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2018年9月 5日 (水)

恩人の訃報

私にとって「恩人」とも言える方の訃報に接しました。
私を、前の会社に採用してくれた人です。
つい2〜3日前に、経団連の就職協定廃止の話題がニュースになっていましたが、当時は、会社説明会の解禁が4年生の10月で、選考(試験)が11月という、今から思えばとてつもなく遅いスケジュールでした。
勿論、当時も"フライング"は暗黙の了解のようになっていました。
当時は、第二次オイルショックの影響で、就職氷河時代。
文系学生では、公務員と金融機関の人気が高く、10月1日の会社説明会解禁日には、東京の企業の本社ビルの前には長蛇の列が出来ていました。
そんな中で、私を採用してくれたのは、当時の仙台支店長と人事で東北大生の採用担当だったこの方でした。
今の学生さんのように、企業研究をするとか、人生設計をするとか、そんなこと全くなく、何とか就職することが出来ればというような雰囲気でした。
業界や企業の研究も全くせずに、企業の支店が多く集まる、仙台の青葉通りや一番町をブラブラ歩いていて、友人から「あそこは人気企業だ」と言われて知っていただけの会社に行ってみました。
仙台支店の会社説明会の会場に入ると、第1回目の説明とグループ面談が終わっていたようでした。
そこで、この方と初めて会って、1対1で話すことが出来ました。
会社のことは知らない、学校の成績は良くない私ですから、話題と言えば、落語とアルバイトをしていたテレビ局の話ばかり。
当時は、アパートに電話もなかったので、その場で「明日また来てください。支店長に会ってもらうから」ということになりました。
翌日、支店長と数名でグループ面接。
ここでも、他の学生さんは、自分のゼミの話とか、法律や経済の話題でしたが、私は、同年に起こった宮城県沖地震のテレビ局の報道のアルバイトの話をしました。
何の欲もなく、自分のありのままを喋ったのが奏功したか、支店長に気に入られたようで、またその場で「明日、東京に行ってください」と言われました。
当時、地方の学生にとっては、どの企業でも、「東京に行く」=「内々定」でした。
そして、翌日東京に行って・・・、翌年4月に入社しました。
結婚式の披露宴にも来ていただき、祝辞をお願いしました。
「彼(私)を採用したのは、落語を通じて、"社会学"を身をもって学んで来ていると思ったからだ」と仰っていただいたのを覚えています。
落語にも、褒めるところがない時には「様子がいい」と褒めますが、私も同じような褒められ方をしました。
・・・その方が亡くなりました。
享年75歳。
私が、この会社に入ろうと決めたのは、この方がいて、この方が「来い」と言ってくださったから。
「貴方に身体を預けます」というような気持ちだったと思います。
実に、昭和な就職活動でした。
最近は、あまり体調が良くないと聞いてはいましたが、それにしてもまだ早い・・・。
ご冥福をお祈りしたいと思います。

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