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2018年10月30日 (火)

オチの言い方

師匠に稽古をつけていただいて、様々なアドバイスやご指導をいただきます。
その内容は、稽古する人のキャリアや力量や演目などによって違います。
とは言え、落語にも、前提や基本というのがありますから、その点については、厳しくご指摘されます。
上下や仕草、口調やイントネーションなど・・・。
師匠のある演目の高座本の巻末に、「落ちの言い方」という一文が掲載されています。
落ち(私はオチと言う)には、大きく分けて2つのパターンがある。
①登場人物の台詞がオチになっているもの(台詞落ち)
②演者の地語りがオチになっているもの(地落ち)
+③言葉ではなく仕種がオチになっているもの(仕種落ち)
同じ噺でも、いずれでもオチをつけるのは可能かもしれません。
③の場合は別として、師匠は、オチの言い方について、こんな風に述べられています。
台詞落ちの部分はまだ登場人物の台詞の範疇に属するものである。
だから、その部分にも人物の勘定が籠もっていなければならない。
しかし、台詞落ちの銚子を下げて、目線を外して、小声で発する者が多いのは残念だ。
中には「この落語はこれで終わりです」と言わんばかりに客席に向かってお辞儀をしながら台詞落ちを行う者がいる。
落語そのものを陰気にして萎むように終わらせてはいけない。
盛り上げるべきである。

・・・これは、常に仰っています。
最後まで、登場人物の台詞をしっかり言う。(地に戻してはダメ。)
その後、丁寧にお辞儀をする。
師匠に稽古をつけていただいて、最初にやった「子ほめ」で。
「どう見ても、ただみたいだ」「お馴染みのお笑いです」と言うと師匠から、「オチだけしっかり言えばいい。余計なことはいってはいけないい」と。
プロの噺家さんでも、「○○というバカバカしいお笑いです」なんて言う人がいますが、師匠は絶対に「No!」。
落語はよく出来ているから、無駄な抵抗はせず、基本に忠実に演じ(語)れば、客席は必ず受ける。
その後、2度目のダメ出しは、かなり高度な?ご指摘でした。
「不孝者」をやった時。
オチの「この不孝者が」と言って、高座を下りて来た時にその場で。
「最後の台詞は、息子に対して言っているだけではないんだから、もっと違う言い方があるはずだ」と。
要するに、親父自身もかつてはそうだった(親不孝だったんだから、(自嘲的に)自分自身にも言っているニュアンスを表現せよということでした。
オチは深いです。

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