日になり、再び店の者が勘定にやってくるが、やはり佐平次ははぐらかし、また同様に一泊する。
やがて痺れを切らした店の者に詰問されると、佐平次はまったく悪びれず「金は無い」「仲間は来ない」と答える。
店が騒然となる中、佐平次はまったく慌てず自ら布団部屋に入り「居残り」となる。
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やがて夜になって店が忙しくなると、店の者たちも居残りどころではなくなってくる。
すると、佐平次は頃合いを見計らって布団部屋を抜け出し、勝手に客の座敷に上がりこんで客あしらい(幇間)を始めた。
居残りが接待する珍妙さと、佐平次の軽妙な掛け合い、さらに謡、幇間踊りなど玄人はだしであり、客は次々と佐平次を気に入り、佐平次は相伴に預かったり、祝儀までもらい始める。客が引くと佐平次は再び布団部屋へと戻り、また夜になると客あしらいを始め、数日後には客の方から、あの居残りを呼んでくれと声まで掛かるようになってしまった。
本来の客あしらい(幇間)である店の若い衆らは、佐平次の活躍の分だけ、祝儀などをもらえなくなってしまったために、もはや勘定はいらないから佐平次を追い出して欲しいと主人に訴え出る。
佐平次を呼び出した店主は、もはや勘定はいらないから帰るように言う。
しかし、佐平次は理由をつけて居残るようなことを言い身の上話を始めたりする。
仕方なく店主は、さらに佐平次に金を与えるが、佐平次はさらに煙草まで要求して飲ませ、ようやく佐平次は店を出る。
店から離れたところで佐平次は、心配で後をついてきた若い衆に、自分は居残りを生業としている居残り佐平次だと名乗る。
さらに佐平次は店主はお人好しだと馬鹿にするようなことを言ってその場を去る。
急いで店に帰ってきた若い衆は、店主にそのことを話す。
話を聞き激怒した店主は「ひどいやつだ。私をおこわにかけやがったな」 と言う。
それに対し、若い衆が一言。
「旦那の頭がごま塩ですから・・・」

さて、「幕末太陽傳」という映画があります。
     
落語好きにはたまりません。
「居残り佐平次」「品川心中」「三枚起請」「付き馬」「文七元結」「大工調べ」「お見立て」「親子の遊び」「おせつ徳三郎」・・・・、こんな落語の名作の数々が、練り込まれています。
それから、落語を演る立場からも、煙草盆や火鉢や帳場、廓や品川の海、花魁の生態や様々な商売など、実際に動いているのを見られるのも貴重です。
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頃は幕末--ここ品川宿の遊女屋相模屋に登楼したのは佐平次の一行。
さんざ遊んだ挙句に懐は無一文。
怒った楼主伝兵衛は佐平次を行燈部屋に追払った。
ところがこの男黙って居残りをする代物ではない。
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いつの間にやら玄関へ飛び出して番頭みたいな仕事を始めたが、その要領のよいこと。売れっ妓こはるの部屋に入浸って勘定がたまる一方の攘夷の志士高杉晋作たちから、そのカタをとって来たり、親子して同じこはるに通い続けたのがばれての親子喧嘩もうまく納めるといった具合。Photo_3
しかもその度に御祝儀を頂戴して懐を温める抜け目のない佐平次であった。
この図々しい居残りが数日続くうちに、仕立物まで上手にする彼の器用さは、女郎こはるとおそめをいかれさせてしまった。
かくて佐平次は二人の女からロ説かれる仕儀となった。
ところが佐平次はこんな二人に目もくれずに大奮闘。
女中おひさにほれた相模屋の太陽息子徳三郎は、おひさとの仲の橋渡しを佐平次に頼んだ。
佐平次はこれを手数料十両で引受けた。
あくまでちゃっかりしている佐平次は、こはるの部屋の高杉らに着目。
彼らが御殿山英国公使館の焼打ちを謀っていることを知ると、御殿山工事場に出入りしている大工に異人館の地図を作らせ、これを高杉らに渡してまたまた儲けた。
その上焼打ちの舟に、徳三郎とおひさを便乗させることも忘れなかった。その夜、御殿山に火が上った。
この事件のすきに、ここらが引上げ時としこたま儲けた佐平次は旅支度。そこへこはるの客杢兵衛大尽が、こはるがいないと大騒ぎ。
佐平次は、こはるは急死したと誤魔化してその場を繕い、翌朝早く旅支度して表に出ると、こはいかに杢兵衛が待ち構えていてこはるの墓に案内しろという。
これも居残り稼業最後の稼ぎと、彼は杢兵衛から祝儀をもらうと、近くの墓地でいいかげんの石塔をこはるの墓と教えた。
杢兵衛一心に拝んでいたが、ふと顔をあげるとこれが子供の戒名。
欺されたと真赤になって怒る大尽を尻目に、佐平次は振分けかついで東海道の松並木を韋駄天走りに駈け去って行った。
・・・落語を語るに、廓噺を抜きには語れません。
良くも悪くも、我々の世代は、吉原や品川などの色街や遊郭のことは知りません。
残っている写真や絵を見て、想像して舞台設定をするしか術はありません。
人が、柵や義理や金に縛られて、自由に幸せに生きられなかった時代。
しかし、そんな時代をも、落語は肯定し(受け入れ)。活き活きとした人間像を描いています。

2019年1月16日 (水)

寄席の二之席

お正月の寄席興行は、10日からは「二之席」。
まだまだ、落語界はお正月が続きます。
ブログを愛読させていただいている柳家小袁治師匠が出演されている新宿末廣亭。
寄席の二之席
お正月の特別興行だけに、香盤も賑やかです。
この芝居は、柳家小三治師匠が主任。
ところが、師匠の体調もあって、10日間フルのご出演ではなさそうです。
それにしても、寄席文字はいいですね。
寄席の二之席
中入りの後には、おめでたい寿獅子が舞われるようです。
いつも、東京落語会の1月公演でも必ずありますが、見ていてよく分からない。
それから客席に下りて来て、ご祝儀をねだられる?のが苦手です。
寄席の二之席
あ、今週の金曜日は、東京落語会だから、今年もまた・・・。
まぁ、これもお正月風景なんでしょう。

本当にお疲れさまでした

とうとう「引退」を決断しました。
     本当にお疲れさまでした 
何年にも渡って、物凄いプレッシャーに耐えながら、本当に頑張りました。
jj
心から「お疲れさまでした」と申し上げたい。

虎ノ門

会社の周辺は再開発が進んでいます。
虎ノ門
2020年、JR山手線の「高輪ゲートウェイ駅」とともに、もう1つ新駅が東京に誕生する。
東京メトロ日比谷線の「虎ノ門ヒルズ駅」。
2つの駅はいずれも交通の要衝だ。
22年度に全線開通する幹線道路の環状2号(環2)が通る虎ノ門エリア、羽田空港の玄関口となる品川・高輪エリア。

虎ノ門
2つの駅とその周辺再開発は東京の「地の利」を変える可能性を秘めている。
日比谷線の霞ケ関―神谷町間に建設する新駅の名前を「虎ノ門ヒルズ駅」と決めた東京メトロ。
20年の東京五輪・パラリンピック前に利用を始め、22年度の完成をめざす。
東京メトロは「再開発で整備される建物と新駅がつながることを踏まえた」と名前の選定理由を説明する。
新駅とつながる建物とは「虎ノ門ヒルズステーションタワー(仮称)」のことだ。
虎ノ門ヒルズは14年に開業した森タワーに加え、19年完成のビジネスタワー(仮称)、21年完成のレジデンシャルタワー(同)、22年度完成予定のステーションタワーの4棟からなる。
新設する3棟の事業費は合計で約4000億円。
いずれも森ビルが手がける。
虎ノ門エリアの再開発の特徴は交通インフラの整備と一体で進める点にある。
例えば、都心と臨海部を結ぶ環2は森タワーの建物の低層部を貫通する。
立体道路制度を活用し、超高層ビルと道路を一体で整備した。
開発が進む臨海部から築地市場跡地の地下を通り、都心に向かう環2。
虎ノ門ヒルズはベイエリアからの玄関口になる。
ビジネスタワーにはバス高速輸送システム(BRT)のターミナルもできる。
BRTは東京五輪の選手村ができる晴海や、10月に開場した豊洲市場などと虎ノ門を結ぶ。
将来は東京駅に向かうルートも検討されている。
ここに地下鉄新駅が加わる。
新駅は地下通路で銀座線の虎ノ門駅とつながる。
幹線道路や新たな公共交通と期待されるBRT、地下鉄が交わる虎ノ門エリアは東京の新たな交通の結節点になる。

虎ノ門
日本大学の岸井隆幸・特任教授は「東京は、東京駅とそこにアクセスしやすい新宿や渋谷などのターミナル駅でできた街。虎ノ門は全く新しい拠点性を持つことになる」と指摘する。
2つの新駅と再開発は、外国人ビジネスマンらを受け入れる玄関口をめざす点でも共通する。
「高輪ゲートウェイ駅」の再開発では、国家戦略特区を活用して容積率を緩和。
外国人ビジネスマン向け住宅を整備する。
虎ノ門ヒルズでも出張者らが長期滞在できるサービスアパートメントを含め約720戸の住宅を整備。
虎ノ門ヒルズの南にある虎ノ門・麻布台エリアでも森ビルが再開発を計画する。
約1300戸の住宅や都内最大級のインターナショナルスクールを設け、外国人向けスーパーを誘致する。
「エキマチ一体」の再開発で東京と日本の新しい玄関口をめざす2つの新駅。
「高輪ゲートウェイ駅」の再開発は約5000億円、「虎ノ門ヒルズ駅」周辺の3つの新棟は約4000億円をかける。
あわせて1兆円規模の2つの再開発は国際的な金融都市構想を掲げ、さらなる成長をめざす五輪後の東京のけん引役としても期待される。
・・・夢のような話が実現しつつあります。
近隣では、高層ビルの建設工事、道路下では地下鉄新駅の設置工事と、朝から夜まで槌音が響いています。
バブルの直前に、赤坂と六本木エリアに「アークヒルズ」が完成した時、物凄いプロジェクトだと、田舎者は驚いたものでした。
その後、港区を中心に、「・・・ヒルズ」が何ヶ所も完成して、街の様相を一変させて来ました。
遅ればせながら?虎ノ門も、これから大きく変わります。
そうそう、「ホテルオークラ」も、新築オープンする予定です。
鉄道のターミナルではありませんが、マッカーサー道路(環状2号)が東西に走り、霞が関の官庁街に隣接する街として発展して行くのでしょうか?
オジサンはもう到底追いついて行かれませんが。

有難亭の新春公開稽古

今週末の19日(土)、香取市佐原の「有難亭新春公開稽古」が開かれます。
去年の1月から、蝶九さんを中心に企画されて、もう5回目ぐらいになるはずです。
有難亭新春公開稽古
地元情報誌にも採り上げられ、メンバーも力が入っています。
有難亭新春公開稽古
今回は、落語っ子連からも、千公さんと夢楽さんの南房総コンビも参加予定だそうです。

落語「井戸の茶碗」

恐らく、誰もが聴きたがり、誰もが演りたがる最右翼の噺だと思います。
特に、初心者が、自分の技量もわきまえずに演りたがります。
それぞれの登場人物のキャラが立つ、しかも場面転換の多い大ネタだと思います。
私も、まだ決心がつかない噺です。
落語「井戸の茶碗」
江戸時代後期、天明以降に活躍した狂歌師、戯作者であった栗原東随舎の「思出草紙」(刊行年不明)に収載されている噺が基と考えられている。
講談「細川茶碗屋敷の由来」では、千代田は広島藩浅野家の家来だったが同僚の讒言で浪人となるはめに陥り、茶碗の一件がきっかけで熊本藩主の細川家が仲介に乗り出し、その結果旧来通り仕官がかなうという筋書きになっている。
また、細川侯が手に入れた井戸の茶碗は将軍徳川綱吉に献上され、その礼に屋敷を賜ったため、その屋敷を誰言うとなく「茶碗屋敷」と呼ぶようになったという続きがある。 

  落語「井戸の茶碗」  
この噺は、別名「茶碗屋敷」とも称し、講談を人情噺化したもので、天保から幕末期にかけて活躍した初代春風亭柳枝などによって伝えられた。
主な登場人物がすべて実直な善人という明るい人情噺であり、現代では高木による屑屋の顔改めのシーンやサゲなど、滑稽噺の要素も強く、客・演者の側から共に人気の高い古典落語の代表作の一つ。 
志ん朝師匠もいいですよ。
https://www.youtube.com/watch?v=2lHYNJ5wiVk
  落語「井戸の茶碗」  
正直者同士の意地の張り合いという、とてもいい噺です。
麻布谷町に住む、くず屋の清兵衛。
古道具を扱うと、自分はもうかるが、他人に損をさせるので、それが嫌だと言って、本当の紙くずしか買わないという正直一途な男で、人呼んで「正直清兵衛」。
ある日、とある裏長屋に入っていくと、十八、九の、大変に器量はいいが、身なりが粗末な娘に呼び止められ、家に入ると、待っていたのはその父親で、千代田卜斎と名乗る。
うらぶれてはいるが、人品卑しからぬ浪人。
もとはしかるべき所に仕官していたが、今は昼間は子供に手習いを教え、夜は街に出て売卜(ばいぼく=易者)をして、娘のお市と二人で、細々と暮らしを立てているという。
その卜斎が、家に古くから伝わるという、すすけた仏像を出し、これを二百文で買ってもらいたいと、頼む。
清兵衛は、本当なら品物は買わないが、親子の貧に迫られたようすに同情し、これを売ってもうけがあれば、いくらかでもこちらに持ってくると、約束して買い取る。
この仏像を御膳かごという竹かごに入れ、白金あたりを流して歩くと、細川さまの屋敷の高窓から、まだ二十三、四の侍が声を掛け、仏像を見て気に入ったのか、三百文で買ってくれた。
その侍、名を高木佐久左衛門といい、まだ独り身で、従僕の良造と二人暮らし。
さっそく、すすけた仏像を磨いていると、中で音がするので、これは腹籠りの仏で、中にもう一つ小さな仏像が入っていると見て取った佐久左衛門、中を開けてみると、なんと小判で五十両入っていた。
驚いて、
仏像を売るようではよほど貧乏しているに違いないから、これは返してやらなければ、と思ったものの、あの、くず屋のほかに手掛かりはない。
そこで、良造に命じて毎日見張らせ、屑屋が通る度に顔を改めたので、これが業界の評判になり、多分仇でも探しているんだろうという噂になる。
清兵衛もこの話を聞きつけ、甘酒屋のふりをして細川邸の前を通り過ぎようとしたが、
見つかって、佐久左衛門の前に連れていかれた。
佐太夫は金のことを話し、即刻届けてまいれといつけたので、清兵衛は驚いて卜斎の家に行き、金を渡すが、律儀一徹の卜斎、売ったからにはもうこの金は自分のものではないから受け取るわけにはいかないと、突っぱねる。
しつこくすすめると、手討ちにすると、怒りだしたから、清兵衛は慌てて長屋に逃げ帰った。
相談された大家が中に入り、五十両を三つに分け、
佐久左衛門卜斎に二十両ずつ、残りの十両は正直な清兵衛にやってくれと、提案。
佐久左衛門は承知したが、卜斎はまだ拒絶するので、
それなら、金と引換えに何か品物を佐久左衛門様にお贈りになれば、あなたもお気が済むでしょうと、大家が口をきき、それではと、祖父の代からの古い茶碗を渡すことで、金の件は落着。
ところが、この茶碗が細川侯のお目に止まり、これは「井戸の茶碗」といって世に二つとない名器だからと、佐久左衛門から三百両でお買い上げになる。
この半分の百五十両を卜斎に届けさせたが、
卜斎は佐久左衛門の誠実さに打たれ、娘をもらってくれるよう、清兵衛を介して申し入れ、佐太夫も承知。
清兵衛が佐久左衛門に、「あの娘をご新造にして磨いてご覧なさい。大した美人になります」
「いや、磨くのはよそう。また小判が出るといけない」

・・・もう出て来る人、出て来る人が、みんな良い人ばかり。

2019年1月15日 (火)

誕生日のプレゼント

後れ馳せながら?
息子から誕生日のプレゼントが届きました。
・・・珍しいことがあるものだと驚きました。
誕生日のプレゼント
息子と天使②で選んでくれたそうです。
包装の袋の「HAPPY BIRTHDAY」のスタンプは、天使②が押してくれたそうです。
誕生日のプレゼント
靴下とシャツなど、身の回りの物が入っていました。
誕生日のプレゼント
お正月は会えなかったから、20日の息子の誕生日にと、食事代を送りましたが、かえって足が出たのではと、ちょっと心配。

引退の決意

天下無双であるべき横綱の引き際・・・。
今日も負けて、3連敗になりました。●●●
引退の決意
年6場所制になって以降、26人の横綱がいるそうですが、うち半数の13人が休場明けの場所で引退しているそうです。
その多くが序盤に連敗を喫し、「体力・気力」の限界を悟って引退を決意しています。
_20190115_182928 休場明けの横綱は常に背水の陣での戦いを強いられ、結果が出なければ、自ら(引退の)覚悟を決めなければなりません。
角界において絶対的な存在である横綱は、そのほとんどが自身の去就を自身で決しています。
_20190115_183007 3連敗した稀勢の里も、まさに今その選択を迫られています。

川柳師匠よ永遠なれ?

最近は寄席に行くことが極端に少なくなっているので、高座を拝見することもほとんどなくなりました。
噂では、齢85歳を過ぎて、かなり・・・だということですが・・・。
川柳師匠よ永遠なれ?
これが見納め? 川柳師匠よ永遠なれ!「道楽亭出張寄席」。
物凄い歌い文句の落語会です。
3月14日(火)19時開演。
川柳川柳師匠の米寿を祝う会(の予定)だそうです。
出演者を見て、私は絶対に行かない落語会だと思いましす。
それでも、川柳師匠の(ワンパターンの)「ガーコン」は、寄席で楽しませていただきました。
ああいう噺家さんも必要なんだと思います。
ただ、元々「三遊亭」だったというのが、(知ってはいても)驚きです。
1955年8月 - 六代目三遊亭圓生に入門。前座名はさん生
1957年頃- 圓生の自宅玄関で脱糞する事件を起こす。
1958年9月 - 二つ目に昇進。
1959年 - 東宝「落語勉強会」メンバーに選ばれるが騒動が起き、巻き込まれる形で除名される。新作落語へ転向するきっかけとなる。
1960年代 - 「ラ・マラゲーニャ」を高座で披露したのをきっかけにテレビの仕事が増えるが、古典落語至上主義の圓生と溝ができ始める。
1965年 - 「笑点」の前身番組「金曜夜席」の大喜利メンバーとして出演することが決まっていたが、1回目の収録をすっぽかしたことが司会の立川談志の怒りを買い、出演する間もなく、降板させられた。
1974年9月 - 兄弟子五代目三遊亭圓楽のとりなしもあり、集団真打昇進の一人として真打昇進を果たす。
しかし、新作やラテン音楽で売れたさん生に対し、古典落語至上主義であった圓生は最後まで抵抗の意思を捨て切れず、かつ協会による集団真打昇進への抗議のために真打昇進披露などの公式行事に一切参加をしなかった。
1978年5月16日-17日、圓生から新しい協会「落語三遊協会」の説明などを受け、ついてゆくことにするが、帰宅後の酒の失敗から落語協会残留へと転向し、圓生より破門を宣告される。
高座名はそのまま。

・・・途中までですが、酒のおかげで破天荒な芸人生活を送られました。
その川柳師匠が米寿・・・。
過去は過去として、元気で頑張っていただきたいものです。

晴れ着にソース?

