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三遊亭円楽師匠が、初期の肺がんだと公表したそうです。
驚きました。w(゜o゜)w
その円楽師匠が、西新宿の芸能花伝舎で行われた落語芸術協会主催の「第12回芸協らくごまつり」のトークショーに出演した、病気についてコメントされたそうです。
手術を受けるため、10月4~11日に予定していた公演はすべて休演。
「自覚症状がなかったくらいですから体調は大丈夫です。すぐ戻って来ますから、ご安心下さい。やりたいことがいっぱいあるので、自分の夢のためにも生き残らなきゃいけない。俺にとっての仕事は落語なんだし、落語をやるために手術をして戻ってくるというテーマなんだから、静かに見守ってもらいたいというのが本心。ストレスになるからね。ハッキリ言ったら。他のことでいろいろ(検査を)やっている中で見つけてくれたから、お医者さんに感謝。自分のスケジュールでご迷惑をお掛けする人にはお詫び、ファンの人たちには応援して下さい、とそれだけだよ。なんでコメントを出さなかったのかは簡単ななこと。静かにやりてえんだ。そして出てきた時に暴れたいんだ。闘病の方も一杯いる。2人に1人はがんという時代だから、積極的に治療していきましょう。積極的に生きていきましょうということです」と・・。
長寿社会、勿論病気とは無縁な方もいらっしゃいますが、持病とうまく付き合って「一病息災」が良いのだと思います。
母も叔父も「どうしてもこんなに元気なんだろう」なんて言っていましたが、世の中にスーパーマンなどいやしませんから。
過信をしないで、無理をしないで、健康管理をしていくことが大事だと思います。
円楽師匠のお早い復帰をお祈りしたいと思います。
長い夏が終わりました。
地震・台風・猛暑・・・、大変な夏でした。
様々な方面から声をかけていただいたり、ご縁をいただいたりで、この7月から、9月までの3ヶ月間で6回、高座を務めさせていただきました。
アマチュアでも、この何倍も高座に上がっている方は多いと思いますが、私にとっては心身ともにタフな、貴重な経験になりました。
◆7月28日 「子別れ」(深川三流亭)
落語っ子連のホームグラウンド門前仲町での「深川三流亭」。
私の落語の原点でもある、落研の先輩「喰亭寝蔵師匠(三流亭越児)さん」の「子別れ」に憧れ、畏敬の念を持ち続けた・・・。そして、落研のレジェンド「麻雀亭駄楽師匠」との約束。
やっとチャレンジすることが出来ました。
亭主と女房、親子(父と子、母の子)、それぞれの間のそれぞれの愛を、さりげなく描きたかった。
まだまだ、寝蔵師匠には追いつけない。
別に望んでもいませんが、駄楽さんを越えてはいない。
この噺も、乱志の十八番にして行きたいものです。
この日は、台風の真っ最中で、いつもの半分のお客さまだったのが残念でした。
◆8月26日 「怪談牡丹燈籠」(学士会落語会納涼寄席)
「日本で一番笑ってもらえない落語会」と、いつも出演者が恐れる落語会です。
有形無形のプレッシャーのある落語会でもあります。
今回は、東大OBと東北大OB各3名の出演(競演)。
「またお前か」「また長いか」「またトリか」なんて言われて。
落語会の後では、長老からの「講評」もあるというのは、これはパワハラなのではないかと・・・?
時間の問題もあり、原作をかなりデフォルメして演ったので、予想通り様々な反応がありました。
「何とでも言ってくれ。そんなことははじめから承知でやっているんだ」って、”心の中で”啖呵を切っています。
「30分以内でやれ」って言われてるんだから、お札はがしまでは出来ないでしょ?
ただストーリーだけを読むんならともかく。
でも、かなり客席を掴むことが出来たと思っています。
「怪談牡丹燈籠」も、私の宝物(自信作)になっています。
◆9月 1日 「浜野矩随」(牛久味わい亭)
同じように師匠にご指南いただいている好文亭梅朝さんからのお招きで、昨年初めて出演し、今回が2度目でした。
とにかく素晴らしい主催者に恵まれた落語会です。
そこで満を持して「浜野矩随」をネタ出ししました。
多くの方には、人情噺の良さを味わっていただけたようですが、中には「難しい」「面白くない」という感想もあります。
それは仕方ない。
あって当たり前です。
しかし、圓窓師匠から「圓楽さんより上手い」と言われた「浜野矩随」も、私の宝物(代表作)です。
◆9月16日 「揺れるとき」(OB落語会)
必ず仙台でやりたい。
仙台でやらなければ意味がない。
そう思い続けていた噺です。
師匠の初演を聴いた瞬間に、「私がやって語り継ぎたい」と思った師匠の意欲的な創作噺。
落研の先輩の駄馬師匠には「厚みのある良い噺だね」、友楽師匠には「圓窓さんらしい噺で、乱志君に合う噺だね」と。
現役部員たちには、歴史や芸談を語る噺などは、興味など湧かないかもしれませんが。
「揺れるとき」は、師匠から継承を託された宝物です。
◆9月24日 「長短」(ふれあい快笑会)
少し緊張感から解放されたと思うのは、演目が「長短」で軽いのと、高座もイベントの一部のコンパクトなものだろうと言うのと、蝶九さんと2人だけだから。
ところが、素晴らしい会場で、イベントのメインが我々の落語でした。
勿論、一生懸命務めさせていただきました。
そもそも、落語っ子連の出前落語会を聴いてくださってのオファーでしたから、極めて光栄なことでもあります。
必ず、どこからか見られているのですから、常に手を抜かずにベストを尽くすことが大切だと痛感しました。
私の拙い落語でも、少しでも喜んでいただけるなら、こんなに嬉しいことはありません。
私は、落語はお稽古ごとだとは思っていません。
私というちっぽけな人間を表現するものだと思っています。
それに共感してくだされば、それが一番嬉しい。
この「長短」は、私の非人情噺の持ちネタの中で、「子ほめ」「花色木綿」と並ぶ宝物になりました。
◆9月29日 「短命」(千早落語会)
こんなに稽古をしなかった噺は初めてです。
実質数日で高座にかけてしまいました。
言い訳が半分ですが、覚えない落語、自分の中の言葉の引出し(量と質)を実感する試行でもありました。
アウトプットはボロボロでしたが、私にはプラスとマイナス両面での収穫がありました。
何と言っても、フリーハンドで、客席の反応を計りながら演じることの厳しさと楽しさがありました。
また、個人的には、今後、千早亭とどう向き合って行くべきかを、改めて考えさせられました。
どこかが違う・・・と。
この夏は、それぞれの高座に、それぞれのテーマを決めて臨んで、それぞれ相応の手応えを感じました。
もう一段上の次元で、さらに落語を上達させて行く端緒には出来た気がしました。
それぞれの落語会のお客さまに、心から感謝して。
まだまだ、私の落語徘徊は続きます。
今月は、世の中も私自身も慌しい1ヶ月でした。
西日本の台風、その直後の北海道の地震・・と、防災の日(二百十日)の直後に相次いで襲ってきた自然災害。
個人的には、岳父の一周忌法要と母の入院と手術。
そして、落語では4回の高座。
そんなこともあって、稽古は落語っ子連に一度参加出来ただけで、発表会直前にも拘わらず、扇子っ子連の稽古には行くことが出来ませんでした。
とにかく、4回の高座はなかなかのものでした。
◆9月 1日 牛久味わい亭 「浜野矩随」
◆9月16日 OB落語会 「揺れるとき」
◆9月24日 ふれあい快笑会 「長短」
◆9月29日 千早亭落語会 「短命」
ネタ下ろしは「短命」だけでしたが、この夏は、かなり内容の濃い高座が続きました。
7月と8月には「子別れ」と「怪談牡丹燈籠」もやっていましたから。
とりあえず、11月24日の「お江戸あおば亭」と1月(予定)の「深川三流亭」までは一段落。
(11月の「神栖亭」のイベントには参加するつもりですが。)
一連の高座を通じて、それぞれに学ぶものがありました。
私自身の落語(芸)についてだけではなく、様々な落語会の企画や運営について、落語を通じた多くの方々とのご縁等々。
師匠に色々な話を伺うのは、とても楽しみです。
何と言っても、師匠の長年のご経験というのは、実もあり、説得力があります。
師匠が中入り前に「鼓ヶ滝」をお演りになり楽屋へ。
中入り後の食いつきの私は、暫く師匠撮って楽屋でお話しすることが出来ました。
師匠に「鼓ヶ滝も演る度に色々変わりますね」と申し上げたところ、もう30年以上やってていて、常に色々な工夫や思いを刷り込んでいるそうです。
こんな気持ちを噺に込めたい。
そのためにどんなに表現をするのか。
言葉を選ぶ、そして構成を考える。
師匠は、この噺に限らず、全ての噺にこんな気持ちで接し、練り上げることを繰り返されて来たんだと思います。
あたかも、大田区の町工場の研磨職人さんのように。
最新の機械でも敵わない精密な技術。
落語は、そうやって時間をかけて練り上げられている。
だから、この市井の演芸はいつまで経っても廃れない。
この噺の舞台が関西(有馬温泉)ですから、言葉(関西弁)の話題にもなりました。
私は、江戸言葉に比べて上方弁のボキャブラリーの豊富さのことを話しました。
盛り上がりそうになったところで、そろそろ後半が始まる時刻、私の出番です。
「師匠、勉強させていただきます」と挨拶をして会場へ。
師匠は、天祖亭の稽古に向かわれました。
突貫工事で高座にかけた「短命」。
客席の学津さんが写真を撮ってくれました。
散々の出来で疲れました。
この3ヶ月は6回の高座を務めました。
◆7月28日 子別れ(深川三流亭)
◇8月26日 怪談牡丹燈籠(学士会落語会)
◇9月 1日 浜野矩随(牛久味わい亭)
◇9月16日 揺れるとき(OB落語会)
◇9月24日 長短(ふれあい快笑会)
◆9月29日 短命(千早亭落語会)
そのうち、ネタ下ろしは2つだけでした。
なかなか新ネタが増えない悩みと、持ちネタの練り上げの機会との兼ね合いが、実に微妙です。
そんな中で、「短命」は、ほとんど稽古らしい稽古も出来ず(せず)に本番を迎えました。
しかし、完全にサボっていた訳ではありません。
たしかに7割は怠慢ですが、3割は試みでした。
落語を覚える、語る・・・。
落語のあるべき、自分の落語のあるべき姿。
そのために考えること、やるべきこと。
新たに加える部分、きっぱりと切り捨てる部分。
そう言えば、落研の先輩の談亭志ん志師匠も、先日のOB落語会の時に、「最近は、稽古量が少なくなったよ」などと、何か壁のようなもの、葛藤の存在を語っておられました。
その気持ち、とてもよく分かります。
私もそうかもしれないですから。
お客さまから「良かった」「上手くなったと」という評価を頂戴する次元ではなくて、それは当たり前で、さらなる高みはないか、それは何か(どこか)を求めて実践する次元や領域なんでしょう。
それにしてもひどい出来でした。
言葉(単語)が出て来なかった場所も数々。
不完全な細かな感情表現や仕草。
ただし、この噺も楽しい。
「試し酒」「長短」と「短命」は、"脱(非)人情噺"として、大切な財産になりました。
不遜を言わせていただくと、覚えるのも楽ですから。
台風マンデーですね。
進路予想は、列島の上を真っ直ぐ進んで行きそうです。
台風24号が、いよいよやって来ます。
大型で非常に強い台風に24号は、30日朝には九州南部にかなり接近したあと、非常に強い勢力を維持したまま西日本に上陸するおそれがあります。
10月1日にかけて、九州から北海道にかけての広い範囲で大荒れとなり、海では猛烈なしけとなるでしょう。
大雨や暴風、高波、高潮に厳重な警戒が必要です。
・・・予報図では、前回大きな被害のあった大阪は直撃は避けられそう?
