« 逆から読むと | トップページ | 澄むと濁るの違い »

2018年12月21日 (金)

桂米團治さん

昔から「名人に二代なし」なんてぇことを言いますが。
名人の親を持つ人と言うのは、本当に大変だと思います。
「浜野矩随」でも、マクラで「子どもを一人前にしたかったら、親父は少しだらしがない方が良い」なんていうところがあります。
「親父があんまり立派過ぎると、倅はもう生まれた時から不幸だ」・・なんてんで。
さて、上方落語の桂米團治さん。
上方落語はあまり(ほとんど)聴かない私ですが、米團治さんは同年輩ということもあり、好きな噺家さんです。
こんな記事がありました。
今年ではなし家生活40周年の上方落語家、桂米団治(60)が20日、大阪市内のホテルで、この日迎えた還暦と、40周年を祝う記念パーティーを開き、偉大な父との「不思議」 な関係を語った。
桂文枝が乾杯の音頭をとり、約400人が祝福。
米団治はこの日、12月20日が60歳の誕生日だった。
パーティー前に取材に応じた米団治は、難産だったと親から聞かされた誕生時からを振り返った。
「8割方、生きひん(生きられない)と言われてたのが、気付いたら還暦まで生きてしまいまして。生まれ変わる還暦。もう1度さらの(新たな)気持ちで、お客様が幸せになるような高座を務めたい」
笑顔で還暦までの道のりを語った。
人間国宝で、戦後の上方落語を復興させた「四天王」の1人、父の故桂米朝さんと同じ道へ入ってからも40年になった。
当初は「桂小米朝」を名乗り、最も苦しく、悩んだのは40代だったという。
クラシックと落語を融合させるなど、画期的な取り組みにも挑戦しつつ、将来を「この先、どう
なるんだろう」と思いあぐねていた。
その頃、父の師匠名である「米団治」を襲名する話が舞い込んだ。
「全く新しいものを作っていったらいい」。
気持ちを一新し、偉大な父の師匠の名跡を継いだ。
ただ、周囲からは、米団治になってから「父に似てきた」と言われることが多くなった。
「米朝を意識している間は似ず、解き放たれてからは『面影が似てきた』って言われ
るようになりました。不思議ですね」
若い頃は偉大な父と比較されることに反発、嫌悪感もあったが「この年になったら(似ていると言われると)うれしい。血がつながってるから。いいとこも悪いとこも含めて、それを受け入れております。ありがたいなと思ってます」と感謝した。
今春には、父が立ち上げた米朝事務所の代表取締役社長に就いた。
「しんどいです」と本音をこぼしながらも、演者と会社のパイプ役を務め「芸人と経営と二足のわらじで」。
向こう10年の目標は「米朝一門、事務所のためにまい進する10年にしたい。自分のことはその後で」と意気込んだ。
父の米朝さんに対しては「もちろん、追い越すなんてできないし、米朝の通りになんて全くできません。一門の数が多いので、みんながちょっとずつ、米朝の一部を受け継いで、それぞれの独創性でやっていくことが師匠に対する恩返し」と思いを語った。
来年は1月4日、大阪・サンケイホールブリーゼを皮切りに、7月7日の京都南座まで全国30カ所で、還暦&40周年の記念独演会を行う。
メイン演目には「米朝イズム満載の10席」という演目を選び、2月24日の東京・新橋演舞場公演では、父の十八番だった大ネタ「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」を予定。

劇場モニターに映し出した米朝さんとともに演じるプランを明らかにした。
・・・若旦那らしく明るくて、清潔感があるのと、米朝師匠と同様にコテコテしていないのがいいと思います。
以前「七段目」を聴いたことがありますが、物凄く良かった。
私は、この二代目は贔屓にしています。

« 逆から読むと | トップページ | 澄むと濁るの違い »

噺家さん・芸人さん」カテゴリの記事