とんだバカ野郎がいたものです。
昨日、杉並区で成人式に向かう晴れ着姿の女性にソースをかけて汚したとして、埼玉県在住の男が逮捕されました。
逮捕されたのは埼玉県内に住む23歳の無職の男。
昨日午前7時頃、杉並区荻窪の路上を歩いていた19歳の女性の振り袖に、予め持参していた小袋に入ったソースを引っ掛けて汚したという。
男は美容室が出てきた女性に声をかけ、犯行に及んだ模様。
女性はその場では気が付かず、家に帰り事態が発覚し、交番に届け出る。
その後、別の振り袖に着替えた被害者女性が荻窪駅を訪れると、偶然にも犯人の男を発見。
警戒中の警察官が取り押さえ、御用となった。
なお、付近では同様の事件が3件発生しており、いずれもこの男の犯罪と見られている。

男は取り調べに対し容疑を認め、「将来への不安やストレスから逃れるためにやった」「晴れ着を汚すことで気持ちが晴れると思った」など、とんでもないことを話しているそうです。
どうして、こんな男が出来上がってしまうんだろう。
いくら「衣」に包まれているとは言え、ソースをかけても良いのは、「着物」ではなく「揚物」だというのが分からないのでしょう。

トヨタスープラ

ちょっと好きな新しいクルマに関する話題です。
決して、あのトヨタが新しい「スープ」と「テンプラ」を発売する訳ではありません。
トヨタスープラ
トヨタは、デトロイトで開幕したモーターショーで市販モデルの新型「スープラ」を世界初公開したそうです。
トヨタスープラ
日本国内では2019年春ごろに発売予定。
この新型スープラは初代から数えて5代目に当たるモデル。
トヨタスープラ
先代の4代目は2002年に生産が終了しており、17年ぶりの復活となる。
トヨタスープラ
こんな記事になっています。
TOYOTA GAZOO Racingが展開するスポーツカーシリーズ『GR』初のグローバルモデルとなる5代目スープラは、先代から連綿と受け継がれてきた直列6気筒エンジンを積むFRレイアウトというDNAを継承。加えて、ホイールベース、トレッド、重心高という3つの基本要素にこだわり、「ピュアスポーツカーにふさわしいハンドリング性能」を実現したとのこと。
具体的には2シーターレイアウトに割り切ったことで、ホイールベースは2470mmに。この数値はトヨタ86よりも100mm短い数字となる。ホイールベースとトレッドの比率は1.55で優れた回頭性に寄与。重心高についても86よりも低いものとなっている。
エンジンは3リッターの直6ターボと、2リッターの直4ターボエンジンのふたつを用意。直6ターボはエンジン回転数1600rpmで最大トルク500N・mを発生させる。直4ターボについてはグレードごとにチューニングの異なるふたつのタイプが用意されている。トランスミッションは全グレード共通で8速スポーツATが用意された。
マスターテストドライバーとして開発にも関わったトヨタ自動車の豊田章男社長は「ニュルブルクリンクでの運転訓練で長い時間を一緒に過ごしたスープラは、自分にとって『特別な旧友』のような存在です」とのコメントを発表している。

・・・まぁ、最近は、どこのクルマも似たようなデザインというか、やたら凸凹していて、シンプルさやシャープさに欠ける気がするのは、古い人間だからでしょうか?
あの「トヨタ2000GT」や「日産フェアレディZ」に憧れた世代には、あんまり格好良く見えないんですが・・・。
【トヨタ2000GT】
jj
jj
jj
【日産フェアレディZ】
jj
jj
とにかく日本は元気な昭和でした。
あの頃、定年になったら、フェアレディZを買って(駆って)、一人で日本中を走り回るというのが夢でした。
まだ、その夢を諦めた訳ではありませんが。

市川團十郎復活

歌舞伎界の最高峰の名跡「市川團十郎」が復活するそうです。
市川團十郎復活
歌舞伎俳優市川海老蔵さんが、来年5月に江戸歌舞伎を代表する大名跡「團十郎」を十三代目として襲名することを発表。
五代目団十郎の俳名を付け市川団十郎白猿を名乗るそうです。
披露興行を20年5~7月に行い、長男の勸玄君も八代目市川新之助を襲名し初舞台を踏む。
市川團十郎復活
團十郎が7年振りに復活するのは、大変おめでたいことです。
落語界でも、「三遊亭圓朝」や「談洲楼燕枝」、「三遊亭圓生」「古今亭志ん生」「春風亭柳枝」も復活して欲しい。
【市川團十郎】
市川團十郎家は歌舞伎の市川流の家元であり、歌舞伎の市川一門の宗家でもある。
その長い歴史と数々の事績から、市川團十郎は歌舞伎役者の名跡のなかでも最も権威のある名とみなされている。
團十郎と関わりの深い名跡に市川海老蔵がある。
前期の市川團十郎には團十郎 → 海老蔵と襲名する例が目立ち、後期にはこれが逆転して海老蔵 → 團十郎と襲名する例が目立つようになる。

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先代の十二代目團十郎が最初に襲名したのが市川新之助、その子で当代の海老蔵が最初に襲名したのも市川新之助だったため、市川宗家では新之助 → 海老蔵 → 團十郎と襲名するのが通例だと誤解されがちだが、実際にかつて新之助を名乗った者がのちに團十郎を襲名したのは、この十二代目の他には七代目と八代目があるのみである。
おめでとうございます。

土俵際・崖っぷち

2連敗しても、3日目の土俵に上がるそうです。
土俵際・崖っぷち
マスコミも、相撲協会も、ファンも応援する(したい)心情は十分理解出来ますが、とにかく本人が気の毒だと思います。
それから、大相撲がこれからも長く続いて行くためにも、天下無双の横綱のブランドは維持していくべきです。
長い目で久しぶりの和製横綱だからということで、決して特別扱いをしてはいけないのだと。
土俵際・崖っぷち
横綱が負けたら座布団が飛ぶ・・・。
それは横綱が負けるのは「大事=稀な出来事」だから。
ところが、不幸にして稀な勢いがなくなってしまった横綱には、座布団は飛ばず、無言と溜息が会場を支配する・・・。
この世界には、「長生きも芸のうち」は当てはまらない・・。

落語「一文惜しみ」

今日は、実際の江戸の街のみならず、落語国でも正義の味方「大岡越前守」の登場。
   jj  
三遊亭では「一文惜しみ」、最近では「五貫裁き」と言われることの方が多いかもしれません。
一文を惜しむより、五貫文の裁きの方が景気が良く見えますから。
落語「一文惜しみ」
賭博場の使い走りをしていたが大病を患い、寝込むことになった八五郎は、闘病中に仲
間が誰も見舞いに来なかったことから、自分の人生を見直して堅気になると決意した。
八百屋をやりたいと相談しに来た八五郎に、大家は奉加帳(寄付を記録するための帳
面)を作って「最初に金持ちの所に行け」と助言する。
喜んだ八五郎は早速募りに行く
が、なぜか数分で傷だらけになって戻ってきた。
話を聴くと、八五郎は最初に質屋をやっている『徳力屋』という所に行ったが、番頭に初筆三文と書かれて唖然となり、押し問答をしていると、そこへ徳力屋の旦那がやってきて「書き直す」というので、てっきり増やしてくれると思ったが、減らされてしまったという。
頭にきた八五郎は一文を徳力屋に投げつけ、殴ろうと飛びかかったら煙管で殴られてしまったらしい。
それを聞いた大家は、なぜか「面白いな」と呟き、今度は奉行所に訴え出ることを助言した。
裁きを担当したのはあの大岡越前だったため、八五郎はいい裁きが聞けると思ったが、
何とお金を粗末にしたという理由で罰金を払うことになってしまう。
jj
その額は五貫(5000文)であり、まとめては払えないため、八五郎が日に一文ずつ徳力屋に渡し、徳力屋が奉行所に払いに行くことになった。
当然ながら八五郎は大家を責めるが、「ますます面白い」と何処吹く風の大家は「一文は自分が出してやる」と言い、帰ってしまった。
その翌朝、まだ夜も明けないうちから八五郎宅を大家が訪れ、一文を払うようにと言う。
案の定、行ってみると徳力屋はまだ眠っている。
それを無理やり叩き起こし、「奉行所に持っていく」と半紙に受け取りを書かせて一文を収めたのだ。
その後、店の店員が 一文を奉行所に収めに行くが、「主自身が町役人五人組同道で持って来い」と突っ返されてしまった。
五人組はただでは動いてくれないため、仕方なく報酬を渡して付き合ってもらうが、今後も五人組同道で持ってくるよう言われてしまう。
毎日毎日、夜になると八五郎が一文返しにやって来る。
何日も安眠を妨害された徳力屋は、「奉行も糸瓜もあるか」と激怒してしまうが、そこへ話を聴いた同心が怒鳴り込んできたため、驚愕する。
その一件で、やっと大家の魂胆が分かって面白くなった八五郎は、大家の勧めで日中に
睡眠を取り、夜になると夜通し徳力屋に一文返しに行き、眠れないようにしてしまった。
これには流石の徳力屋も参ってしまう。
計算をしてみると、このままだと13年は眠れぬ日が続き、受け取りの用の半紙が5000枚、なにより五人組への謝礼が莫大な量になってしまうことが判明する。
焦った徳力屋に示談を提案された八五郎は、打ち合わせどおりに大家に話を持って行き、結局20両で示談にしてもらった。
その後、徳力屋は善行に目覚め、世間のために尽くしたという。
なお、徳力屋は徳力本店として現在も存続し、営業している。

http://www.tokuriki-kanda.co.jp/
落語「一文惜しみ」
江戸時代には「金」「銀」「銭」の3種類の通貨が併用され、それぞれの単位も異なっていました。
高額貨幣として、江戸ではおもに金が使われ、大阪では銀。そのため、両替商が活躍しました。
幕府が定めた公定相場(18世紀初頭)では、金1両・銀50匁・銭4000文が同じ価値。
実際の相場は日毎に変動し (変動相場制)、時代とともに銭の価値は下がりました。 
落語「一文惜しみ」落語「一文惜しみ」落語「一文惜しみ」
寛永13(1636)年、「寛永通宝」が 多量に鋳造され、銅貨の代表例として扱われ、これ
で金、銀、銅 (銭)の三貨が出揃い、我が国最初の貨幣制度が確立しました。
江戸では通常、銀貨は使われず金貨と銭が使われた。銀貨は<秤量貨幣>で、重量で使われたそうです。
  公定相場    金1両=銭4貫  (4000文)=銀50匁。
  幕末には    金1両=銭10貫(10000文)=銀60匁。
<計数貨幣>
 一両(小判)=四分=十六朱=(銭)4000文(4貫文)
 一分=四朱=(銭)1000文(1貫文)
 一朱=(銭)250文
<秤量貨幣>銀
 一両(小判)=丁銀・豆板銀(50〜60匁)=五匁銀(12枚)
銀貨は大きさや品格ではなく重さ(銀の実質含有量)で価値をみた。
また変動相場制のため、かならずしも50匁や60匁で交換されていたわけでは無く、相場で決まった。

さて、この噺ですが、どうも釈然としない部分があります。
大岡裁きの内容は、相変わらずお見事だと思いますが、金持ちの社会貢献という観点はあるかもしれませんが、寄付をしないからと言って、徳力屋が懲らしめられるのは、さてどうなんでしょう。
「帯久」の帯屋だとか、「匙加減」の松本屋は、そもそも悪事を働いていますから、超法規的なお裁きが痛快なんですが・・・。
このあたりは、落語国のこと、庶民が正義、商人は悪というような図式があるのでしょうか?
この釈然としないのは、「大工調べ」にも通じるものがあります。
金持ち(大企業や財閥)は、社会貢献をしなくてはいけないという点ならは、納得は出来るのですが。

2019年1月14日 (月)

進退窮まる?

今日も横綱は勝つことが出来ませんでした。
進退窮まる?
横綱は、大相撲の力士の格付(番付)における最高位の称号。
語源的には、横綱だけが腰に締めることを許されている白麻製の綱の名称に由来する。
現行制度では横綱に降格はなく、現役引退によってのみその地位から降りる。
従って、横綱になる力士はその地位に相応しい「品格」と「抜群の力量」が要求される。
大相撲においては、横綱は、全ての力士を代表する存在であると同時に、神の依り代であることの証とされている。
それ故、横綱土俵入りは、病気・故障等の場合を除き、現役横綱の義務である。

進退窮まる?
横綱は、天下無双であるという意味を込めて「日下開山」(ひのしたかいさん)と呼ばれることもある。
「天下無双(完全無欠)」の横綱には、まず「力量」が要求されると思います。
「力量抜群=無敵で(強く)」なくてはいけない。
負けたら(勝てなければ)自ら進退を決めなくてはいけない立場です。
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崖っぷちの横綱が連敗しました。
昨日もコメントしましたが、 「頑張った。もういいよ。お疲れさま」を繰り返し言いたい。

帰り道

柴又帝釈天から帰宅。
江戸川を渡るだけですから、車なら20分もかからないでしょう。
帰り道
特設駐車場を出て、柴又街道を金町方面へ。、
帝釈天参道の入口を右手に見て。
帰り道
途中、金町浄水場あたりで、並行して走る京成金町線の電車が追い抜いて行きました。
京成高砂・柴又・金町の3駅を繋ぐ都会のローカル線です。
穏やかな3連休 でした。

扇子おみくじ

柴又帝釈天で引いた「扇子おみくじ」。
扇子おみくじ
何と「大吉」でした!
扇子おみくじ
(願い事)
地道に物事をこなしていけばきっと叶うでしょう。
(進学就職)
強い信念を最後まで捨てないことです。
(恋愛)
時間をかけて発展させれば成就するでしょう。
(出会い)
良い人にめぐり会える機会がたくさん出来ます。
(健康)
気を大きく持てば回復に向かうでしょう。
(家庭)
仮定に対する愛情を忘れない限り、家庭円満を保てます。
(行動)
今までにやったことのない事にチャレンジしてみると、一段と成長するでしょう。
(金運)
仕事上での金運が好調です。

・・・なかなか良いじゃあありませんか。
良い年にしたいものです。

柴又帝釈天

大にぎわいの参道には、成人式を終えたばかりの晴れ着姿のお嬢さんも歩いています。
「柴又帝釈天」は、日蓮宗の寺院の通称。
正式名称は経栄山題経寺(きょうえいざん だいきょうじ)。
旧本山は大本山中山法華経寺。
「帝釈天」とは本来の意味では仏教の守護神である天部の一つを指しますが、題経寺の略称として用られている。

柴又帝釈天
参道の両側には名物の草だんごや塩せんべいを売る店、老舗の川魚料理店などが軒を連ねている。
参道の突き当たりに二天門が建ち、正面に帝釈堂、右に祖師堂(旧本堂)、その右手前に釈迦堂(開山堂)、本堂裏手に大客殿などが建つ。
境内はさほど広くなく、建物は大部分が明治以降の建築である。
二天門、帝釈堂などは彩色を施さない素木造のため一見地味に見えるが、細部には精巧な装飾彫刻が施されている。

柴又帝釈天
二天門のあたりから、帝釈堂にお参りする人たちの長蛇の列が出来ていました。
並ぶのが嫌いな私ですから、列には並びませんでした。
柴又帝釈天
おみくじにも列が出来ていました。
それでも、箱に入って何種類かのおみくじが置いてあったので、「扇子おみくじ」を引きました。

柴又へ

「手賀沼」から、もう一つの大きな沼である「牛久沼」へ。
我孫子から水戸街道ですぐの場所にありますから。
ここも、なかなか沼畔には辿り着くことが出来ず、遠くから眺めましたが、やはり細い道をカーナビ頼りに走りました。
水戸街道を上り、松戸を越えて金町から柴又に行きました。
柴又帝釈天へ
帝釈天でもお参りしようという訳です。
まだお正月の参拝客が多いのか、特設の駐車場に1000円の大枚を払って停めて・・・。
柴又駅前には、寅さんとさくらの像が建っています。
それぞれの像の所に人が集まっています。
寅さんも妹のさくらも、実在の人だと思っている人も、少なからずいるでしょう。
柴又帝釈天へ
さほど広くない参道は、いつものようにごった返していました。
参道のお店にも、大勢の人たちが群がっています。
特に、老舗の店の前や、煎餅を焼く実演には、さらに人垣が出来ているようです。
柴又帝釈天へ
映画とご利益の相乗効果で、都内有数のパワースポットです。
松戸からは、矢切の渡しで行かれる対岸です。

手賀沼へ

昨日の印旛沼が良かったので、今日は手賀沼に行きました。
手賀沼は、千葉県北部、柏市、我孫子市、白井市、印西市にまたがる利根川水系の湖沼。湖沼水質保全特別措置法指定湖沼。
手賀沼へ
水戸街道側からは、子どもが小さい頃には何度か遊びに連れて来ていますが、対岸はほとんど知りません。
手賀沼へ
愛車でぐるりと回りました。
堤防沿いでは、凧上げをしている人が何人かいました。
空高く上がっている凧が写真で分かりますか?
凧上げ日和かもしれません。
今日もカーナビの力を借りて、細い道を走ることになりました。

思いを伝える

市原悦子さんについて、こんな記事がありました。
思いを伝える
「お母ちゃん女優」「庶民派」とも呼ばれ、親近感のわく立ち位置が愛される理由だった。
ただ、一見すると自然そのものの演技も、実際にはすべて「作品の中でどう生きるか?」を常に考え、計算し尽くされたもの。
そこには高校時代の「演技を一生の仕事にしたい」との決意が脈々と流れていた。
作家の安部公房氏に「彼女なら『こんにちは』もおそらく百通り以上の使い分けをしてみせる」と言わせ、演出家の浅利慶太さんからは「戦後新劇が生んだ最高の女優」と絶賛された市原さん。
演技に対する天性の勘の持ち主であると同時に、芝居への真摯な向き合い方が一流への道を歩ませた。

・・・一方、生前のテレビのインタビューでは、「演じるのが楽しいんじゃなくて、思いを伝えたいんです」と仰っていました。
生意気ですが、わたしにもよく分かる気がします。
落語をやっていても、特にアマチュアでは、前者で終わっている人がほとんどだと思います。
そうじゃない。
「演者の思いを伝えること」だと思います。
落語には、舞台や大道具や小道具もなく、衣装もなく、思いを伝えるのは、座布団の上の上半身と語りだけです。
「私はこう思いますが、(貴方は)いかがですか?」・・・。
演じるというのは、全てこの語りかけのための作業なのかもしれません。
「文七元結」で、「子別れ」で、いや「牛ほめ」で、「子ほめ」で、演者が聴き手に何を伝えるのか?
一言の台詞、一つの所作を組み合わせて、紡ぎながら、作り上げ上げて行くと言うことですね。

印旛沼の鳥

昨日、愛車でふらりと出掛けた印旛沼。
千葉県北西部、印西市、佐倉市、成田市、印旛郡栄町、八千代市にまたがる利根川水系の大きな湖沼です。
利根川の周りには、印旛沼、手賀沼、牛久沼などの大きな沼があります。
印旛沼
とにかく、何も考えずに利根川沿いを走っていて、突然カーナビを「印旛沼」とセットしたら、誘導してくれました。
ところが、ひたすら田んぼが広がって広々とはしていますが、道路は車1台しか通れないような狭い道の連続でした。
「このまま行き止まりになってしまうのでは?」「対向車が来たらどうしよう?」と心配しながら、それでもひたすらカーナビを信じて、何とか沼岸に辿り着くことが出来ました。
そこには「吉高揚排水機場」がありました。
印旛沼
何組か、バードウォッチングをしている人もいました。
後で調べて分かったことですが、北印旛沼のおすすめの観察時期は冬なんだそうです。
多くの冬鳥がやってきて沼周辺がにぎやかになるそうです。
それで、おすすめ観察場所が、この北印旛西端の吉高揚排水機場付近なんだそうです。
そして、この排水機場前の船着き場に、有名な籠脱けのモモイロペリカンが高確率でいるので、一見の価値ありということでした。
ペリカンがいるなんて!と驚きました。
「モモイロペリカン」は、ペリカン目ペリカン科。
大きさは140~175cmで、 アフリカ、ヨーロッパ南東部、東南アジアなどに分布している

印旛沼
桃色がかった大きな体に大きなくちばしが特徴。
沖縄の離島などに迷鳥として飛来した記録があるそうです。
印旛沼や各地で生息しているのは、飼育されていた個体が逃げ出したもので、籠脱け(かごぬけ)といわれているんだとか。
この印旛沼の個体は、「カンタ君」と呼ばれ、長年漁師さんの船で暮していて、地元やバーダーに親しまれている"有名人"のようです。
全く知らずに、ビギナーズラックでカンタ君に会えたという訳です。
これは、新年早々運が良いと言えるのでしょうか?
そう思っていようと思います。

どんと祭

仙台時代の正月14日は、大崎八幡神社の「どんと祭」の「裸参り」でした。
どんと祭
「どんと祭」は、神社の境内などで正月飾りを焼き、御神火にあたることで一年の無病息災・家内安全を祈願する祭。
特に宮城県内各地の神社で盛んに行われており、仙台市の大崎八幡宮の「松焚祭」(まつたきまつり)が宮城県最大規模である。

どんと祭
この祭の呼び物の一つが、鉢巻とさらしでお参りする「裸参り」。
これは江戸中期には定着していたと言われ、厳寒時に仕込みに入る酒杜氏が、醸造安全・吟醸祈願のために「御神火」を目指して「裸参り」したのが始まりとされています。
今でも100組以上の団体、2500人前後の参加があるそうです。
どんと祭
落研の1年後輩の「下町亭楽生」さんは、東京下町生まれのお祭り好きで、落研を中心にグループを作って、裸参りをしていました。
私も誘われましたが、寒いから断りましたが。
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そんなお祭りが、今年も行われるはずです。

落語「一分茶番」

与太郎と並ぶ落語国の人気者、大店に奉公する田舎者の飯炊きの権助が登場します。
権助が主役のこの噺は、「権助芝居」とも「権助茶番」とも「一分芝居」とも言われています。 
   落語「一分茶番」
町内の芝居好きが集まって素人芝居をすることになったのだが役に当たった者の一人が
病気を理由に欠席してしまう。
実は病気というのは真っ赤な嘘で、当たった役が気に入らないのでやりたくないのだ。
世話役の番頭さんは困り顔。
すると、この店に奉公している飯炊きの権助が芝居の真似事をよくしているというので権助に尋ねてみると、村芝居ではよく役者として舞台に出ることがある(代表的な役は忠臣蔵のお軽)というので、一分の小遣いをやるという約束で舞台にあげることにする。
権助の役は「有職鎌倉山」の「非人の権平」という泥棒の役で、主家を牛耳ろうとする悪人の命令で家宝の鏡を宝蔵より盗み出すのだが、警備の侍に見つかってしまい立ち回りの挙句に捕縛される。
そして、尋問に口を割ろうとするところへ件の悪人が現れて首を刎ねるという体のいい口封じをされてしまうという散々な物。
権助も何だかんだ言って逃れようとするが、そこは何とかなだめすかして幕を開けることにする。
舞台に出てきたときに鏡を盗んだことを説明する長い台詞を言わなければならないのだが、もちろん覚えている暇などないので、黒子をつけて乗り切ることにした。
が、権助は教えた台詞を間違えたり田舎言葉丸出しで言ったり、挙句の果てに野次った
観客に文句言ったりする始末。
さらには立ち回りの場面で本気で取っ組み合いを始めてしまったりとハプニング続出。
ようやく尋問の場面になるのだが、ここでも観客に「権助、縛られて無様な格好だな」と野次られて、「そんなことはねえだ」と種明かしをして踊り出してしまい、頭にきた相手役が今度は本当に高手小手に縛ってしまう。
そして尋問、「誰に頼まれた」
「番頭さんに一分で頼まれた」

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2009(平成21)年11月の、創部50周年記念OBOB落語会で、談亭志ん志師匠が熱演されました。 
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この噺の中で権助が演じた芝居「有職鎌倉山」の概略を見ます。
鶴が岡八幡宮の源実朝の御前で鶴を射止めた佐野源左衛門は、その功を三浦荒次郎に譲り、その代償として佐野の系図を返して貰おうと願った。
しかし意地の悪い三浦は、その約束を履行しない上、建長寺の法会においては源左衛門
だけには供物の分配もせず、かえってさんざんに罵り辱しめた。
佐野は船橋の本領安堵を期するため何事も堪忍していたが、系図がなければ願いは叶わ
ず、怒りのあまりついに三浦を営中に刺し、自分も切腹する。
権助の役は「有職鎌倉山」の「非人の権平」という泥棒の役で、主家を牛耳ろうとする
悪人の命令で家宝の鏡を宝蔵より盗み出すのだが、警備の侍に見つかってしまい立ち回
りの挙句に捕縛される。
そして、尋問に口を割ろうとするところへ件の悪人が現れて首を刎ねるという体のいい
口封じをされてしまうという散々な物。
芝居の前半で演じられ、誰も見ていないような時間帯で演じられる。
・・・芝居噺というのは、やはり芝居の素養がないと出来ません。
そもそも、芝居自体にあまり馴染みがありませんから。
忠臣蔵をベースにした「四段目」「七段目」「中村仲蔵」「淀五郎」など、私にはハードルの高い噺です。
しかし、アマチュアでも、平気でやっちゃう人がいて・・・、上手けりゃいいのに・・・なんて言うのが多いこと。

2019年1月13日 (日)

市原悦子さんの訃報

毎日、昭和が欠けて行くような、寂しい話題が続きます。
市原悦子さんの訃報
2時間ドラマ「家政婦は見た!」などに主演した女優の市原悦子さんが亡くなったそうです。
享年82歳。
所属事務所によれば、市原さんは、19日から上演の舞台「悪魔と天使」に声で出演予定だったそうです。
市原悦子さんの訃報
市原さんは1936年生まれ、千葉県出身。
高校卒業後、早稲田大学第二文学部演劇専修を経て、俳優座養成所へ進み、1957年に舞台「りこうなお嫁さん」でデビュー。
ドラマ「家政婦は見た!」シリーズなど多数の代表作を持ち、75年スタートのアニメ「まんが日本昔ばなし」では俳優の常田富士男さんとナレーターを務めました。
常田さんも先年亡くなりましたが。
・・・とにかく、存在感のある女優さんだったと思います。
ご冥福をお祈りします。