大阪の人たちは戦々恐々としていますが、この間のようにはならないと思います。(素人予想)
ただし、台風は進行方向の右側(南東)が一番ひどいそうですから、伊勢湾が危ない気がします。
三重県、愛知県、静岡県・・。
駿河湾もかなりひどくなるかもしれません。
帰省を中止して良かったかもしれません。
今日はおとなしくしているに限りますね。
慌ただしかった9月も今日で終わり。
台風のために、帰省を中止することにしました。
そのおかげ?で、今日は1日休養に充てることにしました。
助かりました。
布団の中で、文化放送に合わせました。
◇「犬の災難」 五代目古今亭志ん生
「猫の災難」というのが一般的ですが、古今亭は「犬の災難」でやるそうです。
古今亭は「紺屋高尾」ではなく、「幾代餅」です。
こういう"一門独特の噺(個性)"は、聴く側にとってもいいと思いますよ。
そういう点絡もう、古今亭というか、昭和の名人五代目志ん生師匠の存在(功績)は大きいと思います。
昔は、噺そのものでなく、流派(一門)によって、得意なカテゴリーが違っていたなんて言われてもいます。
滑稽噺の柳派、人情噺の三遊派なんていう。
最近では、カテゴリーも噺そのものにも、流派や一門の区別(個性)はなくなって来ています。
柳家だから滑稽噺ではなくて、人情噺を得意とする師匠もいらっしゃる。
その典型が柳家さん喬師匠でしょう。
そもそも、名前も"喬"は、三遊派の不世出の名人"四代目橘家圓喬"を意識していると聞いています。
勿論、滑稽噺もお見事な師匠ですが、例えば「雪の瀬川」や「福禄寿」などの圓朝作品は、三遊派では演る人もいませんが、今やさん喬師匠の十八番になっています。
そういう意味では、落語はバリアフリーになっているんですね。
以前、私が「お江戸あおば亭」で「抜け雀」をやった時に、先輩の南亭蕪生師匠に、「三遊亭の"抜け雀"を聴かせてもらったよ」と言われました。
この噺も古今亭の噺と言われていますから。
これは、私が圓窓師匠に師事していて、師匠の高座本を元にやったからでしょう。
特に、圓窓師匠の「抜け雀」は、オチも変えていますから。
そんなことを思いながら、半分寝ながら聴きました。
そう言えば、この番組は、今までずっと【6時20分】から始まっていましたが、放送局の秋の番組の改編で、来週からは【7時】からになるそうです。
きりの良い時間になるので、歓迎です。
月末はチョイと色っぽく。
[お花半七(宮戸川)]
・「宮戸川」とかけて
「恋人同士の濡れ場」と解く
その心は「もうとっくに隅田川(済んだわ)」
[お花半七]
・お花ちゃん 強引半七に ひっつき歩き
やがて二人は くっついた
大阪府警富田林署に勾留されていた容疑者が逃走した事件で、何と山口県内で万引きをしたとして窃盗容疑で逮捕されたそうです。
指紋が一致し、身元が確認されたということです。
逃走から約1か月半ぶり。
また随分遠い所で捕まったものですが、それもありでしょう。
逃げ出した場所が「とんずら(富田)林」ですから。
来年の落研の創部60周年についての思い。
4年前、落研創部55年の時は、ちょうど仙台での「OB落語会」の年と重なったので、創部55周年記念も兼ねて、OB落語会を開きました。
かなり盛会でした。
私は、当日は参加出来ず、チラシとプログラムを作って送りました。
現役部員の皆さんもOBも、まだ熱さが残っていた気がします。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2015/03/post.html
それから、現役部員8名を学士会落語会にも招待したり・・・。
しかし、現役でいる時間は4年間だけですから、なかなか次世代に伝わらない、繋がらない・・・。
それが歯痒いところです。
9月もあと僅か。
台風や地震で大騒ぎの1ヶ月でした。
[王子の狐]
・「人間にからかわれた狐」とかけて
「日本人が多く患っている持病」と解く
その心は「王子の狐(おう、痔のきつい)・・・」
[王子の狐
・メス狐 後家さんに化け 人欺こうと
八化けがばれて 苦痛な目に
大岡裁きの噺も多くありますね。
[一文惜しみ・五貫裁き]
・「徳力屋に対するペナルティ」とかけて
「警察に呼び出された人」と解く
その心は「五貫文(ご喚問)を受けるでしょう」
[一文惜しみ・五貫裁き]
・日一分 五貫文を 引き継ぐ裁き
やっと徳力屋 功徳に醒め
芝居噺は、まずは芝居を知らないと面白くない。
学生時代は、あまり聴くことがありませんでしたが・・・。
[一分茶番・権助芝居]
・「権助芝居」とかけて
「二流フランス料理店の食器」と解く
その心は「一分茶番(一部茶碗)でしょう」
[一分茶番・権助芝居]
・忠臣蔵 権助の役 非人の権平
役不足だと 食い下がり
下手くそな絵だこと。
これ何だろう、ちょっと気味の悪い?絵ですが・・・。
フランスで、AIによって描かれた絵画が、初めてオークションにかけられるそうです。
へぇ、これはAIが描いたんだぁ。
3人のフランス人男性が開発したそうです。
絵画のタイトルは「エドモンド・ベラミーの肖像画(Portrait of Edmond de Belamy)」。
これは架空の一家の肖像を描いたものの1つで、今年の10月にはニューヨークにあるオークションハウス「Christie’s 」に出品されるということです。
3人は「Obvious」という芸術集団に属しており、パリを拠点に活動を続け、人工知能を使って絵画を描く方法を開発。
これまでも様々な肖像画をコンピュータに描かせてきたそうです。
さて、その時には落札額ですが、100万円近くになるのではと言われているそうですが・・・。
これ、100万円で買いますか?
9月が終わるので、「落語っ子連」の会計報告を行いました。
基本的に6ヶ月を1クールとして活動していますので、毎年3月末と9月末に決算を行っています。
「深川三流亭」としてスタートして6年半ですから、13期目です。
アマチュアのグループの悩みは、「ヒト」「バショ」「カネ」がポイント。
適当なメンバー(数)と稽古や発表会の場所、そして先立つ資金。
我が落語っ子連は、「ヒト」「バショ」には恵まれていると思います。
また、何とか「カネ」もドガチャガしながらも回っています。
昨日、会計報告書を作成してメンバーに配信した後で、1ヶ所誤りが見つかりました。
会費収入の内訳に、蝶九さんの名前が入っていなかったという・・初歩的な。
合計では算入していますので、全体の計数には影響はありませんが、お恥ずかしゅう
・・・。
すぐに訂正して再送信しました。
職人さんなら釘を1本打ち忘れた、噺家さんなら扇子を忘れた、先生なら板書の字を間違えた・・というような。
これが落研ならば、「金願亭乱志」ならぬ「金額亭乱示」になっちゃいましたってぇこと?
酒の噺はとっさりありますね。
[禁酒番屋]
・「1年間禁酒する誓い」とかけて
「2年間で朝昼は飲むと誓いを変更」と解く
その心は「禁酒(なのは)番屋(晩や)」
[禁酒番屋]
・酒注文 ご法度なのに 怯まず運ぶ
役目と番が くいと飲み
別冊太陽ですよ。
柳家小三治師匠の永久保存版の特集号。
27日が発売日ですが、Amazonで予約購入しました。
最後の名人が考える「落語」とは何か?
その至芸の秘密、人生の来歴まで徹底的に解き明かす、
永久保存版。
特別企画:荒木経惟、小三治を撮る。
雲田はるこ、小三治高座見聞録
(目次)
◆荒木経惟 「名人の顔」
小三治 vs. アラーキー、奇跡のフォトセッション。
◆十代目柳家小三治 真打昇進襲名披露口上
◆小三治に聞く142の質問
◆雲田はるこ、イラストルポ「寄席の小三治」
◆わたしの好きな小三治の一席 南伸坊、柄本佑、松岡修造、
小林聡美、鈴木敏夫
◆柳家小三治、スペシャル・ロングインタビュー
聞き手=古今亭文菊 撮影=西田香織
◆ルポ 噺家、ある日の午後。 撮影=橘蓮二
◆小三治 あの噺、この噺。 解説=渡邉寧久 写真=横井洋司
◆小三治の逸品「わたしが大切にしているもの」 撮影=栗原論
◆矢野誠一「すべて東京やなぎ句会でつくられた」
◆京須偕充「録音をめぐる三十五年の軌跡」
◆長井好弘「まくらと芸談 噺家・小三治の了見」
◆九人の弟子が語る小三治の素顔
柳家〆治、柳家はん治、柳家福治、柳亭燕路、柳家禽太夫、
柳家一琴、柳家三三、柳家三之助、柳家小八
◆「柳家小さん師匠への弔辞」柳家小三治
◆小三治アルバム帖「郡山剛蔵と柳家小三治のあいだで」
◆柳家小三治略歴
◆五〇年を振り返る、小三治高座記録 etc.
・・・もう「名人」なんですね。
昨日の「ふれあい快笑会」の、圓窓師匠と中学校の同級生の方から、昨夜早速お礼のメールをいただきました。
今日は有難うございました。
皆さん楽しんで頂けて良かったです。
機会がありましたら又お願いするかと
思いますので、宜しくお願いします。
有難うございました。
・・・ということで、来年裏を返すことが出来るかもしれません。
楽しい落語会で、大変勉強になりました。
窓口さんからも慰労のメールをいただき、「市川市民を代表して」と、お礼の言葉をいただきました。
いやいや、これも皆窓口さんの華麗な人脈からですから、こちらこそ感謝です。
市川市の公民館などに出前をさせていただくようになって、我々落語っ子連が飛躍的に上達したと思います。
貴重な高座の場をいただけているからです。
これからも、こういう機会を大切にして行きたいと思います。
9月も間もなく終わります。
[真田小僧]
・「有名な戦国の名将の一人」とかけて
「厳寒の山あいの集落」と解く
その心は「真田幸村(棚田雪村)でしょう」
[真田小僧]
・おとっつぁんに ごねてねだって 引き出す銭で
焼き芋買って 食うんだもん
私は「長短」。
蝶九さんと同様に、私にとっても大変に勉強になった高座でした。
噺のリズムやトーンも、会場のお客さまに合わせて、心持ち「ゆっくり・高め」にしてみました。
会場も広いので、仕草も少し大袈裟にと心掛けました。
あまりディテールに拘るのではなくて、大きく分かりやすくと。
仕草が身上の噺ですから特に。
反応はそこそこあったと思いますが、果たして喜んでいただけたか・・やや自信がありません。
こういう場をいただけて本当に有難いと思いますし、チャンスがあれば、積極的に出て行きたいと思いました。
「ふれあい快笑会」の"先鋒"は、蝶九さんにお願いしました。
もう、十八番にしている「牛褒め」です。
教え子たちの前で演っていて、それなりに練られて慣れた噺です。
ところが、今日のお客さまは、70歳以上の方々だと言うことですから、私もそうでしたが、少し勝手が違っていたかもしれません。
受けていても、笑いが取れていても、児童たちとは反応のスピードや内容が違うと思います。
ここは・・と思った所では意外に反応が少なく、逆に予想していなかった場所で反応があったり。
それでも、熱演をしてくれて、客席の雰囲気は良好です。
本人も、「これからは、お年寄りの反応も研究しておきたい」と言っていました。
そういう点からも、貴重な経験になったと思います。
「ふれあい快笑会」の会場を後にして、本八幡駅近くの喫茶店で、蝶九さんと反省会。
・・・というより、ささやかな打ち上げ。
私はコーヒー、蝶九さんは紅茶でと、まだ日も高いので、ノンアルコールです。
初めての場所で、事前の情報もあまり聞いていなかったので、2人ともとても緊張しました。
でも、会の関係者の皆さんの行き届いた対応に心から感謝です。
様々な場所で高座を務めることによって、必ずそれが、落語の血となり肉となるものだと思います。
とても貴重な経験、勉強をさせていただきました。
・・・というのが2人の一致した感想です。
初めての「蝶九・流三二人会」は、とりあえず”合格”かな?
