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2018年11月 3日 (土)

今年もまた

あの落語会が開催されます。
今年もまた
「圓生の求めたもの・遺したものを、それぞれの胸に抱き 演者は高座に臨む、そう今年も、習志野圓生祭。」
今年もまた
「習志野圓生祭」の案内ハガキが届きました。
12月16日(日)午後2時30分から、習志野のモリシアホールで。
習志野は、三遊亭圓生師匠最後の高座の地。
プロではないのですが、何とも言えない雰囲気の方々の落語会。
JR津田沼駅前には、「名人六代目 三遊亭圓生終焉の地 」と記された碑があります。
当時の習志野市の市長の碑文を読むことが出来ます。
【名人六代目三遊亭圓生終焉の地】
根なし草 語る浮世を圓く生き
六代目三遊亭圓生、本名は山崎松尾。
明治三十三年九月大阪に生る。
明治三十八年五才にして豊竹豆仮名大夫として寄席に出演、明治四十二年噺家に転向、橘家圓童と名乗る。
以来小圓蔵となり大正九年三月には圓好を名乗り真打昇進、同年五月高橋はなと結婚、爾後、圓窓、圓蔵を名乗り、昭和十六年五月、四十一才にして六代目圓生を襲名す。
演題は圓生百席に謂く、「妾馬」「文七元結」「鰍沢」「三人旅」「梅若禮三郎」等々・・・
又、著書「圓生全集」「寄席楽屋帳」「圓生江戸散歩」を次々と発表、昭和四十八年一月、終に芸術祭大賞を受賞、同年三月皇后陛下古希の祝賀に「お神酒徳利」を御前口演、五月に勲四等瑞宝賞を叙勲される。
昭和五十四年九月三日誕生日に当り、習志野三遊亭円生講演会を発足の日、サンペデック・ローズサロンに於いて小噺「桜鯛」を演じ、直後心不全のため遂に名人圓生ここに大往生を遂く。
同年九月十一日従五位勲四等旭日小綬章を追贈さる。
享年七十九才、東京都世田谷区千鳥山永隆寺に葬る。
習志野三遊亭圓生講演会は、個人の慈顔遺徳を慕い、名人至芸を偲び、ここに追悼碑を建立し深く冥福を祈る。
昭和五十五年四月十三日 吉野 孝(著書 甦える断想より)

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