ラジオ寄席

今日は、「なるほどこの人のこの噺」という内容でした。
◇「鈴ヶ森」    柳亭左龍
昨年12月に鈴本演芸場で聴きました。
これ、左龍さんのキャラにも合って、十八番になっています。
ラジオ寄席
落語のヒーローの1人、間抜けな泥棒が主人公です。
ちょっと抜けている泥棒の見習いが、頭と追剝ぎの実地訓練に行くことになる。
頭が「舅に食わせるからむすびを風呂敷に包め」と言うと、「誰の舅ですか?」と、まだ泥棒の基礎知識も頭に入っていない。
舅はうるさいから犬の符牒なのだ。
頭が「ドスを差して行けよ」、見習い「どうしてドスと言ぅんですか」、「うるせぇな、ドッと刺して、スッて抜くからだ」と、頭はもう投げ槍だ。
頭、「表へ出ろ。戸締まりはしたか。近頃、物騒だからな」、「もう大丈夫です。物騒なのが二人出て行きますから」、なるほどごもっともだ。
頭は今日は鈴ヶ森で追剝ぎだと明かすと、見習いは「鈴ヶ森は幡随院長兵衛や白井権八みたいな強いのが出て来るし、暗くて怖いから、もっと明るい所にしましょ」なんてすっかり逃げ腰で頼りない。
頭は歩きながら追剝ぎの決まりゼリフを教える。
「お~い、旅人。ここを知って通ったか、知らずに通ったか。明けの元朝から暮れの晦日まで、俺の頭の縄張りだ。知って通れば命は無し、知らずに通れば命は助けてやるが、身ぐるみ脱いで置いて行け。嫌じゃ何じゃと抜かせば最後の助、伊達には差さぬ二尺八寸段平物をうぬが土手っ腹にお見舞え申す」だが、覚えられるはずがない。
見習いは、「紙に書いてください」、頭「こんな暗くて書けるか」、見習い「あっしも読めませんから、相手に読んでもらいましょ」と情けない。
やっと鈴ヶ森に着いて見習いは、竹藪に身を隠すが筍に尻を突かれもがいている。
そこへ旅人が通り掛かった。怖がる見習いを頭はポンと押し出した。
旅人の前で見習いはたどたどしく脅し文句を並べ始める。それでも何とか、「身ぐるみ脱いで置いて行け。・・・・・二尺八寸段平物をうぬが土手っ腹にお見舞え申す」にたどり着いた。
旅人は追剝ぎの様子から、とうしろう上り、泥棒の前座だなと見破り、「四の五の言うと首根っこ引っこ抜くぞ」と、反撃に出た。
すると、見習い泥棒「やめて、やめて! 身ぐるみ脱ぐから勘弁してください」

◇「ぐつぐつ」   柳家小ゑん
これはもう、小ゑんさんの自作自演です。
おでんの具を擬人化した噺です。
ラジオ寄席
オリオン座も明るいある冬の夜、緑色の三両編成の目蒲線がホームに入ってきます。
人々は足早に階段を降り、ひとつしかない改札を出ると左右に分かれていきます。
十年一日のごとくセルロイドの桜が満開の商店街。
西小山銀座通りから横丁に入ると、左右に冷たい自動販売機の光がポツンポツン。
魚屋さんのシャッターの前に屋台の明かりが見えます。
残業帰りのOLと言葉を交わし、忙しく働くおやじ。
その目の前の銅壺の中で煮立っているおでんたちの声に耳をそばだててみてください。
(ぐつぐつぐつ……)
「おい、こんにゃく、もう少し向こう行けよ」。
「はんぺんちゃんはいいねえ、色が白くて肌はつるつるで」
「絡んでくるなよ、糸こんにゃく」
「ゲソまきが蛸の足を踏んだ」
(ぐつぐつぐつ……)

・・・寄席で聴いたことがありますが、名作の部類に入る新作だと思います。

お疲れさま

今日から大相撲初場所が始まりました。
昨日の「土俵祭り」の写真を見ると、相撲というのが神事なんだと実感的します。
お疲れさま
初場所は、3大関全敗という無様から始まりました。
そして、あの進退を賭けた横綱も惨敗しました。
お疲れさま
私の中では、もう先場所から見限っていますが、もう無理ですよ。
お疲れさま
マスコミも、協会も、横綱審議会も、特別扱いはやめましょうよ。
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これ以上引きずったら、かわいそうです。
元横綱の某親方も、ご自身のことを踏まえて、こんなコメントをしています。
「(自分は)明日につながらないような相撲では、横綱としての責任は果たせないと痛感し、引退を決意した」。
「横綱が現役を続けるには、単なる勝ち越しなどではなく、優勝するくらいでないと横綱としての責は果たせないのではないか。本人もさすがに、それくらいの覚悟は持っているだろう」。
・・・だから、もう限界です。
「横綱、お疲れさまでした」って言ってあげましょう。

良い天気なので

連休だとて、寂しいオジサンは、特にやることもありません。
今朝は、「落語DEデート」を聴いた後も、暫くボーッとしていました。
お昼前に、愛車を駆ってブラブラしようと。
まずは、栄町の「房総のむら」に行きました。
随分駐車場も混雑していました。
良い天気なので
ここで来月、柳家三三三宮落語会も開かれるようです。
公的団体が主催するので、木戸はかなり安い!
しかし、こういい場所にも来るんですね。
良い天気なので
その足で、印旛沼に行きました。
それほど遠くではありませんが、今まで行った事柄ありませんでした。
カーナビに狭い道を案内されて、何とか景色の良い場所に着くことが出来ました。
良い天気なので
すると、何と大きな鳥が、人や車を怖がるでもなく、佇んでいました。
モモイロペリカンではなくてないかと。
良い天気なので
風もなく、寒くなく、人もいないので、ホッと出来た気がします。

落語DEデート

何か、久しぶりに聴く気がします。
◇「染色」    二代目三遊亭円歌
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新潟県新潟市出身。
当時の落語家には珍しく旧制中学校卒業の高学歴で、家は洋館三階建ての裕福な両替屋であったが、祖母が米相場で失敗して破産し、神奈川県横浜市で貿易商館員として働くも、女性問題を起こしたことがきっかけで北海道札幌市に移り、京染屋を始める。
花柳界相手の商売を通じて、元噺家の松廼家右喬と出会ったことで、落語に興味を抱き、素人演芸の集団に加わる。
北海道に移り住んだ後は旅回りの一座に入り、勝手に「東京落語の重鎮三遊亭柳喬」と名乗っていたが、北海道小樽市で巡業中の二代目三遊亭小圓朝に見つかり、それがきっかけとなって、1914年4月に東京の初代三遊亭圓歌に入門、歌寿美と名乗る。
1917年、二つ目に昇進して三遊亭歌奴を名乗る。
1920年4月、真打昇進。
1934年10月、二代目三遊亭円歌を襲名。
非常な努力の末、新潟訛りと吃音を克服、普段の会話では吃り癖が残っていたが、高座に上がると弁舌さわやかに切り替わる名人ぶりを見せた。
ただし高座の最中、不意に吃りが出ると扇子が痛むほど床で調子を取っていた。
モダンで明るく艶っぽい芸風で、女性描写は絶品であった。
艶笑小噺もよく演じた。
残された音源では放送禁止用語が連発されているものの、嫌らしくは聞こえないなど、かなりの力量を持った噺家であった。また高座では手拭いではなくハンカチを使い、腕時計を女性のように内側に向けて着けたまま演じていた。
余芸で手品の披露をしたこともある。
自身稽古をつけてもらった経験のある七代目立川談志によれば、演目の仕舞いに、自ら茶々を入れながら踊りを見せたりすることもあったという。
大の歌舞伎ファンでもあった。

・・・私は間に合いませんでしたが、人気のある、華やかな雰囲気のある噺家さんだったようです。
◇「松竹梅」    四代目三遊亭圓遊
    落語DEデート
日本橋箱崎の尋常小学校を卒業後、浅草の下駄屋に奉公に出た。
その後下駄の行商、陸軍糧秣本廠の臨時工などを経て、1922年11月に六代目雷門助六に入門し音助となる。
1924年春ころに二つ目に昇進し、おこしと改名。
1926年5月、六代目都家歌六を襲名し真打に昇進。
その後昭和金融恐慌による経済不況もあって、1930年ころに柳家三太郎として品川区西小山で幇間に出る。
その後戦争により花柳界が禁止されたため、1943年に二代目桂小文治の門下で初代桂伸治として落語界に復帰。
戦後、1946年に四代目三遊亭圓遊を襲名。
落語芸術協会の大看板として、またTBSの専属落語家として活躍した。
芸風はあくまでも本寸法でありながら、聴衆に大御所風の威圧感を与えない軽快な語り口と独特の艶を帯びたフラで人気を博した。
楽屋では同輩、後輩の誰かれとなく語りかけ、賑やかに笑わせていた。
笑わされ過ぎて高座に上がれなくなった者もいたという。
古き良き江戸の「粋」の精神を体現するかのような存在であった。

・・・よく学生時代に、ラジオで聴きました。
穏やかな口調の芸風で、若い自分にはやや物足りなく思いましたが、今聴くと、全くイメージが違います。

新しい年号の予想

いよいよ、「平成」は4月30日までで、5月1日からは新しい年号になります。
そして、新年号は4月1日に発表されるそうです。
そこで、巷では新年号が何という字句になるのか、予想が賑やかになっているようです。
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色々考えたり、予想しているサイトがありますね。
まずは、年号を決めるにあたり、制限のようなものがあります。
まずMTSHと頭文字がダブらないこと。
従って、明・大・昭・平とかは頭に使えない。
また、Oは0(数字ゼロ)と紛らわしいから使用しないと聞いたことがある。
従って、応とか使えない。
また、慶応、明治、大正、昭和、平成と来たので、次は偏と旁からなる漢字の組み合わせが次に来ると思われる。
従って、候補となる漢字は、 化、徳、和、政、明、治、禄、仁、弘、保、祥、福、観、禎・・・あたりか?
「昭和」の際も、「昭」という字に違和感があった人が多いらしい。
今度は、そのような余り使われない漢字は使いそうにない。
変換辞書でも不便だし。
従って、「禄」「祥」「禎」は外す。
また「化」は化けるとか、現代人のイメージが良くない。
そうすると、残るのは、 徳、和、政、明、治、仁、弘、保、福、観・・・となる。
これらの組み合わせで、既出は、弘仁、仁和、仁治、徳治、弘和、明徳、明和、弘化、明治。
更に、中国で政和とかあるので、採用されないと思われる(建武みたいに採用例もあるが) 。
それと、「政治」みたいに一般的な熟語としてあるのは、一般会話や文章上紛らわしい。
更に、頭に使えないのが徳、明、保、福、政、使えるのが、和、治、仁、弘、観。
また、従来の年号の逆になる漢字の組み合わせはない(○明治⇔治明×)。
となると、
和徳、和保、和福、治保、治福、仁保、仁福、弘徳、弘明、弘保、弘福、観徳、観保、観福。

・・・と予測する人もいます。
ところで、今までの年号を振り返ると、飛鳥時代からの年号は、平成まで247個あるそうです。
それぞれ、中国の書物などから、その時々の世相も反映した年号になっているようです。
参考までに、明治以降の年号をお浚いしてみました。
【明治】
古代中国の「易経」の中の一文に由来。
「聖人南面而聴天下、嚮明而治」という文で、簡単に現代語訳すると「聖人が南面で天下を聴けば、明るい方向に治まる。」ということ。
ここでの聖人は「天皇」を、南面は「君主の位」またはそれにつくこと、天下は国や世の中という意味から意味が増えて、「世の中の評判」を指す。
【大正】
大正も「易経」の一文が由来。
「大亨以正、天之道也」。
分かりやすく訳すと、「君主(天皇)が、国民の意見を意見を喜んで聞き入れるなら、政治は正しく行われる」という意味。
【昭和】
昭和は書経(尚書)という、中国最古の歴史書から。
その由来になったのは「百姓昭明、協和萬邦」という文。
意味は「百姓(国民)が徳を明らかにすると、萬邦(世界中)が仲良くなる」。
残念ながら、昭和は2度も大戦があり、年号のとおりにはなりませんでした。
ちなみに、昭和は歴史上(外国の年号と比較して)一番長く使用された年号でもある。
【平成】
古代中国の歴史家である司馬遷の著書、「史記」の「内平外成」という文と、「書経(尚書)」の「地平天成」が出典になっている。
込められた意味、願いは「国の内外、天地(宇宙・世界)の平和が達成される」というもの。

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・・・さらに、新年号の予想アンケートも行われていて、こんな結果もあるようです。
1位 【平和】(へいわ、たいわ、たいか)
今までの年号が学術的に由緒正しい年号だったので、簡単な熟語は採用されないか?
2位 【安久】(あんきゅう)
3位 【太平、泰平、大成】 (たいへい・たいせい)
4位 【明成、和平】(めいせい・わへい)

・・・う~ん、帯に短し襷に長し。
【永久】【流三】【乱志】ってのはどうでしょう?
「流」とか「乱」はダメでしょうが、【永久】は良いと思いますが。

天使②から

息子の長男(天使②)から手紙が届きました。
天使②から
お正月は、嫁の実家に里帰りだったので、帰って来たタイミングで、息子の誕生日のお祝いと、天使2人のお年玉を送りましたので、そのお礼と私の誕生日のお祝いです。。
天使②から
12月に4歳になったばかりで、まだ字なのか絵なのかは判読が難しいですが、一生懸命書いてくれたようです。

落語「家見舞い」

落語には、ちょっと汚い噺もあります。
「家見舞い」という演目だと分かりませんが、「肥瓶」という別名を知ると、「んっ?」ということになります。
題名が汚らしいというので「祝いの瓶」、「新築祝い」などとも、言い替えています。
上方噺の「雪隠壺(せんちつぼ)」、「雪隠(せんち)」は元々上方の言葉です。
東京では明治期に三代目小さんが東京に移植、改作しました。
またまた、三代目柳家小さんの登場です。
八代目春風亭柳枝を経て、五代目小さん師匠も十八番にしていました。
上方のやり方は、東京ものとはかなり異なり、 家相を見てもらって、ここに雪隠を立てて、 肥壺(肥がめ)は一回だけ使えとアドバイスされた男がもったいないと、使用後道具屋に売る場面が前に付きます。
それを水がめ用に買っていった男が、新築祝いにしますが、 宴会でバアサン芸者が浮かれたので、「ババ(=糞)も浮くわけや。雪隠壺へ水張った」 と、汚いサゲになります。
オチがこれなので、三代目桂米朝師匠は雪隠壺を「祝いの壺」として演じています。
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兄貴分の竹さんが一軒家に引っ越したので、何か祝いの物を贈ろうと相談した義理堅い二人組。
何がいいか直接聞こうと竹さんの家に行く。台所に水瓶(みずがめ)がないことに気づき、これに決めたと道具屋へ行く。
備前焼の水瓶が十八円、安いのでも四円五十銭、持参金は一人が十銭、一人は0銭ではお話にならない。
それでも図々しく負けろというと、道具屋は四円きっかりでいいという。
しつこく「十銭と・・・いうわけには行かないかなぁ」を、道具屋は十銭値引きかと勘違いする。
そりゃごもっともな話だが、「十銭で売ってくれ」であきれ返り、「冷やかしちゃあ困る」と二人を追い出した。
別の古道具屋を当たると軒下に手頃な瓶が転がっている。
だめで元々、恐る恐る十銭で売るかと聞くといいという。
それもそのはず肥瓶なのだ。贅沢なことは言っていられないと二人は肥瓶を洗って水を張り、竹さんの家に運び込んだ。
知らぬが仏の竹さんは大喜び。
何もないが酒でも一杯飲んで行ってくれと言われた二人、身体にしみ込んだ臭さに気づき湯へ行く。
無論、湯銭は竹さん払いだが。
湯から上がってさっぱりした二人は竹さんの家に上がり込んでの酒を飲み始め、出された冷奴を美味そうにパクリで二人は顔を見合わせた。
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「この豆腐はどの水で冷やしたんで」に、竹さん「もちろん、今お前たちからもらった瓶からよ」で、二人は吐きそうになり、「豆腐は断(た)ってます」、竹さんが「じゃあ、古漬けを出して洗ったから食え」に、「漬物も断ってます」
竹さん 「変な野郎どもだな、何でも断ってやがる。それじゃ、焼海苔で飯を食え」
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二人組 「この飯はどこの水で炊きました?」
竹さん 「決まってるじゃねえか。てめえたちがくれたあの水瓶よ」
二人組 「さいならっ」
竹さん 「おい、待ちな。あの瓶の水がどうかしたのか。おゃ、こりゃひでえ
(おり)だ。今度(こんだ)遊びに来る時、鮒(フナ)、五、六匹持って来てくんねぇか。鮒は澱を食うというから瓶に入れるんだ」
二人組 「なに、それにゃあ及ばねえ。今まで肥(鯉)が入ってました」
水がめは、明治31(1898)年に近代的な水道が敷設され始めてからも、なかなか普及しなかったため、昭和に入るまでは家庭の必需品だったようです。
特に長屋では、共同井戸から汲んでくるにしても、水道の溜枡からにしても、水を溜めておく容器としては欠かせませんでした。
素焼きの陶磁器で、二回火といって二度焼きしてある頑丈なものは、値が張りました。
噺に最初に出てくる28円のものが備前焼のそれでしょう。
一方、水がめより低く、口が広いのが肥がめです。
五人用、三人用など、人数によって横幅・容量が異なりました。 
江戸の裏長屋では、総後架(そうごうか)と呼ばれた共同便所に、大型のものを埋めて使用し、トイレが各戸別になっているところでは、それぞれの裏口の突き出しに置かれました。
・・・それにしても、汚いし、衛生上も良くない噺です。
でも、こういう噺って、意外に受けるんですよね。

2019年1月12日 (土)

半世紀の変貌

来年開催されるオリンピックとパラリンピック。
浅草と銀座の様子を前回開催された頃(≒50年前)と現在とくらべてみました。
まずは浅草の雷門の前。
何か広々している感じです。
都電が走っています。
半世紀の変貌
現在の雷門前。
雷門はそのままの姿で、雷門の左側の特徴のある建物もそのままです。
半世紀の変貌
次は銀座4丁目交差点。
山野楽器の前あたりから南を見ています。
サッポロは建物は変わっていますが、当時からあったんですね。
今は、1階は日産ギャラリーになっています。
半世紀の変貌
銀座の賑やかさは、50年前も今も変わりません。
半世紀の変貌
建物や走っているものや人の服装などは変わっていますが、地形は変わっていないので、今昔を比べると、面白いものです。

松戸宿

思いのほか渋滞もなく、早く(明るいうちに)松戸に着いたので、久しぶりに、旧水戸街道松戸宿を車で走ってみました。
松戸宿
松戸神社を通り過ぎると、建物ごとに「松戸宿」と書かれた提灯がぶら下がっています。
松戸宿
所々に、古い建物もありますが、昔の宿場の面影はほとんどありません。
松戸宿
松戸駅入口を通り過ぎて、帰宅しました。
松戸は、落語の「紋三郎稲荷」の舞台なんですよね。

午後の富士山

空は曇っていますが、富士山にはかからず、全身を見ることが出来ました。
午後の富士山
それにしても、今年は積雪が少な過ぎる。
北麓の山梨県側に比べると、南麓(嶽南)の静岡県側は、雪が少ないと山肌がまだら模様になってしまいます。

3連休初日で心配していた渋滞も、それほどではなさそうです。
今のところ、東名高速上り線には、珍しく渋滞情報がありません。

天地総子さんの訃報

懐かしい名前を聞くと「訃報」というパターンが増えて来ました。
天地総子さんの訃報
約2000曲に上るコマーシャルソングを歌い、「CMソングの女王」と呼ばれた歌手で女優の「天地総子(あまち ふさこ)」さんが、亡くなったそうです。
享年78歳。
私にとっては、「天地真理」よりも「天地総子」でした。
小学生の頃、「あまち ふさこ」と読めなくて「てんち そうこ」だと思っていました。
東京都出身。
国立音楽大学付属高等学校卒業。
父はピアニスト・ピアノ教師の天地真佐雄さん。
童謡や子供向けの歌から、大人向けの歌までレパートリーは広い。
特にコマーシャルソングを数多く(2000曲以上も)歌っており、楠トシエ、スリー・グレイセスと共に「コマソンの女王」とも称される。
阪田寛夫作詞、服部公一作曲で1965年10月にレコードで発売された「マーチング・マーチ」が40万枚を売り上げ、1965年の第7回日本レコード大賞童謡賞を受賞。

CMソングもそうだったかもしれませんが、小学校で歌う歌のレコードでも、天地さんが歌っていた気がします。
「石けんで手を洗おう」なんて言う歌を覚えています。
それから、NHKテレビの「連想ゲーム」の女性チームのキャプテンで、男性チームキャプテンの漫画家の加藤芳郎さんとのコンビは面白かった。
これも昭和です。
綺麗な声でした。

今日の富士山

東名高速では曇っていて、見えませんでしたが、富士市内からは見ることが出来ました。
今日の富士山
いつもに比べたら雪の少ないこと。
都心は雪が散らついたようですが、やはり富士は暖かです。
それでも、今日は早めに引き上げたいと思います。

手賀沼ディズニーランド構想

昨日、ヤフーを覗いていて知ったのですが、あの「ディズニーランド」は、浦安に決まるずっと前に、我孫子の手賀沼に開園する計画があったというのを見て、ちょっと驚きました。
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高度経済成長期の1959(昭和34)年に構想が持ち上がり、開発会社も設立されたが、実際にディズニーパークや遊園地が建設されることはなかった。
手賀沼畔は風光明媚な場所として、明治から大正にかけて多くの文化人が居宅や別荘を構え、景観保護運動を展開した。
そうした潮流の1つに、 手賀沼ディズニーランド計画が位置付けられる。
この計画で建設予定だった「ディズニーランド」はいわゆる遊園地のみならず、スポーツ施設や健康ランド、ヘリポートなどを含む複合施設であった。
1959年の「手賀沼観光株式会社」の設立発起人会に端を発し、土地の買収や埋め立ての実行などの動きが見られたが、1968(昭和43)年4月の千葉県議会土木常任委員会にて埋立地の宅地転用が決まり、手賀沼にディズニーランド級の大型観光地を造る計画は幻となった。


手賀沼ディズニーランド構想
我孫子という街は、元々水戸街道の宿場ですが、現在の常磐線が土浦まで開通した頃は、手賀沼周辺に、お金持ちや有名人の住居や別荘がある、高級住宅地だったそうです。
それが、時代の変遷、手賀沼の水質悪化等・・色々あって、再活性化の核として、ディズニーランドを誘致しようという・・・。
これもまた、様々な紆余曲折のため、結局実現せず、浦安に持って行かれたということ・・・。
色々あるんですね。