本八幡駅から、私は上り、佐原に帰る蝶九さんは下りの電車に乗りました。
市川駅で降りて、バスで松戸駅まで戻りました。
蝶九さん、遠くからお疲れさまでした。
「へぇぇ、そうだったんですか」という話。
今日の「ふれあい快笑会」は、様々なご縁を感じるものでした。
どういう経緯でこのイベントへ出演することになったのか。
この会の世話役をされた方は、今年2月の出前落語会「そや寄席」に、偶然、急用で来られなくなったご友人から、この落語会の応募(当選)ハガキを譲ってもらってご来場くださったそうです。
そして、我々の落語を聴いてくださり、「これだ!是非"ふれあい快笑会"に呼ぼう」と、すぐに曽谷公民館の担当者に照会されたそうです。
そこで、曽谷公民館の方を経由して、私の所にオファーということになり、今日に至りました。
ですから、2月の「そや寄席」の時に、ご友人の都合が悪くならなければ・・、今日の出前落語は実現しなかったということです。
どなたか存じませんが、急用の出来た方には感謝ですね。
それに、曽谷公民館の方は、2度やらせてもらっていることもあり、とても気さくにご連絡をくださいました。
やはり、常に手を抜かずに一生懸命にやることなんですね。
そして、さらに驚いたのは、この方が、何と【圓窓師匠の中学校の同級生】だということ
クラスは違ったそうですが、若かりし師匠のことを良くご存知でした。
栴檀は双葉より芳し・・・なんてぇことを言いますが。
師匠の生徒会選挙の時の演説がすばらしかったそうです。
師匠と生徒会なんて、どうしても繋がりませんが。
全日警ホールホールでの「ふれあい快笑会」。
いよいよ開演です。
このイベントは、市川市内の社会福祉協議会の支部の主催で、【原則70歳以上の独居の方】を対象にしたものだそうで、数十名のお元気な方々がご来場でした。
まずは、我々が演芸(落語)、あとは体操だとか、簡単なレクリエーションが行われたようです。
会長さんや来賓ご挨拶の後、蝶九さんから高座に上がりました。
◇「牛褒め」 三流亭蝶九
◇「長短」 三流亭流三
高齢の方ばかりなので、反応はそれなりだったと思いますが、恐らくじっくり聴いていただけたと思います。
今回の出前落語では、驚く洋梨ご縁を感じる所がありました。
実に世間は狭いものだと。
(追って披露いたしますが。)
ちょっと、時間をオーバーしてしまいましたが、「蝶九・流三二人会」?は、無事にお開きになり、後の次第に続きました。
今日も落語です。
今日は、窓口さんの人脈から、市川市へ出前落語です。
社会福祉協議会のイベントに参加して来ます。
私と蝶九さんと2人で、40分程度だと思います。
あまりに細かいことは聞いていませんので、行ってから・・ということで。
さぁ、いつものことながら、市川にはどうやって行こうか。
南北に隣接しているのに、公共交通機関の不便なこと。
特に、電車は最悪です。
両市ともに東京を向いていますから。
かく言う私も"千葉都民"です。
会場は本八幡ですから、バスで松戸駅から市川駅に行き、総武線で本八幡にというコースにしました。
松戸駅前のターミナル1番乗り場。
学生と思しき若者が多く乗っています。
途中には、大学が2~3校ありますから。
落語の楽しさが味わえる名作だと思います。
[青菜]
・「食べてしまってない(九郎判官)」とかけて
「信じられないことを言われた人」と解く
その心は「そんなアホな(青菜)ぁ・・」
[青菜]
・旦那さま ごめんもうない ひたした青菜
やっぱりそうか 食ろうてなし
午前中に、落語っ子連の稽古を終えてから、大手町で地下鉄を乗り換えて板橋区役所前へ。
私が落語に戻って来て、圓窓師匠に師事してから10年余り。
それから、私が出演する落語会(深川三流亭・千早亭落語会・お江戸あおば亭など)の、ほとんど全てに来てくれているのが、豊島区に住む叔父(母の弟)です。
81歳になりますが、見た目も身体も心身ともに若い叔父ですが、昨日突然体調を崩したということで、稽古の後でお見舞いに行きました。
本人も、生まれて初めて入院したそうで、目を白黒させていました。
幸いとても元気で、1時間以上お喋りをしました。
今週末の「千早亭落語会」は、初めて"欠席"ですが、いつものようにご近所の方々に声をかけてくれているそうで、きっと何人か来てくださるようです。
3時間の稽古時間も、全メンバーが熱演すると足りなくなってしまいます。
今日はフルメンバー参加でしたから、ギリギリかと思いましたが、やはり稽古に熱が入ると・・・。
窓口さんの稽古が始まったのは、11時を過ぎたところでした。
窓口さんは、今週末の「千早亭落語会」の演目「酢豆腐」。
ここからは、稽古の時間の都合で、噺の途中までということに。
窓口さんは、語り始めは、声も控え目で、やや気だるそうな雰囲気ですが、だんだんエンジンが暖まって来ると、師匠が絶賛する"フラ"も最高潮、とても面白くなります。
これは、私には絶対に真似が出来ません。
語り始めはぶっきらぼうな感じもありますが、途中からは、本人が楽しくて仕方がないのでしょう、登場人物がみんな優しくなります。
落語というのは、勿論リアリティーも求められますが、究極は楽しくて気分の良い後味が必要ですから、窓口さんのキャラは凄い。
これは天賦のものなんでしょうね。
稽古も佳境になって来ました。
今回、果敢に「野ざらし」にチャレンジしている百梅さん。
忙しいビジネスマンの百梅さん。
日本より涼しいタイやベトナムに出張していた百梅さんも1ヶ月ぶり。
前半部分の会話は、登場人物の区別、それぞれの語り口は素晴らしいと思いました。
この長足の進歩には驚きます。
自分のパターンが出来て来たのと、自信を持って稽古をしている賜物だと思います。
稽古を進めて行けば、後半の難しい部分も克服出来るでしょう。
元々、全体がリズミカルな噺ですから、かなりの体力と力量が必要になります。
まだまだではありますが、今の百梅さんのスタンスなら、必ずマスター出来ると思います。
師匠からは、釣竿の使い方を工夫するようにとアドバイスがありました。
語り込んで台詞が自然にに出るようになれば、仕草もついて来ます。
稽古の量と上達がシンクロする噺ですから、頑張って欲しいと思います。
稽古には少し遅れると言っていましたが、南房総から夢学さんと一緒に、定刻前に到着。
我が連は、遠くから参加する人が多いのですが、遠くからの人の方が、稽古の始めから参加してくださいます。
新潟から越児さん、香取から蝶九さん、牛久から学津さん、大磯から新参さん。
そして、南房総から千公さんと夢学さん。
誰とは言いませんが、近くから来る人の方が「遅刻」常習のようです。
千公さんは今日は「ぞろぞろ」。
9月27日に、師匠の「落語の授業」のお手伝いで、南房総市内の小学校を訪問するそうで、この時の演目だそうです。
持ちネタですから、まぁ楽しそうにやっていました。
落語の授業を想定してか、噺がかなりカットされてコンパクトになっていました。
こういう作業や工夫も、噺の練り上げには重要なファクターなんだと思います。
千公先生、落語の授業、頑張ってください。
夢学さんも1ヶ月ぶりの参加です。
この夏は、かなりオリジナル色の演出をした「桃太郎」を繰り返し高座にかけて、「夢学節」を際立たせた夢学さん。
多忙な中でも、落語への情熱は揺らぐことなく、むしろさらに燃え盛っている気がします。
今、夢学さんは「千早振る」。
師匠から、前回の「桃太郎」と同様に、登場人物を女性にしてやってみたら、とのアドバイスがありましたが、なかなか難しいようで、通常の男2人の会話のパターンでした・・・。
夢学さんは、噛んで含めるような口調の語りですから、登場人物がとても上品に聞こえます。
そういう意味では、師匠が仰るような女性バージョンに期待したくなります。
それから、師匠は、女性が語れる落語を意識していらっしゃいますから、その1パターンとしてイメージされているのかもしれません。
女性が、女性を主人公に、女性の目(立場)で創った噺を、女性が演じること。
これが確立出来れば、女性が落語を演る違和感は、かなりなくなるはずです。
師匠の「救いの腕」をやらせていただいた時に感じたことです。
女性の「お見立て」や「紺屋高尾(幾代餅)」など、私は聴きたくありませんから。
それを夢学さんに期待している部分もあるはずです。
蝶九さんも1ヶ月ぶりの稽古参加です。
今日も朝早いバスで門前仲町まで。
小学校は、先日運動会だったそうです。
一番大きなイベントでしょうから、先生は大変だったことでしょう。
蝶九さんは、持参した高座本3・4冊を師匠に見せて、「何をやったら良いですか?」・・。
師匠が苦笑いをして選んだのが、最近読み稽古を始めた「十徳」。
とにかく真面目で、噺に対するこだわりも強い人なので、一生懸命です。
先日来より腰を痛めているとのことで、少し動きがぎこちない所がありますが、そこはご愛嬌・・・?
ご本人はご愛嬌どころではないと思いますが。
香取市の有難亭がベースで、地元でも、色々声がかかっているようです。
市の広報誌の取材も受けたそうです。
妙に自信ありげな時と、そんなに卑下しなくてもと思うような時のコントラストを、私は笑いながら眺めさせていただいています。
とにかく、まずは腰を治さなくっちゃぁ、ね。
越児さんとお会いするのは、学士会落語会以来です。
私が稽古を一度休んだ間に「猫と金魚」は完成させたんです。
そして、今日はもう、次の噺も高座本から離れている・・・。
もう出来上がっているじゃありませんか。
越児さんの「時蕎麦」。
この噺は有名な噺で、ストーリーは知られているし、蕎麦を手繰る仕草が注目されるし、噺全体をリズミカルに演じないといけません。
目を閉じて聴いても、仕草を見ても、完全に「越児節」に仕上がっているんです。
越児さんから学ものはたくさんあるのですが、一番見習いたいのは、噺の"落ち着き"です。
これは、越児さんの"フラ"なんだと思いますが、何とか真似をしたい部分です。
昔から、遠くから背中を追いかけていて、何とか近づけたかなぁと思うと、さらに先に行っている・・・。
今日のトップバッターは学津さんの「親子酒」。
学津さんは、稽古会だけでなく、メールで色々な質問や相談をしてくれます。
落語に対する真摯な姿勢には、取り敢えず頭が下がります。
怖いもの知らずなのが、私のいじりポイントです。
いじりですよ。いじめではありませんよ。
そして、今日は感心、感心。
稽古開始時刻前に到着。
今日の学津さんは、午前中は三流亭の稽古、夜は地元の牛久亭の稽古と、ダブルヘッダーです。
三流亭では今チャレンジ中の「親子酒」、牛久亭では明日どこかで高座にかける「四人癖」の稽古をつけていただくつもりだそうです。
さて「親子酒」。
師匠からは酔っ払いを慮れば研究(工夫)するようにとアドバイス。
若いから、とても元気な「親子酒」です。
三流亭に参加するようになって、かなり厳しく指導していますし、メンバーのレベルが相応に高いので、かなりの刺激を感じてくれていると思います。
今までの姿勢や稽古ではダメだと。
基本的には、とても真面目で前向きな青年ですから、期待したいと思います。
落語っ子連の稽古会。
今日の稽古は全員が参加して、とても賑やかな稽古になりました。
紅巣亭鶴女さんと要亭可笑子さんが、交流稽古で参加してくださいましたが、時間が足りずに、見学だけになってしまい、申し訳ありませんでした。
◇「親子酒」 三流亭学津
◇「時蕎麦」 三流亭越児
◇「十徳」 三流亭蝶九
◇「千早振る」 三流亭夢学
◇「ぞろぞろ」 三流亭千公
◇「野ざらし」 三流亭百梅
・・・これより三役?
◇「酢豆腐」 三流亭窓口
◇「河豚鍋」 三流亭新参
◇「短命」 三流亭流三
師匠は、今日も優しく厳しくご指導くださいました。
皆さん、それぞれ見事な演読、ほぼ出来上がった稽古でした。
あっという間の3時間でした。
師匠、ありがとうございました。
明日は、私と蝶九さんで、市川市社会福祉協議会の「ふれあい快笑会」で、出前して来ます。
全て、窓口さんの人脈です。
頑張って来ます。
今日はこれから、落語っ子連の稽古。
私は前回の稽古を欠席したので、約1ヶ月ぶりです。
支度をしながら聴きました。
◇「味噌豆」 六代目三升家小勝
とにかくこの番組の音源は、私が生まれた前後の頃のものが多く、噺家さんもリアルタイムでは聴けなかった師匠が多い。
あるいは、落研に入部する前の噺家さんは、あまり知りません。
この小勝師匠(後に桂右女助)も、学生時代に「水道のゴム屋」を聴いて知りました。
それでも、まだ十分に聴くことが出来るというのは、落語という演芸の凄さなんでしょうか?
