« 澄むと濁るの違い | トップページ | 今日の富士山 »

2018年12月26日 (水)

布団の中での落語鑑賞

先週末から、自宅ではほとんど横になっています。
昨夜も、会社から帰宅して、ほんの軽く夕食を食べて、うがいをして、水分を補給して、暖かい格好をして、布団にもぐり込みました。
電気毛布とか、電気あんかという暖房器具は苦手ですから、自分の熱だけで暖まりなが ら。
何をすることも出来ないので、こういう時にこそ、落語を聴くには最高のシチュエーションだと思って。
便利な世の中で、CDやDVDも良いですが、終わると取り替える手間がかかります。
ところが、Youtubeなら、ずっと連続して聴くことが出来ます。
しかも、ものによっては動画になっている。
風邪引きですから、動画を視るのは難しいですが、聴くだけなら、いくらでも、いつまでも聴くことが出来る。
勿論、途中で眠ってしまうことが多いので、フルに聴くこともなければ、そもそも全く意識のないものもあります。
それでも、睡眠中も含めて・・・、通算すると30時間ぐらいは聴き続けたのではないかと思います。
あ、それから、時々色物ということで、「ナイツ」「綾小路きみまろ」のライブも混ぜたりして。
何とも、暗くてオタッキーなオヤジです。
世の中は、クリスマスでしたから。
布団の中での落語鑑賞
「三遊亭圓生」「古今亭志ん朝」「三遊亭小遊三」「三遊亭圓楽」「柳家さん喬」・・ と各師匠を聴きました。
あ、それから、突然思い立って「春風亭柳昇」師匠も何故か聴きました。(「里帰り」が聴きたかったので。)
最近気になってよく見ているのは、各師匠の高座に出て来て座ってお辞儀をする一連の 所作です。
これは、自分が演る時の参考にもなりますから、どんな形が粋な出なのか・・・。
圓製師匠も志ん朝師匠も、それぞれ何ともいえない雰囲気を醸し出されています。
ところで、この"ながら視聴"で、小さな新たな発見がありました。
それは、志ん朝師匠です。
志ん朝師匠は、誰がなにも言うことの出来ない名人だと思いますが、天邪鬼な私は、特に落語を演じるという面で、聴く頻度は必ずしも多くありませんでした。
そんな志ん朝師匠に新しい発見。
まずは、志ん朝師匠は、出も仕草(所作)は勿論、流暢と言われる語りも、決して早くはないということ。
それから、マクラには、師匠の例の語りの癖「えっ?」「ん?」が出ないこと。
もうひとつ、扇子と手拭いの置き場所が必ずしも一定ではなく、左側に置くことも多い。
「お前、そんなこと今まで知らなかったのか」と言われるかもしれませんが、かなり新鮮でした。
我々は、アマチュアだから、このあたりは真似をさせていただくことが出来そうです。
布団の中での落語鑑賞
あ、それから着物のこと。
圓生師匠や志ん朝師匠の着る着物は、物凄く高価なものなのは分かりますが、色合いや 組み合わせは参考になる。
羽織、着物、衿、帯、襦袢・・・、これらの色とその組み合わせです。
残念ながら、柄や質感は動画では分かりませんが。
(分かってしまうと、到底貧乏人には真似が出来ませんから、ぼやとした程度で良いのですが)
「そうか、この着物にこの色の衿はありか」
「なるほど、羽織と着物の組み合わせはこれがいい」・・・。
実は、この夏、「学士会落語会・納涼寄席」の時、お客さまから「衣裳も完璧でしたよ」とお褒めいただきました。
「怪談牡丹燈籠」を演るのに、黒の絽の羽織と着物を着ました。
形ばかりから入るのも良くはありませんが、会場や噺や季節に合った衣裳や、せめて手拭いぐらいには拘りたい。
恐らく、この年末年始は、遅ればせながら志ん朝師匠を聴きまくるかもしれません。
ただし、噺の本編は、少し引きながら。

« 澄むと濁るの違い | トップページ | 今日の富士山 »

噺家さん・芸人さん」カテゴリの記事