落語「言訳座頭」

前回は「按摩の炬燵」でした。
今回も、目の不自由な人が出て来る噺です。
以前にも、このブログで採り上げたことがあります。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/12/post-5116.html
夏目漱石も絶賛した名人「三代目柳家小さん」が明治末に創作した噺だそうです。
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小さんは、四代目橘家円喬から、「催促座頭」という噺(内容不明)があるのを聞き、それと反対の噺をと思いついたそうです。
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「催促座頭」は、文字通り借金の催促に座頭が雇われる筋だったということでしょう。
初演は、明治44年2月、日本橋常盤木倶楽部での「第一次第70回落語研究会」の高座だったそうです。
こういう噺・・作者もはっきりしていることもあるので、やはり新作落語の範疇になるんでしょうか?
目の不自由な人の呼称に、「座頭」とか「検校(けんぎょう)」と言うのがあります。
座頭」は、江戸期における盲人の階級の一つ。
また転じて按摩、鍼灸、琵琶法師などへの呼称としても用いられた。
「当道座(盲人の官位をつかさどり、その職業を保護する組合)」は元々、平曲(日本中世の語り物のひとつで、平家物語を曲節を付けて琵琶の伴奏で語るもの。
平家琵琶を演奏する琵琶法師の称号として呼ばれた「検校(けんぎょう)」、「別当(べっとう)」、「勾当(こうとう)」、「座頭(ざとう)」に由来する。    
古来、琵琶法師には盲目の人々が多かったが、「平家物語」を語る職業人として鎌倉時代頃から「当道座」と言われる団体を形作るようになり、それは権威としても互助組織としても、彼らの座(組合)として機能した。
彼らは「検校」「別当」「勾当」「座頭」の四つの位階に、細かくは73の段階に分けられていたという。
これらの官位段階は、当道座に属し職分に励んで、申請して認められれば、一定の年月をおいて順次得ることができたが、大変に年月がかかり、一生かかっても検校まで進めないほどだった。
金銀によって早期に官位を取得することもできた。    
江戸時代に入ると当道座は盲人団体として幕府の公認と保護を受けるようになった。
この頃には平曲は次第に下火になり、それに加え地歌三味線、箏曲、胡弓等の演奏家、作曲家としてや、鍼灸、按摩が当道座の主要な職分となった。
結果としてこのような盲人保護政策が、江戸時代の音楽や鍼灸医学の発展の重要な要素になったと言える。
当道に対する保護は、明治元(1868)年まで続いた。
専属の音楽家として大名に数人扶持で召し抱えられる検校もいた。
また鍼灸医として活躍したり、学者として名を馳せた検校もいる。

・・・目の不自由な人と言うのは、ある意味で保護され、それなりの存在感もあった訳ですね。
落語「三味線栗毛」は、大名酒井雅楽頭し錦木検校との心温まる噺です。
川柳に「大晦日首でも取って来る気なり」、「大晦日首でよければやる気なり」。
大晦日は借金を取る方も、取られる方も必死だ。
今年の大晦日も借金だらけの甚兵衛さんの家。
女房が、「長屋の富の市っあんは、口達者で知恵も回り、機転もきくから一円のお礼で借金取りの断りを頼もう」と提案。
すぐに甚兵衛さんは座頭の富の市の家へ出向いた。
富の市は金でも借りに来たのかと警戒したが、一円の礼つきで借金の断りと聞いて一安心、喜んで引き受けてくれた。
甚兵衛さん「もう掛取りが来る時分ですから家へ一緒に来てください」に、富の市は、「商人は大晦日は大忙しなんだよ。無駄足をさしちゃいけないよ。向こうから来ないうちに、こっちから出掛けて行かなくちゃいけねえ」で、早速、米屋の尾張屋に先制攻撃開始。
富の市「この甚兵衛さんの商売の大道商いがどうもうまくいかず、家財道具を売り食いしているような有様で・・・借金をとても今晩お返しすることはできない・・・」、米屋は「それは約束が違う。困る、困る・・・」を連発する。
富の市は業を煮やした風に、「これだけの屋台骨しょっていて甚兵衛さんの借金なんてはした金じゃねえか。どうしても取ろうというのなら居催促だ。春まで待つと言わねえうちはここを動かねえ・・・」と居直った。
店先で居座られて大声を出されては、商売の邪魔で入って来る客の手前もみっともない。しぶしぶ米屋は「・・・仕方ないから春まで待ちますよ」と陥落した。
二人は次は名うての頑固者の炭屋へ乗り込む。
富の市は以前買った炭にケチをつけ、甚兵衛さんの借金を切り出す。
炭屋「炭に因縁つけるようなことしないで、何で最初(はな)から頭を下げて借金を待ってくださいと言わないんだ。・・・きっちりと今晩、払ってもらいますよ」と手ごわい。
富の市「それじゃあ、甚兵衛さんに頼まれたあたしの顔は丸つぶれだ。申し分けが立たないから死んでお詫びをする。目が見えないので一人じゃ死ねないから殺してくれ、さあ殺せ!、殺せー!」と大音声を張り上げた。
店の前には何事かと人が群がり店の中を覗き始めた。これにはさすがの炭屋も参って、「・・・いいよ、いいよ待つよ、春まで待つよ」であえなく陥落、二件落着。
お次は町内一の喧嘩好きの魚屋の金さんの所。
富の市は喧嘩腰で入って行くと思いきや、「・・・甚兵衛さんのおかみさんが流産で寝ているところへ、甚兵衛さんも患ってしまって食う物も食う銭もなくすっかり弱ってしまった。・・・気がかりなのは魚金さんへの借金のことという甚兵衛さんが可哀そうで春まで待ってくださいと親方の所へお願いに参りました。・・・・」なんて下手に丁重に出て頭を下げた。
出鼻をくじかれたような形の魚金は、「まあ、待つのは仕方ねえが、昨日、床屋で甚兵衛さんを見かけたが・・・」、 富の市 「へい、その髭面では一緒に魚金さんの所へ行くのは失礼だし、万一病が治らず冥土からお迎えが来たとしても閻魔さまの印象も悪かろうと、あたしが無理を言って床屋へ行かせました・・・」と、よどみがない。
魚金 「うー
、患っているにしちゃあ顔色もいいじゃねえか・・・」と、まだ半信半疑だがここも借金を春まで待ってくれた。
魚金の店を出た二人、富の市 「どうだい、うめえもんだろう。・・・おやおや百八つの鐘を突き始めたぜ・・・おらあ急いで帰ろう」
jj
甚兵衛 「まだ三軒ばかりありますんで・・・」
富の市 「そうしちゃいられねえんだよ。これから家(うち)へ帰って、自分の言い訳をしなくちゃならねえ」

・・・借金取りとの攻防は、「掛け取り」など他の噺にもたくさん出て来ます。
掛けの支払いがどうしても待てないのが、盆と暮れの年2回です。
特に歳末は、商家にとっては掛売りの貸金が回収できるか、また、貧乏人にとっては、時間切れで逃げ切って踏み倒せるかが、ともに死活問題。
普段掛売りするのは、同じ町内の酒屋・米屋・炭屋・魚屋などなじみの生活必需品に限られ、落語では結局、うまく逃げ切ってしまうことが多いのですが、現実はやはり厳しかったたようです。

2019年1月11日 (金)

三連休は・・・

明日からの三連休。
三連休は・・・
雨や雪が降るのは太平洋側が中心となりそうです。
12日(土)の夜から13日(日)の未明にかけて関東南部や山梨県などでも雪がまじり、山沿いを中心に積雪のおそれがあります。
・・・明日の帰省は、早めに帰らないと。

新車販売台数

去年1年の国内新車販売ランキングが発表されました。
ベスト10のうち7台は軽自動車です。
最近のモータリーぜーションを思えば、さもありなんだと思います。
新車販売台数
これが、ベストセラーの「ホンダN-BOX」です。
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特に田舎に行くと、こんなスタイルのクルマばかりが走っています。
軽自動車を除く登録車のベストセラーは「日産ノート」。
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今、何かとお騒がせの日産のクルマです。
トヨタは、「アクア」や「プリウス」などに分散していますから、全く実力を示しているとはいえません。
単に、「e-パワー」という仕組みがヒットの原因で、ほとんど国内市場を見ていないゴーン日産ですから、今後は期待薄だと思います。
そもそも、会社がどうなるかさえも、不透明ですから。
「ケンとメリー」はどこに行ってしまったんでしょう・・・?
一昔前なら、軽自動車を押さえて、「カローラ」「ヴィッツ」などの小型車だけでなく、「クラウン」「マークⅡ」「エスティマ」など、トヨタ車が並んだものです。
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こんなクルマに乗りたいなぁ・・・。

親子で力を合わせて

先日の私の誕生日。
親子で力を合わせて
珍しく息子からメールがありました。
一言「誕生日おめでとう」だけでしたが。
普段から愛想のない奴で、メールをくれただけでも驚きです。
但し、決して仲が悪い訳ではありません。
親父と倅なんて言うのは、それぐらいで良いと思っています。
その代わり、嫁が色々やってくれますので、それが有難い。
その嫁が送ってくれた天使(天使②と天使④)たちの写真の中に、息子が長男(天使②)と餃子を作っているのがありました。
息子も、しっかり・・・かどうか分かりませんが、まぁ父親しているようです。
そうそう、嫁からのLINEメールに、天使の声もありました。
「じいじ、誕生日おめでとう」。
これも一言でしたが、じいじには何よりも嬉しいバースデープレゼントでした。

変な話

多くの人が釈然としないのではないかと。
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福井県内の40歳代の男性僧侶が9月、僧衣を着て車を運転したことを理由に、交通反則切符(青切符)を切られていたそうです。
今回青切符を切った根拠となっているのが、県の規則だそうで、「運転操作に支障がある衣服」での運転を禁じているためだと。
福井県道路交通法施行細則では「運転操作に支障を及ぼすおそれのある衣服を着用して車両を運転しないこと」との規定となっているそうです。
・・・言っていることに誤りはないと思いますが、規則は原則を言っているだけで、具体的には個別の運用(対応)ということになるんでしょう。
僧侶の多くは日常的に僧衣で運転しており、この僧侶も「法事に行けない」と反則金の支払いを拒否し、所属する本願寺派も反発する異例の事態になっているそうです。
福井市内の県道で、男性が軽乗用車を運転していたところ、取り締まり中の警察官に制止され、「その着物はだめです」と告げられ、青切符を交付された。
この時の違反内容は「運転に支障のある和服での運転」と記され、反則金6000円を納付するよう求められた。
jj
この僧侶は法事に行く途中で、裾がひざ下までの僧衣を着ていたようです。
本人も、20年前から僧衣で運転しているが、摘発は初めて。
警察官は、僧侶が着ていた僧衣の袖や裾が運転に支障があると判断したようですが、県警は「僧衣が全て違反ではなく状況による」と説明し、基準は明確ではないという。
個別対応になるのは仕方ないとしても、不統一で明確な基準がないのは問題でしょう。
最近、航空会社のパイロットや搭乗員のアルコール検査の結果が問題になっていますが、これとて、法律では飲酒を禁止しているだけで、その基準は、業界や会社の自主的な基準で運用しているはずです。
そもそも、僧衣(法衣)や着物を着て運転していたことが原因の事故と言うのは、どれほどあるのでしょうか?
安全のために、ルール違反を取り締まることは絶対に必要ですが、あおり運転などの危険な運転やスピード違反、自転車のマナーこそ、まず最優先で撲滅させるへきでしょう。
まぁ、今はお寺側と警察との見解が僧衣(相違)しています。
このままでは、議論も八方塞がりですから、法衣(方位)除けが必要ですね。
法衣(Why)、法衣で運転しちゃいけないの?
対策の僧衣(創意)工夫も必要かな。
それが、一般の人たちの僧衣(総意)でしょう。

寄席芸人伝

やっぱり面白い。
さほど厚くないので、すぐに読み終えました。
古谷三敏さんの、ほのぼのとした絵が、人情たっぷりのストーリーと相俟って、落語を知らない人でも楽しめると思います。
これは、雑誌の特別付録ですが、コミックとして復刻もされているようです。
寄席芸人伝
「寄席芸人伝」はビッグコミックに連載されていた、寄席や噺家等芸人を主人公にした一話完結の漫画。
修行の辛さや師弟愛、芸の精進等を中心としてストレートな話が綴られている。
各エピソードは実際にあった話を元に構成されている。
例えば、古今亭志ん生が関東大震災の時に酒屋に行って酒をたらふく飲んだ事や橘家
圓喬が夏場に「鰍沢」を演じて、お客がぞくっとして襟を合わせた事等が名前は違えど、紹介されている。
今回のこの別冊にも、「これは、黒門町の(八代目)桂文楽師匠が元になっている」という作品が、最初に登場しています。
寸分違わぬ、練り上げて極限まで削がれた語り・・・。
寄席芸人伝
文庫化された最終巻8巻のあとがきで、林家木久扇師匠(当時は木久蔵)が、以下のようなコメントをされているそうです。
一部を紹介してみます。
(前略)
古谷三敏氏の労作「寄席芸人伝」は落語と言う伝統芸と、それを演じる個性の強い落語家への愛情あふれる応援歌である。
めまぐるしく進化してゆくインターネットの時代に、差別用語に始まる言葉狩りや、高級マンション、高層ビル、ハイテク生活に囲まれて、ますますマイナーになっていく落語と言う芸の行く末は不安で、其の中に「寄席芸人伝」はポット点った灯のように、やわらかで暖かく、読み手にやすらぎを与えてくれて、又、私達落語家のゆく道の道標にもなぞらえて、なさそうで、ありそうな世界をくりひろげてゆく。
(中略)
作品は簡素な人物の線と、淡々としたストーリーの展開に、師弟愛、青春、不遇、貧乏、修行、成功と言った味付けが、読む物を飽きさせない。
また、古き良き日本人、東京に住む人々の原型が作品の中に息づいていて、
そうだった、そんなふうだったと確認しては頷かせる。
特に私達落語家にとっては真っ直ぐな目で芸人を讃えてくれる有り難さを作者の意図に感じられて、
寄席芸人伝の作品群に何とお礼を言っていいのか判らない。

・・・古谷三敏は、ご健在です。(確か82歳ぐらい)
「寄席芸人伝」のほかにも、「ダメおやじ」、「ぐうたらママ」、「減点パパ」などという、これまた面白い人気シリーズがあります。
昭和ですね。

連休は雪?

明日、帰省しようと思っているのですが・・・。
予報を見て驚きました。
明日の夕方は、山梨県全域が「雪」?
連休は雪?
さらに、夜になると愛知県や静岡県の一部も降雪圏内に?
連休は雪?
日付が変わる頃には、南関東に広がり、八王子あたりも雪。
連休は雪?
都心はみぞれかな?
連休は雪?
13日は「成人の日」。
例年のこととは言え、「成人式」や「センター試験」は、雪が心配になります。
明日は、なるべく早めに戻って来ようと思います。

落語「按摩の炬燵」

「按摩」というのも、自粛、放送禁止用語になっているようです。
目の不自由な人が出て来る噺です。
「按摩」とは、なでる、押す、揉む、叩くなどの手技を用い、生体の持つ恒常性維持機能を反応させて健康を増進させる手技療法。
江戸時代から、按摩の施術を職業とする人のことを「按摩」または「あんまさん」と呼ぶ。

一方、「炬燵(火燵、こたつ)」は、日本の暖房器具。
床や畳床等に置いた枠組み(炬燵櫓、炬燵机)の中に熱源を入れ、外側を布団等で覆って局所的空間を暖かくする形式。
熱源は枠組みと一体になっているものと、そうでないものがあり、古くは点火した木炭や豆炭、練炭を容器に入れて用いていた。
落語「按摩の炬燵」
原話は古く、寛文12(1672)年刊の笑話本「つれづれ御伽草」中の「船中の火焼」。
大坂の豪商「鴻池」が仕立てた、江戸へ伊丹の酒を運ぶ、二百石積の大型廻船の船中での出来事となっていて、乗船している鴻池の手代が、冬の海上であまり寒いので、
大酒のみの水夫を頼んでぐでんぐでんに酔わせ、その男に抱きついて寝ることになる。
落語「按摩の炬燵」
その後、元禄11(1698)年刊の「露新軽口ばなし」中の「上戸の火焼」、 明和5(1768)年刊の「軽口春の山」中の「旅の火焼」、安永8(1779)年刊の「鯛味噌津」中の「乞食」と改作されながら、現行の落語に近づいてきた。
「乞食」では、なんと犬を炬燵代わりにするが、このやり方は落語には伝わらず、やはり酔っ払いに落ち着いた。
落語「按摩の炬燵」
この噺も、八代目桂文楽師匠の十八番でした。
冬の寒い晩、出入りの按摩(あんま)に腰を揉ませている、ある大店の番頭。
「年を取ると寒さが身にこたえる」とこぼすので、按摩が、「近ごろは電気炬燵という、けっこうなものが出てきたのに、おたくではお使いではないんですかい」と聞くと、「若い者はとかく火の用心が悪いから、店を預かる者として、万一を考えて使わない」という。

番頭は下戸なので、酒で体を温めることもできない。
按摩は同情して、「昔から生炬燵といって、金持ちのご隠居が、十代の女の子を二人寝かしておいて、その間に入って寝たという話があるが、自分は、酒は底なしの方で、酔っていい心持ちになると、からだが火のように火照って、十分その生炬燵になるから、ひとつ私で温まってください」と申し出た。
「いくらなんでもそれは」と遠慮しても、「ぜひに」と言うので、番頭も好意に甘えることにし、按摩にしこたま飲ませて、背中に足を乗せて行火(あんか)代わり。
おかげで、番頭は気持ちよさそうに寝入ってしまう。
ところが、様子を聞いた店の若い連中が、我も我もと押し寄せたから、さあ大変。
ぎゅうぎゅう詰めで、我先にむしゃぶりついたから、そのうるさいこと。
歯ぎしりする奴やら寝言を言う奴やらで、さすがの「生炬燵」もすっかり閉口。

そのうち、十一になる丁稚の定吉が、活版屋の小僧とけんかしている夢でも見たか、大声で寝言を言ったので、「ああ、かわいいもんだ」を、思わず「しっかりやれ」と、ハッパをかけたのが間違いのもと。
定吉、夢の中で「何を言ってやがる。まごまごしやがると小便をひっかけるぞ」と叫ぶが早いか、本当にやってしまった。
おかげで「炬燵」の周りは大洪水。
番頭も目を覚まし、布団を替えたり寝巻きを着替えたりで大騒ぎ。
「せっかく温まったところを、定吉のためにまた冷えてしまった。
気の毒だが、もういっぺん炬燵になっとくれ」
「もういけません。今の小便で火が消えました」。

・・・まぁ、実にくだらない噺でもあります。
一方で、今と違って暖房器具の少ない時代、みんな身体を寄せ合って、暖を取っていたんですね。

2019年1月10日 (木)

買ってしまった

電子書籍でタブレットで、無料で読めるのに。
やはり、アナログオジサンは紙ベースがいいのかなぁ?
買ってしまった
別冊が2冊付いて780円でした。
まずは、別冊の「寄席芸人伝」から読もうと思います。
この漫画も懐かしい。
「サライ」という雑誌は、オジサンの雑誌だと言われているんだそうですね。

一龍斎貞鳳先生

あぁ、懐かしい名前だなぁと。
一龍斎貞鳳先生
テレビ草創期の人気番組「お笑い三人組」に出演した講談師、一龍斎貞鳳先生(元参院議員今泉正二氏)が、2016年12月27日、死去していたことがわかったそうです。
享年90歳。
三回忌を済ませたのを機に、遺族が明らかにした。
家にテレビが来た時、昭和30年の半ば、物心ついた私の記憶に残っているのは、「ジェスチャー」の「柳家金語楼」師匠。「ポンポン大将」の「桂小金治」さん。
そして、「お笑い三人組」の「一龍斎貞鳳」「江戸家猫八」「三遊亭(小)金馬」さんでした。
図らずも、演芸家(芸人)さんたちが大活躍でした。
「お笑い三人組」の細かなストーリーは覚えていませんが、貞鳳先生が一番目立っていた気がします。
もうずっと前に演芸の世界から離れられていたので、名前を聞くこともありませんでした。
・・・お亡くなりになったんですね。
1938年、五代目一龍斎貞丈に入門。
54年に真打に昇進。
甘いマスクと達者な話術で、戦後は「今泉良夫」の芸名でテレビ・ラジオの司会者、タレントとしても活躍した。
56~66年に放送されたNHKのコメディー番組「お笑い三人組」では、四代目三遊亭金馬さん(当時・小金馬)、三代目江戸家猫八さんとのトリオで国民的な人気者になった。

昭和の思い出がまた一つ消えて行きます。
ところで、NHKのニュースで、貞鳳先生のことを「一龍斎さん」と言っていました。
う~ん、確かに分かりますがね。
例えば、歌丸師匠の場合は「桂さん」、圓生師匠なら「三遊亭さん」って、言ったんでしょうか?
これは「歌丸さん」「圓生さん」でしょう。
だから、「貞鳳さん」でいいんですよ。

気になる

前から気になっている、浪曲の美人曲師。
気になる
こんなイベント(独演会?)があるんですね。

もう、何度も開催されている様子・・・。

表参道

賑やかな参道です。

名物は、せき止め飴と達磨。
参道の両側から、威勢のいい呼び込みの声と、飴を切る包丁を叩く音が聞こえます。
表参道
あとは、葛餅も目立ちました。

縁起物の達磨も、そこそこの値段で驚きました。
表参道
値段を見て、達磨で"手も足も出ない"ので、買いませんでしたが。
風はありませんでしたが゜かなりの冷え込みでした。

厄除け・護摩祈祷

信者や信徒だけでなく、私のような者も含めて、満員の大本堂で「厄除け・護摩祈祷(護摩修行)」を。
川崎大師へ
護摩の修行は、奥深い内容を秘めた哲学的な意義と、真言宗という、正しい密教の教理に裏付けられた荘厳な宗教儀式だそうです。護摩と言うのは、梵語でホーマ(homa)といい、〈焚く〉〈焼く〉などの意味をもつことばで、仏の智慧の火を以て煩悩(苦の根元)を焼きつくすことを表わす。
護摩炊き
護摩は、御本尊のご宝前に設けられた護摩壇の周囲に香華をはじめ五穀、お供物をそなえ、斎戒沐浴して心身を浄めた導師が、中央の炉の中に護摩木を焚いて、御本尊厄除弘法大師のご供養をすることにはじまる厳粛な秘法。
合掌して、弘法大師の宝号「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」を唱える。
この護摩によって、煩悩を焼き浄め、大厄を消除し、家内安全、商売繁昌、病気平癒、心願成就など、開運の祈願をするという訳で。
護摩炊き
祈祷が終わると、お屠蘇をいただき、お札を受け取って、一連のお参りが終了。