苦しい難産が続きます。
[大山詣り]
・「大山詣りの場所」とかけて
「バーナーを当てた生姜」と解く
その心は「阿夫利神社(炙りジンジャー)でしょう」
[大山詣り]
・頭髪(け)を剃って ごろつき野郎に 一泡ふかせど
やり返された 熊公に
お相撲さんは人気者です。
デカイお相撲さん。
私は、誰だか知りません。
「ひふみん、随分太ったなぁ」と思ったら、別人でした。
ロシア出身の「大露羅(おうろら)」でした。
関取にはなれませんでしたが、相撲ファンに愛された、この名物力士が今場所限りで18年半の土俵生活にピリオドを打ったそうです。
最高位は幕下四十三枚目。
各段優勝もなく、これといった成績は残せなかったが、大相撲史にはその名をしっかりと刻み込みました。
秋場所前の計量では、自らが持つ歴代最重量の体重を更新する292.6キロをマーク。
目前だった300キロの大台は「やってみようと思ったけど、きつくてできなかった。落とすのも大変だし」と叶わぬ夢に終わった・・・?
最後の場所は序二段十二枚目で1勝6敗。
四日目の相撲では控えから立ち上がろうとしたところでバランスを崩し、四つん這いになりながら土俵に上がり、館内の失笑を買ったが、実は隣に座っていた審判委員の友綱親方の紋服の裾に、たまたま足が引っかかってしまうアクシデントだったようです。
ところが、序二段時代の白鵬には勝っているそうで、通算対戦成績は1勝0敗と大横綱に勝ち越している数少ない存在?
お相撲さんは、勿論強さの象徴ですが、昔の大名などは、身体が大きいとか、強さだけではない個性を買って、お抱え力士にしていたそうですから、こういう人もありなんでしょう。
廃業後は故国ロシアに帰るそうですが、このままだとすぐに死んでしまうので、大至急ダイエットして欲しい。
四股名通り、最後の一番は勝ったんですね。
「大露羅(オーロラ)」だけに、幕下オーラスで輝きました。
大相撲9月場所も明日が千秋楽で最高潮です。
[阿武松]
・「相撲の星取表」とかけて
「上野動物園のパンダ」と解く
その心は「白黒で注目されています」
[阿武松]
・若者は ご飯大盛り ひたすら食べて
”役”から”綱”に 位上げ
夕食後、疲れていたのでそのままバタンキューだったようです。
気がつくと、夜も10時を回っていました。
今月は、この2週間は忙しかった・・・。
・9/6 …‥ 母入院
・9/7 …‥ 母手術
・9/8 …‥ 義父1周忌法要
・9/9 …‥ 病院
・9/10-14‥真面目に仕事
・9/14‥‥ 東京落語会
・9/15‥‥ 病院
・9/16‥‥ OB落語会(仙台)
・9/17‥‥ 車修理
・9/18-20‥大阪出張
・9/21‥‥ 母退院
…‥という訳で。
目覚めると、妹からメールが入っていました。
姪(妹の長女)が、我々の故郷の記事を見つけたと、添付してメールをくれたそうです。
https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20180921/0018738.html
山梨県南部町で、特産の「南部茶」の魅力を地元の人たちに再認識してもらおうという教室が開かれました。
山梨県の最南端に位置する南部町は、温暖な気候を生かしてお茶の生産が盛んで、「南部茶」として地元の特産品になっています。
この南部茶の魅力を改めて知ってもらおうと、町の教育委員会が20日開いた教室には町民9人が参加しました。(以下略)
姪は、両親にとっては初孫で、妹は実家で出産しましたから、姪にとっても親しみを感じているようです。
一方で、我が家の子どもたちは、家内の実家がそういう存在なので、仮に記事を見てもメール転送はしてくれないでしょう。
ところで、今月はまだまだ忙しい…。
・9/23‥‥ 落語っ子連稽古
・9/24‥‥ ふれあい快笑会(市川)
・9/26-28‥大阪出張
・9/29‥‥ 千早亭落語会
・9/30‥‥ 帰省
高座が2つ控えています。
今夜は寝よう。
おやすみなさい。(。-ω-)zzz
慌ただしく、富士から戻りました。
途中、週末夕方の首都高速はひどく渋滞、進んだり停まったり。
竹橋JCTの手前でベタッーと停まってしまった時に、何気なく遠くを眺めると、皇居濠越しに大手町方面が目に入りました。
やや左側にある白い低めの建物が気象庁です。
その先が、千代田区大手町一丁目1番1号辺り。
私が、約10年近く通った場所です。
近くに、「平将門の首塚」があります。
しかし、当時勤務していた25階建てのビルは既になく、新しいビル群が建ち並び、昔の面影はなくなってしまいました。
そう言えば、子どもたちがまだ小さい頃、帰省帰りなどにここを通る度に、「お父さんは、あそこの黒いビルで働いているんだよ」なんて言ったものでした。
時は流れて、昔の光は今いずこ。
大手町は当時とは全く違う街になってしまいました。
バブルの頃、この地域に拠点を置く、大手不動産会社が、「丸の内・大手町摩天楼計画」みたいなプランをぶち上げていましたが・・、何か現実になりつつあるような、怖さを感じます。
平将門の霊の逆鱗に触れなければ良いのですが・・・。
髪結いの亭主になりたいものです。
[厩火事]
・「7つ年上の女房」とかけて
「山手線の駅」と解く
その心は「おさき(大崎)ぃ〜」
・「女房の悪口を言う」とかけて
「仕事が終わって帰る時の挨拶」と解く
その心は「おさきに(失礼)します」
[厩火事]
・奥方の ごわごわわちりちり 酷い癖髪
やっと仕上げて くたびれる
今から9年前、創部50周年の記念事業は、実に華々しく行われました。
そして来年は、もう60周年です。
先日の「OB落語会」の時も、何人からか「どうするの?」と尋ねられました。
これから考えます。
言うだけで、誰も「自分がやろう」なんて言う人はいませんから、志ん志師匠と仙台の駄馬師匠と相談しながら、考えたいと思います。
50周年ほどキリのよいタイミングではないので、派手なことではなく、ささやかにお祝いしようと思います。
今日は、ちょっと臭い噺2題。
[転失気]
・「転失気とは放屁のことですか?」とかけて
「別れの挨拶」と解く
その心は「さよう、おなら(さようなら)じゃ」
[芋俵]
・俵の中 ゴロゴロ転げ ひっくり返り
やりきれなくて 臭い一発
落研の現役部員の皆さんにお礼をと、メールを送りました。
OBの二代目金願亭乱志です。
16日の「第26回OB落語会」では、皆さんに大変お世話になりました。
おかげさまで、素晴らしい落語会になり、出演したOBだけでなく、客席に座っていたOB・OGも喜んでいました。
また、当日来仙が叶わなかった多くのOBにも、盛会の報告をしました。
皆さんにとっては、昔の人と接するのは煩わしいと思います(私も現役時代はそうでした)。
が、やはりせっかく60年近くも続いている、全国屈指の落研ですから、是非次代に繋いで行ってください。
卒業されたら、在籍期間は違えど同じ落研の仲間(OB)として、長くお付き合いしたいと思います。
皆さまの、ますますのご活躍をお祈りいたします。
本当にありがとうございました。
・・・生きている時代も価値観も違いますが、落語を通じて繋ぎ合って行ければいいなと、心から思います。
あたかも、現世にいる現役部員に、来世のOBが蓮の花の上からメッセージです。
・・・しかし、我々の思いほどには、彼らは考えていないんでしょうね。
恐らく、反応もあまりないでしょう。
だから、期待してはいけないんです。
我慢、我慢・・・、時代が変わった。
頼もしい、我が後輩諸君の活躍をお聴きになりたい方は、以下の落語会をチェックしてください。
落研主催の落語会または落研部員(とOB)が出演する落語会。
これからの東北大学落研の落語が聴けるチャンスです。
◆9月23日 「第10回奥羽越学生落語会」@新潟大学ときめいと
◆10月6日 「花座社会人みちのく落語会・大学落研の部」
@花座
◆11月2・3日「東北大学祭・川内寄席」@川内北キャンパス
◆11月17日 「第167回古典落語発表会」
@片平キャンパスさくらホール
◆11月18日 「仙台若手落語大X会2」@市民活動シアター
◆11月24日 「第15回お江戸あおば亭」@東京堂ホール
◇1月以降 「第168回卒業生追い出し落語発表会」
@片平キャンパスさくらホール
「第11回奥羽越学生落語会」
@片平キャンパスさくらホール
・・・という訳で、是非とも応援してあげてください。
定例の発表会に加えて、仙台の寄席「花座」にも出演しますし、他の団体との競演もあり、私も出演したいぐらいです。
我が落研は、来年創部60周年になります。
9月も半ばを過ぎて、明日はもう20日。
暑さ寒さも彼岸まで。
[明烏]
・「性に目覚めた若旦那」とかけて
「カジノで有名な街」と解く
その心は「明烏(ラスベガス)」(・・苦しい)
[明烏]
・吉原を ごめんねおっ母さん 酷いやつらが
やれ稲荷だとか 繰り返し
OB落語会の会場で、プログラムと一緒に配布した資料。
「落語の歴史探訪と寄席」と題したもので、喰亭寝蔵師匠が、地元の大学で講演をされた時のレジュメをベースに、私が落語会配布用に編集させていただいたものです。
内容は非常にコンパクトにまとめられていて、寝蔵師匠の落語論も込められています。
落語"研究"部ですから、やはり、こういうアカデミックな資料も必要だと思います。
中入りの時に、小学校の先生という方が、この資料を使いたいと仰っていたとかでした。
これで、落語を理解していただける、興味を持っていただけるなら、こんなに嬉しいことはありません。
「寝蔵エンタープライズ」は、落語会の映像編集のみならず、落語の資料編集・講演もやれるんですね。
落語会では、色々なことがあるものです。
大勢ご来場くださったお客さまの中に、梵字をデザインしたバッグを持った剃髪の女性がいらっしゃいました。
どう拝見しても仏門にいらっしゃる方でしょう。
普段なら、有難いお客さまですむのですが、今日の私にはギクリとします。
「揺れるとき」の最後の場面で、般若心経を唱えるシーンがありますから。
師匠の高座本では、もっと長く唱えますが、私は、最後の2行だけにしてはありますが。
お題目(南無妙法蓮華経)なら、何とか形がつくかもしれませんが、圓朝がお題目なはずがありません。
それに、法華の方が梵字のバッグはお持ちにならないでしょう。
法華の方なら蓮の花だと思います。
「鰍沢」ではお題目だから、この場面もお題目に変えてやろうかとも考えました。
しかし、あの静粛な場面で「南無妙法蓮華経ぅ、ドンドン」という訳にもいかず・・・。
大変罰当たりな般若心経もどきですが、プロの方にはお許しいただこうと、恥を忍んでやってしまいました。
尤も、これをやらないと噺が進みませんので。
それにしても、「揺れるとき」の中で、元噺家が若き圓朝に言う台詞を思い出しました。
「噺家は噺だけやってりゃいいなんて言う人がいるが、そうじゃねぇよ、噺には世の中の全てが込められているから、自分で見たり触れたり、経験したりすることは大事なんだ。それが芸の肥やしになる・・」。
躍りや歌や学問や、勿論お経も、落語の中に出て来ますから。
そう言えば、落語っ子連の千公さんは、「蝦蟇の油」をやるのに、筑波山神社で本物の「蝦蟇の油」の口上を習いました。
そういう研究も必要です。
落語の奥深さを感じます。
それにしても、冷や汗ものの般若心経もどきでした。
「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経」
唱えたのは、最後のこの部分だけでした。
杜の家とん平師匠の十八番の旬の噺。
[目黒の秋刀魚]
・「目黒の秋刀魚の美味さ」とかけて
「山手線の駅」と解く
その心は「日本橋魚河岸とは品が(品川)が違うでしょう」
[目黒の秋刀魚]
・目黒郷(さと) 五反田恵比寿の 一駅隣り
焼いた秋刀魚が 食える場所
9月も半ばを過ぎました。
そして、大ネタ4連続強行の夏が一段落しました。
・7月28日 「子別れ(子は鎹)」~深川三流亭
・8月26日 「怪談牡丹燈籠」~学士会納涼寄席
・9月1日 「浜野矩随」~牛久味わい亭
