OB落語会の客席に
落語会では、色々なことがあるものです。
大勢ご来場くださったお客さまの中に、梵字をデザインしたバッグを持った剃髪の女性がいらっしゃいました。
どう拝見しても仏門にいらっしゃる方でしょう。
普段なら、有難いお客さまですむのですが、今日の私にはギクリとします。
「揺れるとき」の最後の場面で、般若心経を唱えるシーンがありますから。
師匠の高座本では、もっと長く唱えますが、私は、最後の2行だけにしてはありますが。
お題目(南無妙法蓮華経)なら、何とか形がつくかもしれませんが、圓朝がお題目なはずがありません。
それに、法華の方が梵字のバッグはお持ちにならないでしょう。
法華の方なら蓮の花だと思います。
「鰍沢」ではお題目だから、この場面もお題目に変えてやろうかとも考えました。
しかし、あの静粛な場面で「南無妙法蓮華経ぅ、ドンドン」という訳にもいかず・・・。
大変罰当たりな般若心経もどきですが、プロの方にはお許しいただこうと、恥を忍んでやってしまいました。
尤も、これをやらないと噺が進みませんので。
それにしても、「揺れるとき」の中で、元噺家が若き圓朝に言う台詞を思い出しました。
「噺家は噺だけやってりゃいいなんて言う人がいるが、そうじゃねぇよ、噺には世の中の全てが込められているから、自分で見たり触れたり、経験したりすることは大事なんだ。それが芸の肥やしになる・・」。
躍りや歌や学問や、勿論お経も、落語の中に出て来ますから。
そう言えば、落語っ子連の千公さんは、「蝦蟇の油」をやるのに、筑波山神社で本物の「蝦蟇の油」の口上を習いました。
そういう研究も必要です。
落語の奥深さを感じます。
それにしても、冷や汗ものの般若心経もどきでした。
「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経」
唱えたのは、最後のこの部分だけでした。
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