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2018年9月30日 (日)

夏の高座の総括

長い夏が終わりました。
地震・台風・猛暑・・・、大変な夏でした。
様々な方面から声をかけていただいたり、ご縁をいただいたりで、この7月から、9月までの3ヶ月間で6回、高座を務めさせていただきました。
アマチュアでも、この何倍も高座に上がっている方は多いと思いますが、私にとっては心身ともにタフな、貴重な経験になりました。
◆7月28日  「子別れ」(深川三流亭)夏の高座の総括
落語っ子連のホームグラウンド門前仲町での「深川三流亭」。
私の落語の原点でもある、落研の先輩「喰亭寝蔵師匠(三流亭越児)さん」の「子別れ」に憧れ、畏敬の念を持ち続けた・・・。そして、落研のレジェンド「麻雀亭駄楽師匠」との約束。
やっとチャレンジすることが出来ました。
亭主と女房、親子(父と子、母の子)、それぞれの間のそれぞれの愛を、さりげなく描きたかった。
まだまだ、寝蔵師匠には追いつけない。
別に望んでもいませんが、駄楽さんを越えてはいない。
この噺も、乱志の十八番にして行きたいものです。
この日は、台風の真っ最中で、いつもの半分のお客さまだったのが残念でした。
◆8月26日  「怪談牡丹燈籠」(学士会落語会納涼寄席)
夏の高座の総括
「日本で一番笑ってもらえない落語会」と、いつも出演者が恐れる落語会です。
有形無形のプレッシャーのある落語会でもあります。
今回は、東大OBと東北大OB各3名の出演(競演)。
「またお前か」「また長いか」「またトリか」なんて言われて。
落語会の後では、長老からの「講評」もあるというのは、これはパワハラなのではないかと・・・?
時間の問題もあり、原作をかなりデフォルメして演ったので、予想通り様々な反応がありました。
「何とでも言ってくれ。そんなことははじめから承知でやっているんだ」って、”心の中で”啖呵を切っています。
「30分以内でやれ」って言われてるんだから、お札はがしまでは出来ないでしょ?
ただストーリーだけを読むんならともかく。
でも、かなり客席を掴むことが出来たと思っています。
「怪談牡丹燈籠」も、私の宝物(自信作)になっています。
◆9月 1日  「浜野矩随」(牛久味わい亭)
夏の高座の総括
同じように師匠にご指南いただいている好文亭梅朝さんからのお招きで、昨年初めて出演し、今回が2度目でした。
とにかく素晴らしい主催者に恵まれた落語会です。
そこで満を持して「浜野矩随」をネタ出ししました。
多くの方には、人情噺の良さを味わっていただけたようですが、中には「難しい」「面白くない」という感想もあります。
それは仕方ない。
あって当たり前です。
しかし、圓窓師匠から「圓楽さんより上手い」と言われた「浜野矩随」も、私の宝物(代表作)です。
◆9月16日  「揺れるとき」(OB落語会)
OB落語会のBD
夏の高座の総括
必ず仙台でやりたい。
仙台でやらなければ意味がない。
そう思い続けていた噺です。
師匠の初演を聴いた瞬間に、「私がやって語り継ぎたい」と思った師匠の意欲的な創作噺。
落研の先輩の駄馬師匠には「厚みのある良い噺だね」、友楽師匠には「圓窓さんらしい噺で、乱志君に合う噺だね」と。
現役部員たちには、歴史や芸談を語る噺などは、興味など湧かないかもしれませんが。
「揺れるとき」は、師匠から継承を託された宝物です。
◆9月24日  「長短」(ふれあい快笑会)

少し緊張感から解放されたと思うのは、演目が「長短」で軽いのと、高座もイベントの一部のコンパクトなものだろうと言うのと、蝶九さんと2人だけだから。
ところが、素晴らしい会場で、イベントのメインが我々の落語でした。
勿論、一生懸命務めさせていただきました。
そもそも、落語っ子連の出前落語会を聴いてくださってのオファーでしたから、極めて光栄なことでもあります。
必ず、どこからか見られているのですから、常に手を抜かずにベストを尽くすことが大切だと痛感しました。
私の拙い落語でも、少しでも喜んでいただけるなら、こんなに嬉しいことはありません。
私は、落語はお稽古ごとだとは思っていません。
私というちっぽけな人間を表現するものだと思っています。
それに共感してくだされば、それが一番嬉しい。
この「長短」は、私の非人情噺の持ちネタの中で、「子ほめ」「花色木綿」と並ぶ宝物になりました。
◆9月29日  「短命」(千早落語会)
夏の高座の総括
こんなに稽古をしなかった噺は初めてです。
実質数日で高座にかけてしまいました。
言い訳が半分ですが、覚えない落語、自分の中の言葉の引出し(量と質)を実感する試行でもありました。
アウトプットはボロボロでしたが、私にはプラスとマイナス両面での収穫がありました。
何と言っても、フリーハンドで、客席の反応を計りながら演じることの厳しさと楽しさがありました。
また、個人的には、今後、千早亭とどう向き合って行くべきかを、改めて考えさせられました。
どこかが違う・・・と。
この夏は、それぞれの高座に、それぞれのテーマを決めて臨んで、それぞれ相応の手応えを感じました。
もう一段上の次元で、さらに落語を上達させて行く端緒には出来た気がしました。
それぞれの落語会のお客さまに、心から感謝して。
まだまだ、私の落語徘徊は続きます。

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