・9月16日 「揺れるとき」~OB落語会
あ~ぁ、しんどかったぁ・・・。
何とか乗り切って来ましたが、台風やら猛暑に翻弄もされました。
さて、今月はこれからまだ2度の高座が待っています。
・9月24日 「長短」~市川市ふれあい快笑会
・9月29日 「短命」~千早亭落語会
特に、29日の千早亭落語会の「短命」は、ネタ下ろしですが、これから稽古を本格化(開始?)する状態です(^^;
高座本を見て、途方にくれています。
3連休最後の仕事です。
ここは、愛車のディーラー。
一昨日、首都高速でバーストした左後輪。
JAFでスペースセーバータイヤに交換してもらい、富士を往復しました。
今日はディーラーに行って新品に交換しようと。
タイヤの幅が245mmあるので、同じ商品をメーカーに在庫を確認してもらったところ、夕方ディーラーに入荷可能ということでした。
夕方、ディーラーに再度行って、無事に交換が完了しました。
やれやれ。
とんだ散財になってしまいました。
でも、安全には替えられませんから。
ショールームには、宝くじでも当たれば、是非買いたいモデルが置いてあります。
価格は、ベースで約850万円です
しかし、よく考えてみると、宝くじに当たっても、そもそも大きすぎて駐車場のパレットには入らないから、買わずにすみますね。
現役部員の皆さんには本当にお世話になりました。
開口一番で「化け物使い」を熱演してくれた葉楼ぷろさんが、前回と同様、高座返しをやってくれました。
前回は、私が「牡丹燈籠」をやりましたが、百円ショップのLED蝋燭を立ててもらったので時間がかかり、出囃子が途中で終わってしまいました。
今回は、桂友楽師匠が、マイクのセットと湯呑を置いたりで、注文が多かったので、やはり時間切れになってしまいました。
そういうことにも、淡々と進行をしてくれました。
そう言えば、出囃子のCDのタイミングも絶妙で素晴らしかった。
私も何度も経験しましたが、なかなか出囃子が出なかったり、タイミングが悪かったりするものですが、こんなストレスなく出られることも珍しい。
CD(音響)操作をしてくれた、関西弁(河内長野出身)の4年生の宿栄家(すくえあ)じゃんぷさんには感謝します。
打ち上げの時、お礼を言うと、とても喜んでくれました。
いつも言うことながら、落語会は、チームプレーです。
「揺れるとき」を仙台で、というのをずっと考えていました。
東日本大震災から7年半、この噺を圓窓師匠が創作し初演されて7年経ちました。
やっと機会をいただくことが出来ました。
折しも、直前には北海道で大きな地震があったばかりなので、さらに思いが強くなりました。
マクラでは、仙台でなければ言えない、私が4年生の時に遭遇した宮城県沖地震と、そしてあの東日本大震災のことを。
三遊亭圓窓作「揺れるとき」、この噺を東日本大震災で被害に遭われた皆さまに、慎んで捧げます、と。
噺の出来は、まぁ、こんなものでしょうが、客席の反応は、やはり惨禍を経験者された方々のものだったと思います。
「与えられた命を大事に生きる」という人としての生き方。
「聴いてくださる方がお一人でもいる限り、噺家は噺を捨ててはならない」という噺家の責任。
師匠の気持ちの籠った、私も心を動かされたことを、少しでも伝えることが出来たならそれでいい・・・。
ご来場ありがとうございました。
後半の食い付きは、とん平師匠です。
我が落研で、一番由緒ある「杜の家とん平」。
その名誉ある三代目です。
今回は、落語っ子連で評判の「目黒の秋刀魚」。
深川三流亭で、オチをしくじって、師匠はじめ全メンバーに大受だったという、栄光の?経歴を持つ噺です。
またしくじりを期待していましたが、とんでもない。
客席は、しくじりではなくて、本当に大受けです。
ドカンドカンと大爆笑の連続で、ご本人が一番驚かれたのではないかと思います。
打ち上げの時も、現役部員から「今まで聴いた中で、一番面白かった」という感想でした。
最近、乗っていますよ。
落語をやるのがとても楽しそうなとん平師匠です。
なんだか、しくじらなかったので、楽屋はちょっと期待外れだったなぁ。
落語っ子連のメンバーにも、「残念ながら、しっかり出来ました」と報告しておきます。
桂友楽師匠は、ご当地ネタの「ねずみ」。
開演時刻になっても、友楽師匠がお見えになりません。
相変わらずお忙しい身体のようで、今日も朝から午前中も何か用事があったようです。
とにかく仙台では有名人ですから。
それでも出番にはゆっくり間に合ったようです。
今はまた、落語の創作でお忙しいそうで、昨日も夜なべして資料の整理をしていたとか。
それで、寝不足で、ネタ出ししている「ねずみ」の稽古不足でと。
「乱志君の"ねずみ"を聴きたいなぁ」なんて仰っていました。
ご本人にすれば、本日の受けの方は今一歩だったようでしたが、御歳間もなく76歳。
八幡町の町興しの落語指導だとか、落語創作だとか、講演だとか・・・、有名人はとにかくお元気です。
談亭志ん志師匠は「いかけや」。
"和製トランプ"を自称する志ん志師匠。
今回は何と中入りの前と後で、2席ご機嫌を頂戴すると言うことになっています。
まずは「いかけや」から。
上方噺ですから、上方弁で。
志ん志師匠は、江戸弁と上方弁のバイリンガルです。
今回の落語会は、とにかく志ん志師匠が何から何まで準備をしてくださって実現出来ました。
心から感謝です。
ありがとうございます。
噺の方は「落研御三家」の一角ですから、もう聴いていただけば、何をか言わんです。
客席の反応も上々です。
開口一番は、葉楼ぷろさん。
こちらから持参した、いつもお願いしている「H先生に」書いていただいためくりが映えます。
(このめくりは、ご本人にプレゼントしました。)
「はろうぷろ」と読みます。
経済学部の3年生の山形美人。
今、就職活動の真っ最中だそうで、某企業のインターンシップの間を縫って出演してくれました。
大丈夫、「私はオチケンです」と言えば、すぐに内定がもらえます。
オジサンたちがそうでしたから。
1人で、いつの間にか着物に着替えて、偉いものです。
20世紀のオジ(イ)サン4人に、1人敢然と?立ち向かう21世紀の女子大生です。
前回のOB落語会の時は1年生で、高座返しをやってくれました。
マクラでは、「私も3年生ですが、まだ若いと思います」って、とんでもない、若い、若い
貴女が若くなかったら、これから出るオヤジたちは”木乃伊”
とにかく桂友楽師匠とは、半世紀以上の歳の差がありますから。
それにしても、とても間の良い語り口です。
気持ち良く耳に入って来るリズムを持っているので、これからの上達がとても楽しみです。
「化け物使い」は、時間を意識してくれたのか、一つ目小僧と入道だけでした。
もっと、のっぺらぼうが出る場面を聴きたいと思いました。
ぷろさん、ありがとう。
就活も頑張ってください
演目は、思いつくままにしていますから、何の法則性もありません。
[あくび指南]
・「欠伸のしかたを教えてもらう」とかけて
「やっと捕まった極悪人の一言」と解く
その心は「欠伸指南(悪は死なん)」
[あくび指南]
・習い事 娯楽実益 暇つぶしにも
やり始めると くだらない
落語会でが終わり、仙台駅前の名掛丁の店で打ち上げです。
打ち上げは賑やかに。
やはり若い人たちと話すのは楽しいものです。
先輩と後輩と言っても、ほとんど初対面に近いですから。
出演者でも、桂友楽師匠と葉楼ぷろさんの年齢差は55歳ある訳ですから。
実は、明日も「歩く会」が企画されているのですが、私は諸事情のため、これにて失礼ということになります。
皆さんにご挨拶して、現役部員の皆さんには、2年後の再会を約束して仙台駅へ。
余裕をもって、遅めの新幹線を予約していましたが、1時間以上時間があるので、みどりの窓口で変更することにしました。
疲れていたので、大枚?をはたいてグリーン車にしました。
慌ただしい、
第2の故郷へのお里帰りでした。
東北大学片平キャンパス。
仙台駅からタクシーで片平キャンパスへ。
タクシーの運転手さんに「荷物があるのでごめんなさい。近くて大変申し訳ありませんが、東北大学片平キャンパスの北門まで」とお願い。
それでも、タクシーでキャンパス内にも入れるようなので、いくらか先のさくらホールの前で下車しました。
(ワンメーターぐらい上がったかもしれない・・・?)
天気が良いので、緑の多いキャンパスは爽快です。
最近はかなり整備されて来ていて、それでもまだ古い建物と新しい建物とが混在しています。
銅像もいくつもあって、どこのどなたか存じ上げなかったりして。
片平キャンパスでは、当時落研が稽古場にしている、古い汚い2階建ての木造の建物がありましたが、勿論、今はありません。
キャンパスをブラブラしていると、誰かから声をかけられました。
声の方を向くと、何とOGで、横浜在住、お江戸あおば亭にも出演してくれている「杜の家くるみ」さんでした。
彼女は実家が仙台で、お里帰りしていたそうですが、わざわざ駆けつけてくれました。
有難いなぁ。
くるみさん、ありがとう!
ついでに高座に上がってくれればよいのに。
本当に、様々な人が関わりを持ってくれて、OB活動も続けて行かれるんだなぁと思います。
(中には、何もしない、金も出さないで、文句ばかり言う向きもありますが・・、聞かせてやりたいよ。あ、これ独り言。)
あまり時間がないので、駅ビル(エスパル)のレストラン街で、ちょっと早めのランチ。
牛タンの青葉亭には、既に行列。
我々の頃には、牛タンなんて名物でも何でもありませんでした。
基本的にはこういう類いの食材は好きですが、敢えてここで食べたいとは思いません。
仙台に来たので、やはり海産物がいい。
和食の魚がメインの店に入りました。
以前にも入ったことがある気がしました。
「みちのく地魚海鮮丼」を注文しました。
まぁ、なかなかのものでした。
ウニ、イクラに、丼にはとっさり魚が載っていました。
海苔で、ウニとイクラは寿司飯で巻いて食べました。
あ~ぁ、もう少しゆっくり食べたかった。
11時半も過ぎたので、急いで片平キャンパスに向かいます。
いよいよ今日は「OB落語会」です。
9時2分上野駅発の新幹線で仙台に向かいます。
いくつになっても、仙台に行く時は、胸が高なります。
◇「浪曲社長」 三代目三遊亭圓歌
・・そうでした。
圓歌師匠と言えば、浪曲でした。
ところで、落研では、我々OBの熱に比べて、現役部員はクールなものです。
まぁ、現代っ子のことですから、伝統だとか、先輩だとか、あまり考えていないみたいです。
前回もそうでした。
落研の歴史よりも、今、自分たちが楽しむことが全てなのかもしれませんね。
時代の流れです。
目下の彼らの関心は、今日の「OB落語会」ではなく、「奥羽越学生落語会」のことばかりのようです。
やや寂しいですが、開催してくれるだけでも感謝しないといけません。
蝶九さんが稽古を始めた「十徳」あたりで。
[十徳]
・「羽織を長くしたような着物」とかけて
「伝言を安請け合いする人の口癖」と解く
その心は「十徳(言っとく)でしょう」
[十徳]
・十徳は "ごとく""ごとく"を 引かずに足して
"やだ"は"ようだ"の 繰り返し
明日の「OB落語会」の高座は、やはりこれでしょう。
仙台も、大学も、「萩」をしシンボルにしていますから。
https://www.youtube.com/watch?v=5CwWRIIMUPw
大学の学生歌の2番の歌い出しは「萩の香るこの宮城野」。
(ちなみに1番は「青葉もゆるこのみちのく」です。)
https://www.youtube.com/watch?v=7Ueb69MUAS4
最近、交友歌「緑の丘」が出来ましたが、何とOBの小田和正さんの作詞作曲です。
朝から、とんでもないことになりました。
今日も母の所へと、いつものように愛車を駆って出かけました。
3連休の初日だから、渋滞も覚悟で。
首都高の江戸橋JCTから銀座方面に走っている時に、愛車に異音がして、細かい振動を感じました。
すぐに停車するの訳には行かないので、京橋で首都高を降りて停車させました。
車周りを見ると・・・、何と左側の後輪がバーストしていました。
えぇっ!