川崎大師へ

恒例の会社の初詣は、何故か昔から「川崎大師」です。
川崎大師へ
川崎大師・・・、金剛山平間寺という真言宗智山派の大本山。
1128(大治3)年建立の名刹です。
平間兼乗という人が、海中へ網を投げ入れたところ、弘法大師の木像を引き揚げた。
兼乗は木像を洗い清め、花を捧げて供養し、近くに小堂を構えた。
諸国遊化の途中に訪れた高野山の尊賢上人は、弘法大師の木像に纏わる話を聞き、兼乗と力をあわせ、平間寺を建立した。

川崎大師へ
賑やかな参道を歩くと、大山門が見えて来ます。
川崎大師へ
大山門をさらに進むと大本堂です。
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松の内の混雑はありませんが、大勢の参拝客で混雑でした。

福男

関西ローカルですが、今や全国的にもお正月の風物詩の一つになっているかもしれません。 
   福男
商売繁盛の神様「えべっさん」の総本社「西宮神社」で、今日早朝、十日えびすの参拝一番乗りを目指して境内を走る恒例の「開門神事 福男選び」が行われたそうです。
「一番福」は広島県福山市の22歳の消防士さんが獲得。
「みんなが笑顔で過ごせるように福を授けたい。この1年間、災害が少ないことを願っています」と語ったとか。
・・・今までなら、「あぁ、さよか」で終わっていたんですが・・・。
1日前に、わが天使たちも、昨年から西宮に住んでいますから、この神社に参拝していたようです。

神事は、江戸時代に始まったとされ、今年は約5000人が参加。
午前6時に太鼓の音と共に表大門が開かれると、約230メートル先の本殿を目指して一斉に走り出した。

・・・昨年の福男は受験生だったそうですが、見事に浪人しているという話も聞きました。
まぁ、よく噺家さんがマクラで、「○○天神(天満宮)の宮司の倅が浪人した」なんて言ってますが。

落語「鮑のし」

おめでたい「熨斗(のし)」の噺。
林家木久扇師匠がよくやっています。
落語「鮑のし」
熨斗(のし)は元来、「あわびのし」だけを指しました。
というのも、昔は生のアワビの一片を方形の紙に包み、祝いののしにしたからで、婚礼の引き出物としてあわびのしを贈る習慣は16世紀ごろからあったそうです。
不祝儀の場合は、のしを付けないのが古くからの習わしでした。
ただ、この噺で語られる通り、あわびのしは紀州特産で、生産量も少ないため、時代が下るにつれ、簡略なものとして「の」「乃」「のし」などと書いたものが代用されるようになったわけです。
現在では品物の包みに水引を掛け、その右肩に小さな黄色い紙を四角い紙で包んだのが本格で高級品。
ただ、今はほとんどその形を印刷したもので済ますので、もうあの形が何を表すのか、ほとんど忘れられています。
落語「鮑のし」

ついでに生きているような、おめでたい男。
今日も仕事を怠けたので、銭が一銭もなく、飯が食えない。
空っ腹を抱えて、かみさんに「何か食わしてくれ」とせがむと、「おまんまが食いたかったら、田中さんちで五十銭借りてきな」と言われる。
いつ行っても貸してくれたためしがない家だが、かみさん「あたしからだってえば、貸してくれるから」。
その通りになった。
つまりは信用の問題。
所帯は全部、しっかり者のかみさんが切り盛りしているのを、みんな知っている。
借りた五十銭を持って帰り、「さあ飯を」と催促するとかみさん、「まだダメだよ」。
今度は、「この五十銭を持って魚屋で尾頭付きを買っておいで」と命じる。
今度大家のところの息子が嫁を迎えるので、そのお祝いだと言って尾頭付きを持って行けば、祝儀に一円くれるから、その金で米を買って飯を食わせてやる、と言うのだ。
ところが、行ってみると鯛は五円するので、しかたがないから、あわび三杯、十銭まけてもらい、買って帰るとかみさん、渋い顔をしたが、まあ、この亭主の脳味噌では、とあきらめ、今度は口上を教える。
「こんちはいいお天気でございます。うけたまわりますれば、お宅さまの若だんなさまにお嫁御さまがおいでになるそうで、おめでとうございます。いずれ長屋からつなぎ(長屋全体からの祝儀)が参りますけれど、これはつなぎのほか(個人としての祝い)でございます」。
長くて覚えられないので、かみさんの前で練習するが、どうしても若だんなをバカだんな、嫁御をおにょにょご、つなぎを津波と言ってしまう。
それでも、「ちゃんと一円もらってこないと飯を食わせずに干し殺すよ」と脅かされ、極楽亭主、のこのこと出掛けていく。
大家に会うと、いきなりあわびをどさっと投げ出し、「さあ、一円くれ」。
早速、口上を始めたはいいが、案の定、バカだんなに、おにょにょご、津波を全部やってしまった。
腹を立てた大家、あわびは「磯のあわびの片思い」で縁起が悪いから、こんなものは受け取れないと突っ返す。
これでいよいよ干し殺しかとしょげていると、長屋の吉兵衛に出会ったので、これこれと話すと、吉兵衛「『あわびのどこが縁起が悪いんだ。おめえんとこに祝い物で、ノシが付いてくるだろう。そのノシを剥がして返すのか。あわびってものは、紀州鳥羽浦で海女が採るんだ。そのアワビを鮑のしにするには、仲のいい夫婦が一晩かかって作らなきゃできねえんだ。それを何だって受け取らねえんだ。ちきしょーめ、一円じゃ安い。五円よこせ』って尻をまくって言ってやれ」とアドバイス。
「尻まくれねえ」
「なぜ?」
「サルマタしてねえから」。
そこで大家の家に引き返し、今度は言われた通り威勢よく、「一円じゃ安いや。五円よこせ五円。いやなら十円にまけてやる……ここで尻をまくるとこだけど、事情があってまくらねえ」

・・・最近は、ここいらをオチにすることが多いようです。
前座噺にこそ、様々な薀蓄がどっさり含まれていて、落語を覚えたら、かなりの雑学通になると思います。

2019年1月 9日 (水)

サライ「志ん生の聴き方」

今年の大河ドラマで登場することもあり、古今亭志ん生師匠が脚光を浴びているようです。
雑誌「サライ」も、大々的に特集を組んでいます。
昭和の名人のCDブックの配本を始めたこともあるんでしょうか。
サライ「志ん生の聴き方」
なかなか読み応え頑張りますありそうです。
サライ「志ん生の聴き方」
電子書籍として、スマホとタブレットにダウンロードして、ゆっくり読みたいと思います。
それにしても、没後50年近く経つのに、未だに衰えないこの人気は、一体何なんでしょう。
マスコミも絶賛する名人の良さの分からない私は、鈍いのかなぁ・・・。

師匠の創作噺

師匠は、「五百噺」にチャレンジし、28年を費やして見事完遂されました。
500題の噺にチャレンジと言ったものの、現実には、実際に演じられている噺の数は、到底500にならなかったそうです。
そこで、民話や法話や文学などを参考にして、ご自身で多くの噺を創作されました。
創作(新作)と言っても、様々な時代やカテゴリーがあります。
師匠の創作噺は、基本的には江戸時代から明治までの、所謂古典落語の舞台になっている頃が舞台になっています。
例えば、明治文学を翻案する場合には、噺の舞台を江戸時代の下町に設定したり。
従って、古典落語の雰囲気に溢れるものがほとんどです。
ちょっと思い立って、どれぐらい作られたんだろうと、高座本のリストを検索してみました。
ただし、古典も含めて、師匠が編集や手直しを済ませて高座本化されているのが、合計約400弱ですから、これよりもさらにストックされている噺があります。
昨年4月現在で、創作噺をピックアップしました。
落語「位牌屋」師匠の「揺れるとき」の初演
演目と、その噺のキーワードを添えました。
◆は、私が持ちネタにしている噺です。
 1.秋の夕暮れ   新古今和歌集・西行・寂蓮
 2.石一つ(白鷺の東庵)   杉村顕道・医者・幽霊
 3.ういろう売り   芝居・ういろう・口上
 4.浦島老人     浦島太郎 鶴亀。養老の滝
 5.江戸の商人 胸の肉    ベニスの商人・金貸し
 6.押し絵になった男       乱歩・覗きからくり・浅草
 7.お富の貞操   芥川龍之介・幕末・女中
 8.おはぎ(ぼた餅)大好き   民話・肥後・姑。嫁・蛙
 9.親子蕎麦     蕎麦・棒手振り・芝居・口上
10.壁に耳あり     寄席・前座・太鼓・初高座
11.雷門の招き猫  民話・浅草・茶店・餅
12.からくり料理   食物・小噺・口上
13.枯木屋         怪奇・昔話・桜・犬
14.鬼子母神 藪中の蕎麦◆  雑司が谷鬼子母神・ミミズク

15.九品院 蕎麦食い地蔵    伝説・蕎麦・九品院
16.鍬盗人        泥棒・狂歌・田舎者
17.高座の徳利◆  寄席・席亭・芸人・酒
18.虚空蔵鰻      民話・虚空蔵・日野宮権現・鰻
19.小粒相撲      講釈・相撲・越後
20.来ぬ人を       百人一首・定家・恋煩い
21.小判十一両   人情・太宰治・小判・長屋
22.五百羅漢◆   人情・羅漢寺・迷子
三流亭流三
23.金蔵寺 蕎麦閻魔   禅宗・閻魔・蕎麦・千住
24.山茶花さいた  二口剛・老夫婦・山茶花・息子
25.坐禅の遊び   狂言・浮気・身代わり・坐禅
26.鹿の巻筆      鹿野武左衛門・江戸噺家
27.閑かさや        俳句・立石寺・隠居。芭蕉
28.写経猿         乙宝寺・今昔物語・猿・写経
29.将棋の遊び    廓・花魁・幇間
30.人呑鬼         怪奇・地獄・鬼・閻魔・野球

31.救いの腕◆    向島・花見・姉妹・夫婦
kk
32.節分鍋         節分・鍋・河豚・借金
33.銭垂れ馬       民話・馬・博打・銭
34.セロ弾きのゴーシュ   宮沢賢治・音楽・動物
35.澤蔵司 蕎麦稲荷    慈眼院・稲荷
36.戯れ地蔵      民話・石の地蔵・閻魔・老夫婦
37.父帰る          人情・菊池寛・戯曲・家族
38.チャンコの恩返し   人情・相撲・一本刀土俵入り
39.丁半指南       安藤鶴夫・桂三木助・佃島
40.通夜の蕎麦     怪奇・杉村顕道・植木屋
41.東海道狂歌    蜀山人・松平不昧公・東海道
42.どん尻の葉っぱ  オーヘンリー・坪内逍遥・黙阿弥
43.猫に小判       棒手振り・魚屋・念仏
44.野田の宿帳     西行・和歌・野田村
45.萩褒め          和歌・与太郎・萩
46.袋田の滝       西行・和歌・四季・光圀
47.奉加帳           芝居・勧進帳・酒・近藤勇 
48.法要猫           曹洞宗・法蔵寺・小川村
49.仏相撲           民話・相撲・長者
50.法螺の種        狂言・隠居・嘘
51.三井の貸し傘◆   人情・越後屋・若旦那
流三
52.みんな違って   文学・人情・金子みすゞ
53.指相撲          相撲・稲妻雷五郎・横綱
54.熊野(ゆや)の母   謡・熊野・若旦那・道楽
55.揺れるとき◆   三遊亭円朝・安政地震・寄席
kk
56.羅宇の仲人     狂歌・紫檀楼古木
57.留守番小坊主    狂言・小坊主・饅頭
58.吾輩は坊ちゃんである  夏目漱石・松山・東京
59.草鞋の裏        杉村顕道・草鞋・庄内・学問

       ・・・凄いですね、約60席です! 
やってみたい噺もたくさんあります。
古典と違って、大勢の人の手によって練り上げられていないので、自分で演出したり工夫を入れる必要があります。
「救いの腕」の時も、「揺れるとき」も、「五百羅漢」でも、稽古をしながら、師匠とストーリーを変えたりもしながら、私なりに作って来ました。
語り継いで行って、もしかするといつかポピュラーな噺になるかもしれません。

もう1人の1月8日

私の誕生日と同じ日、51年前(1968年)の1月8日、オリンピック(メキシコ)でのメダルが期待されていたアスリートが、自ら命を絶ちました。
円谷幸吉さん。
当時27歳でした。
1964年の東京オリンピックのマラソンで銅メダルを獲得し、国民的な英雄になりました。
国立競技場のトラックで、イギリスのヒートリー選手に抜かれるまでは、当時無敵のエチオピアのアベベ選手に続いていました。
小学2年生だった私も、テレビに釘付けになって応援したのを覚えています。

前回の東京オリンピックは、まさに国を挙げたイベントでした。
1人のアスリートであると同時に、国の威信を賭けた星でした。
銅メダルを獲得した後は、「次は金メダルだ」と、自他共に意識した(させられた)時代です。

結果的には、その重圧に耐えられず、メキシコオリンピックが開催される年の初めに、還らぬ人となりました。

「父上様、母上様、三日とろろ美味しうございました」から始まり、「幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」で結ばれている遺書にしたためた家族達への感謝と、特に「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」というフレーズは、衝撃的でした。
今のアスリートにも大きなプレッシャーですが、簡単に比較は出来ないものの、想像を絶するプレッシャーだったと思います。
そういう光景を目の当たりにしている人が多いから、後年、チャラチャラした態度で記者会見をしたり、「楽しんで来る」などとコメントしたアスリートには、物凄いバッシングがされたものでした。
彼らも、自らのプレッシャーを抑えるためだったのでしょうが、我々世代にとってあの言動は、到底容認出来なかった。
オリンピックの代表=国の代表だから。
その、円谷選手のことを歌った歌もヒットしました。
当時の若者が聴いていたラジオの深夜放送でも、何度も聴いたものです。
ピンクピクルスという女性グループが歌った「一人の道」。
https://www.youtube.com/watch?v=TYWruGl8CoU
♪・・・・見て欲しかったもう一度 表彰台の晴れ姿
     だけど身体は動かない とってももう走れない
                    ・・・これ以上は走れない♪

あれから半世紀以上が経つんですね。

落語「穴泥」

落語の方には「さんぼう」と申しまして、この噺をしていれば、お客さまからお小言を頂戴しないという噺があります。
「さんぼう」と申しましても、「仏・法・僧」の「三宝」ではありません。
落語の「さんぼう」は、「けちん坊・つんぼ・泥棒」です。

iiというマクラで始めるのが、ケチや泥棒の噺。
ちなみに、「仏法僧の三宝」は、仏と、仏の説いた法と、仏法を行ずる僧のことを言います。
八代目桂文楽師匠が仰るには、江戸時代の大きな商家には、床下に穴が掘ってあって、火災の時はそこに品物や掛け取り帳などを投げ込み水や砂を張って逃げ出したそうです。
gg
実際に、発掘調査がされていて、この穴は、防水のため分厚い木材が使われ、構造も精密であったようです。
現在のコレド日本橋、旧東急デパート新館(白木屋)跡、旧万町の位置の発掘調査によれば、土自体はあまり固くないので木で囲い壁を作った。穴蔵は船大工の技法で木を組み水の浸入を防いだことが判明したようです。 
  gg
火事が多かった江戸では、万一の際に家財を守るため、江戸城、大名屋敷や商家で多数の「穴蔵」を建造していた。
下町や低湿地と山の手や台地で穴蔵の作り方は全く異なる。
日本橋(下町)は船大工の工法が生かされている。
大店では、奥と店とで2ヶ所以上の穴蔵を持つ店もあった。
また地方の特産品を扱う商家は、蔵を分散して建設し、一つが焼け落ちても残った蔵で商売を続けた。
どちらにしても、「火事喧嘩伊勢屋稲荷に犬の糞」と言われるぐらいに火事の多かった江戸では不可欠のものだった。
火災保険のない時代、焼け出されると全ての家財、商品が失せてしまうので、庶民とすれば火災から守る最低限の防衛だった。

この噺は、その「穴」が舞台になっています。
大晦日。
掛取りに払うお金がなく、金策に走り回っている男が一人…。
如何がんばっても埒が明かず、家に帰った途端におかみさんから罵倒された。
「あんたなんか、豆腐の角に頭をぶっつけて死んでおしまい!!」
頭にきて家を飛び出し、何かいい手は無いかと思案をしているうちに、やって来たのは浅草の新堀端あたりの商家の前。
二階の窓ががらりと開き、誰かが降りてきた…。
「泥棒か? 泥棒だったらとっ捕まえて、お礼を手に…違うな。若い衆が女郎買いに出かけるんだ」
立てかけた大八車をはしご代わりに、天水桶から地面へと飛び下り闇の中へと消えていく。
「へー、見事に降りられるんだな…」
感心している男の耳に…悪魔のささやきが響き渡った。
件の道を逆にたどり、まんまと二階に潜り込む。
「三両だけ盗ませてもらい、稼いで金ができたら、菓子折りでも下げて返しにこよう」
明かりが射しているので階下をのぞくと、祝い事でもあったのか、膳部や銚子が散らかったままだ。
丁度腹の減っていた男は、足音を殺して一階に降りると、残り物を肴に酒をガブガブ。
しばらく飲んでいるうちに、小さな子どもがチョロチョロ入ってきた。
元々子煩悩だったこの泥的。
抱いてあやしているうちに、火鉢につまずき、その拍子で土間の穴蔵に落っこちた。
「何だ? 物凄い音がしたぞ…?」
物凄い音に店の者が起き出し、穴蔵に落ちたのは誰か、と聞くと『泥棒だ!!』と大騒ぎ。そのうち主の幸右衛門が出てきて…。
「祝いの後に縄つきを出したくありません。泥棒とはいえ、まだ何も盗ってないようだから穴蔵から引きずり出した上、厳重に説諭して見逃してあげましょう」 。
引きずり出す役目を仰せつかったのは、鳶の頭で「向こう見ずの勝つぁん」と言う異名を持つ男。

この男、身体中彫り物だらけでいかにも強そうだが…、穴蔵の中は真っ暗で、相手がどんなやつかも分からないのでなかなか降りられないため、とりあえず一発虚勢をかます。
「おい、泥棒!! 今から降りていくから、覚悟しやがれ!!」
「何を!? 下りてくりゃ、てめえのふくらはぎ、食らいつくぞ!」
「旦那ァ…アタシは…ふくらはぎだけは脆いんです…。え? 一両くれる? やい、泥棒、観念しろ!!」
「現金なやつだなぁ。もし降りてきたら、てめえの急所にぶら下がって、ねじ切るぞ!」
「ええ、旦那ァ…アッシの急所はちぎれたらそれまでなんですよ…。やっぱりお役人の方が…。二両に値上げ? やい、泥棒! 旦那が俺に二両下さるからな!!そのうちの一両やるから上がってきて下さい…」
「てめぇのほうこそ下りてこい。てめえの喉笛ィ食らいつくから!」
「だんな、あっしはごめんこうむって…。三両に値上げ?やい、泥棒!!今度は三両下さるんだ!!俺はもう絶対降りていくからな!!」
これを聞いた泥棒、「えっ、三両ならこっちから上がっていこう」。

ii・・・逆さオチというのかな?
どうも落語に出て来る鳶の頭は、強いのと、からっきし意気地がないのと両極端に分かれるようで。
この噺と「質屋蔵」などは、後者の部類です。
はったりとカラ元気が、愛すべきキャラを作っています。
私も、泥棒の出る噺だと、「出来心」「やかん泥」「花色木綿」とありますが・・・。

2019年1月 8日 (火)

やはり虚偽説明

やはり腐った会社、腐った社員です。
やはり虚偽説明
見え透いた嘘は直ぐにばれるものです。
やはり虚偽説明
やはり、虚偽の説明をしていました。
ANAウイングスで、40歳代の男性機長からアルコールが検出された問題で、全日空は、機長が飲酒時間や飲酒量について会社に虚偽の説明をしていたと発表。
実際はいずれも社内規定に違反しており、飲酒の場に同席した副操縦士と嘘の内容で口裏を合わせていた。
機長は、伊丹空港での乗務前の呼気検査でアルコールが検出され、乗員交代などのため国内線5便が遅延。
社内規定では、飲酒量の上限を「2単位」(1単位はハイボール300ミリ・リットル程度)とした上で、乗務開始12時間以内の飲酒を禁じている。
機長は当初、「前夜にホテルの自室で副操縦士とハイボールを2缶飲んだ。乗務の12時間前までに飲み終えた」と述べ、同じ便に乗る予定だった副操縦士も同様の話をしていた。
だが、説明内容に疑問を持った会社が追及したところ、機長は大阪市内の居酒屋で乗務約10時間前までハイボールやビールなど計4杯を飲んでいたことを告白した。
機長は規定違反の飲酒について「仕事の話で盛り上がってしまった」と釈明。
処分が重くなることを恐れて嘘をついたり、口裏合わせを求めたりしたとみられる。
・・・呆れ返ってものが言えません。
仕事への責任感やプライドなど欠片もない、とんでもない輩。
厳罰、極刑に値します。

誕生祝い

会社の若手2人が、誕生日のお祝いをしてくれました。
・・・と言うより、無理やり誘ってお祝いをさせました(?)。
誕生祝い
場所は、いつも頓平師匠と東京落語会の後に立ち寄る店。
誕生祝い
お通しの煎り豆から、もつ煮込み。
誕生祝い
タン、ハツ、レバー、ヒモ・・・。
誕生祝い
焼酎のロック。
誕生祝い
いつも注文する定番のつまみ。
誕生祝い
最近は、あまり一緒に飲むことも少なくなったので、久しぶりに楽しみました。
誕生祝い
湯豆腐も頼んで。
誕生祝い
締めは、冷やしトマト。
誕生日は、これで過ぎ去ります。

現金書留

最近は、様々な決済手段があります。
特に、電子化やキャッシュレス化が進んで、非常に便利になっています。
私も、クレジットカードや電子マネーをスマホで使うことが多くなりました。
また、振込もパソコンやスマホから行います。
が、実は、「現金書留」も重宝するようになりました。
現金書留
「現金書留」は、現金を直接送ることの出来る郵便。
現金を送る場合は、「必ず現金書留で送付しなければならない」と郵便法で定められている。
一般的に現金書留を送付す る場合は、上の写真のような専用の封筒を使うが、「現金書留」というのは「簡易書留」や「速達」などと同様に、郵送方法のオプションの1つなので、専用の封筒でなければ送付できないという決まりはない。

・・・でも、この定型封筒を使います。
これを使うのは、大きく分けて2つのパターンです。
まずは、天使たちにお年玉を贈る場合です。
特に息子一家は遠くに住んでいて、嫁の実家も九州なので、盆や正月はそれぞれの実家に交互に帰省するパターンです。
そんな時に、じいじは、お金をポチ袋に入れて、天使たちに現金書留で送ります。
まぁ、これは楽しい作業です。
もう一つのパターンは、実家の近くでの葬儀の香典です。
両親の知人などの訃報があった際に、近所の方にお願いする場合が多く、間に合えば香典袋を同封する場合もあります。
これは、現金そのものもさることながら、祝儀・不祝儀の袋や書簡が必要なので、電子決済という訳には行きません。
オール電化の家が、自然災害で停電になってしまった時には、七輪やら懐中電灯(蝋燭?)が活躍するのと同様に、新しい仕組が出来ても、その正反対にあるアナログな物は、なくならないということですね。

サラブレッド

このブログの記事の中でも、多くの方に読んでいただいているのが、金原亭小駒さんについての記事です。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2014/12/post-fa3f.html
昭和の名人「五代目古今亭志ん生」を曽祖父に、「十代目金原亭馬生」を祖父に、「三代目古今亭志ん朝」を大叔父に持つ、斯界のサラブレッドです。サラブレッド
先日始まった大河ドラマでは、ビートたけしさんが、志ん生役で出ていましたので、ツイートをしていました。
ii
二つ目に昇進して、これからが期待されます。
私は、まだ一度も聴かせていただいていませんが。
jj
名人の家系に生まれて、敢えてその世界に飛び込んでの重圧についての質問に、こんなツイートをしていました。
重圧ですかー... 無いとは言い切れないのですが、なにしろ自分のことで精一杯なもんでよくわかりません!!

