「揺れるとき」のこと
「揺れるとき」という噺は、今から7年前の8月に、三遊亭圓窓師匠が創作され、「圓朝まつり」の奉納落語会で初演された噺です。
幸運にも、私は、この奉納落語会のチケットが入手出来て、最前列で師匠のネタ下ろしを聴かせていただきました。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/08/post-5.html
下の写真に、最前列の右端に座って師匠の高座を聴いている私の姿が映っていました。
この噺を聴き終わった時に、「いつかはこんな噺をやってみたい」と、漠然と思いました。
5年先か、10年先か・・・という感じで。
と言うのも、噺の内容は勿論ですが、この噺のきっかけとなった出来事には、私も関わっていたからです。
高座本の巻末に、師匠が「創作のきっかけ」という一文を載せていらっしゃいます。
師匠の落語に対する熱い気持ちを、改めて実感しました。
そして、きっかけのきっかけが、あの「東日本大震災」と「扇子っ子連・千早亭」でした。
【揺れるとき・創作のきっかけ】~抜粋
平成23年3月11日、東日本を襲った津波の様子を自宅に居てテレビで見ていた。
こんなことが中継されているのか・・・。
ライブなのか・・・。
正直に言って、不思議な気分で見ていた。
その日は、恐ろしさを感じなかった、と言ってもいいだろう。
遠く離れた東京のあたしにはその程度のことしか受け入れられなかった。
翌、12日の夜は日野市に仕事があったので、出掛けた。
その次の日の13日は地元の扇子っ子連[註:千早亭]というアマチュアの落語゜指南所の発表会がある。
12日にはその連の長から電話が2本入り、「明日の発表会は中止にしましょう」と言ってきた。
理由を問うと、「こういう状況で落語をやっていかがなものか、と思いますので」と答えた。
あたしは即、「こういう状況でも落語を聞きたいと足を運ぶ人は必ずいるもんだ。それに出演する連の者はほとんど地元の豊島区の人なんだから、来られる人だけでもいいから、高座に上がろうよ」と伝えた。
しかし、当日、その長からは「みなさんが中止に賛成しましたから、やめます」とのこと。
あたしは、自分自身を指導者失格と受け取って、この先の指南を断った。
何人かが拙宅へ来て、「指導を続けてください」と言う。
中には「あたしは、師匠が中止を決めたかと思い、だから中止の賛成をしたんですが・・・」とも言う。
つまりは、連の長はあたしの意向を連中にちゃんと伝えず、中止にしたいという自分の気持ちを優先させた結果のようだ。
落語を趣味で聞く分には、個人として存分に楽しめばいい。
しかし、演るとなると、聞く人が必要になってくる。
その人への責任も感じ取らなければならない。
「プロはすごいんですね」と言う人がいたが、演るということに関しては、プロもアマもない。
責任を果たさなければいけない。
連の長に、あたしの了見が伝わらなかったのが、寂しかった。
そこで、落語協会から頼まれた圓朝まつり(8月7日)に於ける圓朝に因んだ創作の構想の中に、あたしのこんな了見を挿入できないか、と考えた。
と、いうのは、圓朝が真打になった年の安政2年に安政江戸地震が起きている。
これだ!
しかし、あたしの了見は圓朝には言わせず、フィクションで登場させる圓朝の先輩格の長老に言わせようと、構想をスタートさせた。
しかし、その先が進まなかった。
その内に夏風邪に襲われ、声帯が腫れて声が出ず、8月1日からは仕事も休業に追い込まれ、複数の人に代演をお願いする嵌めになってしまった。
パソコンのキーを叩いて、初稿が5日。
脱稿したのが7日の13時半。
会場は谷中の全生庵。
高座は15時40分上がり。
まさに綱渡りの一席であった。
・・・・東日本大震災の2日後に、私も参加している扇子っ子連の「千早亭落語会」が予定されていました。
私は、仕事でどうにも動きが取れず、出演は不可能な状態でした。
現に、日曜日まで、自宅に帰ることが出来ませんでした。
連の長から電話が来たので、自分自身は出演が出来ないことを伝えました。
また、あの段階では、日本中が自粛モードになっていましたから、私も「中止」には積極的に反対は出来ませんでした。
「私は出られなくて申し訳ありませんが、開催するかどうかは、メンバーの皆さんや師匠にも相談して決めてください。仮に今回はやらないということになっても、"中止"ではなく"延期"ということにすべきだと思います」と言った気がします。
直前に中止を決めたので、当日、中止を知らないお客さまが来たら、直接中止の説明をしようと、メンバー2~3人が、会場に行っていたそうです。
そして、中止をご存知ではないお客さまが片手に余るくらいご来場されたそうです。
師匠は、「2~3人会場に行っていたなら、その人たちだけでやればいいじゃないか」と、後で仰っていました。
私は、最初は、師匠も随分厳しいなぁ、素人はそこまで・・と、思わないこともありませんでしたが、話を聞いて、師匠が仰る演り手の責任というのが、プロアマを問わずにあることを実感しました。
こんな経緯があるので、私は「絶対に私がこの噺をやらねば」と思いました。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2012/03/post-3428-2.html
先日の台風の中での「深川三流亭」も、真夏の猛暑の中での「学士会落語会納涼寄席」「牛久味わい亭」も、通常に比べれば少なかったものの、そんな悪条件(天候)にも拘らず、大勢の方々がご来場くださいました。
最初に私が恐る恐る、「師匠、"揺れるとき"をやらせてください」とお願いしたら、師匠はとても喜んでくださいました。
そして、因縁の?「千早亭落語会」で初演した時には、師匠は「永久さんが、この噺の後継者だ」と言ってくださいました。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2012/03/post-23.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2012/03/post-41c9.html
再演は、5年前の「お江戸あおば亭」でした。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2013/06/post-29fb.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2013/06/post-888a.html
この時、冒頭で「三遊亭圓窓作"揺れるとき"。この噺を東日本大震災で被災された皆さまに、謹んで捧げます」と申し上げました。
そして、今回初めてこの噺を仙台で口演します。
7年かかってしまいましたが、謹んで捧げたいと思います。
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