ハザードランプを点灯させ、取り敢えず、妹にメール。
一旦、スペアタイヤに交換して、家に戻り、電車で行くしかないか・・・?
トランクを開けて、スペアタイヤを確認したものの、雨も降って来て、やや途方にくれました。
「よしっ!こうなったら、JAFに助けてもらおう」。
待つこと約10分で、頼もしい助っ人が来てくれました。
松井さんと桑原さんの2人が、テキパキとジャッキアップして、タイヤ交換が終了。
「これから富士まで行くつもりだった」と言うと、「それなら、無理な運転をしなければ、このまま十分走れますよ」と。
スペースセーバータイヤも、随分性能が良くなったんですね。
結局、アドバイスに従って、このまま強行することにしました。
早速妹に連絡。
バーストによるロスタイムは、1時間程度でした。
地獄で仏、銀座でJAFでした。
明後日ディーラーに行き、新しいタイヤと交換することにしました。
とにかくJAFの松井さんと桑原さん、ありがとう!
感謝、感謝、大感謝
あんまりお世話になるようではいけないので、「またよろしく」とは言いませんでした。
2年に一度の「OB落語会」が、いよいよ明日になりました。
昭和41年に始まり、今回で26回目になります。
昭和34年に創部して、卒業したOBの数が相応になって来て、「OB落語会」が始まったということです。
現役時代には、OB名簿では知っていても、会ったことのない"伝説の"先輩を、緊張しながら迎えたものでした。
ところが、最近では、日常の出前落語などが優先されているようで、部を挙げた行事ではなくなっているような気がします。
我々は緊張でしたが、今は面倒臭さが先に立っているのでは・・と。
そんな時代ではありますが、長く続いて来ている落語会を、しっかりと繋いで行きたいと思います。
昔なら、最低一泊旅行でしたが、今回も日帰りです。
勝手な男に振り回されるのが女・・?
[不孝者]
・「道楽息子」とかけて
「雑巾」と解く
その心は「不孝者(拭こう物)でしょう」
[不孝者]
・あの人の 後妻に入る 秘かな夢を
やっと手に入れ 暮らせそう
我が落研のOBは多士済々。
今回の「OB」落語会」には、この大勢の名人上手?の中から、選び抜かれた(ちょうど暇だった?)4名が出演します。
◆桂友楽師匠「ねずみ」
落研の長老、仙台の有名人。
八代目桂文楽師匠の元に日参?して”友楽”の名前をゲット
した情熱の人。
落語を演るだけでなく、創作落語、講演、小中学生への落語
指導と、マルチな大活躍。
今回は、ご当地ネタの「ねずみ」が楽しみです。
◆談亭志ん志師匠「いかけや」「貧乏神」
OB会長として、OB活動にリーダーシップを発揮する、気は
優しくて力持ち、頼りがいのある先輩。
今回も、現役部員の皆さんとの打合せ等、ほとんど引き受けて
くださいました。
志ん志師匠の情熱で実現したようなものです。
しかも、落語会でも、珍しい噺2席を熱演してくださる予定。
和製トランプ(自称)のパワーを是非ご覧あれ。
◆杜の家とん平師匠「目黒の秋刀魚」
上のお2人とは違って、情熱やパワーの片鱗も見せない、とても
自然体の先輩。
落研で最も由緒正しい?「杜の家とん平」の三代目。
とにかく、飄々と楽しそうに落語を演ってくれると思います。
落語っ子連では「三流亭新参(にっさん)」を名乗る、優しい先輩。
今回の「目黒の秋刀魚」は、東京で圓窓師匠もその出来に注目
しているはずです。
◆金願亭乱志「(三遊亭圓窓作) 揺れるとき」
もう、何も言うことはありません。
・・・このオジサン(ジイサン)4人を、1人で受けて立ってくれるのは、3年生の葉楼ぷろさん。
確か、前回のOB落語会の時は1年生で、高座返しをやってくれたと記憶しています。
とにかく、是非ともご来場ください。
ちょっと過ぎてしまいましたが・・・。
[薮入り]
・「毎年2度の里帰り」とかけて
「誤診ばかりしているヘボな医者」と解く
その心は「薮入りです」
[藪入り]
・薮入りで ご奉公させた 一人息子が
やっと帰ってくれ涙
全く稽古が出来ていない「揺れるとき」。
でもやはり、私は噺を暗記して覚えている訳ではなく、自分で、師匠の高座本とはかなり言葉(台詞)やその順番を変えたり、カットしたりしているので、高座本ではキーワードを確認する程度です。
ですから、もう、噺を覚えるネタ張としては使えません。
言葉や台詞は、私のものとして、頭の中の引き出しに入っているはずです。
各場面の順番だけチェックしておいて、あとは本番で、自分の引き出しの中から出す言葉で語るのみ。
この噺は、5年間も一度もやっていませんが、何となく各パーツは出来そうな気がします。
だから、本番でこれがパーフェクトに出来たら、まさに究極の話芸の領域ということになるのでしょう。
いつから、こんな感じになって来たんでしようか?
師匠から「活字で覚えちゃいけないよ」と言われて後、「文七元結」の頃からでしょうか。
いずれにしても、本番まであと3日になりました。
「揺れるとき」という噺は、今から7年前の8月に、三遊亭圓窓師匠が創作され、「圓朝まつり」の奉納落語会で初演された噺です。
幸運にも、私は、この奉納落語会のチケットが入手出来て、最前列で師匠のネタ下ろしを聴かせていただきました。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2011/08/post-5.html
下の写真に、最前列の右端に座って師匠の高座を聴いている私の姿が映っていました。
この噺を聴き終わった時に、「いつかはこんな噺をやってみたい」と、漠然と思いました。
5年先か、10年先か・・・という感じで。
と言うのも、噺の内容は勿論ですが、この噺のきっかけとなった出来事には、私も関わっていたからです。
高座本の巻末に、師匠が「創作のきっかけ」という一文を載せていらっしゃいます。
師匠の落語に対する熱い気持ちを、改めて実感しました。
そして、きっかけのきっかけが、あの「東日本大震災」と「扇子っ子連・千早亭」でした。
【揺れるとき・創作のきっかけ】~抜粋
平成23年3月11日、東日本を襲った津波の様子を自宅に居てテレビで見ていた。
こんなことが中継されているのか・・・。
ライブなのか・・・。
正直に言って、不思議な気分で見ていた。
その日は、恐ろしさを感じなかった、と言ってもいいだろう。
遠く離れた東京のあたしにはその程度のことしか受け入れられなかった。
翌、12日の夜は日野市に仕事があったので、出掛けた。
その次の日の13日は地元の扇子っ子連[註:千早亭]というアマチュアの落語゜指南所の発表会がある。
12日にはその連の長から電話が2本入り、「明日の発表会は中止にしましょう」と言ってきた。
理由を問うと、「こういう状況で落語をやっていかがなものか、と思いますので」と答えた。
あたしは即、「こういう状況でも落語を聞きたいと足を運ぶ人は必ずいるもんだ。それに出演する連の者はほとんど地元の豊島区の人なんだから、来られる人だけでもいいから、高座に上がろうよ」と伝えた。
しかし、当日、その長からは「みなさんが中止に賛成しましたから、やめます」とのこと。
あたしは、自分自身を指導者失格と受け取って、この先の指南を断った。
何人かが拙宅へ来て、「指導を続けてください」と言う。
中には「あたしは、師匠が中止を決めたかと思い、だから中止の賛成をしたんですが・・・」とも言う。
つまりは、連の長はあたしの意向を連中にちゃんと伝えず、中止にしたいという自分の気持ちを優先させた結果のようだ。
落語を趣味で聞く分には、個人として存分に楽しめばいい。
しかし、演るとなると、聞く人が必要になってくる。
その人への責任も感じ取らなければならない。
「プロはすごいんですね」と言う人がいたが、演るということに関しては、プロもアマもない。
責任を果たさなければいけない。
連の長に、あたしの了見が伝わらなかったのが、寂しかった。
そこで、落語協会から頼まれた圓朝まつり(8月7日)に於ける圓朝に因んだ創作の構想の中に、あたしのこんな了見を挿入できないか、と考えた。
と、いうのは、圓朝が真打になった年の安政2年に安政江戸地震が起きている。
これだ!