戦国時代?

毛利が武田を攻めた?
広島が長野を・・・、という記事を見て、戦国時代を想像してしまいました。
「広島が長野を獲得」って、長野県はとうとう広島県に吸収されたのかと。
そうじゃないんですね。
広島東洋カープが、讀賣巨人軍の長野(ちょうの)選手を、FA移籍した丸選手の人的補償として獲得した。
しかし、これも釈然としない。
先月、内海投手が、同様に埼玉西武ライオンズに移籍したときと同じで、何か・・ファン不在な感じがしてなりません。
選手は、新しい球団やファンに嫌われたくないから、健気な発言をしていますが。
やはり、「巨人の内海」「巨人の長野」ではないのかなぁ。
今朝の新聞の記事の一部。
長野外野手の人的補償での広島移籍発表から一夜明けた。
新聞の朝刊には、驚きとともに巨人の球団関係者、チームメートの「ショックです」「寂しいです」などの心の声とともに、広島の選手、関係者からの歓迎の声が並んだ。
巨人軍から正式に発表されたのは、7日の午後3時だった。
記者にも長野を知る他球団の選手、野球界関係者から次々に連絡が入った。
球団からの正式発表後にもかかわらず、ほぼ全員が「本当なんですか?」と尋ねるほど、衝撃のニュースだった。
「サカチョー」として、ともにチームをけん引した坂本内野手は「…」と数秒間沈黙した後、言葉を絞りだした。
「何も言葉が出ないです」。
それ以上、言葉は続かなかった。
普段はしっかりと言葉を発するキャプテンが「すみません…」。
また沈黙し、会話は終わった。
人的補償で西武に移籍した内海投手も同じだった。「…」。
必死に言葉を探すが、見つからず。
何とか心に整理をつけながら「僕が移籍する時にチョーさんは『寂しい』と言ってくれましたけど、僕も本当に寂しいです。チームは変わりますが、ともに同じ形での移籍になるので助け合いながら、頑張りたいです」と静かに話した。
内海、坂本の「…」の中には、苦楽を共にした選手だけが共有する特別な思いがあるのだろう。
先輩、同い年、後輩から「チョーさん」と愛された男。
自主トレ先のアメリカで長野は今、何を思っているのだろうか。

・・・こういうウェットさは、もう時代遅れなんでしょうか?
違うと思いますが。
炭谷選手や丸選手も、やりづらいと思いますが・・・。

これから・・・

色々思うところがあります。
どうやって、どこまで落語道を歩いて(究めて)行こうか。
そのために、今、これでいいのか。
勿論、落語は1人で演るものですが、その環境や居場所は良く考えないといけないと、最近特に実感するようになりました。
「誕生日を迎えた=残された時間が少なくなった」こともあって、色々考えます。
これから
一般的な話ですが、例えば、プロまでは行か(け)ないにしても、かなりのレベルの野球選手がいたとします。
(別に、野球選手のようなアスリートでなく、アーティストでも良いのですが。)
この人は、アマチュアチームの中心選手で、さらに自分を鍛えてプロにも負けないぐらいの実力をつけたいと常に思っています。
ところが、このチームに草野球を楽しもうという者が何人かいて、新たに入って来る人も同じようなスタンスの人ばかりになって来た。
彼らは、どちらかと言えば、野球の技術向上よりも、ただ趣味(娯楽)の一つとして楽しみたいと思っている。
だから、野球の歴史などの知識もなく、勉強したり、さらに高度な技術を身に着けようとも思っていない様子。
だからいつまで経っても上達しない。
それなのに、お友だち同士「上手くなったね」と言い合っている。
ちょっとかじっただけの草野球を、野球だと言って憚らない。
さぁ、そんな時どうする・・・?
後から来て、神聖な場所に土足で踏み込まれたようで心中穏やかではない。
そもそも、あまりにも野球に対する方向性が違いすぎる。
「悪貨が良貨を駆逐する」がごとく、後から来た人たちが我が物顔になって来たチームで野球を続けることが、楽しくなくなって来た。
さぁ、どうしよう。
とは言え、今のチームとグラウンドがあればこそ、試合をすることも出来る。
そういう意味では、捨てがたい部分もある。
が、やはりここは、自分の力をさらに磨くことが出来る環境を求めて行くべきなんでしょう。
幸い、別にも環境が整ったチームとグラウンドはある。
さらに、新たなチャンスも生まれるかもしれない。
だから、二兎を追わず、片方に全力を傾注した方が良いのかもしれない。
近々、その決断が必要になるのかもしれません。
・・・様々な趣味があって、人それぞれに考え方があって、目指す方向もみんな違うから、黙って新たな選択をする時が来る気がする。
昔、ヒット曲も多い人気グループが、「音楽性の違い」との理由で解散するようなケースがよくありました。
その頃は、どんなことか分からず、「勿体無いなぁ」と思いましたが、やっと理解することが出来ました。

誕生日

今日は誕生日です。
何と言っても、あの半島の北にある国の若旦那と同じ誕生日だと言うのがヤヤビミョーニダ。
kkkk
そうそう、確かこの人も今日が誕生日です。
「よく同じ日に生まれた。感動した」って言われるかも。
hhやれやれ、奇人・変人の日です。
今日の誕生花は「モクレン(木蓮)」だそうです。
誕生日
花言葉は「自然への愛」「持続性」。
そうか、周りには目モクレン(もくれん)で落語道に邁進(亥年だからといって猛進)しなさいって?
ほかにも、「母子草(別名ごぎょう)」や「マンサク」も誕生花なんだそうです。
母子草の花言葉は「温かい気持ち」。
もういい歳なんだから、ゴギョウぎ(お行儀)よくしなさい?
誕生日
PCやスマホでは、SNSや会員サイトから個人データに基いて自動送信される、愛情や祝意の欠片もない「誕生日おめでとうございます」メールを、何本も受信しています。
それでも、早速、娘と息子からは、LINEメールが来ました。
一応覚えてくれているみたい。
誕生日家内からは定番?のネクタイ。
まだ、働け!と鞭打たれる気分ですが、まぁ、無視されるよりはマシかもしれません。
還暦を過ぎたら、歳のカウントはターンさせて、59・58・・・・と減らして行くのはどうでしょう。
あるいは、満61歳を「閏1歳」と言うとか・・・。
どうでも良いですが、嬉しくないこともありませんが、やはり嬉しくありません。

えっ?まだやるの?

えっ?またやるの?まだやってるの?
えっ?まだやるの?
この銀行、大丈夫かな?
こんなに頻繁だと、サービスの低下も甚だしいと思います。
幸い、私は使っていないので関係ありませんが。
・・・しかし、もうATMの時代ではないんでしょうね。
究極は、サイバー決済と現金書留の両極端だと思います。

落語「荒茶」

1月8日は、実は私の誕生日です。
年齢は・・もう忘れました。忘れたい。
せっかくの誕生日には、あまり取り上げたくない噺なんですが、五十音順だから仕方がありません。
茶の湯自体は実に風流なんですがねぇ。
しかも、歴史上の人物(大名)が出て来るので、さぞや格調高い噺かと思いきや・・・(;_;)
落語「荒茶」
豊臣秀吉の死後、その臣下の大名は石田光成派とその反対派に分かれて行きますが、この噺は反対派の大名達の茶事(茶会)での出来事です。
徳川家康の家臣で知恵者と言われた本多正信が催した茶事で、細川忠興、加藤清正、池田輝政、福島正則、浅野幸長、黒田長政、加藤嘉明の7人が招待された。
しかし、茶道の心得のあるのは細川忠興のみ。
そこで皆が申し合わせて細川忠興の真似をする。
それがとんでもないドタバタ劇となる。
濃茶の回し飲みをする途中、加藤清正の髭が茶の中に入ったり、池田輝政が一度飲んだ茶をまた茶碗に吐き出したり。
それを詰め(最後)の福島正則が一気に飲み干してしまう。
落語「荒茶」春風亭勢朝さん。
この汚い噺は、想像するだけでやりたくありませんが、東京では、春風亭勢朝さんが、例によって脱線しながら、よくやっています。
「本膳」の侍版のような噺ですが、下品な(不潔な)噺だと思います。
噺としては、それだけのものだと思いますが、噺家さんは、蘊蓄を知らないといけないかもしれません。
登場人物の細川忠興は、三斎の号を持つ、千利休に茶道を学んだ高名な茶人であったそうです。
ということは、これを演じるためにはしっかりした茶道の仕草が出来なくてはいけません。
それも真似事ではなく、格調高く出来なくてはならない?
噺家さんは、踊りや長唄などの古典芸能はもとより、歌舞伎、相撲などの蘊蓄。
さらに茶道の心得まで要求されるという訳です。
芸の道は、実に深いものです。
「茶の湯」は演っても良いと思いますが・・、この噺は・・・?

2019年1月 7日 (月)

足腰が・・・

朝から、何となく足腰に違和感があります。
脹脛と太腿が重くて痛い・・、階段を下りる際に腰が痛い・・・。
昨日の朝、稽古に向かう途中、ここで転びました。
足腰が・・・
この景色を撮ろうとスマホで覗いていて、僅か数段の階段を踏み外して。
この時の身体の庇い方が良くなかった?
稽古は、時間の関係で、正座したのは15分あまりでしたから。
それでも、暮れの稽古以来、正座していませんでしたから、脹脛と太腿は、筋肉(贅肉)痛なのかもしれません。
ちょっと、様子をみないと。
また膝や腰に来るといけませんから。

新年始動

世の中は、今日から本格的に始動でしょうか。
いつもの通勤時間帯の雰囲気が戻って来ました。
新年始動
こんなに広告が、銀座線上野駅のホームにありました。
新年始動
「扇の国、日本」ですね。

金馬師匠

お弟子さんが撮った写真みたいです。
金馬師匠
寄席の初席。
元気に高座を勤めていらっしゃるようです。
引き続き、ご無理なさらずにお勤めいただきたいと思います。

落語「穴子でからぬけ」

さぁ、落語国のスーパースター「与太郎」の登場です。
落語の素晴らしさは、この与太郎が大活躍しているところだと言っても過言ではありません。
素直な目で?実に世の中や大人の世界の矛盾を憑いて来ます。
落語「穴子でからぬけ」
この噺も、下手に知恵のある人が欲をかくばかりに、与太郎にやられてしまいます。
与太郎は落語に登場する架空の人物。
「熊さん八っぁん」などと並ぶ、代表的な落語の登場人物。
例外なくぼんやりした人物として描かれる。
性格は呑気で楽天的。
何をやっても失敗ばかりするため、心配した周囲の人間から助言をされることが多い。
こうしたキャラクターから、与太郎の登場する噺は爆笑ものが多く、与太郎噺と分類される場合もある。
さらに「愚か者」の代名詞となっており、楽屋の符丁としてこのような人物を表す際にも用いられている。
   
落語「穴子でからぬけ」  
この噺は、与太郎が機知を見せる滑稽噺。
原話は、1772(明和9)年に出版された小咄本「楽牽頭」の一編「なぞ」。
マクラを除くと口演時間が非常に短く、演者の持ち時間が少ない場合に演じられる「逃げ噺」のひとつとして知られる。
主な演者に、林家彦六師匠、六代目三遊亭圓生師匠、六代目三遊亭圓窓師匠らが知られる。
なお、この演目自体が別の演目のマクラに振られることも多く、四代目春風亭柳好にこの演目を「牛ほめ」のマクラとして演じた音源が残っているそうです。
与太郎が源兵衛の家を訪ね、「俺がなぞなぞを出すから、源さんが答えられるかどうか賭けをして遊ぼう」と持ちかける。
源兵衛はしぶしぶ応じ、ふたりで小銭を出し合う。
与太郎は、まっ黒で、大きくて、足が4本あって、角があって、「モー」と鳴くものはと出題する。
源兵衛はあまりに簡単な問題に拍子抜けし、すぐさま「牛」と答えて小銭を取る。
次に、与太郎は、黒くて、くちばしがあって、空飛んで、「カアー」って鳴くものは」と出題する。
源兵衛は「カラス」と答えて小銭を取る。
(※演者によっては、さらに数問のやり取りを演じる)。
納得がいかない様子の与太郎は、高額の紙幣を出し、今度は難しいのを出すぞとすごむ。
あきれた源兵衛は与太郎をいさめるが、結局は賭けに応じることにする。
与太郎は、長いのも短いのもあって、太いのも細いのもあって、つかむとヌルヌルするものはと問う。
源兵衛は、俺が「ヘビ」と言ったらお前は「ウナギ」、「ウナギ」と言ったら「ヘビ」と言うんだろうとなじる。
与太郎が、両方言ってもいいよと言うので、源兵衛は「ヘビとウナギだ」と答える。
すると与太郎は、残念。「アナゴ」で、からぬけだ(=出し抜いてやった)」。
落語「穴子でからぬけ」
私の持ちネタには、実は賢い与太郎を描く「佃祭」と「猫怪談」があります。
「吉兵衛さん(お父っつぁん)、何で死んじまったんだよぉ」と、感情をぶつけます。
愛すべき与太郎が、落語国には大勢登場します。

2019年1月 6日 (日)

よそ見

ラジオ寄席を聴きながら、BSも見てみると。
よそ見
「日本の歌」かなにかやっていて、「演歌三人娘」が出ていました。
よそ見
今日も「鳰の湖(におのうみ)」を歌っていました。
よそ見
この歌は、去年の3月頃に発売して、ずっとこの曲1本でやって来て、紅白歌合戦にも出場出来ました。
演歌は息が長いのか・・・?
よそ見
新曲が間もなく発売されるそうです。
「紙の鶴」って言ったかなぁ。
どんな歌なのかは知りませんが、これから息の長い歌手になって欲しいものですね。

ラジオ寄席

TBSラジオの「爛漫ラジオ寄席」。
ラジオ寄席
NHK総合テレビの大河ドラマ「いだてん」が始まりました。
落語との関わりも折り込まれていると言うのと、ここのところドラマなど見なくなっているから、今年は続けてみようかとの淡い期待もありましたから。
・・・しかし、どうも違和感があって、とてもじゃないが続けて見られそうもないと、早々に視聴をやめました。
結局、「ラジオ寄席」を聴くことにしました。
漫才のナイツがやっているところ。
そして、俗曲の柳家小菊さん。
  ◇「幇間腹」   五街道雲助
やはり演芸、就中、落語が良いですね。
テレビでも連続ドラマなんて、とても続けて見られません。

新参さん「河豚鍋」

新参さんは、既に高座にかけている「河豚鍋」の繰り返し稽古。
新参さん「河豚鍋」
昨年は、7回の高座で6演目をやったそうで、ご本人も大変充実の"高座ライフ"だったと仰っています。
やはり「深川三流亭」と「お江戸あおば亭」の定例(年2回ずつ)だけでなく、公民館での講座(公演)をはじめ、出前落語会の機会は貴重な財産だと言うことですね。
師匠からも「不思議だ」と言われる(褒められる?)新参さんの今年も、ますます楽しみになります。

窓口さん「二番煎じ」

長講「二番煎じ」は窓口さん。
高座本から離れての通しでした。
いつもながら大したものだなぁと感心します。
窓口さん「二番煎じ」
師匠からは「こんなものかな、都々逸がポイントだけどねぇ」と。
窓口さん歌が好きだから、この噺でも難しい謡や都々逸を外さずにやっています。

流三「天災」

参加者が多く、時間の関係で、私は「天災」の後半だけを。
まだ演読です。
今月26日の「深川三流亭」に間に言うか・・・(^^;
ちょうど部分日食が起こっているはずの時間帯でした。
外に出れば、こんなふうに太陽が欠けた所を見ることが出来たのでしょうか?
流三「天災」
前回の稽古会の後、風邪を引いたり、体調が良くなかったりで、ほとんど稽古が出来ませんでした(言い訳)。
前回も、今日も、師匠からは「大丈夫」と一言だけしか言われませんでしたが・・・とんでもありません。
まだ、まともにやれる状態ではありませんから。
読み方ながらではありますが、登場人物の台詞や会話を工夫して、言い回しで舞台設定と表現が出来るようにと考えています。
声の強さ、高さ、スピード、間、硬軟・・・。
この無限大の組み合わせを楽しんだり、苦しんだり。

千交さん「松曳き」

千公さん、久しぶりの稽古参加でした。
お正月は、筑波山神社にお参りしたそうです。
千交さん「松曳き」
蕎麦打ちや俳句などもやっていて、精力的な千公さんですから、今年も楽しい噺をやってくれると思います。
今月19日の佐原の「有難亭公開稽古」にも参加するそうで。
夢学さんも参加するそうなので、千葉県南端の南房総から北端佐原にまで遠征すると言う、素晴らしいプランが実現しそうです。

蝶九さん「たらちね」

蝶九さんも、新しい演目「たらちね」をスタート。
初めての読み稽古です。
蝶九さん「たらちね」
師匠の高座本を、蝶九さんなりに要約したりしたようです。
蝶九さんに感心するのは、師匠の高座本を読んだり要約したりするだけでなく、音源を聴いたり、自分が納得のするまで様々なことを調べて臨んでいることです。
宇治拾遺物語や醒酔笑などで、原話を確認したり。
今日は、途中まででしたが、まだ長いので、もう少しコンパクトにするようです。

百梅さん「野ざらし」

さぁ、その百梅さんの"オーディション"です。
「おひろめ寄席」では、確か「紙入れ」をネタ出ししていましたが、今日は今度の「深川三流亭」でネタ下ろしの「野ざらし」。
百梅さん「野ざらし」
完全に高座本から離れて、通して聴くことが出来ました。
細かい所では、手直しなどが必要ではありますが、十分聴かせることが出来るまでにはなりつつあります。
師匠からも、特にダメ出しはありませんでした。
落ち着きも出て来て、百梅色が出始めた気もします。
この噺、深川三流亭の後でも、難度も繰り返して演り続けて欲しいと思います。
オーディション合格で、堂々と「おひろめ寄席」に出てもらえます。

媛堵さん「壺算」

南大塚で活動している天祖亭の媛堵(えんど)さん。
今日は、交流稽古が勿論目的ですが、4月に開催する「おひろめ寄席」の責任者として、我が落語っ子連の代表として出演予定の百梅さんの様子を見に来た・・・と、私が百梅さんにプレッシャーをかけました。
媛堵さん「壺算」
冗談はともかく、媛堵さんが落語っ子連の稽古に来てくれたのは2度目です。
前回は、確か「茗荷宿」を稽古した記憶があります。
師匠が指導されているグループは多いので、それぞれ稽古の雰囲気などは違うと思いますが、我が連の稽古は、師匠だけでなく、メンバーも感想や質問やアドバイスを言うので、面食らったかもしれません。
ということで、私も2点ほどコメントさせていただきました。
ところで、百梅さんのオーディションは見事"合格"だそうです。

学津さん「崇徳院」

学津さんの次なるチャレンジは「崇徳院」。
学津さん「崇徳院」
まだ読み稽古を始めたばかりのようです。
師匠からは、台詞の言い回しなどのアドバイスがありました。
若さもあって、声や言い回しにバリエーションが多くないので、全体的に余計な力を入れすぎないことが大切です。
私が学津さんに言ったのは、この噺にチャレンジするに当たって、単に噺を覚えて高座で演るだけではなく、「崇徳院=崇徳上皇」について、誰よりも詳しくなるぐらい勉強してくださいということです。
落語(噺)やその歴史や背景を研究することが、落語上達の隠し味になりますから。

稽古のとも?

初稽古だったこともあり、田舎の「枯露柿」を持参しました。
要するに干し柿です。
昔は、家の軒下にたくさんぶら下げて、真冬の夜の団欒で食べたものでした。
当時よりも、柿も大きく果肉も厚く、そこそこ柔らかい食感です。
稽古の
千公さんも、筑波山神社の「蝦蟇の油」を訪れたそうで、お土産を持って来てくれました。
それから、交流参加の媛堵さんも、気を遣って薄皮饅頭を・・・。
糖分を控える身ではありますが、「まぁ、お正月だから」ということで、美味しくいただきました。

落語っ子連初稽古

落語っ子連の新春初稽古は、メンバー7名と交流参加の天祖亭媛堵さんの計8名でした。
◇「崇徳院」三流亭学津
落語っ子連初稽古
◇「壺算」天祖亭媛堵
落語っ子連初稽古
◇「野ざらし」三流亭百梅
落語っ子連初稽古
◇「たらちね」三流亭蝶九
落語っ子連初稽古
◇「松曳き」三流亭千公
落語っ子連初稽古
◇「天災」三流亭流三
ちょうどこの頃、空では部分日食が観測されていたはずですが、熱い稽古は続きます。
落語っ子連初稽古
◇「二番煎じ」三流亭窓口
落語っ子連初稽古
◇「河豚鍋」三流亭新参
落語っ子連初稽古
部分日食にも我(ら)関せずで、熱い稽古になりました。
さぁ、今月26日はいよいよ「深川三流亭」です。

部分日食

今日は午前中に「部分日食」が見られるそうです。
部分日食
午前中、およそ3年ぶりに部分日食が見られます。
太平洋側など晴れ間の出る所では、部分日食が見られる絶好のチャンスだそうです。
部分日食
部分的に太陽が欠けるので、皆既日食とは違って、そんなにはっきりはしないそうですが。
稽古の真っ最中ですね。

今日は初稽古

今日は、落語っ子連の新年初稽古です。
去年の今日は「第10回深川三流亭」でした。
1年経つのは早いものです。
まだ薄暗いうちに家を出て駅に向かいます。
今日も穏やかな日和になりそうです。
今日は初稽古
東京駅経由で向かいますので、八重洲地下街を歩きましたが、さすがに人通りはまばらです。
今日は初稽古
年末年始は、風邪を引き、胸がイガイガしていて、前回の稽古以来、稽古らしい稽古をしていません。
今日も「天災」の演読をさせてもらおうと思います。
八重洲地下街をボーッと歩いていて、2~3段の階段を踏み外して、転倒してしまいました。
痛てて・・・。
誰にも見られずに済みましたが。
新年早々トホホ(;´д`)

落語「あたま山」

珍しい噺の部類に入るでしょう。
同時に、私にとってはトラウマの噺です。
と言うのも、私が最初にチャレンジした噺なんです。
落研には、私も含めて同期が5人でした。
先輩から高座名と最初の噺を決めてもらいます。
「浮世床」「孝行糖」「転失気」「桃太郎」・・と、同期の噺が決まりましたが、最後に残った私の噺が、なかなか決まりません。
暫く沈黙が続いた後、突然、4年生の孤狸亭酔狂師匠が、「あたま山」と言いました?
勿論、初心者の私は知りようもない噺。
「奇想天外で面白くて、大きな噺だよ」と酔狂師匠。
いい加減決めたがっていた他の先輩方も、無責任に「うん、そうだ!」・・・。
という具合に決まった、記念すべき?私の初演の噺でした。
落語「あたま山」
「頭山(あたまやま)」は落語の演目の一つ。
「頭山」は江戸落語での名称で、上方落語では、「さくらんぼ」の題名で演じられている。
主にケチの噺のマクラとして使われる小噺だが、八代目林家正蔵(彦六)師匠は噺を膨らませて一席噺として演じていた。
・・・そうなんです。
hh
筑摩書房の全10巻の「古典落語」に、林家正蔵師匠の口演筆記が収録されていました。
hh
とにかく、音源も何もなく、聴いたこともなく、ただこの本だけが頼りでした。
hh今となればあるのですが。
https://www.youtube.com/watch?v=RLVfseykAOI
・・・でも、筑摩書房の口演筆記とは全然違っていた気がします。
落語「あたま山」
原話は安永2(1773)年刊「坐笑産」の「梅の木」や、同年刊「口拍子」の「天窓(あたま)の池」。
類話として安永10(1782)年刊「いかのぼり」の「身投」、享和3年刊の黄表紙「いろ見草 浮世の頭木」などがある。
また、青森、岩手、鹿児島などに同趣向の民話が存在した。「徒然草」の「堀池の僧正」に由来する、という説もある。
・・・どうやら、由緒はありそうでした。
あるケチな男が、サクランボを種ごと食べてしまったことから、種が男の頭から芽を出して大きな桜の木になる。
近所の人たちは、大喜びで男の頭に上って、その頭を「頭山」と名づけて花見で大騒ぎ。
男は、頭の上がうるさくて、苛立ちのあまり桜の木を引き抜いてしまい、頭に大穴が開いた。
落語「あたま山」
ところが、この穴に雨水がたまって大きな池になり、近所の人たちが船で魚釣りを始めだす始末。
釣り針をまぶたや鼻の穴に引っ掛けられた男は、怒り心頭に発し、自分で自分の頭の穴に身を投げて死んでしまう。
落語「あたま山」
・・・実にくだらない。
どこが面白くて大きい噺か分からない。
他の同期がくすぐりの多い噺で受けている中で、私1人だけ・・・実に激しく凹みました。
何と言っても、初心者に地噺をやらせるという、実に無責任な選択だったと思います。
半年ぐらいは、高座に上がると「あたま山」。
あれ以来、ほとんどやっていません。
もしかすると、生では1度も聴いたこともないかもしれません。
しかし、この手の噺は、例えば「あたま山」に色々な花見客が繰り出して、歌や踊りを披露する場面では、演者のフリーハンドが発揮出切る訳で、得意な音曲などを入れればどんどん大きな噺に作り上げることも出来ます。
そういう意味で、粋狂師匠が仰った「大きな噺だよ」というのも、あながち嘘でもないかもしれません。
しかし、それにしても・・・、やはり私にとってはトラウマ噺です。

優越的地位の濫用

やはりセブンはダメですね。

法律や契約を楯にしていますが、人員補充の支援もせず、契約文言を錦の御旗にするのは、労働者なら不当労働行為、優越的地位の濫用ですね。

やはり、どこの世界にもウルトラマンはいない。

完全で無敵なものはない。

今の世の中で、自分たちの無策を棚に上げて、店主を犠牲にするビジネスモデルはもう限界です。

それにしても、この悪代官ぶりはひどい。

自分たちの立ち位置も分かっていない。

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コンビニ界にもウルトラマンはいないはずなのに、夜中にも売っとるセブン(ウルトラマンセブン)はいるんだ。

2019年1月 5日 (土)

12台玉突き事故

世の中はまだUターンラッシュなんですね。
12台玉突き事故
東名高速道路上り線大和トンネル付近で、合わせて12台の車が絡む玉突き事故が連続して発生したそうです。
この影響で上りの追い越し車線が規制されて、大和トンネル付近から伊勢原バス停付近まで約13キロの渋滞が発生。
まぁ、とにかく、いつも渋滞や事故が絶えない区間です。
特に、普段運転に慣れない帰省Uターンドライバーが多いでしょうから。
色々対策は考えているようですが、抜本的に考えないと、危なくて仕方ありません。
特に、何のこともないような区間なんですが、トンネルがボトムで緩やかな下り坂から上り坂になり、スピードが自然に落ちてしまうからなんでしょうか?
だとすれば、やはり構造的な欠陥と言う面も否定出来ません。
事故渋滞は、本当に迷惑ですから。

1円を笑う者は・・・

1円を笑う者は 1円に泣く
わずかな金額だといって軽視する者は、そのわずかな金額に困ることになる。
たとえわずかな金でも軽んじてはいけないという戒め

言い方は違いますが、お金を軽視する輩には、必ず罰が当たると思います。
1円を笑う者は・・・
築地から昨年10月に移転した豊洲市場で初となる新年最初の取引「初競り」が行われ、すしチェーンを運営する会社が、一番マグロを3億3360万円で競り落とした。
青森の大間産の生の本マグロで、278キログラム、キロ単価120万円。
これまでの最高額で、13年に同じ会社が落札した222キロの大間産クロマグロ1億5540万円(1キロ当たり70万円)を2倍以上更新したことになる。
落札した会社の社長は「え〜?そんなに。やっちゃったね。やりすぎちゃった。5000万〜6000万円くらいと思っていた。すぐ銀行さん行かないと」と、ちょっぴり反省。
ただ「最高のマグロです。お客様に食べて頂いて、元気をつけていただきたい。全店舗で出します」と話した。
「ご祝儀価格」に沸く一方で、高騰した価格に疑問を呈する声も。
ある水産仲卸業者は「ご祝儀相場どころではなく、ちょっと度が過ぎている。毎年こんなことが続くとおかしくなる。宣伝にしてもどうなのか」と首をかしげた。

・・・それが正常な感覚だと思います。
物事には、適正な規模(身の丈)というものがあるはず。
こんな異常値がまかり通るということは、陰でどこかに無理や腐れがあるに違いない。
百歩譲って、5000万円が相場?だとしたら、これを越える部分は、まさにバブル。
金の無駄遣い、金を笑い、金を疎かにしていることに他ならない。
そんなに金があるなら、せめて「伊達直人」になればいい。
それから、こんなバカバカしい話を報道したり、バカ高い刺身を食べようとするバカも馬鹿だと思います。
この会社、いずれそのうちに罰が当たると思います。
奢れる者久しからず

叔父に

今年も落語徘徊を始めないといけません。
昨日は、叔父に「深川三流亭」のチラシを送りました。
深川三流亭のチラシ
叔父は、乱志・流三・永久の高座をずっと聴いてくれている、ご贔屓の1人です。
いつも、ご近所の方々を誘ってくれて、10人ぐらいが来てくださいます。
昨年の後半は、ちょっと体調を崩したこともあってお休みでしたが、新年からはまた元通りに来てくれるそうです。
年賀状にも、「今年も落語を楽しみにしているよ」とコメントがありました。
リピーターがいてくれるから、無様な姿は見せられないと、一生懸命稽古しないといけません。

台風1号

所変われば品(名)が変わる 難波の蘆も 伊勢で浜荻
なんて言われることがあります。
同じ物(こと)でも、場所によって名前が違って来るという。
新年早々の1日午後3時、南シナ海で「台風1号」が発生。
そして、この台風は西へ進み、5日0時に日本の気象庁での監視域内である東経100度を越え、今後は、マレー半島を越えてベンガル湾に達することが予想されているそうです。
ベンガル湾に存在する熱帯低気圧のうち、最大風速が約17メートル以上になったものは「サイクロン」と呼ばれます。
ちなみに、この「台風1号」は、統計がある1951(昭和26)年以降で、最も早い日時に発生した台風だったそうです。
台風1号
「台風」は、東経180度より西の北西太平洋および南シナ海に存在する熱帯低気圧のうち、最大風速が約17m/s以上になったものを言うそうです。
「サイクロン」は、ベンガル湾やアラビア海などの北インド洋に存在する熱帯低気圧のうち、最大風速が約17m/s以上になったものを指します。
確か、日付変更線を越えると、「ハリケーン」と呼んだはず。
昨年は、台風が数多く上陸して、日本列島に大きな被害をもたらしましたが、こういうのは来て欲しくないものです。
それにしても、こういうケースは珍しいんでしょうね。
マレー(稀)と言うぐらいですから。

悪質な盗難

物凄く腹が立ちます。
悪質な盗難
一体、どんな了見で、こんなバカなことをするんでしょう。
悪質な盗難
許せない行為です。
悪質な盗難
さいたま市の鉄道博物館(鉄博)で先月末、展示車両の部品が盗まれ。乗務員室の扉などもこじ開けられていたそうです。
盗難被害に遭ったのは、旧国鉄時代の車両「クモハ455形」に取り付けられたプレート(レプリカ)。
列車の愛称である「まつしま」と記されていた。
この車両と、同様に旧国鉄時代の「クハ481形」では、乗務員室の扉やトイレの戸などがこじ開けられていた。
2両とも本館1階の展示室に設置されており、営業中の先月28日午後、従業員が被害に気付いた。
27日午後6時の閉館時には異常はなかった。
「鉄博」は2007年開館。
車両展示のほか、屋外でミニ列車の運転体験などができ、昨年度は約86万人が訪れた。
・・・また、心ない「○鉄」と言われる輩の仕業でしょうか?
それとも観光客?

落語「愛宕山」

この噺は、私の「演りたい」→「難しい」→「まだ早い」の"公式"に当てはまる噺です。
この噺も、八代目桂川文楽師匠なしに語れません。
昔のお大尽の遊びが伝わる、贅沢な噺です。
初めてこの噺を聴いたのは、東北学院大学の落研の発表会。
4年生が熱演したのを聴いて、とても刺激を受けました。
後半は、あり得ないような展開ですが、土器(かわらけ)投げという遊び、その土器(かわらけ)が飛んで行く様を想像して、そのダイナミックな場面に魅了されました。
落語「愛宕山」
私もお大尽に生まれたかったと思いました。
でも、小判を投げたりはしなかっただろうって。
落語「愛宕山」
「愛宕山(あたごやま)」は、元は上方落語の演目の一つ。
春山のピクニックを描いた華やかな噺で、京都の旦那と大阪出身の幇間とのユーモラスなやり取りが見どころです。
山行きの足取りや番傘での飛び降り、谷底から飛び上がってくるシーンなど要所で派手なアクションが入るため、長時間の話芸とともに相当の体力が要求される大ネタ。
上方では三代目桂米朝師匠や二代目桂枝雀師匠、桂吉朝師匠がよく演じました。
江戸落語にも輸出され、八代目桂文楽師匠の口演は非常に高い評価を受けました。
そして、古今亭志ん朝師匠には憧れます。
kk
頃は明治初年。
旦那のお供で、朋輩の繁八や芸者連中と京都見物に出かけた幇間の一八。
とにかく負けず嫌いで、何を聞かれても「朝飯前でげす」と安請け合いをするのが悪い癖。
あらかた市内見物も済み、今度は愛宕山に登ろうという時に、
旦那に、「愛宕山は高いから、おまえにゃ無理だろう」と言われ、「冗談言っちゃいけませんよ。あたしだって江戸っ子です。あんな山の一つや二つ、朝飯前でげす」と見栄を張ったばっかりに、死ぬ思いでヒイヒイ言いながら登る羽目に。
弟弟子の繁八を何とか言いくるめて脱走しようとするが、旦那は先刻お見通しで、繁八に見張りを言いつけてあるから、逃がすものではない。
おまけに、途中で旦那に「早蕨の握り拳を振り上げて
山の横面春(=張る)風ぞ吹く」という歌を自慢げに披露したまではいいが、「それじゃ、サワラビってえのは何のことだ」
と逆に聞かれて、シドロモドロ。
おかげで10円の祝儀をもらい損なう。
ようやく山頂にたどり着くと、ここでは土器(かわらけ)投げが名物。
茶屋の婆さんから平たい円盤を買って、頂上からはるか下の的に向かって投げる。
旦那は慣れていて百発百中、夫婦投げという二枚投げも自由自在だが、一八がまた「朝飯前」と挑戦しても、全くダメ。
そのうちに旦那が、酔狂にも土器の代わりに本物の小判を投げ始めたから、さあ一八は驚いた。
「もったいない」と止めると、「おまえには遊びの味がわからない」と、とうとう30枚全部放ってしまう。
小判は拾った奴の物だと言うので、欲にかられた一八、
旦那が止めるのも聞かばこそ、千尋の谷底目がけ、傘でふわりふわりと落下。
血走り眼で落ちていた30枚全部かき集めた。
「おーい、一八ぃ、金はあったかー」
「ありましたァー」
「全部おまえにやるぞー」
「ありがとうございますゥー」
「どうやって登るゥー」
「あっ、しまった」
「欲張りめ。狼に食われてしまえ」
kk
奴さん、何を考えたか、素っ裸になると着物を残らすビリビリと引き裂き、長い紐をこしらえると、そいつを嵯峨竹に引っかけ、竹の弾力を利用して、反動で空高く舞い上がるや、
「ただいまっ」
「えらいっ、貴様を生涯贔屓にしてやるぞ」
「ありがとう存じますっ」
「金は?」
「あっ、忘れてきた」

・・・私には、いずれ「愛宕山」と「船徳」をやってみたいという夢があります。

2019年1月 4日 (金)

勉強・・・

もう、街は普段の雰囲気になりつつあります。
勉強・・・
とは言え、久しぶりに仕事だと、少し疲れます。
勉強・・・
仕事始めは早めに切り上げたので、駅を出てからカフェに入りました。
私の座った席の両隣です。
恐らく高校生かなぁ、それぞれ勉強に励んでいます。
2人が頑張っている間で、ボーッとしながらアメリカンコーヒーを飲んでいるオジサンは、何か申し訳なく思います。
あまり無理しちゃダメだよ。
適当にやってはおきなよ。
まだまだ君たちにはゾカンハたっぷりあるんだから。
昨日のクラス会で話したことを思い出して、昔の余韻に浸っているという、実に生産性のないことで。
でも、これもオジサンの人生なんです・・・よね。

交通事故死者数

昨年の全国の交通事故死者数は3532人で、統計のある1948年以降で過去最少だったそうです。
但し、65歳以上の死者が過半数。
死者数は、ピーク時には毎年10000人を遥かに越えていました。
早くゼロにしないと。

理由の如何に関わらず

また、正月早々から、日本の航空会社のパイロットがやらかしました。
昨日の朝、全日空グループ会社が運航する大阪発宮崎行きで、40代の男性機長から乗務前の呼気検査でアルコールが検出され、乗務を交代。
全日空の運航便を含む計5便(乗客計677人)に影響し、那覇発大阪行きに最大104分の遅れが出た。
機長は前日、滞在中のホテル自室で、同乗予定だった副操縦士と一緒に飲酒。
聞き取りに、社内規定が定める乗務前12時間より前の2日午後7時までに、缶ハイボール(350ミリリットル)2本を飲んだと説明。
パイロットが激務だから、どうしても酒に・・・?
ルールどおりの時間内で飲酒している?
理由や事情はともかく、乗客の命と安全を何と心得ている?
缶ハイボール2本を飲むと12時間内に酔いが醒めない体質なら、もっと時間を空けるように個別に指導するか、そもそも禁酒させるかすべきだと思います。
それが危機管理(安全対策)の第一歩で、このていたらくは「危機管理ではなく管理危機」ですね。 (昨年亡くなった佐々敦行氏の言葉)
私は、本人の飲酒時間か飲酒量(場合によっては両方)の申告が虚偽だと思います。
全く信用出来ませんから。

仕事始め

今日は仕事始めです。
今年は、昨夜の熊本の地震には驚きましたが、天候にも恵まれて、穏やかな三が日でした。
昨日の同窓会で再会して聴いた壮絶な話が、まだ心の中で渦巻いています。
仕事始め
会社では、近くの金刀比羅宮に参拝して、新年の祈祷をしていただきました。
仕事始め
オフィス街の神社ですから、明日が土曜日ということもあり、例年よりは参拝客も少ない気がします。
仕事始め
神前に頭を垂れるのもまた、心が引き締まる思いがするものです。
商売繁盛、安全、健康・・・、良い年でありますように。

落語「麻のれん」

お正月なのに、真夏の噺の話題です。
五十音順にやっていますので、お許しいただくことにします。
「麻のれん」、「暖簾」と「蚊帳」が主役の軽妙な噺です。
この噺は、九代目入船亭扇橋師匠と、お弟子さんの扇辰さんが独壇場です。
扇橋師匠は、この噺といい「茄子娘」といい、不思議な噺が得意で、キャラは違いますが、扇辰さんが見事に継承しています。
「暖簾」はともかく、「蚊帳」はほとんど見なくなりました。
私も、中で寝た記憶はほとんどありません。
昔は、蚊だけでなく、様々な虫たちと共存していましたから。
落語「麻のれん」
この噺は、想像力を発揮してもらう格好の噺です。
以前、このブログでも、図に描いて説明したことがあります。
落語「麻のれん」
蚊帳を吊らなくては生活できないという時代の噺。
按摩の杢市は、強情で自負心が強く、目の見える人なんかに負けないと、いつも肩肘を張っている。
療治も終わって夜も遅いので、旦那が泊まっていけというので甘えることにした。
女中に離れ座敷に柔らかな床を取らせ、夏のことなので、蚊帳も丈夫で涼しい麻のを用意してくれて、その上、枕元には番茶を土瓶に入れて置いてくれた。
「目明きは色々な物が見えるから、欲しい物まで見えてくるが、目が見えなければそんな事も起こらない」と強がりを言う。
「車に突き当たるのは決まって間抜けな目の見える人で、夜道で突き当たられるのは目が見える人で、だから提灯を持って歩いているのだと言ったら、『火が点いていません』と言われてしまった」。
支度が出来たので、女中が部屋まで連れて行くというのを、勝手知っているから大丈夫だと断り、一人でたどり着いたはいいが、入り口に麻のれんが掛かっているのを蚊帳と間違え、くぐったところで座ってしまった。
まだ外なので、布団はない。
「布団は敷いていないし、枕元のお茶もない。手を広げると届くいやに狭い蚊帳だ」と、ぶつくさ言っているうちに、蚊の大群が大挙して来襲。
杢市、一晩中寝られずに応戦しているうち、力尽きて夜明けにはコブだらけ。
まるで、金平糖のように刺されてしまった。
翌朝、 旦那がどうしたのと聞くので、「小さな蚊帳で天井もなく、布団も敷いてなかった」と事情を説明すると、旦那は、蚊帳を吊るのを忘れたのだと思って、女中をしかるが、杢市が蚊帳とのれんの間にいたことを女中から聞いて苦笑い。
杢市も納得して帰った。
しばらくたって、また同じように遅くなり、泊めてもらう段になった。
また懲りずに杢市の意地っ張りが顔を出し、止めるのも聞かず、またも一人で離れの寝所へ。
今度は女中が気を利かせて麻のれんを外しておいたのを知らず、杢市は蚊帳を手で探り出すと 「これは麻のれん。してみると、次が蚊帳だな」。
二度まくったから、また外へ出た。

・・・面白い噺です。
落語には、目の見えない人が頻繁に出て来ます。
中には、障害のある人への配慮と称して、自粛する人がいますが、私には違和感があります。
落語は、差別ではなくて、様々な人がいるのを、自然に受け止めていますから、差別でも何でもない。
業を受け入れた世界は、とにかく自然です。
蔑視や軽視や虐めはありません。
これが、落語国の素晴らしさなんです。

お見事カーナビ!

一晩明けて、昨日の帰宅のルートを確認してみました。
とにかく、カーナビに指示されるがままに、ところどころセンターラインもない道を走らされましたので、どこを通ったのか、半分見当がつきません。
何となく、普段よりも富士山に近い場所を通った気はしたのですが・・・。

昨日、夕方の5時頃、中学校のクラス会の途中で中座して、愛車で帰途に着きました。
東名高速も、新東名高速も、帰省の大渋滞をかくごしていました。
富士宮市に入ってコンビニで、カーナビをセットしようとしました。
・・・すると、カーナビくんは、想定していなかったルートを第一候補にしています。
富士宮から北上して、中央高速の河口湖インターに乗るコース。
これは、今までも何回か通っていますが、幹線道路の国道139号線で、富士五湖の近くを通るルートでした。
ところが、どうもそのコースとも違っている様子。
しかし、このルートで行けば、自宅までの所要時間は3時間半~4時間弱。
と言うことは、9時前には帰ることが出来そうです。
勝手知ったる東名高速経由を確認すると、何と5時間以上・・・。
hh
あくまでも、現在の交通情報からのものですから、こんなにはかからないとは思いますが。
悩んだ挙句、特に急ぐ旅でもないので、カーナビくんの言うとおりに行ってみることにしました。
これが、カーナビくんの推奨コース。
国道139号線を使わずに、富士五湖(本栖湖から河口湖)の近くを通らない、ショートカットルートです。
お見事ナビ
これが、国道139号線を朝霧高原から富士北麓を通っていく通常のルートです。
お見事ナビ
カーナビくんの言うとおりに走ったおかげで、河口湖インターまでは1時間弱。
ただし、慣れない道で、ほとんど車も走っていないので、随分遠く感じました。
中央高速は、何とほとんど渋滞もなく、西新宿から山手トンネルを経由して、板橋から江北に出て、四つ木で下りて、水戸街道を通って帰りました。
自宅到着は、8時40分過ぎでした。
大正解!
カーナビくんに感謝です。

2019年1月 3日 (木)

熊本で震度6弱?