しかし、あたしの了見は圓朝には言わせず、フィクションで登場させる圓朝の先輩格の長老に言わせようと、構想をスタートさせた。
しかし、その先が進まなかった。
その内に夏風邪に襲われ、声帯が腫れて声が出ず、8月1日からは仕事も休業に追い込まれ、複数の人に代演をお願いする嵌めになってしまった。
パソコンのキーを叩いて、初稿が5日。
脱稿したのが7日の13時半。
会場は谷中の全生庵。
高座は15時40分上がり。
まさに綱渡りの一席であった。
・・・・東日本大震災の2日後に、私も参加している扇子っ子連の「千早亭落語会」が予定されていました。
私は、仕事でどうにも動きが取れず、出演は不可能な状態でした。
現に、日曜日まで、自宅に帰ることが出来ませんでした。
連の長から電話が来たので、自分自身は出演が出来ないことを伝えました。
また、あの段階では、日本中が自粛モードになっていましたから、私も「中止」には積極的に反対は出来ませんでした。
「私は出られなくて申し訳ありませんが、開催するかどうかは、メンバーの皆さんや師匠にも相談して決めてください。仮に今回はやらないということになっても、"中止"ではなく"延期"ということにすべきだと思います」と言った気がします。
直前に中止を決めたので、当日、中止を知らないお客さまが来たら、直接中止の説明をしようと、メンバー2~3人が、会場に行っていたそうです。
そして、中止をご存知ではないお客さまが片手に余るくらいご来場されたそうです。
師匠は、「2~3人会場に行っていたなら、その人たちだけでやればいいじゃないか」と、後で仰っていました。
私は、最初は、師匠も随分厳しいなぁ、素人はそこまで・・と、思わないこともありませんでしたが、話を聞いて、師匠が仰る演り手の責任というのが、プロアマを問わずにあることを実感しました。
こんな経緯があるので、私は「絶対に私がこの噺をやらねば」と思いました。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2012/03/post-3428-2.html
先日の台風の中での「深川三流亭」も、真夏の猛暑の中での「学士会落語会納涼寄席」「牛久味わい亭」も、通常に比べれば少なかったものの、そんな悪条件(天候)にも拘らず、大勢の方々がご来場くださいました。
最初に私が恐る恐る、「師匠、"揺れるとき"をやらせてください」とお願いしたら、師匠はとても喜んでくださいました。
そして、因縁の?「千早亭落語会」で初演した時には、師匠は「永久さんが、この噺の後継者だ」と言ってくださいました。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2012/03/post-23.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2012/03/post-41c9.html
再演は、5年前の「お江戸あおば亭」でした。
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2013/06/post-29fb.html
http://ranshi2.way-nifty.com/blog/2013/06/post-888a.html
この時、冒頭で「三遊亭圓窓作"揺れるとき"。この噺を東日本大震災で被災された皆さまに、謹んで捧げます」と申し上げました。
そして、今回初めてこの噺を仙台で口演します。
7年かかってしまいましたが、謹んで捧げたいと思います。
「OB落語会」で、プログラムのほかに配布する資料。
題して「落語の歴史探訪と寄席」という。
何と言っても、落語”研究”部なんですから、アカデミックな?ところもご覧いただこうと。
最近の若者は、「お笑い」に偏重しているようにも思えますので。
元は、落語っ子連の出前落語会で配布するために、寝蔵師匠(越児さん)が、地元の大学の講演で使われたレジュメをベースに編集したものです。
1.落語とは何か
2.落語の起こり
3.江戸落語と上方落語
4.寄席
5.落語の名人
6.古典落語と新作落語
7.「落語は人間の業の肯定である」
8.寄席文字
9.上下(かみしも)を切る
なかなか濃い内容ですが、コンパクトにまとまっていると思います。
「OB落語会」の会場で配布するプログラム。
基本的には、「お江戸あおば亭」と同様のイメージです。
ただし、今回は、初めて"左開き"にしてみました。
全て横書きにしましたので、左開きにしました。
表紙は、チラシと同じフェイスにして、シンプルにしました。
このデザインは、前回に使用した物を踏襲したもので、当時の現役部員が作ってくれたものです。
字体も、中途半端な"寄席文字もどき"は嫌なので、見易さを優先しました。
写真は、仙台空襲の際に消失した、当時国宝に指定されていた「仙台城大手門」を入れてみました。
現在の、川内キャンパスの入口あたり、再建された隅櫓の向こう側にどっしりとした威容があったそうです。
復元の計画もあると聞いています。
裏表紙は、簡単なご来場のお礼と、ちょっとした参考資料を載せました。
プログラムを開くと、左側にはメインの「番組」を配置。
右側には、「東北大学落語研究部のあゆみ」として、簡単な年表を載せてみました。
地元の方や現役部員の皆さんに、創部約60年の歴史を知っていただこうと。
いつも、どの落語会でも思うことですが、勿論、メインは落語を聴いていただくことです。
しかし、せっかくの機会でもありますから、落語のことや落語会のことや出演者のことも知っていただきたいという気持ちです。
学業や仕事などで、現役部員もOBも多忙で、なかなか悩ましい部分はありますが、そんな中でも、東京では談亭志ん志師匠が、仙台では桂友楽師匠や走れ家駄馬師匠が、深い落語研究部愛で、力強く支えてくださっています。
何とか盛会にしたいと思います。
久しぶりになぞかけと都々逸が浮かびました。
[つる]
・「落語に出て来る鶴と亀と狸」とかけて
「裏声(ファルセット)」と解く
その心は「どちらも恩(音)返しです」
[つる]
・物の名は 語呂を合わせて 捻ってこじつけ
やたら出鱈目 くだらない
秋になり、富士山の短い夏が終わりました。
夏の富士山が閉山です。
富士山の夏山シーズンの終わりを告げる「閉山祭」が、昨日、富士宮市の富士山本宮浅間大社で行われだそうです。
7月10日に山開きした富士山は、一昨日に山頂に通じる静岡、山梨両県の合わせて4つの登山道すべてが閉鎖され、夏山シーズンが終了。
富士宮口登山道の出発点でもある富士宮市の富士山本宮浅間大社では、「閉山祭」が開かれ、氏子や地元の観光協会、それに山小屋の関係者など約60人が参加。
「閉山祭」では、宮司が祝詞をあげたあと、参加者が玉串を奉納し、大きな事故がなく夏山シーズンを終えたことに感謝。
富士宮市観光協会によれば、今年の富士山の登山者数は山開き当初の7月はまずまずの出足だったものの、8月、9月は台風が相次いだ影響で去年と比べて3割ほど減ったと見られるそうです。
個人的には、度を過ごして登山客に来て欲しくないと思います。
富士山は、静かに眺めてこその山だと思いますので。
9月16日の「OB落語会」の準備。
当日会場で配布する物をプリントアウトし、セットしてみました。
◆プログラム
チラシと同様のフェイスにしたプログラム。
写真は、仙台空襲で消失した、国宝(当時)仙台城大手門。
この今はなき荘厳な門をOBになぞらえました。
◆資料「落語の歴史探訪と寄席」
喰亭寝蔵師匠が、地元新潟の大学で講演されたときの資料を
ベースに、簡単に落語について説明したもの。
◆「お江戸あおば亭」のチラシ
東京でのOBの活動の紹介ということで、11月24日の
「お江戸あおば亭」のチラシ。
これに、「奥羽越学生落語会」のチラシも、セット出来ます。
・・・それに、翌日の「落語の舞台を歩く会」のチラシも。
台風や地震もあって、すっかり忘れてしまっていましたが、まだ解決していません。
大阪府警富田林署で勾留されていた容疑者が面会室から逃走して1ヶ月。
このトホホな状態は、呆れを過ぎて笑ってしまいそうです。
まぁ、警察のレベルの低いこと。
そしてとうとう、府警OBが出資する私的懸賞金制度を開始すると発表。
逮捕につながる有力な情報に支払われ、上限は総額で200万円だそうです。
他力本願になって来ました。
発生から1ヶ月となるのを前に、OB有志から「いまだに逮捕に至っていないので側面支援したい」と申し出があったそうです。
そりゃぁ、今のままじゃ、みっともないですからね。
今日は、一つの演目に3題の都々逸を考えました。
[たらちね]
・裏長屋 5年10年 一人で暮らしゃ
やもめをやめる 口もなし
・縁談は ご良家生まれの 一人娘じゃ
やたらな家から 口はなし
・大家さん ご丁寧とて 一人の名前?
やたら長くて 口に出ず
漫談家の「ひびきわたる」先生が亡くなったそうです。
享年75歳。
何度も寄席で拝見して、とても印象に残っています。
1968年に漫談でデビュー。
「お笑いキャスター」と呼ばれ、歌、声帯模写、司会、作詞・作曲も・・。
レコードも16枚出しているそうてす。
寄席では、何と言っても「キセル」を使った、人間や動物のモノマネ。
これは日本で唯一の芸だそうです。
その他、ギター漫談、ソウル漫談、フルートを吹きながらの漫談、「鶴の恩返し」など。
「鶴の恩返し」も印象に残っています。
1984年に日本テレビ「お笑いスター誕生!!」で、「最優秀個人賞」「最優秀歌唱賞」を受賞。
・・・こういう軽妙な芸人さんは、本当に寄席に不可欠な存在なんですよね。
ご冥福をお祈りいたします。
今日は都々逸3題でお許しください。
[目薬]
・女房に ごり押し尻に ひとつけ目薬
やっぱりここだ 薬目に
[文七元結]
・佐野槌に 五十両で 久が身を売り
やさぐれ親父 悔いて泣き
[一人酒盛]
・お土産に 五合もらって 一人酒盛り
やい俺にゃ酒 くれねぇのか
北海道の地震の影響で、道内は「20%節電」が叫ばれているそうです。
とにかく驚きの被害でしたが、大きな火力発電所が発電出来なくなったというのは、「そういうこともありかな」と思いましたが、その影響で北海道全体が停電になったというのは、素人としては、釈然としませんでした。
当時、北海道全体の電気需要の約半分を、この火力発電所が担っていて、地震で運転停止になり、”ブラックアウト”という現象が発生して、全道で発電がストップしたということです。
とにかく、一日も早い復旧が最優先ですが、釈然としないのは、様々な事情はあるにせよ、この発電所1ヶ所で、全体の半分も負担させていたのは、マネジメントの責任が重大ではないかと言うことです。
ビジネスというのは、リスクテイクが付き物ですが、同時にリスク分散も不可欠です。
どの世界(業界)でも、シェア50%というのは異常値です。
そんな危険な運営を行っていた電力会社のマネジメントの責任は、重く問われることでしょう。
・・・しかし、だからと言って、「やはり(今運転停止している)原発の再稼動が必要だ」という短絡な議論も危険だと思います。
東北大学学友会落語研究部は、来年が創部60周年。
今月は、OBと現役部員が2つの落語会を開催します。
◆第26回 OB落語会 9月16日(日)
歴史と伝統の老舗落研のOBと現役部員とのコラボレーション。
隔年開催で第26回目、50年余も続く、全国屈指の落語会。
東北大学片平キャンパスさくらホールで。
◆第10回 奥羽越学生落語会 9月23日(日)
北日本の大学の落研の合同落語会。
東北大学、東北学院大学、新潟大学、今回から秋田大学も。
ますます盛んになる、大学落研の交流。
新潟大学駅南キャンパスときめいとで。
・・・現役の皆さんは、OBのオヤジたちなど面倒臭く、学生同士の合同落語会の方にウエイトがかかっているようで。
それもまた仕方がありませんが、地元のコアなファンの方もいらっしゃいますので、是非盛会にしたいと思います。
よろしくお願いします。
まだ季節はずれですが、今、落語っ子連で新参さんが稽古していますので。
[河豚鍋]
・「河豚鍋」とかけて
・「南海大地震」と解く
その心は「どちらもトラフグ(トラフ)がポイントです。」
[河豚鍋]
・河豚鍋は ご馳走だけど ひどいと死ぬよ
薬毒よりも 苦しいぞ
最終日なので、父の墓参をしました。
日曜日の朝だから静かなのではなくて、いつでも静かです。
白い花の写真を撮ろうと、近づくと・・・。
ビリビリッ
思わず、持っていたスマホを落としてしまいました。
田舎では、サル、イノシシ、シカが出て来て作物などを荒らすので、畑や家の周りに電線を張って追い払うようにしてあります。
カメラを近づけていて、気がつかずに、
通電しているコードに触れて・・・(;_;)
びっくりしました。
瞬間、電線のことを感電(完全)に忘れていました。
サルとイノシシとのシカの気持ちが分かった気がしました。
しかし、こういう物が張りめぐらされていると、どちらが包囲されているのか、分からなくなります。
もしかすると、人間が獣たちに監視されているのかもしれません。
だって、人の数よりも、獣の数の方がずっと多い(はず)ですから、獣たちが檻の中の人間を見物に来ているみたいな。
今日は稽古の日ですが、私は参加出来ません。
今回は、他のメンバーの欠席も多く、越児さん、窓口さん、新参さんの3名だけの見込み。
幸い、紅巣亭の鶴女さんが交流懐古で参加してくださるようなので、4名での稽古会です。
もう今ごろは始まっていることでしょう。
それにしても、私が帰省、千公さんは別の稽古、夢学さんは主婦、蝶九さんは腰痛、百梅さんは仕事、学津さんは地元の敬老会・・・と、何か「寝床」みたいですが。
大丈夫かなぁ・・・?
苦しい・・・、苦しい。
でも、なぞかけは2題捻り出しました。
[たらちね]
・「"母"の枕詞」とかけて
「災害時の避難指示」と解く
その心は「たらちね(直ちに)でしょう」
・「ある夜鶴の夢を見た」とかけて
「マンネリの芸人」と解く
その心は「どちらも丹頂(単調)が見えるでしょう」
[たらちね]
・とりあえず ごすたんぶびょう 閃き言うが
やたら言葉は 口に出ず
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
義父の1周忌の法要。
菩提寺の住職が、懇ろにお経を唱えてくださいます。
いつもは、お経本を持参するのですが、バタバタしていて忘れてしまいました。
そこで、タブレットでお経を調べて、タブレットの画面を見ながら、お経・お題目を唱えました。
若い住職で、「お経を一緒に唱えてもらうのは、とても有難い」と、いつものようにお礼を言われました。
お経は、およそ45分ぐらいで、さすがに足が痺れました。
先日の「浜野矩随」は40分ぐらいでしたが、こんなに痺れませんでした。
やはり、何となく違うんでしょうね。
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・。
ここは、身延山の麓、お題目で助かりました。
もう、ただ字を並べているだけです。
[十徳]
・「立てば羽織、座れば衣のようなもの」とかけて
「酒を枡の角を噛んで飲む」と解く
その心は「十徳(じゅっと来る)でしょう」
[十徳]
・十徳は ごとくごとくと 閃き言うが
"やあだ""ようだ"の 繰り返し
今日も、都々逸4題でお許しいただきます。
[文七元結]
・懐の 五十両掏られ 悲嘆に暮れて
やはり生きては 暮らせまい
[化け物使い]
・あまりにも ご隠居さんの 人づかい荒く
やつれてお化けも 首を出し
[狸の札]
・新ピンの 五十円札 平たくたたむ
奴の財布を 食い破り
[かぼちゃ屋]
・唐茄子を 5個も10個も ひとりで売った
やっぱりおいらは 苦労人?