正月早々、また熊本が揺れました。
熊本で震度6弱?
震度6弱だと言うことで驚きました。
熊本で震度6弱?
ちょうどこの時、私は帰省から戻る愛車で、何故か富士山北麓を中央高速に向かって走っていました。
いつもの東名高速だと、ナビは5時間かかると。
ナビにコースを任せることにしたら、この全く今まで通ったことのない道を、しかも中央高速に誘導されました。
これなら4時間弱だと言うので。
九州新幹線などは運転を見合わせているようですから、帰省の方々のUターン荷物影響が出て来ているかもしれません。
でも、幸い大きな被害はなさそうで、ホッとしました。
・・・センターラインもないような、山麓の集落をいくつも通り抜けて、白樺林の中を突っ切って、やっと富士ハイランド(閉園していて真っ暗でしたが)が見えて来てホッとしました。
中央高速はほとんど渋滞もなく、結局3時間半かからずに自宅に着きました。
ちょっと不安でしたが、ナビのおかげです。

人生いろいろ

9年ぶりの中学校の同窓会。
同級生は50人弱でしたが、半数以上、それも男女半々ぐらいが集まりました。
そして、卒業以来初めて、恩師も来てくださいました。
私は、3年間別の先生が担任で、その先生は既に亡くなっていますが、隣のクラスの担任で、当時30歳の先生です。
野球部の顧問をしていて、英語と社会を教えていただきました。
今年、喜寿を迎えられるそうですが、大変お元気でした。
写真は、その先生と県大会に出場した野球部のエースとが懇談しているところ。
私は当時、生徒会長とブラスバンド部の部長だったので、県営球場のスタンドでトランペットを吹きながら必死に応援しました。
人生いろいろ
私を含めて数人は、静岡県内の高校に進学して、私はその後故郷を離れてしまったままですが、それぞれ年齢を重ね、風貌も変わっていますが、瞬間にタイムスリップするものです。
それぞれと昔話や近況報告をする中で、やはり壮絶な人生を送って来た人もいます。
ささやかながら幸せに暮らす人もいます。
残念ながら、連絡が取れなくなっている人もいます。
配偶者に先立たれ、残された子どもも事業に失敗して、自分も大病をした・・・。
突然、命に関わる病気に倒れて九死に一生を得た・・・。
様々な困難に遭遇しながらも、強くかつしなやかに、前向きに自身の人生の幕引きも考えながら生きている。
聴いていて、本当に涙が流れそうになりました。
他にも、定年退職し、また別のことにチャレンジしている・・・。
老いた親の介護をしている・・・。
それでも今回、卒業以来初めて再会できた人が2~3人いて、とても嬉しかった。
私は、4時半頃に退出しましたが、午後1時から始まった宴は、何と8時頃まで続いたそうです。
今度はいつ会えるか分かりませんが、本当に人生はいろいろですが、かけがえのない私の宝物と言える人たちです。
あ、そうそう、何とこのブログを読んでくれている人もいて、大変驚きました。
でも、とても嬉しかった。
・・・私は、まだまだ生き方が甘いのかなと痛感もしました。

富士の富士山

富士川越しに見る富士山です。
富士の富士山
少し風も出て来て、雲も出て来ました。
富士の富士山
とても穏やかな三が日でした。
富士の富士山
裾野も綺麗に見えています。

今日の富士山

帰省中の東名高速。
綺麗な富士山を見ることが出来ます。
昨夜の初夢は・・・富士山は出たかどうか・・?
今日の富士山
午後になると雲がかかるかもしれませんが、午前中は風もなさそうです。
今日の富士山
午後から、中学校のクラス会に出席します。
約10年ぶりになると思います。

落語「明烏」

早くも出て来た大ネタです。
数ある噺の中でも、間違いなく名作中の名作だと思います。
落語「明烏」
噺のカテゴリーで言えば、「廓噺」ということになります。
圓窓師匠の「明烏」を聴いた時の写真がありました。
この時の高座も、忘れられない思い出があります。
そう、師匠が一部仕込みを忘れて、ストーリーを即興で変えて語ったんです。
師匠に「新しい演出ですか?」と尋ねたら、「いや、源兵衛が若旦那に"大門で縛られる"と言うのを忘れたから、一度部屋に入った若旦那に再登場してもらったんだよ」と。
あぁぁ、これがプロかと、妙に感心しました。
落語「明烏」
この噺は、かつて八代目桂文楽 師匠(黒門町の師匠)が得意ネタにし、高座にあがると「待ってました、黒門町!明烏!」の声があちこちからかかるほどだったそうです。
源兵衛が甘納豆を食べる場面では、寄席の売店で甘納豆が売り切れたそうです。
大真打がトリで演じる大ネタとされています。
文楽師匠の「明烏」は八代目司馬龍生に稽古をつけてもらったものだそうです。
題名の「明烏」とは、明け方に鳴くカラスのことで、男女の交情の夢を破る、つれないものを意味します。
また、新内の「明烏夢泡雪」は、1772(安永元)年に初世鶴賀若狭掾が実際にあった情死事件を吉原の遊女浦里と春日屋時次郎の情話として脚色したもので、両想いになった二人が引き裂かれ、最後に心中するという筋立てのもの。
これは、この噺を演る時には最低限知っておくべき蘊蓄でしょう。
古今東西、特に商家においては、跡取り息子の行状というのは、悩ましいものだったのでしょう。
堅物過ぎると商売が出来ない、柔らか過ぎると代々積み上げて来た身代が揺らいでしまう・・・。
道楽が、過ぎて勘当去れる若旦那は、落語の定番でもあります。
ただし、その勘当する親父も、かつては先代から勘当された"前科"を持っている(はず)ですから、説得力はありませんが。
歴史は繰り返され、親父も基本的には許している部分こそ、「業の肯定」だと思います。
私の持ちネタでもありますが、私が演った初めての廓噺です。
天邪鬼の私は、どうも吉原、廓、女郎買いに、何となく嫌悪感があって、意識して廓噺をやらずにいました。
しかし、落語を究めるのにそんな些末なこだわりを持っていてはダメだと、この噺にチャレンジしました。
時次郎の純粋な気持ちをどう描いて行くか。
その若旦那の周りの人たちのドタバタをどう色づけするか。
そして、一晩明けた若旦那の変貌をどう演じるか。
これは本当に難しい噺です。
でも、間違いなく私の十八番の一つでもあります。

大看板

色々なデータがあるものです。
大看板
昨年の「寄席トリ顔付回数ランキング」という。
落語協会と落語芸術協会の芝居のトリの顔付の回数を調べたものです。
落語協会に限って言えば、「回数が多い噺家さん=人気者=大看板」ということだと思います。
概ね納得のできる結果です。
落語芸術協会は、あまり知らないので分かりませんが、全体的に小粒な感じがします。

2019年1月 2日 (水)

金馬師匠

新年から高座に復帰された金馬師匠。
金馬師匠
お元気に高座をお勤めになったようです。
無理をせずに、お元気な高座を続けていただきたいと思います。
亡父と同い年ですから、ずっと頑張って欲しい・・・。

お正月

世の中みんなお正月ですね。
お正月
お正月の成り立ちを調べてみました。
お正月は元々、盂蘭盆(=お盆)と対応するもので、半年ごとに先祖の魂を迎えて祀る行事でした。
それがやがて、お盆は仏教の影響が濃くなっていき、お正月は神祭りとしての意味合いが濃くなり、年神(正月様)を迎えて新年の豊作を祈る祭りになりました。
ちなみに、旧暦のお正月は今年は2月5日です。
「正月」とは、本来は旧暦1月の別名で、改暦後は新暦1月を意味することもあるということになるんですね。
また、現在は「三が日」または「松の内」という意味で使用することもありますね。
お正月
「松の内」は、元々は1月15日までだったそうですが、現在は一部地域では1月7日までに短縮しています。
寛文2(1662)年1月6日 (旧暦)、江戸幕府により1月7日 (旧暦)を以て飾り納めを指示。
最初の通達が江戸城下に町触れとして発せられており、それに倣った風習が徐々に関東を中心に広まったと考えられます。
幕末の考証家である喜田川守貞は、この時同時に左義長(いわゆる「どんど焼き」)も禁止されていることから、松の内短縮発令の理由を注連飾りを燃やすこの火祭りによる火災の予防の一環だとしているそうです。
「火事と喧嘩は江戸の花」の面目躍如です。
一方、1月20日までを正月とすることもあり、1月20日を二十日正月(骨正月)と呼びます。
寄席は、10日までを「初席」、20日までを「二ノ席」と言って、特別興行を打ちますから、寄席や噺家さんも20日までがお正月ということです。
お正月
新暦の元日を軸とする「大正月」と旧暦の15日を軸とする「小正月」と呼ぶことがあります。
大正月は大年(おおどし)、男の正月と呼ぶのに対して、小正月を小年(こどし)、女の正月と言うところもあるそうです。
まぁ、いずれにしてもおめでたい。

大利根河原

箱根駅伝は、東洋大学が往路優勝。
スタート直後の大東文化大学の選手の転倒は気の毒でしたが、とても面白いレースになりました。
本命がやや計算外だったようで、明日がまた楽しみです。
それにしても、喜怒哀楽・・・色々なドラマがあります。
大利根河原
スカッとしたいので、ちょいと出かけたのは、やはり「坂東太郎」が見たいと思い。
結局、大利根河原の広々した景色を見に。
大利根河原
関宿から北東を望むと、筑波山を見ることも出来ました。
今年は良い年に年にしたいなぁ。
今夜は初夢、良い夢が見られますか。

お正月

今年のお正月は、娘一家と一緒に過ごしました。
お正月
一家4人が来て、遊んで行きました。
天使2人(天使①と天使③)も可愛い盛りで、幸せを感じます。
「娘と息子のところに、孫が4人います」と言うと、吃驚されます。
今年も良い年になって欲しいものです。

落語「欠伸指南」

2日目は、「欠伸指南」と行きましょう。
この噺も、比較的よく聴く噺ではありますが、静と動のコントラストを演じる必要のある難易度の高い噺だと思います。
それから、当時の娯楽がどんなものであったか、しっかり掴んでおくことも大切です。
落語「欠伸指南」
江戸時代は、今と比べると「娯楽」というのが少なかったと言われます。
確かに、みんな貧しかったはずですから、今の「趣味」とはかなり違っていたかもしれません。
当時の庶民の娯楽って、どんなものがあったでしょうか?
色々いわれますが、例えばこんなものがあったでしょう。
【湯屋】
お金をあまりかけない娯楽と言えば「湯屋」でしょう。
お湯に入った後は、2階が休憩所になっていたので「囲碁」「将棋」を楽しんだり、お茶菓子を買うことも出来ました。
【床屋】
これも湯屋と同様、男の社交場だったはずです。
天気が悪かったり、仕事を早く切り上げた時などには、格好の娯楽場だったでしょう。
【習い事】
「常盤津」(唄と三味線)を習う本当の目的は師匠(女性)を口説くことだったようです。
また、竹刀が発明されて痛くなくなったおかげで、庶民も「剣術」を習いに道場に通い始めました。
変わった習い事もあって、
歌舞伎のセリフを習う「声色(こわいろ)」。
蕎麦や煙草に関するカッコイイしぐさを教わる「所作指南」。
「秀句指南」はダジャレを習う教室でした。
【同好会】
「俳句」や「川柳」の同人。
集まって「百物語」という怪談を披露しあう会。
難しい幾何学の問題を作って出し合う「数学同好会」のようなものもありました。
【生き物】
犬、猫、小鳥、虫といった「ペット」を愛でる。
「盆栽」を育てたり、「朝顔」や「金魚」の新種を開発する趣味もありました。
・・・これらは、どれも楽しんだのは男性でした。
「相撲観戦」も男性だけの特権でした。
老若男女が楽しんだものとなると「芝居観覧」や、貸本屋を利用した「読書」、役者絵など「浮世絵」の鑑賞といったところでしょうか。
大福や焼き芋などの「甘味」も娯楽と言えるかもしれません。
・・・ということで、習い事と言うのは娯楽の一部だったんですね。
娯楽ということは、何か極めるということではなくて、刺激や暇潰し的な色合いの方が強かったかもしれません。
そこで「欠伸指南」です。
くだらないと言えばくだらないですが、こんなことを真面目に教えたり、真顔で習ったりする人もいたかもしれない。
そういう意味では、そんなに荒唐無稽ではなかったかもしれません。
さて、その「欠伸(あくび)」です。
欠伸は、眠たいときなどに不随意に(反射的に)起こる、大きく口を開けて深く息を吸う呼吸動作です。
欠伸が出やすいのは、覚醒と睡眠の境界から覚醒に向かうときで、具体的には以下のような時に起こる。
・眠たいとき。過度に疲れているとき
・退屈なとき
・極度の緊張状態
・寝起き
また、偏頭痛発作の予兆期と頭痛期の症状のひとつでもある。
欠伸は、哺乳類以外にも爬虫類、鳥類などにも起こることが知られている。
このことや、室傍核という脳の中でも原始的な部分の働きによるため、発生学的に古い行動だと考えられている。
出かかった欠伸を無理に止めること、転じて退屈であるのを我慢することを「欠伸を噛み殺す」という。
人前で欠伸をするのは無礼なことと考えられ、欠伸をするときに口の前に手をかざしてそれを隠そうとする。
欠伸を止めるには上唇を舌で舐める、舌で前歯の裏側を押しつけるなどの方法がある。
また欠伸をするとき口を大きくあけ過ぎると顎を外す危険がある。

・・・こういう前提から、この噺は、バカバカしいと思わずに、真面目に暇潰しをしようという了見が必要です。
アホらしいと思った瞬間に入部聴き手はもっとバカバカしくなりますから、なりきることの出来る技量が必要です。
難しい噺です。

箱根駅伝

お正月2日(3日)と言えば、定例の行事になった「箱根駅伝」。
私は、母校が出る訳でなく、沿線に住んでいる訳でなく、特別贔屓のチームや大学がある訳でもありませんが、気になっています。
テレビやラジオで、半分BGMのように視聴しています。
   箱根駅伝   
箱根駅伝が誕生したのは、1920(大正9)年、今から90年も前のこと。
創設の原動力になったのは、マラソンの父として知られる金栗四三らの「世界に通用するランナーを育成したい」との思い。
金栗は、東京高師の学生時代に日本が初参加した1912(明治45)年のストックホルム五輪にマラソン代表として出場したが、途中棄権に終わり、失意のまま帰国した。
そうした中で、1017(大正6)年に日本で初めての駅伝となる「東京奠都五十年奉祝・東海道駅伝徒歩競走」が、京都三条大橋と東京・上野不忍池間で行われた。
読売新聞社が上野で開く大博覧会の協賛イベントとして企画したもので、京都―東京516キロを23区間に分け、3日間、昼夜兼行で走り継ぐ壮大なたすきリレー。
東西対抗で行われたレースは、大成功を収め、これが箱根駅伝の”原型”となった。
「東海道駅伝」の成功に意を強くした金栗らは、大学や師範学校、専門学校に箱根駅伝創設の意義を説いて参加を呼びかけ、早大、慶大、明大、東京高師(現筑波大)の4校が応じたというのが、創設の経緯。
第1回大会が「四大校駅伝競走」の名称で行われたのは、こうした事情によるもの。
箱根駅伝の創設は、当時のスポーツ界のパイオニアたちの果てしなきエネルギーが実を結んだものでもあった。
当時は、多くの犠牲者を出した第1次世界大戦が終わったばかり。
工場地帯が次第に西に延びて、大動脈の東海道も道幅が広がった。
スポーツ界にも、こうした時代の空気を反映して次第に「やってやろうじゃないか」という挑戦心と気概が満ち溢れつつあった。

・・・それから回を重ねて、ことしで第95回。
ちょっと大騒ぎし過ぎる気もしますが、若者たちの健闘を拝見しようと思います。
個人的には、弱かった頃の青学が好きで、連覇を阻止する大学が、出て欲しい。

2019年1月 1日 (火)

落語「青菜」

昨年は、「噺織込み三段なぞかけ」や「ごひやく都々逸」で遊びましたが、今年は新機軸を考えないといけません。
落語「青菜」
今年は、噺そのものを話題にして、色々考えてみようと思います。
落語「青菜」
新年を迎え、落語の演目を1日1題を目標にコメントしてみます。
評論家の瀧口雅仁さんの著者「古典・新作落語事典」を参考にさせていただき、やってみようと。
五十音順に行くと、やはり「青菜」からということになります。
この噺は、夏の噺として、とてもポピュラーです。
私が初めて聴いたのは、落研に入部した直後の発表会で、3年生(当時)の「山椒亭から志」師匠でした。
落語のことをほとんど知らない私は、「鯉のあらい」という料理、江戸時代の真夏日に氷があることが、とても新鮮でもあり、疑問でもありました。
鯉のあらいと言うのは、下ろした鯉を薄切りにし、流水やぬるま湯で身の脂肪分や臭みを洗い流した後、冷水(氷水)に漬けて身を引き締めてから水気を切って提供する手法。
鯉のほか、鱸など鮮度のよい白身の魚が用いられる。
刺身で食するよりも身の脂分とクセが抜けあっさりするのと、刺身よりもやや弾力が出る。
身を洗う時の水の温度加減や時間で、身の風味や食感をやや調節できる。
酢味噌などで食べられる。

私はあまり食したことはありませんが、さっぱりしていたんでしょう。
それから、江戸時代の氷ですが、今想像する以上に珍しい物ではなかったようです。
氷屋さんが大八車で売りに来ていたそうです。
とは言え、今と違って製氷機はありませんから、様々な知恵や方法がなされているようです。
氷職人が江戸時代には多くいて、その知恵を先代から受け継いでいた訳です。
まず、寒い時期(冬)に人工の大きな穴を作り、そこに不純物ゼロの水(富士山の雪解け水)を貯める。
その主な生産地は今の栃木・群馬あたりにあたるようです。
毎日、空から降ってくる雪や雨などを掃除しながら、
貯めた水の中に入ってしまった不純物も完全に取り除く。
それの繰り返しにより、人工穴に入れた水の純度は限りなく1100%になり、見事に透き通った氷の塊が出来上がる。
今度は、その氷をのこぎりである程度の大きさに切っていき、木の箱の中におがくずを敷き詰め、その中に氷を入れおがくずで見えなくなるまで覆う。
その箱を大八車で持って、江戸まで運び、今度はその箱を、そのままの状態で地中深く掘った穴の中に入れる。
地中深く掘った穴及び、おがくずに覆われていることで、冬から春そして夏になっても、さほど地中の温度は変わらず、しかもおがくずにより、保冷性も維持できる。
そして、夏になると箱を取り出し、氷を出し、氷菓(主にカキ氷)用の大きさにして食べる。

・・・ということで、氷の上の鯉のあらいは、そんなに珍しい訳ではなかったんですね。
それでも、暑い中、汗だくでで仕事をしている植木職人入部とっては、この上ないご馳走だったことでしょう。
この噺は、「付け焼き刃は剥げやすい」を地で行くもので、落語によくあるパターンです。
この手の噺では、主人公のキャラクターが前半とっては、後半で全く異なる演出をする場合がありますが、あまり極端にしてはいけないと思います。
その観点から演じると、力量のある人でないと出来ないかもしれません。
でも、おかみさんが押入れから汗だくになって「旦那さま~」と言って出て来るシーンは、最高に面白いと思います。

おせち料理

我が家のおせちは、ヤマトの冷凍ではないので安心です。
娘一家が来るので、イトーヨーカドーにおせちを注文して、元旦に、私が受け取りに行く係です。
おせちとオードブルを持った私が、人にぶつかったり、こけたりしなければ、無事に食べることが出来ます。
おせち料理
今年は、息子一家は、福岡の嫁の実家に行ったので、去年よりも小さめなおせちになりました。
おせち料理
それぞれ元気にお正月を迎えられて、何よりの元日です。

MHPS?

聞いたこともないアルファベット4文字の社名。
MHPS?
元旦、「ニューイヤー駅伝」をボーッと見ています。
天使たちが来て大騒ぎの中。
トップで走っているチームが「MHPS」って、何て言う会社?
義息(婿)も知らない・・・。
こういう時は、困った時のヤフー頼み。
「三菱日立パワーシステム」だと知りました。
正式名称だと寿限無になるし・・・、合併会社の宿命ですね。
面白いのは、この時間のヤフーの検索件数トップだったそうです。
テレビを見ていて、みんな同じことを考えているんだ。
とにかくアルファベットの社名は分からない・・。
MUFGだの、SMBCだの・・・。

原宿の竹下通りで?

新年早々、痛ましい事件。
竹下通りで?
年が明けて10分後、竹下通りで「車が人をひいた」と119番。
軽自動車が歩行者を次々にはね、10~50代の男性8人がけがをした。うち10代の1人が意識不明。
車を運転していた20代とみられる男の身柄を確保。
人をはねたことを認めており、殺人未遂容疑で事情を聴いていが、「テロを起こした」という趣旨の話をしている。
車は大阪ナンバーで、竹下通りの明治通り側入り口から約130メートル走ったところで止まった。
男は車を乗り捨て逃走したが、0時35分頃、察官が身柄確保。
竹下通りは、服飾店や飲食店が立ち並ぶ繁華街。
普段は一方通行だが、人混みが予想されることから、12月31日~1月1日は車両進入禁止となっていた。

・・・これは、勘違いした逆走などの類ではなく、明らかに狂暴な故意がありそうです。
明治神宮や東郷神社への初詣の人で、大混雑だったはずですから、悲惨な状況だったことでしょう。
平和な年にしたいと言うのに、決して許されないことです。

11年目の落語徘徊のはじまり

10年前の元日。
いつまでも出来るかも分からない。
どんな内容にするかも決めていない。
三日坊主が「落語徘徊」というブログを始めました。
  落語徘徊のはじまり
・・・何と10年も続けてしまいました。
そして今日、11年目がスタート出来ました。
まだまだ、孤独なオジサンの落語徘徊が続きます。

謹賀新年

謹賀新年
これだけ申し上げれば、失礼はないでしょうか。
謹賀新年
本年も何卒よろしく御願い上げ奉りまするぅぅ・・・・。
お辞儀の稽古?
今年から、自分の落語徘徊の足跡を残してみようと思います。
「落語ブーム」と言われて何年か経ちますが、これはもはや一過性のものではなく、日本独自の伝統芸能として、さらにユニークなエンタテイメントとして、必ずしも愛好者人口は多くはないものの、盤石な位置を固めつつあります。
今年も、公私ともに様々な出来事が起こることと思いますが、ここまで来て、もはや後戻りできない「落語道」は、さらに一層の「精進」を重ねたいと思います。

・・・ちょうど10年前の元旦の、このブログの最初のコメントです。
おかげさまで、スタートして10年が経ちました。
そして、今日からも、10年前と同じ気持ちで、落語徘徊の足跡を残して行きたいと思います。
例えば、次の10年で「乱志(流三)100席」を実現させるとか。
猪突猛進の年頭に思うこと。

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