実家の前を流れる小さな川。
山梨県と静岡県の県境。
向こう岸は、先日亡くなった、さくらももこさんの出身地の静岡県静岡市清水区。
先日の台風は風台風だったそうで、実家の前の小川の水量も、ちょっと多いかなという程度でした。
庭には木の小枝が落ちていたので、少し竹箒で掃きました。
比較的荒れていなかったので一安心。
近所の人が、風が怖かったと言っていました。
ここも、今まで無事だったからと、安心は出来ません。
いつ、この小川が牙を剥いて来ないとも限りません。
何と言っても、この場所は、町の「大雨」や「土砂崩れ」などのハザードマップによれば、「避難場所特定不可能」と表示されていますから。
要するに、逃げ場はありませんと・・・。
最近見かけなくなった物に「竃(へっつい)」があります。
[へっつい幽霊]
・「博打で負けてすってんてんの幽霊」とかけて
「長年赤字だった会社が倒産した」と解く
その心は「へっつい(へぇ遂)に」
[へっつい幽霊]
・へっついを ご覧になった 人も少なく
演りづらくなり 苦労する
私にとって「恩人」とも言える方の訃報に接しました。
私を、前の会社に採用してくれた人です。
つい2〜3日前に、経団連の就職協定廃止の話題がニュースになっていましたが、当時は、会社説明会の解禁が4年生の10月で、選考(試験)が11月という、今から思えばとてつもなく遅いスケジュールでした。
勿論、当時も"フライング"は暗黙の了解のようになっていました。
当時は、第二次オイルショックの影響で、就職氷河時代。
文系学生では、公務員と金融機関の人気が高く、10月1日の会社説明会解禁日には、東京の企業の本社ビルの前には長蛇の列が出来ていました。
そんな中で、私を採用してくれたのは、当時の仙台支店長と人事で東北大生の採用担当だったこの方でした。
今の学生さんのように、企業研究をするとか、人生設計をするとか、そんなこと全くなく、何とか就職することが出来ればというような雰囲気でした。
業界や企業の研究も全くせずに、企業の支店が多く集まる、仙台の青葉通りや一番町をブラブラ歩いていて、友人から「あそこは人気企業だ」と言われて知っていただけの会社に行ってみました。
仙台支店の会社説明会の会場に入ると、第1回目の説明とグループ面談が終わっていたようでした。
そこで、この方と初めて会って、1対1で話すことが出来ました。
会社のことは知らない、学校の成績は良くない私ですから、話題と言えば、落語とアルバイトをしていたテレビ局の話ばかり。
当時は、アパートに電話もなかったので、その場で「明日また来てください。支店長に会ってもらうから」ということになりました。
翌日、支店長と数名でグループ面接。
ここでも、他の学生さんは、自分のゼミの話とか、法律や経済の話題でしたが、私は、同年に起こった宮城県沖地震のテレビ局の報道のアルバイトの話をしました。
何の欲もなく、自分のありのままを喋ったのが奏功したか、支店長に気に入られたようで、またその場で「明日、東京に行ってください」と言われました。
当時、地方の学生にとっては、どの企業でも、「東京に行く」=「内々定」でした。
そして、翌日東京に行って・・・、翌年4月に入社しました。
結婚式の披露宴にも来ていただき、祝辞をお願いしました。
「彼(私)を採用したのは、落語を通じて、"社会学"を身をもって学んで来ていると思ったからだ」と仰っていただいたのを覚えています。
落語にも、褒めるところがない時には「様子がいい」と褒めますが、私も同じような褒められ方をしました。
・・・その方が亡くなりました。
享年75歳。
私が、この会社に入ろうと決めたのは、この方がいて、この方が「来い」と言ってくださったから。
「貴方に身体を預けます」というような気持ちだったと思います。
実に、昭和な就職活動でした。
最近は、あまり体調が良くないと聞いてはいましたが、それにしてもまだ早い・・・。
ご冥福をお祈りしたいと思います。
世の中にはやきもち妬きが多いようで。
[悋気の火の玉]
・「やきもち妬きのおかみさん」とかけて
「アイドルタレント」と解く
その心は「どちらも悋気(人気)が凄いです」
[悋気の火の玉]
・古女房 ゴンと鳴る鐘 火の玉出でて
やきもち妬いて 管を巻き
台風21号は、予報どおりにやって来て、西日本を中心に暴れまくっています。
関西空港や神戸のポートアイランドや、神戸・大阪・京都の三都も大変なことになっているようです。
その影響で、活発な雨雲が西日本から東日本にもかかっていて、レーダーの解析で、午後5時40分までの1時間に、山梨県富士山西部付近で約100ミリ、静岡県富士宮市付近で120ミリ以上のそれぞれ猛烈な雨が降ったとみられ、記録的短時間大雨情報が発表されだそうです。
おいおい、大丈夫でしょうか?
東京も、風が強く吹いています。
帰りの電車は、北千住-松戸間の江戸川を渡る鉄橋で、例によって徐行運転をしていて、10~20分程度の遅れが出ていました。
台風接近・上陸に備えて、直撃が予想される関西では、事前に交通機関の運行予定が発表されています。
今日の関西は、出来るだけ外に出ないように、ということですね。
その方が良さそうです。
また、多くの企業が臨時休業、学校が休校になるようです。
「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」(USJ)も今日の営業中止を発表したそうです。
2001年の開業後、終日休業は台風が接近した01年8月以来、17年ぶり2度目だそうで。
さらに、百貨店では、J・フロントリテイリングが大丸心斎橋、梅田、神戸、京都など8店舗、高島屋は大阪、堺、京都など5店舗で終日休業。
それから、様々なイベントや公演も悩ましいと思います。
大阪などは直撃しそうですから、休止や休演でもそれぞれ納得出来ますが、東京は、夕方の帰宅時間帯がピークになりそうだということですから、寄席や落語会の夜席・・・などは悩ましいでしょう。
・・・四半世紀ぶりの強力な勢いの台風が、いよいよ上陸します。
「町内の若い衆」はバレ噺と言われていましたが、今はそんなには感じません。
素人で、女性でも演る人がいるんじゃないかなぁ。
[町内の若い衆]
・「間もなく生まれて来る赤ん坊」とかけて
「弱肉強食の自然界の掟で襲われた動物」と解く
その心は「よってたかってやられました」
[町内の若い衆]
・若い衆 ご覧この腹 ひと月経てば
やっと子生まれて 来るからね
私はあまりお酒は嗜みませんが。
一昨日の「牛久味わい亭」で空女さんが熱演した噺です。
[夢の酒]
・「今見た夢の内容」とかけて
「熱い鉄板に落としたバター」と解く
その心は「すぐに消えて(融けて)しまいます」
[夢の酒]
・ご酒が好きでも 冷やでは飲まぬ
やがて目覚めて 悔しがり
今日は帰省中の愛車のラジオで聴きました。
秋雨前線が、西から移動しているようで、東名高速は、場所によっては、かなりの大雨になっているようです。
◇「弥次郎」 三代目三遊亭金馬
昭和33年の音源だそうです。
60年前もの噺を、今聴いても笑えるというのが、落語の物凄さ、楽しさなんでしょう。
やはり、「高座には"魔物"が棲んでいる」というのを、改めて感じさせられました。
噺の出来が良かったとか、受けたとか、お客さまが感動してくださったとか・・・ではないところ。
やはり、今回は落語の神様から、ちょっと"お灸"をすえられた感じがしています。
今までこの噺を演じた数多くの中で、一番反省点の多い高座だったような気がします。
しかし、それはいずれ来るだろうと漠然と思っていた領域。
だから、期待していたような、でも実は一番恐怖に感じていたような、そんな感覚でもありました。
テクニカルなことではなくて、もっと大きな、もっと高い次元での思いです。
高座や噺に対してというのではない、落語を演じるに際しての、落語と自分との間の緊張感(テンション)のあるべき状態を考えさせられました。
この噺と付き合って40年余り、この噺は、今日改めて、私にまた課題を与えてくれた気がします。
まだまだ、様々な所から見直して、もっと良い作品にして行かないと。
・・・そんなことを考えさせられた高座でした。
長講を最後まで聴いてくださったお客さまに感謝です。
この落語会で、この噺をやらせていただいて良かった。
23回も数えるこの落語会の、文字どおりの看板の梅朝さん。
今回の私の高座も、梅朝さんのご配慮で実現したものです。
地元に根を張り、地道に活発に落語を続けている梅朝さんが、根なし草の私はとことん羨ましい。
凝固演目は「長火鉢幽霊」。
元は「へっつい幽霊」ですが、今は、"へっつい(竈)"が分からなくなったので、"長火鉢"に変えたもの。
しかし、長火鉢もかなり分かりづらくなっているとおもいますが。
この会場の約200人のお客さまが、梅朝さんと繋がっている訳です。
相変わらず見事な語りで、会場を魅了していました。
数ある持ちネタから、今日は「夢の酒」。
師匠が指導される素人連が関わる落語会には、空女さんの姿あり、と言っても過言ではない気がします。
今日の落語会は、出演の皆さんはもうお馴染みで、アウェイは私だけ。
お客さまも暖かく迎えてくださっています。
それに応えて、空女さんも熱演です。
背もスラリとして、髪も短くしていて、語りにも抑揚がありますから、舞台(高座)映えします。
会場もすっかり落ち着き、雰囲気は最高潮になりつつあります。
茨城県神栖市のお寺の住職の南夢明さん。
元々、佐原の「有難亭」のメンバーですが、今年新たに自分のお寺を稽古場にして「仏っ子連・神栖亭」をスタートさせました。
とにかく、若さもあって忙しい方で、単なるお寺の住職にとどまらず、各地で様々な活動をされているそうで、広島の豪雨の被災地に行ってボランティア活動もして来たそうです。
私が、「住職」じゃなくて「重職」だと言ったら、ご本人も笑っていました。
そんな南夢明さんの十八番の「目薬」です。
人前で話したりするのは仕事みたいなものですから、楽しくマクラを振って、会場も大爆笑です。
こういうところは、参考にさせてもらわないといけません。
始まったばかりでは会場はまだ落ち着かない部分もあり、冷房が寒いなんていう声も聞こえますが、そんなことはおかまいなし。
「目薬」という噺は、やり方が不味いと、やや不潔になってしまいますが、南夢明さんの明るい語りは、夫婦のほのぼのさも出ていて、とてもよい雰囲気です。
9月になって、暦ではとっくに秋になっていますが、まだまだ残暑が続きます。
[夏の医者]
・「うわばみが飲み込んだ医者」とかけて
「不眠不休で働く人」と解く
その心は「身体にドクター(毒だ)」
[夏の医者]
・うわばみが 誤解したのは 苣(ちしゃ)と医者
薬籠はもう 食いたくねぇ
「第23回 牛久味わい亭」。
今回も大勢のお客さまがご来場くださり、とても盛り上がった落語会になりました。
昨年に続いて呼んでくださった主催者の皆さまに感謝です。
3度目も呼んでいただき、馴染みになりたいものです。
◇「目薬」 神栖亭南夢明
◇「夢の酒」 牛久亭空女
◇「長火鉢幽霊」 好文亭梅朝
◇「狸の札」 有難亭真仮名
◇「浜野矩随」 三流亭流三
ちょうど私の高座が終わる寸前に、雷と雨が激しくなりました。
神栖亭、牛久亭、有難亭、三流亭・・・。
こういう形で、師匠に指導していただいている複数のグループのメンバーが競演できる場というのも、とても貴重だと思います。
大勢のお客さまにご満足いただけたでしょうか?
9月になってしまいました。
月初からなぞかけが出て来ないので、都々逸で。
[二番煎じ]
・寒い夜 ご用心あれ 火の後始末
焼けちまったら 悔いばかり
[目薬]
・目の中に ゴミが入った ひどい痛みに
薬つけるは くさいとこ?
[動物園]
・白獅子の 剛毛くるみを 秘かに被る
雇われ仕事で 食いつなぎ
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
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